羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

都会の片隅で本を読む、ということ。

2010年08月11日 07時30分01秒 | Weblog
 ほぼ三週間をかけた夏の片付けを終えて、咽喉の乾きを覚えていた。
「飲みたい、美味しい水を!」
 悲鳴にも似た声が聞こえてきた。
 しかし、どんな水なのか、はっきりしない。
「水ならなんでもいい」
 水を欲していたのは‘読書脳’だった。
 そこで駅前の書店の棚をあさった。
「ゥムムッ、最近、どこかでこの書名は見たような気がする……」
 上下巻を手にとってレジで支払いを済ませ、そそくさと自宅に戻った。
「夕飯の仕度まで、まだ時間が少しあるわ」
 パラパラとめくる。
「面白そうだ!」
 そこでハタと気づいた。
 読みたいのに読むものが見つからないとき、後追いしている撫明亭のご亭主が読まれた本だったことに。

《ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリア、それぞれの地で、人類はきわめて多様な社会を作りあげてきた。高度な工業社会もあれば、伝統的な農耕牧畜生活を営む人びともいる。なぜ人類社会はこれほど異なった道筋をたどったのか。世界の地域間の格差を生み出したものの正体は何か》
 表紙カバー裏の紹介文の一部だ。

 本文を少し読み始めて、本とは直接関係がないが、淡い後悔の念をいだいた。
「タイシルクのハンカチーフ、お礼メールの書き方が、軽すぎたわ!!」
 ケニア旅行土産になぜ‘微笑みの国・タイ’だったのか。手渡されたとき、そんな疑問が脳裏をかすめたことを思い出した。
 ご亭主が、アフリカの地で東南アジアの地で、また飛行機のなかで、読んでいる脳の軌跡を辿ってみたくなった。
「なるほどね~」
 殊にこの本にとっては、こうした国々への旅の途上で読むことで、読書が身体性をもつのだ。たぶん。

 書名は、『銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』ジャレド・ダイアモンド著 倉骨彰(くらほねあきら)訳 草思社 2000年 だ。

「むさ苦しい都会の片隅で読むのとでは、伝わってくる‘空気’が違うんだろうな~」
 ちょっぴり羨ましさを感じつつも、ページをめくるうちに、咽喉の渇きがこれから十分に癒されていく確信を得た。
 それは、昨日、午後のことだった。
コメント (6)
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