朝日カルチャーセンターで行っていた「野口三千三を読む」、昨日の講座で、一応内容は一区切りにして、前のブログでも書いたように、8月26日(土)に予定している最後のこの講座では、これまでの話を基に、新しい資料を提示して、今現在私が考え悩んでいる「これからの野口体操」をお話しながら、ご参加くださった方々と意見交換をしてみたいと思っている。
野口三千三先生没後の道を辿ってみると、着実に歩いてこられたという思いを抱いている。支えてくださった方が、身近にも遠くにもいらしたことが大きい。
この「野口三千三を読む」という講座も、どのような在り方をしたらいいのか、手探り状態ですすめてきた。そうした講座に、我慢強く出席し続けていただき、つたない話を聞いてくださった方に「まるごと全身」で感謝している。
10ヶ月の間に、見えてくることのなかから、『原初生命体としての人間』にこめられた野口先生の思いの一端が、しっかりとつかめた実感がある。
第二章までを読み終えて、やっと緒についた感じがする。昨日も、次の講座がなければあのまま2時間くらい話し合う時間を持つことができたら、相当内容を深めることができたに違いない。なんとなく後ろ髪を引かれる思いを、皆さんがお持ちになったような印象を受けている。
昨日のテーマは、昨年10月22日の第一回目のときに提示した問題に、しっかりかえっていったところに、野口先生の「野口体操探求」の方法論が浮かび上がったと思っている。あの時は、「なぜ、こんなものを見せるのか」と訝しく思われた方も、昨日お配りした資料と照らし合わせ、取り上げた第二章と照応していただくと、意味の深さが増すことと思っている。
締め切りがなければ文章がかけないのと似ていて、この講座がなければ、資料を整理することも、一歩すすめることもできなかったと感じている。
いずれ、「野口三千三を読む」講座は、再開したいと考えている。
野口三千三先生没後の道を辿ってみると、着実に歩いてこられたという思いを抱いている。支えてくださった方が、身近にも遠くにもいらしたことが大きい。
この「野口三千三を読む」という講座も、どのような在り方をしたらいいのか、手探り状態ですすめてきた。そうした講座に、我慢強く出席し続けていただき、つたない話を聞いてくださった方に「まるごと全身」で感謝している。
10ヶ月の間に、見えてくることのなかから、『原初生命体としての人間』にこめられた野口先生の思いの一端が、しっかりとつかめた実感がある。
第二章までを読み終えて、やっと緒についた感じがする。昨日も、次の講座がなければあのまま2時間くらい話し合う時間を持つことができたら、相当内容を深めることができたに違いない。なんとなく後ろ髪を引かれる思いを、皆さんがお持ちになったような印象を受けている。
昨日のテーマは、昨年10月22日の第一回目のときに提示した問題に、しっかりかえっていったところに、野口先生の「野口体操探求」の方法論が浮かび上がったと思っている。あの時は、「なぜ、こんなものを見せるのか」と訝しく思われた方も、昨日お配りした資料と照らし合わせ、取り上げた第二章と照応していただくと、意味の深さが増すことと思っている。
締め切りがなければ文章がかけないのと似ていて、この講座がなければ、資料を整理することも、一歩すすめることもできなかったと感じている。
いずれ、「野口三千三を読む」講座は、再開したいと考えている。