先日のブログで、書店に行って本を求めると書いた。
ある方がインターネットで買い物をしている人のように思っていたので、意外だったといわれた。
アマゾンはお気に入りに入っていて、重宝に情報をいただいている。それを見てから、紀伊國屋書店のホームページで在庫を確認して、本店か南口店かを調べて、出かけることにしている。ない場合には電話注文をしておく。
時間があるときには、本店のエレベーターで最上階まで昇って、そこから一階ずつ階段で降りながら各階をまわってみる。一階までたどり着くまでに、相当な時間を要するし、本も重くなっている。
先日は、そこまでできなかったが、必ず行くところは新書コーナーである。
ここは社会の傾向が見えるので面白い。
養老孟司先生の本が、このコーナーのいちばん目立つところを席捲している時間は長かった。例の『バカの壁』以来、最近まで続いていた。
ところが先週の21日木曜日に行ったときには、このコーナーから養老先生の顔写真が消えて、安倍普三官房長官の顔が、所狭しと並んでいた。政治家の顔写真が表紙になる本がここにあふれるのは、近年なかったことだ。とにかく養老先生のご尊顔ばかりを拝していたのだから。
目的の本をインターネットで注文して、近くのコンビニに取りに行くのも忙しいときにはいい。しかし、書店の中の雰囲気で、時代の流れや人々の関心、今の売れ筋を、「○○」に作ろうとしているのか、といった書店側の意識は、現場に行ってみなければわからない。言語化できない、暗黙知・身体知で本を味わう楽しさってあるわけで。
書店ごとに、力を入れる傾向が微妙に違っているから、それもウォッチングすることは楽しい。
そうは言っても、いちばん近い紀伊國屋書店・本店にでかけることが多い。
とりわけ本店に出かける理由がある。それは子供のころから愛着があるからだ。昭和30年代はじめ、今のビルになる前の紀伊國屋は、正確な記憶ではないが、石造りのような建物で、正面入り口が道路から奥まっていた。そこまでにブロマイド屋や化粧品店や雑貨屋などがあったように思うのだが。
で、店の商品を眺めながら、書店の中に入ると、幅の広い階段があって、吹き抜け天井の高さが気に入っていた。そこに重々しく本が並んでいたのだった。
理由はわからないが、当時の私は、本の匂いを嗅ぐのが好きだった。本の背表紙を見ながら、本のにおいを嗅ぐと、とても落ち着く。そういった空間だったことだけは、間違いのない記憶だ。
紀伊國屋書店は、子供のころの遊び場のひとつだった。
ある方がインターネットで買い物をしている人のように思っていたので、意外だったといわれた。
アマゾンはお気に入りに入っていて、重宝に情報をいただいている。それを見てから、紀伊國屋書店のホームページで在庫を確認して、本店か南口店かを調べて、出かけることにしている。ない場合には電話注文をしておく。
時間があるときには、本店のエレベーターで最上階まで昇って、そこから一階ずつ階段で降りながら各階をまわってみる。一階までたどり着くまでに、相当な時間を要するし、本も重くなっている。
先日は、そこまでできなかったが、必ず行くところは新書コーナーである。
ここは社会の傾向が見えるので面白い。
養老孟司先生の本が、このコーナーのいちばん目立つところを席捲している時間は長かった。例の『バカの壁』以来、最近まで続いていた。
ところが先週の21日木曜日に行ったときには、このコーナーから養老先生の顔写真が消えて、安倍普三官房長官の顔が、所狭しと並んでいた。政治家の顔写真が表紙になる本がここにあふれるのは、近年なかったことだ。とにかく養老先生のご尊顔ばかりを拝していたのだから。
目的の本をインターネットで注文して、近くのコンビニに取りに行くのも忙しいときにはいい。しかし、書店の中の雰囲気で、時代の流れや人々の関心、今の売れ筋を、「○○」に作ろうとしているのか、といった書店側の意識は、現場に行ってみなければわからない。言語化できない、暗黙知・身体知で本を味わう楽しさってあるわけで。
書店ごとに、力を入れる傾向が微妙に違っているから、それもウォッチングすることは楽しい。
そうは言っても、いちばん近い紀伊國屋書店・本店にでかけることが多い。
とりわけ本店に出かける理由がある。それは子供のころから愛着があるからだ。昭和30年代はじめ、今のビルになる前の紀伊國屋は、正確な記憶ではないが、石造りのような建物で、正面入り口が道路から奥まっていた。そこまでにブロマイド屋や化粧品店や雑貨屋などがあったように思うのだが。
で、店の商品を眺めながら、書店の中に入ると、幅の広い階段があって、吹き抜け天井の高さが気に入っていた。そこに重々しく本が並んでいたのだった。
理由はわからないが、当時の私は、本の匂いを嗅ぐのが好きだった。本の背表紙を見ながら、本のにおいを嗅ぐと、とても落ち着く。そういった空間だったことだけは、間違いのない記憶だ。
紀伊國屋書店は、子供のころの遊び場のひとつだった。