電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

老父死去につき、更新をお休みします。

2008年07月31日 02時20分04秒 | Weblog
先年、大腸ガンが再発した老父、本人の意思で抗がん剤治療を中止し、覚悟の緩和医療生活を送っていましたが、このたび死去いたしました。
つきましては、しばらく更新をお休みいたします。
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ツルの恩返し?アホ猫の恩返し

2008年07月30日 06時00分45秒 | アホ猫やんちゃ猫
先日、某所で田んぼを眺めていたら、なにやら動くものが!すかさず愛用のコンパクト・デジカメでズーム撮影したところ、どうにか写っておりました。ツルかな?アオサギかな?田んぼでドジョウでも捕まえて、恩人のところへ運んでいくのでしょうか。グレーのタキシード姿が、なんともおしゃれです。わが家のアホ猫がいたら、さっそく追いかけるところです(^o^)/



ちなみに、こちらがそのアホ猫の近況です。いや、別に恩返しはしなくて結構。ゲッ歯類もハチュウ類も、わざわざ持って来なくてもいいよ。羽毛が散らばるから、本格焼鳥も遠慮しとくよ。だ か ら!食料には困っていないって!



フン、なんか文句ある?アタシは無敵よ!


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太平洋プレートの移動と、南東北と北東北の裂け目?

2008年07月29日 05時43分23秒 | Weblog
当方、大陸移動説やプレートテクトニクスという言葉を聞いたのは大学生になってからで、それまで地盤は垂直に上がったり下がったりするものだ、と思っておりました。ところが、ウェゲナーの大陸移動説を初めて聞いたときにはただ驚き、また現代にプレートテクトニクスとしてよみがえっていることを知り、またびっくり。

根が理系人間で、発想が単純なものですから、考えました。

(1)東北地方の脊梁をなす奥羽山脈のほかに、阿武隈山地と北上山地、出羽山地などは、大きく見れば南北に連なるように見える。
(2)また、東北地方の平野は、南北に細長く、東北地方の大河は南北に流れる。

これは、東北地方が太平洋プレートに押されて折れ曲がるとき、ちょうど左手に力をくわえると人差指と中指、薬指などが指の方向にずれるように、縦ずれするためではないか。南北に走る断層が、東北地方の基本なのではないか、と考えたわけです。

すると、不思議な存在が浮かびあがります。最上川です。最上川は、やはり山形県中央部を南から北に流れますが、最上盆地で急に方向を西に転じ、最上峡という狭い峡谷を急流となって流れ、庄内平野にいたります。これは、私が考えた基本に反しています。実は、今までずっと疑問に思っていました。

ところが、先日の岩手・宮城内陸地震の関連で、ネット情報を調べていたところ、面白いデータに気づきました。

(3)同じ太平洋プレートでも、宮城沖の沈み込みの速度は7cm/年、福島沖の沈み込みの速度は3cm/年なのだそうです。
(4)衛星写真や地形図を見ても、南東北と北東北には、地形的にも違いがあるように見えます。
(5)ここには、多くの温泉地をつなぐ陸羽東線と陸羽西線が走り、標高差もあまりありません。

そこで素人の蛮勇!

最上川が急に西に方向を転じるのは、そこに南東北と北東北を分ける、東西の裂け目があるのではないか。

いやぁ、言い切ってしまいました!なに、素人の無責任な放言ですので当てにはなりませんが、大陸移動説に驚いた記憶を持つだけに、当地の地球科学的知見にも興味津津です。
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愛妻に捧げる夜想曲~ボロディン「弦楽四重奏曲第2番」を聴く

2008年07月28日 06時18分11秒 | -室内楽
1859年、26歳の若い熱心な化学者ボロディンは、恩師ジーニンの推薦により、医科大学からの公費留学生として、ドイツに留学します。留学先は、「アルト・ハイデルベルク」で有名なハイデルベルク大学。化学実験室でおなじみのブンゼンバーナーを作り、炎の色のスペクトル分析を行い、新元素ルビジウムやセシウムを発見したブンゼンや、ブンゼンの共同研究者だった物理学者キルヒホッフらが教鞭をとり、同期の留学生には周期律を発見し周期表を作ったメンデレーエフがいる、という環境で、研究に没頭します。そして2年が経過した1861年の5月、イタリアからもどったボロディンは、たまたま結核の療養のためにハイデルベルクに滞在していたロシア人の女性ピアニスト、エカテリーナ・プロトポポーヴァの、サナトリウムにおける演奏会に出席します。プログラムの第1曲目は、まだ没後5年目のR.シューマンの「アルバムブレッター」だった(*)といいます。

演奏会の後、シューマンの音楽について彼女に問いかけ、二人は急速に親密になっていきます。ボロディンの研究室での仕事が終わる夕刻に落ち合い、ネッカー河を散歩しながら、化学に明け暮れていたボロディンの生活の中に、再び音楽の灯火が灯ったことでしょう。二人で出かけたマンハイムやバーデンバーデンへの旅行の後に、ボロディンは結局は未完に終わる「ピアノ三重奏曲」に着手し、二人は婚約します。

ところが、エカテリーナの病状が急に悪化し、イタリアに転地療養を余儀なくされるのですが、ボロディンもまた同地の化学者の研究室で働きながら、一歳年上のエカテリーナに付き添います。1年後の1862年、エカテリーナは回復し、結婚の準備のためにモスクワの母親の元に帰り、ボロディンもペテルブルクに戻ります。それから20年の年が過ぎた1881年、ボロディンは、愛を告白した20周年の記念に、愛妻に「弦楽四重奏曲第2番」を贈る(*2)のです。

第1楽章、アレグロ・モデラート。第2ヴァイオリンとヴィオラとともに、チェロが弱く主題を歌い出すと、第1ヴァイオリンが同じ旋律を続けます。cresc.しつつ第1ヴァイオリンとチェロが交互に歌う様は、なんとなく愛し合う二人の回想と対話みたい。もちろん、チェロがボロディンで、第1ヴァイオリンがエカテリナさんでしょう。
第2楽章、スケルツォ:アレグロ。チェロのピツィカートにのって、ヴァイオリンが速く細かな動きを示します。第2ヴァイオリンもヴィオラも聴かせ所があり、なかなか多忙なスケルツォです。彼の名を冠したボロディン反応の発見や、求核付加反応の一種であるアルドール反応の発見など、化学者としての優れた研究(*3)に加え、医科大学の教授としての教育活動、そしてロシア初の女子課程の創設(*4)などに奮闘するボロディン。題して「超多忙な生活」か(^o^)/
第3楽章、夜想曲:アンダンテ。チェロがあの有名な「夜想曲」の旋律を奏でます。そして第1ヴァイオリンが、美しい高音で弱く歌うように、エスプレッシーヴォで同じ旋律を繰り返すと、ヴィオラ~第2Vn~第1Vnと音階が引き継がれる呼吸の見事さ。再びチェロに主題が帰り、ヴィオラが細やかに雰囲気を作る中で、第1ヴァイオリンが同じ主題を繰り返します。モルト・エスプレッシーヴォのあたりからの四人の呼吸の親密さは、室内楽の醍醐味でしょうか。
第4楽章、ヴィオラとチェロの低音の動きの中に第2ヴァイオリンが加わり、さらに1st-Vnも。でも、この楽章は、まだ充分にはつかめていない感じです。きっと、実演で大きな発見があるのでしょう。その時までの宿題としておきましょう。

演奏は、ハイドン四重奏団。1993年10月、ブダペストのユニタリアン教会におけるデジタル録音、ナクソスの 8.550850 という型番のCDです。弦楽四重奏曲第1番が併録されており、すでに記事(*5)にしております。

■ハイドン四重奏団
I=8'07" II=4'46" III=8'24" IV=7'11" total=28'28"

(*):ひの・まどか著『ボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ~嵐の時代をのりこえた「力強い仲間」』(りぶりお出版)より。
(*2):Wikipediaより、弦楽四重奏曲第2番(ボロディン)
(*3):化学者としてのボロディン
(*4):音楽以外のボロディンの業績
(*5):ボロディン「弦楽四重奏曲第1番」を聴く

【追記】2008/08/07
山形弦楽四重奏団のヴィオラ奏者である「らびお」さんのブログで、この記事を取り上げていただきました(*6)。プロの演奏家に取り上げていただいたことを、嬉しく思います。また、続く記事(*7)で、第4楽章について解説していただきました。演奏する立場からの、説得力のある内容で、なるほど!でした。

(*6):Alexander Porfir'evich Borodin~「らびおがゆく Vol.3」
(*7):A.Borodin 弦楽四重奏曲第2番 ニ長調 第4楽章~「らびおがゆく Vol.3」
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ドヴォルザーク「4つのロマンティックな小品」を聴く

2008年07月27日 07時26分06秒 | -室内楽
しばらく目覚ましの音楽に用いてきた、ドヴォルザークの「4つのロマンティックな小品」は、大好きな音楽の一つです。先日、体調が悪くアパートでうつらうつらしていたときにも、無意識にリモコンでこの曲を流しておりました。演奏は、ヨセフ・スーク(Vn)とアルフレート・ホレチェック(Pf)、1971年の11月にプラハのドモヴィナ・スタジオで収録された、スプラフォン原盤のアナログ録音です。現在は、DENONの2枚組のCD(COCO-70545/6)としてクレスト1000シリーズにラインナップされ、本作品はDisc-2内にあります。実に価値ある1500円。たしか、昔はこのLPはずいぶん高かった記憶があります。高嶺の花ならぬ「高値の花」でありました。DENON さん、ありがとう!

第1曲、アレグロ・モデラート。思わず古き時代を思い出すような懐かしさを感じさせる、たいへんに美しい旋律です。寝ているときも、思わず耳をそばだてるほど。小音量で聴くミニコンポではヴァイオリンの旋律の美しさが際立ちますが、自宅で音量を上げて聴くと、ピアノがリズミックでこまやかな動きをしているのがよくわかり、たいへんいい雰囲気です。
第2曲、アレグロ・マエストーソ。重音で奏されるfffの音型と、弱いスタッカートで奏される音型とが交互に対比されます。耳に残る響きです。ヴァイオリンの重音に注意が向きがちですが、素人目(耳?)にはピアノがけっこう難しそうに聞こえます。実際はどうなのでしょう。
第3曲、アレグロ・アパッショナート。すっきりした美しい旋律が、様々に変奏されます。前の楽章が、やや暗めの曲調ですので、この楽章のすっきりした性格が、たいへん好ましく感じられます。
第4曲、ラルゲット。ため息をつくような嘆きの歌でしょうか。当初は「悲歌」と題されていたということもうなづける、内面的な激しさを秘めた、憂愁に満ちた曲調です。

ヴァイオリンの旋律性と、やや控えめながら、ピアノの深い響きとを両立させた、ドヴォルザーク円熟期の作品。作曲者46歳の、1887年に完成したとか。ドヴォルザークの旋律は、本当にほれぼれするほど素晴らしいです。

■スーク(Vn),ホレチェック(Pf)
I=3'04" II=2'55" III=2'12" IV=6'30" total=14'41"



写真は、野の花を撮影したもの。時期は7月中旬です。
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伊坂幸太郎『死神の精度』を読む

2008年07月26日 05時58分08秒 | 読書
文春文庫で、映画にもなっているらしい、伊坂幸太郎著『死神の精度』を読みました。いや、けっこう面白かったです。

第1話 「死神の精度」
第2話 「死神と藤田」
第3話 「吹雪で死神」
第4話 「恋愛で死神」
第5話 「旅路を死神」
第6話 「死神対老女」

冒頭の「死神の精度」の一編が末尾の「死神と老女」のストーリーにつながり、その間には50年ほどの長い時の経過を感じさせる仕掛けになっています。たぶん、映画でも、第1話と第6話の間にどれか一つをエピソード的につなぎ、若い女性とその老後を描くことで、死神がつねに人生に寄り添っていることを描いているのではないかと思われます。一つ一つの内容は、読後に深い感動をもたらすような類のものではないけれど、死神の一種の無感動と、彼のターゲットとなった多彩な人物像とが対比され、面白く読ませる力がある作家だと思います。

しかし、作家が描いた、いつまでも終わりのない仕事を続ける死神に思わず同情するというか、なんとも哀れに思えてしまいます。死神が最近知った「ミュージック」は、因果な仕事を慰める、せめてもの気分転換なのかも。

死神に、むちゃくちゃな理系的解釈を下すならば、いつまでも死なない死神は、たぶん分裂などの無性生殖によっていつまでも増殖を続ける細胞からできているのでしょう。だから、撃たれても殴られても、すぐまた修復されるのかも(^o^)/

しかし!
分裂などの無性生殖によっていつまでも増殖を続ける生物と、種の保存維持は生殖細胞にゆだね、個体が死を迎えるかわりに種の保存からの自由を得た生物とでは、始まりがあり終わりがある後者のほうが好ましいと感じるのは、年をとったせいでしょうか。

ところで、(1)CDショップに入りびたり、(2)苗字が町や市の名前であり、(3)受け答えが微妙にずれていて、(4)素手で他人に触ろうとしない、というのが死神の特徴らしいのですが、これはけっこう私も当てはまる気がするのですが(^o^)/
んじゃ、私は死神かい(^o^)/
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手抜き生活術

2008年07月25日 06時05分25秒 | Weblog
単身赴任では、普通の家庭の生活とはまた違った工夫が必要な場合があります。その理由は、いろいろなモノや仕組みが、複数の世帯人員からなる家庭を想定してできあがっているからです。

(1) たとえばゴミ袋。あんな大きなゴミ袋がいっぱいになるまで溜め込んでいたら、生ゴミが悪臭を発するようになってしまいます。→【対策】家庭用ゴミ袋には、大小があるはず。最も小さいものを購入して、こまめにゴミ回収に出すようにします。
(2) 生ゴミの処理が意外に大変。→【対策】そもそも濡れた生ゴミを出さない工夫をする。ダイコンの葉は刻んで味噌汁に入れてしまうとか、ピーマンのヘタのように量が少しだけのものは水まわりで濡らさないで、紙ゴミと一緒にして乾燥してしまう。
(3) 野菜や魚など、量が多すぎて、単身赴任ではとても食べきれない。→【対策】カットしたものを購入するか、または漬物にするなどして、余った野菜等を消費するのに、数日程度の時差を設けるようにする。
(4) 一人前の分量がつかみにくい。→【対策1】味噌汁は、お椀で水の量を測って作り、夜と翌朝の二杯ぶんしか作らない。豆腐は小分けされたものを購入し、その分、水の量を減らす。【対策2】夕食におかずを作りすぎたら、ラップして冷蔵庫に保存しておき、翌日レンジでチンして、お弁当に使う。写真はその実例です。夏野菜を炒めたのですが、多すぎて余ってしまい、翌日のお弁当に使いました。
(5) 掃除が面倒。→【対策】畳や床はウェットシートでほこりを取る。風呂場は、上がるときに掃除をしてしまう。
(6) 洗濯機がない。→【対策】基本的に週末に自宅に持ち帰る。帰れないときは、ワイシャツはクリーニングに出し、下着、靴下は夜に風呂場で洗ってベランダに干しておけば、翌日には乾く。

なんとも風情のない話ですが、風情のほうはミニコンポでひとりでに鳴り出す目覚ましの音楽(ドヴォルザークの「四つのロマンティックな小品」)とか、風呂上りにスリープ・モードで静かに耳を傾けるバッハの無伴奏チェロ組曲とかにゆだね、生活は無駄なく合理的にと努めております。
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夏場のデスクワークにハンドタオルを

2008年07月24日 06時46分32秒 | 手帳文具書斎
湿気が多く汗をかきやすい夏場に、半そで姿でデスクに向かうと、手首の部分がデスクにぴったりついてしまい、いまひとつ快適ではありません。とくに、デスクマットをしている場合には、ビニルの感覚がなんともいえず気分悪いです。自分の家の自分の机なら、デスクマットなど使わず、木製の卓面をそのまま使うのも良いのですが、なにせ勤め人の一時的なスチール・デスクでは、あまり自分勝手に変更するのも気が引けます。

そんなときの解決策は意外に簡単で、ハンドタオルを二つ折りにし、これをキーボードの手前、手首の位置におくことです。これだけで、汗もかかず、タオルの感触も心地よいものです。すでに試しておられる方も多いと思いますが、まだの方はぜひ一度お試しあれ。

ハンドタオルは、フェイスタオルとセットでいただくことが多いものです。フェイスタオルはどんどん使うのに対し、ハンドタオルはそれほど使う機会は多くなく、いつのまにかたまってしまいがちです。こんな用途には、ハンカチは薄すぎてむしろ不向きで、カラフルで厚みのあるハンドタオルがちょうど良いようです。
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モーツァルト「交響曲第25番ト短調」を聴く

2008年07月23日 06時03分41秒 | -オーケストラ
映画「アマデウス」の冒頭で効果的に使われた小ト短調。先日、思い立ってネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団の演奏のCDを車に積み込み、全く混雑のない田舎の自動車専用道路を、けっこう大きな音量で聴きながら疾走しました。CDはTOCE-4082で、1987年の11月に、EMIのアビーロード・スタジオでデジタル録音されたものです。

第1楽章、アレグロ・コン・ブリオとはいうものの、いきなりフォルテで始まるユニゾンのシンコペーション。この突出した衝撃の度合いは、後年の第40番ト短調に負けていません。
第2楽章、アンダンテ。弱く優しく呼びかけ、それに答えるような緩徐楽章。ごく短いため、後年の曲のような深刻な深さはありませんが、やや翳りを見せる部分もあり、前の楽章との対比が顕著です。
第3楽章、メヌエットとトリオ。フォルテで始まるメヌエットは、第1楽章と対応したような悲劇的な気分を持った楽章です。トリオ部は、ややのどかな雰囲気を持ちますが、再び厳粛な気分が戻ってきます。
第4楽章、アレグロ。譜面上は再びピアノ(p)で始まる音楽ですが、やはり緊迫感のある音楽に、訴えかける力の強さを感じます。付点リズムの繰り返しが非常に効果的です。

Wikipediaによれば、オーボエ2、ファゴット2、ホルン4(第2楽章のみ2)、それに弦五部という楽器編成だそうです。当時はナチュラルホルンしかなかったので、二種類のホルンを2本ずつ使い、出せる音の制約を緩和しようとした、とのことです。

1773年、17歳のモーツァルトが作り出した、激しさと美しさの均衡。ザルツブルグ大司教の無理解への不満の表現でしょうか。メリハリのきいた演奏です。

■マリナー盤
I=7'43" II=4'54" III=3'45" IV=4'30" total=20'52"

映画「アマデウス」の中の音楽は、たしかマリナーの演奏だったと思いました。このCDには、第35番、第39番の交響曲も一緒に収録されていますので、「一枚で三度美味しい」状態です。



ネット上には、話題の「初音ミク」が「みょ」だけで「歌ってしまった」小ト短調なんて「みょ」うなのもある(*)ようですが、なにせ当方は、かなり反復して聴くほうなので、途中でちゃぶ台をひっくり返すおそれもあり、やっぱりCDが無難なようです(^o^;)>poripori

(*):初音ミクが「みょ」で歌うモーツァルトの交響曲第25番(小)ト短調
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単身アパートにおける目覚ましの音楽

2008年07月22日 04時48分16秒 | クラシック音楽
自宅では、ここしばらく目覚ましの音楽としてシューマンの「子供の情景」を使っていますが、これは妻からも苦情は出ておりません。ただし、単身アパートにおける目覚ましの音楽は、一考の余地があります。

(1) 今までの実績(*)では、R.シュトラウスの「ティル~」なども、はじめは小鳥が鳴きかわすように、少しすると金管部隊がブワーっと鳴り出すため、目覚まし効果は大きかったはず。ですが、集合アパートという環境を考えれば、あまりうるさいものはダメでしょう。当方は早朝更新ですので、隣の若い人には迷惑かも。
(2) 一方、あまり静かすぎるのも、本来の目覚ましの効果が出ません。早朝、静かに流れるバッハの無伴奏チェロ組曲なんて、気持ちよくてまた寝てしまいそうです。
(3) 音域的に、高音のほうが壁や家具等による減衰が大きいと考えられるので、高音主体のヴァイオリン・ソナタなどもよいかもしれません。

そんなわけで、現在の目覚ましの音楽は、ドヴォルザークの「四つのロマンティックな小品」Op.75 です。好きなんですよ、この曲(^o^)/

本当は、写真のような樹々の間から聞こえる小鳥のさえずりが一番理想的な目覚しの音楽かもしれません。撮影時期は今月初旬、某所の見事な森林です。

(*):早寝・早起きと「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」
(*2):早起きして聴く音楽
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「おとぎ話」「忘れられた調べ」など、メトネル作品集を聴く

2008年07月21日 12時49分23秒 | -独奏曲
昨日はうれしい三連休の中日でしたが、終日、果樹園の草刈りに追われました。当地も先日梅雨が明けたばかり、雑草の繁茂が著しく、果樹園と言うよりも雑草園という風情ですので、放ってはおけません。しばらく放置した果樹園は、人が入らなくなると、とたんに荒れてしまいます。ガソリンエンジンの爆音を響かせて、動力草刈り機で樹間の雑草を刈り取り、機械が入れないすき間は、動力草刈り鎌で刈り払います。

午前中四時間、少し離れた場所にある果樹園の草刈りをした後、少し昼寝をして鋭気を養い、夕方からさらに二~三時間ほど、裏の果樹園と畑の草刈りをしました。いや~、よく働きました。シャワーを浴びて、ちょいとビールを飲み、先日ひさびさに購入した「メトネル作品集」を聴きました。夜の音楽として近ごろお気に入りのCDです。

ピアノは、先年、山形交響楽団第177回定期演奏会で、ショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏した、イリーナ・メジューエワさん。CDは、DENON のクレスト1000シリーズの中の一枚(COCO-70756)で、1998年の10月に、岩井市民ホールでデジタル録音されているものです。

(1) おとぎ話 変ロ短調 作品20の1
(2) 4つのおとぎ話 作品26 第1番~第4番
(3) おとぎ話 ホ短調 作品34の2
(4) おとぎ話 ホ短調 作品14の2 「騎士の行進」
(5) おとぎ話ソナタ ハ短調 作品25の1 第1~第3楽章
(6) 「忘れられた調べ」より4曲、作品38の2、38の3、38の6、39の3

冒頭の「おとぎ話」変ロ短調 Op.20-1 は、聴く者に訴えかける力の強い、たいへん印象的な作品です。
「4つのおとぎ話」作品26は、ロマン的な気分が濃い作品で、こちらは静かな夜のおともに良さそうです。
「おとぎ話」作品14の2、「騎士の行進」という副題のついた作品も、変化に富んだ、なかなか充実した作品。
「おとぎ話」ソナタ、ハ短調 作品25の1 は、第1楽章がたしかに近代のソナタを実感させる、ソナタ形式の中にも感覚的な響きを強く感じさせる音楽になっています。第2楽章は夜想曲ふうの雰囲気を持った音楽、そして第3楽章は不安な要素の強い緊張感のある音楽です。
いずれも、ロシア革命前の、1910年前後に書かれた作品のようです。
「忘れられた調べ」のほうは、1919年の夏から20年の秋にかけて、ロシア南西の保養地で、日頃書き貯めておいた作品をまとめたものだそうです。本CDでは、その一部を抜粋で取り上げ、「ダンツァ・グラツィオーサ(優美な舞曲)」、「ダンツァ・フェスティヴァ(祝祭の舞曲)」、「カンツォーナ・セレナータ(夕べの歌)」、「プリマヴェラ(春)」の四曲を収録していますが、雰囲気豊かな演奏、録音だけに、もっと聴いてみたいものです。

ニコライ・カルロヴィチ・メトネルという作曲家・ピアニスト(1880~1954)は、ちょうどプロコフィエフやラフマニノフと同じ時代の人です。ただし、プロコフィエフとは違い、20世紀初頭のアヴァンギャルドには背を向け、ロマンティック指向だったらしい。その意味ではラフマニノフと似ていますが、どうも単純に遅れてきたロマン主義者というだけでもなさそうです。感覚的な要素だけでなく、がっちりした構成感もあり、どちらかというとドビュッシーやラヴェルよりは「ロシアのブラームス」というような比喩のほうが、近い印象を受けます。1921年に革命後のロシアを出て、長く英国に住んだ人だそうで、インドの某マハラジャが彼の作品を支持し、援助したのだとか。時代の波に埋没せずに、次の時代に理解者を増やすことができた、という意味では、幸せな人かもしれません。

録音はたいへん鮮明で、自宅のステレオ装置で聴くと、低音域は豊かに響き、かつ右手の高音域もやわらかくとらえられております。こういうステレオ録音だと、聴いているほうにはオーディオ的な満足感もあります。

写真は、単身赴任アパートの近所の家にある、ガクアジサイです。こんもりとした形にルリシジミの群れが乱舞するような色のバランスが薄暮の中にたいへん見事で、気に入っています。
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批評の受け止め方

2008年07月20日 06時28分57秒 | ブログ運営
誰でもなんらかの体験を持っており、個人的な批評がしやすい分野では、たくさんの批評が生まれるのだろうと思います。でも、ふつうあまり体験することのない分野、たとえば骨董については、誰でも所有しているというわけではないので、相対的に批評の数は少ないだろうと思います。つまり、批評の数は、ごくおおざっぱにいえば、経験を持つ人々の数を反映しているものと思われます。

また、有名人による批評は、大きな影響力を持つことが多いわけですが、それはたぶん、マスメディア等に載ることが多いためでしょう。彼らがミニコミ紙誌に書いた場合は、それほどの影響力は持たないのではないかと思います。これも、母集団の数が、基本になっています。

いっぽう、多い少ないという、数でははかれないものもあるかもしれません。当事者が、不本意な批評を見て頭に来ることはよくあることでしょう。これは数ではなくて、相手がたった一人であっても、悪意を持った言葉の刃に傷つくことはあります。

ブログやウェブの普及で、有名無名の個人が批評を発表することは自由になりました。それだけに、受け止める側の冷静さが必要だと言えるでしょう。多数の人が好意的に受け止てくれめたときは、全体として良好と判断して良いのではないでしょうか。

逆に、もし一人乃至ごく少数の人だけが悪意で受け止めたなら、それは何か別の要素があるのかもしれないと考えるべきなのではないか。その人だけが欠点を認識できた可能性がないではないが、もしかすると単に、昨日ふられた彼女の彼氏の意見と共通だったからとか、気にくわない上司と同じ名前だからとか、そんなような理由なのかもしれないではないか。そんなふうに考えると、少しは冷静でいられるように思います。

いや、それを考えると、作品発表とともに批評にさらされる、作家や音楽家の方々の辛抱というのは、たいへんなものですね。まったく無反応、というよりは良いのかもしれませんが。
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近ごろ購入した音楽CDのことなど

2008年07月19日 07時23分21秒 | Weblog
しばらく音楽CDを購入していませんでしたが、先日、何気なく立ち寄った某書店で、「おとぎ話/忘れられた調べ~メトネル作品集」「メトネル作品集2」というCDを見つけ、購入してきました。ピアノ演奏は、先年、山形交響楽団の定期演奏会(*1)でショパンのピアノ協奏曲を聴いた、イリーナ・メジューエワさん(*2)。

メトネルという作曲家のことは、全く知りませんでしたが、プロコフィエフと同時代に、アヴァンギャルドに背を向け、ロシアのブラームスみたいなピアノ音楽をたくさん書いた人のようです。このところ、ずっと通勤の音楽として聴いていますが、とくに、夜に帰宅する時などには、緊張した気分が解きほぐされるようです。私にとっては、近年のうれしい「発見!」の一つになりそうです。

(*1):山形交響楽団第177回定期演奏会を聞く~ドヴォルザーク6番ほか
(*2):イリーナ・メジューエワ~プロフィール
(*3):イリーナ・メジューエワさんが来店~セントベリー珈琲店主のブログより



また、「今日のお料理~ビギナー編」というのを発見、さっそく購入(500円)してきました。そういえばこの本は、昔、学生時代の愛読書でした。結婚したばかりのときに、私の書籍の中の「今日のお料理」バックナンバー数年分が見つかってしまい、妻に笑われてしまったことがありました(^o^)/
一人暮しを始めた頃は、お料理のごく基本がわからず、味噌汁を作るのに味噌は水のうちに入れるのか、熱くなってからいれるのかと電話で母親に問い合わせ、家族の笑いものになったこともありました。
単身赴任生活もベテランの域に達し、今や毎日弁当を作って持参するほどです。「今日のお料理~ビギナー編」を、料理を趣味にくわえたいという遠大なる(?!)希望をお持ちの男性諸氏にもお勧めいたします(^o^)/
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ラヴェル「ボレロ」と藤沢周平

2008年07月18日 07時03分58秒 | -藤沢周平
藤沢周平は、音楽について、マニアックな嗜好を示したことはなさそうです。心に留まった音楽を、好んで繰り返し聴いていたようです。家族の記憶では、スティーヴィー・ワンダーの「心の愛」がお気に入りのようだったとか。そんな中で、クラシック音楽では、ラヴェルの「ボレロ」を取り上げた文章が目に付きます。題もそのものずばり「ボレロ」というもので、山形師範学校の同級生のM君という復員学生の回想です。

入学試験で初めて会ったM君は、孤独な陸上競技の選手でした。それだけでなく、戦後の窮乏期に、師範の先生が苦心してラヴェルの「ボレロ」を編曲し、オルガンを10台も集めて演奏会を開いた中に、M君がトランペット独奏で出演していただけでなく、かなり見事に吹ききったことに、強い印象を受けています。後年、同窓会名簿で、M君が北海道の辺地で中学校の教員をしているのを知り、M君らしいと納得していたが、次の名簿には逝去と記されていた、という内容です。

この印象的な短編は、『小説の周辺』に収録されています。外地で豊かに育ったらしい青年が、戦後の混乱の中を引き揚げてきて、山形師範の中でちらりとその資質の片鱗を示し、辺地で地味な教育の仕事につくが、途半ばで死去する、という内容。作家が様々に想像をめぐらしたことには間違いないでしょうが、音楽に無理こじつけたりはしていません。

ただ、若い時代に強い印象で結びつけられた曲の、次第に盛り上がった末の、カタルシスのない、やや唐突な終わり方に、同級生の突然の逝去と共通のものを感じていたのかもしれない、という気はします。実際は、どうだったのでしょうか。
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畠中恵『おまけのこ』を読む

2008年07月17日 06時31分46秒 | 読書
畠中恵さんの『しゃばけ』シリーズ第4作『おまけのこ』を、新潮文庫で読みました。相変わらず、程よく楽しく肩も凝らず、くたびれて横になり1章ずつ読んでいくにはちょうどよい一冊です。

第1話「こわい」。「孤者異」と書いて「こわい」と読むのだそうな。いじけ、ひねくれている心には愛は伝わらない、ということなのでしょうか。ほろ苦いリアリティが印象的な作品ですが、なにも冒頭に持ってこなくても……。
第2話「畳紙」。おしろいを白壁のように塗りたくるお雛は、一種の防衛機制が働いていたのでしょうか。
第3話「動く影」。これは、若だんな一太郎の幼い頃のお話です。影女っていうのは、何もしないのですね。それならば、別に影が動いても、どうということはないように思うのですが。あ、日時計の時代には、影が勝手に動いては困るんだ。江戸時代のサマータイムになっちゃう(^o^)/
第4話「ありんすごく」。こちらは心臓の悪い吉原のかむろ(禿)を足抜けさせたいという話。うーむ、ぴゅーっと空を飛ぶとき、彼女はびっくりして心臓が止まりそうにならなかったのかな。その点が、すごく心配です(^o^)/
第5話「おまけのこ」。なんだか、すごい題名だな~と思いました。「おまけのこ」ですよ!授かった子どもはみな宝物だ、と年寄りに言われて育った私などは、「おまけのこ」という呼び名からしてえらくショックですが、なるほど、鳴家チャンの大冒険だったのですね。つままれたり、知恵がまわりかねたり、袂の中で寝てしまったり、イメージとしては小鬼というよりは子猫です。たいへん可愛らしい小編です。

『しゃばけ』シリーズ、いつものように若だんなの推理が冴える話だけではマンネリになるので、仁吉・佐助の昔話や、祖父母の話やら両親のヘンさ加減などを加えて構成してきました。さらに鳴家が登場したことで、「おまけのこ」という今回のタイトルが理解できます。
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