ちくま文庫で姉崎等・片山龍峯著『クマにあったらどうするか』を読みました。帯に「アイヌ最強のクマ撃ちが残した最高のクマの教科書」とあるように、アイヌ民族最後の狩人である姉崎等さんの語りを片山龍峯さんが聞き書きの形でまとめたもののようです。同じく帯に「遭遇しないための注意から組み伏せられても生き延びる手段まで」とあるとおり、クマ地域に済む人にとっては貴重な教科書的存在の本かもしれません。2014年に初刷が出ているようで、私が入手したのは2020年刊行の第13刷です。増刷を重ねていることからもわかるように、たいへん興味深い内容でした。
本書の構成は、
というものです。個人的に興味深かったところを備忘録ノートに要約したものを一部ご紹介すると、こんなふうになります。
うーむ。クマを射殺することに電話で抗議する人たちに賛成する気にはなれませんが、また一方で駆除すればよいという単純な問題ではなさそうです。アイヌの伝承にあるとおり、この世の生物には必ず何らかの役割があり、役割のない生物はいないのだから、生態系のバランスを考えればクマも増え過ぎたり減りすぎたりするのはよろしくない。しかし、里山が衰退した反面、一般の人が無防備に山に入るようになり、クマと人間の境界が重なるようになってきつつある現在、家畜や農作物を食べ慣れ、人間を怖いと思わず、弱い老人や子どもの味を覚えてしまったクマはやはり撃ち殺すしかないでしょうし、人間の方もクマの領域に無防備に入ることを遠慮する必要があるのでしょう。
◯
本書を読んで、あらためてわかったことがありました。それは、同じ東北地方でも、秋田とか山形とか、日本海側ではクマの出没の話題をよく聞きますが、南東北の太平洋岸、例えば宮城とか福島東部ではあまり聞きません。これはやはり、エサとなるドングリ類、特にブナの実が実るブナ林の広がりに関係するのではないか。森林限界の低い北海道ではミズナラ等の混合林、西日本の場合は常緑のドングリ類になるのでしょうが、東北地方と言えば豊かなブナ林が特徴ですので、ついそう考えてしまいます。
(林野庁、ブナ林のマップより)
(環境省、クマ出没状況マップ)
ブナ林は、同じ東北地方でも日本海側に発達し、南東北の太平洋側にはあまり発達していません。おそらくは積雪量に関連し、冬、早く積雪に覆われる日本海側ではブナの実が雪の下に守られ、発芽する割合も高いために、樹林の更新も可能なのでしょう。ところが積雪の少ない太平洋側では、ブナの実はネズミやリス等の小動物に食われてしまい、発芽してブナ樹の世代交代ができにくいため、ブナ林が発達しにくいのではなかろうか。
そのように考えると、日本海側=積雪=ブナ林の発達=クマの生息という構図が見えてくるように思います。
本書の構成は、
プロローグ クマが私のお師匠さん
第1章 こうしてクマ撃ちになった
第2章 狩人の知恵、クマの知恵
第3章 本当のクマの姿
第4章 アイヌ民族とクマ
第5章 クマにあったらどうするか
第6章 クマは人を見てタマゲてる
第7章 クマと共存するために
第8章 クマの生きている意味
エピローグ クマに組み伏せられても生きのびるには
というものです。個人的に興味深かったところを備忘録ノートに要約したものを一部ご紹介すると、こんなふうになります。
- クマは本来は里山の動物である。高山は生育には不適。
- 主食はドングリ類。雪の上でも走る速さは60km/hは出せる。
- クマは冬眠前に発酵しない枯れた素材を食べて止め糞=腸内にコルク栓をした状態で冬眠する。
- 春一番のフキノトウやアマニュウの葉を食べてガスを出させ、止め糞をポンと出してから徐々に食べ始める。
- クマが交尾をする場所は水飲み場とか比較的平らな山で動物の集まりやすい場所。6月頃、発情期になると鳴いて歩く。
- クマが子どもを産むのは冬眠中の巣穴の中。
- 子グマは三歳まで親と一緒に行動して学習する。二歳までの子グマが親とはぐれると、山へ戻る力はない。
- クマはやたらと人を襲う動物ではない。多くのクマは、例えば大木を切り倒せる人間は怖いものだと学習している。
- 山のルールを知らない一般の人間が山に入り、残したゴミや残飯を通じてクマが人間社会を認識する。
- 人を殺したクマは、人を襲った現場からあまり離れない。一度人間を食べたクマは変貌し、人間をもう餌として考える。人を襲ったクマは次も必ず人を襲うので、殺すしかない。
- 植林により針葉樹林が増え、ブナ、ナラ等の広葉樹林が減少。さらにヘリコプターによる広域防除で訪花昆虫が減少し、花が咲いても受粉できずドングリ類の実がならない。クマにとっては、山が死んでいる。
うーむ。クマを射殺することに電話で抗議する人たちに賛成する気にはなれませんが、また一方で駆除すればよいという単純な問題ではなさそうです。アイヌの伝承にあるとおり、この世の生物には必ず何らかの役割があり、役割のない生物はいないのだから、生態系のバランスを考えればクマも増え過ぎたり減りすぎたりするのはよろしくない。しかし、里山が衰退した反面、一般の人が無防備に山に入るようになり、クマと人間の境界が重なるようになってきつつある現在、家畜や農作物を食べ慣れ、人間を怖いと思わず、弱い老人や子どもの味を覚えてしまったクマはやはり撃ち殺すしかないでしょうし、人間の方もクマの領域に無防備に入ることを遠慮する必要があるのでしょう。
◯
本書を読んで、あらためてわかったことがありました。それは、同じ東北地方でも、秋田とか山形とか、日本海側ではクマの出没の話題をよく聞きますが、南東北の太平洋岸、例えば宮城とか福島東部ではあまり聞きません。これはやはり、エサとなるドングリ類、特にブナの実が実るブナ林の広がりに関係するのではないか。森林限界の低い北海道ではミズナラ等の混合林、西日本の場合は常緑のドングリ類になるのでしょうが、東北地方と言えば豊かなブナ林が特徴ですので、ついそう考えてしまいます。
(林野庁、ブナ林のマップより)
(環境省、クマ出没状況マップ)
ブナ林は、同じ東北地方でも日本海側に発達し、南東北の太平洋側にはあまり発達していません。おそらくは積雪量に関連し、冬、早く積雪に覆われる日本海側ではブナの実が雪の下に守られ、発芽する割合も高いために、樹林の更新も可能なのでしょう。ところが積雪の少ない太平洋側では、ブナの実はネズミやリス等の小動物に食われてしまい、発芽してブナ樹の世代交代ができにくいため、ブナ林が発達しにくいのではなかろうか。
そのように考えると、日本海側=積雪=ブナ林の発達=クマの生息という構図が見えてくるように思います。