電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

樋口満『体力の正体は筋肉』を読む

2019年05月07日 06時02分42秒 | -ノンフィクション
集英社新書で、樋口満著『体力の正体は筋肉』を読みました。この本は、たしか退職前の冬に購入した中の一冊(*1)で、そのうち読もうと思って積読していたものです。本書の構成は、次のとおり。

第1章 だれにも避けられない体力の衰え
第2章 体の動くところに筋肉あり
第3章 筋肉は使わないとすぐに衰える“怠け者"
第4章 トレーニングは裏切らない
第5章 下半身と体幹の筋肉をきたえなさい
第6章 筋肉にとっていい食事はなにか

うーむ。歩数が1日あたり3,000歩程度にとどまり、運動不足で体力をいかに維持するかを考えていた当時は、「ひざプッシュの方法」とか「チューブを使ったローイングの方法」とか、椅子に座ってもできる体幹トレーニング等に興味を持ったのでしたが、退職後、毎日のように畑仕事に出ている昨今は、歩数計が1日に少なくとも8,000歩、好天が続くと連日13,000歩という値を示す状況です。むしろ、どうやって適度に休養を入れるかを考えなくてはいけないくらい(^o^)/



デスクワーク中心で、体力の維持に関心がある人にとっては好著でしょうが、どうもワタクシの退職後の状況とは合わなかったみたいデス(^o^;)>poripori
いやいや、農閑期となる冬場に、もう一度手にするのが良いかもしれません。
写真は、今月初旬、満開期のサクランボ「佐藤錦」の花。

(*1):お出かけ時に書店に立ち寄る楽しみ〜「電網郊外散歩道」2019年1月
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P.W.エイステン『シューマンの結婚〜語られなかった真実』を読む

2019年05月03日 06時01分20秒 | -ノンフィクション
音楽之友社の単行本で、ピート・ワッキー・エイステン著『シューマンの結婚〜語られなかった真実』を読みました。一般的な音楽書とは異なり、法律の専門家の立場から当時の訴訟資料などを読み解き、ローベルト・シューマンの素行や経済状態から、父ヴィークが反対したのも無理はないという推察をするなど、従来の見解とはだいぶ違う印象を受けます。学生時代には法律家になるべく学んでいたシューマンが選任した優秀な弁護士と、法律にはド素人のヴィークとの訴訟の経緯は、娘クララと婚約者シューマン側に有利な形で進行します。父と娘の裁判にのぞむローベルト・シューマンは、けっこうしたたかです。うーむ、シューマンの音楽は大好きだけれど、この裁判の様子だと、どちらかといえば父ヴィークに同情的になりますなあ(^o^)/

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高橋知宏『本当はこわい排尿障害』を読む

2019年02月04日 06時02分47秒 | -ノンフィクション
集英社新書の新刊で、高橋知宏著『本当はこわい排尿障害』を読みました。「泌尿器科の専門医が解き明かす膀胱と排尿の秘密。その陰部の痒み、排尿障害かもしれません。胃痛、腰痛、坐骨神経痛、逆流性食道炎、めまい、下痢症、扁桃腺炎、ドライアイ…も?!」とでかでかと帯に記され、排尿障害という言葉に興味を持ちました。

一定の年齢になれば、誰でもオシッコの悩みを持つようになるものだ、と先輩には教えられましたし、事実、以前の職場の偉い大先輩は、トイレでだいぶ苦労してオシッコをしていました。まだ若い君たちがうらやましいよと言われたものです。今や、その先輩の当時の年齢を軽く上回り、オシッコの悩みを持つようになるのもそう遠い先ではないのでしょう。であれば、転ばぬ先の杖、今から備えておく意味はあります。なんと言っても、「よく食べ・良く寝て・よく出して」が健康の秘訣だそうで、これに適度の運動が加わればなおよろしいのだそうですから。

本書の構成は次のとおりです。

第1章 陰嚢が痒い!
第2章 排尿障害の治療に挑む!
第3章 膀胱は不思議な臓器
第4章 初めての学会発表
第5章 すべて排尿障害が原因だった
第6章 前立腺と排尿障害

ここで、第1章は研究の発端となった出来事の紹介から始まります。陰嚢が痒くて眠っているうちに無意識にかきむしってしまい、赤く腫れてじゅくじゅくと浸出液が出て下着やズボンに擦れて痛くてたまらない、という男性患者が来院します。漫画の「男おいどん」のように、インキンタムシだと思って皮膚科に行ったけれど真菌は見つからない。皮膚そのものには原因が見当たらず、アレルギーの治療をしても改善しません。
著者のブログを見て来院した男性患者を診察してみると、頻尿の他に排尿障害があり、膀胱の出口が十分に開かないための症状だ、ということがわかってきます。
第2章では、多くの症例が紹介されます。手術と投薬に加えて1日の水分量を1500cc以下に制限する生活習慣の変更を指導して排尿障害の治療に挑んだ話で、現実の医療制度の壁についても触れています。
第3章は膀胱という臓器の発生と構造と機能、尿の性質を簡潔に紹介し、膀胱関連の疾病と排尿障害との関わりを述べています。
第4章は、排尿障害の重要性と治療の症例を学会で発表した際の反応を紹介しています。
開業医として働く傍ら、独自の見解で治療成績を積み重ねますが、なかなか理解されるまでには遠い、といったところでしょうか。それはまあ、ジョゼフ・リスターが外科手術の際の消毒の重要性を主張してから普及するまで、多くの時間がかかっていますからね~。情報の伝わる速さと、理解され定着するまでの時間とは別だ、ということでしょう。
第5章は、症例の中から「あれもこれも排尿障害との関連が疑われる」という問題提起でしょう。「すべて」というのは出版マスコミ界が多用する誇張表現で、理系人間が責任をもって主張する際にはあまり使わない言葉なのでは。むしろ、「アレもコレも排尿障害が原因か?」くらいの表現の方がベターかも。
第6章は前立腺ガンの多さから注目される前立腺関係の話。ここでも、前立腺ガンに対しては穏やかな治療を提案するなど、治療経験に基づく提起が注目されます。

全体として、興味深い内容でした。たまたま患者として治療を受け、著者の見解に接した編集者が、著者のブログ等に掲載されている内容も踏まえて出版をすすめ、出来上がった本らしい。ほぼ同世代の市井の開業医が独自の見解を主張するに至った経緯もさることながら、多くの症例・治療例が見事だと感じます。

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E.G.ヴァイニング『皇太子の窓』を読む

2019年01月25日 06時03分20秒 | -ノンフィクション
ほぼ半世紀前に、祖父の書棚から借り出して読んだリーダーズ・ダイジェスト選集でたいそう印象的だったのが「皇太子と私」という一編(*1)でした。たしか中学生か高校生の頃に読んだ記憶がありますが、文春文庫の解説目録の中に、エリザベス・G・ヴァイニング『皇太子の窓』という作品を見つけた(*2)とき、すぐにピンときました。これは、「皇太子と私」のオリジナルではなかろうか? そしてそれは大正解だったことがわかり、昨年の暮れに入手してから少しずつ読み進めてきたものです。子供の頃に共感した記述と、還暦を超えた今の年齢で共感する箇所とは当然ながら異なりますが、その中で、いくつか印象的な個所をあげてみると:
まず、ヴァイニング夫人招聘の発端となったのは、1946(昭和21)年の春、米国教育使節団が来日した際に、昭和天皇ご自身が団長のストダード博士に「皇太子のためにアメリカ人の家庭教師を一人世話してもらえるだろうか」とたずねたことがきっかけだった点、また夫人が最終的に選ばれた経緯など、日本側の関与が大きかったことが印象的です。
また、皇室の伝統とされて両親とともに生活することが許されない若きプリンスの環境に関して、

皇太子殿下はこうした(英国王家のように一つ家に御一緒に住まわれるという)生活の利益をお享けになられないのだから、せめて通常な学校生活を送られ、できるだけ他の生徒と一緒にすごされて、彼等の学校生活における経験をすべておんみずから体験なさることが大切だと思う。ほんの二三課目だけ聴講する「特別学生」の危険は、学生の一部になりきれず、いつもその外側にいることになるという点である。(p.216)

という意見を伝え、宮内庁もこれを受け入れて、友人たちと交流することになります。一流の学者たちの御進講を受けるだけの日常ではなく、学習院の教室で同級生たちと学ぶ生活を続けることができたことからは、後に数人の親しい友人たちと共に市民生活に飛び込むという冒険や、慎重な人選は行われたのでしょうが民間人の女性を伴侶に選ぶという選択も、ごく自然な道筋だったように思えます。まさに、

「大人になったとき自由な人間になろうとするのならば、子供のうちにほんとうの自由とは何かを学ぶべきだと思います。」(P.207)

ということでしょう。

大人の目で読み返した時、子供の頃には読み取れなかったこともよくわかります。例えば吉田茂氏と麻生夫人と過ごした週末に、旧藩主島津公爵の忠実な臣下であり終生変わらぬ親米家であり日本国憲法の起草委員の一人だった樺山伯が居合わせますが、この人が戦時中の関わりを咎められて公職追放を受けたことを「個々の場合に即さずに機械的に追放した結果、数々の皮肉な不当な処置が行われたが、これなど最も極端な一例であろう」(P.372)と書き、戦争犯罪人を裁く東京裁判や、朝鮮戦争の影響で作られた警察予備隊の性格と日本国憲法の関わりをクエーカー教徒らしい潔癖さで批判する点など、意外なほど占領政策や米国政府のやり方に批判的です。
また、吉田茂氏が食事中に話したこととして、こんな言葉も残しています。

「グルー氏が駐日大使をしていたとき、私は彼と友人になったのですが、よく彼にむかってこう言ってやったものです。『あなたは日本の上流階級だけしか御存じない。そして知っている範囲の日本人だけから判断して、日本人をいろいろほめておられる。だがあなたは日本の労働者たちのことも知る必要がある』。同じことがあなたにも言えます。あなたは宮廷をめぐる人々しか御存じない」(p.456)

このあたりは、読者としてもうなづける面がありそうです。

離日前に、夫人は日本国内を旅行し、様々な見聞を広めます。そして、皇太子の家庭教師として関わった日々を回想し、本書を次のような言葉で結びます。

どちらに面しているにせよ、窓というものからは、必ず光がさしこんで来る。そして光はよいものだと私は思うのであった。(p.468)


自分自身の個人的記憶に関わる思い入れとは別に、たいへん面白く読みました。平成の天皇陛下がどんな少年時代を過ごされたのか、今、退位(譲位)に至るまでの道のりを回想するとき、皇室の慣習に窓を開いたことの大きな意味を理解するとともに、陛下のお言葉にあるごとく、伴侶として美智子妃を得たということがまことに大きいのだなと、あらためて感じました。

(*1):祖父の本で『リーダーズ・ダイジェスト選集:世界のベストセラー16編』を読む〜「電網郊外散歩道」2017年5月
(*2):『文春文庫解説目録2018』を眺めて〜「電網郊外散歩道」2018年12月
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菅野仁『友だち幻想』を読む

2018年10月29日 06時03分53秒 | -ノンフィクション
しばらく前に購入していた本で、菅野仁(かんの・ひとし)著『友だち幻想』を読みました。筑摩書店の若い人をターゲットとした新書シリーズ「ちくまプリマー新書」の中の1冊で、156頁のコンパクトな本ですが、最近あちこちで話題になっているみたい。帯には「人づきあいに悩むあなたへ」とあります。ちょいと個人的に思うこともあり。



本書の構成は次のようになっています。

はじめに 「友人重視指向」の日本の高校生
第1章 人は一人では生きられない?
第2章 幸せも苦しみも他者がもたらす
第3章 共同性の幻想―なぜ「友だち」のことで悩みは尽きないのか
第4章 「ルール関係」と「フィーリング共有関係」
第5章 熱心さゆえの教育幻想
第6章 家族との関係と、大人になること
第7章 「傷つきやすい私」と友だち幻想
第8章 言葉によって自分を作り変える
おわりに 「友だち幻想」を超えて

社会学者であり教育大学において教員養成の仕事をしている著者らしく、自分と他人の間の適度な距離感や、併存の作法などを取り上げたもので、「友だち百人できるかな」の圧力下に過ごした若い人にとっては、もしかすると新鮮な考え方かもしれません。



ここからは、本書に触れてというよりは個人的な回想です。私が高校生の頃、今は亡き父親がふともらした言葉が「お前は友だちが少なくていいな。」というものでした。普通、友だちが少ないというのはけなし言葉であって、褒めるべきことではないように思いますが、亡父の発想は違っていたようです。

たしかに、考えてみれば、商売人であれば友だちは多いほうが商売にはプラスでしょうし、幼稚園や小学校の先生にとっては、「みんなバラバラ」よりも「みんな仲良く」してくれたほうが何かと運営しやすいでしょう。ですが、人それぞれ性質も違い、何かと群れたがる人がいれば群れるのを好まない人もいます。

これまでの経験では、全く友人がいないのも困りますが、少数の親しい友人がいれば別に困りはしませんでした。「自分をまるごと受け入れてくれる人がきっといる」などという発想はありませんでしたし、そういう幻想に悩んだ経験もありません。たぶん、中高生時代には、読書や自然や実験室で過ごした時間が長く、人間関係に悩むよりももっと面白いことが目の前にあったからではないかと思います。人間関係にはわりとクールで、自然現象やモノ、技術などに強い興味を持つようになったためでしょう。

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瀬川晶司『泣き虫しょったんの奇跡』を読む

2018年10月06日 06時05分22秒 | -ノンフィクション
講談社文庫で、瀬川晶司著『泣き虫しょったんの奇跡』を読みました。男の子三人の末弟が将棋を覚え、このゲームを気に入ります。特徴のない平凡な男の子は、小学校の先生に励まされ、同級生で近所の男の子をライバルに、どんどん強くなります。将棋道場で師匠と出会い、中学生チャンピオンとなって、奨励会を目指します。プロへの登竜門である奨励会は、実に厳しい世界でした。とくにその年齢制限、26歳までに四段に昇格できなければ退会という関門を、瀬川君は通過することができない。まるで自分に起こっている現実とは思えないこの挫折感は、察するに余りあります。

しかし、いったんは夢を諦めた彼が26歳で働き始め、大学のII部で学び始めると、捨てたはずの将棋が苦しいものでなく楽しいものに思えるのです。NECの関連会社に就職し、SEとして働く中で、アマチュア強豪として頭角を現していきます。かつて奨励会三段だったという実力はもちろんありますが、プレッシャーがなくなると途端に勝ち始めるというのは、将棋にはメンタルな要素が大きいことを意味します。
年齢制限で奨励会を退会にはなったけれど、対プロ戦績7割以上という実績をもってもう一度プロへのチャンスをと嘆願し、ついに試験戦が実現することになります。

うーむ。奨励会時代の退嬰的な生活はとてもじゃないがまともな生活とは思えません。でも、どんなジャンルであっても再挑戦の物語は心を打ちますが、もう一つ、大事なことがあるのではなかろうか。
それは、「好きを仕事に」することの落とし穴です。中途半端に「好きを仕事に」してしまうと、好きだったはずのものが嫌いになってしまう。「好きを仕事に」して成功するのはおよそ二割で、あとの八割は「好きが苦痛に」なってしまうのでしょう。しょったんの場合、再びアマチュアとして暮らす中で、本当に将棋が好きだとわかったから、カッコ悪くとももう一度挑戦する気持ちになれたのではなかろうか。



もう一冊、河出文庫で古田靖著『奇跡の六番勝負〜サラリーマンがプロ棋士になった日』を読みました。こちらは、試験戦の過程を追ったもので、詳しい内容を知るには良かったけれど、正直言ってやっぱり瀬川さん本人が書いた本の方が面白かった。

映画にもなっているようですが、残念ながら当地での上映はすでに終了しているようです。機会を見て DVD 等でゆっくり観てみたいものです。

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稲場紀久雄『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』を読む(2)

2018年09月29日 06時05分45秒 | -ノンフィクション
伝染病であるコレラの感染を防ぐためには、上下水道の整備が急務でした。明治政府は、英国から衛生工学の専門家を育てるため、外国人教師を迎えることとします。このとき選ばれたのが、ウィリアム・バートンでした。
1887(明治20)年5月、ウィリアム・バートンは来日し、帝国大学工科大学土木工学科衛生工学講座の初代教授に就任します。同僚のお雇い外国人教師たちが、日本人女性を妻として仕事に勤しむ中で交流を深め、首都東京の上下水道計画の立案を進めていきます。残念ながら、上水道を公設する方針までで財政余力は尽きてしまい、バルトンの下水道計画は幻となりますが、上水道計画は実現に向かって動き出します。

ウィリアム・バルトンの事績を追っていくと、明治の時代に東洋の島国にやってきた青年が、力を振るい自分の持つ理想を実現しようと奮闘する様子がよくわかります。一方で、写真技術を駆使して会津磐梯山の噴火や濃尾大震災の様子を記録・発表したり、浅草十二階タワーを設計したりという話題も興味深いものがありますが、なんといっても後半のペスト禍迫る台湾行きがすごい。「恐怖の悪疫島」と呼ばれた台湾衛生改革の防人として、衛生改革の方向性を定めます。
そして1898(明治31)年、台湾の水源探索行の途中で熱病に罹患、いったん回復しますが、翌1899(明治32)年、アメーバ赤痢に感染・再発し、8月に死去します。

未亡人・満津と遺児・多満らのその後も、歴史の荒波に翻弄されるような波乱がありますが、若いバルトン先生が駆け抜けた明治の日本や台湾の姿が、その後どのように変貌しているかを思うとき、先駆者の姿に心から尊敬の念を覚えますし、それを明らかにした労作に感謝したいと思います。

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稲場紀久雄『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』を読む(1)

2018年09月28日 06時01分11秒 | -ノンフィクション
平凡社から2016年10月に発刊された単行本で、稲場紀久雄著『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』を読みました。副題に「近代化に献身したスコットランド人の物語」とあるように、明治20年に来日したウィリアム・K・バートンの伝記です。帯には、「謎に包まれたバルトン先制の全貌解明!」とビックリマークが踊り、「帝国大学教授としてコレラ禍から日本を救うため、上下水道の整備を進める一方、日本初のタワー・浅草十二階の設計を指揮、さらに写真家として小川一真の師であったバルトン先生。」と紹介しています。そして表紙には、和服を着てキセルを持ち端座するヒゲの異人さんの写真が掲載され、なんとも興味を引く装幀となっています。

本書の構成は、次のとおり。

プロローグ バルトンの夢を追って
第1章 故郷エディンバラ
第2章 知の巨峰、父ジョン・ヒル・バートン
第3章 ウイリー誕生、バルトン幼少期
第4章 技術者への道、バルトン青年期
第5章 永訣と自立と
第6章 ロンドンでの活躍、そして日本へ
第7章 バルトン先生の登場
第8章 国境を超えた連帯
第9章 首都東京の上下水道計画
第10章 日本の写真界に新風
第11章 浅草十二階―夢のスカイ・スクレイパー
第12章 濃尾大震災の衝撃
第13章 望郷―愛の絆
第14章 迫るペスト禍と台湾行の決心
第15章 台湾衛生改革の防人
第16章 永遠の旅立ち
第17章 満津と多満―打ち続く試練
第18章 ブリンクリ一家に守られて
第19章 多満の結婚とその生涯
エピローグ 時空を超えて

著者は京大で衛生工学を学び、建設省で下水道行政に携わっていた方のようで、「米国研修中に日本の衛生工学の原点をよく知らないことに気づいて、明治の近代下水道について調べ、バルトン探索行が始まった、と書いています(p.12)。このあたりの経緯は、なんとなく上林好之著『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』が書かれた事情と似ていると感じます。)



父ジョン・ヒル・バルトンは、スコットランド刑務庁の書記官となり、法律家として「人はなぜ犯罪に手を染めるのか、またどうすれば犯罪を防げるのか」を追求し、「人は皆同じようにこの世に生を受けるが、教育がその人生を変える。教育を受けることは人としての基本的権利であり、学ぶことによって人はより良い人生を生きることができる」と信じ、妻キャサリンが結婚後も女性の教育の権利のために活動することを当然のことと受容したとのこと。(p.53)この夫婦のもとに、1856年5月11日、ウィリアム・キニモンド・バルトンが誕生します。

息子ウィリアム・バルトンの少年時代、少年アーサー・コナン・ドイルが一時身を寄せますが、これはドイル家の父親のアルコール中毒による家庭的困難を支援したもので、これもバルトン夫妻のこうした考え方が基礎になっていたのでしょう。後に大作家となるコナン・ドイルとバルトンとの友情は、この時から始まったと言えますし、ドイルの小説をおもしろがり、励ましたバルトンの存在は、少年ドイルにとって大きな励ましになったことでしょう。

さて、ウィリアム・バルトンは、大型船舶や船舶機械の設計会社に徒弟(アプレンティス)として入社し、技術者の道を歩み始めますが、生涯を捧げる仕事として衛生工学を選び、徒弟修行の終わりとともに祖父コスモ・イネスから写真関連の遺産を受け継ぎます。1880(明治13)年、ウィリアム・バートンは叔父コスモ・イネスJrとともにロンドンにコンサルタント会社を設立します。叔父の母校キングズ・カレッジで分析化学の一ヶ月コースを受講したほか、「古民家の衛生検査と給排水設備の更新」について発表するなど、まず水質を検査し、必要な設備を取り替えるという、基本に忠実な対応を続け、1882(明治15)年に主任技師となると、衛生計画の立案、衛生設備の設計、施工、保守に活躍し、当時のロンドンの衛生状態の改善に貢献します。

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安田祐輔『暗闇でも走る』を読む

2018年09月12日 06時05分45秒 | -ノンフィクション
講談社から春に刊行された単行本で、安田祐輔著『暗闇でも走る』を読みました。不遇な家庭環境で育ち、発達障害のある若者が、様々な偶然と本人の真摯な葛藤・努力で大学に入学、なんとか就職できた総合商社も数カ月でうつ病を発症してしまいます。なんともはや、不遇で不器用な人生ではありますが、逆に自分の mission を見つめることで不登校・中退者の塾を立ち上げ、「やり直しのできる社会」を目指す、という流れです。



たぶん、若い頃の自分であれば、著者個人の葛藤や努力に注目し、自分の生き方の参考にしようと考えたことでしょう。でも今は、著者を取り巻く周囲に、様々な企業や団体、グループや個人が存在したことの幸いを感じてしまいます。たぶん、勉強をして一時的に社会の階層を上昇したために、暴走族の使い走りをさせられたり、理不尽な思いに悩まなくても良い、集団に所属することができたのではないか。また、東北の片田舎で同じような不遇に悩む若者が、同じようにタイムリーに機会をつかむことはかなり期待薄なのではなかろうか。例えばリハビリを兼ねた家庭教師の仕事が始められた背景には、都市部の人口密度の高さや「社会起業家のためのビジネスコンテスト」などに応募可能な仲間の得やすさなど、客観的条件の面において恵まれていたと感じます。



とは言いながら、優れた洞察に満ちた言葉を、周囲や先人の著作の中から選びとっていることに、さすがだなと感じます。たとえば

「仕事には Labor, Work, Mission の3つの面があるんだ。Labor はお金を稼ぐために働くということ、Work は自分の好きなことで働いていくということ、Mission は自分がこの社会でやるべきだと思うことを仕事にしていくということ。人それぞれで仕事に求めるものは違うし、そこに優劣はないけれども、安田君はミッションを求めているんだね。」(p.137、ICU で卒論を担当した毛利勝彦教授の言葉)
「社会の中で不遇な立場にある人の利益を最大にする」ことを"正しさ"とする ジョン・ロールズの政治哲学
「不登校・中退者・ひきこもりの若者たちに必要なのは、物語を紡ぐことだと思うんです」(人は物語を紡ぐ存在:ICUの1年生、名川航太郎の言葉)
「幸福」は他者との比較では生まれないかもしれないが、「不幸」は他者との比較の中で生まれてしまう (p.126)
「人間はどんなに貧しくても『お金や暮らし向き』によってではなく、『尊厳』のようなものによって生きている」 (p.126)

などです。
そして、とりわけ次の祈りの言葉:

神よ
変えることができるものについて
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることができないものについては
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを
識別する知恵を与えたまえ。
  -----訳:大木英夫
  (ニーバーの祈り:アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーの言葉)

が、強く心に残りました。

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土橋正『文具上手』を読む

2018年09月08日 06時00分29秒 | -ノンフィクション
東京書籍刊の単行本で、土橋正著『文具上手』を読みました。2012年8月刊の第1刷で、某図書館から借りてきたものです。著者の本は以前にも読んだことがあり(*1)、このときは「はじめに」の冒頭の一文にカチンと来たものでした。今回はどうか。

他の人が文具をどう使っているかという興味は、なかば野次馬根性で、良さそうなものがあれば真似して使ってみたいという気持ちもあります。その意味では、デザイナーやイラストレーターといった立場の人が3分の1を占めるなど、デザイン系が多いという偏りはありますが、まずまず当方の野次馬根性を満たしてくれる内容ではありました。

ただし、どうしても引っかかる部分もあり。例えば満寿屋の専務さんを取材した記事では、現在はノートを使わなくなり、ジョッターに書いている理由として、ノートでは読み返した時に欲しい情報がすぐに見つからずに不便に感じたためだと説明しますが、理系石頭人間にはこのへんの理由がよくわからない。ノートに書いて見つからないと言うけれど、ジョッターで書きとめたメモがたまっていったら、ますます探しにくく見つからなくなるだろう。もっともらしく格好をつけてはいるけれど、要するにジョッターを使ってみたかっただけではないのか(^o^)/

また、空間デザイナー・クリエイティブディレクターの取材記事中に、打合せの「議事録」では図はラミー・サファリ万年筆に紫色のインクで、文字はフリクションボールを使い、変更を消して書き直すため、としています。でも、我が家のリフォームの際に、建築士さんは毎回その日に打合せた事項の記録を油性ボールペン(Jetstream)で書き、感圧紙の控えを私(客)に渡してくれていました。要望に応じた図面の訂正はフリクションボールを使っていましたが、消して勝手に変更できてしまうので記録には使わないように会社で決まっていたそうです。仮にも「議事録」と呼ばれるような内容であれば、消せるペンで書いていたら、証拠能力が不十分なのでは?と思ってしまいます。

どうも、著者の視点はカッコよさのポーズ重視で、ビジネスの本質の理解がいささかズレているのではなかろうか(^o^;)>poripori

(*1):土橋正『文具の流儀〜ロングセラーとなりえた哲学』を読む〜「電網郊外散歩道」2012年9月

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柏原宏紀『明治の技術官僚〜近代日本をつくった長州五傑』を読む

2018年08月16日 06時04分39秒 | -ノンフィクション
中公新書で、柏原宏紀著『明治の技術官僚〜近代日本をつくった長州五傑』を読みました。2018年4月刊です。



本書の構成は次のとおり。

序章 現代の技術官僚と長州五傑
第1章 幕末の密航
第2章 新政府への出仕
第3章 大蔵省での挫折
第4章 工部省での活躍
第5章 政治家への道
第6章 技術官僚の分岐点
結章 長州五傑から見た技術官僚論

内容は、たいへん興味深いものです。一口に長州五傑と言いますが、それぞれの役割は同じではない。幕末に英国に密航留学した五人のうち、伊藤博文と井上馨は一年未満で帰国し、政治の道に歩き出します。英国を中心とした西欧文明の見聞は貴重ではありますが、どちらかといえば表面的なものでしょう。山尾庸三ら残った三人は、実質的な留学生と言うことができ、帰国した後に技術官僚としての道を歩み始めます。

政策の実現のためには、有力政治家の思惑や争いを利用し、時には自らの価値と辞表を武器にして、粘り強くかちとっていかなければならなかったことがよくわかりました。また、明治初年には輝ける洋行経験でしたが、実務の中でしだいにメッキが剥げてくる面もあり、再三にわたる洋行を通じて憲法調査などを行った経験が、伊藤博文が政治家として長く第一線に立てた要因になっているようで、剥げかかったメッキをやり直してもう一度ピカピカにするようなものでしょう。

近代日本のインフラを整備した山尾庸三、井上勝、遠藤謹助の三名の事業は、後に統廃合や民間売却などにより、政府直轄の事業ではなくなります。彼ら自身も、結局は後進に道を譲り、第一線を退きます。それは、幕末期に英国密航留学により身につけた専門性が、後任者に追い越される過程でもありました。このあたり、三名の技術官僚が果たした先駆的役割の終わりを惜しむよりも、そういう後任者を次々に育成していくことができるダイナミックなシステム=リービッヒに端を発する理論学習と実験実習を中心とする教育システムの歴史的有効性(*2)を再確認すべきでしょう。

(*1):『明治の技術官僚』/柏原宏紀インタビュー〜WEB中公新書
(*2):「電網郊外散歩道」歴史技術科学カテゴリー

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『文具200%活用術』を読む

2018年07月06日 06時06分33秒 | -ノンフィクション
日本能率協会マネジメントセンター編の単行本で、『文具200%活用術』を読みました。「仕事がはかどる!結果がすぐ出る!」という副題がついていますが、構成は次のとおり。

  • Part 1. 達人たちの活用術
  • Part 2. 自分にぴったりの文具の見つけ方
  • Part 3. 仕事に生かせる文具・ツール
  • Part 4. 現場で見る!聴く!文具のひみつ

ここで、Part 1.に登場するのは、美崎栄一郎、土橋正、高畑正幸、オダギリ展子、小倉弘、小山龍介の六名。これまでも何度か著書、編著書を読んだ人も含まれ、ふーん、なるほどという感じです。どちらかというと、オシャレで新鮮でカッコイイ系の人が選ばれているみたい。
Part 2.では、お店の紹介が中心で、東急ハンズ渋谷店、渋谷ロフト、銀座伊東屋、丸善丸の内本店、山田文具店、世界堂新宿本店の六店舗が取り上げられています。見るからに多彩な商品が並べられており、田舎者には羨ましい限りですが、逆に「どういうものを置いていないのか」という点で、田舎の文具店の特徴もわかるというものです。
Part 3.はカタログ。筆記具編、ノート編、デジタル編、会議打合せ編、メモ編、クリップ編、メッセージ編、オフィス編などで区分しています。また、スピードアップ、ノマドワーキング、オリジナル文具を作ろう、などの観点でも紹介しています。
Part 4.は「文具のひみつ」ということで、インタビュー編。三菱鉛筆のジェットストリーム開発者や、住友スリーエムのポストイット、能率手帳の工場見学の三件です。



全体的にみて、多面的に取材し編集してありますが、単行本というよりはムック的な性格が強い本でした。2011年の刊行ですから、すでに七年前の情報です。新しければ良いというものでもないけれど、ムックのような性格の編集であれば「新しさ」は売りになる要素でしょう。ワタクシ的には、「今も続いている」ものを見つけて、ロングセラーになりうる良い製品なのだろうとチェックした製品がいくつかありました。

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片岡義男『なにを買ったの? 文房具。』を読む

2018年06月27日 06時01分29秒 | -ノンフィクション
人間ドックのおともに、肩の凝らない本を借りようと図書館にでかけ、片岡義男著『なにを買ったの?文房具。』というのを見つけて来ました。2009年に東京書籍から刊行されており、カラー写真をふんだんに使い、著者の文房具観をまじえて紹介されます。登場する文房具はほとんどが舶来製品で、このあたりは著者の嗜好性の現れでしょう。

  • 鉛筆、鉛筆削り、消しゴム
  • 色鉛筆、クレヨン、色チョーク
  • 輪ゴム、定規
  • ボールペン
  • ルーズリーフ、ノートブック
  • カード、封筒
  • 紙クリップ

  • ステープラー
  • ハサミ
  • 切手帳

こうした文具を写真で眺めながら、ふと思ってしまうのは、ツバメノート以外には私の趣味嗜好と重なるものはない、という点です。ボールペンはパーカーのジョッターではなく三菱のジェットストリームやパワータンクを愛用していますし、鉛筆と消しゴムで原稿を書いたり推敲したりするよりは、パソコン上のテキストエディタで済ませたい方です。著者には申し訳ないことながら、接点は限りなく少ない本でした。



ただし、一つだけ共感したのは、ノートブックを大量に購入して保管している点。なんと、本棚にいっぱい十年もののノートが並んでいるらしい。まあ、著述を業とする人には大事な商売道具の一つでしょうから、ある意味では当然のことなのですが、いろいろなノートが本棚にたくさんストックされ、よりどりみどりで選べるというのは羨ましいかも(^o^)/

でも、私の場合、いろんなノートに数ページだけ書き散らして、あちこちに放置してしまいそうだなあ(^o^;)>poripori

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小林龍生『EPUB戦記』を読む

2018年04月26日 06時04分40秒 | -ノンフィクション
慶応大学出版会より2016年夏に刊行された単行本で、小林龍生著『EPUB戦記』を読みました。「電子書籍の国際標準化バトル」と副題にあるとおり、要するにEPUB規格に縦組みやルビなど日本語の組版規則を組み込もうとした努力の内幕ものです。

著者の名前は、なんとなく記憶にあります。MS-DOSの時代に、雑誌「月刊アスキー」誌で黒崎政男氏と対談していた人ではなかろうか。調べてみたら、1992年の9月号に、「哲学者クロサキのMS-DOSは思考の道具だ《番外編》」で、ジャストシステム社員として登場していました。




本書でなるほどと思った箇所は、たとえばこんなところでしょうか。

「日本語の縦組をぜひ」では世界標準にならない。それが認知されるには、
(1)日本をはじめ東アジアに強いニーズがあり、
(2)文化的・商業的勝ちのある縦組の機構が
(3)技術的整合性を損なわず、実装・実行上の負担にもならない
(4)仕様化のために余計な時間をとらない
ということを納得してもらわないと同意がもらえない。(p.160)


本全体の中身については、「へぇ〜、そうなんだ〜」というレベルの感想にしかなりませんが、電子書籍の可能性について、昔ほど夢を持たなくなっていますので、熱烈な感動とは程遠いものです。例えば様々なライトノベルの縦書きPDFファイルをダウンロードして携帯端末で読める便利さは理解できますが、それはそれとして、やっぱり紙の本の魅力にはかなわないと感じてしまいます(^o^;)>poripori

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共同通信社原発事故取材班『全電源喪失の記憶』を読む

2018年03月31日 06時04分51秒 | -ノンフィクション
新潮文庫の新刊で、『全電源喪失の記憶〜証言・福島第1原発〜日本の命運を賭けた5日間』を読みました。共同通信社原発事故取材班・高橋秀樹編著となっているとおり、地元紙・山形新聞に配信されていた連載が元となり、単行本として刊行されて、このたび文庫化されたもののようです。本書の構成は次のようになっています。

第1章 3.11
第2章 爪痕
第3章 1号機爆発
第4章 制御不能
第5章 東電の敗北
第6章 選択
第7章 反転攻勢
第8章 1F汚染
最終章 命

東日本大震災の後、津波被害の惨状に息を呑み、停電が復旧し少しずつ報道が増えていた中で起こった、リアルタイムに全国が注視する中での原子力発電所のメルトダウン。責任ある地位にいた人たちの右往左往は今もほぼ記憶に残っていますが、現場ではどんな状況だったのか。全電源を喪失した福島第一原発で、状況を把握し対応するために必死の努力が続けられていたことがよくわかりました。「不幸中の幸い」という言葉が想起されますが、まさしくわずかな偶然と幸運によって、かろうじて東日本壊滅という事態を免れたこと。原発事故をローカルな事故とみなすのは大きな誤りだということが実感されます。

今にして思えば、非常電源設備が地下にあったこととか、そもそもの立地の海抜高度が低すぎたこととか、津波や地震国における想定が弱い米国製の設計など、問題点が悪い方に重なっていた点が目に付きますが、それにしても原発事故というものが、いわゆる「事故」とは質的に異なることがよくわかります。



毎年、3月には東日本大震災の特別番組がTV等で放送され、新聞や雑誌等でも特集が組まれ、ブログ等でも追悼の記事が多くなります。様々な明暗はあれど、津波の被害からは少しずつ立ち直り、復興の動きも進んでいるようです。しかしながら、福島第一原発の周辺は必ずしも同じ歩みとは言えず、むしろ沿岸被災地の希望が増すにつれて、原発立地地域の見通しの困難さが際立ってくるようです。明治150年が喧伝されるときに、過酷な会津処分を受けた隣県・福島県の未来を思うにつけても、あまりにも踏んだり蹴ったりではないかと、この事故の意味を考えこんでしまいます。

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