電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

へぇ~!ちょっと驚き~「山形県、OpenOffice.orgを導入へ」

2010年10月31日 06時05分00秒 | コンピュータ
ふだんから、Ubuntu Linux 上で OpenOffice.org を使っています。プライベートでワープロや表計算、プレゼンなどを使う場合、ほとんどこれで間に合うようです。でも、ビジネスの世界では、やっぱり Word/Excel はほぼ必須なのだろうと思っていました。ところが、10月30日付の山形新聞朝刊を見て驚きました。

「県の次期オフィスソフト、オープンオフィスへ」「11年度に都道府県初」

などという見出しが踊ります。それも、なんと一面記事です(@o@)wa-o
※追記:本日(31日)に、山形新聞オンラインにも掲載(*1)されました。

記事によれば、MS-Office XP のサポートが2011年7月に切れるため、順次更新時期を迎える 2,600~5,600 台のパソコンについて、1台あたり3万円~3万2千円の経費が必要になるとのことです。なるほど、単純計算をすると、

@3万円/台×5,600台=1億6,800万円

の節約になるのでは、ということになります。ふーむ。すごいなぁ。

実際は、教育費用や文書資産の継承性など、いろいろ容易ではないとは思います。たしか半年くらい前から、アシスト社のサポートで検証作業を行っていた(*2)はず。会津若松市などの先駆的な取り組みは承知しておりました(*3)が、都道府県単位では初ということですので、ちょっとびっくりです。

(*1):県が「オープンオフィス」導入へ、次期オフィスソフト~山形新聞オンラインの記事
(*2):山形県が県庁での導入に向けOpenoffice.orgの評価を開始~ITpro,2010年4月
(*3):会津若松市がOpenOffice.orgのケース別マニュアル公開、収録CD-ROM配布も~ITpro,2010年7月
コメント

これは、藤沢周平お気に入りの一節だったのか

2010年10月30日 06時01分59秒 | -藤沢周平
お気に入りの本を、何度も読み返す楽しみというのがあります。たとえば藤沢周平『用心棒日月抄』シリーズ。すでに記事にしております(*1)ので、気楽に読むことに専念できます。すると、物語のすじとは別の意外なところで発見があったりします。たとえば「娘が消えた」の章。行方不明となった娘を探して、盲目の師匠のところに尋ね行き、娘が若い職人と相思相愛の関係になっていたことを知る場面です。

「それがおようをひと眼みて、惚れこみました。あの子も同様でございました。古い隆達節に、生るるも育ちも知らぬ人の子を、いとおしいは何の因果ぞの、などと唱っておりますが、二人はそのようでござりましたな」

この一節は、『蝉しぐれ』でも「染川町」の章で登場します。今は藩主の側妾となった隣家の娘の話を、文四郎がはじめてもらしますが、これに対して

生まるるも育ちも知らぬ人の子を いとおしいは何の因果ぞ

与之助にこんな俗謡を口ずさむ場面を与えています(*2)。
おそらく、藤沢周平お気に入りの一節だったのではないかと思います。

(*1):藤沢周平『用心棒日月抄』を読む~「電網郊外散歩道」2007年5月
(*2):いい文章だなあ~藤沢周平『蝉しぐれ』より~「電網郊外散歩道」2009年10月
コメント

河野義行『松本サリン事件~虚報、えん罪はいかに作られるか』を読む

2010年10月29日 06時07分17秒 | -ノンフィクション
1994年の松本サリン事件のとき、子どもはまだ小学生でした。テレビのニュースなど、当初の報道からは、なにか不思議な事件が起こったという印象を受けたことを記憶しています。ところが、第一通報者の自宅から青酸カリが発見されたというニュースあたりから、被害者であるはずの第一通報者(河野義行さん)が怪しいという報道がエスカレートしていきました。私も、自宅に青酸カリを保管するなんて、なんだか変な人だな、というのが第一印象でした。ところが、原因物質がサリンという神経ガスであることが判明したあたりから、第一通報者が犯人ではないだろうと思うようになりました。理由は単純で、化学屋の端くれである私もサリンなどという物質を合成することはできないから、第一通報者の会社員の人も、設備のない押入れや納屋で化学合成などできるはずがない、というものでした。その頃、小学校の保護者会か何かで、第一通報者の人は犯人なのでしょうかと話題になり、私は「違うと思います」と答えた記憶があります。後で、子どもの卒業謝恩会のときに、担任の先生から、「違うっておっしゃってましたね~」と、独自の判断を評価されたものでした。

しかし、それにしても、なぜ被害者であるはずの第一通報者が容疑者扱いされたのか。その真相はいったいどうだったのか。このことが、ずっと引っかかっておりました。たまたま、図書館で河野義行著『松本サリン事件~虚報、えん罪はいかに作られるか』(近代文芸社)を見つけ、借りてきて読みました。うーむ。わずかに131頁の小著ですけれど、この体験は重い。

第1章 松本サリン事件に巻き込まれて
第2章 犯人扱いのマスコミ報道で、嫌がらせ電話が殺到
第3章 松本サリン事件の犯人に
第4章 吹き飛んだ警察への信頼
第5章 逮捕にそなえて
第6章 松本サリン事件が教えること

いやはや、思わずため息が出るような経過です。真犯人を探すのではなく、容疑者を作り出すような捜査。怪しげな警察のリークに基づくらしい、予断と偏見に満ちた報道。翌年の一月に地下鉄サリン事件が発生し、河野さんが犯人ではありえないことがはっきりしますが、警察もマスコミも、謝罪しようとはしません。そんな中で、わすかに野中広務国家公安委員長(当時)が、率直に

「捜査内容には、口を挟む立場にないが、人間として、一政治家として、心情はよく理解できる。わたしとしても、断腸の思いだ。心からお詫び申し上げたい」(p.126)

と謝罪したことが、社会的な転機になっていったあたりに、ようやくほっとします。

先年、たしか奥様も亡くなられたのではなかったかと思います。多くの人々の人生を大きく狂わせた松本サリン事件は憎むべき犯罪です。さらに加えて、無実の被害者を犯人扱いするような捜査の恐ろしさ、たぶん正義感から発するのだろうけれど判断の根拠が怪しい報道や、過熱する競争により情報が操作されたときの世論のダイナミズムの怖さを感じます。
コメント (4)

そろそろ更新時期かな~10年目のPHS~

2010年10月28日 06時01分45秒 | Weblog
現在、まだ PHS を使っています。Panasonic の KX-PH35S というもので、2001年1月に購入して以来、もう十年目です。これまで一度も電池を交換したことがないのですが、一週間に一度くらい充電すれば大丈夫という安心感で、ついつい更新を怠って来てしまいました。ところが、たまにですが、大事な連絡の際に会話がところどころ途切れる現象が起こるようになり、これではいけないと感じ始めたところです。

知人・同僚には呆れられ、10年も使いつづけているのだからポイントもずいぶんたまっているでしょうと言われます。当人は、今まで機種更新と言うことをやった経験がない(^o^;)ものですから、ぜんぜんそんな意識はなし。ポイント制が利用者の引き止めに効果を発揮するのは、常に自覚させる仕組みがあるからだろうと思いますが、見えないものは存在しないのと同じです。言われなければ、たぶん気づかずに新しく購入してしまいそうです(^o^;)>poripori

妻も子どもたちも、au 連合ですので、au にして家族割~と妻からは言われています。たしかに、今の PHS だと、こちらからは直送で出せますが、e-mail 受信はいちいち読みに行く必要があり、直達方式ではありません。さて、どうしましょうかね。Android のようなスマートフォンがいいのか、それともらくらくホンのようなシンプルなもののほうがいいのか、じっくり検討する過程を楽しみたいと思います(^o^)v

(1) 用途は、家族間の通話とメールが主体です。使用頻度は、ごく低いです。待ち受けだけで、うっかりすると何日も使わないことがあります。
(2) 電池が長持ちすること。毎日充電して電池を健全に飼育するような手間をかけたくない(^o^;)>
(3) デジカメを常に持ち歩いていますので、ケータイで撮影ということはまずないだろうと思います。
(4) 出張時などはネットブックを持参しますので、ケータイで頻繁にネット利用という場面も考えにくいですが、外出時に街中でちょいと検索というシーンはありえます。
(5) ケータイでゲームや音楽を楽しむことはありません。テレビはもともと見ません(^o^)/

参考までに、皆様の診断(^o^)をいただければ幸いです。
コメント (2)

山形市西部から車で霞城公園・県立博物館に行くには

2010年10月27日 06時01分45秒 | 散歩外出ドライブ
東北中央道及び嶋地区など、山形市西部方面から、霞城公園内にある県立博物館などの施設に行くルートがわかりにくい、という声をよく聞きます。たしかに、車の場合、霞城公園の入口は北門のみに限られております。それだけでなく、山形市東部や文翔館方面からですと、霞城公園北門の入口に左折標識が出ており、難なく公園内に入ることができますが、この入り口は、高速道及び市西部からは右折禁止になっており、入ることができません。では、車で霞城公園内に入るにはどのルートを通れば良いのか。やや変則的ではありますが、裏道ルートをご紹介します。

山形中央で高速を降り、市内を目指して東上します。



上山方面の道路(右側に「とりあえず吾平」の看板が見える交差点)の次の交差点(ガソリンスタンドのところ)で右折します。
貴寿司のすぐ手前の路地へ左折します。
直進して一時停止、蕎麦割烹初舟のところで右折(伊藤園のお茶の自販機が目印)します。
霞城公園北門から公園内へ入ります。



標識のある分岐路を左折し、野球場わきを道なりに進み、公園駐車場があります。博物館の駐車場が満車のときは、ここを利用できます。
直進すると、途中に帰路となる右折分岐がありますが、さらに直進。
正面に山形市郷土館「済生館」が見え、左手に博物館駐車場があります。

帰りには少しだけ来た道を戻り、分岐を左折します。
丁字路を右折すると北門に出ます。七小角の交差点を左折し、直進すれば、高速道入り口へ出ます。



現在、県立博物館では、「縄文のキセキ~半世紀の時を越えて」という企画展が開催されています(*1)。舟形町西の前遺跡から出土した土偶「縄文ヴィーナス」の本物(国指定重要文化財)と、遊佐町杉沢遺跡から出土した杉沢土偶(*2)、それに岩手県豊岡遺跡から出土した遮光器土偶を中心とした、土偶展でした。レプリカでなく、本物はやっぱりすごかった。感動!でした。なお、10月30日(土)・31日(日)の二日間は、東北文化の日(*3)ということで、ふだんは大人300円の県立博物館の入館料が無料になるとのことです。(高校生以下はいつも無料。このあたり、Wikipedia の情報は間違いあり。)

公園内のイチョウがたくさん実をつけており、銀杏を拾っている近所の人の姿が見られました。秋は次第に深まりつつあります。




(*1):山形県立博物館ホームページ
(*2):杉沢土偶と半世紀ぶりに再会 発見者の妻、感慨深げ~「山形新聞オンライン」より
(*3):東北文化の日のウェブサイト、および 山形県内の参加ミュージアム一覧
コメント

チャイコフスキー「交響曲第5番」を聴く

2010年10月26日 06時05分05秒 | -オーケストラ
最近の通勤の音楽として、チャイコフスキーの交響曲第5番を聴いています。ホ短調、作品64です。作曲年代は1888年の5月から8月、作曲者48歳の頃だそうです。添付のリーフレットや Wikipedia 等によれば、ちょうど1886年のヨーロッパ旅行で好評を受け、マーラーやR.シュトラウス、グリーグらの作曲家と交流したのだそうな。そんな話を聞くと、チャイコフスキーの時代は、けっこう最近(^o^;)なのだな、と思います。

さて、この曲の楽器編成は、Fl(3)うち1はピッコロ持ち替え、Ob(2), Cl(2), Fg(2), Hrn(4), Tp(2), Tb(3), Tuba(1), Timp, 弦5部となっています。

第1楽章:アンダンテ~アレグロ・コン・アニマ、ホ短調。序奏つきのソナタ形式。冒頭にクラリネットの暗い旋律で表される「運命の動機」は、もしかしてベートーヴェンのそれをひっくり返しているのでしょうか。その後には、いかにもチャイコフスキーらしい、まるでバレエ音楽のような叙情的な展開があります。
第2楽章:アンダンテ・カンタービレ、con alcuna licenza とはどういう意味?調べて見ると、「ある程度の自由さをもって」というような意味だそうです。ニ長調、複合三部形式。弦による短い序奏の後に登場する、ホルンによる美しい主題に聴き惚れます。いいなあ、この音色、この旋律。ホルン奏者には緊張の場面でしょうが、また腕の見せ所でもあるでしょう。続く音楽は、頻繁に気分を変えながら次第に高揚し、静かに終わります。
第3楽章:ワルツ、アレグロ・モデラート。イ長調、複合三部形式。ふつう交響曲ではスケルツォが置かれることが多いのでしょうが、純然たるワルツです。この曲の中では一番短いのですが、いかにもチャイコフスキーらしいと感じます。ファゴットのソロが魅力的で、これに続く部分は、やっぱりバレエ音楽みたいな印象です。作曲者が交響曲としての普遍性に自信が持てなかったという原因は、このあたりなのかな?私はチャーミングだと思いますけど(^o^)/
第4楽章:フィナーレ、アンダンテ・マエストーソ~アレグロ・ヴィヴァーチェ、alla breve は2分の2拍子という意味だそうな。運命の動機による序奏つきソナタ形式。広がりを感じさせる出だしが、いいですね~。気分は否応なく高まります。

演奏は、クラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団、シカゴのオーケストラ・ホールにて、1985年の2月25日と27日に収録されたデジタル録音、SONY の 32DC-680 という型番の正規盤です。そういえばこの頃は、ウィーンフィルとのベートーヴェンなど、アバドの録音をけっこう集めていた時期だったと思います。そんな懐かしさもある一枚です。

■アバド指揮シカゴ響
I=14'35" II=12'40" III=6'14" IV=12'02" total=45'31"

この曲については、N響アワーで観たのだったと思いましたが、例の長大なホルン・ソロが見事だったために、曲が終わると指揮者がホルン奏者のところに歩み寄り、握手してから指揮台に戻って聴衆の拍手を受けた、という記憶があります。ネルロ・サンティさんだったかな?いい曲、いい演奏、そしてたいへん印象的な場面でした。

写真は、老母が毎朝楽しみに世話をしている、裏の花畑の近況です。


コメント

N響アワーでシューマン特集の2回めを観る

2010年10月25日 06時05分40秒 | クラシック音楽
日曜の夜、例によってN響アワーを観ました。わざわざ泊まりがけで東京まで出向き、咳が出るのを我慢する必要もなければ、嗜好品に属する液体を手にしながらでも大丈夫で、実にありがたい時間です(^o^)/

ゲストは、『シューマンの指』というミステリーの作者、奥泉光さん。1956年、山形県の生まれだそうで、どこかにご縁があるものですなぁ(^o^)/

演奏曲目は、

1.「序曲、スケルツォとフィナーレ」から「序曲」、ネヴィル・マリナー指揮、NHK交響楽団
2.「ピアノ協奏曲 イ短調 作品54」、アンティ・シーララ(Pf)、ネヴィル・マリナー指揮、NHK交響楽団、
3.「交響曲第3番 作品97“ライン”から 第5楽章」ネヴィル・マリナー指揮、NHK交響楽団

というものでした。

シューマンの協奏曲は、マリナーの指示なのでしょうか、比較的ゆったりしたテンポで始まります。アンティ・シーララ(*)というピアニストは、お初にお目にかかりますが、若い人みたいですね。
ネヴィル・マリナーは、以前の颯爽とした指揮ぶりの記憶とくらべると、見た目はほんとに年を取りました。もっとも、私も孫が二人もいる年齢になっているのですから、当然といえば当然なのですが(^o^;)>poripori

蝶ネクタイを付けたゲストの奥泉光さん、シューマンの音楽の魅力を語るとき、実に雄弁、熱弁。「詩人の恋」のピアノは語り手的、などと話すときの手のアクションも大きくて、いかにもテレビ的。これは、『シューマンの指』というミステリーを読んでみたいものです。さっそく探してみなければ。

(*):アンティ・シーララのプロフィール
コメント

すわ!アホ猫、流血の大惨事か?

2010年10月24日 06時00分10秒 | アホ猫やんちゃ猫
裏の畑でハンティングに余念がないわが家のアホ猫、残念ながら今日は獲物もなく手ぶらでご帰還。作業小屋の前でゴロニャンしているところをふと見ると、点々と血痕のようなものが見えます。なんと、ここで流血の大惨事を展開したのか!と驚きました。よーく見ると、先ごろ塗り替えたばかりの屋根のペンキがこぼれているのでした。

な~んだ!ペンキか~(^o^)/

しかし、母猫のこの貫禄。立派なシッポをぴいんと立てて、歩く姿は堂々としています。砂利道ではこの程度ですが、



近隣の生態系の頂点に立つ裏の畑では、



こんな感じです。いやはや、絵になります。堂々たるもんです(^o^)/

【追記】
ちなみに、裏の畑のこの写真、合成じゃありませんよ~(^o^)/
コメント

乙武洋匡『五体不満足~完全版~』を読む

2010年10月23日 06時02分03秒 | -ノンフィクション
講談社文庫で、乙武洋匡著『五体不満足~完全版~』を読みました。1998年に単行本が出た頃、わが家の子どもたちをはじめ、中高生に圧倒的な人気を博していたようですし、大人の間でもベストセラーになっていたのではないかと思います。

著者のその後の活躍については、当方はテレビをほとんど見ませんし、スポーツ芸能方面への興味関心も欠落しており、接する機会もありませんでした。いつか機会を見て読んでみたいと思いながら十数年、ようやく読み終えました。溌剌とした、若い精神の息吹を感じます。家族と先生と仲間に恵まれたことに加えて、本人の資質と努力が中心にあったことは間違いないでしょう。

本人以外のことで、とくに印象深かったこと:
(1) お母さんの存在が大きい。それを支えたお父さんの存在も大きい。
(2) 小学校の担任の先生の、教育にかける信念とベテランらしい人間観に敬服します。
(3) 友人たちのフォローシップに感銘を受けます。子ども等が共に過ごすことの意味を、あらためて感じます。

著者は、一種のアイドルとしての危機をなんとか乗り越え、人間を掘り下げるスポーツライターを目指します。ここで勝手な希望を言わせてもらえるならば、スポーツ選手に限らず、もっと多彩な人々に取材の対象を広げていってほしいと思います。たとえばこの道何十年の職人さんやお医者さんなど。決して有名ではない人生の先輩に、若々しく率直に問いかけてほしい。そして、意味のある言葉を引き出してほしいものだと思います。

いや、別に私がスポーツ選手をほとんど知らないからではなくて(^o^;)>poripori
コメント

「コンピュータ」カテゴリーの記事数の推移

2010年10月22日 06時01分05秒 | ブログ運営
このブログ「電網郊外散歩道」を開始した2004年12月には、わずかに2件だったコンピュータ関係の記事数は、これまで次のように推移してきています。

----------------------------------------------------------
西暦年 件数 主な話題
----------------------------------------------------------
2005年 56件 ADSL、ネットワーク、ブログ、Linux
2006年 34件 ブログ、自宅内LAN、情報化社会
2007年 14件 ブログ、ADSL不安定、フレッツ光導入
2008年 28件 単身赴任、PC新調とLinux化
2009年 34件 古いPC延命、単身赴任、ネットブック
2010年 (25件) アクセス解析、Ubuntu (10/15現在)
----------------------------------------------------------

こうしてみると、プライベートに限定した当ブログでは、コンピュータに関する記事の角度というのは案外狭いようです。たとえば(1)単身赴任など身辺の変化や故障への対応、(2)通信環境や機器の環境など、(3)ブログやネットワーク等についての雑学、などでしょうか。

「犬が人を咬んでもニュースにはならず、人が犬を咬めばニュースになる」と言いますが、「機器が順調に動いていれば記事にならず、故障すると記事のネタになる」ということでしょうか。あるいは、「便利な環境は記事にならず、不便をどう改善工夫したかがネタになる」とも言えます。そういえば、ADSL回線がらみの話題も、フレッツ光化により、パタッと減少してしまいました。現在、回線に関してはほぼ満足しておりますので、記事にはなりにくい、ということでしょう。
コメント

運営者は移行したが~別ブログを閉鎖

2010年10月21日 06時03分52秒 | ブログ運営
ブログというものを試してみようと始めたのが、この「電網郊外散歩道」でした。これとは別に、xfy ブログエディタなるものに興味を持ち、awk スクリプトなど、常用しているちょっとしたデジタル文書の保管庫として、ジャストブログに別ブログを作成しておりました。
goo ブログとは違い、awk スクリプトのインデントなども忠実に反映される仕様は魅力的でしたが、ユーザー数は伸びず、広告収入も見込めなかったのでしょうか、無料モデルは維持できなかったようです。ジャストブログの撤退にともない運営者が代わり、無料期間が9/30までと限定されました。引き継いだ会社からのメールでは、

トライアル期間が過ぎますと、自動的に TypePad の本契約となり、契約料金の課金が始まりますのでご注意ください。

とのことでした。
もともと、公開を意図したブログではなく、自分用のスクリプト保管庫として使っていましたので、先月下旬に閉鎖しました。

しかし、考えてみれば、awk スクリプトなどたいした容量ではありません。一度だけ、awkpath 等の環境設定をすればよいだけの話です。なにも常設のオンライン保管庫を用意するまでもないことなのでした。一見、便利そうな構想でしたが、結局は「他人のフンドシで相撲はとれない」ことを再確認するだけでした。昔ながらのスタイルに逆戻りして、別に不便を感じておりません。私の ComputingStyle というのは、すでに相当に保守的なものなのかもしれませんが(^o^;)>poripori

写真は、過日の法事でお参りをした、某寺の本堂の屋根です。明治の下見板系擬洋風建築とはまた違った魅力があります。
コメント

猫に小判、蛙にサフラン

2010年10月20日 06時04分23秒 | アホ猫やんちゃ猫
我が家のイヌサフランが、見事に咲いております。あまりの見事さに、写真を撮ろうと近づいたところ、面白い色のカエルを見つけました。



たぶん、花に誘われてやってくる虫が目当てなのだろうと思います。



それにしても見事なイヌサフランの花、ちゃっかりと座っている小さいカエル。思わず笑い出したくなるほど対照的です。



「猫に小判」ということわざがありますが、「蛙にサフラン」というのもぴったりだな、と一人でウケて喜んでおります(^o^)/



えっ、何?あたしがどうしたって?



アホ猫が、ぬくぬくと暖かいところを占領する季節が近づきました。この顔を見ると、小判をやるぞと言っても、たしかに動きそうにありません(^o^)/
コメント (2)

メンデルスゾーン「無言歌集」のPCオーディオ的楽しみ方

2010年10月19日 06時02分19秒 | -独奏曲
メンデルスゾーン「無言歌集」は、当方お気に入りの音楽です。すでに抜粋版のCDについて記事にしておりますが(*)、もう一つ、全曲CDのほうは、NAXOS の 8.550316, 8.550453 という型番のもので、全48曲を二枚のCDに収録したものです。ただし、全曲CDとはいっても、曲の順番は必ずしも出版時のものと一致してはおりません。メンデルスゾーンは、第1集から第8集まで、それぞれ6曲ずつ発表しています。たとえば第1集Op.19は、Wikipedia によれば、

1. ホ長調、アンダンテ・コン・モート《甘い思い出》(1831年作曲)
2. イ短調、アンダンテ・エスプレッシーヴォ《後悔》(1832年)
3. イ長調、モルト・アレグロ・エ・ヴィヴァーチェ《狩の歌》(1832年)
4. イ長調、モデラート《ないしょの話》(1829年)
5. 嬰ヘ短調、ピアノ・アジタート《不安》(1831年)
6. ト短調、アンダンテ・ソステヌート『ヴェネツィアの舟歌 第1番』(1830年)

の6曲からなりますが、Op.19-1~6 のうち第5番だけがCD-1に収録され、他の5曲はCD-2に収録されている、といった具合です。これは、おそらくペーテル・ナジというピアニストが、演奏効果の観点から考えて配列した順番なのでしょう。

これに対し、CDからパソコンに取り込み、プレイリストを作成することにより、この順番を任意に入れ替えることが可能になります。たとえば、出版時に付けられた作品番号の順とか、「ヴェネツィアの舟唄」など作曲者が副題を付けたものだけを抜粋するとか、ちょうどLPレコードからカセットテープに抜粋編集して「マイベスト編」を作るようなものでしょうか。メディアが変わっても、楽しみ方はそう代わり映えしないような気もしますが、メンデルスゾーンの「無言歌集」がステキな音楽であることにかわりはありません。

ここしばらく、通勤の音楽は「無言歌集II」のCDでありましたし、自宅PCからは、USBオーディオを通じ、全曲通して流れております。



(*):メンデルスゾーン「無言歌集」を聴く~「電網郊外散歩道」2005年9月
コメント

藤森昭信『日本の近代建築(上)~幕末・明治篇』を読む

2010年10月18日 06時03分09秒 | -ノンフィクション
岩波新書で、藤森昭信著『日本の近代建築(上)~幕末・明治篇』を読みました。著者の講演を、ごく最近お聞きしたこともあり、だいぶ前に購入して積ん読していた本書を、ようやく通読した次第です。当地には、明治期に建てられた多くの西洋風建築が残されていますが、その評価なども興味深く、たいへんおもしろく読むことができました。

本書の構成は、次のようになっています。

1. 地球を東に回って日本へ~ヴェランダコロニアル建築~
2. 地球を西に回って日本へ~下見板コロニアルと木骨石造~
3. 冒険技術者たちの西洋館~洋風工場~
4. 棟梁たちの西洋館~擬洋風・その1~
5. 文明開化の華~擬洋風・その2~
6. 御雇建築家の活躍~歴史主義の導入~
7. 日本人建築家の誕生~歴史主義の学習~

はじめの二つの章では、グラバー邸のようなヴェランダコロニアル様式が、南方系の植民地に適応したものであることと、札幌の開拓使本庁舎のような下見板コロニアル様式が、自然の厳しさに対応した北方系の植民地ふう建築であることを示します。幕末から明治初期に渡来した冒険技術者たちの建築をモデルに、日本の棟梁たちが擬洋風建築を作りますが、これも松本の開智学校のような漆喰系擬洋風と、山形の済生館のような下見板系擬洋風、そして木骨石造系の擬洋風などに分類できるとのこと。とくに山形県は、済生館のほか鶴岡の朝暘学校、西田川郡役所、鶴岡警察署など、下見板系擬洋風の震源地であったと評価します。
後半は、御雇外国人に学びつつ、日本人建築家が誕生していく経緯をたどります。

当地に下見板系擬洋風建築が多く残されている理由は、そもそも三島通庸のもとでたくさん建てられたということと、戦災に遭わずに日常的に使われ続けたことで維持管理されてきたということが大きいでしょう。実際に住んでみて住みやすいかどうかは別として、雪国の風土に適した様式だったために、独特の美しさを保ったまま残ることができたのだろうと思います。

以下、機会あるごとに撮影してきた、山形の西洋風建築物の写真を掲載します。まずは、三島通庸が建てた旧西田川郡役所です。現在は、鶴岡市の致道博物館内にあります。



次は、元山形県立病院で後に市立病院となった済生館(明治9年)。山形市の霞城公園内に移築されています。





鶴岡市内、藤沢周平記念館に隣接している建物は、「大宝館」といい、以前は市立図書館として使われておりました。



鶴岡市に合併した旧藤島町にある、旧東田川郡役所です。





天童市には、旧東村山郡役所がありますが、ちょうどよい写真がありませんので、機会を見て撮影したいと思います。
コメント

部屋を片付ける

2010年10月17日 06時03分21秒 | Weblog
単身赴任を終えてすぐに運び込んだ荷物の整理はなんとか終わったものの、春からずっと、部屋がなんとなく雑然としております。先日、ピアノの調律がありましたので、部屋に雑然と置いてあるものを一箇所にまとめてみました。そうしたら、床が広く使えて気分もよろしい。この際、部屋を思い切って片付けてすっきりさせたいものだと考えました。

(1) 本が溢れている  再読するものを厳選し、他を家族の共用書架へ移動
(2) CDが溢れている  再聴する見込みのないものを共用書架へ移動
(3) 雑多な小物が雑然とテーブルに載っている  捨てる
(4) チラシ、フリーマガジン、パンフレットの類がたまっている  捨てる
(5) 古いソフトウェア・パッケージが棚を占領  写真を取って処分する

などの姑息な手段で間に合うのか。あるいはテーブルごと部屋から追い出してしまうのがいいのか、思案のしどころです。

さて、本日は親戚の法事によばれております。一日ゆっくりというわけにはいきません。今週のペース配分を考えて対処したいと思います(^o^;)>poripori
コメント