電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

共同通信社原発事故取材班『全電源喪失の記憶』を読む

2018年03月31日 06時04分51秒 | -ノンフィクション
新潮文庫の新刊で、『全電源喪失の記憶〜証言・福島第1原発〜日本の命運を賭けた5日間』を読みました。共同通信社原発事故取材班・高橋秀樹編著となっているとおり、地元紙・山形新聞に配信されていた連載が元となり、単行本として刊行されて、このたび文庫化されたもののようです。本書の構成は次のようになっています。

第1章 3.11
第2章 爪痕
第3章 1号機爆発
第4章 制御不能
第5章 東電の敗北
第6章 選択
第7章 反転攻勢
第8章 1F汚染
最終章 命

東日本大震災の後、津波被害の惨状に息を呑み、停電が復旧し少しずつ報道が増えていた中で起こった、リアルタイムに全国が注視する中での原子力発電所のメルトダウン。責任ある地位にいた人たちの右往左往は今もほぼ記憶に残っていますが、現場ではどんな状況だったのか。全電源を喪失した福島第一原発で、状況を把握し対応するために必死の努力が続けられていたことがよくわかりました。「不幸中の幸い」という言葉が想起されますが、まさしくわずかな偶然と幸運によって、かろうじて東日本壊滅という事態を免れたこと。原発事故をローカルな事故とみなすのは大きな誤りだということが実感されます。

今にして思えば、非常電源設備が地下にあったこととか、そもそもの立地の海抜高度が低すぎたこととか、津波や地震国における想定が弱い米国製の設計など、問題点が悪い方に重なっていた点が目に付きますが、それにしても原発事故というものが、いわゆる「事故」とは質的に異なることがよくわかります。



毎年、3月には東日本大震災の特別番組がTV等で放送され、新聞や雑誌等でも特集が組まれ、ブログ等でも追悼の記事が多くなります。様々な明暗はあれど、津波の被害からは少しずつ立ち直り、復興の動きも進んでいるようです。しかしながら、福島第一原発の周辺は必ずしも同じ歩みとは言えず、むしろ沿岸被災地の希望が増すにつれて、原発立地地域の見通しの困難さが際立ってくるようです。明治150年が喧伝されるときに、過酷な会津処分を受けた隣県・福島県の未来を思うにつけても、あまりにも踏んだり蹴ったりではないかと、この事故の意味を考えこんでしまいます。

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ケテルビー「ペルシャの市場にて」の動画から

2018年03月30日 06時02分20秒 | -オーケストラ
先日の「サンクスコンサート2018」で、「楽員が歌う」趣向の楽しさを感じたケテルビーの「ペルシャの市場にて」ですが、YouTube で演奏の動画を探してみました。
たしかに、楽譜には歌詞がありました。

この意味は、隊商のキャラバンに乞食が群がり、物乞いをするもののようです。あまり意味がわからないほうが楽しめるのかも(^o^)/

まずは、アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団の演奏。これはおそらく楽員のものと思われる歌が入っています。
Ketelbey, In a Persian Market , ケテルビー:ペルシャの市場にて

正直、歌はかなり投げやり気分であまりそろっていない(^o^)/
先日の山響の皆さんの歌のほうが、はるかに上手だったように思います(^o^)/

続いて、台湾のオーケストラによる、中国の楽器をたくさん取り入れた演奏。エキゾチックな雰囲気という面で、これも面白い。
ALBERT KETELBEY. In a Persian Market. Taipei Chinese Orchestra


イージーリスニング音楽としても使われています。
James Last - In A Persian Market (1966)

こちらは、原曲の歌詞のままではなく、ラーラーラーララ ラララーラー という具合。おそらく、歌詞の意味や情景を考えて、アラブ世界でのビジネス的観点からぼかしたのでしょう(^o^)/

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日新製薬プレゼンツ「サンクスコンサート2018」を聴く

2018年03月29日 06時18分04秒 | -オーケストラ
ここ数年、春の楽しみになっている、日新製薬プレゼンツ「サンクスコンサート」2018に行ってきました。妻が申し込み葉書を出してくれていて、今年も当たったみたいで、無料招待券をいただきました(^o^)/

3月28日(水)、18時開場・19時開演とのことで、昨年の経験を元に、まずは駐車場確保のために17時30分に到着、天童市立図書館の駐車場に停めることができました。それから夕食を食べに行こうとしたのですが、あいにく水曜日で休業日のお店が多く、お目当ての蕎麦屋「楓」も「孫作」もお休みです。仕方がないので、某焼肉チェーン店で夕食を済ませてから天童市民文化会館へ。



18時30分ころに到着したため、まずまずの席を確保することができました。本日のプログラムは、前半が「今、名作映画が甦る〜シネマ・イン・クラシックVol.3」で、後半が 指揮者 藤岡、渾身の「運命」! というものです。

  1. グリンカ/歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲(のだめカンタービレ テレビ映画版)
  2. ヨハン・シュトラウスⅡ世/ワルツ「春の声」(男はつらいよシリーズ)
  3. グリーグ/劇音楽「ペールギュント」第1組曲より"朝の気分"(アンフェア the movie)
    チャレンジスピリット-指揮者に挑戦-
      マスカーニ/歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲(ゴッドファーザー part3)
  4. ケテルビー/ペルシャの市場にて(ニューヨークストーリー)
     〜休憩〜
  5. ベートーヴェン/交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
     指揮:藤岡 幸夫、演奏:山形交響楽団


例によって、専務理事の西濱さんが軽妙に司会進行をつとめます。まずは、スポンサーの日新製薬の会長さんが主催者ご挨拶。続いて指揮の藤岡さんが登場します。西濱さんとは以前から旧知の仲だそうで、関西風のノリでテンポよく会話が進みます。会場がほぼ満席となっている聴衆全員がスポンサーの日新製薬のご招待という太っ腹に謝意を表すと、皆さんから同意の拍手。

ステージ上に楽員が登場します。今回の楽器配置は、左から第1・第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、右端にコントラバスが、たぶん 7-7-5-5-3 という弦楽の編成です。管楽器の方は曲によって変化がありますが、いつもの2管編成で、左端に大きなハープが目につきます。

前半のプログラムでは、グリンカの「ルスランとリュドミラ」でスカッとするような弦楽の快速演奏や、ヨハン・シュトラウスII世のワルツ「春の声」等を楽しみましたし、指揮者コーナーで登場した小学生二人が、「去年もここで振りました」とか「学校でも振りました」とか、いずれも経験ありの立派な指揮ぶりで、指名した西濱さんも「まさか二人とも経験者とは!」とずっこけておりました(^o^)/
いやいや、当方がそれよりも印象的だったのは、ケテルビーの「ペルシャの市場にて」で、楽員の皆さんが歌うところ! この曲は、楽譜に楽員が歌うように指示されているのだそうで、例えばヴァイオリン奏者が弓を置き、聴衆に向かって一斉に歌うのですから、見た目にも音の面でも、これは楽しい!

15分の休憩の後、後半はベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。ホルンやトロンボーン、ティンパニなど、作曲当時に使われていたのと同じ型の古楽器を用いて、でもテンポは急がず堂々としたもので、チェロ、コントラバスなど低音を強調し、強弱の対比をつけながら演奏していたように感じました。つんざくようなピッコロの高音も印象的で、藤岡さんの言う、当時のベートーヴェンの革新性という言葉を実感しました。

アンコールは、エルガーの「夕べの歌」。しっとりしたいい曲です。

お客様の層が、ふだんの定期演奏会とはだいぶ違い、クラシックの演奏会なんて初めてという人も少なくなかったのではと思いますが、この演奏会も三年目となると、シンフォニーでは楽章ごとに拍手しなくてもいいんだというような暗黙の了解が次第に浸透しつつあるようです。1楽章と2楽章の間に、少し拍手が出ましたが、後は全く無し。このあたりも、聴衆としての成長を感じます。そうです、回を重ねるごとに、聴衆も成長するのです。そうして、オーケストラの演奏を楽しむという習慣が、地域に定着していくのだと思います。企業メセナで始まったサンクス・コンサート、天童市民文化会館のアンケートでは、山響の演奏会のリクエストがダントツに多かったとか。文字通り「希望の春の演奏会」でした。

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アクセス解析データの見方

2018年03月28日 06時03分59秒 | ブログ運営
長くブログを運営しているうちに、アクセス解析データの見方も少しずつ変わってきました。はじめのうちは、閲覧数(ページビューPV)と訪問者数(IPアドレス)の違いもよくわからず、ある日とんでもない数のPVがあったときなど、ただただビックリしておりました。要するに、グーグル等のクローラーが集中的にアクセスした結果であって、誰かが夢中になって読みふけったわけではないのですね。その意味では、あてになるのはIPアドレスの値だろうと考えていました。

近年は、閲覧数からクローラーによる値を差し引けば実質ページビューがわかりますので、これを訪問者数で割ってやると、平均閲覧数がわかります。Goo ブログのアクセス解析では、クローラーの閲覧数がわかりますので、これで計算してやればよいだろう。



というわけで、計算してみた結果です。このところの平均閲覧数は、1.2〜1.6 の範囲になっています。この意味するところは、平均すると何人かの人が更新記事だけでなく他の頁も読んでくれているということでしょう。ありがたい限りです。

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今晩のNHK-FMで山響の定期演奏会が放送予定

2018年03月27日 06時05分50秒 | クラシック音楽
先日の山響定期にて、NHK-FM で第264回定期演奏会(*1)が放送予定であることを知りました。それが本日、19:30〜21:10 の 100分間の予定で、ゲストは音楽監督の飯森範親さんだそうです。当日のプログラムは、

  1. コダーイ 「ガランタ組曲」
  2. ニーノ・ロータ 「トロンボーン協奏曲 ハ長調」 太田 凉平(Tb)
  3. ブラームス 「交響曲第2番 ニ長調 Op.73」

でしたが、これが全部放送されるみたいです。

どうやらシリーズ・オーケストラ・ジャパンという特集のようで、昨日は仙台フィルでした。今日は第4回で、山形交響楽団の登場という段取りのようです。楽しみです。

(*1):山形交響楽団第264回定期演奏会でコダーイ、ニーノ・ロータ、ブラームスを聴く〜「電網郊外散歩道」2017年11月

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サクランボ剪定枝の焼却と他の樹の整枝で一日が終わる

2018年03月26日 06時02分29秒 | 週末農業・定年農業
※本日は、goo ブログがシステムメンテナンスのため、一時サービスを停止するそうです。予定では、8:30〜12:00となっていますが、延びるかもしれません。

天気予報では曇のち晴れだったはずなのに、朝からしとしと雨が降っていた日曜日、小雨決行で朝からサクランボ剪定枝の焼却をしました。昨日、積み上げておいた剪定枝の山の中に、乾いた木片を3〜4本突っ込み、キャンプファイヤーのように灯油をしみこませた新聞紙で点火。




火の番をするのもくたびれますので、コンテナを椅子代わりにします。ラジオで聴くNHK-FMでは、マリア・ジョアン・ピレシュのピアノを放送していました。小柄で手も小さいピレシュさんは、教わったテクニックの意味を考え、技術を再構成したとのこと。




同じ園地にある桃やリンゴの剪定をして、くたびれるとペットボトルのお茶とポテトチップス等のおやつをつまみながら、休憩を兼ねて火の番をします。この時は、来し方や行く末を思うよりも、人生の枝葉末節のことを考えることが多いみたい(^o^;)>poripori




丸太がほとんどなく、せいぜい腕の太さまででしたので、あっという間に燃やすことができ、午前中に焼却終了。午後からは、昨年ぜんぜん剪定できなかったプルーン、大石早生(スモモ)、梅をノコギリで思い切って整枝しました。
うーむ、よく働いた休日でした(^o^)/

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剪定枝の結束と運搬が終わる

2018年03月25日 06時03分01秒 | 週末農業・定年農業
この季節の恒例となるサクランボ剪定枝の結束と運搬の作業がようやく終わりました。一昨日には雨が上がりましたので、土曜日は地表もほぼ乾き農作業日和。シルバー人材センター経由でお願いした二名の方に手伝ってもらい、離れた露地のサクランボ園地と自宅裏の園地と、二箇所の果樹園の作業が一段落です。やれやれ、これでまずは一安心。



さて、本日の予定は、

  • サクランボ剪定枝の焼却処分
  • 軽トラックのタイヤ交換
  • 桃、リンゴ、柿、スモモの剪定および剪定枝の処理

あたりでしょうか。ラジオを聴きながら、火の番をすることになりそうです。

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田舎暮らしと駐車場

2018年03月24日 06時03分32秒 | 健康
田舎暮らしには車が必需品です。公共交通機関が不便なだけに、車がないと何かと不都合が多い。そのかわりに、いったん車に乗り始めると、逆に田舎暮らしも満更ではないなあと感じるようになります。買い物に行くにも、映画や演奏会に行くにも、車があれば本当に便利です。

でも、便利さの影には思わぬ落とし穴もあります。その一つが、ドア・ツー・ドアの便利さにハマり、歩かなくなってしまうことです。都会の人たちは、駅の中だけでもずいぶん歩きますが、田舎暮らしで例えば終日デスクワークで終わった日などは、万歩計が二千歩にも満たないほどです。そんな生活を続けるのは、明らかに健康に良くないでしょう。

対策として、意識してウォーキングの機会を設けることが必要になります。例えば、

  • スーパー等の無料駐車場に車を停めるときは、入り口から遠い、混んでいないところを選ぶ。
  • 買い物の量が多い時は、キャリーワゴンを利用する。
  • 建物内では、できるだけエレベータを使わずに、階段を利用する。
  • 依頼する用件があるときは、電話やメールで済ませずに、できるだけ足を運んで対面でお願いする。

などです。要するに、意識して「歩け、歩け」です。

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箒木蓬生『悲素』(下巻)を読む

2018年03月23日 06時03分19秒 | 読書
和歌山毒カレー事件の背後にある複数の事件は、いずれも容疑者の周辺で起こり、多額の生命保険がかけられるなど不審な点が多いことが判明していきます。無味無臭というヒ素の毒の特徴から、食中毒やその他の病気と診断され、毒殺・変死とはみなされなかった。それが、犯人を増長させることになってしまった、ということでしょう。

しかし、毒カレー事件により県警の捜査が入り、容疑者周辺の過去の疑惑にも調査の手が伸びて、九大医学部の沢井教授の診断で、いずれも典型的なヒ素中毒であることが明らかになります。容疑者に毒を盛られた元従業員の生存者が、様々な証言をしてくれたことで、多額の生命保険を詐取する事件の構造が浮かび上がります。

下巻の後半は、裁判の経過が中心となりますが、素人にはどうにもじれったい応答が続きます。仮にも人が人を裁くわけですから、丁寧な審理が必要だということはわかりますが、常識では理解しがたい面も少なくなく、読み続けるにはだいぶ辛抱が必要でした。それでも、一審判決の三ヶ月後に沢井教授が定年で九大を退官した際の、捜査を担当した刑事からの手紙には心を打たれます。



犯人の心理を、どう理解すればよいのか。おそらくは、毒殺魔の心理状態として「仮想的な万能感」を想定することは当たっている面が大きいのでしょう。人の生死を握っている、あるいは自分のさじ加減で人の生死を決めることができ、誰も自分の犯行を明らかにすることができないという感覚。取材する記者たちに対する傲慢な態度も、そのあたりの反映だったのかもしれません。

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箒木蓬生『悲素』(上巻)を読む

2018年03月22日 06時01分19秒 | 読書
新潮文庫で、箒木蓬生著『悲素』(上巻)を読みました。1998年に起こった和歌山毒カレー事件を題材とした小説で、名前こそ変えてありますが、事件の流れや背景はそのままですので、ごく自然に理解できます。

主人公は、九州大学医学部の衛生学教室の教授。1998年夏の和歌山毒カレー事件で、カレーから青酸を検出したという報道に、「違う」と違和感を持つところから始まります。青酸すなわちシアン化合物ならば、もっと急性で激烈な毒作用を示すはず。そうこうするうちに、和歌山県警から協力の依頼が入ります。使われた毒がヒ素であるとも。捜査への協力は、被害者である患者の診察からでした。そして、事件の背後には、カレー事件以前に別の犠牲者が存在するらしいことが判明します。真相が明らかになることはないと確信する恐るべき毒殺魔に対して、医学が真実を明らかにすることができるのか。



これは小説であると思いながら、当時抱いていた疑問が解き明かされることに納得しつつ、その結果さらに暗澹たる思いに至るような、なんとも不思議な読後感です。実に下巻が待ちきれない、一気読みです。

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剪定枝を集めて結束する

2018年03月21日 06時05分18秒 | 週末農業・定年農業
春、雪が融けると農作業のシーズンが始まります。まずは、果樹園の剪定枝を集めて焼却処分の準備です。二年目の枝の基部に花芽が付きますので、枝は適宜更新していかなければなりません。果樹園農業にとって、剪定は最も根幹となる作業です。当然、切り落とした枝がたくさん生じます。これを、燃えやすいように結束し、後で回収しやすい場所に集めておきます。



昨年からシルバー人材センターに依頼し、助かっています。昨年と同じ方が応援に来てくれたので、作業上の手順や留意点を説明する手間が省けました。



昨日でおおむね3分の2が終わり、彼岸の中日の今日はお休みとしました。



お天気が良いと、作業がはかどり、助かります。

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春告げ花

2018年03月20日 06時04分57秒 | 季節と行事
毎年のことですが、今年も我が家の春告げ花が咲きました。クロッカスです。




雪が融けると、決まって顔を出し、可憐な花を咲かせます。肥料をやるわけでもなし、ほったらかしなのに律儀に咲いてくれます。




本当に可憐で、可愛らしい花です。我が家の春告げ花、じきに本格的な春が到来です。

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山響第267回定期演奏会で武満徹、ブルックナー、ブラームスを聴く

2018年03月19日 06時03分54秒 | -オーケストラ
山響こと山形交響楽団の2017〜18年のシーズン最後を飾る定期演奏会は、次のプログラムです。

  1. 武満 徹/弦楽のためのレクイエム
  2. ブルックナー/ミサ曲第2番 ホ短調 WAB27
  3. ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
    指揮:飯森範親、ヴァイオリン:堀米ゆず子、
     演奏:山形交響楽団、合唱:山響アマデウスコア

実は、ブルックナーのミサ曲第2番は、合唱と管楽器で演奏されるもので、弦楽セクションが降り番になるという、極めてレアなケースです。アマデウスコアの合唱の水準の高さは承知しておりますが、弦楽なし、管楽器との共演はどんなものか、興味深いところです。

開演前のロビーコンサートは、ドヴォルザークの管楽セレナード ニ短調Op.44より第4楽章。Ob(2)、Cl(2)、Fg(2)、Hrn(3)、Vc、Cbの11名編成です。ドヴォルザークはやっぱりいいなあと楽しく聴いた後、司会の西濱事務局長が、実はコントラバスの相川誠さんとクラリネットの郷津隆幸さんが定年退職されると紹介。このときの郷津さんの挨拶が興味深いものでした。

1988年、山響が経営危機にあったとき、サントリーの佐治社長の舌禍事件(*1)があり、おわびに東北のオーケストラが一回だけ無料で演奏会ができることになったそうな。東京の山形県人会が頑張って演奏会を大成功させて、解散の危機を乗り越えたのだそうです。



音楽監督の飯森さんと西濱事務局長の二人のプレコンサートトークでは、モーツァルト交響曲全集が海外でも高い評価を受けているとのことで、海外との関係も広がりつつあるようです。また、近年の集客率の向上がめざましく、2017年にはついに92%に達し、全国トップクラスになっているとのことです。これも、ファンには嬉しいニュースです。

いよいよ開演。第1曲めは、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」。もちろん弦楽セクションのみで、楽器配置はステージ左から第1ヴァイオリン(8)、第2ヴァイオリン(7)、チェロ(5)、ヴィオラ(5)、右奥にコントラバス(3)という 8-7-5-5-3 のスタイルです。演奏は、すごい緊張感、集中力! 1957年に書かれたという弦楽のみによる悲歌は、本来は先の大戦の犠牲者を悼むものなのでしょうが、今は東日本大震災や原発事故などの犠牲者への美しい鎮魂歌として聴きました。

第2曲めは、ブルックナーのミサ曲。混声8部合唱と管楽器という編成で、難しい曲らしいです。ステージ上の配置は、合唱団が奥のほうに並び、女声が43、男声が26、合計69名という規模です。その手前に、前列左から Ob(2)、Cl(2)、Fg(2)の木管楽器、後列がHrn(4)、Tp(2)、Tb(3)という配置。指揮者は座ったままスコアを見ながら指揮します。とにかくハイレベルな合唱に感嘆しながら、ブルックナーはきっと強弱の変化が付けられるオルガン伴奏を夢見ていたんだろうなあ、などと考えておりました。めったに聴けないブルックナーの宗教音楽で、独特の楽器編成の曲を生で聴くことができ、山響ファンで良かったと思った次第です。

ここで、15分の休憩です。ロビーで田部京子さんのピアノで、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番の新譜CDが販売されていましたので、購入してきました。Exton OVCT-00130 です。

後半の第3曲は、ブラームスのヴァイオリン協奏曲です。8-8-5-5-3 の弦楽5部に、Fl(2)-Ob(2)-Cl(2)-Fg82)-Hrn(4)-Tp(2)、Timp という楽器編成。独奏ヴァイオリンは堀米ゆず子さんですが、黒のロングの上にゆったりとした白い模様?漢字?が並んだ衣装です。喩えは良くないですが、ちょうど魚偏の漢字が並んだ寿司屋の湯呑みみたいなイメージといえばわかりやすいでしょうか(^o^)/
なんともまあ、第1楽章、第3楽章のテンションの高さといい、第2楽章の叙情といい、ソリストは圧巻の存在感です。オーケストラもこれに応えて、素晴らしい演奏を展開しました。中間楽章冒頭のオーボエのソロも素晴らしかったけれど、全体的な感応性の高いコンチェルトだったと感じます。
今回も、良い演奏会でした。



(*1):東北熊襲発言〜Wikipediaより

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アホ猫、今年の初獲物

2018年03月18日 06時03分52秒 | アホ猫やんちゃ猫
我が家のアホ猫母娘のうち、母猫(19歳)はだいぶ衰えが見られ、ハンティングの元気はないようです。ところが、娘猫(18歳)のほうは元気いっぱい、この三月初旬に、雪が融けて楽に通ることができるようになった自宅裏の果樹園で初獲物をゲットし、頼まれもしないのにわざわざくわえて見せに来ました。小さな子ネズミです。幸いに、妻の目に触れないうちに屋外に出したので、狼藉ぶりに悲鳴をあげる緊急事態は回避することができました(^o^)/

さて、昨日の土曜日は午前中に仕事ででかけ、午後からは晴天に恵まれて、植木の雪囲い外し作業を済ませました。今日は、午前中に果樹園の選定枝を集める作業をしなければいけません。お天気が続くといいのですが(^o^)/

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購入した本の顔ぶれは

2018年03月17日 06時04分20秒 | 読書
先週末に、行きつけの書店で、注文してあった本を受け取りに行ったついでに、何冊かの新刊書を購入してきました。

  • 共同通信社原発事故取材班・髙橋秀樹編『全電源喪失の記憶〜証言・福島第1原発 日本の命運を賭けた5日間』(新潮文庫)
  • 帚木蓬生著『悲素』(上下、新潮文庫)
  • 香月美夜著『本好きの下克上』第4部「貴族院の自称図書委員」第2巻(TOブックス)
  • 橋本健二著『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)

このうち、『全電源喪失の記憶』は、地元紙「山形新聞」に配信されていた共同通信のルポをまとめたもので、かねてよりまとまった形で読みたいと希望していた(*1)ものです。単行本で出ていたのかもしれませんが、あいにく目に触れず、このたび文庫本で出たのを知って、ぜひにと入手した次第。
また、帚木蓬生『悲素』は、和歌山毒カレー事件を題材とした小説仕立てのもので、これもぜひ読みたいと思い、入手しました。ただいま、「うーむ、うーむ」と唸りながら読み進めております。
香月美夜『本好きの下克上』は、このところハマっているライトノベルの最新刊です。この第4部がいちばんおもしろいと感じます。
橋本健二『新・日本の階級社会』は、調査結果をもとに「格差社会」の実情を検討したもののようで、理系人間には最も弱い分野です(^o^;)>poripori

(*1):東京電力福島第一原発の全電源喪失のルポは単行本でも読みたい〜「電網郊外散歩道」2014年7月

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