電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

教育テレビ「オーケストラの森」で京都市交響楽団の演奏を聴く

2009年08月31日 05時29分40秒 | クラシック音楽
曇り空で涼しい日曜日、午前中に衆議院議員選挙の投票を済ませ、昨日のうちに出荷準備をしたプルーンを、農協に運びました。午後は、この春から東京勤務となった娘が一時帰省しており、妻と買い物に出かけている間に、少し離れた園地の草刈りに出かけました。亡父が植えた果樹の若木が育ち、実をつけ始めるまでになっておりました。そのうちの二本がたぶん新種のスモモで、ちょうど食べ頃でおいしくなっていましたので、コンテナ一個分くらいを収穫して来ました。明日、プルーンと一緒に、職場に持参する予定です。

夜は、ニュースを見ようと思ってテレビをつけたら、変則時間で大河ドラマ「天地人」をやっておりました。松方弘樹の徳川家康は、はまり役ですね。その後は、開票速報を少しだけ見て、いつもの時間にいつもの「N響アワー」を見ようと思ったら、月末第五週は「オーケストラの森」で、京都市交響楽団の番組でした。

いつも山響の演奏会を楽しんでおりますが、広上淳一指揮のロシア物の特集(チャイコフスキー、プロコフィエフ、ラフマニノフなど)で、若い才能が演奏するプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番の第3楽章など、演奏も楽しみましたが、京響が置かれた状況もよく理解できました。クラシック音楽の裾野を広げ、話題性と親しみやすさを向上させる取り組みがなされているようですが、売れ残った席を、後半券という形でも売りきろうという姿勢が、いかにも上方らしくて面白かった。全国各地のオーケストラの現状を伝えるこういう番組は、なかなか貴重な存在です。
コメント   トラックバック (1)

妻とプルーンの収穫後、銀山温泉へ行く

2009年08月30日 05時17分03秒 | 週末農業
週末の土曜日、久々にお休みです。明け方の雨も上がり、農作業日和となりました。我が家のプルーンがちょうどよい収穫期を迎えており、そろそろ野鳥が群がってきておりますので、昨年の轍を踏まない(*)ように、早めに収穫することにしました。



ごらんのように、20年目の樹がたくさん実をつけています。



場所によっては、こんなまばらなところもあります。高所作業台車から見下ろしたところです。



作業が一段落したら、この九月に妻の友人が来県する予定とのことで、銀山温泉への道を事前に教えてあげると約束しています。



ごらんのように、たくさん収穫できました。こんなコンテナが何箱もあります。



老母がパック詰めを指導してくれました。さすがに手早く、上手です。



午後に作業を再開し、一段落ついたところで、「つがる」りんごとともに近所の家におすそ分け。その後で車で銀山温泉に出かけました。車は共同駐車場に置いて、温泉入り口まで歩きます。当方もけっこう久しぶりです。



このあたりが、温泉街の中心部。ジニーさんの藤屋は、改装して外観がすっかり変わっておりましたが、他の旅館は昔のままです。奥の一段と高い塔が見えるのが、能登屋旅館です。



温泉街の一番奥の、滝の手前のあたりです。ここのカレーパンが名物なのですが、残念ながら夕方だったので、すでに売りきれておりました。妻も、だいたい道順がわかったようで、お友達を案内できそうだと喜んでおりました。

(*):「1週間遅かった~プルーンの収穫」~昨年の「電網郊外散歩道」より
コメント

アホ猫のつぶやき~「今夜はなまらナイト」よ!

2009年08月29日 05時11分36秒 | アホ猫
「バカ世界地図」(*1)でさんざんコケにされている山形、でも元気なローカル番組を見たり聞いたりするのは、ちょいと嬉しかったりするのよね~。あたしのご当地山形には、「今夜もなまらナイト」っていう番組があってね。これはあのお堅いNHK山形放送局のスタッフが、ぜ~んぶ方言=山形弁でしゃべり通すという番組なんだけど、これを放送したら、息もつかせぬ訛りっぷりが爆笑大人気で、もともとラジオの番組だったのが、総合テレビに登場するやら公開録音を敢行するやらこの四月には深夜枠で全国放送されるやら、2年間に8回の放送を重ねているそうなのね。

つい最近、この局の記者のおねえさんにもらった名刺に、NHK山形放送局のサイト(*2)が書いてあったのね。そしたら、この番組のバックナンバー(*3)が、一部だけど動画で見られるじゃない。純粋ネイティブの山形弁でしょう、もう、おかしくって、おかしくって。これなら、山形以外の人でも、笑ってもらえると思うんだげんと~。

お嫁に行ったお嬢さん、あたしをもらってきてくれた人だけど、彼女がこの番組のことが大好きでねえ。大笑いして聞いて(見て)いるんだろーなぁと思うわけなのよ。なんでも最新の予定は、この 9月4日(金)16:00~18:00 に NHK-FM で「今夜はなまらナイト・ジュニア」ってのをやるんだって。もちろん山形全域ローカル放送なんだけど、なんた内容だべなー。

えっ、そういうあたしは訛らないのかって?そりゃあ、あなた、先祖をたどれば「我輩は猫である」の悲劇はあたしの親猫の親戚の「またいとこ」っていうくらいに由緒正しい猫なのよ。そんな、山形弁なんか、しゃべるわけないべず~。いけないいけない、つい飼い主につられてしまうわ。困ったものよね~。

(*1):「バカ世界地図」から、日本→山形を見る
(*2):けっこう面白い~NHK山形放送局のサイト
(*3):こだな番組だず~「今夜はなまらナイト」ダイジェスト
コメント

ジュール・ヴェルヌ『気球に乗って五週間』を読む

2009年08月28日 06時22分48秒 | -外国文学
音楽CDもそうですが、本もタイミングを逃すと入手が困難になってしまうものです。発売されることを承知していながら、当時の懐具合の問題で入手しそこねたものなど、後にたいへん口惜しく思い出されます。例えば、集英社の『ジュール・ヴェルヌ全集』。

『海底二万マイル』や『十五少年漂流記』などは、各社の文庫で読むことができますし、『地底旅行』『チャンセラー号の筏』『神秘の島』など主だったところは、各社から発行されている翻訳で読むことができます。しかし、当時の『ヴェルヌ全集』が文庫で再発売されないものかと念願しておりました。それも、どうやら一度刊行されたことがあるようなのです。当方がパソコンに夢中になっている間に、貴重なタイトルを含めて、文庫化されたことがあるらしい。古書店の文庫の棚を見ると、そんなことがうかがえます。しかし、本書は歴とした改訂新版第一刷。劇画風の表紙は当方の感覚とはずれておりますが、手塚伸一訳の本文は読みやすいものです。



さて、本作品は、未知の大陸であったアフリカを気球で横断し、断片的な地理上の発見を跡づけようという冒険の物語です。知性的な探検家サミュエル・ファーガソン博士と助手のジョー、そして博士の親友の狩猟家ディック・ケネディが、二重構造の気球ヴィクトリア号を「操縦」して、アフリカ東海岸、インド洋に面したザンジバル島を飛び立ち、アフリカ西海岸セネガル川まで飛行する旅です。

未知の世界への冒険の船出が、現地でいつでも供給可能な自然エネルギー=風力に頼る帆船であるように、気球の旅もまた風まかせです。ただしヴェルヌは、電池やバーナーによって水素を加熱し膨張させ、垂直方向の移動を可能とし、気流に乗って飛ぶ操縦法を「発明」しています。

これ、ちょっと考えると合理的なようですが、実はここに一つだけ問題があり、五週間の飛行に必要な電力をブンゼン電池から継続して得ることが可能なのか、ということが説明されておりません。炭素と亜鉛アマルガムを電極とし、硫酸に二クロム酸カリウムを加えたブンゼン電池では、亜鉛極板の質量の減少分だけの電力を取り出すことができますが、哀れなフランス人牧師を発見救助するためアーク灯に使った電力も相当のものでしょうし、ちょいと無理っぽい。

まあ、そんな理系的ツッコミはわきに置いておくとして、ジュール・ヴェルヌの冒険空想科学小説第一作は、たいへんに面白いものです(^o^)/
コメント (2)

桃の季節~桃のヨーグルトでお腹は快調

2009年08月27日 05時25分44秒 | 週末農業
晩夏はうれしい桃の季節です。桃が大好きな当方は、皮をむいてそのまま食べたり、ヨーグルトに入れて食べたりします。山形県は、大きな桃の産地としてはほぼ北限に位置するのだそうで、当地の桃はいわば北限の桃です。自宅の桃は、桃専用の消毒をしていませんので、病虫害のために出荷は不可能ですが、傷みの少ないところを選び、なんとか自家消費は可能です。また、週末農業での桃の出来具合を知る近所の人が、どっさり分けてくれたものもあります(^o^;)>poripori
桃は賞味期間がごく短く、せっせと食べないとすぐに傷んでしまいます。デザートに、おやつに、桃が大活躍の季節です。



写真は、桃のヨーグルト。プレーン・ヨーグルトによく熟した桃を入れ、好みで少しハチミツをかけて食べます。上品な桃の甘さとヨーグルトの酸味がとけあい、絶妙の美味しさです。桃は傷みが来ているくらいの完熟ものがよく合います。当ブログには何度か登場しているネタですが、季節でもありますので写真を添えて再度のご紹介。お試しあれ。
コメント

茂木健一郎『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』を読む

2009年08月26日 06時36分01秒 | 読書
モンゴメリ『赤毛のアン』シリーズを読み始め、子供時代とは異なる読後感を持っていたころ、たまたま書店の新刊コーナーで、中年世代の一人である著者・茂木健一郎氏と『赤毛のアン』との組み合わせへの野次馬的関心から、本書を手にしました。
「まえがき」で、著者はこんなふうに告白しています。

それだけ『赤毛のアン』に夢中になっているということを、友人には言わなかった。何しろ、世間ではあまり男の子が読むべき本だとは思われていない。何となく恥ずかしいことだと思っていたのだろう。『赤毛のアン』が自分の愛読書だということを公言するようになったのは、ごく最近のことである。

そりゃそうでしょう。少女小説が好きな大学教授=ヘンタイ中年オヤジという連想が、即刻イメージとして駆けめぐり、一歩も二歩も引いてしまうんじゃなかろうかと思います。
しかし、『赤毛のアン』はたしかに面白い。住む家とあたたかい家族を得た孤児が、友情と努力のすえにパートナーとなるべき人を見つけるが、保護者の老いと死によって運命が一変し、田舎で暮らしつづけることを余儀なくされ、それを受け入れる物語です。成長期の少女ではなくても、思わず共感してしまう要素がたくさん詰まっています。

本書の構成は、次のとおり。
序章 「赤毛のアン」から始まった魂の旅
第1章 想像の余地のある人生
第2章 帰るべき家があるということ
第3章 運命の相手に出会うということ
第4章 大人になるということ
第5章 運命を受け入れるということ
第6章 幸福の花を見つけるということ
終章 旅の終着点
表題のとおり、「幸福になる方法」を見つけられるかどうかは読者次第じゃなかろうかと思いますが、高校生のころから愛読してきた読者による「赤毛のアン』シリーズの魅力の案内として読むならば、少女たちの感想とはまた違った発見の面白さがあるだろうと思います。当方、第三作『アンの愛情』を読んでおりますが、茂木氏の言うとおり『赤毛のアン」一作だけで完結しても良かったのかどうか、判断はシリーズをもう少し読んでからにしたいと思います。
コメント (4)

旅の空と音楽と

2009年08月25日 05時31分46秒 | Weblog
出張でも旅行でも、出かける際に、以前は必ず数種類のCDを持参したものでした。それほどたくさんのCDを聴けるはずもないのですが、なんとなく、選択できる余地があるという気分を維持したかったのでしょう。最近は、通勤の音楽でも、同一の曲をエンドレスで聴いていることが多くなりました。たくさんの音楽CDを持ち運び、気分のままに選ぶことを必ずしも求めなくなったのは、精神的なエネルギーの低下なのか、悟りの境地に入ったのか(^o^)/

旅の空の下では、音楽を聴いたり文庫本を読んだり、車窓を眺めたり、あるいは思いつきを備忘録に書き留めたりしています。同行者があれば話をしますが、だいたい私の話は芸能スポーツ方面の興味関心は欠落しておりますし、お天気と健康の話題(*)だけでは間が持ちません。健康診断で一つも異常が見つからないなんて、中年おじんどうしの会話の中では、話の接穂を自ら摘み取るようなもの(^o^)、興味関心が、やや世間とずれていることを自覚しつつ、静かに聞き手に回る方が賢明というものでしょう。

ぼんやりして車窓を眺めるときも、イヤホンで音楽が流れているのは良いものです。ある楽章だけを繰り返すこともあります。素人音楽愛好家は、飛ぶように流れ去る風景を見ながら、例えばベートーヴェンの交響曲第7番を、繰り返し聴くのです。

(*):映画「マイフェアレディ」で、発音は淑女になったイライザが、話題をお天気と健康の話だけに限定されます。でも、上品な話し方で話される中身は、たいへんな代物で、思わず唖然呆然(^o^)/
コメント (4)

急な東京行きで、山響定期を聞き逃す

2009年08月24日 05時48分22秒 | Weblog
週末まで出張続きで、日曜はなんとか休めそうだと安心していたら、朝っぱらから急な電話で、急遽東京へ。仕方がありません。田部京子さんのベートーヴェンの3番の協奏曲、しばらくぶりのドヴォルザークの第8番の交響曲など、ずっと待っていた山形交響楽団第199回定期演奏会。くやし~! 泣く泣く諦めました(T-T)

食事もそこそこに、たまたま机上に置いてあった文庫本を手に取り、急いで飛び乗った山形新幹線は、意外にすいておりました。電車の中で、持参した文庫本を開いてみたら、茂木健一郎『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』という講談社文庫でした。このところ、「赤毛のアン」シリーズを興味深く読んでいますので、ちょうど良いタイミングです。脳科学者が、というよりも、いい年をした中年オジンが、カナダのオバサンであるモンゴメリの「赤毛のアン」について、はたしてどんなことを書いているのか、ちょいと興味があります。
コメント   トラックバック (1)

異なるCDに収録された関連する楽曲を続けて聴く方法

2009年08月23日 05時21分05秒 | クラシック音楽
昔は、様々なLPレコードに収録された楽曲をカセットテープに録音・編集し、自動反転再生で60分を超える音楽を楽しんだものでした。このやり方だと、テーマ別や作曲年代順など、様々な編集が可能ですが、本来の収録時間を超える組み合わせは不可能です。二枚組のCDに泣き別れで収録されたドヴォルザークの交響曲の全楽章を続けて聴くことができるようになった嬉しさを、以前記事にした(*)記憶がありますが、実はそれだけではありませんでした。

例えばバッハのブランデンブルグ協奏曲全曲を、1番から6番まで通して聴いたり、ブラームスの交響曲を1番から4番まで続けて聴いたりするには、パソコンに取り込んだ音楽ファイルの再生リストを編集するだけで可能だ、ということに気がつくと、音楽史的な遊び心がうずきます。30歳になったベートーヴェンが、ウィーンで開催した演奏会のプログラムを再現し、若いベートーヴェンの息吹を確かめたり、モーツァルトと同時代の作曲家たちの、同じ時期の作品を並列して聴き比べたりするのは、たいへん興味深い試みです。

もちろん、CD-Rなどでも、圧縮して収録すれば同じことが可能なわけですが、そのためにはやはりいったんパソコンに取り込む必要があり、ならばそのままパソコン上で再生した方が面倒がなくてよい、とも言えます。
ある程度集まった音楽ファイルについて、「再生一覧(プレイリスト)」を新規に作成し、お目あての曲目を次々に追加していくだけで、あらたにリッピングする必要はない。もしかすると、これはカセットテープ時代の「編集の喜び」を、さらに簡便な形で再現してくれるものなのかもしれません。

(*):パソコンによる音楽再生の意外な恩恵~「電網郊外散歩道」より
コメント

藤沢周平『闇の穴』を読む

2009年08月22日 06時14分23秒 | -藤沢周平
新潮文庫で、藤沢周平『闇の穴』を読みました。
藩が窮乏すると、お定まりの倹約令が出ます。絹はダメで、木綿なら良い、とかいうお触れが出るわけです。庶民の暮らしにはほとんど無関係なことながら、中には赤子を失ったはなえのように、夫の許しを得て絹の着物を仕立て、実家で着て見せることで悲しみを紛らせ、ひとときの華やぎを喜びとする者も実際にいたかもしれません。冒頭の作品「木綿触れ」のように、狡猾な上役のために死んだ妻の仇を討つ下級武士の心情と憤りは、よく理解できます。

第二作「小川の辺」では、藩主に逆らい脱藩した妹夫婦の討手に、兄が選ばれます。妹もまた直心流の小太刀を修行した遣い手でした。出立前、住み込む小者の新蔵が、何かを決した表情で同行を願い出ます。勝気な妹の田鶴は、兄の言うことは聞かぬが、不思議と新蔵の言うことはきき分けるのでした。

第三作「闇の穴」。前二作が武家ものとすれば、後の作は市井ものです。別れた亭主が娘を連れて行きます。平穏な暮らしと引き換えに、なにやら得体の知れないつなぎ役をさせられますが、子供の病気で届け物が翌日になってしまったことで事態は一変し、闇の穴の向こうに恐ろしい男の姿を思い出すことになるのでした。

第四作「閉ざされた口」。殺人を目撃し、ショックのために失語症になってしまった娘。寄る辺なき貧しい母親は、事件後はじめて口を開いた娘を抱え、逃げに逃げます。逃げ切れて良かった。チンピラと本物の悪党の違いは、この迫力にあるのでしょう。対照的に、末尾の、気の弱い吉蔵の善良さが救いです。

第五作「狂気」。初老の大店の主人の秘密。幼女殺人事件の真相は、日常性の陰に隠された狂気でした。

第六作「荒れ野」。戒律を破った若い僧が、陸奥国を目指す旅の途中、あやうく行き倒れになりかけます。助けてくれた農婦は、なんと若い僧侶に干し肉を食わせるのでした。破戒僧とはいえ食う方も食う方ですが、やがて若い僧は、鬼女に食われて全滅した村を見つけ、農婦の肌に溺れ干し肉を食らった日々を思い返します。藤沢版鬼女伝説です。

第七作「夜が軋む」。アルトの女声による練達の朗読でききたいような、一人称で語られる身の上話の体裁をとったスリラーものです。子ども向けではありませんが、お盆過ぎの晩夏にぴったりの怖~い物語です。



昭和52年に刊行された作品とのこと。この頃、たしかボイジャー二号が地球を飛び立ち、ピンクレディーが人気絶頂、藤沢周平は充実した作品を発表しておりました。叔父たちの会話の中で、作家の名前を聞いてはおりましたが、実際に作品に接したのは、ずっと後のことでした。過ぎていった月日が、今さらのように思い出されます。

写真は、老母が育てているソバの葉です。適度に摘んで、ゆでておひたしにして食べると、なかなかおいしいものです。
コメント (2)

ウィルス対策ソフトとWindowsの更新で出張先のホテルの夜がつぶれる

2009年08月21日 05時50分45秒 | コンピュータ
出張先でホテルに泊まった夜、食事の後に、ノートパソコンをインターネットに接続し、WindowsXPを起動しました。このノートパソコンLavieは、しばらくぶりに電源を入れましたので、ウィルス対策ソフト AVG anti-virus の更新が始まり、バージョンアップせよと迫ります。それでは、というわけで、Install Now をクリックしたら、ずいぶん時間がかかりましたが、なんとか更新終了して再起動。

すると、今度は Windows Update が、やっぱり更新せよとのお達しです。仕方なくこれも OK しましたら、InternetExplorer7 のインストールが始まり、これがいつまでたっても終わらない。あきれ返って途中でキャンセルしたら、今度は更新の取り消し中と表示されて、延々と継続します。おかげで、ホテルの夜は定例のメールチェックもブログめぐりも中途半端になってしまいました。やれやれ、わざわざ重たい思いをして運んできた Windows パソコン、持ち主をユーザーではなく保守要員にしてしまうようです。

やっぱりこれは、出張用も Linux ノートPCがあれば、なんら問題ないのだなあ。ねえ、我が家の大蔵大臣殿(^o^;)/
コメント

古いパソコンの限界

2009年08月20日 06時11分21秒 | コンピュータ
単身赴任アパートで使っているメインのパソコン(FMV-6450CL3)が、途中で停まってしまいました。ちょうど昨年の今頃に、やっぱり調子が悪くなり、LAN ボードを増設して生き延びた(*)のでしたが、やっぱり、という感じです。OS は Vine Linux 3.1 ですので、通常は CTRL+ALT+Backspace で X-window system を中断することができるのですが、今回はマウスカーソルも動かず、あらゆるキーを受け付けません。ファンが停まって熱暴走したのかとも思いましたが、そうでもなさそうです。どうやら、メインボードのハード的な障害らしい。やむを得ず、電源を強制的に切断しました。考えてみれば、このマシンは Windows98 が全盛のころのものです。かれこれ十年にもなろうとしていますから、こうしたハード的な障害が発生するのもしかたがないことでしょう。むしろ、よく十年も動いたものです。

さて、今後どうしましょうか。当面は、サブ機として使っている、娘のお下がりの WindowsXP機(*2)で間に合わせることもできますが、ウィルス対策ソフトの常駐でレスポンスが低下し、もっさりした Windows をメインにはしたくない。やはり機敏で安心な Linux 機をメインに確保したいものです。メールや文書・データなどは、自宅のマシンにも確保してありますし、バックアップ体制もありますが、一応念のために FMV のハードディスクからデータを吸い上げて、次の Linux 機に移行しておきたいものです。

(*):古いFMVにLANボードとUSBボードを増設~「電網郊外散歩道」より
(*2):満身創痍のお下がりパソコンを起動しログインに成功~「電網郊外散歩道」より
コメント

藤沢周平『日暮れ竹河岸』を読む

2009年08月19日 05時59分08秒 | -藤沢周平
文春文庫で、藤沢周平『日暮れ竹河岸』を読みました。帯には「最晩年の記念すべき名品集~人の世の光と翳をえがく19篇」とありますが、内容は二つに分けられます。
一つは、1枚の絵を主題とし、1月から12月までの季節に対応した「江戸おんな絵姿十二景」、そしてもう一つは、広重「名所江戸百景」からの7編です。

「江戸おんな絵姿十二景」は、グラビア雑誌のページにあってもおかしくない、短いもの。場面はほとんど変わりません。ドラマティックな物語性はうすいのですが、文字通りの掌編、印象的なスケッチというべきものでしょう。「十三夜」などは、となりの鍛冶屋の女房がたずねてきて、やがて亭主が帰ってくる、それだけです。しかしその中で、近所の女たちの噂話や人間関係、妊娠の徴候、夫の帰りが遅いことへの疑いと不安の解消という、ゆれ動く気分が描かれます。

初出は、「江戸おんな絵姿十二景」が昭和56(1981)年~57(82)年、<広重「名所江戸百景」より>は1991年から96年にかけて執筆・発表されたものです。作者の没年は1997年ですので、最晩年というのは<広重「名所江戸百景」より>に収録された「品川州崎の男」「桐畑に雨の降る日」などでしょう。帯のコピーは少しばかり誇大というべきかもしれません。
コメント (2)   トラックバック (1)

金聖響+玉木正之『ロマン派の交響曲~「未完成」から「悲愴」まで』を読む

2009年08月18日 05時23分22秒 | 読書
講談社現代新書で、金聖響+玉木正之著『ロマン派の交響曲~「未完成」から「悲愴」まで』を読みました。
本書の冒頭で、玉木さんはロマン派の交響曲の多くが、心の底から好きにはなれないと苦笑します。ベルリオーズの「幻想交響曲」やチャイコフスキーの後期交響曲三曲などは大好きだが、シューマンとなると微妙なのだとか。メンデルスゾーンにいたっては、「イタリア」や「スコットランド」が「いいなと思ったことが何度かありましたが、とくに繰り替えして聴きたいとは思わない」(p.29)のだそうな。

これに対し、金聖響さんの回答する処方箋は「なるほど」です。まず量でカバーして、耳をその音楽に慣れさせよ、とのこと(p.32)。これは本当だと思います。当方の経験でも、通勤の音楽として繰り返して聴き、自宅のステレオ装置で音量を上げて耳を傾け、携帯音楽プレイヤーとイヤホンで細部まで聴き取るようにしていると、作曲家が心血を注ぎ、演奏家が努力を傾けた作品が、すんなりと心に届くようになるものです。

以下、本書の構成は次のようになっています。

プレトーク ロマン派って何?
第1章 シューベルトの交響曲 夭折の天才が遺した全8曲
第2章 ベルリオーズの交響曲 永遠の青年が描くリアルな「幻想」
第3章 メンデルスゾーンの交響曲 音の風景画家にして近代指揮者の祖
第4章 シューマンの交響曲 楽譜にこめた柔らかな「響き」
第5章 ブラームスの交響曲 知性と品格をたたえた絶対音楽の極み
第6章 チャイコフスキーの交響曲 哀しみが昇華した「快感」の音楽
アフタートーク

どうやら金聖響さんの処方箋は有効だったようで、玉木正之さんもロマン派の交響曲の魅力に目覚めたようです。実に目出度い(^o^)/
コメント (2)

某寺の若住職とクラシック音楽談義

2009年08月17日 06時00分20秒 | クラシック音楽
我が家では、菩提寺の他にも、近隣のお寺さんにもお盆礼にまわります。そんな関係で、お寺さんのほうでもお盆の期間中に、挨拶がてら回って来ます。今年から私が対応することになったため、先日、某寺の若住職と話をする機会がありました。読経の後でお茶を飲みながら、若住職が何気なく訊くのです。

「先日、ベートーヴェンの7番が聞こえましたが、あれはどなたのご趣味で?」
「あっ、私です。ほとんど唯一の道楽で・・・」
「そうですかぁ。で、指揮は?」
「ジョージ・セルです。」
「クリーヴランド管弦楽団ですか。」
「はい~、'59年の CBS(EPIC)録音。」
「いやぁ、渋いですね~。」

その後は、音楽談義とあいなりました。
近頃、山響が元気なこと、プログラムが魅力的なこと、県民会館と比べて山形テルサホールの音響が良いことなど、くしくも意見が一致してしまいました(^o^)/
年代はだいぶ違いますが、若住職もかなりのクラシック音楽ファンと見ました。以前はアンチ・カラヤンを標榜していたけれど、今は彼のDVDを集めて楽しんでいるそうな。
いや~、灯台下暗しです。当地のような超ど田舎に、ほかにもクラシック音楽ファン・山響ファンがいたなんて。ちょいと嬉しい、いやいや、かなり嬉しい(^o^)/
コメント