電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

今日は、山形弦楽四重奏団第34回定期演奏会

2010年01月31日 06時37分48秒 | Weblog
昨日は、某氏のご母堂の葬儀に出席し、そのあと諸雑務をこなし、なんとか一日を終えることができました。とうとう村川千秋さんが指揮する最後の演奏会にもいけませんでした。そういう年代だから仕方がないとはいうものの、残念無念です。

さて、本日1月31日は、山形弦楽四重奏団の第34回定期演奏会です。夜7時から、山形市の文翔館議場ホールにて。すでに妻と二人分の前売券を購入しており、万難を排して出かける構えです。全曲目、ほとんど事前予習なしのぶっつけ本番。おねがいだから、突然の用件・事件が勃発しませんように!アホ猫よ、ちゃんと留守番をしているんだぞ!
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私の好きな「第6番」

2010年01月30日 06時12分43秒 | クラシック音楽
クラシック音楽のオールジャンル中から、番号という共通性だけで、好きな曲を1作曲家1作品、計10曲を選定するという実に無謀な試み(*)の「第6番」です(^o^)/

J.S.バッハ ブランデンブルグ協奏曲第6番
ハイドン 交響曲第6番「朝」
モーツァルト 弦楽五重奏曲第6番
ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」
メンデルスゾーン 弦楽四重奏曲第6番
ショパン ポロネーズ第6番「英雄」
ドヴォルザーク 交響曲第6番
チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」
マーラー 交響曲第6番
マルティヌー 交響曲第6番

【次点】
ブルックナー 交響曲第6番
プロコフィエフ 交響曲第6番
ヴィラ・ロボス ブラジル風バッハ第6番~FlとFgのための

こんなところでしょうか。バッハでは、無伴奏チェロ組曲第6番なども考えましたが、ヴィオラ・ダ・ガンバの音色の魅力で、やっぱりブランデンブルグ協奏曲を選んでしまいました。
モーツァルトは、ヴァイオリン協奏曲第6番なども考えましたが、偽作との噂(^o^)もあり、チャイコフスキー以下の暗~い音楽を中和する意味もあって、明るいクインテットのほうを(^o^)/
こうしてみると、交響曲ではベートーヴェンとドヴォルザークの第6番の幸福感と、チャイコフスキー、マーラー、マルティヌーなどの悲劇性を持った第6番と、ずいぶん対照的です。第5番の交響曲では、あのハ短調交響曲を意識せざるをえないように、ベートーヴェンの「田園」を意識したのか、チャイコフスキーがどよ~んと提示した悲劇性が、後の作曲家にはよっぽどインパクトがあったのかもしれません。

ヴィラ・ロボスの「ブラジル風バッハ」第6番は、過日のNHKのFM放送で知った魅力的な曲です。フルートとファゴットの掛け合いは、一度実演で聴いてみたいものです。
プロコフィエフの交響曲第6番は、紙箱全集で購入した小沢征爾盤の中で、この第6番と第1番のカプリングだけが見当たらない。たぶん、「古典交響曲」あたりが目当てで子供が借りて行ったままずぼらを決め込んでいるのでしょう。困ったものです(^o^;)>poripori

(*):これまでの結果~私の好きな「第○番」の過去記事~「第1番」「第2番」「第3番」「第4番」「第5番
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今年の備忘録ノートはA5判のSystemicにキャンパス・ハイグレード

2010年01月29日 06時05分28秒 | 手帳文具書斎
今まで、ブログのネタ帳として、コクヨのB6判らせん綴じノートを使ってきましたが、2009年の備忘録が6冊を超えたのを契機に、7冊目からコクヨのカバーノートSystemicを使い始めました。2010年も、引き続き同じノートを使っております。使ってみて分かった便利な点、不便な点は以下のとおりです。

■便利な点
(1) 紙面が大きくなるため、ネット上の URL や深いディレクトリ(フォルダ)構成など、1行が長くなりがちなものを記録するには便利です。
(2) ノートの紙質を吟味し、澪ペーパーを用いたキャンパス・ハイグレード・ノート(A4判)を差し替えて使っているため、万年筆の裏抜け、裏写りも少なく、ボールペンの書き味もたいへん良いと感じます。
(3) デザインがしゃれています。表紙のポケットにちょっとしたメモを入れておけますし、ゴムバンドも思った以上に便利です。

■不便な点
(1) 二つ折りにして膝の上でメモすることができにくい。広げたままだと、演奏会などでメモをとるには、ちょいと目立ちすぎ(^o^;)>
(2) A5判という大きさだと、ふつうの男性用のポーチやセカンドバッグにはやや大きすぎるようです。入ることは入るのですが、さっとすぐに取り出せるという具合にはいかないようです。

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青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』を読む

2010年01月28日 06時15分45秒 | -ノンフィクション
ベートーヴェンの生涯を描いた小型の本には、ロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』をはじめとして、有益なものがたくさんありますが、さらに素晴らしい本が加わりました。平凡社新書で、青木やよひ著『ベートーヴェンの生涯』です。コンパクトですが、価値ある本だと感じます。クラシック音楽に関心のある方、ベートーヴェンという人間に興味のある方には、ぜひご一読をおすすめいたします!

著者について、以前『ベートーヴェン・不滅の恋人』という文庫本で、アントーニア・ブレンターノ説(*1)を提唱した人と知りました。その後、様々な発見から、この説がほぼまちがいないものとして認識されていると思っています。著者らしく、ベートーヴェンの周囲の人間模様、家族や女性たちや友人、後援者たちについても、その人間性を推し測りながら、作曲家の姿を描いていきます。一度読了して、現在再読中。以下、気づいたことをメモしました。

■ベートーヴェンの祖母について。これは、意外な盲点でした。

ベートーヴェンの祖母は、「かなり早い時期からアルコール依存症となって修道院の施設に収容され、そこで亡くなっている。(中略)祖父を尊敬し、後年その肖像画をボンからとり寄せて終生身辺に飾っていたベートーヴェンも、祖母については何も語っていない。」(p.16)

■ベートーヴェンの母親について。彼女は、ロマン・ロランが言うようないやしい身分ではないとのこと。彼女の父親は宮廷の料理長であり、親戚には企業家や参事会員や高位の聖職者もいたことがわかっているそうです。脚注には、このような誤解の原因として、ロマン・ロランが依拠した、シントラーの伝記の記述をあげています。ここで、シントラーの伝記の怪しさ(*2)がすでに見えています。

■ベートーヴェンの父親像について。宮廷楽長だった父(ルートヴィヒの祖父)の反対を押し切り、21歳の未亡人と結婚したということですが、この女性がベートーヴェンを産みます。祖母とは違い、辛抱づよい妻であり、優しく愛情ふかい母親だったらしい。ところが、父親が勤めていた宮廷楽長の地位を得ることができなかった劣等感や、妻子だけでなく施設にいる母親の面倒をみなければならない責任も負担だったのか、父(祖父)の死を契機に深酒に溺れ始めます。このあたり、堕落した悪人という見方は必ずしも適切ではないようで、同情の余地があります。

■ベートーヴェンの読書のきっかけについて。これは、やっぱりブロイニング夫人の影響が大きいようです。

ブロイニング家には、古典としての哲学書や文学書があっても当然だが、それに加えてクロプシュトック、ヘルダー、ゲーテ、シラーなどの同時代のドイツ文学や詩の本も揃っていた。(p.32)


■ベートーヴェンのパトロンたちについて。
ピアノ協奏曲第4番を献呈されているルドルフ大公は、オーストリア皇帝の異母弟で、1806年当時18歳、ベートーヴェンは36歳ですので、ちょうどダブルスコアです。彼は、病弱のため軍務につけず僧職を運命づけられていたそうで、これは意外!もっと年長の、いかめしい人かと思っておりました。幼い頃から音楽の才に恵まれ、15歳で自ら望んでベートーヴェンを師としたとのこと。たいへん温厚な性格だったために、ベートーヴェンと対立していない、とあります。

■ハイリゲンシュタットの遺書について

ここで彼が決別しようとしたのは自分の「生」そのものではなく、それまですがってきた(快癒という)「希望」だった。それが失われた代わりに、天才の自覚が生れたのだ。そういう意味でこの文書は、「遺書」というよりもむしろ信条告白であり、彼の内面における死と回生の道筋を示す記録として読まれるべきであろう。(p.115-6)

耳疾の快癒という希望を封印した記録。なるほど、過去と決別し、運命と戦う作曲家の誕生として読むならば、よく理解できると納得の文章です。

そのほか、ナネッテ・シュトライヒャーとピアノの発達など、興味深い内容が盛り沢山です。全部を抜粋するわけにもいきませんので、このくらいにしておきますが、再読でも興味深い発見がたくさんあります。著者らしい、フェミニズムの香りも少~しだけいたしますが、これはなかなか興味深い本です!

実は、本書が著者の絶筆だった(*3)そうで、ご冥福をお祈りするとともに、素晴らしい本を残していただいたことに心から感謝したいと思います。

(*1):青木やよひ「ベートーヴェン≪不滅の恋人≫研究の現在」~国立音楽大学・音楽研究所のサイトに掲載されたPDF
(*2):アントン・シンドラーに関するWikipediaの記述
(*3):青木やよひ先生最後のベートーヴェン~「知と文明のフォーラム」に掲載された平凡社新書編集者の弔辞

【追記】
後で読んでみたら、末梢的なことばかりに感心しているような文章になっていましたので、「ハイリゲンシュタットの遺書について」の項を追記しました。また、シンドラーについては素人が根拠なく誹謗しているように見えるおそれがあると考え、 Wikipedia の記述を参照するようにしました。
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自宅で食べる食事は

2010年01月27日 06時14分54秒 | 料理住居衣服
週末に自宅で食べる食事は、一人で食べる単身赴任料理とは違い、格別に美味しく感じます。もちろん、妻の手料理と老母の煮物・漬物を、私のいい加減な単身赴任手抜き料理と比べる方が間違っているのですが(^o^)/

写真は、過日おいしく食べたときのもので、お菓子の型を利用した海老とサーモンの押し寿司と納豆汁。ちょっぴりサラダ等も見えています。残念ながら、味も見た目も、私にはこういう芸当はとてもできません。さすがに主婦の実力を感じます。さらに、老母の白菜漬や青菜漬などが加わりますので、週末に、単身赴任先から帰宅するのが楽しみです。

もちろん、アパートでは大音量で音楽を聴くことができないが、自宅ではステレオ装置で存分に音楽を聴けるのが楽しみだ、などということを第一の理由にあげてはいけません。当家の平和のためにも(^o^)、まず第一に感謝すべきはおいしい家庭の味であることに、心すべきでありましょう。ごちそうさまでした!

エッ、あ、ごめん。写真、載せちゃった(^o^)/
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アホ猫が語る映画「沈まぬ太陽」

2010年01月26日 06時19分22秒 | 映画TVドラマ
あのね、このあいだね、ご主人と奥さんが、二人揃っておでかけしたのよ。なんでも、「沈まぬ太陽」とかいう映画を観てきたんだって。腰がいたいとかいいながら、エサも獲れないのに、三時間もかかる映画を観てくるんだから、まったく人間ってアホよね~。

それで、二人とも感動して帰ってきたんだけど、話を聴いていると、なんかおかしいところがあるのよ。恩地さんとかいう主人公が、御巣鷹山の飛行機事故の遺族係を担当するんだけど、遺族の気持ちになって対応してくれて、とっても心優しい人なんだって。だけど、その人は、ひどい会社のせいで、何年間もアフリカに左遷されていたんだって。そのあいだ、狩猟をしてうっぷんをはらしていたそうなんだけど、あたしのカンでは、エサにするわけでもないのに巨象を銃で一撃で撃ち殺す人が、心優しい遺族係と同一人物だなんて、信じらんな~い!ぜ~ったい違う人よねっ!

ご主人の単身赴任の経験からして、長い単身赴任生活は、楽しみがなければやっていけないそうよ。趣味・道楽よね~。アタシたちネコ族と違って、人間たちは弱いからね~。アフリカで、狩猟が楽しみだったんじゃない?アタシたちと親戚のネコ族を剥製にする?そんな、食べるわけでもない殺戮なんて、ひどい仕打ちよ!

アタシだったら、主人公を二人にして、びっくり行天さんを悪役にしないで、国内左遷で遺族係にしたほうが、はじめの優柔不断な性格とつじつまがあうと思うんだけどな~。ひどい会社が二人の友情をアフリカと国内に分けて押し流すけれど、大事故で再会する、みたいな~。

えっ?原作と違うって?原作ってなあに?人の名前?


をいをい、アホ猫よ、クルミの脳みそで、いい加減なことを言ってるんじゃないよ。二人とも、とっても感動したんだから、そんな水を差すようなことを言わんといて。ほらほら、イスが毛だらけじゃないか!
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ベートーヴェンの聴覚障碍の原因について

2010年01月25日 06時21分41秒 | クラシック音楽
音楽家にとって、ふつう聴覚障碍(がい)というのは致命的なものだろうと思います。ベートーヴェンの生涯と創作を考える上で、彼の難聴、聴覚障碍の原因が何であるのか、興味深いものがあります。

ベートーヴェンの場合、ウィーンに颯爽とデビューし、レガート奏法と即興演奏の技量もあって、社交界の寵児となっていた20代の後半に、その兆候が現れてきたようです。したがって、子供の頃に厳格な父親に殴打されたための鼓膜の損傷のせいではありえません。

また、酔っぱらいの父親の不行状に由来する先天性の梅毒や、ベートーヴェン自身の責任に帰すべき梅毒によるものという考えもあるようですが、もし原因が梅毒なら、20代後半という難聴の発症時期は早すぎますし、50台後半という死亡時期は遅すぎます。当時の医学水準から見てもっと若いうちに死亡している可能性が高いでしょう。ところがベートーヴェンは50代後半まで長生きしていますし、梅毒性難聴のスメタナ(50代で発症)と違って若いうちに難聴になっています。息子にトレポネーマ(スピロヘータ)を伝えたことになる母親も、また最初に感染したことになる父親も、梅毒で死亡したというような事実はありませんから、これはありえないと思われます。もっと決定的なのは、ベートーヴェンの遺髪鑑定で、当時、梅毒の治療に用いられていた水銀の蓄積が見られない(*)こと、などが挙げられます。

ロマン・ロランのように、創作時の極度の神経の集中による脳神経系の損傷という考えは、レオン・フライシャーのジストニアの例もありますので、ありえないことではないようですが、実はもっとはっきりした別の証拠があるようです。

それは、ベートーヴェンの遺髪や頭骨を現代の技術で分析した結果、基準値を大幅に超える鉛が検出された(*)、というものです。慢性的な鉛中毒は、胃腸障害のほかに、聴覚などの神経系にダメージを与えます。さらに、怒りっぽくなるなど気分障害、ひどくなると人格障害も生じるらしい。ベートーヴェンのよく知られた様々な特徴が、鉛中毒という症例によくあてはまります。

ただし、なぜ鉛中毒になったか、という理由は明らかではありません。腹水穿刺の際に、消毒に鉛化合物を使ったため、という事情もあるようですが、そもそもなぜ腹水がそんなにたまるのか、説明できません。好んで食べていた川魚が汚染されていた、とする説もあるようですが。

そこで、推測されるのは、ベートーヴェンの祖母がアルコール依存症で施設に入所しており、彼の父親も極度のアルコール依存症だったという環境であり生育歴です。ベートーヴェン自身もかなりワイン類をがぶ飲みしたようですし、若さゆえの鯨飲もあったことでしょう。
粗悪なワインが、品質の高いワインの味を装う古典的な手法が、ごく少量の鉛塩(酢酸鉛など)を加えるというものです。お酒を一番たくさん飲む若い時代はまた経済的なゆとりの少ない時期でもあります。値段の割においしく感じられる特定の銘柄を好んで飲んでいたとすれば、それが鉛入りのものだった可能性があります。

ベートーヴェンの難聴の原因を鉛に求める説に対して、それならばもっと多くの人が難聴になるはずだ、という反論がありますが、もしタイムマシンに乗って18世紀のドイツやオーストリアに行ったとすると、アルコール依存症患者の聴覚障碍発症率は有意に高かったという結果が出るのではないか。一般庶民でなく、音楽家ベートーヴェンだから注目されたにすぎない、と考えます。

現代人は、昔の医学水準を蔑視する傾向がありますが、投薬や治療の方法に時代の限界はあるものの、医学の基礎基本である症状の観察は的確であることが多いようです。どうやら、彼の周囲にいた医師たちは、難聴の原因を胃腸障害に求めていたようで、これはまさしく原因解明の糸口を見事につかんでいたことになるでしょう。

(*):楽聖ベートーヴェンの遺体鑑定~解剖、遺髪・遺骨の分析結果など~関西大学法医学講座「法医学鑑定の話題」より
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オトマール・スウィトナーの音楽

2010年01月24日 06時14分40秒 | -オーケストラ
先日、ニュースで指揮者のオトマール・スウィトナー氏の逝去が伝えられたところ、多くのブログで追悼記事が掲載されました。LPやCD等の録音はもちろんのこと、多年にわたりN響で指揮をされ、実演や放送等で親しまれてきた音楽家だけに、音楽に向き合う誠実な姿勢がよく知られており、多くの方々に愛され惜しまれたことを如実に示す事実でしょう。

当方も、ここしばらく、通勤の音楽としてスウィトナー指揮のベートーヴェンを聴いておりました。交響曲第3番「英雄」と第6番「田園」です。また、週末には、これまでのN響アワーの録画から、スウィトナー指揮のものを探しだし、映像を見ながら、あらためてじっくりと音楽を聴きました。

(1)ドヴォルザーク 「チェロ協奏曲」、ミッシャ・マイスキー(Vc)、1988年3月16日の演奏会の録画、(2003年の6月8日放送)
(2)ウェーバー 歌劇「魔弾の射手」序曲、(2002年7月13日の放送)
(3)ブラームス 「交響曲第3番」の練習風景、(2002年7月13日の放送)
(4)ブラームス 「交響曲第4番」第4楽章、1986年12月3日、NHKホールでの演奏会の録画、(2002年7月13日の放送)
(5)モーツァルト 「交響曲第40番」、1989年10月31日、サントリーホールでの演奏会の録画、(2002年7月13日の放送)

指揮ぶりは朴訥ですが、実に自然な、いい音楽ですね!
堅実な構成の中で、旋律を大切にした繊細な歌心あふれる音楽。響きは突出せず、弦楽の中低音を基軸とし、裏地まで上質な仕立てのスーツのよう。

そうそう、ブラームスの交響曲の練習風景で、面白いことを言っていました。

とても響きはきれいです。
でも、ブラームスは大阪的ではなく、北海道的なのです。
つまり、北ヨーロッパの性格ですから、時々固く演奏してください。

ブラームスは大阪的ではなく北海道的!実にわかりやすい比喩です。何度も来日して、日本のことをそれだけよく知っていたということなのでしょう。ベートーヴェンやモーツァルトは定評のあるところですが、スウィトナーのブラームスやシューベルト、ドヴォルザークもまた素晴らしいです。マイスキーとのチェロ協奏曲など、素晴らしい名演だと思いました。

そういえば、今日(1月24日)は、午前9時から NHK-FM でも追悼番組が放送される(*1)ようです。こちらはN響だけではなくて、ベルリン・シュターツカペレやドレスデン・シュターツカペレとの演奏で、

シューベルト 「ロザムンデ」より「間奏曲」
モーツァルト 交響曲第36番「リンツ」より第2楽章
モーツァルト 管楽器のための協奏交響曲、変ホ長調
ブルックナー 交響曲第7番(ノヴァーク版)

という内容のようです。解説の諸石幸生さんがどんなコメントをされるかも興味深いところです。1989年の来日を最後として、病気のために引退されたあたりの事情(*2)なども、話の中で出てくるのでしょうか。

(*1):NHK-FM「20世紀の名演奏~N響名誉指揮者 追悼オットマール・スウィトナー」

【追記】
当ブログによくコメントをいただく望岳人さんによる、スウィトナーの追悼記事(*2)を経由して、息子が撮影した父親のドキュメンタリーの存在を知りました。この映画を、ぜひ観たいものです。(*3)として、この映画のことを紹介した記事を掲載しました。

(*2):指揮者のオトマール・スイトナー氏逝去~「日々雑録 または 魔法の竪琴」より
(*3):ドキュメンタリー「父の音楽~指揮者スイトナーの人生」
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あの頃のあの製品をもう一度、という気持ち

2010年01月23日 06時15分35秒 | クラシック音楽
団塊の世代が定年退職し、書斎を作ったり趣味のオーディオを再開したり、といった動きがあるのだそうです(*)。そういえば、アンティーク・オーディオなどというジャンルがあり、一定の市場を形成しているのだとか。いくつかのブランドの良心的な製品を、修理しながら長く使い、懐かしさと満足感を味わえる、という点が魅力のようです。昔話が得意になるのは、老人の仲間入りをした証拠だと笑われそうですが、本日は懐かしいカタログを見つけましたので、オーディオ機器とイルミネーションに関わる空想・妄想です。

オーディオ機器からイルミネーションが消えて、長い期間がたちます。オーディオ・ブームの時代には、明るく華やかなイルミネーションを持っている製品がありました。代表的な製品として、パイオニアのレシーバ SX シリーズなどがあります。電源を入れると、FM の周波数表示部が青色に光り、ダイヤルを回すとオレンジの指針が移動する華やかな色彩は、見ているだけでも楽しいものでした。



ところが、いつからか、イルミネーションの照明に電気が食われ、音が悪いと言われるようになり、カー・オーディオは別として、オーディオ機器から美しく光る表示がなくなっていきました。屋外のイルミネーションが派手になるのに反比例して、オーディオ機器は黒か白のストイックなデザインになり、有機 EL の時代になっても、派手なイルミネーションを持った製品は登場していません。



パソコンで再生している曲の情報が、ディスプレイに表示されるのは、たいへん便利なものです。文字の大きさが小さくて見にくければ、自由に大きくできます。ところが、趣味のオーディオ機器の場合は、表示の明るさも文字の大きさも、もちろん曲の情報も、ちゃちなパソコンの CD ドライブに劣ります。もし、オーディオ機器の前面に、離れても視認できる程度に文字の拡大が自在な明るい表示部を持ち、リモコンで比較的簡単に操作可能で、全体のデザインは昔のイルミネーション・デザインを再現したものであったら、どうでしょう。
印象としては、60年代末のパイオニアの「総合アンプ」 SX-45/65 のような、夜空のイメージです。真っ黒な機器の前面が、電源スイッチを入れると夜空のように光り、操作するとカラフルな文字が光って浮かび出る。音量を調節できるように、表示される文字の大きさや明るさは何段階かに調節できる。少なくとも、安っぽい液晶表示ではない。あるいは、UA シリーズのチューナのようなデザインであれば、黒っぽい印象は薄らぎ、より明るいイメージになります。



サンスイの格子調スピーカの復活とまでは願いませんが、オリンパス・ペンを現代のデジタルカメラとして蘇らせた今の技術なら、充分にありうると思うのですが、どんなものでしょう。それとも、そんなことはとっくに検討ずみで、企画性なし、ということなのかもしれませんが(^o^;)>poripori

(*):書斎や書斎コーナーがブームに~「電網郊外散歩道」
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高橋義夫『日本大変~三野村利左衛門伝』を読む

2010年01月22日 06時23分18秒 | 読書
『風吹峠』で印象的な女医の姿を描いた作家の作品(*1,*2,*3)を続けて読んでおりますが、こんどはビジネス書のダイヤモンド社から刊行された、高橋義夫著『日本大変~三野村利左衛門伝』を読みました。

荘内藩士から浪々の身となった父と共に放浪の生活を送った経歴を持つ紀伊之国屋利八は、養子に入った商家を身一つで立て直すために、金平糖売りの行商をしています。しかし、幕末の世情の中で、一夜にして分限者となり、その才覚が注目を集めます。出入りの小栗家の部屋住みの書生・剛太郎が勘定奉行として出世していくのにあわせて、三井家に雇われることになり、両替商として、外国貿易や為替などの商売に辣腕をふるい、やがて三野村利左衛門として明治維新後に実権を掌握します。

明治維新とはいうものの、実際は中身のない大雑把な議論だけがはばをきかせ、数字を伴う実質的な経済政策などなく、目を付けた他人の資産を無理矢理奪っていくようなやり方だったことがよくわかります。そりゃ、テロリストの集団が政治家として通用する時代ですから、当時の商人たちは度胸を据えてかからねばならなかったのでしょう。それだから、三野村利左衛門のような、雪の越後で寒さと空腹で死線を彷徨った記憶を持つ者の出番だったのかもしれません。

ビジネスを、人の面から描いてはおりますが、三井の店の商売のどんぶり勘定のプロセスを改革するところなどは、けっこうリアルなところもあります。このあたり、作者は相当に経済的な視点から研究したようです。

(*1):高橋義夫『風吹峠』を読む~「電網郊外散歩道」
(*2):高橋義夫『御隠居忍法』を読む~「電網郊外散歩道」
(*3):高橋義夫『かげろう飛脚~鬼悠市風信帖』を読む~「電網郊外散歩道」
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イタリア土産のDALLAITIのボールペン

2010年01月21日 06時28分52秒 | 手帳文具書斎
先日、ヨーロッパを旅行してきた某嬢から、イタリア土産のボールペンをいただきました。DALLAITI(ダライッティと読むのでしょうか)というのは、 2000年にできたイタリアのブランドだそうです。ごらんのとおりハイカラで、ど田舎暮らしの中年ヲジサンには気恥ずかしくなるようなデザインです。リフィルはパーカー互換のようで、独自のものではないようなのがありがたい。書き味は、いかにも油性の重さです。Jetstream に慣れた身には、いささか鈍重な感じがします。でも、お洒落なデザインは、いいですねえ。こういうのをさりげなく使えるような、ダンディさがほしいところです(^o^;)>poripori



通勤の音楽は、スウィトナー指揮でベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と第3番「英雄」を聴いております。テレビで何度も親しんだN響との演奏を、懐かしく思い出しております。
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ベートーヴェンの「ピアノソナタ第14番」を聴く

2010年01月20日 06時17分42秒 | -独奏曲
ベートーヴェンのピアノソナタ第14番から、「月光」という標題のイメージを取り去って音楽を聴くことは難しくなっていますが、あえてそれを試みてみたいと思います。これは、素人音楽愛好家の感想と考えですので、あるいは大きな勘違いかもしれず、その場合はひらにご容赦を(^o^)/

ベートーヴェンは、1801年に、第13番Op.27-1とこの第14番Op.27-2を、「幻想曲風ソナタ」と題して発表しています。この年の6月には、数年越しの聴覚異常の治療が効果を示さず、演奏や作曲にはほとんど支障はない(聞こえることは聞こえる)が、絶えず続く耳鳴りのために、会話を聞き分けることが難しく、反対に大声をあげられるとそれが耐えられないという悩みを、友人の医師ヴェーゲラーと牧師アメンダに手紙で書き送っています。ウィーンに颯爽と登場し、社交界の寵児となったベートーヴェン、圧倒的なピアノ演奏の技量とレガート奏法により、ご婦人方の人気をさらっていたベートーヴェン。悩みは深かったでしょう。

第1楽章、アダージョ・ソステヌート、嬰ハ短調、2/2拍子。譜面にある、Si deve suonare tutto questo pezzo delicatissimamente e senza sordini. とはどういう指示なのでしょうか。デリケートに、というような意味かと想像しています。次第にはっきりとしてくる聴覚の異常におびえながら、pp で奏される神秘的で静かな旋律にじっと耳を澄ませる姿を想像すると、自分の聴覚を確かめるように静かにピアノに向かう音楽家の姿は、幻想的ではありますが悲劇的でもあります。フェルマータの後、アタッカで次の楽章へ。
第2楽章、アレグレット、変ニ長調、3/4拍子。雰囲気的には一番安定したもので、続く第3楽章へ接続する役割を持つ、スケルツォ楽章でしょうか。
第3楽章、プレスト・アジタート、嬰ハ短調、4/4拍子。焦燥感、苛立ちを強く感じさせる、激しい音楽です。思わず興奮させられるこの音楽こそ、この第14番のソナタの本質なのでしょう。運命に苛立つ、激情の音楽!

テレーゼとヨゼフィーネのブルンズウィック姉妹とは従姉妹にあたる、ジュリエッタ・グイッチャルディとの恋愛は、身分の差などもあり実らずに終わりますが、これは彼の初恋と思われるヴェスターホルト男爵令嬢ヴィルヘルミーネ以来、何度も繰り返されてきたことでした。社交界の寵児といえども、若いベートーヴェンは身分の差を蹴っ飛ばすほどの自覚はまだ持っていない頃でしょう。

いっぽう、17歳の少女のコケットリーを指摘するのはたやすいことです。ですが、31歳のベートーヴェンが、ただ容貌が可愛いからというだけの理由で、結婚を意識するほど夢中になるとは思えません。ベートーヴェンの聴覚障碍(がい)の実状を、もしかしたらジュリエッタは気づいて、知っていたのではないか。彼の運命に同情してくれてもいたのではないか。だが、身分の差を乗り越え、聴覚障碍というハンデを持ちつつある自由な音楽家との恋愛を全うしようという勇気は、17歳の少女には持てなかったのではないかと思われます。この曲が、去って行った少女に献呈されているのは、なにやら象徴的なことのように思います。

このように考えるならば、「月光」という標題はあまり意味をなさない。第1楽章にのみ心を奪われる結果、終楽章の激情の意味を、とらえそこねることになると思います。もちろん、散歩の途中で盲目の少女のために即興演奏をしたというような創作されたエピソードからも、終楽章の激しさを理解することは困難でしょう。

では、ベートーヴェンの聴覚障碍の原因は、いったい何だったのか。これは、また別の機会に。

写真は、2枚のCDが ブルーノ・レオナルド・ゲルバー(Pf)の DENON 盤(33CO-2539)とディーター・ツェヒリン(Pf)による MyClassicGallaery という全集分売盤(GES-9250)、そして LP のほうは、昔懐かしい日本コロムビアの廉価盤ダイヤモンド1000シリーズ、アルフレート・ブレンデル(MS-1052-VX)の最初の録音です。

■ブルーノ・レオナルド・ゲルバー(Pf)盤
I=6'38" II=1'53" III=7'19" total=16'50"
■ディーター・ツェヒリン(Pf)盤
I=5'36" II=2'05" III=6'55" total=14'36"
■アルフレート・ブレンデル(Pf)盤、VOX 旧録音
I=5'55" II+III=9'53" total=15'46"
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お供え餅をなんとかしなければいけないので

2010年01月19日 06時13分21秒 | 料理住居衣服
お供え餅をなんとかしなければいけないので、なんとかしました。
キムチ雑煮。
あったまる~。
寒いときには、これに限ります。多少アオカビがはえていようが、表面を削ってしまえば、キムチのにおいで帳消しさっ!

いつもと口調がちがうのは、たぶんアオカビのペニシリン成分のアナフィラキシーショックかも(^o^)/ahoka~
昨日の山響記事朝晩二連発で、ネタ切れでありんす(←「JIN~仁~」風に)

※うーん、夜にアホな文章を書いて翌朝に後悔するという話は聞いたことがありますが、朝にアホな文章を書いて、その日の夜に懺悔するというのは、あまりないような気がします(^o^)/
しょうもない記事ですが、明日のネタはできたので、このままにしておきましょう。
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山響第202回定期演奏会~大作曲家の青春時代~を聴く(2)

2010年01月18日 20時59分55秒 | -オーケストラ
山形交響楽団第202回定期演奏会~大作曲家の青春時代~の後半は、第2回「山響作曲賞21」受賞作品、壺井一歩さん(*1)の「はるかな祭と海」から。まずは、飯森さんが作曲者をステージにて紹介し、選考経過などを話します。続いて、作曲者御本人が作品の中で特徴的なところを紹介し、それを山響が実際に音にします。たとえば、第1楽章のほら貝のような音や、第2楽章の汽笛のような響き、あるいは民謡風の二つの旋律などです。ほら貝のような音は、なるほど、合戦のような勢いがありますし、長く響く汽笛の音は、次第に音色が変わっていきます。

第1楽章は、「祭」を連想させるテンポの速い音楽です。A Festival Far Past and The Sea という英語の題名から想像するに、現代の祭ではなく遠い過去の祭なのでしょう。ほら貝だけでなく、ピッコロはひちりき風の鋭い音を発します。犬伏さんのヴァイオリン・ソロが民謡ふうの旋律を奏で、しだいに盛り上がるうちに、静寂が訪れます。
第2楽章、「海」のイメージだと作曲者自身が述べているように、静かな雰囲気の音楽です。汽笛が長く響くように音色が微妙に変わりゆくさまを、聴き取ることができました。また、鉄琴なのでしょうか、オルゴールみたいな澄んだ音がステージの向かって左側からも聞こえ、実に効果的です。岩手県の「さんさ踊り」の旋律を背景に、バスドラムが大砲か巨人の足音のように腹に響きます。鋼鉄のムチのような音も印象的ですし、チューブラー・ベルは弔鐘のように響きます。再び汽笛が鳴り響き、ヴァイオリンがキィーッと真珠の粒をまき散らすような音も実にきれいです。犬伏さんのヴァイオリンソロが再び出てきます。いろいろなイメージの音を、静かに楽しむことができます。できればもう一度聴いてみたい!と思わせる、素敵な音楽でした。

続いて、合唱団の登場です。山響アマデウス・コアのみなさんを中心に、合唱指導にあたっている佐々木正利先生や渡辺修身先生の教え子の、岩手大学と山形大学の学生さんが加わっています。男声が25人、女声が39人、総勢64名と数えました。合唱と管弦楽による、ブラームスの「運命の歌」です。
音楽の始まりは、オーケストラにより、幸福で平和な気分が示されます。やがてフリードリヒ・ヘルダーリンの詩による、至福の精霊と天上の者たちへの憧れが歌われます。前回のモーツァルトでも感じました(*2)が、合唱の発音が極めて明瞭、ハーモニーはふわっと実に気持ちの良いもので、実にレベルの高いものだと感じます。学生、社会人を問わず、いろいろな合唱を聴いていますが、合唱の盛んな山形で、さらにエポックメイキングな合唱団になっているようです。
そして、Doch uns gegeben に続く、苦悩する人間たちの嘆きと絶望の訴えは心を揺さぶります。ここでも、飯森さんは、ヴィオラやチェロを生々しく強調し、ブラームスの苦悩を表現するようです。しかし、やがて音楽はオーケストラだけとなり、再び心の平安をもたらすように平和な調べに変わっていきます。

ああ、いい音楽を聴きました。



終演後、ファンの集いにちょこっとだけ参加し、インタビューを聞きました。壺井さんは、全部で四日間、山形に宿泊されたそうで、雪国の寒さに辟易されたのでしょうか、それとも雪国もいいもんだと感じられたのでしょうか。できれば、もう一度山形においでいただいて、何らかの形で「はるかな祭と海」の再演を期待したいものです。



コルネリア・ヘルマンさんは、ずっとブラームスを弾きたいというのが念願だったそうで、チャンスをくれた飯森さんに感謝!だそうです。ブラームスとともにバッハを研究しているそうで、今はゴールドベルグ変奏曲を並行しているとか。今年はシューマンとショパンの記念年なので、このリクエストも多そうだ、ということでした。実は私もその一人で、トップの写真のように、コルネリア・ヘルマンさんのCD、シューマンの「幻想小曲集」とブラームスの「六つの小品」の録音を、購入してきてしまいました(^o^)/

(*1):Composer/Ippo TSUBOI 作曲家/壺井一歩 さんのWEBサイト
(*2):山響モーツァルト交響曲全曲演奏会で、初期交響曲と戴冠式ミサ曲を聴く~「電網郊外散歩道」
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山響第202回定期演奏会~大作曲家の青春時代~を聴く(1)

2010年01月18日 06時27分42秒 | -オーケストラ
新年初の演奏会は、山形交響楽団第202回定期演奏会の2日目、日曜午後の回を聴きました。今回のテーマは「大作曲家の青春時代」というもので、要するにブラームスの若い頃の作品を取り上げたものです。すなわち、ピアノ協奏曲第1番と「運命の歌」というプログラム。それだけではなく、新年にふさわしく「山響作曲賞21」を受賞した作品、壺井一歩(Ippo TSUBOI)さんの「はるかな祭りと海」を演奏します。楽しみです。

開演前のプレトークでは、飯森さんがブラームスの若い頃の話を説明します。ステージに高木和弘さんも呼ばれ、ブラームス談義。高木さん曰く、ドイツに行って初めてブラームスがしっくりと感じられるようになった、とのこと。それは、言葉(ドイツ語)を習得したことで、なぜここでヴィヴラートをかけるのか、歌詞(言葉)との関連で、理解できるようになったことがおおきいそうです。飯森さんは、ブラームスの協奏曲のソリストにコルネリア・ヘルマンさんを起用したことについて、クララ・シューマンがこの協奏曲を演奏して、価値を認めさせた歴史を踏まえた、と意図を話します。な~るほど!

さて、今回のオーケストラの配置は、対向配置ではありませんで、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスと弦楽セクションが並びます。中央後ろに木管、その後方に金管、向かって右手奥にティンパニ、という配置です。コンサート・マスター席には犬伏亜里さんが座り、その横に高木和弘さんがいます。なるほど、今回は山響作曲賞入賞作品の発表もありますので、今後の演奏機会を考え、犬伏さんが仕切っているのでしょう。

ソリストのコルネリア・ヘルマンさんは、2007年5月の第181回定期演奏会で、グリーグのピアノ協奏曲で登場(*)しています。今回は、黒を基調とし、黄緑色や赤色などを配したドレスに、あれは何というのでしょうか、洗濯ばさみの親分のような(失礼!)黒い髪飾りを付けて登場。黒褐色の髪の色によく似合っています。
さて、1859年に初演されたブラームスのピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15、作曲者25歳頃の作品です。ブラームス、若いなあ。憧れと自信と野心はあるがためらいも気おくれも感じられる、シンフォニックであり、かつ叙情的な音楽。
第1楽章:マエストーソ。オーケストラが堂々と演奏を始めます。ピアニストはじっとオーケストラの音楽に耳を傾けます。やがてピアノが入ってくると、二管編成とはいえ分厚いオーケストラの響きに負けないような、力感あふれる演奏ですが、なにせこの楽章は、きわめてシンフォニックな音楽です。ともするとピアノでさえオーケストラに埋没しそうになりがちなところを、そこはさすがに指揮者がバランスをコントロールし、ピアノを引き立て、なんとも緊張感がありますね~。第2楽章、好きなんですよ~、この楽章。憧れと詩情があふれる静かな音楽は、なんとも幸せな時間です。言葉もありません。そして第3楽章、ロンド形式というのでしょうか、活発な音楽です。オーケストラとピアノのバランスが難しい面がありますが、飯森さんは、時おりヴィオラをやや強めてブラームスらしい音色を作ります。大曲を聴いた満足感に浸りました。
コルネリア・ヘルマンさんに大きな拍手がおくられ、何度もステージに呼び出されます。大役を果たし、ソリストもうれしそうです。満面の笑みです。老大家のブラームス演奏も味がありますが、それとはまた別に、ためらいや気後れも現在進行形の、若い演奏家による若いブラームスの音楽表現もあってよいだろうと思います。いい演奏でした。

演奏会は、ここで15分の休憩となります。当方の記事も、続きはまた夜に。

(*):山形交響楽団第181回定期演奏会を聴く~「電網郊外散歩道」
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