電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

批評の受け止め方

2008年07月20日 06時28分57秒 | ブログ運営
誰でもなんらかの体験を持っており、個人的な批評がしやすい分野では、たくさんの批評が生まれるのだろうと思います。でも、ふつうあまり体験することのない分野、たとえば骨董については、誰でも所有しているというわけではないので、相対的に批評の数は少ないだろうと思います。つまり、批評の数は、ごくおおざっぱにいえば、経験を持つ人々の数を反映しているものと思われます。

また、有名人による批評は、大きな影響力を持つことが多いわけですが、それはたぶん、マスメディア等に載ることが多いためでしょう。彼らがミニコミ紙誌に書いた場合は、それほどの影響力は持たないのではないかと思います。これも、母集団の数が、基本になっています。

いっぽう、多い少ないという、数でははかれないものもあるかもしれません。当事者が、不本意な批評を見て頭に来ることはよくあることでしょう。これは数ではなくて、相手がたった一人であっても、悪意を持った言葉の刃に傷つくことはあります。

ブログやウェブの普及で、有名無名の個人が批評を発表することは自由になりました。それだけに、受け止める側の冷静さが必要だと言えるでしょう。多数の人が好意的に受け止てくれめたときは、全体として良好と判断して良いのではないでしょうか。

逆に、もし一人乃至ごく少数の人だけが悪意で受け止めたなら、それは何か別の要素があるのかもしれないと考えるべきなのではないか。その人だけが欠点を認識できた可能性がないではないが、もしかすると単に、昨日ふられた彼女の彼氏の意見と共通だったからとか、気にくわない上司と同じ名前だからとか、そんなような理由なのかもしれないではないか。そんなふうに考えると、少しは冷静でいられるように思います。

いや、それを考えると、作品発表とともに批評にさらされる、作家や音楽家の方々の辛抱というのは、たいへんなものですね。まったく無反応、というよりは良いのかもしれませんが。
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