電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

週に二度の出張でネットブックが活躍

2011年10月31日 06時01分40秒 | コンピュータ
月末多忙期に、週に二度も東京出張が入り、新幹線のお世話になりました。最近は、新型車両が普及したためか、足元の100V交流電源が使えるようになっていて、写真のように、往復ともに充電の心配なくネットブックが使えました。これはありがたい。マウスを使うほどのスペースはありませんが、タッチパッドでも充分に使えます。OpenOffice.org や gedit などで、プレゼンに手を入れたり、テキスト備忘録にメモを書いたり、それなりに有意義に車内を過ごすことができました。

そうそう、別件ですが、過日のプレゼンは、なんとか所期の目的を果たすことができたようで、ほっと一安心いたしました。こちらも、赤いネットブックが活躍。よかった~。


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児玉龍彦『内部被曝の真実』を読む

2011年10月30日 06時05分12秒 | -ノンフィクション
ヒロシマにおける被曝二世の一人として、放射線と健康の問題については、ずっと関心を持って来ましたが、福島原発事故以来、とくに内部被曝の問題について、報道などに注目しております。

先日、行きつけの書店で、児玉龍彦著『内部被曝の真実』という幻冬舎新書を見つけ、購入してきました。著者は、ネット上ですでに有名になっている、

七万人が自宅を離れてさまよっているときに、国会は一体、何をやっているのですかっ!

と、私たちが日頃思っていても言えない台詞を国会の場で代弁してくれた、東大先端研の教授です。あの怒涛の15分間は、まさに「学者が心底怒ったときの姿」を体現したようなものでした。

本書は、その怒りを、データと冷静な分析に代えて再現するとともに、国会で提出された資料を併せて収録したものです。コンパクトですが、内容はきわめて重いです。たぶん、雑誌等の広告料収入を当てにしていない出版社だから実現できた企画なのかもしれません(^o^)/

本書の内容は、次のとおりです。

第一部 7・27衆議院厚生労働委員会・全発言
 1. 私は国に満身の怒りを表明します
 2. 子どもと妊婦を被曝から守れー質疑応答
第二部 疑問と批判に答える
第三部 チェルノブイリ原発事故から甲状腺がんの発症を学ぶ
 ~エビデンス探索20年の歴史と教訓~
第四部 "チェルノブイリ膀胱炎" ~長期のセシウム137低線量被曝の危険性~
おわりに  私はなぜ国会に行ったか
付録  国会配布資料

本書を読み、著者の主張するように、緊急な対策がとられることを切に望みますが、それと同時に、別な感想も持ちました。

(1) 猿橋勝子博士の業績の偉大さを、あらためて感じました。
(2) 母乳から 6Bq/L のセシウム検出 と言われても「たいしたことないじゃん」と思ってしまう、数字のコワサ。

女性科学者の目標となっている、猿橋賞という顕彰のもととなった、猿橋勝子博士(*)については、以前にも何かのテレビ番組で観たことがあります。それが、思いもかけない形で、アクチュアルな現実として再登場したことに、歴史の不幸を感じずにはいられません。

(*):「猿橋勝子という生き方」米沢富美子著~「千の天使がパスケットボールする」より

また、WHO の基準では、飲料水の場合、10Bq/L になっているそうですが、母乳に 6Bq/L の放射性セシウムが含まれるということは、どういう意味か。これは、1 リットルの母乳で平均して1秒間に6個の割合で放射性セシウムが崩壊し、放射線を出している、ということになるのでしょうか。1分間にはその60倍、1時間にはその3600倍、・・・ということになります。活発に細胞分裂を行い、成長途上にある乳幼児の体内で、強い放射線が炸裂しているイメージが浮かびます。実際には、母乳中にもカリウム40の自然放射能が含まれていることは承知していますが、エネルギーの大きさも違うでしょうし、さて、大丈夫なのか・・・。

テレビ等の報道の基調は、時に「被災地から脱出した人に帰宅を呼びかける」情緒的な面が感じられることがあります。原発事故が収束したわけではないのに、と思ってしまいます。

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地元紙で佐藤賢一「ペリーの『砲艦外交』」という記事を読む

2011年10月29日 06時01分22秒 | 読書
地元紙「山形新聞」の10月20日付け朝刊に、「古今東西」というらんで、作家の佐藤賢一さんによる "ペリーの「砲艦外交」" という文章が掲載されていました。「幸運だった"交渉下手"」という見出しからも推測されるように、幕末の最初の日米交渉の実態は、実は幕府側のほうがかなり上手で、うまく切り抜けることができた、というものであったらしい。さらりと目を通しただけで朝は切り上げ、夕方に備忘録にスクラップしておりました。で、この記事をじっくり読んでみると、なかなかに興味深い内容です。

(1) 人口で言えば、日本のほうがはるかに大国で、中国、インド、ロシア、フランス、オーストリア=ハンガリー帝国に次ぎ、人口3,300万人は英国をもしのぎ、世界第六位だったとのことです。もっとも、当時は世界人口ランキングなど知っていたのかどうかは不明(^o^)/
(2) アメリカは、まだ独立して70年の発展途上の国で、近代技術はありましたが、外務省に相当する国務省職員の人数は50人、軍人や商人など、素人に外交官を兼務依頼するしかなかったようです。
(3) ペリーの交渉も、あまり上手ではなく、粘り腰の幕府にやりこめられて通商条約は取り下げ、和親条約に限ることでようやく実現したようです。

このあたりの指摘は、なるほどと頷かせる説得力があります。そして、理系の日本史オンチには、次の指摘は重要です。

二番目以降の国は最初の国に準じるという国際法の慣習があり、ゆるかったアメリカとの条約は日本の防波堤にもなっていた。

うーむ、中学生時代に習った、「不平等条約を結んだ無能な江戸幕府とそれを撤廃するために努力した薩長・明治政府」という図式とは、ずいぶん違う見方です。

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Firefox is already running

2011年10月28日 06時02分21秒 | コンピュータ
自宅では、Ubuntu-Linux をメインに使っていて、ウィルスの心配もほとんどなく、たいへん便利だと感じておりました。ところが、ここしばらく、ブラウザの Firefox をクローズして少し後にまたオープンしようとすると、

Firefox is already running, but is not responding. ~云々~

というようなメッセージを残し、起動しません。再起動すればまた始められるものの、どうやら何か不都合が生じている模様。

トラブル時には、エラーメッセージを検索すれば、解決の方法が見つかる場合が多いことから、さっそく表題のとおりで検索して見ました。その結果、次のようなことが判明。

Firefox は一度に一つのプロファイルしか使用しません。Firefox を開始すると、ロックファイルがあなたのプロファイルフォルダ内に置かれ、プロファイルがロックされます。Firefox を終了すると、このロックファイルが削除されます。Firefox の開始時にロックファイルが存在するか、プロファイルが開けない場所にある場合、Firefox は次のエラーメッセージを表示します:"Firefox は起動していますが応答しません。新しいウィンドウウインドウ を開くにはまず既存の Firefox プロセスを終了させるか、コンピュータを再起動させなければなりません。" (*)


なるほど、Firefox が異常終了したときに、本来は削除されるべきロックファイルが削除されずに残ってしまうため、ですか。では、このロックファイルを削除してやればよいのだろう。

(1) 「場所」ー「ホームフォルダ」ー「表示」ー「隠しファイルを表示する」にチェックを入れる
(2) 「 .mozilla 」フォルダを開くー「 firefox 」フォルダを開くー妙な暗号のような名前のフォルダを開くー「 .parentlock 」というファイルを削除する
(3) 念のため、「ホームフォルダ」の「表示」で、「隠しファイルを表示する」のチェックを外しておいたほうがよいでしょう。
(4) これで、Firefox が起動するようになりました。

(*): Firefox は起動していますが応答しません ~ Firefox ヘルプ

でも、これって、Firefox のプロセスを2つ走らせることになるのかも。Epiphany など、別のブラウザを使うという選択肢もありますが、根本的な解決は、Firefox 自体の改善にあると思われます。たぶん、どこかで誰かが奮闘中なのでしょうが(^o^)/

写真は、先日チャンポンを食べに出かけた際の、妻の車 Moco の様子です。小回りが利いて、なかなか便利に使っているようです。
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旅行記録や山行記録

2011年10月27日 06時10分42秒 | 手帳文具書斎
写真は、昔の山行記録や旅行記録です。いずれも、けっこう立派なノートを使っています。左が若い頃の山行記録で、中央が国内の旅行記録、右が海外旅行の記録を綴ったものです。



山行記録のほうは、かなり詳細なもので、行程、メンバー、天候、食事、周囲の状況、行動中の出来事など、かなり綿密に書いています。



写真は、昭和50年代に、八幡平~裏岩手連峰を縦走したときの記録の一部で、八幡平の陵雲荘の内部を略図に描いたものです。朝早く出発し、午後には余裕を持って登山小屋に入るようにしていましたので、楽しみながらゆっくりと記録を書いていました。後日、山行記録を文章にすることもありました。いつでも文章に再現できるようにメモをとる習慣は、こんなところで養われたのだろうと思います。

国内外の旅行記録も同様で、個人的な記録のほかには、ほとんど意味を持ただいだろうと思います。遭難時の原因究明に役立つなんてのは、あまり歓迎すべき状況ではなく、記録が役に立たない方がむしろ望ましいと言えます。その意味では、個人的な満足のための記録にすぎません。でも、読み始めると、ハマるんですよね~、若い頃の山行・旅行記録(^o^;)>poripori

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村上もとか『JIN~仁~』第7巻を読む

2011年10月26日 06時02分22秒 | 読書
妻と二人でテレビドラマの「JIN~仁~」にはまり、原作まで読み始め、第7巻まで来ました。集英社文庫版の、村上もとか著『JIN~仁~』第7巻です。この巻は、賑の章「対面」から始まります。

白粉(おしろい)の中に含まれる鉛の中毒で役者生命が立たれたかに見えた坂東吉十郎、最後の芝居に全生命を燃焼させ、息子の与吉はその演技を目に焼き付けます。このあたり、江戸庶民の哀歓に通じる話ですが、さらに今度は相撲の世界のお話。負けず屋の異名をとる大関陣幕の左肘を、手術で再生させるお話。お次も江戸庶民の哀歓・・・ではなくて、女スリのお駒と十手持ちで悪党のガマ親分との因縁ですが、咲さんのお友達もからむあたりが、大江戸も狭い(^o^)/

西洋医学の医学所と本道(漢方医学)の医学館の対立は続きますが、両方のトップは南方仁先生の医術の価値を理解しています。ペニシリン製造の中心となっている山田純庵先生は、ペニシリン産生能力の高い青カビの選抜に熱意を燃やします。純庵先生の老母は、息子の努力を認め、励まします。葬儀を抜け出してまで確かめた新しいペニシリン高産生株。山田先生の努力の結晶です。そして、偶然にも、咲さんが高純度アルコールにペニシリン溶液を加えたために、ペニシリンの結晶化の方法を発見してしまいます。これに続く、仁先生が咲さんに現代の指輪をあげて求婚するところは、なかなかいい場面です。

そして川越藩の藩主の奥方様にできた首の瘤を除去する話が続きますが、このときは粉末化ペニシリンだけでなく、輸血の体制をとるところが、なかなかの見せ場です。この章では、夫婦のあり方を問う場面があったり、仁先生と咲さんが道中の宿屋で同じ部屋に泊まることになったりするなど、読者をやきもきさせるようになっていますが、残念ながらその幸福感は、宿屋の少女の事故で一転してしまいます。

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プレゼンがなんとか形に

2011年10月25日 06時04分42秒 | コンピュータ
今月下旬に予定されている依頼プレゼンの準備が、ようやく形になってきました。例によって、一時間程度を OpenOffice.org の Presentation を用いて行います。集めた写真や資料をもとに、三部構成にしてみました。内容はオリジナルですので、これでなんとか、依頼元の要請に応えられればいいなあと思っています。

OpenOffice.org の Presentation は、PowerPoint のような背景デザイン等の豊富さは望めませんが、基本的な機能はありますので、シンプルなプレゼンならば充分にこなせます。むしろ、画面デザインにばかり凝るよりも、意外性のある実物を取り入れたりするなど、内容や構成を工夫するほうが効果的であると感じます。今回も、いくつか実物を提示するなど、導入には工夫してみました。さて、こんどは話す内容のブラッシュアップを図らなければなりません。

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ボロディン「交響曲第1番」を聴く

2011年10月24日 06時03分12秒 | -オーケストラ
珍しく2011年の新譜を購入した、ボロディンの交響曲全集を、通勤の音楽として繰り返し聴いておりました。ジェラード・シュワルツ指揮シアトル交響楽団による演奏で、NAXOS の 8.572786 というCDです。録音は、米国シアトルのベナロヤ・ホールにて、2011年の2月に収録されたもので、全3曲中では一番新しいデジタル録音です。

Wikipedia(*1)によれば、作曲者ボロディン(1833-1887)の正式な名前は、アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディンというのだそうで、ヘモグロビンやクロロフィルなどのポルフィリン環(*2)を連想してしまうのは、生化学を学んだ者の条件反射でしょうか(^o^;)>poripori
交響曲第1番変ホ長調は、1862~7年、5年の歳月をかけて作曲されたもので、作曲者が29歳から34歳頃の作品です。公開初演は1869年、36歳のとき。日曜作曲家といえども、もはや習作とは言えません。

第1楽章:アダージョ~アレグロ~アンダンティーノ。重々しい序奏から始まりますが、主部は力強いもので、量的にも技巧的にも、盛りだくさんな印象です。
第2楽章:スケルツォ(プレスト)~トリオ(アレグロ)。軽快なスケルツォです。
第3楽章:アンダンテ。ボロディンらしい旋律美がつまった楽章です。幻想性が特徴的。
第4楽章:アレグロ・モルト・ヴィーヴォ。活力ある始まり。半音階を含むロシア的な旋律が提示され、豊かに展開されて行きます。

演奏は、他の録音を知らないので何とも言えませんが、ロシア五人組という言葉から受ける印象よりはずっとすっきりしたもので、幸福な化学者ボロディン(*3)らしい、明るい快さがあります。悲劇的な情念をぶつけるような音楽とは違い、一般的な人気はあまり高くなりにくいのかも(^o^;)>
逆に、ハイドンやメンデルスゾーン、シューマン等の明るい面が好きな人ならば、気に入りそうな音楽です。私は?もちろん気に入りました。

ところで、多忙なボロディンは、どんなふうに作曲を進めていたのだろう?と興味深いものがあります。作曲し、楽譜に書く作業は、かなり辛抱強さが求められると思いますが、化学の研究や医科大学の公務に明け暮れる日常の中で、週末作曲家としての「副業」をどのように営んでいたのか。もしかすると、日頃から書き溜めておいた断片をつなぎ合わせるような形で作曲をしていたのか?だとしたら、第2番が第1番よりも短いのは理解できるような気がします。断片をつなぎ合わせて全体を作り上げるにとどまらず、第二番では全体的な視点からそれをもっとずっと刈り込み、削って行って、緊密な作品として仕上げたのではなかろうか?そのあたりに、交響曲作曲の経験が生きてくるのではなかろうか?まあ、単純に演奏時間から判断した、素人音楽愛好家の妄言ですので、当てにはなりませんが(^o^)/

参考までに、演奏データを示します。
I=12'34" II=6'54" III=7'45" IV=7'11" total=34'24"

(*1):アレクサンドル・ボロディン~Wikipediaの説明
(*2):ポルフィリン~Wikipediaの説明
(*3):愛妻に捧げる夜想曲~ボロディン「弦楽四重奏曲第2番」を聴く~「電網郊外散歩道」2008年7月
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近所で急に不幸があって

2011年10月23日 06時03分40秒 | Weblog
近所で急に不幸があり、区長さんから連絡がありました。我が家でも、亡父の時代から農作業を手伝ってもらったりしていた方ですし、とるものもとりあえず駆けつけました。まずは、どこへお知らせするか。喪主の親族の長が差配となり、隣組の班長も加わって、故人の交際範囲を想定して、逝去を知らせる先の名簿を作成します。親戚の名前は家族で追加してもらいますが、近所の分は過不足なく連絡するようにしなければいけません。故人の活動は、様々な範囲に及びます。時には、家族もあまりよく知らないご近所のお付き合いがあったりもします。さて、今朝は忙しい一日の始まりになりそうです。

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手近にあるノートを集めてみたら

2011年10月22日 05時59分21秒 | 手帳文具書斎
そういえば、最近、あれこれノートを買っているなぁと思い、当座のストックを確認する意味もあって、手近にあるノート類を集めてみました。

まず、小さい方から。文庫本サイズのA6判です。
左から、コクヨのらせん綴じノートで、現用の「週末農業メモ」を使い終えたら、これを使おうと用意しています。真ん中は、コンビニで買った無印良品のダブルリングノート・ドット方眼タイプで、ゴム紐付き、70枚。これは、一冊で315円も(^o^)します。右は同じく無印良品の「滑らかな書き味のノート」(72枚)。紙質は愛用している無印ノートパッドと同じ系統のもののようです。



次がB6判。上段左は、コクヨのらせん綴じキャンパスノートA(7mm罫22行,50枚)、上段中がマルマンの「セプトクルール」"Sept couleur"シリーズのもので、7mm罫23行,80枚です。これは、各ページに、リング部を残し、メモとして切り取れるように、ミシン目が入っています。上段右は、「美しく書くためのCampusノート」というシールが貼られた、7mm罫22行,40枚。とにかく安価な点が特徴でしょう。
下段左は、マルマンのリブレット"Libretto"です。ハードカバーのしっかりした装丁のダブルリングノートです。やや厚めの紙で、8mm罫,19行、80枚。下段中は、子どもが買って使わずに放置していたダイソーのリングメモ。7mm罫21行、100枚。紙質は薄手で、インクが裏抜け・裏写りしそうな感じです。下段右が、マルマンの「CARnet」、ハードカバーで糸綴じ、しおり紐が付いています。7mm罫、22行、72枚。



そしてA5判。上段左は、コクヨのキャンパスノートAタイプ。7mm×24行,70枚及び50枚。上段中は、コクヨのSystemicカバーノート。中には、左の50枚タイプが二冊入っています。これ以上に厚手のものは、無理がかかるようです。上段右は、これもコンビニで購入した植林木ペーパーを使っているというダブルリングノート。7mm罫×27行,48枚。お値段は95円と安価な製品です。紙質はかならずしも上質とは言えませんが、ウォーターマンの万年筆インクでも裏抜けは少ないようです。
下段左は、コクヨのキャンパス・ハイグレード澪です。これは抜群の紙質を持つ製品で、品質と書き味には信頼を置いています。ただし、80枚の厚さは、残念ながら Systemic には不向きでした。カバーなしで、このまま使うのが正解のようです。パックの封を切っていないものがストックされています。下段中は、無印良品のダブルリングノート・ドット方眼タイプです。ゴム留付きで、70枚、税込で420円。下段右の黒いやつは、三段折りたたみタイプの Systemic カバーノートです。こちらは、リングノートでも使えるというふれこみで、「エッジタイトル」というらせん綴じのノートが付いています。6mm/28行50枚ですが、これがなかなか魅力的な仕様です。見開き二頁で、週間ダイアリーにも使えそうな工夫があります。別途、工夫して使ってみたいノートの一つです。



最近になって、セミB5判というものを知りました。らせん綴じ、無線綴じの両方がありますが、用途はまだ定まらず。以前、主として使っていたB5判の大学ノート類も若干残っています。下段の左側は、ツバメノート製の大学ノートで、右側はコクヨのキャンパスノートのらせん綴じ製品。こちらはだいぶ古そうです。もしかして年代物?



そうそう、以前使っていたA4判のノートも、若干ですが残部がありました。でも、現在の使用頻度は、

A5(備忘録) > B6(旅行用) > A6(農事メモ)

といったところで、大型のノートの出番はほとんどなくなっています。これは、外出先で備忘録に書き込むには小型ノートの方が便利ですし、自宅ではパソコンですませてしまうからでしょう。

紙の品質、書き味で言えば、万年筆ならツバメノートの大学ノートか、キャンパス・ハイグレード澪でしょうか。ボールペンなら、ふつうのキャンパスノートでもじゅうぶんに書きやすいと感じます。

メーカー別で言うと、コクヨが一番多く、次はマルマンでしょうか。キョクトーやアピカなども使ったことがありますが、さすがにダイソーのノートはほとんど使ったことはありません。値段的には、普通のノートとあまり変わらないのですけれどね~(^o^;)>poripori

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人混み

2011年10月21日 06時01分45秒 | Weblog
演奏会は大好きですが、人混みは夫婦ともに苦手です。妙なもので、どちらも大勢の人が集まるものなのですが(^o^;)>poripori

人混みといえば都会の駅の雑踏。行先の異なる多くの人々がせかせかと歩き、互いの目的地へ向かって歩いています。流れに慣れていない田舎者は、時には少しの隙間を見つけて人の流れを突っ切るように、流れに棹さすように歩かなければいけません。まるで、ランダムに熱運動する水中に落ちた花粉のように、翻弄されるばかりです。雑踏に慣れている人たちは、海流のような人の流れに乗って歩きますので、あまり抵抗がないのでしょうが、不慣れな旅行者はくたびれるばかりです。

有名な美術展なども、とにかく人出が多いものです。前の人の頭越しに作品を眺め、後から来る人に押されて、自分のペースで作品を見ることはできません。ただ「見てきた」というだけで、味わっているゆとりなど、とてもとても・・・・。

演奏会の場合は、座席があり、趣味を同じくする人の中で、ステージ上には顔もよくわかっている演奏家が乗っている、ということも大きいのだと思いますが、やはり何度も足を運んでいることからくる安心感が大きいのでしょう。そういえば、はじめて演奏会に行ったときも、やっぱり緊張し、人混みに圧倒されていたのかもしれません。ずいぶん昔のことで忘れてしまいましたが、もしかすると高校の合唱部や吹奏楽部の定期演奏会あたりだったのかも。真冬の山形県民会館の前に看板が出ていた、厳本真理弦楽四重奏団の演奏会(*)に憧れながら、受験勉強をしていたような気がします。昭和40年代のことでした。

(*):厳本真理弦楽四重奏団と山形~「電網郊外散歩道」2008年3月

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村上もとか『JIN~仁~』第6巻を読む

2011年10月20日 06時07分53秒 | 読書
現代の脳外科医が幕末の江戸にタイムスリップしてしまう物語を、テレビドラマで楽しみ、ついに漫画の原作を購入して読むことになってしまいました。集英社漫画文庫版、村上もとか著『JIN~仁~』第6巻です。

この巻では、皇女和宮の毒殺未遂事件に際し、胃洗浄でなんとか一命をとりとめたものの、下手人として拘束され、取調べを受け、小伝馬町の大牢へ放り込まれます。事件を明るみに出せないため、南方仁医師を犯人として牢死させて幕引きをしようという思惑でした。

大牢の中では、囚人内の力関係で、酷薄な牢名主が支配していますが、偶然の出来事で牢名主を救命することとなり、牢内で圧倒的な尊敬を受けるようになります。おそらく牢内での慣習など知らない南方先生を救おうと、野風は大金を差し入れますが、奉行所は拷問により無実の罪を自白させようとします。このあたり、冤罪の構図は昔も今も変わりがありませんなぁ(^o^)/
事件は一転して急に無罪放免となりますが、よろよろと出てきた仁先生に、出迎えた咲さんが取りすがる様は、なかなか名場面です。そして事件の謎解きは、医学館の多紀元琰の判断と動きによるところが大きく、野風の金策も、フランスの貿易商ルロンとの国際結婚に展開していきます。

坂本龍馬と銭湯に行き、女風呂での喧嘩で怪我をした女スリのお駒を治療します。そんな縁で、切れた指の腱を縫合する手術を行うことになりますが、スリ稼業から足を洗うまでは、まだ時がかかりそうです。
場面は変わって、猿若町守田座、澤村田之助の一座です。依頼は、重度の鉛中毒に侵された役者に、最後の舞台を踏ませてやりたいというものでした。



当時の白粉(おしろい)は、鉛白といって、要するに炭酸鉛PbCO3を成分とするものでした。鉛中毒によって、胃腸病や脳・神経麻痺などを起こしたのでしょう。日常的に多量の白粉を使う昔の舞台俳優の性格異常は、もしかすると慢性的な鉛中毒がその背景にあったのかもしれません。

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高橋義夫『若草姫~花輪大八湯守り日記』を読む

2011年10月19日 06時41分53秒 | 読書
中公文庫で、高橋義夫著『若草姫~花輪大八湯守り日記』を読みました。

羽州肘折温泉で湯守りをつとめる花輪大八は、新庄藩で郷代官をつとめた花輪五左衛門の次男で、城下では火花の大八と異名をとる暴れ者でした。ある日、真冬にソリに乗ってやってきて、布袋屋に泊まっている姫様のおつきの者が、心臓を一突きにされて死んでいるのが見つかります。大雪の中、代官所から調べに来ることも期待できず、いったん雪の中で仮埋葬します。身分を明かそうとしない姫様のおつきの女は、花輪家の次男と知り、「若草ものかたり」という三冊の草子を手渡し、自分たちに万一のことがあれば、石川丁の寺下半蔵という者に届けてほしいと依頼します。どうやら、お家の大事にかかわる争いがあり、姫様たちは殺された男に監視されていたようなのです。

合海の伝兵衛という目明しが登場しますが、これが一癖あるけれど憎めない男です。道場破りをしたはいいが、怪我をして湯治に来た牟田小四郎という西国武士のとばっちりで、松坂道場と対立するハメになります。さらに、どういうわけか実家の兄が蟄居させられるという展開。武士の時代におけるミステリー風な物語です。



山形県内の実在する地名が舞台となる時代小説ということで読み始めましたが、冬の湯治場を背景に展開される活劇と推理はなかなかのものです。余計な甘さがないので、読んでいながらくすぐったくなるようなことはありません。『花輪大八湯守り日記』というシリーズがどのくらい続いているのか、とんと不明ですが、本書はどうやら第二弾であったようです。第一巻は『湯けむり浄土』という作品らしい。興味が持たれます。
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Amazonから音楽CDを購入~セル指揮のヒンデミット、ウォルトンなど

2011年10月18日 06時05分28秒 | クラシック音楽
行きつけのCDショップは、いよいよ棚の縮小を始めたようです。クラシック音楽の棚は、見る影もない状態になりました。これでは、いくら地元利用を心がけていても、不便で仕方がありません。仕方がないので、いよいよ Amazon 利用に移行してしまいました。先日、注文したのが、次の2点。

(1) ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容、ウォルトン:交響曲第2番、ヒンデミットの主題による変奏曲  (ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団、1,977円)
(2) チャイコフスキー:交響曲第5番、イタリア奇想曲  (ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団、795円)

このうち、チャイコフスキーの方はすでにパブリック・ドメインになっているようで、MP3 形式のファイルをダウンロードして聴いております。ですが、データとしてだけでなく、若い頃に買えなかったLPを、今更ながら、CDで集めたいと思っています。通勤の音楽に便利ですし、ジャケットやライナーノートなども、当方の興味関心の対象となっています。音楽データには、そうしたゆかしい楽しみはありません(^o^;)>poripori

で、翌日には佐川急便でヒンデミットが到着し、翌々日にはゆうメールでチャイコフスキーが到着しました。早い!これでは、地元CD店が太刀打ちできないのは仕方がないのかも。もっとも、相変わらずのご多忙モードに加えて月末にむけたハード・スケジュールが加わり、まだ封さえ切っておりませんが(^o^;)>poripori

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オタフクササギは美味しい

2011年10月17日 06時02分57秒 | 週末農業・定年農業
老母が丹精している畑の産物で、ここしばらく恩恵を喜んだのが、オタフクササギです。つい先日も、最後の収穫を天ぷらにしていただきました。裏の畑から収穫したばかりの新鮮なササギを天ぷらにして、酢醤油に一味トウガラシをさっとふりかけ、ちょいと付けて食べると、なんとも美味しい!こたえられない味です。思わず一皿ぜんぶ食べてしまいました。



写真の背高のほうが、オタフクササギの畝です。手前の低い方の畝は、大根かな?



秋空に、オタフクササギを写したところ。天ぷらの写真は、食べる方が忙しく、撮り忘れてしまいました(^o^;)>poripori

【追記】
残りがありましたので、写真を撮りました(^o^)/


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