電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

新潮文庫「カラー版 作曲家の生涯」シリーズ

2005年04月30日 10時06分36秒 | -ノンフィクション
新潮文庫に、「カラー版 作曲家の生涯」というシリーズがある。昭和60年に、最初の『ベートーヴェン』(平野昭著)を購入し、興味深く読んだ。伝記的な内容が簡明に書かれているだけでなく、著名人がそれぞれの立場からこの楽聖の音楽について語り、巻末には年譜と年代順の作品表が付いている。しかも、きれいなカラー写真で、ゆかりの地の写真や人々の肖像などが掲載されている。このコンパクトな本を文庫に入れるという企画をした人の見識に感心した。
その後、昭和62年に発行された船山隆著『マーラー』も、当時次々に発表されていたインバル指揮フランクフルト交響楽団等のマーラーの交響曲のCDを集め親しんでいく中で、たいへん興味深く、参考になったし、昭和63年に発行された土田英三郎著『ブルックナー』も、容易に入手できる類書が少なく、たいへんありがたかった。
その後、しばらくこのシリーズと縁がなかったが、平成14年から15年にかけて単身赴任をしていた頃に、三宅幸夫著『ブラームス』、遠山一行著『ショパン』を購入、特に『ブラームス』は面白く、自宅用にともう一冊追加購入してしまった。
つい数日前に、新しく開店した書店で田辺秀樹著『モーツァルト』を購入、楽しみに読もうと思っているが、奥付けを見ると昭和59年に第1刷が出て平成16年の第18刷となっている。カバーのシリーズ案内を見ると、他には『バッハ』があるようだが、『ブルックナー』『マーラー』はすでに絶版になっているのか記載がないようで、ちょっと残念だ。

このようなコンパクトな本は、実は携帯型のCDプレイヤー等と一緒に、出張時などの場面で楽しめるものだ。実際、電車や飛行機の中でイヤホンでCDを聞きながら、関係のページを拾い読みする楽しさは格別なものがある。携帯電話に押されて、携帯型CDプレイヤー等の機器も一時ほどの勢いはないようだが、逆にハードディスク内蔵型のデジタル音楽プレイヤーが普及してくると、本シリーズのようなコンパクトな案内書の価値は再び高まるだろう。『シューベルト』『シューマン』『ドヴォルザーク』『ガーシュイン』『プロコフィエフ』『ショスタコーヴィチ』『バルトーク』など他に見られない続刊を期待したい。
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他の人のWeblogなど(2)

2005年04月30日 07時16分56秒 | Weblog
コメントをいただいたり、トラックバックをいただいたり等がきっかけで、他の人のWeblogを楽しく拝見している。

yurikamomeさんのWeblog(*)は、横浜の美しい風景の写真とともに、日々楽しむ音楽についてコメントし、関連するWeblog等を紹介するもの。コメントする常連の方々は、それぞれ自分のWebサイトを持っている音楽フリークが多いが、あまりマニアックな偏狭さがないのがいい。主宰者の人徳だろうか。
(*):yurikamomeが言いたい放題にしゃべるブログ
余談だが、私のWeblogで掲載している写真は、地方都市郊外の日常風景が中心である。yurikamomeさんの美しい写真を見ていると、若い時代にすごした大都市での生活の記憶が懐かしく羨ましく思うと同時に、私の年齢では、遠くの山々を眺め、足元の野菜や花を楽しむ、ゆったりとした暮らしの方があっていると思ってしまう。それぞれの時代に生活があり、みなそれぞれにいとおしいものだ。

コントラバス奏者の鷲見精一さんのWeblog「こころのままに」(*)は、オーケストラで演奏する立場からの日誌だ。私のような素人音楽愛好家とは違う、専門家の視点が興味深い。と同時に、体育系音楽家と自称する鷲見さんの日常生活が、スポーツと芸能に関する興味感心が欠落した理系人間である私とは違いが際立ち過ぎて、そんな生活・人生もあるのかと逆に興味深く面白い。
(*):こころのままに
氏の今後の活躍を祈りたい。

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子どものパソコンが起動しない

2005年04月29日 22時33分08秒 | コンピュータ
子どもが「パソコンが起動しなくなった」と連絡をよこしたので、アパートに行ってみると、「NTLDRが見付かりません」というエラーメッセージが出ている。ブートローダが壊れたのだろう。WindowsXPのCDはあるかと聞くと、全部家に置いてきたと言う。しかたがないので、次回帰るときに持ってくるように話し、とりあえず持参したKnoppicsのCD-ROMだけを置いてきた。

今日、宮城谷昌光の『香乱記』上巻、中巻、下巻を読了した。明日は、借りてきた図書館に返しに行こう。写真は、庭に咲いたシラネアオイの花。
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ようやく花盛り~と思ったら花吹雪

2005年04月28日 23時38分46秒 | 散歩・外出・旅行
当地の桜も、ようやく花盛りかと思ったら、今日の風で花吹雪状態。
庭の小さな花も、花盛りだ。ヒヤシンスが青い花を咲かせ、水芭蕉も白い包を付けた。明日は、時間を見て少し北の方に桜を見に出かけよう。
今日の万歩計の歩数は10000歩を越えた。
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この連休の計画は

2005年04月27日 22時36分46秒 | Weblog
この連休の計画は、前半が子どものパソコンの動作不良を検証修理し、地域活動に参加すること、後半は旅行を計画している。行く先は、香港。ずっと前から計画していたことでもあるし、ちょっと心配もあるが、予定どおり決行することになった。免税店ツアーはごめんこうむり、できるだけ荷物も計画も軽くして、ホテルでゆっくり休んだり、普段と異なる雰囲気の中でのんびり本を読んだりする時間を多く取りたいと考えている。

写真は、自宅の井戸のわきに咲く梅の花。
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ショルティ指揮シカゴ響の「幻想交響曲」を聞く

2005年04月26日 21時35分22秒 | -オーケストラ
ベルリオーズ作曲の「幻想交響曲」は、結果的にLPとCDと両方同じ演奏を聞いている。それが、1972年に録音された、ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団による演奏だ。昭和57年(1982年)にロンドン・レコードから発売されたLPは、L18C5005という型番を持っている、1800円という表示のあるもので、久納慶一氏がライナーノーツを書いている。氏の指摘する点で興味深いのは、ショルティがこの作品を、標題音楽としてロマンティックに主観的な解釈に基づき演奏するのでなく、標題性を認めつつ古典交響曲の構成・形式を残した点に着目し、第1楽章の導入部に続くアレグロの「固定観念」と呼ばれる主題を楽譜どおり忠実に反復演奏している、ということである。
通勤の車中、CDで聞く「幻想交響曲」は、第2楽章の舞踏会の音楽や、第3楽章の野の風景の音楽などが楽しい。怪奇な標題性は後退し、旋律の美しさ、リズムの軽やかさなど、古典的とさえいえるようなチャーミングな魅力にあふれた音楽になっている。
たぶん、「幻想交響曲」だから暗~く聞かなければならない、ということもないだろう。
写真は、逆光に光る白い水仙。
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『鴎外最大の悲劇』を読む

2005年04月25日 21時28分03秒 | -ノンフィクション
ブックオフ等で、上巻は見かけるのに、いまだかつて下巻を見たことがない単行本がある。たいていの本は、上巻と下巻がそろっていることが多く、まれに上巻だけしかなくても、別の店では下巻を見かけることが多い。その謎の本が、吉村昭著『白い航跡』だ。最初に読んだとき、高木兼寛の事績の大きさに感心したものだが、他方、森林太郎の悪役振りがきわだった。これでは、森家の遺族からクレームがでるのではないかと要らぬ心配をしたくらいだ。で、あるときふと思った。これはどうも、上巻だけしか刊行されていないのではないか。下巻が見つからないのは、発行されなかったからではないのか、と。昔のことでもう忘れてしまったが、どうもそんなような話をどこかで聞いたことがあるような気がする。
(*):もちろん、今は講談社文庫で上巻・下巻ともに読むことができる。

新潮選書で、『鴎外最大の悲劇』を読む。これまた厳しい著作だ。明治の文豪・森鴎外の正業である陸軍軍医・森林太郎の果たした役割はすさまじい限りだ。「後ろから石をぶつけられる」なんて代物ではない。吉村昭の『白い航跡』は、高木兼寛の積極的な面を主として描いているので、鴎外の役割は相対的に副次的なものになっているが、この著作では鴎外の果たした役割を正面から取り上げている。日清・日露戦争において戦死した者の数よりも、脚気で死亡した兵士の数の方が何倍も多いという厳粛な事実を、森林太郎の足跡と共に位置づけるとこうなる、という本だ。
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システムの複線化を~ウィルス対策ソフトが原因のシステム障害

2005年04月24日 09時25分06秒 | コンピュータ
共同通信社など報道を含む各社で発生した、コンピュータのCPU使用率が100%になり事実上使えなくなるという障害は、ウィルス対策のため導入していたトレンドマイクロ社の製品のパターンデータが原因とのことだが、ここにはいくつかの興味深い問題が見られる。

(1)忠実にWinXPにSP2パッチをあて、最新のパターンデータを自動更新していた、模範的・優良な企業が被害を受けた。ウィルス対策ソフトを導入しているから安心とは言えなくなった。
(2)ウィルス対策ソフト各社は、最新のウィルスに対抗するため、激しい競争のさなかにある。そのため、パターンデータの動作確認の手順を怠ったミスが原因らしい。人為的なミスなのか社内ルールの運用に問題があったのかわからないが、一つのミスがこれほど広範な影響を及ぼしてしまう。
(3)素人の個人だけでなく、専門家のアドバイスを受けているはずの企業も大きな影響を受けている。

企業の立場ではもっと厳密に考える必要があるだろうが、この事件を個人の立場で見るとき、システムの複線化を必要としているのではないか、と考える。たとえば自宅(社)にWindowsのパソコンしかなく、それがトレンドマイクロ社の製品しか使っていなかったら、アウトである。ウィルス対策ソフトをトレンドマイクロ社から他社に切替えるなどの方法では、根本的な解決にはならない。自宅(社)の1台がWindowsパソコンであるなら、もう1台はそもそもWindowsをねらうウィルスが動作しない、Linux/Macなど、非Windowsパソコンにすべきだろう。仮に片方がやられたとしても、片肺飛行でシステムの最低限の機能は保たれる。
遺伝子の単一化が絶滅を招くことを防ぐために、生物が有性生殖を行い、微妙に違いのある遺伝子を交換するしくみを維持しているように、システムにも複線化が必要なのではないか。
少なくとも、LinuxとWindowsが混在するわが家のLAN(*)では、Windowsの更新やウィルス対策ソフトの更新に伴う経費は半分以下に減少しており、システムの安定性も維持できている。

(*): CPU切替器でWindowsとLinuxの2台のパソコンを切替え使用
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スーパーで中古PCのリサイクル・セール

2005年04月23日 22時10分33秒 | コンピュータ
近所のスーパーに花を買いに出かけたら、中古PCのリサイクル・セールをやっていた。興味があったので少し眺めてきたが、大部分がどこか企業の(もしかしたらそこのスーパーの)放出品らしい、某社の省スペース型デスクトップ・パソコンで、15インチの液晶ディスプレイ付きで49,800円だった。詳細は不明だが、チラシを見る限り、CPUはCeleron(450MHz)、メモリは64MBでHDは20GBくらいか。もちろん、OSやドライバ・ディスクもついていると思われるが、中古パソコンを見慣れた目にはあまりお買い得とは思えなかった。
実際、こうした中古PCのOSは、今のところWindows98やMeがほとんどで、安定性やセキュリティなどの面で不安がのこる。一方、Knopics-CDで調べた限りでは、USBキーボードとマウスを採用し、レガシーフリーを標榜するこの機種は、Linuxの導入には難関が多そうだ。また、64MBというメモリは快適な使用にはいささか不足するだろう。すると、割高な旧型追加メモリを探すことになり、結局あまり経済的とはいえなくなってくるのではないか。

むしろ、注目すべきは中古パソコンが「近所のスーパーで」売られるようになった、という事実だ。今や、ワープロ・表計算用のパソコンは、高いお金を出して買うものではなくなってきつつある、ということを表していると言うべきだろう。CDをいれて線さえ繋げれば、必要なものはダウンロードできるようになってきつつあり、パソコンの知識や技術さえも特別なものではなくなっている。
エンドユーザー・コンピューティングの行く先はパソコンの日用品化の方向と一致する。日用品も上手に使っている人とそうでない人の違いはあるが、「ほっといてんか」と言われれば「そうですか」と引き下がらざるをえない。古くからのパソコン・フリークにとってはいささか不本意だが、たぶん、余計なお世話をしない方がいい時代になってきているのだろう。
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庄司紗矢香のプロコフィエフVn.ソナタ第1番

2005年04月23日 12時49分43秒 | -室内楽
日曜のNHK教育テレビ、N響アワーのあとの芸術展望で、ときどきリサイタルを放映してくれることがある。早朝出勤の身にはつらい時間帯になるので、録画して後からゆっくり楽しむことが多い。2002年12月16日、サントリーホールでの庄司紗矢香ヴァイオリン・リサイタルの映像も、そんな中の一つだ。
今日も、コーヒーを飲みながらビデオで楽しんでいる。曲目は、
(1) W.A.モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 K.304
(2) S.プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ短調
(3) L.V.ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ「クロイツェル」
ピアノ伴奏は、イタマール・ゴラン。
プロコフィエフのソナタは、昔から好きな曲目だが、厳粛な表情の中にも若々しい緊張感ある演奏だ。私は、プロコフィエフのこのソナタを、昔の日本コロムビアの廉価盤LP、パルナス1000シリーズにあったピエール・アモワイヤル(Vn)とフランソワーズ・レーニャ(Pf)の演奏(RE-1529-MU)で親しんだ。寺田兼文氏の解説も有益なもので、1938年に構想され、スケッチされたが、映画「アレクサンドル・ネフスキー」の音楽と同名のカンタータの作曲などにより中断し、1946年に完成したとされている。第4楽章の終わりに、静寂の中で余韻を味わいながら弾き切った若いヴァイオリニストに、惜しみない拍手が贈られ、演奏家のほっとした表情がクローズアップされる。このシーンもいい。
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ネットワーク上のアイデンティティのことなど。

2005年04月23日 08時30分01秒 | コンピュータ
ネットワーク上のアイデンティティについて、ふと考えることがある。巨大な掲示板では、始終どこかで自作自演やらなりすましやらでにぎやかだが、ごく私的なつながり方を目指しているはずのWeblogでも、実は同じ問題がありうる。
このブログでの話ではないのだが、たとえばトラックバックをもらった人のブログを、本当にそのまま受け止めてよいのか。もし間違っていたらたいへん失礼な話ではあるけれど、若いお嬢さんだと自称しているものの、しっかりした文章や好みのありようなど、実際そのままには受け止められないと感じる場合もある。もしかしたら、年頃の娘さんを持つ中年の方や、若い娘さんの生態をよく知っている学校の先生などが作者だったりするのかもしれない、などと想像してしまう。また、小説好きの主婦からと称するコメントやメールなども、うっかりすると妙なサイトへ誘導されるしかけだったりする。疑いすぎるのも良くないが、信じすぎるのもよろしくない。ネットワーカー歴15年の古だぬきらしく、あまり律儀に対応せず、適当にずぼらを決め込んでいる。

ネットワーク上のアイデンティティは難しいものだ。CPUからみれば、それぞれの接続先は単なる1個のファイルにすぎない。それぞれのファイルの同一性は、IPアドレスやタイムスタンプやファイル名等で識別されるに過ぎない。それを人間関係に適用したとき、アイデンティティを保証するものではないことを認識する必要がある。

某巨大掲示板で、ある論争に巻き込まれた若者が、自作自演でないことを証明しろと言われて孤軍奮闘したあげく、証明できずにしばらく人間不信に陥った例を知っている。このケースなどは、誰かが「それは不可能。不毛だよ。」と早期に教えてあげればよかったのだろう。子どもの中学時代の情報基礎や高校の情報の教科書などを見ていると、ワードやエクセル等の使い方講座で終わる傾向があるが、他では教えられない、こういう本質を教えてほしいものだと思う。
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ようやく水仙が咲いた

2005年04月21日 20時49分52秒 | 散歩・外出・旅行
我が家の水仙がようやく咲いた。夜、帰宅してから写真を取った。春風に揺れる夜の黄水仙は風情がある。昔風の八重咲きの水仙は少なくなり、ラッパ型の花がほとんどになってしまった。水仙も、流行の世代交代か。球根を掘り返して株分けすればよいのだろうが、長年放置しているものだから、毎年毎年いつも同じ場所に咲く。春の光が多くあたるところから雪どけが進むので、どの場所から咲き始めるかも決まっている。我が家の中で一番早く春が来るのはクロッカスの咲く場所で、次がこの水仙の区画である。今月の下旬になれば、ユキヤナギが咲き始めるだろう。そして5月に入ればライラックだ。サクランボ畑の入り口はタンポポが一斉に咲き、モモの花の次はサクランボとナシとリンゴの花が咲く。花粉を媒介するように設置するミツバチの巣に、蜜を運ぶミツバチの群れが飛ぶ、そんな季節はもうすぐだ。
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資源回収について

2005年04月20日 20時09分48秒 | Weblog
ゴールデンウィークの連休あけに、子供会の資源回収があるという知らせが入った。中学校が中心になり、毎年行っているものだが、今年は雑誌も回収するという。これはありがたい。だいぶ以前の雑誌が山積みになっている。一番多いのはずっと昔の FMfan だが、この他にも 創刊号以来のCDジャーナルがおよそ十年分、月刊アスキー誌がおよそ十年分、近いところでは LinuxMagazine が4年分くらいたまっている。このさい、思い切ってどさっと処分しようかと考えている。
処分といっても、実はいささか未練もあって、特に FMfan などは懐かしさいっぱいなのだが、たとえ保存しておいたとしてもこの先利用するあてもない。せいぜい写真でも取って、WEBにでも掲載することで、「懐かしさ」というバリアーは回避するようにいたしましょう。
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「おひたし」が美味しい。

2005年04月19日 20時53分14秒 | 料理・住まい
最近、畑でとれる春野菜の「おひたし」がおいしい。かつおぶしをたっぷりかけて、お醤油を少々。それだけで、美味しい。ゆでるときに、少量の塩を加えてゆでるとよいのだそうだが、少しほろ苦さを残したものが、最近はおいしく感じる。ぴりっと辛い「しなべきゅうり」の漬物と、おかわり自由の「おひたし」が、春を感じさせる。
梅の花がさいている。桜もそろそろ咲く頃だろう。盆地の春はもうすぐ満開になる。
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消えてしまった(?)ページ

2005年04月18日 22時27分45秒 | コンピュータ
無料で提供してもらっているこの goo blog だが、夜になるととたんに重くなる。つい先ほど、宮城谷昌光の『孟甞君』を読了した話を書き込んでいる最中に、うっかり何かしてしまったらしい。記事書き込み画面が、記事一覧の画面に変わっていた。しかも、先ほどの新しい内容は、記事一覧にも表示されない。タイトルは付けたが、『投稿』ボタンをクリックしていないので、投稿はされていないようだ。要するに消えてしまったということ。こういう意識的にコントロールできない状態は、困る。
時間帯にもよるが、この状態では、継続期間が長くなるほど移行が難しくなりそうだ。おもいきって、もっと軽快な他の有償 blog サービスに移行した方がよいのだろうか。

写真は、先日撮影してきた山形城東大手門から見た美術館前通りの様子。
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