電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

加齢による注意力の低下を防ぐには

2015年01月31日 06時02分04秒 | 健康
年齢とともに老眼が進み、運動能力が低下し、頭髪が減少するなどの現象が目立つようになります。こうした身体的なこともさることながら、実は注意力などの精神的な能力の低下に気づき、思わずどきりとします。

「肉体的には低下しても精神的には衰えることはない」と豪語するお年寄りもいますが、たぶんそれは単なる強がりか、あるいは精神的な衰えを自覚できないほどの柔軟性の低下ではないかとさえ思います。

例えば、書類を書くときに、わかっていても住所のらんに氏名を書き始めたり、押印するらんを間違えたりすること。あるいは注文書の間違いに気づかず、商品が届いてからあわてたりすること。こうしたミステイクは、若い頃にはきちんと注意力が働き、ごくまれなことだったように思います。ところが近年は、こうした早とちりや「ヒヤリ・ハット」した事例が増えてきていると感じます。間違いなく、中高年に仲間入りして顕著になった、注意力の低下に起因する現象です。

若い頃は、何十枚、何百枚という枚数の封筒に宛名ラベルを貼り、宛名に対応した文書を封入するという作業を、よくやりました。このときは、あらかじめラベルと文書の対応を確認し、文書を封入した上にラベルを貼る、という作業の流れを作っておけば、ときどき同じになっているかを確かめるだけで、ルーティンワークとすることができました。

ところが近頃は、それほど多くの枚数はないのに、宛名ラベルと文書の対応を間違えていることに気づいてあわてたりします。慣れた仕事だからとタカをくくらず、虚心に対象に向かうことの大切さをあらためて感じています。

過度のルーティン化を排し、作業に変化を持たせ、脳みその活動を維持することが大切、ということでしょうか。そもそも脳みその老化を防ぐためには、観察したり計算したり、書くことや工夫し工作すること、あるいは自然の中での農作業など、脳みそを適度に活性化させて使うこと、そして良質な睡眠で休ませることが大事なのでしょう。

要するに、年寄りの横着でものぐさにならずにちゃんとやれ、ということですな(^o^)/

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映画「バンクーバーの朝日」を観る

2015年01月30日 06時03分10秒 | 映画TVドラマ
すでに先週の話になっていますが、三連休二日目の日曜日、映画「バンクーバーの朝日」(*1)を観てきました。

戦前のカナダ移民の二世たちが、バンクーバーで野球チームを作っています。それが、「バンクーバー朝日」です。人種差別の中で、野球をするにも生活をするのにも、大きな困難があります。それでも、体格とパワーの大きな差をはね返すためにバントや盗塁、ヒットエンドランなど頭脳野球を展開して、緊張感とスピードのあるゲームに白人ファンも認めるようになり、ついに地域リーグで優勝するまでになります。

しかし、日米開戦によって日系人は強制的に収容所に送られ、朝日という野球チームは消滅します。日本とカナダの知られざる歴史の一コマを描いた、興味深い作品でした。おそらく国内に作られたセットだと思いますが、白人街と日本人街の風景、光の様子など、テレビでは見ることができないリアルさで、すっかり魅了されました。

キャプテンでショートを守るレジー笠原を妻夫木聡が演じていましたが、大河ドラマの兼続くん以来でしたので、ずいぶんしばらくぶりに感じました。芸能スポーツ分野に疎く、テレビを観ない生活をしていると、こういう点は実に弱いです(^o^;)>poripori

(*1):映画『バンクーバーの朝日』公式サイト
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童門冬二『佐久間象山~幕末の明星』を読む

2015年01月29日 06時04分20秒 | 読書
童門冬二著『佐久間象山』を読みました。実業の日本社から2004年に刊行された単行本で、「幕末の明星」という副題がついています。著者の作品の通例で、ビジネス書のように箇条書きでまとめるというスタイルは、読者にとっては好き嫌いが分かれるでしょうが、よくわからない佐久間象山という人物について、要領よくまとめられた本、という印象を持ちました。



ただし、佐久間象山という人物を理解できたかと言われれば、やっぱりよくわかりませんとしか言いようがない。幕末の有名人であることはわかりますが、何を成したのか、どこが偉いのかよくわかりません。朱子学を尊重し、陽明学を排撃するところなど、むしろ頑固な偏狭さを感じてしまいます。学問の多様性も社会と文化の豊かさの基礎となっていると考える当方には、あまり仲良くなれない御仁だと感じられてなりません。勉強するため1日に2時間しか眠らないなんて、脳生理学的にあり得ないのでは。あるいは、そんな生活を続けたから人格障害が起こり、エキセントリックな人になったのかもしれないとさえ考えてしまいます(^o^)/

吉田松陰の先生にあたるとのこと、なるほど通じるところがあるとは思いますが、その尊王海防論が、薩長史観の立場に立てば「幕末の明星」と大いに評価されるところでも、そうでない見方をしてしまうと、なんだか評価に迷ってしまうということなのでしょう。

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山形弦楽四重奏団第54回定期演奏会でハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを聴く

2015年01月28日 06時03分57秒 | -室内楽
例年ならば厳しい寒波に襲われることの多い時期に、珍しく穏やかなお天気で迎えた平日の演奏会、山形弦楽四重奏団の第54回定期演奏会を聴きました。山形市の文翔館議場ホールにおけるプログラム、本日の曲目は

  1. ハイドン 弦楽四重奏曲 ロ短調 Op.33-1
  2. モーツァルト フルート四重奏曲第4番 イ長調 K.209
  3. ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 Op.131
      (演奏:山形弦楽四重奏団、フルート:小松崎恭子)

の3曲です。

18時30分からプレ・コンサートがありまして、小松崎恭子さん(Fl)と田中知子さん(Vla)のお二人が、ドヴィエンヌの「フルートとヴィオラのための二重奏曲第4番」を演奏しました。フルートとヴィオラという組み合わせの音色がよく合う、楽しい曲でした。

その後で、第2ヴァイオリン担当の今井東子(はるこ)さんが登場、曲目を紹介します。ハイドンのところはよく聞き取れず、モーツァルトはこの日が誕生日だということと、フルートの小松崎さんを紹介しました。ベートーヴェンの曲については、山形弦楽四重奏団としては今回で全曲演奏することになるのだそうで、最後まで取っておいた曲ということになるようです。今井さんの感覚では、この曲は山登りをするようなもので、登頂のあとの景色を見たいとのことでした。途中、何やら前の方で手を挙げていた人もいたようですが、どうやら「第14番を聴いたことがある人」というアンケートだった模様です。残念! 私はこの一週間、通勤の音楽として毎日聴いていたのでしたが、やや後ろの方に座っていたもので、挙手できず。状況を把握しきれていませんでした~(^o^)/

1曲目、ハイドンのロ短調です。この曲は、けっこうお気に入りの曲の一つなのですが、短調なのに暗くないところがいいですね~(^o^)/
山Qの演奏は、出だしこそベートーヴェンの大曲を意識しすぎていたのか、ハイドンの軽みの点でちょいと重かったようですが、徐々に本領を発揮して、気持ちよく聴くことができました。

第2曲目、モーツァルトのフルート四重奏曲です。比較的聴き馴染みのある曲ですので、明るい音色やリズミカルな動き等、水を得た魚のように活発な小松崎さんのフルートと山Qの音楽を楽しみました。



休憩の後は第3曲目:ベートーヴェンの14番、嬰ハ短調の弦楽四重奏曲です。第1ヴァイオリン~第2ヴァイオリン~ヴィオラ~チェロと加わりながら始まる不思議な音の世界。夢遊病の雰囲気というか、ぼやけた幻想の中を歩く心象風景というべきか。途中のロンド風の第2楽章も同様の性格を持ち、活力に満ちた中期のベートーヴェンではありません。ごく短い第3楽章に続く第4楽章は、主題と変奏の形を取り、いちばん長く、ほんとに聴き応えのある音楽です。第5楽章は速いテンポで奏されるスケルツォで、マリオネットの動きみたいだったりガイコツのおしゃべりみたいな響きもあったり。スピーカで再生する音とは違って、ナマのチェロが迫力で響きます。第6楽章、再びぼやけた世界を散策する短い楽章で、最後の第7楽章は力強さのある音楽です。全曲がアタッカで演奏されますので、メンバーの皆さんはおよそ40分間奏きっぱなし。でもフィナーレはベートーヴェンらしい力強さと覚悟の中に終わります。不思議な厳粛さを感じます。

この一週間、通勤の音楽としてずっと聴いておりました。後期の弦楽四重奏曲だからといって、それほど敬遠される曲だとは思いませんし、変化もあり聴き応えのある音楽だと思います。もちろん、若いベートーヴェンが持っていた清新さや、中期の「オレの音楽を聴け!」みたいな強さよりも、わが道を歩んだ結果わけ入ることとなった荒野を歩く孤独な旅人が、深みへ沈んでいくような感じはありますが。実際、ただ一人でしだいに老いていき、病む中で覚悟を決めていくということは、そういうことだろうと思います。

いや~、今回も良い演奏会となりました。メンバーの皆様、お疲れさまでした。おかげさまで、たいへん充実した時間を過ごしました。今井さんの右腕は大丈夫だったでしょうか。小松崎さんを加え、おそらくゴキゲンな打ち上げとあいなったことと思います。

さて、次回は4月下旬の予定で、第55回となります。ハイドンの弦楽四重奏曲ニ長調Op.71-2、フォーレの弦楽四重奏曲ホ短調Op.121に、まだ聴いたことがないオネゲルの弦楽四重奏曲第1番の予定となっています。楽しみです。

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プラチナ社のブルーブラックはボトルとカートリッジでは色合いが異なる

2015年01月27日 06時01分10秒 | 手帳文具書斎
万年筆インクは、最近はほぼプラチナ社の古典ブルーブラックが主体となっており、裏抜けしにくく使える紙の種類が幅広いという特性を高く評価しています。ただし、同社の万年筆#3776ブルゴーニュ(F)やパイロットのカクノ(M)では、コンバータを使ったり空のカートリッジにスポイトで詰めたりして、ボトルインクの鮮やかな青色と裏抜けしにくい古典ブルーブラック・インクの特性を楽しんでいますが、同じブルーブラックでも、カートリッジのインクではどうも色合いが異なるようです。

はじめのうちは、インクフローの違いからそんな印象を受けるのかと思っていましたが、どうやらそうではないらしい。細字でなく中字になると、色の傾向の違いはもっと強調されて明瞭になります。その違いを一口に言えば、「鮮やかな青色が濃いボトルインク」に対して、「青色が薄くダークグレーに近いカートリッジ・インク」となるでしょうか。

パイロットの空カートリッジでは広口のため、スポイトで詰めるという荒業が使えたのですが、プラチナの空カートリッジは細口のため、スポイトは使いにくいことから、同社のインクコンバータをプレッピー専用に用意するという対応をしたのでした。200円の万年筆に500円のコンバータというアンバランスも、実用上は大いに意味があります。









古典ブルーブラックの本来の色は、もしかしたらカートリッジ・インクのほうかもしれないという気はしますが、個人的な好みでいえば、おそらく青色色素の配合量が多いボトルインクの方が好ましいと感じます。



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プラチナ社のインク・コンバータが届く

2015年01月26日 06時01分10秒 | 手帳文具書斎
行きつけの文具店に注文していたプラチナ社のインク・コンバータが届いたと連絡がありましたので、購入して来ました。定価500円のところ、税別で400円でした。ネット時代ではありますが、地元のこういうお店は、たいへんありがたい存在です。



最近は、シルバータイプもあるようですが、在来型のゴールドタイプを二本、うち1本はプレッピー0.5mm用で、もう1本がプレッピー0.3mm用という心づもりです。これで、なんとなく冴えない色のブルーブラック・カートリッジ・インクではなく、青色が鮮やかなブルーブラック・ボトルインクで楽しもうと思います。

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お年玉付き年賀状をきっかけにベートーヴェンのピアノソナタ第30番を聴く

2015年01月25日 06時04分11秒 | -独奏曲
今年の年賀状のお年玉当選番号を調べたら、3等の切手シートが3枚当たっていました。しかも、ぜんぶ30番ばかり(^o^)/
30番と言えば、ベートーヴェンのピアノソナタ第30番を連想します。そういえば、第30番、しばらく聴いていないぞ。これは、30番を聴け!というミューズのお告げかも(^o^)/

というわけで、本日はベートーヴェンのピアノソナタ第30番を。若い頃に初めて聴いたのは、アルフレート・ブレンデルの最初の録音でした。例の、日本コロムビアの廉価盤「ダイヤモンド1000シリーズ」中の1枚で、後期の3曲を収録したこのLPを、それこそすりきれるほど聴いたのが懐かしい。

休日のお楽しみは、ちょいと毛色の違う演奏をと考え、YouTube で「Beethoven Piano sonata 30」で探してみたら、こんなのを発見。ダニエル・バレンボイムの演奏です。今は指揮者として活動しているだけなのかと思ったら、ちゃんとピアニストとしても活動しているのかな? 頭はすっかり白くなり、ベートーヴェンの晩年の作品を演奏するのにふさわしい風貌になっているようです。

Beethoven Sonata N° 30 Daniel Barenboim


ずいぶんロマンティックな演奏ですが、しかし、ほんとにいい曲ですね~。思わずため息が出ます(^o^;)>poripori

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佐伯泰英『失意ノ方~居眠り磐音江戸双紙(47)』を読む

2015年01月24日 06時09分06秒 | -佐伯泰英
『陽炎ノ辻』に始まる佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙』シリーズも、ついに第47巻まで到達しました。本巻では、絵師・北尾重政の絵筆を通して、小梅村の尚武館坂崎道場の日常風景を描きながら、出羽国山形の前田屋奈緒母子の苦難を救うべく旅立つ師弟、老中田沼意次と磐音の対面など、エンターテインメント的名場面ば展開されます。

第1章:「弥助の出自」。幕府の密偵であった松浦弥助は、わが手にかけた若者の遺髪を持ち、伊賀の泉下寺に参ります。供養の後に向かったのは、出羽国山形の前田屋奈緒母子のもとへ、でした。磐音は偶然にもやくざの借金取りに追われる絵師の北尾重政を助け、尚武館坂崎道場に居候させることになります。

第2章:「神保小路の屋敷」。弥助を助けるべく霧子も山形へ出発し、磐音は奈緒母子を迎え江戸で暮らせるように根回しを始めます。やっぱり頼るのは今津屋の由蔵さん。しかし由蔵さんの情報網・人脈の幅広さと的確さには、驚かされますね~(^o^)/

第3章:「婿選び」。奈緒の働く先については、本所の紅花染め職人の篠之助親方が力になってくれそうです。ところが道場に戻ったら、迷惑な爺さんと孫娘と七人の侍が道場破りに来ていました。なんでも、孫娘の婿選びのために剣術の試合をしたいという申し出、それはまた破天荒なというか、無茶苦茶というか、作者はよくもまあこういうストーリーを考えだすものです(^o^)/

第4章:「玄妙妖術ひな」。妖女の妖しさは、「八犬伝」中の「玉梓の怨霊~」なみですね~(^o^)/
また、それを熱心にスケッチする北尾重政殿は、充分に怪奇作家の資格有りです。

第5章:「失意の方」。やっぱり! 田沼意知の墓前で意次と1対1で対面したというのに、磐音クンは家基の、あるいは養父母の仇!と立ち向かうこともせず、どうやらその気はなくなったようです。田沼意次の晩年は、誰かに仇討されたという史実はないので、磐音が敗北するか、仇討を諦めるか、悟りを開いて赦しを与えるくらいしかないのでは(^o^)/
さて、作者はどのような結末を与えるのでしょうか。あと残すは3巻です。

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理想と現実のとらえ方

2015年01月23日 06時01分13秒 | Weblog
理想と現実について、大人と子どもや、上司と部下の間で、とらえ方が食い違うことがあります。「それは理想論だ、現実を見ろ」と言えば「現実ばかりを見て、理想を忘れている」と言い返されるような場合です。
でも、よく考えると、理想と現実とが相反しているのではなく、方向性のバランスがずれているのではないか。



理想への接近の度合いを縦軸に、現実性の程度を横軸にしたとすると、理想に合致し現実性も高ければ誰も文句を言わないでしょうし、理想から程遠く現実性も小さければそもそも発想しないでしょう。問題は、理想に近いが現実性はうすい場合と、理想からは遠いが現実的な場合とが対立するケースでしょう。
この場合、両者はどう対応していけばよいのか。
おそらくは、理想への接近の仕方を工夫しつつ現実性を高める方策と、現実性を確保しつつ理想への接近の度合いを高める工夫とを、すり合わせることが大事になるでしょう。

ただし、現実の否定を理想だと考えている場合は、なかなか難しいものです。理想の中身を、もう一度よく考えてもらうことが必要かもしれません。

【追記】
画像は、Linux 上のフリーのドローツール、要するにイラストレーターみたいなソフトで、Inkspace というもので作成しました。なかなか便利です。

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愛車の後継を決断する

2015年01月22日 06時01分02秒 | 散歩外出ドライブ
愛車ティーダ・ラティオ(TIIDA Latio)の走行距離が14万キロを超えて、そろそろ更新を考えておりました。過日、某ディーラーに電話をして、車の購入について相談をしたいこと、細かい交渉は性に合わないので、一発で決まるように準備をしてきてほしいと伝えました。これまで何度か足を運んで、車については納得のいくまで確かめていますし、所長さんとも話をして要望を伝えていますので、あとは値段だけです。

担当の若い営業さんが来宅し、所長の決裁を得てきた価格を提示してくれましたので、即決で応諾しました。若い営業さんの喜ぶこと! 実は初めて一人で商談して応じてもらったとのことでした(^o^)/
いっしょうけんめい働く若い人は、ほんとに宝です。私も、つい一緒に喜んでしまいました(^o^)/

何を後継にしたのか? それはまだナイショです(^o^)/
登録が済んで、納車の日になったら、写真とともに記録したいと思います。
ちなみに、現在の日産ティーダ・ラティオを購入したのも、このブログを初めてからしばらく経った、2007年の1月でした(*1)。あれから8年も経ったのかと思うと、ほんとに早いものです。思えばずいぶんいろいろなことがありました。


(*1):新車で散歩~「電網郊外散歩道」2007年1月
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ニールセンのクラリネット協奏曲を聴く

2015年01月21日 06時03分47秒 | -協奏曲
先日の山響定期で聴いたニールセンのクラリネット協奏曲は、残念ながらCDも持っていませんでしたので、YouTube で探してみました。「Nielsen Clarinet concerto」で検索してみたら、こんな映像が出てきました。

Han Kim plays C.Nielsen Clarinet Concerto, Op.57


うーむ、こんなに簡単に全曲が出てくるのであれば、音楽CDが売れなくなるわけだなあ。

それにしても、ナマの演奏会の感銘は圧倒的です。いくら YouTube や Amazonが便利でも、ナマの演奏会にはかないません。体験は知識に勝ります、と実際に演奏会を聴いた後ならば言えるんですが、めったに聴けない曲目を耳にすることができるのは、やっぱり音楽CDやネットの恩恵なんですよね~(^o^)/
当方のような素人音楽愛好家には、どちらも大事です、ということになりましょうか(^o^)/

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火坂雅志『真田三代(上)』を読む

2015年01月20日 06時01分58秒 | 読書
来年の大河ドラマの原作になっているらしい、火坂雅志著『真田三代』の上巻を読みました。NHK出版会から刊行された単行本で、2011(平成23)年の10月に初刷が出ています。上杉を支えた直江兼続を描く『天地人』はもう何年前になるのでしょうか、たしかあの頃も、だいぶ前に原作を読んだのではなかったかと思います。

この『真田三代』は、真田幸隆ー真田昌幸ー真田信幸・幸村と続く真田家の、戦国時代を生き抜く在り様を描く時代小説です。上巻は、真田幸隆が武田信玄に表向きは臣従しながら、領地と家臣団を守ろうとする権謀を中心としたお話と言って良かろうかと思います。

「人は利(益)によって動く」という人間観は、ドライな戦国武将のものというよりは、企業社会ニッポンの投影なのでしょうか。勝ち組と負け組とを素早く見極め、勝ち組の尻馬に乗るだけでは生き抜けない。時には負け組の側に付いて、負けっぷりを相手に認識させてから勝ち組に乗り換える方が良い場合もある、というわけです。



うーむ、思わず夢中になって読みふける、というタイプの本ではありません。読むものがなくなって、何か肩の凝らないものをちょいと読んでみたい時などに向いているようです。下巻の前に中巻というのはあるのかな? 図書館で探してみましょう。

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山響第242回定期演奏会でグリーグ、ニールセン、シベリウスを聴く

2015年01月19日 06時02分00秒 | -オーケストラ
だいぶ雪が積もった日曜日、朝から雪かきをして、午後も雪かきをしてから、山形交響楽団第242回定期演奏会に出かけました。3時すぎには山形テルサホールに到着し、開演を待ちました。



今回の曲目は、「フィヨルドを渡る風」と題して、

  1. グリーグ/組曲「ホルベアの時代から」作品40
  2. ニールセン/クラリネット協奏曲 作品57 FS.129、川上一道(Cl)
  3. シベリウス/交響曲 第4番 イ短調 作品63
     飯森範親指揮 山形交響楽団

というものです。

恒例のプレ・コンサート・トークで、指揮者の飯森範親さんが、天童市で行われたモンテディオ山形のキックオフ・イベントから山形に帰る途中、左手の奥羽山脈の雪景色が素晴らしいことに触れた後で、本日の曲目について説明しました。とくに、ニールセンについては、あまり旋律らしい旋律を書かず、リズムを重視し断片をつなぎ合わせるような書法が多く、デンマーク以外の国ではまだ充分に親しまれているとは言い難いそうです。ソリストの川上一道さんは、一昨年の日本音楽コンクールの優勝者であり、卓越した技術と音楽性で、この難曲を吹ききっているとのこと。
また、シベリウスについては、喉頭に腫瘍が見つかり手術・治療していた時期に、不安の中で作曲されたものだそうです。根底に死をどうとらえるかというテーマがあると言います。本人は、この第4番を、第7番とともに最高傑作と自負していたとのこと。
最後に、山響の経営上の問題にも触れ、金管奏者の有志が山響の支援を要請するコンサートを今月23日(金)19時~に企画していることを紹介しました。

最初の曲目は、グリーグの組曲「ホルベアの時代から」。弦楽合奏のみで、楽器の配置は、ステージ左から第1ヴァイオリン(7)、第2ヴァイオリン(7)、チェロ(5)、ヴィオラ(5)、その右手後方にコントラバス(3)という順です。コンサートマスター席には犬伏亜里さん、セカンドのトップはヤンネ舘野さんで、チェロのトップは小川和久さんが座っていますが、ヴィオラのトップは上品そうな女性奏者で、プログラムで確かめたら、客演の金子なおさんとありました。もしかすると、お隣の倉田さんの恩師の方?
第1曲:プレリュード、アレグロ・ヴィヴァーチェ。
第2曲:サラバンド、アンダンテ・エスプレッシーヴォ。チェロの小川和久さん、渡邊研多朗さん、邢広京さんの三人のチェロの合奏が、ほんとに素晴らしい! チェロ、いいですね~。
第3曲:ガヴォットとミュゼット、アレグレット~ポコ・ピウ・モッソ。
第4曲:アリア、アンダンテ・レリジオーソ。
第5曲:リゴードン、アレグロ・コン・ブリオ。ヴァイオリンとヴィオラのソロによる見事な重奏が、弦のピチカートをバックに、左右のかけあいの効果もあって、実に素晴らしく面白い! 
全体に、山響の弦楽セクションの見事さを、あらためて感じました。

続いて、ニールセンのクラリネット協奏曲です。
楽器編成は、前曲と同様の1st-Vn(7),2nd-Vn(7),Vc(5),Vla(5),Cb(3)の弦楽セクションに加えて、正面奥に小太鼓、その奥にHrn(2),Fg(2)のみ、というものです。小規模な編成ですが、これが逆に室内楽のような緊密感のある味わいを生み出すようです。実演で聴くのは今回が初めてであるだけでなく、残念ながらCDも持っていませんので、先日、某YouTubeで聴いたのが初めてでしたので、印象が新鮮です。
コントラバスとチェロにヴィオラが加わり、やがてクラリネットが入ってきます。クラリネット・ソロは、高音から低音までを駆使して、リズムも面白いものです。小太鼓は、要所でリズムにアクセントを加えます。オーケストラが全休止する間、クラリネットの見事なソロ。会場は静まり返り、ひたすらクラリネットの妙技に耳を澄ませます。最弱音もしっかり伝わるのは、山形テルサのような規模のホールの良さでしょう。曲は、部分的にJazzのテイストもあるようで、汽笛のような、あるいはキャンキャン、ケラケラした音も。クラリネットの多彩な持ち味を充分に引き出した、1922年に作曲されたとはいえけっこう現代的な音楽と感じました。
いや~、実に見事でした! 川上さんの演奏の後、拍手がしばらく鳴り止まず、アンコールを。どこか懐かしい旋律でしたが、沖縄民謡なのだそうです。



ここで、15分の休憩です。
聴衆の入りは、自由席を中心にだいぶ空席があります。真冬の天候から見ても曲目から見ても、たしかにお客がどっと押し寄せるという具合にはいかないだろうなあ(^o^;)>poripori
逆に、たとえ雪降りのお天気であっても、意欲的なプログラミングに反応する聴衆がこれだけいるというのは、すごいことだと思うのです。

それを痛切に感じたのが、シベリウスの交響曲第4番、あの暗~い、暗鬱なシンフォニーに対する反応です(^o^)/
楽器編成は、Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),Hrn(4),Tp(2),Tb(3:うち1はBassTb),Timp,Glocken,弦楽5部(7-7-5-5-4) となっています。
第1楽章:テンポ・モルト・モデラート~クアジ・アダージョ。コントラバスとチェロとファゴットという低音楽器だけで、不気味な始まりです。独奏チェロが、怪獣の呼吸か巨人のうめき声みたいなコントラバスをバックに、哀感や弱さを感じさせる主題を提示します。増強された金管楽器の響きも、例えばホルンの半分は弱音器を付けて奏されることがあるように、音色も単純ではありません。それに、ティンパニの迫力はただならぬものがあり、優しく慰められはするけれど、何か大きな衝撃を連想してしまいます。
第2楽章:アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ。冒頭に、オーボエが本来のひなびた音色で軽快な旋律を提示すると、弦楽がリズミックな動きを示す、という具合に、明るくはないけれど当社比で(^o^;)軽妙さは感じさせる、独特のスケルツォ風の楽章です。
第3楽章:イル・テンポ・ラルゴ。冒頭、フルートのソロに始まる緩徐楽章です。FgとClが静かなかけ合いをしたり、チェロが嘆きを呟いたりすると、瞑想的で内省的な弦楽合奏をバックにフルートが悲痛な旋律を奏でます。オーボエもクラリネットも、ふだんの明るい印象は消えて、悲痛さや哀感が全面に出てくるのが不思議です。ヴィオラやファゴット等が執拗に同じ音を繰り返す中に、呟きのような旋律が弱く奏されます。
第4楽章:アレグロ。弦楽セクションの合奏から始まる活動的なフィナーレです。ここでグロッケンが初登場、可愛く鳴らされます。木管、とくにクラリネットがけたたましい声をあげ、ホルンがミュートした音を本来の音にかぶせるなど、音色の面でも独特の工夫を感じさせます。弦楽合奏はときに鎮魂曲のように響くこともありますが、生き生きとしたリズムがようやく暗鬱さを脱し、エネルギーや推進力を感じさせてくれます。そして最終部は、ごくシンプルに、静かに終わります。

演奏が終わった後の静かな余韻を味わうかのように、だいぶ間合いがあっての大きな拍手でした。曲は暗いけれど、集中力と緊張感と内的なパワーのある、素晴らしい演奏でした。山響はこういうシベリウスを演奏するのだと、思わず誰彼となく誇りたくなります(^o^)/
そして、真冬のこういう演奏会にもかかわらず足を運ぶ聴衆の存在に、様々な困難や紆余曲折はあったでしょうが、これまでの山響のあゆみを確かに感じます。


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本日は山響第242回定期演奏会

2015年01月18日 06時04分24秒 | 散歩外出ドライブ
今朝はだいぶ冷え込み、雪が降っております。それでも、本日は山響第242回定期演奏会に出かける予定。
曲目は、

グリーグ/組曲「ホルベアの時代から」作品40
ニールセン/クラリネット協奏曲 作品57 FS.129
シベリウス/交響曲 第4番 イ短調 作品63
 飯森範親指揮 山形交響楽団、川上一道(Cl)

というもので、シベリウスの交響曲第4番は、村川千秋さんの指揮の山響でだいぶ前に一度聴いたことがあるはず。飯森さんの指揮でもう一度聴くことができますので、これは聴き逃せない。また、実演ではなかなか聴くことができないニールセンのクラリネット協奏曲も楽しみです。



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吉村昭『真昼の花火』を読む

2015年01月17日 06時02分27秒 | -吉村昭
吉村昭著『真昼の花火』を読みました。著者は2006年に亡くなっていますが、本書は河出書房新社から2010年に刊行されたもので、当然のことながら、単行本にされていなかった四つの作品を集めたもののようです。( )内は初出年です。

  1. 牛乳瓶 (1998)
  2. 弔鐘 (1967)
  3. 真昼の花火 (1962)
  4. 四十年ぶりの卒業証書 (1985)

「牛乳瓶」は、時の流れを感じさせる、ややエッセイ風の作品。
表題作『真昼の花火』は、いささか違和感を感じてしまう作品です。布団屋の息子が、自分を育ててくれた親の生業を「嫌う」だけならまだしも、それを「攻撃する」ことを主な仕事とし、しかも何食わぬ顔で家に戻り、沈黙を続ける。そんな人にはふさわしい結末と言えるかもしれません。課長だけが悪者ではないだろう。課長にいいように利用されたと言いますが、それだけではなさそう。少なくとも、「自分の親の生業を突き崩すようなことはできません」の一言を、最初に言えなかったものか。小心者の欲が招いた結果=小さな欲から大きな損失。かなり苦い味で、ふだん読んでいる吉村昭作品の、淡々とした中に毅然としたものがある味わいとは、だいぶ読後感が異なります。
「四十年ぶりの卒業証書」も、私的な随筆風の作品です。

作家が単行本を出す際には、それなりに選択が働いているのだろうと思います。もしかすると、作家の生前にまだ単行本化されていなかった作品というよりは、作家自身が単行本化を断念していた作品なのかもしれません。もしそうだとすると、それはそれでうなづける面があります。

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