電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

シューマン「交響的練習曲」を聴く

2007年02月28日 06時37分04秒 | -独奏曲
R.シューマンの「交響的練習曲」を初めて聞いたのは、おそらく学生時代だろうと思います。NHK-FM「大作曲家の時間」で、かなり長期間、R.シューマンを特集したことがありました。そのときのテーマ音楽が、この「交響的練習曲」の冒頭の旋律でした。シューマンの手紙や評論の文章や様々なエピソードとともに、年代を追って作品を紹介する構成のあの番組を監修したのは、たぶん吉田秀和氏ではなかったかと思います。毎週欠かさず聞いたものでした。今、もう一度聞けるなら、ぜひ聞いてみたいラジオ番組のトップに位置する名番組だったと思います。

LPを購入したのは、1970年代の後半かと思いますが、スヴィャトスラフ・リヒテルがスケールの大きな演奏を展開するレコードでした。「クレスハイム宮のリヒテル」と題された3枚からなるシリーズの一つで、1971年の9月にザルツブルグのクレスハイム宮で録音されたものです。ベーゼンドルファーを用いたベートーヴェンのピアノソナタ第27番がA面に収録され、A面の続きとB面に、スタインウェイを用いたシューマンの「交響的練習曲」が収録されていますので、シューマンだけを聴きたいときには、LPの中ほどの溝に針を降ろす、緊張の一瞬がありました。

先にショパンの「12の練習曲」作品12が出版され、大いに刺激を受けたシューマン、1834年にこの「交響的練習曲」を作曲します。実はこの主題を作ったのがフォン・フリッケン男爵で、その娘のエルネスティーネにのぼせたシューマンが、お父さんの御機嫌伺いの思惑を秘めた動機もあっての作曲のようです。しかし、わずか18歳の少女エルネスティーネが、美貌とは裏腹に意外に教養が低いことに失望したとされていますが、なに、惚れっぽいシューマン(24歳)は女性を見る目がないだけの話。あまり他人のことは言えませんが、この後はクララひとすじになるわけなので、まあいいでしょう(^o^)/

今、CDで聴いているのは、エフゲニー・キーシンの演奏です。キーシンが、若々しい感性で、とにかく速く活きのいいテンポで弾いています。1989年の2月のアナログ・ライブ録音です。

曲は、魅力的な旋律と和声で始まり、これを主題として多彩に変奏されていきます。ピアノ音楽の魅力を存分に味わうことができます。残念ながらせっかくのCDが全曲インデックスなしで収録されており、こまかくこの変奏曲だけを聴きたい、というワザは使えません。けれども、幻想的なスタイルを明瞭に示す第1練習曲から、最後の第12練習曲まで、主題から遠ざかったり近付いたりしながら見事な変奏を展開していく様が、よくわかります。遺作変奏の挿入位置は、中間部にまとめて演奏するリヒテルとは少し違うようです。

演奏データは、次のとおりです。
■エフゲニー・キーシン(Pf)
total=27'10"
(遺作変奏1~5は、別々に挿入されている模様。)
■スヴィャトスラフ・リヒテル(Pf, LP:Victor MKX-2002)
I=10'05" II=24'00" total=34'05"
(Iは第1練習曲から第5練習曲、IIは遺作変奏1~5に続き、第6~第12練習曲)
コメント (14)   トラックバック (1)

藤沢周平のユーモア

2007年02月27日 06時10分46秒 | -藤沢周平
1月26日は、藤沢周平の没後10年の命日にあたります。地元紙では、没後10年にあわせて、特集や企画を組んでいます。山形新聞では、ゆかりの人々が随想を寄せたり、山形師範の同級生だった良き理解者が寄稿したりしていますし、全国紙でも地方版のコラムなどに、藤沢周平の名を冠したらんを設け、関連記事が増えているようです。

その中で、湯田川中学校の教え子たちが、泉話会と称する集まりを持ち、このときの会話が作家の創作に影響しなかったはずはない、と以前書いたことがありますが、そのことに直接触れた内容がありました。

「先生の小説は暗い。重苦しい気持ちになる。」と感想を述べた教え子に、恩師・藤沢は、「今はまだハッピーエンドは書けない。もう少し待ってほしい。」と答えたそうです。「転機の作物」と題するエッセイにも、同様の想像のできる記述はありますが、教え子から直接証言があったことになります。

一方、娘の展子さんは、近著で、父の作風が明るくなったのはユーモア好きだった育ての母の影響が大きいと思う、と書いています。たしかに、再婚により家庭生活が安定し、作家としても認められ、日常に明るさが戻ってきたとき、本来持っていた農村的なユーモアがにじみ出てきたのは自然なことではないか、と思います。

藤沢周平のユーモアというと、どんな場面でしょうか。

たとえば『用心棒日月抄』で、主人公の青江又八郎は口入れ屋の吉蔵のもとで仕事を探しますが、細谷という大男に横から攫われます。

「しかし、どうなさいます?」
吉蔵の声が、又八郎の一瞬の感傷を吹きとばすように、無慈悲にひびいた。
「あとは犬の番しか残っていませんが。」

と突き放す場面。乾いたユーモアがただよいます。

新潮文庫『冤罪』に収録された「臍曲がり新左」では、隣家の娘を救い、篠井右京を斬った新左衛門が家に帰ると、あととり娘に思いを寄せる隣家の長男の平四郎が藩内の権力移行を促し、予想外に度胸と手腕を見せます。互いに好き合っている二人、平四郎が婿に来ても良いと言っていたことがわかり、二人の笑い声を聞きながら、下僕の芳平がそばに寄り、そっと話しかけます。

「お似合いのお二人でございますな」
「む、む」
と新左衛門は渋面を作った。しかし、芳平が薪の燃え残りの最後の一片に水を掛け、庭が闇に包まれると、不意に相好を崩してにやりと笑った。

というあたりは、それまでの緊張感が一気にほぐれ、腹の底から可笑しい場面です。

あるいは文春文庫の『花のあと』に収録された「花のあと-以登女お物語-」などは、気丈な祖母の初恋の次第が語られる全編の語り口が、実にユーモアに包まれ、たいへんに印象的です。

藤沢周平のユーモアは、どこかシュールなものがあり、上質な笑いだと感じます。
コメント (4)   トラックバック (1)

大江町の柳川温泉に入りソバを賞味する

2007年02月26日 01時00分31秒 | 散歩・外出・旅行
暖冬で嬉しいのは、この季節になかなか行けない土地に足を伸ばし、季節の味を賞味することです。日曜の昼、妻とソバを食べに大江町の柳川温泉に行きました。車で県道27号線をずっと登っていきます。途中一箇所だけ、標識がなくわかりにくい分岐がありましたが、上りの道を選んで目的地につきました。



左側が多目的集会所、右側が柳川温泉保養施設です。駐車場はけっこうな台数が停められますが、他県ナンバーも含めて、お昼時にはほぼ満車に近い状態でした。駐車場を隔てて背中側に、柳川そばの店がありました。



メニューは、板そば(小)が700円、(中)が1000円、(大)が1300円。今日は朝食が遅かったので、(小)を2枚とげそ天(300円)を頼みました。赤カブとたくあん、それにキクラゲがついて、おいしいソバでした。



例年ならば、かなりの積雪量かと思いますが、今年はぐっと雪が少なく、ほとんど三月の陽気です。しかし、西川町大井沢に抜けるトンネルは雪でまだ開通していないとのこと、さすがに名だたる豪雪地帯です。

温泉は1人300円、湯量もけっこう多く、屋内の浴室から野天風呂に移動できます。お天気が良かったので、早春の日差しの中で、湯煙と風景を満喫してきました。
念のために、ここは携帯電話も圏外のようですので、複数で利用の際は、落ち合う場所と時間をあらかじめ決めておくことをお勧めいたします。

都会では景観を損ねると評判の悪い電線ですが、山間部の奥の集落まで伸びる電線に、文明の安心感を覚えます。
コメント (4)

デフォー『ロビンソン・クルーソー』を読む(2)

2007年02月25日 08時56分02秒 | -外国文学
ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』物語、子どもの頃は漂着した無人島での生活を作り上げる様子が好きでした。

まず、住居の建設です。はじめは多くの物資を積み上げ、雨風をしのぐだけの帆布テント生活でしたが、海の見える台地の一角に住居を定めます。半円形に柵をめぐらし、後ろの岩山の自然のへこみを掘り進み、倉庫にします。地震や落石があったり、いろいろなことが起こりますが、ところでこの台地の広さはどのくらいなのだろう?

本文中から記載を探すと、実は幅が100ヤード、奥行きがおよそその倍の200ヤード、ということがわかります。1ヤード=3フィート、1フィート=1尺(30cm)ですから、1ヤードとは3尺つまり半間ということになります。すると、この台地は、100ヤード(50間)×200ヤード(100間)=100坪、ということに。実は、ロビンソン・クルーソーの家は、100坪ほどの土地に家を作り、半円形の柵を作ったものなのですね。なんだか、親しみがもてるというか、一人の人間の力で維持管理が可能な、ちょうどよい広さなのかもしれない、という気がします。

小学生の頃、夏休みに河原で遊んだ経験によると、隠れ家は、柱はなんとかなっても板なしでは壁が作れません。その点、雨風をしのぐために、ロビンソン・クルーソーは帆布を用いて二重テントを張っています。

私の単身赴任時代には、食事にしろ読書にしろ、生活の中心になったのはテーブルと椅子でした。その点で、椅子とテーブルが楽しみの元だ、というロビンソン・クルーソー氏の見解には賛成です。彼はだいぶ苦労して板を作り、椅子とテーブルを作っていますが、あれほどなんでも船から運んだのに、椅子とテーブルを運ばなかったのでしょうか。大洋を航海する帆船の揺れを考えると、テーブルは備え付けでしょうが、椅子は備え付けでないものもあったのではないか。ちょいと疑問な点です。

食料を得る手段として、銃による狩猟ができたことが、ロビンソン・クルーソーの幸運でしたし、後には山羊も飼育しています。偶然にも麦の芽生えを見つけたときの宗教的な感動は、狩猟民族が農耕に感じた神秘性をそのまま表したかのようですし、インクと紙の貴重さを述べた部分は、煤をワインにとかして巻物に著述したファリャ神父(*)とはだいぶ違います。

物語の前半の時系列的なあらすじは省略しますが、ロビンソンの生活建設はあくまで前向きです。そして、ときおり挿入される宗教的な対話が、彼の孤独を救っているようです。

(*):デュマ『モンテ・クリスト伯』に登場する、エドモン・ダンテスが土牢内で知り合った、第二の父とも言える大学者。
コメント (2)

R.シューマン(リスト編曲)「君に捧ぐ」

2007年02月24日 20時51分23秒 | -独奏曲
珍しく、ピアノの小品です。ローベルト・シューマンの歌曲集「ミルテの花」は、恋人を熱烈に賛美する「君に捧ぐ」という曲で始まります。恋人とは、もちろん後にシューマン夫人になるクララ・ヴィークのこと。詩はリュッケルトのもので、
Widmung~君に捧ぐ(献呈)
とまあ、こういう内容だそうです。

で、これをリストがピアノ曲に編曲しています。ちょっと気恥ずかしくなるような歌詞を割愛して、ピアノの音だけで、見事に原曲の雰囲気を再現しています。演奏は、若きキーシン。ブリリアントの廉価4枚組のうちの1枚、リストとシューマンの曲を集めた1枚の最後に、さりげなく収録されています。演奏会のアンコール・ピースなのかな。これが、実にチャーミングです。

写真は、二人目のおめでたらしい娘が一時的に入院した産院のベンチ。たいしたことはなかったようで、先日退院いたしました。「君に捧ぐ」という歌にぽぅっとなっている間はいいけれど、お産は命がけですからね(^o^)/
コメント

なぜ飲み口が2種類あるのか

2007年02月24日 06時55分55秒 | 散歩・外出・旅行
山形駅西口付近にあった水飲み場です。蛇口をひねると、上向きに水が出るタイプと、下に水が出て、手で受けて飲むタイプと、両方ついています。どうしてこんなむだなことを?と思うかもしれませんが、実は無駄ではありません。
子どもの頃、全盲の祖母の手を引いて、列車で祖母の実家に行ったことがあります。駅の新しい水のみ場が、実は上向き噴水タイプでした。でも、目の見えない祖母は、水がどこに出てくるのかわからないのです。鼻に水が入って、むせるだけ。今でも悲しい記憶です。
そのときに、思いました。目の見える人にとってはおしゃれで素敵な装置でも、目の見えない人にとっては、残酷な装置にしかならない場合もあるのだ、と。

この水のみ場は、いいですね。足元にも蛇口があり、よく考えられています。公共の水のみ場としてデザインした人の優しさが伝わるようです!
コメント (2)

フリーペーパー「BUN2」が万年筆を特集

2007年02月23日 05時42分21秒 | 手帳文具書斎
先日、行きつけの店で入手した文具関係のフリーペーパーBUN2(*)が、今号は万年筆を特集しています。セーラーのペンドクターとパイロットの蒔絵の高級万年筆を紹介するとともに、各社の関連する製品や文具店の店員のインタビュー記事などを掲載し、ちょっと面白い内容になっています。
ふだんはパソコンのキーボードを打つ日々ですが、キーボードを離れると、メモを取るのにボールペンや万年筆を使いますし、鉛筆の使いやすさも捨てがたいものがあります。したがって、こうした筆記具特集には、どうしても目が行きます。
私の場合、手紙や署名など、ややあらたまった場面では、万年筆を使うことが多いようですが、万年筆を特集した「BUN2」、次の号から隔月刊になるそうな。ちょっと楽しみが増えました。「手帳・文具」というカテゴリーを独立させようかな(^_^)/

(*):文具のフリーペーパー「BUN2」

写真は、もらってきた BUN2 と、愛用しているペリカン(太字)とウォーターマン(細字)の万年筆です。
コメント (6)

ジョージ・セルとシューマンの交響曲

2007年02月22日 07時18分20秒 | -オーケストラ
ほぼ30年ぶりに再会し、通勤の車内で、自宅で、感激して聴いているセルとクリーヴランド管のCDに添付のリーフレットに、興味深い記事がありました。
ミッチェル・チャーリー氏の文を、野口剛夫氏が訳したもので、ジョージ・セルがその音楽人生の中で、一貫してシューマンの交響曲を取り上げてきたことを、実例を挙げて示しています。

1929年、プラハのドイツ歌劇場で、若干32歳の首席指揮者としてシューマンの第4交響曲を取り上げ、チェコフィルを振っているとのこと。1937 年に、セルがロンドン・フィルでシューマンの交響曲第2番を取り上げ演奏したとき、英国の評論家は「ここではほとんど知られていない作品」と評したそうです。実際、60年代のグローブ音楽辞典でも、シューマンは管弦楽法が下手で泥を塗りたくったようなスコアだと書いていたそうな。
セルが米国にデビューしたのは、翌1930年、セントルイス交響楽団との交響曲第3番「ライン」だったとありますし、クリーヴランド管の音楽監督に就任して以後は、24のシーズン中19シーズンで、シューマンの交響曲を取り上げているそうです。
日本での演奏会でも、第4番が取り上げられている(*)ように、4回の国際演奏旅行でも毎回いずれかの曲が取り上げられたそうです。

(*):【追記】1970年5月23日、東京文化会館、(1)ベルリオーズ「ローマの謝肉祭」序曲 (2)シューマン「交響曲第4番」(3)ウォルトン「ヒンデミットの主題による変奏曲」(4)ラヴェル「ダフニスとクロエ」第2組曲。クラシカルな某 さんに感謝。

シューマンの生誕150年にあたる1960年に、セルがNYタイムズに寄稿したエッセイでも、シューマンの交響曲の価値を擁護し、若い同僚に4つの傑作に深い愛情と関心を寄せてほしい、と訴えています。シューマンの交響曲を終生変わらぬレパートリーとして取り上げ、その価値を訴え続けたセルらしい文章です。セルのシューマンの意味。この文章に触れただけでも、やや割高な日本盤を購入した意味がありました。

写真は、つい先日の山形駅西口付近、クレーンが伸びる工事現場の様子です。
コメント (6)   トラックバック (1)

世界大百科に「残業」という項目はない

2007年02月21日 07時06分50秒 | Weblog
先の朝日新聞土曜版"be"では、Wikipedia を取り上げて(*)おりました。簡潔な文と図の中に、要領よく解説をまとめておりました。さすがに全国紙!

ところで、面白いもので、あれだけの項目数を誇る平凡社の世界大百科にも、なんと「残業」という項目はないのですね。索引で調べると、平凡社の世界大百科には本文中に記載されているところがあるようですが、残業の定義やその実態、対策・施策などはない模様です。

社会的に大きな問題となっている基本的な項目であろうと思われるのに、こんな項目がないとは、驚き。労働基準法その他の解説はきちんとあるわけですが、「残業」という項目が独立して書いてない理由は何なのでしょう。理系人間にはなんとも不思議なことです。

では、Wikipedia ではどうだろうか。「残業」で表示してみると、「時間外労働」の項目に行き着きました。関連語句には「サービス残業」などもリンクされています。なるほど、時間外労働ですか。Wikipedia は、やっぱり便利です。

(*):朝日新聞土曜版"be"「てくの生活入門」2007年2月17日(土)~Wikipediaを使おう~アサヒ・コムより
(※ちなみに、↑の記事は3ヶ月しか掲載されないそうです。)
コメント (2)

遠藤展子『父・藤沢周平との暮し』を読む

2007年02月20日 20時10分11秒 | -藤沢周平
この1月26日が没後10年の節目にあたる藤沢周平の、長女展子さんによる回想本の2冊目です。藤沢周平の作品が好きで、作家の素顔を知りたいと思う人にとっては、またとない贈り物になっています。

構成は、次の五部からなっています。
(1) 男手ひとつ 父の奮闘
(2) 父と母のいる家庭の幸せ
(3) 私の転機 父の一言
(4) 作家・藤沢周平
(5) 家族の情景

冒頭の「二冊のアルバム」は、著者が高校生の頃、隣室の父親に呼ばれて行くと、二冊のアルバムを渡される話です。産みの母の成長が記録された1冊目と、小菅留治と結婚してからの生活が記録された2冊目。結婚して1人の子どもを産み、わずか8ヶ月でガンのため亡くなってしまった、自分に良く似た生母の成長の記録を目にしたときのことが、淡々と綴られます。
「保育園の連絡帳」「赤い三輪車」「幼稚園生活の始まりと祖母」「手作りの手提げ袋」「運動会のお弁当」「上野動物園と父」「凧揚げ、羽根突き」の8編からなる第1部ですが、とりわけ「手作りの手提げ袋」が、中年おじんのハートをうちます。
ある日、幼稚園で手提げ袋に何かを入れて持ち帰ることになりますが、展子ちゃんは手提げ袋を持っていません。持っていないもう一人のお友だちとジャンケンをして、先生の手提げ袋を借りて家に帰ります。そして、先生に言われたから、明日まで手提げ袋を作って、と無邪気にお父さんに頼むのです。父・小菅留治は、先生の手提げ袋をひっくり返し眺めてから、夜なべ仕事で、やや小ぶりの手提げ袋を作って持たせます。材料となった生地は、どうやらパパの背広だったようで、というお話です。

こういう男手ひとつの奮闘を描いた後で、父が「倒れる寸前に木にしがみついた」ように再婚した後のささやかな幸福を描いたのが、次の「父と母のいる家庭の幸せ」です。世の中には多くの「父と母とがいない」家庭があり、必ずしも不幸とばかりは限らないと思いますが、こうした題名は、生母を失い、今また失った父を思う著者にはじゅうぶんに許される表現かと思います。

「七五三と新しい母」「下町育ちの母」「大雨の日に」「私の入院」「散歩の途中で」「父は虫取り名人」「母と娘の自転車特訓」、第2部は以上7編です。小学校に入学する前に、と急ぎ結婚した家族ですが、母子が信頼を築いていくには様々なことがあります。「私の入院」には、心配する母の気持ちがわからない、あっけらかんとした娘の言動を、父親が優しくたしなめる場面が描かれます。藤沢周平の作品に出てきそうな情景です。

第3部「私の転機 父の一言」は、「人並みの人間に」「私の進路」「花嫁の父」「初孫の誕生」「孫への童話」の5編です。塾通いもせず、高校卒業後に西武百貨店に就職した展子さんは、初めての給料で両親に贈り物をします。父親には、パーカーの万年筆。ペン先は中細で、インクはブルーブラック。研修が終わり、配属された職場は書籍売り場でした。そして、作家のサイン会が開かれます。社員は勤務時間中でサイン会には並べませんので、希望者の名前を書いた紙を本に挟んでおき、後で井上ひさしさんのサイン本が届きます。そこには、なんとも粋なはからいがありました。

このあたりは、井上ひさしさんが、同郷の作家・藤沢周平に寄せる親愛感とともに、職場の上司の誰かが、陰に陽に、作家の娘にあたたかい眼差しを注いでいたことをうかがわせ、なかなかいい場面です。

第4部「作家・藤沢周平」の章は、作家としての仕事にかかわるものです。「父のスケジュール」を読むと、有名になった作家として、1976年当時、実に多忙な生活を送っていたことがよくわかります。「テレビ出演」で言及されている、山形放送でのインタビュー番組は、昨年秋に仙台市での「藤沢周平の世界」展で見ることができましたので、あの番組のことだな、とすぐわかりました。インタビュアーの石川牧子さんが「小説に英雄が出てこないのは?」と聞いたときの回答が、いかにも藤沢周平らしいと感じたことを思い出しました。

第5部「家族の情景」の中では、最後の「父が私に教えてくれたこと」が印象的です。著者はこんなふうに言っています。

 父のことが語られるときに、「藤沢さんは物事にこだわらない性格」とよく言われます。しかし、娘の私から見ると、それは少し違います。
 父は物事にこだわらないのではなく、普通でいること、平凡な生活を守ることにこだわっていたのです。普通の生活を続けることの大切さや、普通でいることの難しさを、私は父から教えられました。人を外見や持ち物(財産)で判断することは間違っているということも学びました。偉そうに威張っている人のなかに本当に偉い人はいない、なぜなら、本当に偉い人は自分で威張らなくても周りが認めてくれるから、とも教えられました。
 父の言う普通の生活とは、平凡に、家族が仲良く、病気や怪我をしないで健康に平和に暮せるという、ただそれだけのことです。しかし、ただそれだけのことが難しいかを、父は身をもって知っていたのです。普通の生活を毎日続けていけることが本当の幸せであると娘の私に言いつづけたのは、結核で前途を閉ざされ、家族を病気で亡くして、幸せが一瞬に崩れるという経験をした父だからこその言葉だったと、私は思っています。

ほんとにそうですね。
コメント (2)

お手ごろな新書のブックカバーがない

2007年02月19日 07時07分13秒 | 読書
ジョージ・セルの指揮したクリーヴランド管によるシューマンの交響曲の正規録音を何度も聴いておりますが、やっぱりよろしいですなぁ。

さて、文庫本サイズのブックカバーはずいぶん集まって、実際、便利に使っています。

(1) 新潮文庫のパンダ、しおりがあって便利。1点のみ。
(2) 講談社文庫、赤2点、紺色2点、パール1点、ラベンダー1点、白1点。
(3) 集英社文庫、1点のみ。だいぶくたびれてきた。
(4) 知恵の森文庫、1点のみ。デザインが明るくてきれい。
(5) 娘の手作り、1点。布製、デザイン秀逸で愛用中。

また、単行本サイズも、市販のコマクサ柄のものと、妻手製のパッチワークのものや写真のようにA5サイズのカバー等があり、これらも便利に使っています。ところが、新書サイズのものだけがないのですね。

この年齢で、カバーをかけずに電車で堂々と読む度胸はさすがにありません。なぜって、いまさら『「超」○○法』だとか『○○するWEB2.0』だとか、そんな本を読んでいるところは見られたくない、という「見栄」があるではないですか(^o^)/
いや、別にマキャベリの『君主論』だとか、そういうカタい本ならいい、というわけでもないのですが(^_^;)>poripori

そんなわけで、お手ごろな新書サイズのブックカバーを探しているところです。いっちょうホワイトデーを気張って、お手製の新書カバーをおねだりしてみようか、とも思いましたが、あいにく娘は二人目のおめでただとかで体調不良中。うーむ。ここが思案のしどころだなぁ。妻に頼めば高くつきそうだしなぁ(^o^)/

みなさんは、新書のブックカバー、使ってますか?
コメント (8)

シューマンの交響曲第2番を聴く

2007年02月18日 09時21分13秒 | -オーケストラ
先日、出先で偶然に見つけて即決・購入した、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団によるシューマンの交響曲を聴いています。響きが整えられ、きりりとひきしまった第1番「春」の見事さや、第3番「ライン」のスケールの大きさなど、長く念願して来た正規録音だけに、思わず感動ものです。

とりわけ、以前入手していた、いわゆる伝説の「ルガノ・ライブ」に収録された演奏には驚きましたが、十全ではない録音がなんとも惜しかった。では交響曲第2番の正規録音はどうなのだろうと興味津津でした。

第1楽章、ソステヌート・アッサイ~アレグロ・マ・ノン・トロッポ。緊張感をもって何度も繰り返される旋律。響きがよく整えられています。シューマンの交響曲を愛し、得意としたセルらしい造型だと思います。
第2楽章、スケルツォ~アレグロ・ヴィヴァーチェ、トリオI、トリオII。荒れ狂うような弦楽の細かな動きが、しだいに高まる緊張感、緊迫感を生んでいます。
第3楽章、アダージョ・エスプレッシーヴォ。一転して、まるでバッハのような、香りの高い深い呼吸の音楽です。全体としてはやや悲しげな曲調の、しかし弱々しくはない、力の内在する素晴らしい緩徐楽章。
第4楽章、アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ。ほんとうに説得力のある演奏です!

長年探していた録音にこんなふうにめぐりあうこともある。なんの苦労もなくネットで入手できる時代ですが、旅行先や出張時のできごとなどとともに鮮明に記憶され、はじめて入るレコード店めぐりはやめられません。

■セル指揮クリーヴランド管(1960年、クリーヴランド、SONY SRCR-2547)
I=10'41" II=6'41" III=11'06" IV=7'54" total=36'22"
■セル指揮クリーヴランド管(1957年、イタリア、ルガノ・ライブ、AURA 120-2)
I=10'28" II=6'35" III=10'48" IV=7'56" total=35'47"



ちなみに、写真左上のパンフレットは、1970年、セルとクリーヴランド管弦楽団来日当時のCBSソニー・クラシックレコードカタログです。表がバーンスタインの横顔、裏がスコアを持つセルの肖像になっています。「電化オビジョウ・三立レコード・コーナー」という店名が入っていますが、懐かしく思い出される方もおられるのでは。右側は、CBSステレオ1300という1枚1300円の廉価盤LPとして再発売されたときのチラシです。
コメント (9)   トラックバック (1)

文房具のことニ題

2007年02月17日 08時37分35秒 | 手帳文具書斎
この冬から再び使いはじめた薄型のシステム手帳(*)、なかなか便利です。太径リングのバイブルサイズを愛用していた20年前は、リフィルをたくさん保存し携帯するために、できるだけ紙質が薄いものを選んでいました。ところが、最近はたと気がついたことがありまして・・・。

システム手帳のリフィルは、1件1枚を原則としているようです。これは、梅棹大先生の『知的生産の技術』以来の鉄則で、カードを組み合わせているうちに発想が浮かんでくるのだから、カード1枚には1件のアイデアを書くことを原則としていたのだと思います。

ところが、『知的生産の技術』を読んで40年弱の月日が流れましたが、システム手帳のリフィルを組み合わせて、アイデアを考えたことが一度もないことに思い至りました。むしろ、1件1行のテキスト備忘録をgrepでキーワード検索し、それを素材として組み合わせることのほうが圧倒的に多いです。

今までもそうでしたが、手帳はとりあえず時系列でずらずらと書きとめておき、あとで暇を見てテキスト備忘録に選択転記するやりかたの方がずっと効果的です。それならば、薄手のリフィルにこだわる必要はない。時系列の古い、転記を終えたものは保存用のバインダに移してしまえばよい。というわけで、やや厚手の紙質を持った、パイロットのリテバ-925というMemorandumにしています。これなら、万年筆でも裏うつりしません。

もう一つ。上向きにも書けるボールペン「パワータンク」のインクが切れました。交換用インク・リフィルを購入しておかなければ。メモ用途を中心として、前回の補充はほぼ半年前でした。

(*):新しい手帳を購入する
コメント (2)

可処分所得と可処分時間、そのほかに必要なものは

2007年02月16日 06時08分13秒 | Weblog
若い時代は、可処分所得が少なく、可処分時間はたいへんに多かったように思います。手帳のスケジュールらんはいつも真っ白で、バレンタインデーもほとんど無縁だったような(^_^;)>poripori

子育て真っ最中の頃は、可処分所得も可処分時間も少なく、たいへんな時期です。そして、ようやく子育て期を卒業した頃には、仕事も定年退職期に近づいていることでしょう。特別なぜいたくを言わなければ、可処分所得も可処分時間もふんだんにあるような気がしますが、実際はどうなのでしょうか。

意外な要因として、健康と意欲、というのがありそうな気がします。健康であれば、何事にも前向きに取り組めるでしょうし、意欲もわいてくるのでは。

さて、昨日は書店で新潮社刊の藤沢展子著『父・藤沢周平との暮し』を購入しました。さっと前半を読みましたが、なかなか興味深いです。それと、CDショップでジョージ・セル指揮クリーヴランド管によるシューマンの交響曲4曲のCD2枚を発見し、購入しました。これは、以前から探していて、ネットでも一度発注したこともあったのですが、品切れということで断念した、念願のタイトルです。単純にうれしい!仕事も順調、昨日はいい日でした。今日は一週間の終わりです。この週末は、セルのシューマンを聞きましょう。
コメント (4)

デフォー『ロビンソン・クルーソー』を読む(1)

2007年02月15日 06時25分42秒 | -外国文学
この本は、子ども向けの世界文学全集か何かの一冊を、おそらく小学生か中学生の頃に読んだのだと思います。難破し、孤独な無人島での生活を築き上げる営為が、むしろ魅力的に思えたものでした。

初めて家を離れた学生時代に、文庫本で読み返したとき、子どもの頃には見えなかったものに気づきました。難破の遠因になったもの、つまり若さや冒険心の描き方です。父親の元を出て行く息子をいさめる老いた父母の助言や忠告を、心情は理解できても、内容は俗っぽいと思ったものです。

しかし、後年、仕事のつらい時期や単身赴任生活など、いわば「じっと辛抱」の道連れとして読み返すうちに、また違う感じ方ができるようになった気がします。



ロビンソン・クルーソーは、中流の安定した生活を説く両親の元から、船乗りになりたいという夢を持って家出し、一度はムーア人の奴隷になりますが、脱出してブラジルで農園主として一定の成功を収めます。しかし、人手をほしがる農園経営者仲間の前でちょっとエエカッコしたために、黒人奴隷の密輸船を仕立て、その後見人として乗り組み、難破する破目に陥ります。孤島に漂着した晩の境遇は悲惨です。持っているものといえば、小刀一本とパイプとタバコ少々、という有様。だが、幸いにも島は暖かく真水があり、アフリカのような猛獣もいません。さらに幸いなことに、彼は難破船から多くの物資を運ぶことができました。食料、武器、弾薬、道具、衣類、材料などです。いわば、個人で利用できる当時の文明の大半を、無人島に運び込んだことになります。運搬の苦労はありますが、かなり本格的なアウトドアライフのようなものです。

明確に違うことは、もう退屈したから帰る、というわけにはいかないこと。病気をしても、誰に頼ることもできないこと。そして、話し相手もほかの社会の情報を得ることもできないこと、でしょう。ジュール・ヴェルヌのネモ船長と同様、世間のしがらみが面倒くさくなったときにあこがれる境遇ではありますが、一方で、あまりおちいりたくない状況でもあります。とにかく、ロビンソン・クルーソーは余儀なく無人島生活を開始しました。
コメント (2)   トラックバック (1)