電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

ボールペンの軸が折れた

2005年08月31日 20時48分48秒 | 手帳文具書斎
だいぶ前にシンガポールで買った、ヴァレンティノのボールペン、誤って落として踏んづけたらしく、軸のプラスチック部がポッキリ折れてしまっていた。しまった!これ、パーカーのリフィルが使えて、太字で書きやすく愛用していたのに!と残念無念だ。

若い頃は、ボールペンも小さく書ける細字のものが好みだった。特に、システム手帳の細罫のリフィルに書くには、細字でないとだめだった。しかし、年齢が進み、小さい文字が辛い年代になると、ワープロ文書でも10.5ポイントから12ポイントが標準に変化してきた。手書きのときでもしだいに大きな字を書くようになり、太字のはっきりしたボールペンが好みになった。

今のところクロスのボールペンがあるのでなんとかなるが、日常使う太字のボールペン、携帯に適した落ち着いたものを、文具店で探しておかなければ。
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だから電話営業は

2005年08月31日 20時19分55秒 | Weblog
今日で8月も終わりだ。明日からいよいよ9月になる。
8月の上旬に、自宅に電話がきた。NTTの電話営業だと言う。自宅の回線を24MのADSLにしなさい、という内容だった。勧誘のお嬢さん、たいへん辛抱づよく説明してくれて、今ならプロバイダの加入料だかを無料にすると言う。内容はわかったけれど、当方は電話営業では契約いたしません、と断ると、対面で説明に伺うと言う。当方の休日なら対応はいたします、と答えると、それならお盆過ぎに当社の営業担当から別途御連絡いたします、とのことで電話は終わった。

お盆過ぎに、自宅に電話が来た。今度は男性の声で、若くはない。40代くらいだろうか。しきりに電話契約したがるので、電話では契約いたしません、と断ると、訪問したいのでメールアドレスを教えてくれ、という。こちらの主アドレスを教えるのもどうかと思い、NetscapeのWEBメールのアドレスを教えた。間違うと悪いので、こちらから2度復唱した。で、もう2週間近くなるが、結局メールは来ない。

このケース、考えられるのは次のような理由だ。
(1)担当営業が多忙で、放置されている。もう1ヶ月ほど待てば、メールが来るのかもしれない。
(2)担当者がメールアドレスを聞き取り間違いをしている。送信したけれど、不達メールになってしまった。電話番号はわかるが、再度電話をするのが嫌で、放置している。
(3)その他

いずれにしろ、電話営業は当てにならない、という経験則をあらためて確認した。お嬢さんがせっかく開拓した顧客も、かくして失われて行くのであった。
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メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を聞く

2005年08月30日 21時09分12秒 | -オーケストラ
通勤の音楽、昨日・今日とメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を聞く。LP時代、この曲はジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏が唯一もっていたレコード(13AC-445)だった。それで、この演奏を繰り返し聞いていたものだから、「イタリア」といえばこの快速演奏をイメージするようになった。
CDの時代になって、たまたまシューマンの「春」が目当てで購入したカラヤン指揮ベルリンフィルのCD(F26G-29039)に併録された「イタリア」を聞いて、「おお、こういう演奏もあるんだ」と認識を新たにした記憶がある。

その理由は、第1楽章だ。セルの演奏は速い。ほんとに快速テンポで進んで行く。文字どおりアレグロ・ヴィヴァーチェだ。これに比べて、カラヤンの演奏は、かなりゆったり感がある。

ところが、演奏時間の表記を見てびっくりした。第1楽章、セルの演奏は9分50秒。カラヤンは8分4秒となっている。逆だろ!と思ったくらい。繰り返しの省略とか、改訂や版の違いとか、そういった問題なのか。単純に途中からテンポが変わったためなのかとも思ったが、実質2分近い差は大き過ぎるのではと不思議だ。こういう話になると、素人音楽愛好家はまったく弱い。

第2楽章もまた、セル盤は快速テンポで進む。16分音符もなんのその、合奏の正確さとリズムの切れ味は驚くばかり。第3楽章、コン・モート・モデラート。快速だが優雅な演奏。第4楽章、プレスト、沸騰するようなサルタレロ。ここはもう快速リズムの快感だ。セル盤は、体操のオリンピック選手が見事な演技を見せてくれるような、明晰で健康な力に満ちた「イタリア」だ。

ただし、快速セル盤にいつも満足するかというと、必ずしもそうとはいえない。こちらの体調の思わしくないとき、この速さについていくことが難しい。もう少しゆったりと、思う存分に旋律を楽しみたいと思うことがある。そんな時にはカラヤン盤。カラヤン指揮するベルリンフィルは、旋律を美しく堂々と聞かせてくれる。あ~いい旋律だなぁ~と聞き惚れ(ほとんど弛緩し)ているときに、巧みに緊張感を取りもどさせるような、そんな演奏をする。快速リズムの快感という点ではセル盤にゆずるが、メンデルスゾーンの旋律の快感を楽しませてくれる演奏だ。

参考までに、演奏時間のデータを示す。
■セル指揮クリーヴランド管弦楽団
I=9'50" II=5'17" III=6'36" IV=5'20"
■カラヤン指揮ベルリンフィル
I=8'04" II=6'25" III=7'59" IV=5'36"
■レヴァイン指揮ベルリンフィル
I=10'35" II=5'52" III=6'26" IV=5'52"
■クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
I=11'15" II=6'45" III=6'20" IV=6'00"
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藤沢周平『漆の実のみのる国』(下巻)を読む

2005年08月29日 22時21分15秒 | -藤沢周平
文春文庫で、藤沢周平著『漆の実の実る国』(下巻)を読む。

黒滝の開鑿や開田などの藩を富ませるためのいくつかの事跡がわりあいにあっさりと描かれ、竹俣美作当綱の起草した「三木植立て」の事業が起死回生の道として取り上げられる。計算どおりに行けば、米沢藩十五万石が三十万石になるはずであった。上杉治憲もまた、一抹の不安を覚えつつも同じ夢を見る。しかし度重なる飢饉が襲い、緻密な対策と救荒事業によりかろうじて大量の餓死者はまぬかれたものの、藩財政の再建は頓挫する。
執政府は倦み、担当者は交代する。しかし、財政再建は立ち行かない。後半は治憲に寂寥感が漂い、藩政改革に対する徒労感が強く出ている。この頃、作者・藤沢周平は、病気のため執筆が辛かったのではなかろうか。そう考えると、後半の本文中に「投げ出す」「飽きた」「嫌になった」などの語が頻出する理由が説明できよう。また、治憲の動作を描く表現も、「座っていた」「考えにふけった」などの表現が多くなる。上巻にあるはつらつとした動作はほとんど姿を消している。これは、上杉治憲が老いただけではなく、作者の気力・体力が下降したことを表しているのではないか。
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本日、車が10万kmを突破

2005年08月28日 21時07分51秒 | 散歩・外出・旅行
本日、車の走行距離10万kmを突破した。前車は9年目に20万kmを突破していたので、ペースは半分になったことになる。通勤距離などの条件が変わったので確かなことは言えないが、平均してリッターあたり16km/l程度の燃料消費率だ。冬ののろのろ運転の時期も含めた通年の値で、ガソリン車にしては良い方ではなかろうか。五速マニュアルトランスミッションのせいもあるだろう。
現在、車の更新を考えているが、今後のガソリン需給状況を考えると、好転の予想は立てられない。今後もガソリンは高値が予想される。高値「安定」ならまだいいが、価格上昇が天井知らずになるのが恐い。隣国の経済発展が、ガソリン価格の高騰をもたらす可能性は充分にある。マーチ1000ほどではなくても、燃費経済性の良い車を選択することが第一条件になるだろう。

表は、VineLinux 上の StarSuite-Calc で燃費記録を集計したもの。スクリーンショットは Gimp で作成した。
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スズメバチの季節

2005年08月28日 17時53分54秒 | 週末農業
夏の終わりから秋にかけて、スズメバチの季節になる。この時期、特に9月から10月には、羽化したスズメバチの個体数がピークを迎え、攻撃性も戦闘力も最大となる。したがって、キノコがはえるような環境を持つ里山やその周辺では、スズメバチに対する充分な注意が必要である。
実は、わが家でもスズメバチが何度か巣を作ったことがある。たいていは土蔵の通路裏側の換気窓周辺に巣を作ることが多く、近付かない限りは攻撃されることもない。しかし、子どもの好奇心は旺盛で、見慣れないものがあると、つい石を投げたりつついたりしたくなる。真黒になって襲来するスズメバチの群れは、子供時代の恐怖体験として今も残っている。当時、目の上を刺されてはれ上がり、お岩さん状態になったことが、今も語りぐさになる。
先年、母屋の換気孔からスズメバチが入り込み、屋根裏に巣を作ったことがあった。さすがに共存共栄を図る善意はなく、市役所に相談したところ、駆除を請け負う人を紹介してくれた。この人、瓢々とやってきたはいいが、何も装備らしいものはない。大丈夫なのかという心配をよそに、麦ワラ帽子にネットをたらし、雨ガッパにゴム手袋、ゴム長靴といういでたちで、殺虫剤のスプレーだけを手にして天井裏からはいあがり、大きなポリ袋に巣ごとごっそり持ち帰って来た。全く刺されていないという。スズメバチの針が通っても自分の手に達しないよう、ポリ袋の口の折り返し方にコツがあるそうだが、袋の中には生きたスズメバチがたくさん、ぶんぶん動いている。ぞっとする光景だ。
お茶をごちそうしながら、その秘密を聞いた。スズメバチの飛翔力は高く、殺虫剤のスプレーを噴射したのでは間に合わないと言う。しかし、麦ワラ帽子や頭部をおおうネット、雨ガッパにゴム手袋、長靴まで、くまなく殺虫剤を噴霧し、においをぷんぷんさせている限り、攻撃して来たスズメバチはみな回れ右をしていくのだという。なるほど、逆転の発想である。防御は最大の攻撃を可能とする、というわけだ。
スズメバチの季節には、殺虫剤のにおいをぷんぷんさせた作業着を着て仕事をする。攻撃の目標となる黒い衣類は避け、頭部は外部に出さない。これは、スズメバチ対策の基本ではないかと思う。
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藤沢周平『漆の実のみのる国』(上巻)を読む

2005年08月27日 21時35分04秒 | -藤沢周平
昔から不思議に思っているのだが、NHKの大河ドラマで、上杉鷹山を取り上げていない。世の中がいくら不景気で借金があって政治が乱れても、上杉鷹山はドラマにならないらしい。なぜなのか理由は不明だが、まさか「伝国の辞」の内容に不満があるというわけでもなかろうに。

藤沢周平は、文庫版の上巻の半分以上を費やして、米沢上杉藩の窮乏を描く。桁違いの余剰人員を抱え、累積債務が雪だるま式にふくらみ、暗愚の経営者は現実を見ず、財界活動しか興味がない、そんな倒産必至の会社にたとえられる状態だ。江戸家老・竹俣美作当綱(まさつな)は、専権を振るう森利真を除き、藩主・重定を隠居させ、養子・直丸君をかつぎだす。ところがこの養子の主君の出来が抜群に出来がよい。主君に対するクーデターも辞さないほどの老練な政治家である竹俣当綱も、わずかに希望の光を見る思いだ。先の藩主を隠居させた老臣たちが、今度は若年と侮り、若い新君主に対しクーデターに近い形で保守的な確約を迫る。これに対する新君主の対応は、老練な政治家も一目置くほどの慎重かつ果断なものであった。

『密謀』で直江兼次を描いた藤沢周平が、後代の上杉鷹山治憲をどう描くか。まず、竹俣当綱を描くことで、米沢藩の実情を余すところなく語っているというべきか。
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藤沢周平『秘太刀馬の骨』を読む

2005年08月27日 09時54分50秒 | -藤沢周平
昨夜の金曜時代劇を見て、原作を読み返した。浅沼半十郎は、小出家老から六年前の筆頭家老暗殺の際、『馬の骨』という幻の剣が使われたこと、そしてその剣を伝授された暗殺者の探索を命じられる。探索は、家老の甥の石橋銀次郎が行い、半十郎は協力者として同行することとなる。ところがこの銀次郎はいたって乱暴者で、目的のためには手段を選ばない男だった。

海外の推理小説を好んだ藤沢周平らしく、舞台こそ江戸時代の北国の小藩に設定されているが、内容は真犯人探しの物語である。そして、推理小説の鉄則どおり、重要なヒントは最初の重要場面に隠されている。この物語で言えば、前夜の放送にあった矢野家の訪問の場面であろう。そして、北国の小藩の権力闘争のありようを背景に、次第に深みにはまっていく形になるのだろう。

テレビでは、『蝉しぐれ』で主役をつとめた人気者の内野聖陽が銀次郎を演じ、乱暴者だが憎めない性格にやわらげられていた。かわりに、原作にある半十郎と妻との不和、息子を失った妻の精神の長いさまよいが消え去る、最後のカタルシスが省略されるらしい。このあたりは、原作の持つ陰影がテレビカメラの照明によって一様に明るく照らされるようで、評価が分かれるところか。

一週間の最後に気軽に楽しむ連続ドラマとしてテレビを見、豊かな陰影に富んだ原作を通じて原作者の力量を堪能する、そういう楽しみ方が適当なのかもしれない。
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法事のお使い(案内)が来た

2005年08月27日 07時26分03秒 | Weblog
近所の親戚の家で一周忌を行うので、私が行くことになった。最近は、お盆の際も親戚まわりは私が出ているので、当然のことだ。まだ若い頃なら、親戚の家の法事など億劫に感じたものだが、むしろこの機会に、法事の習慣をよく観察して来ようと思う。
田舎の習慣で、法事は自宅で行う。最近は、料理屋で営む例も増えてきたが、それぞれの家の味があり、精進料理のごちそうも家々の特色がある。近所の魚屋の仕出しを中心としながら、その家の自慢の数品が並ぶ、という具合だ。家に帰ると、たぶん老母と家人から質問ぜめにあうだろう。ごちそうは何が出たか、どんな味だったか、と。
田舎の人間関係が鬱陶しいと思い、都会のクールさに憧れた時期もあったが、少なくとも、田舎料理の豊かさ、大きく言えば地方の食文化を伝承しているのは、こうした機会が残っているからだろうと思う。親戚の法事も文化の伝承の一部と考え、お酒とごちそうを楽しみに待つことといたしましょう。
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ようやく金曜日

2005年08月26日 20時27分54秒 | Weblog
千葉県付近に上陸した台風もようやく太平洋に去った糢様。当初、紀伊半島に上陸の見通しだったが、夏台風の通例で、予想以上に東に進路を変えたようだ。四国の早明浦ダムなどの水がめは、多少なりとも貯水できたのだろうか。
さて、ようやく金曜日。通勤の音楽は、「19世紀ギター・デビュー!」と題した福田進一(Guit.)のCDを聞いている。1994年11月、埼玉県秩父ミューズパーク、音楽堂におけるデジタル録音で、DENON COCO-70452だ。ソルの「魔笛の主題による変奏曲」などは親しみがあるものの、ナポレオン・コストやディオニシオ・アグアドなどの作曲家は、ギター音楽等に造詣の深い方しかわからないのかもしれない。第8曲、アグアドの「華麗なロンド」の出だしなどは、まるで古賀政男のイメージだ。しかし、繰り返しリピート再生を聞いているうちに、しだいに曲の良さがわかって来る。
福田進一氏のギターは、大向うをうならせるような大げさな身振りは極力抑えられているが、きれいな音色ときれのよいリズムで、ギター音楽の魅力を伝えてくれる。
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フォーレ「歌曲集」を聞く

2005年08月25日 19時04分19秒 | -オペラ・声楽
台風が近付いているようだ。空一面、厚い雲におおわれ、すっきりしない天気だ。
今日は、フォーレの歌曲集を聞く。

最初にフォーレの歌曲に親しんだのは、1970年代のはじめ頃に日本コロムビアからパルナス1000シリーズというのが出て、その中の1枚、「フォーレ歌曲集」というLPだった。カミーユ・モラーヌのバリトン、ピエール・メイヤール=ヴェルジュのピアノで、RE-1519-MUという、MUSIDISC原盤のレコードだった。A面の最初に収録された「夢のあとに」で思わず引き込まれ、「漁夫の歌」「この世で」「ネル」「秋」「ある日の詩」「ゆりかご」「秘密」「イスパハンのばら」、B面は「夜明け」「贈り物」「涙」「墓場にて」「ばら」「消え去らぬ香り」「アルページョ」「牢獄」「夕暮」「いちばんなつかしい道」「九月の森にて」の20曲が収録されている。
その後、FM放送でフォーレの歌曲集をカセットテープにエアチェックした。今も残っているのは、「優しき歌」Op.61ほかをジャック・エルヴィヨン(Bar)が歌い、「蝶と花」Op.1-1他をエリー・アメリンク(Sp)とボールドウィン(Pf)が演奏したもの。これも、古いテープをなかなか捨てられずCDを探しているように、たいへんにすてきな演奏だ。
そして一番新しいのが、ジェラール・スゼーのバリトン、ダルトン・ボールドウィンのピアノで、「月の光」ほかを歌ったEMIのCD、TOCE-13099。1970年、73年、74年の録音を集めたもの。「トスカーナのセレナード」で始まり、「夜曲」「舟歌」「憂鬱」「涙」「墓地で」「シャイロックの唄」「沈黙の贈物」「ネル」「秋」「捨てられた花」「ばら」「夕暮」「夢のあとで」「月の光」「ゆりかご」「リディア」「シルヴィ」「旅人」、そして「幻影」Op.113と「幻想の水平線」Op.118とが収録されている。

静かな夜に、フォーレの歌曲集を聞きながら、過ぎ去った日々を懐かしむのもいいものだ。
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『御宿かわせみ13・鬼の面』を読む

2005年08月24日 19時54分45秒 | -平岩弓技
平岩弓枝著『御宿かわせみ13・鬼の面』を読む。この巻は、スローテンポで進んできた物語が(当社比で)ずいぶん急展開する。その意味では、転機となる巻だろう。

第1話「夕涼みの女」は、「江戸から離れたくない」とはっきり言えばいいのに、の話。第2話「大川の河童」は、医者嫌いの七重の父、麻生源右衛門の具合が悪くなり、宗太郎が診る。大川の河童の事件にかまけている間に、事態はひそかに進んでいたのですね。
第3話「麻布の秋」、勝手に家を飛び出し勝手に戻ってきた母親、鈴虫や松虫を飼い、忍ぶ娘、鳴かなくなった虫を持って再び出ていった母親は、歳月を悔やんだのか。
第4話「忠三郎転生」、短編にしては長い。テレビ2回分はある。オランダの毒薬を調合するよう、七重を囮に天野宗太郎が強制される。忠三郎の悪党ぶりも一段とスケールアップ。東吾と源三郎らが駆けつけ、派手な捕物の末ようやく解決するが、宗太郎の意中の人も明らかとなる。
第5話「雪の夜ばなし」、七重の祝言の夜の帰り道、酔った東吾が遭遇したフロイト流(?)解決法。かなり不自然。第6話「鬼の面」、奉公人の長い鬱屈。
第7話「春の寺」、兄・通之進が東吾に嫁を迎えさせる心積もりをもらす。一方るいは、子供のできない妻が夫が外で作ってくる子を育てた商家の事件に心を痛め、単純には喜べない。

七重と東吾とるいの三角関係も、宗太郎の登場で好転の兆しを見せ、事態は本格的に動き出す、という巻ですね。さて、第14巻を探しているのですが、通勤路の書店には見つからず。目下、探索中にござれば、これにて御免(^_^)/

写真は、早起きして出かけたハスの花。
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夜明け前の涼しさに

2005年08月23日 19時29分25秒 | Weblog
昨晩、窓を開けて網戸にして眠ったら、明け方の涼しさに左脚の筋肉が痙攣して困った。そろそろ窓を開けて寝るのは適さない季節になってきたということか。

そういえば、昔お盆過ぎに数日間連続して「金縛り」状態になって困ったことがあった。原因は、やはりタオルケット一枚で窓を開けて寝ていたこと。胸を締めつけるような圧迫感、天井がしだいに下がって来るような胸苦しさや恐怖感に、これが「金縛り」かと納得した。原因は、体が冷えて体温が下がり、無意識のうちに筋肉が痙攣して体温を保とうとするのだろうと考え、翌日から窓を閉め、毛布をかけて眠るようにした。で、結果は大正解。「金縛り」はぴたりと止まった。

昔から、お盆過ぎの季節に怪談が親しまれるのは、あるいはこんな理由があるのかもしれない。理系の脳味噌は、怪談も気温の変化に伴う筋肉の痙攣に帰着させてしまう。風情がないが、文学作品としては楽しめても、現実の「金縛り」は改善する必要がありますからね。
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通勤路の途中の楽しみ

2005年08月23日 05時46分35秒 | 散歩・外出・旅行
毎日通勤する途中に、いろいろと発見することがある。先日、休耕田を利用したと思われるハスの栽培地を見つけた。夕方だったので、花は咲いていなかったが、朝方ならばさぞや見事な花を開くことだろう。
最近は、古代ハスもだいぶ普及しているようだが、大賀博士が古代のハスの花を咲かせたニュースは記憶に残っている。休眠種子の生命力に驚いたものだ。もちろん、ハス自体が成長力が旺盛で、隣の水田にも地下茎を伸ばし、稲の中にもハスの花を咲かせるところを見ると、可憐でつつましい植物ではない。美しいが傍若無人な皇帝の娘を連想してしまう。

通勤経路には、レコード店を兼ねた書店もあるのだが、残念ながら私の興味関心の方向とはベクトルが違った方向をむいているらしい。ある郊外型書店の店主に聞いたところ、本は一冊一冊注文するわけにはいかないので、取次店が用意する何種類かのセットを選択する形になるのだそうな。そのセットのどれを選んでいるかによって、ハイブロウにも俗悪にもなるのだそうだ。文庫本の時代小説のコーナーは小さく、もちろんクラシック音楽のコーナーなどはない。カルチャー・コンビニエンス風の若者向け流行の先端型で、中年向きではないけれど、少なくとも通勤の途中でふらりと書店に入る楽しみはある。
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桃の季節

2005年08月22日 19時54分20秒 | 週末農業
お盆を過ぎると、残暑の中でも東北地方には秋の気配が感じられる。果樹園は今、桃の季節。わが家で今食べ頃なのは、「あかつき」という品種だ。
桃の皮についているこまかい毛は、皮膚に付くとかゆくなることが多い。美しいバラには刺があるが、おいしい桃ではかゆくなる。だから、桃は食べる前に水洗いが必須条件だ。また、皮をむいてしばらく放置すると、茶色に変色して来る。これは、りんごと同様に、塩水で防止できる。
裏の畑からもいできては水洗いして皮をむき、ちょっと塩水で洗って山のように盛り、フォークで好きなだけ食べる。少しいたんだものは、サイの目状に切り、ヨーグルトと一緒に食べる。これも、ほんのり甘い桃の味と、プレーンヨーグルトの酸味がとけあい、なかなかおいしい。多少のはちみつなどをかけて、コーヒーの苦みとあわせることもある。田舎暮しならではの贅沢だ。もうしばらく、この幸福を味わうことができるだろう。
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