吉村昭『漂流』は、ある種、凄惨な物語だ。鳥島に漂着したとき、彼らの所持品はわずかに一個の桶、割れた船材とそれから引き抜いた12本の五寸釘、であった。大型のアホウドリの肉を主食に、雨水を受けてなんとか生きのびるが、おそらくビタミン不足と思われる病気で仲間は死亡していく。しかし、同じように漂着する者達と力をあわせ、わずかの道具を使い、漂着する船材を集めて船を作ることにした。船材が漂着すると喜ぶ自分たちの姿は、まるで地獄の餓鬼のようだと思えた。
これに比べると、デフォーの『ロビンソン漂流記』は、同様にたった一人の孤独な漂流物語だが、難破船から多くの道具や物資を運び、快適な生活を作り上げる前向きな姿と、聖書に基づく信仰と労働が描かれ、それほど凄惨な印象は受けない。この差は、どこからくるのだろうか。
思うにそれは、自然の恵みと、所持していた文明の差だと思う。『漂流』の物語も、一組の火打ち石の到来で火が使えるようになると、生活の中に人間らしい様子が増してくるし、大工道具の存在が、彼らの帰国の意志を支えることになる。ロビンソン・クルーソーが、もし鉄砲を持っていなかったら、生活の様相は一変していたであろうし、後半の冒険もありえなかっただろう。
自然の恵みと漂着したときに持っていた文明の質と量。これが、二つの漂流記の違いの理由であろう。
これに比べると、デフォーの『ロビンソン漂流記』は、同様にたった一人の孤独な漂流物語だが、難破船から多くの道具や物資を運び、快適な生活を作り上げる前向きな姿と、聖書に基づく信仰と労働が描かれ、それほど凄惨な印象は受けない。この差は、どこからくるのだろうか。
思うにそれは、自然の恵みと、所持していた文明の差だと思う。『漂流』の物語も、一組の火打ち石の到来で火が使えるようになると、生活の中に人間らしい様子が増してくるし、大工道具の存在が、彼らの帰国の意志を支えることになる。ロビンソン・クルーソーが、もし鉄砲を持っていなかったら、生活の様相は一変していたであろうし、後半の冒険もありえなかっただろう。
自然の恵みと漂着したときに持っていた文明の質と量。これが、二つの漂流記の違いの理由であろう。