電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ブログ記事の観点からみたLP,CDと音楽ファイル

2011年08月31日 06時02分35秒 | ブログ運営
著作隣接権の保護期間が満了し、公共の財産の仲間入りをする録音が増えてきました。ステレオ初期の録音で、かつては名演、名盤とうたわれたものが、次々にネット上で公開されるようになっています。これに伴い、ブログ上で記事として取り上げる方も増えているようです。当方も、ジョージ・セルの正規録音(*1~*4)や、ストコフスキーの「惑星」(*5)など、何度か取り上げてきていますが、ブログ記事にしようと思い立ったとき、LPやCDとくらべて、不利な面があることに気づきました。

それは、音楽ファイルには実体だけがあって「顔」がない、ということです。LPやCDには、様々なデザインのジャケットがありますので、画面が殺風景になることは少ないでしょう。ところが、例えば .mp3 形式のファイルには、掲載すべき写真などはありません。できればその録音にゆかりの画像を併せて掲載したいものです。その意味では、何らかの工夫が必要になるでしょう。いま、とりあえず思いつくものとしては、

(1) 公開されている楽譜の PDF ファイルから、主題など一部のスクリーンショットを画像として掲載する
(2) パソコン上で再生する画面のスクリーンショットを、画像として掲載する
(3) 過去の雑誌やカタログにある資料を、画像として掲載する
(4) 季節の花や風景でお茶を濁す(^o^;)>poripori

などがあります。さて、他にはどんな工夫があるのでしょうか。

(*1):ジョージ・セル指揮ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」がパブリック・ドメインに~「電網郊外散歩道」2010年2月
(*2):ハイドンの交響曲第99番を聴く~公共の財産となったジョージ・セルの遺産より~「電網郊外散歩道」2010年6月
(*3):セル指揮クリーヴランド管による新旧の「ザ・グレート」を聴く~「電網郊外散歩道」2010年8月
(*4):ジョージ・セルの正規録音が続々と公共の財産に~「電網郊外散歩道」2011年2月
(*5):ストコフスキーの「惑星」を聴く~見上げる星空と航行する宇宙と~「電網郊外散歩道」2011年8月
コメント

プルーンの収穫期が近づく

2011年08月30日 06時03分45秒 | 週末農業・定年農業
8月も終わりになる頃、プルーンの収穫期が近づいています。しだいに熟してきているために、野鳥たちが突っつきはじめました。地面にぼとぼと落ちているのは、いずれも野鳥の食害を受けたプルーンです。



プルーンの収穫時期について、当ブログの記事を検索してみると、2006年には、9月14日に収穫真っ盛りと書いています(*1)し、2008年には、9月中旬に収穫し、1週間遅かったと悔しがっております(*2)。2009年には8月末に収穫しています(*3)ので、そろそろ収穫適期かも。今度の週末まで、なんとか「野鳥の食害でほぼ全滅」という事態は免れたいところです。

(*1):涼しさを通り越して~「電網郊外散歩道」2006年9月14日
(*2):1週間遅かった~プルーンの収穫~「電網郊外散歩道」2008年9月15日
(*3):妻とプルーンの収穫後、銀山温泉へ行く~「電網郊外散歩道」2009年8月30日

コメント

リスト「死の舞踏」を聴く

2011年08月29日 06時02分57秒 | -協奏曲
最近の通勤の音楽は、リストの「死の舞踏」を聴いております。いくら混雑の少ない郊外路とはいえ、「死の舞踏」をエンドレスにリピートして聴きながら長距離通勤をするというのは、縁起でもないとは思いますが、先の山響第215回定期演奏会でのリスト「ピアノ協奏曲第2番」に触発され、シフラ父子の演奏を車中に持ち込んだ次第。

1968年9月に収録されたEMI録音です。演奏は、ジョルジ・シフラ(父)のピアノに、ジョルジ・シフラJr.指揮するパリ管弦楽団、TOCE-13078 という型番のCD。

添付のリーフレットによれば、もともとこの曲は、ルネサンス期のフレスコ画「死の勝利」を眼にして強い印象を受け、これに触発されて、カトリック教会の「死者のためのミサ曲」の旋律「怒りの日」を主題とした変奏曲として作曲されたものだそうです。

ピアノとティンパニが刻む、迫力あるオスティナートに、低弦と低音管楽器が加わり主題が奏されますが、いかにもリスト風の低音の強調が特徴的です。おそらくこれは、当時、改良が進んでいたピアノの、鋼鉄製フレーム等が実現した低音域の表現力の拡大を、オーケストラにも当てはめて強調したものでしょう。それとも、「死者のためのミサ曲」を歌う男声合唱の迫力ある低音パートを模倣したのでしょうか。

途中の静かなピアノの独奏部分は魅力的ですが、変奏部では、これでもか、これでもかと、おどろおどろしい主題の変奏を繰り返し叩きつけてきます。長く聴いていると、いささかしつこさを感じてしまいますが、なにせ「死の舞踏」ですから、アッサリ淡白なはずはありません。その意味では、実に曲想にあった演奏・表現です。もしかしたらそれは、父シフラの若き日の従軍・捕虜体験や戦後の思想犯としての投獄、ハンガリー動乱を契機とした亡命生活などの敬虔を反映しているのかもしれませんが。

■ジョルジ・シフラ盤 14'53"

ところで、この曲って、協奏曲に入れたらいいのか、それともオーケストラに入れたらいいのか。協奏曲と銘打ってはいないけれど、実質的に協奏曲みたいなものと勝手に判断して、「協奏曲」カテゴリに入れておきたいと思います(^o^;)

コメント (2)

イーユン・リー『千年の祈り』を読む

2011年08月28日 06時02分57秒 | -外国文学
新潮社のクレストブックスは、どれも良質な翻訳小説で、物語を読む楽しみを満喫します。例えば『パリ左岸のピアノ工房』『朗読者』『停電の夜に』などです。このブログを始めてからは、たまたま手に取ることがなかったのですが、偶然に図書館で借りたイーユン・リー著『千年の祈り』を、興味深く読みました。短編集ですが、構成は次のようになっています。

第1話「あまりもの」
第2話「黄昏」
第3話「不滅」
第4話「ネブラスカの姫君」
第5話「市場の約束」
第6話「息子」
第7話「縁組」
第8話「死を正しく語るには」
第9話「柿たち」
第10話「千年の祈り」

いずれ劣らぬ鮮烈な印象を与える短篇ばかりです。訳者後書きによれば、著者は北京の核開発研究所の研究者の父と教師の母親の間に生まれ、17歳で天安門事件が起こり、北京大学から軍への強制入隊を経て米国の大学院に進み、免疫学の修士号を取得した後に作家に転じたという経歴だそうです。

母国の、貧しく哀れな人々に注がれる視線は、必ずしも懐かしく温かなものとは限らないようで、否定したいけれど否定し得ない母国の有り様を、米国在住の中国系知識人の視点から描いているような印象すら受けてしまいます。文化大革命ではなく、天安門事件を同時代のこととして語る世代が、すでに中堅の作家になっているのですね。

才能ある著者が従事していた免疫学の研究生活は、おそらくいたって地味で、根気強さを求められるものだったのでしょう。免疫学の研究から第二言語(英語)を用いた創作に転じた作者は、米国での生活が軌道に乗れば、必ずしも免疫学でなくてもよかったのかも。創作を指導した米国人による、作家になるべきだ、という強いすすめが後押ししたことは確かでしょうが。

コメント

StyleFitの軸を更新する

2011年08月27日 06時03分23秒 | 手帳文具書斎
以前、Jetstream ボールペンのリフィルを間違って購入した(*)ために、無駄に増えてしまった StyleFit ですが、どうも使う場面がごく少なく、引き出しの肥やしになっていました。プラスチックでチープなデザインというのもありますが、クリップのないボールペンというのは、いかにも一昔前の事務用筆記具ふうです。中高生の筆箱ならば似合いそうですが、中年おじんは、樽材を用いた軸やラバー軸などの質感を選んでしまいます。書き味がよいだけに、ほとんど使われないというのはもったいない。グリップ部にゴムがついていない特徴を生かすべく、黒芯を二本入れてインク切れに対応した StyleFit の軸だけを、先週、クリップ付きのタイプに更新しました。相変わらずチープではありますが、ゴムバンドのペンホルダーには向いているかも。



(*):3色ボールペンを2色で使う利点~「電網郊外散歩道」2010年5月
コメント

メレシコフスキー『ダ・ヴィンチ物語』下巻を読む

2011年08月26日 06時02分08秒 | -外国文学
ロシアの作家メレシコフスキーによる『ダ・ヴィンチ物語』下巻を読みました。

第9章:「分身」。ジョヴァンニ・ベルトラッフィオは、サヴォナローラの火刑を経験し、レオナルド・ダ・ヴィンチのもとに戻りますが、レオナルドは経済的に困窮していました。
第10章「波紋」。アルプスを越えて、フランス軍がロンバルディアに侵入し征服します。レオナルドの作品は破壊を受け、モーロ公はミラノから脱出します。
第11章「いずれ翼は」。断片的ですが、レオナルドの半生が描かれます。そして、レオナルドらはフィレンツェを離れ、ロマーニャに向かいます。
第12章「皇帝か無か」。この章では、マキャヴェッリとチェーザレ・ボルジアという登場人物の造型が印象的です。優雅な悪の化身チェーザレ・ボルジアと、口舌の徒マキャヴェッリ。
第13章「赤い獣」。ローマ教皇の枢機卿の間に飾られた様々な絵画は、実は神と獣とを同列に並び描く、異教的な雰囲気のものでした。そして教皇は亡くなります。
第14章「モナ・リザ」。レオナルドは、ジョコンダ夫人の肖像を熱心に描きます。夫人もまた、レオナルドに協力することに喜びを見出しているようですが、期待は実現せず、夫人は旅先で病死してしまいます。
第15章「宗教裁判」。レオナルドは再びミラノに移ります。ジョヴァンニはカッサンドラと親密になりますが、彼女は異端狩りに遭い、宗教裁判所に捕らえられていました。レオナルドの名声に反発するミケランジェロや、レオナルドを尊敬するラファエッロなど、若い世代が登場します。
第16章「イタリアでの最後の年月」。ローマで、レオナルドはアストロと同様に心を病み亡くなったジョヴァンニを葬ります。身の回りの世話をしてくれるフランチェスコの存在が助けです。
第17章「翼をつけた先駆者の死」。フランス王はモナリザを所望しますが、辛うじて手元に残すことができ、あとは洗礼者ヨハネを完成しようと、最後の時を過ごします。



本書で描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチは、早すぎた天才であり、理想を追い、当面の完成として現実に終止符を打てない優柔不断さが特徴的で、なにやら隠者のような抽象的な存在です。待望の本を期待して読了しながら、期待が大きすぎたのか、それとも作家と読者の相性というのか、どうも釈然としない終わり方です。

コメント

「農家の嫁の事件簿」のAkiさんがテレビに

2011年08月25日 06時01分01秒 | 映画TVドラマ
人気ブログ「農家の嫁の事件簿+」(*1)の主宰者Akiさんこと三上亜希子さんがテレビに取り上げられ、8月25日(木)、つまり本日の夜に、放映される(*2)そうです。

教育テレビ 2011年8月25日(木) 22:25~
グラン・ジュテ~私が跳んだ日「農家 三上亜希子」

同様に田舎暮らしを綴っている、当「電網郊外散歩道」でも、何度かコメントしたりコメントをいただいたりしておりますが、ブログ「農家の嫁の事件簿」では軽妙な筆致と楽しいイラストで人気の高い三上さんも、農家の嫁の生活は楽ではなかったはず。単行本も楽しく拝見(*3)しましたが、テレビカメラを通してだとどんなふうに見えるのか、夜の放送が楽しみです。

(*1):合同お盆慰労会、そしてグラン・ジュテ予告編~「農家の嫁の事件簿+」
(*2):グラン・ジュテ~私が跳んだ日~NHKオンライン予告編
(*3):『こちら北国、山の中』を読む~「電網郊外散歩道」2007年7月
コメント

ストコフスキーの「惑星」を聴く~見上げる星空と航行する宇宙と

2011年08月24日 06時04分22秒 | -オーケストラ
先日、ダウンロードした、ストコフスキー指揮ロサンジェルス・フィルによる、ホルストの「惑星」を聴いております。1956年に録音された、ストコフスキー指揮ロス・フィルによるホルストの「惑星」(*1)は、1970年代初頭には、たしか東芝レコードの廉価盤セラフィム・シリーズ(*2)のLPに入っていたはず。40年を経て、初めて聴く演奏です。

私の「惑星」の印象(*3)は、勇壮で神秘的でダイナミックな音楽と感じたものでしたが、様々な新録音に慣れた現在、この録音は、ダイナミックで語り上手でワクワクするような興奮をもたらすものというよりはむしろ、静かに天空を見上げる音楽のように感じてしまいます。

この違いはどこから来るのだろうと考えているうちに、ふと指揮者の世代に思い至りました。1956年に録音された「惑星」、これを指揮するストコフスキーは、1882年の生まれです。彼にとって、星空は見上げるものであり、宇宙は神秘的な存在であったことでしょう。しかし、アポロ計画により人類は月面に到達し、映画「スターウォーズ」に代表されるように、宇宙のイメージはダイナミックに航行するものに変わりました。「惑星」と「スターウォーズ」の音楽が併録された音楽CDが多数存在することからみても、近年の「惑星」演奏に期待されるのは、「スターウォーズ」以降のイメージが投影された、スペクタキュラーなものに変わっているように思えます。

そんなふうな感性からは、ストコフスキーの「惑星」は、彼らしくない、静かでおとなしい演奏に思えるのかもしれません。でもそれは、星空の神秘に対し、敬虔に祈りを捧げるような世代の感性が描いた、惑星の姿だったのかも。そして、後の世代は、コンピュータ・グラフィックスが描き出す仮想的な有能感を楽しみ喜びながら、人間は原子の火を制御可能だと錯覚してしまっていたのかもしれません。

(*1):ホルストの組曲「惑星」~「クラシック音楽へのおさそい」より
(*2):セラフィム名曲シリーズ~BQクラシックス~安田の部屋へようこそ
(*3):ホルストの組曲「惑星」を聴く~「電網郊外散歩道」2007年6月
コメント

類似性と独自性

2011年08月23日 06時03分20秒 | クラシック音楽
何かをパッと見たり聞いたりしたとき、別の何かと、どこかしら似たところがあるときには、私たちはすぐそれに気がつきます。それまでの自分の経験の中からサーチして、似ている要素を探し出せばよいのですから、比較的楽なのかもしれません。

ところが、誰のものでもない、その人の独自性というのは、必ずしもパッと見て(聞いて)すぐに感じ取れるとは限りません。むしろ、何度か見た(聴いた)段階で、このへんが独自の良さかもしれないなぁと感じてきて、そうして少しずつ理解も進んでくるように思います。

私のような、キャリアだけは長いけれども、本質的には素人音楽愛好家にとって、例えば初期のベートーヴェンに初めて接したときなど、はじめは古典派の先輩たちとの共通性や類似の要素を感じますが、しだいに若いベートーヴェンらしい、溌剌とした活力や、緩徐楽章にあらわれる、レガートな叙情性などの独自の魅力に気づくようになる、みたいなものです。

同様のことは、私たちの身の回りにも少なくないのでは。少し辛抱強く接してみると、独自の良さや持ち味を発揮している人が、けっこうおられるような気がします。第一印象の大切さを大事にしながらも、じっくり接してみることで、ようやくわかってくるものがあると感じます。

コメント

お盆明けの週末農業等の記録

2011年08月22日 06時17分25秒 | 週末農業・定年農業
土曜日、老母の依頼で野菜畑の耕耘、そのあとに果樹園の草刈り。七月末からほったらかしの畑では、腰ほども伸びた草との闘いとなりました。まだ終わっていませんが、スピードスプレーヤが走行できる程度に、なんとか草刈りを一段落させたところで雲行きが怪しくなり、夕方から雨が降り出しました。おかげで、八月中旬に予定していた、葉を守る消毒ができませんでした。農協ではカイガラムシの発生の警報を出しており、気のもめることではありますが、お天気ですから仕方がありません。夕方に床屋に行き、散髪してもらってすっきりしました。

日曜日は、終日雨模様。午前中に、「クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label」(*1)から、ストコフスキーの指揮するホルストの「惑星」の、1956年のステレオ録音(*2)をダウンロードして聴きました。若いころに、廉価盤LPで楽しんだものでしたが、著作隣接権の保護期間が過ぎ、すでに公衆の財産となっていたもののようです。
午後から、中学校の同窓会のことについて、あちこちに連絡を取り、日程を確保してもらいました。夕方には、外せない酒席があり、おでかけ。そのまま宿泊して、現在、某ビジネスホテルから記事を書いております。

(*1):クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label
(*2):ホルスト「惑星」ストコフスキー指揮ロサンゼルス・フィル、1956年録音~「クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label」
コメント

アホ猫、去りゆく夏を思う

2011年08月21日 06時03分22秒 | アホ猫やんちゃ猫
ああ、今年の夏も終わりね。こうして風を感じていると、ご主人の昔のブログ記事(*1)も、あながち的外れとばかりはいえなくなるわね。

ほんと、暑かったものね~。ここ数日は、朝晩はよほど涼しくなって、20~22度くらいになっているけど、お盆前の暑さは、半端じゃなかったわ。紋次郎が台所の窓から忍び込み、おばあちゃんの夜食のおにぎりを横取りした事件なんか、やっぱり暑さのせいよね~。つい、窓を閉めるのを忘れちゃうのよ。おばあちゃんは、紋次郎のことを、「あの赤猫!」って怒っていたけど、「あのバカ猫!」って聞こえたもの。わかるわ~、その気持ち。

昨日なんか、ご主人と奥さんと二人で果樹園の草刈りに精を出していたけど、あれも少しは涼しくなったからできる仕事よね~。早くもう少し涼しくなって、裏の畑にハンティングに出かけたいものだわ。



「おーい、アホ猫、どうでもいいけど、そのシッポの置き方、もう少しなんとかならないか?奥さんが爬虫類と勘違いしそうだよ!」



フン、毛のあるヘビなんて、いないわよ。アタシは最強なんだから!

(*1):絶好調時に危機はひそみ、真夏の中に秋は芽生える~「電網郊外散歩道」2005年8月

コメント (2)

山響第215回定期演奏会でリストとメンデルスゾーンを聴く

2011年08月20日 05時54分10秒 | -オーケストラ
平日の金曜夜に、山形テルサホールで、山響第215回定期演奏会を聴きました。山形では1回限りの公演で、土曜日には同プログラムで米沢市で演奏会を開催するとのことです。曲目は次の3曲。

リスト 交響詩「ハムレット」
リスト ピアノ協奏曲第2番 イ長調、金子三勇士(Pf)
メンデルスゾーン 交響曲第4番 イ長調「イタリア」
 ピーター・ルバート Peter Rubardt 指揮 山形交響楽団

会場に到着した時は、ホワイエで佐藤麻咲(Ob)さん、川上一道(Cl)さん、高橋あけみ(Fg)さんによる木管三重奏が行われておりました。最後のところだけを聴くことができましたが、木管だけのアンサンブルというのも、いいものですね~(^-^)/

会場に入り、通訳つきで指揮者のプレトークを。ピーター・ルバートさんは、スラリと長身のアメリカ人指揮者で、ペンサコラ交響楽団(*1)の音楽監督としてすでに14シーズン目を迎えるとか。フロリダ州北西端にある、周辺人口が約40万の港湾都市で、日曜の午後に親しみやすいポップス・コンサートを開催するなどの努力で観客動員数を大幅に増やした実績の持ち主です。お話は本日の曲目の紹介で、最後の曲の「イタリア」から逆に、リストのピアノ協奏曲、交響詩「ハムレット」について、簡単に触れました。

さて、第1曲め、リストの交響詩「ハムレット」です。私も初めて聴く曲。ステージ上には左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その奥にコントラバスと並び、中央奥に木管、さらに奥に金管、左奥にティンパニが配置されています。大きな三角錐のコーンのようなミュートのかかったホルンのくすんだ音で始まり、木管とティンパニが続きます。低弦がうなると、そこはもう怪しく不気味で暗鬱なリストの音楽世界です。全休止がひんぱんに入り、19世紀の当時、見せ場を作る名人だったであろうヴィルトゥオーゾの面目躍如たる音楽。



そしてステージ上で楽器の移動があり、中央にピアノが配置されます。このあたり、スタッフも楽器の担当者も、すっかり手慣れたもので、あっという間に終わります。

2曲目は、リストのピアノ協奏曲第2番。私も、シフラ父子のCDなどで聴いたことがあるくらいで、あまりなじみの曲ではありません。実演で聴くことができるのは、滅多にないチャンスです。曲は、フルート、クラリネット、ファゴット等の木管から始まり、弦とともにピアノが入る第1部:アダージョ・ソステヌート・アッサイから、第6部:アレグロ・アニマートまで、六つの部分からなり、古典的な三楽章形式は踏襲しておりません。実際に、金子三勇士さんのピアノの独奏部が各部を接続して音楽のイメージをつなぐ形で展開されます。それにしても、金子さん、唖然とするほどに若さと活力あふれるイキのいいピアノ演奏で、まったくお見事。ピアノとチェロの対話など、ほれぼれします。「実は第1番よりもこの第2番が好きだ」と話していたピーター・ルバートさんの指揮が、ケレン味たっぷりの第1番に比べて(^o^;)この曲の持つ「大人の音楽」の魅力を示してくれていたように思いました。

金子三勇士さん、拍手に応えて、アンコールを一曲。J.S.バッハの「フランス組曲」から、「サラバンド」です。リストの後のバッハ。この対照がステキでした。

さて、15分の休憩の後、後半はメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」です。リストの時よりも、編成がやや小さくなり、弦五部は同じですが、Fl(2)、Ob(2)、Cl(2)、Fg(2)、Hrn(2)、Tp(2)、Timp. という典型的な二管編成です。おや?足立さんの隣のFlが、なんだかよく似ているんですけれど、もしかして親子?と思ったりしました(^o^)/

第1楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ。速めのテンポで、ヴィヴラートはごく控えめに、弦楽パートは小刻みな動きが多く、忙しそうです。オーボエのロングトーンが出てくるところ、好きなんですよね~(^o^)/
第2楽章:アンダンテ・コン・モト。弦のリズムの刻みが軽やかで、音は澄んで透明で、アンサンブルは繊細で見事です。メンデルスゾーンのこの曲にはとくに、ノン・ヴィヴラートの長所を感じます。
第3楽章:コン・モト・モデラート。クラリネットの川上さん、いい音です。その間に、ティンパニの平山さんが、皮に耳を当てて、調整確認をしています。LPやCDで聴いているときには、何の楽器の組み合わせなのかわからなかったのですが、あの魅力的な音は、実はホルンとファゴットの組み合わせだったのですね!
第4楽章:メンデルスゾーンの職人芸の見事さを感じます。弦の細かな動きも、次第に興奮へと導いていきますが、久々に聴いた「イタリア」交響曲、プレストで飛ばすサルタレロに、山響の安定感を感じました。

今日のプログラムは、リスト生誕200年を記念して、「ワイマール物語」と題するものでした。ゲーテも愛したワイマール公国にゆかりの二人、という趣旨なのかな?

それにしても、お腹が空いたのには参りました。空腹に負けて、妻と二人でまっすぐホールを出て、中華料理店で遅い夕食となりました。今日もまたいい演奏会、いい一日でした。

(*1):Pensacola Symphony Orchestra - Official site

コメント (2)

メレシコフスキー『ダ・ヴィンチ物語』(上巻)を読む

2011年08月19日 06時02分19秒 | -外国文学
図書館から借りてきた夏休みの自主的読書課題(^o^;)を、ようやく読了しました。メレシコフスキー著『ダ・ヴィンチ物語』上巻(英知出版刊)です。
著者は、1866年生まれで1941年に没したロシアの作家とのことですが、当方にはむしろ、梅棹忠夫著『知的生産の技術』で紹介されたダ・ヴィンチの「発見の手帳」を描いた作家であり、若い頃に奥多摩のテント内で紛失した『神々の復活』の著者(*)と言った方がわかりやすい人です。

本作は、15世紀のイタリアを舞台に、ミラノ公国の宮廷と教会、ダ・ヴィンチとその弟子などのエピソードを多面的に接合し、時代と社会と人々の意識を描いた作品と言えそうです。天才ダ・ヴィンチを主人公にストーリーを展開する物語風のものを予想したら、短い印象的なシーンを次々に重ねてモンタージュのように映像を作り上げるような手法に、たいへん驚き、また新鮮さを感じました。

第1章:「白い魔女」。ギリシア神話の女神らしい彫刻の発掘と、頑迷な教会がギリシャの発掘品を破壊しようとするのを防ぐ経過が描かれ、絵を志す青年ベルトラッフィオがダ・ヴィンチに弟子入りを果たします。
第2章:「この人を見よ!この神を見よ!」。ダ・ヴィンチのスケッチや作品の写真とともに、彼の風変わりで好奇心に満ちた日常が描かれます。
第3章:「毒入りの果実」。レオナルドのパトロンであるルドヴィーコ・イル・モーロは、やがて甥のガレアッツォから王位を奪うのですが、妻ベアトリーチェは、マクベスの妻のように毒入りの果実を夢見ます。レオナルドの実験は失敗でも、そのイメージは強烈です。
第4章「錬金術師」、第5章「御心が行われますように」。モーロ公は、フランス王の後ろ盾を得ようと政略をめぐらしますが、民衆は外国兵を歓迎せず、あちらこちらで衝突が起こります。レオナルドもまた、不信の目にさらされます。
第6章:「ジョヴァンニ・ベルトラッフィオの日記」。弟子入りしたベルトラッフィオは、レオナルドの日常に驚き目を瞠ります。しかし、弟子仲間で皮肉屋のチェーザレはレオナルドの言動の矛盾を指摘します。ベルトラッフィオは、やがて宗教改革を目指す狂信者サヴォナローラの熱狂に加わることになるのですが、第7章:「異端の火刑台」で描かれる蛮行に恐れをなし、逃げ出した先でレオナルドに再会します。
第8章:「黄金時代」。ミラノ公イル・モーロは、妻ベアトリーチェと情婦ルクレツィアとの間で身勝手な生活を続けていますが、妻がお産で亡くなると、こんどはチェチーリア・ベルガミーニが愛人に加わります。



上巻はこんなところでしょうか。イタリア人の名前は舌を噛みそうですが、作品はたいへん面白いものです。例の、ダ・ヴィンチがノートについて弟子に語る内容は、こんなふうでした。

「・・・散歩の時に、周りの人々の動きをじっくりと観察してみるがいい。どんな風に立っているか、どんな風に歩いているか、どんな風におしゃべりしたり、言い争ったり、笑ったり、殴り合ったりしているか、喧嘩をしている瞬間、当人たちがどんな表情をし、仲裁に入ろうとしている人や、黙って見ている見物人たちが、どんな顔をしているのかを。ノートを肌身離さず持ち歩いて、そういったことを全てメモしたり、スケッチしたりするんだ。ノートがいっぱいになったら別のノートを使えばいいが、前のノートは大事に取っておきなさい。いいかい、絶対に前のスケッチを消したり破り捨てたりしてはいけないよ。自然における人体の動きは無数にあるから、どんな人間の記憶力をもってしても覚えてなどいられない。つまり、そのスケッチこそがお前の最高の助言者、最高の師となるわけだ。」(p.227)

また、ベルトラッフィオが記録した印象的な言葉は、のちに再び別の意味を持ってきます。

金持ちの思い出は金持ちが死ねば消えてしまうが、賢者の思い出はずっと生きつづける。(p.248)

知識のない者は愛することも出来ない。大いなる愛情は大いなる知識から生まれるのだ。(p.295)

なるほど。最後の一句は、まるで古代ギリシャの哲学者を連想させます。

(*):なくした本の記憶~「電網郊外散歩道」2006年11月
コメント

近隣の寺の若住職と今年もクラシック談義

2011年08月18日 06時03分03秒 | クラシック音楽
肩の凝らないお盆の話題特集の続きです。
例年のとおり、お盆に村内の三か寺を回りましたので、住職さんが我が家にも回ってきて、読経をしていただきます。その中の一人、某寺の若住職は、大のクラシック音楽ファンで、以前も一度記事(*1)にしましたが、今年もまた、くだんの若住職と、クラシック音楽談義を楽しみました。

Q:最近の印象的な演奏会は?
若住職「山響のショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番。ピアノもそうだけれど、井上さんのトランペットが素晴らしかった(*2)なぁ。」
(なるほどなるほど。同感です。)
私「シュロモ・ミンツさんの、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番(*3)。あれは素晴らしかった。」
若住職「あー、それ聴き逃した。残念~。」
(たしかに、土日といっても住職は休みとは限らないそうで、彼の立場上、仕方がありませんね~。)

彼の今後の予定では、サイモン・ラトルとベルリン・フィルによるマーラーの交響曲第9番を聴きに、サントリーホールに「日帰りで」出かけるそうな。わーお!体力のある若いうちだからできることでしょう。ご多忙モードの今年、私にはとてもそんな元気はありません(^o^;)>poripori
でも、若い人と話をすると、気持ちが若返り、元気になります。

(*1):某寺の若住職とクラシック音楽談義~「電網郊外散歩道」2009年8月
(*2):山響第205回定期演奏会でショスタコーヴィチとチャイコフスキー等を聴く~「電網郊外散歩道」2010年5月
(*3):山響第213回定期演奏会でボロディン、プロコフィエフ等を聴く~「電網郊外散歩道」2011年5月
コメント

お盆休みのお買い物~夏用サンダルを更新する

2011年08月17日 06時01分51秒 | 散歩外出ドライブ
お盆の13日、妻と老母が忙しくしている午前中は、私には少しだけ時間が空きます。そこで、さっと出かけて買い物をしてきました。

(1) 夏用サンダル
(2) CD/DVDケース
(3) ハーフパンツ
(4) タンクトップ



夏用のサンダルは、かかとも付いたベルトで締めるタイプ。これなら車の運転もできるでしょう。色は、あまり若々しいものでもなあと遠慮して、地味目のこげ茶色を選びました。
CD/DVDケースは、別記事(*)で取り上げていますので、省略。
ハーフパンツとタンクトップは、ユニクロで。なんだか評判の悪い中年「ユニクロおやじ」になったみたいで、いささか釈然としませんが、この暑さに負けました(^o^)/

スピードスプレーヤ用の軽油など、農業用の燃料も買ってきたかったのですが、余りの暑さにタンクを忘れてしまいました(^o^;)>poripori

(*):録画済みDVDをケースに整理する~「電網郊外散歩道」2011年8月
コメント