電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

宮城谷昌光『楽毅(四)』を読む

2013年10月31日 06時02分36秒 | -宮城谷昌光
新潮文庫で、宮城谷昌光著『楽毅』第四巻を読みました。

趙国内における沙丘の乱により主父が死に、楽毅は迷いを捨てて魏に移ります。首都の大梁において、法家の一人である李老子の門に入ります。「武のみに生きることにむなしさをおぼえました」という楽毅の言葉に真情を見た李老子のはからいで入門を許され、高弟の条有を通じて季進や単余などの協力を得ることとなります。魏にあっては守備隊の伍長に過ぎない里袁にも再会し、ようやく妻と子と一緒の生活を楽しむ中にも、中華の風は吹き止みません。斉の湣王は、愚かにも斉の柱石であるはずの孟嘗君を魏に追いやってしまいます。魏王は大喜びでしょう。魏に到着した孟嘗君は、ひそかに楽毅宅を訪ね、楽毅の意中を確かめると、昭王に、燕王への使者として楽毅を推挙します。

孟嘗君の推挙と犀首の肯諾を得て、魏王の正使として燕に赴いた楽毅は、かつての好敵手・趙与の示唆により、趙の奉陽君(李兌)を聘問し、その面識を得ます。そして燕国に入ると、これが驚くべき厚遇でした。いぶかしむ楽毅主従らでしたが、実は燕王の意図は楽毅本人にありました。斉に父を殺され、国土を蹂躙された過去を持つ燕の昭王は、大国斉への復讐を願っており、趙の侵略に抗し、中山国の滅亡を防ぐために奮闘した将軍・楽毅の力を欲していたのでした。魏王の臣下ではなく客に過ぎない楽毅に対して、昭王は楽毅が燕にとどまってくれなければ魏王への返書は書かぬと宣言します。楽毅は王の熱意にうたれ、魏王には妻子を人質として差し出す形で誠意を示し、燕と魏の交誼を成立させて、自らは燕にとどまることとします。かつて中山の将軍であった楽毅を昭王に面謁させた郭隗から、楽毅の承諾を聞いた昭王は、念願がかなったことに喜びますが、楽毅は王の宿願を果たすためには趙と結ことが肝要であることを提言し、雪路を踏んで趙に向かいます。

ここからの楽毅の外交は、見事と言うしかありません。主父を殺害したという負い目を抱える趙の恵文王は、燕の昭王の書翰に心の通う情義を感じ、また使者である楽毅が中山王に示した忠節を信頼し、燕と趙の会盟を約束し、二城を献じます。ただし、昭王に復命する際に人質として太子を趙に送ってはどうかと示唆したことで、わがままな太子がカチンと来たことは、楽毅には予想外でした。太子が楽毅を誹謗したことは、昭王を激怒させますが、逆に楽毅が妻子を魏王の人質としていることを知り、昭王は使者を魏に遣わして、妻子を楽毅のもとに返します。昭王の思いやりに触れた楽毅は、感激したことでしょう。

燕王の絶大なる信頼と太子の敵意の間にあって、楽毅は昭王の治世の間に斉への復讐の事業をなそうと計略を進めます。斉の湣王の暴虐と魏の孟嘗君の存在が楽毅の大きな戦略を助ける結果となります。そして、この後の楽毅の謀計は、ついに大国斉の大半を燕の支配下に置くことになり、昭王の大望はついに果たされるのですが、その過程の描き方は実に綿密です。それぞれの国の王や宰相、将軍と民の感情などが表され、軍事の物語としての重厚さを感じさせますが、一方で昭王の急逝に伴う太子の即位によって、楽毅の偉業が潰えてしまう様などは、思わず無常を感じてしまいます。と同時に、趙王に厚遇される晩年に、思わず安堵するのも確かです。



以前、北海道出張の前後に読み始めた記憶がありますが、再読三読、読み返すたびに読後感は爽快なものがあります。『孟嘗君』『太公望』などに並ぶ、作者の代表的な作品でありましょう。余談ですが、作品の終わり頃になるとやけに端折ってしまう傾向が否めない作者の通例にはよらず、最後まで力の入った物語となっていると感じます。

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県立図書館で貸出証を更新し調べ物をする

2013年10月30日 06時01分30秒 | 手帳文具書斎
過日、山形弦楽四重奏団の定期演奏会の前に県立図書館に出かけ、貸出証の更新手続きを行いました。前の貸出証は、たしか平成5~6年頃、山形市勤務の際に作ったはずですので、ほぼ20年ぶりの更新になります。以前の貸出証は紙製で、番号も手書きでしたが、今度のものは感熱式のカードで、貸出冊数や書名、返却予定日などが印字されます。この方式は、十数年前の某市立図書館でも採用されていましたので、現在はごく標準的なものとなっているのでしょう。また、インターネットでの利用申込もできるようで、最寄りの公立図書館で受け取ったり返却したりできるようです。

館内は、一階の一般資料については、一般書と専門書に大きく区分されているようなイメージで、総記や文学などは入り口に近い一般書の区画に、社会科学や自然科学などは奥の専門書の区画に配置されています。細かくは日本十進分類に基づいているようで、パソコンで検索し、NDC の分類番号を頼りに開架式の棚から目で探しだしますが、パソコンの検索画面にも館内のどこに配架されているかが赤く図示され、探し出すのにたいへん便利です。



もう一つ、中高年が図書館を利用する際の悩みの一つに、若い受験生に席を占領されていることが挙げられます。実際、一般書の区分のほうの席は、ほとんど若い人たちが座って黙々と勉強していましたが、専門書のほうには社会人席というのがあって、社会人専用の席となっておりました。この日も、社会人専用の一席を利用し、しばらく調べ物をして、有益な結果を得ることができました。さすがに県立図書館です。蔵書の充実では県内有数でしょう。せっかくの山形市内勤務ですので、大いに利用しようと思います。

参考までに、原則として月曜休館となり、開館時間は9:00~19:00となっておりました。

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月山と朝日連峰が雪化粧して冬支度を始める

2013年10月29日 06時03分34秒 | 季節と行事
 10月下旬に入って、肌寒さを感じるようになりました。10月18日にはすでに月山と朝日連峰が雪化粧していましたので、早朝からセーターを着込み、ストーブを準備して使い始めました。中旬にはスーツも衣替えをして、背中の全面に裏地のついた秋冬物の上着にしておりましたが、それでも背中が寒いと感じますので、最近は毛糸のベストを中に着て出るようにしましたし、足元にはひそかにレッグウォーマーも準備しました。

 これからは、秋の長雨の季節に入ります。お天気を見て、雪囲いの資材を準備しなければなりませんし、11月初旬までには裏の畑の柿を収穫する作業もあります。季節は知らぬ間にめぐります。地域行事の合間をぬって、準備は忘れずにしなければなりません。週末農業もなかなか多忙です。

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料亭の芋煮の美味の秘密は

2013年10月28日 06時03分37秒 | 料理・住まい
最近のニュースによれば、おせち料理や芋煮会など和食の文化が、ユネスコの世界文化遺産の候補として推薦されることになったとのことです。めでたい!しかも、その中に、わが山形の芋煮会も候補になっているというのですから、なおめでたい(^o^)/
するってぇと、河原に芋煮会用設備として水道が引かれているとか、コンビニやスーパーで薪のセットを売っているとか、鍋底の煤を簡単に洗い落とせるように、あらかじめ鍋底にクレンザーをぬっておくとかいう知恵も、世界文化遺産候補なのでせうか(^o^)/

ところで、過日、料亭の芋煮の美味しさの秘密を垣間見る機会に恵まれました。野外での芋煮会に参加した時の鍋奉行が、なんと某有名料亭の料理長さんでした。思わず興味津々で、芋煮の正統的な(上手な)煮方について、一連の手順の解説を聞きながら激写!!


(1) まず、水の量は里芋の量の三倍程度とします。
(2) 少量のお酒(芋を柔らかくする)と少量の醤油(泡を防ぐ)を加え、里芋を煮ます。
(3) 里芋は、煮えると沈んでいたものが浮いてくるので、煮えたかどうかがわかります。

(4) このとき出る泡は、ガラクタンという旨味成分なので、捨てないようにします。かき混ぜれば泡は消えます。
(5) 芋が煮えたら、砂糖と醤油で味付けをします。
(6) コンニャクは、味付け後に入れます。ゴボウは里芋の繊細な味を消してしまうので、入れない方がよいでしょう。これで、しばらく煮込みます。

(7) さらに牛肉を入れて煮ますが、このときはアクを取ってください。

(8) 最後に、マイタケなどのキノコと寸ネギを入れます。ネギの食感を残すために、斜め切りではなく、一寸ほどの長さにぶつ切りにして入れた方がよいそうです。

(9) 一度火から下ろし、冷まして味をしみこませ、もう一度温めると、さらに美味しくなります。


とのことでした。

なお、写真の芋は、料理長さんが剥いたものではなく、本当は皮をガリガリと薄く剥いた方が美味しい味が出る、とのことでした。地物の里芋を使ったプロの芋煮、「実は秘伝の牛の骨を煮出したスープを少々入れておりまして」とのこと。な~るほど、それでこの味かと納得いたしました。

鍋の底が見えるほど美味しくいただきましたが、最後はうどんで締めました。

当日は季節も良し、天気も良しで、美味しかった~。これから、家庭で芋煮を試みる際の参考になれば幸いです。

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落っことして修理を依頼していた万年筆が戻る

2013年10月27日 06時03分18秒 | 手帳文具書斎
今月はじめに落っことし、インクかすれが発生していたプラチナの#3776ブルゴーニュ万年筆の修理が完了し、先日、手元に戻って来ました。所要日数は一ヶ月ほどと言われていましたが、実質は20日ほどで完了したことになります。インクかすれはなくなり、書き味は復活しておりまして、同社の技術者というか、職人さんに感謝です。修理代金は1,575円ということで、たいへん良心的だと思います。また、修理に際しては販売店を通して依頼しましたが、通販でなく、行きつけの文具店から購入したことが正解だったと感じました。



それにしても、プラチナ社の古典ブルーブラック・インクはなかなかいいですね~。世間では、古典ブルーブラックの販売を中止するメーカーも出ているようですが、同社は頑張って製造販売を継続してもらいたいものです。

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コルンゴルト「ヴァイオリン協奏曲」を聴く

2013年10月26日 06時04分08秒 | -協奏曲
レコードやCDでは、有名大家の定評ある演奏を聴く楽しみがありますが、一方で実演ではなかなか聴くことが難しいレアな曲目を、世界の様々な演奏家により楽しむことができます。たとえば、今の季節に通勤の音楽として聴いている、コルンゴルトの「ヴァイオリン協奏曲」です。

Wikipedia によれば(*1)、コルンゴルトという作曲家は、1897年に、ウィーンの高名な音楽評論家の次男として誕生し、幼少時より音楽の才能を発揮するとともに、Erich Wolfgang Korngold のミドルネームが示すように、作曲においても天才とうたわれます。
ユダヤ系の彼は、1934年にハリウッドで映画音楽に携わったのをきっかけに、1938年のナチスドイツのオーストリア併合を逃れてアメリカに亡命、ハリウッドで映画音楽を書きながら生活するようになります。なるほど、コルンゴルトの音楽がいかにもハリウッド風というよりも、ハリウッド風の映画音楽はコルンゴルトによって創られたと言ってよいのでしょう。

第二次大戦後は、十二音技法など前衛音楽が席巻する中で、1970年代に再評価が始まるまで、彼の音楽は忘却されてしまったようです。しかし、1945年に作曲され、ハイフェッツが愛奏したというこのヴァイオリン協奏曲は、いささかハリウッド風ではありますが、まさしく二十世紀のヴィルトゥオーゾの時代に相応しい名曲のように思います。

第1楽章:モデラート・ノビレ、ニ長調、ソナタ形式。
第2楽章:ロマンツァ、ト長調。
第3楽章:アレグロ・アッサイ・ヴィヴァーチェ、ニ長調、ロンド・ソナタ形式。

幸いに、時津英裕氏(Vn)と九州交響楽団による日本初演の録音も残っており、ネット上で公開(*2)されているようです。

ところで、1946年にコルンゴルトが映画音楽から足を洗う時の台詞(*3)が、何とも言えないものです。

「ぼくは昔は英語がわからなかった。でも今は映画の中の会話が分かるんですよ。」

うーむ。映画を愛する方々ならば激怒しそうな発言ですが、ハリウッドの黄金期を支える屋台骨であった作曲家の言葉だけに、思わず考え込んでしまいます。つまらない映画もあるけれど良い映画もある。「映画が」ではなく「会話が」というところが救いです。

CDは、ナクソスの 8.553579 というもの(*4)で、コルンゴルトとゴルトマルクのヴァイオリン協奏曲集です。Yu Long(裕龍) 指揮ラズモフスキー・シンフォニアの演奏で、独奏ヴァイオリンは Vera Tsu という上海生まれの女性ヴァイオリニスト。1980年にジュリアード音楽院に渡り研鑽を深め、2000年からは北京中央音楽院のヴァイオリンの教授をつとめており、このコルンゴルトの協奏曲は彼女の代表盤のようです。

■Vera Tsu 盤
I=9'25" II=8'27" III=7'12" total=25'05"

YouTube にも、ヒラリー・ハーンの演奏した映像がありました。



(*1):エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト~Wikipediaの記述
(*2):時津英裕(ヴァイオリン)思い出の録音集~MP3形式による
(*3):エーリヒ・ヴォルグガング・コルンゴルト~早坂隆志さんの記述
(*4):外出先で文庫本と音楽CDを購入したこと~「電網郊外散歩道」2012年1月

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来年のダイアリーを考える

2013年10月25日 06時05分41秒 | 手帳文具書斎
 書店や文具店に来年の手帳が並び、鬼が笑いすぎて筋肉痛になる季節がやって来ました。当方は、例によってシステム手帳を継続使用すると決めておりますが、さてダイアリー・リフィルを考えなければなりません。従来使用していた月間ダイアリーは翌年の1月までで、3月までのものがほしいと月間ブロック式のものに変えたら、記入する余白が小さすぎて駄目でした。したがって条件は、

(1) 1月から翌年3月まで
(2) 見開き1ヶ月の月間ダイアリー(横書き)
(3) できれば2色刷で休日を区別しやすいもの
(4) 大安や仏滅など六曜を表示
(5) 万年筆のインクが裏抜けしにくい紙質
(6) リーズナブルな価格で、田舎でも継続して入手しやすいこと

などとなります。さて、この条件にあてはまるものは何でしょう。ゆっくり探してみたいと思います。

 もう一つ、職場のデスク用にA5判のルーズリーフを使っています。これにセットするためのダイアリーも必要です。今年度は、白い無地のルーズリーフ用紙にレーザープリンタで様式を印刷して使いました。できれば市販品で、上記の条件に近いものを見つけたいものですが、自作してしまったほうが手っ取り早い面もあります。A4判横置き二段組で様式を作り、中心合わせで裏表印刷すれば、二つ折りすることでA5判のページが四面できてしまいますので、これに20穴パンチで穴をあけ、A5のルーズリーフにセットするという仕組みです。さてどうするか。

写真は、ご近所からいただいたザクロの実です。

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当世大学生気質

2013年10月24日 06時04分37秒 | Weblog
 ときどき大学生に接するようになり、わが若き日と比べて、全体にまじめで堅実だと感じます。それは、もちろん時代や社会情勢の違いによるものが大きいのでしょう。当方の高校・大学時代は、学生運動が盛んで東大入試が中止になったり、学費値上げに反対して学内がバリケード封鎖されたり、大学構内でセクト間の実力抗争が展開されたりと、思えば楽しい充実した学生生活とは程遠い、殺伐としたものでした。規則正しい生活習慣を失い、立て直すのにえらく苦労した覚えがあります(^o^;)>poripori

 ところが現代の学生諸君は、私の接する範囲ではありますが、かなりきちんと出席もしますし、欠席や忌引の連絡などはメール等で入れてくれます。配布資料は出席した学生が欠席した人の分ももらっていくなど、けっこう仲間を思いやる親切さもあるようです。意見や発表の内容も、思わず同感したり、なるほどと感心したりすることもあり、自分の学生時代と比べて、ある面ではむしろ大人だなあとさえ思います。今のところ表面的なところしか見えていないのでしょうが、第一印象はなかなか好感の持てるものでした。ある意味、私自身がたいへん勉強になっております。誰かの言葉に、「教えることは学ぶことだ」というようなものがありましたが、全くその通りだと感じています。

写真は、老母の手づくりサツマイモを用いた、妻の手づくりスイートポテトです。

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文具店とメガネ屋でお買い物~ペンケースと眼鏡用ネックストラップ

2013年10月23日 06時06分18秒 | 手帳文具書斎
先日、妻と二人でドライブがてらお買い物に出かけました。向かった先は、いつもの文具店とスーパーとメガネ屋さん。

まず、文具店で小さめのペンケースを購入しました。百均でも売っているけれど、できるだけ実用上質なものがほしい、ということで、パイロットのトレンダー・レザー・ライトという製品シリーズのものから、希望価格2,200円のところを1,848円で購入。これなら、書類カバンの中にもコンパクトに入りますし、大事なペンを落っことす可能性も低くなることでしょう。




続いてスーパーで食料品等を購入し、その後でメガネ屋さんに寄り、老眼鏡を首にぶら下げるネックストラップを購入しました。意外に安くて、420円。これは便利です。

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老眼鏡を便利に使うために

2013年10月22日 06時04分28秒 | 手帳文具書斎
 過日、新調した老眼鏡がたいへん具合が良く、近頃はすっかり手放せないという状況になっております。例のブルーライトを低減するとかいうPC眼鏡をも兼ねているため、この老眼鏡をかけていることが多く、比べてみると、以前にお試しの意味で購入していたシニアグラスの出番は激減してしまいました。当然のことですが、やはり出来合いの製品は、検眼して乱視にも対応したオーダーメイドのものにはかなわないようです。

 ところで、便利に使えば使うほど、いつも手元に無いと不便に感じます。できれば身につけられるとよいのですが、そういうわけにもいきません。たまたま、某氏が老眼鏡を首から下げているのを目にしました。たいへん便利そうですので、どこで購入できるのですか、と尋ねたところ、メガネ屋さんで入手できるとのこと。さっそくメガネ屋さんに出向き、入手することといたしましょう。

 いやはや、老眼鏡を首からぶら下げて歩くなど、若い頃には想像もできなかった事態です。でも、仕方がありません。見た目よりも便利さです(^o^;)>poripori

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文翔館の近くで食事処を見つける

2013年10月21日 06時03分53秒 | 散歩・外出・旅行
文翔館議場ホールで演奏会がある場合、食事場所に適当なところを見つけられず、ウロウロしておりました。七日町まで行けば食事処はたくさんあるわけですが、繁華街ですし、時間帯により、あるいは土日祝日にはたいへん混み合います。味も良く、お値段もリーズナブルで、しかも文翔館に近いところ、という条件で探しているうちに、見つけました。




文翔館正門前の東西の通りを東上し、通称「新築西通り」の起点となる交差点の西南角にある、「華園」という小さなお店です。屋台ふうのカウンター席は、お昼時にはサラリーマンで埋まりますが、最初に見つけた時は時間をずらして早めに行きましたので、なんとか座ることができました。二階では、小人数なら宴会も可能なのだそうな。(一部訂正)



このお店のポイントは味です。ラーメン屋のラーメンの味ではなくて、本格中華料理店の味。このときは、いかにも厨房のキャリアの長そうなベテラン店主が作る「海老ラーメン」をいただきましたが、思わずリピータになってしまいました。



土曜日の山形弦楽四重奏団定期演奏会の際は、夕方に行ってみましたが、親父さんは18時過ぎまで休憩中とのことで、店員さんにワンタンメンを作ってもらいました。でも、けっこう美味しかった。メニューの中では、中華コースもいいし、親父さんの作る「甘酢ラーメン」はお薦めだそうで、これはぜひ食べてみたいものです。




18時に注文して食べ始めると、ちょいとプレコンサートの開始には間に合いませんが、腹ペコではハイドンもモーツァルトもベートーヴェンも上の空になりますので、冬場には、あるいは演奏会のある時だけでも、営業開始を少し早めてもらえないか、お願いしてみようかと思います。ラーメン好き、中華料理好きの方には、文翔館付近でのちょっとした穴場かもしれません。

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山形弦楽四重奏団第49回定期演奏会でハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを聴く

2013年10月20日 08時47分32秒 | -室内楽
週末の土曜日、勤務を終えてから県立図書館で調べものを済ませ、某店で夕食をとって文翔館議場ホールに急ぎました。ちょうど渡邊奈菜さん(Vn)と田中知子(Vla)さんのデュオによるプレコンサートの途中でしたので、足音を立てないように遠慮して入口のところで拝聴。モーツァルトだったようですが、曲目の紹介は残念ながら後ろの席までは聞こえませんでした。



本日のプレトークは、2nd-Vnの今井東子(はるこ)さん。先日まで風邪気味だったそうですが、「意地でも治してみせます」と宣言(*1)しての登場です。本日の曲目の解説も、幸いにグスグス鼻声ではありませんで、大丈夫そうです。まずは良かった良かった(^o^)/
で、曲目は:

ハイドン 弦楽四重奏曲 ト短調 Op.20-3
ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第2番 ト長調 Op.18-2
モーツァルト 弦楽四重奏曲第18番 イ長調 K.464


ステージ上には、左からダークグレーのシャツに黒い上着の中島光之さん(1st-Vn)、そのお隣が今井さん、黒っぽいシャツに赤いネクタイの茂木明人さん(Vc)、そして同じく黒っぽいシャツに上着なしで倉田譲さん(Vla)の4人が並びます。

1曲目は、ハイドンの「太陽四重奏曲」Op.20の中から、ト短調をややゆっくりめのテンポで。出だしは少々心配しましたが、すぐに持ち直しました。4つの楽章中ではとくに第3楽章で、チェロがしっかりと土台を支えながら、おだやかな楽想を丹念に表現しようとしているのが感じられました。
「ひばり」や「皇帝」のような有名曲の場合は、何度も演奏する機会があるでしょうが、こういうマイナーな曲の場合は、滅多に演奏する機会はないのではと思います。そういう意味でも、ハイドンの弦楽四重奏曲の全曲演奏という目標は実現してほしいところです。

2曲めは、若いベートーヴェンの第2番。安定感のある出だしです。まじめでロマンティックな山Qに合っている曲想なのか、左手を後ろに回し、少し身を屈めてハンカチを振るような「挨拶」の身振りもすごくいいです(^o^)/
第2楽章で、Adagio cantabile なのに、まるでアタッカで次のスケルツォに入ってしまったかと一瞬思わせて、およよ、まだ2楽章だよとフェイントをかますところも(^o^)ばっちり決まります。第3楽章、若いベートーヴェンの軽やかさをよく表しつつ、第4楽章ではチェロの「挨拶」に応えて他の三人もそれぞれに挨拶をするところから始まり、最後は四人の没頭が感じられる、しっかりとしたアンサンブルの手応えでした。



15分の休憩の後、3曲目はモーツァルトの弦楽四重奏曲の中でも充実した「ハイドンセット」の最後から二番目の曲です。第1楽章:アレグロは柔らかに、ふくよかに。第2楽章:メヌエットは、舞曲由来とは思えない、かなり抽象的・前衛的な音楽です。第3楽章:アンダンテ。演奏者は楽しいだろうなと思わせる、技巧と情緒のバランスの取れた音楽です。VnとVlaの2人のかけあいも柔らかで、四人が交互に対話します。アンサンブルの妙味ですが、これが不思議に現代的です。第4楽章:アレグロ・ノン・トロッポ。この音楽を、是非にももう一度聴きたい!と思ってしまいます。

アンコールは、同じく若いベートーヴェンのOp.18から、第5番のメヌエット。途中のヴィオラが奏する旋律が、とても魅力的に響きます。
最後は、中島さんのトークで、第50回定期演奏会の予告がありました。すでにチラシも出来上がっており、新春1月13日(月)の成人の日、18:30~、文翔館議場ホール、入場料は、前売1,500円、当日2,000円です。当方は、すでにしっかりと確保してまいりました。

(*1):風邪にご用心~「東の散歩道」
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宮城谷昌光『楽毅(三)』を読む

2013年10月19日 06時04分56秒 | -宮城谷昌光
新潮文庫で宮城谷昌光著『楽毅』第三巻を読みました。表見返しに折り込まれた地図が、前巻までは中山と趙が中心だったのに、この巻では二つ折りと大きくなり、古代中国全体が描かれています。楽毅の活躍が、いよいよ広がっていく巻です。

燕の昭王とその臣下である郭隗のエピソードは、「隗より始めよ」という故事成語となっているのですね。理系の石頭は、こういう常識を知らない。恥ずかしながら、具体的な由来を初めて知りました(^o^;)>poripori
そして、ひそかに訪ねて来た楽毅を昭王に引見させた郭隗は、やはり相当の人物と言って良いでしょう。残念ながら燕王は中山への援助をやわらかく断りますが、楽毅という将軍の人物は高く評価し、自国に迎えたいとさえ言います。

呼沱に戻った楽毅は塞の守りを固めます。郭隗は千里の馬の予約金だと言って二千金を楽毅に届けますが、これはもちろん燕王の意向であり、先物買いと言って良いでしょう。趙の武霊王は退位して恵文王に後を継がせ、自らは主父を称しますが、実質的には主父による院政と言えます。内政は恵文王にまかせ、武力による侵略を主とするという形です。これに対抗して中山国を守るために、楽毅は思い切った手を打ちます。それは、負傷し斉に逃れる途中で亡くなった父王に代わって中山王となった尚を、扶柳の城からひそかに呼沱の塞に移すことでした。楽毅を信じる若き王尚は、呼沱の塞にこもる中山兵の奮戦と犠牲を目にして、喜ぶとともに心を痛めます。洞察力のある英主と言って良いでしょう。趙軍もまた、楽毅の策により趙希将軍と多数の兵を失い、呼沱攻めの序盤戦は楽毅の勝ち、です。

しかし、敵将楽毅を高く評価する趙の将軍趙与の手堅く愚直な攻めは、大きな犠牲を払いながらも確実に地歩を進めていきます。激戦に次ぐ激戦で、中山兵の損失も大きく、遂に塞に籠もる中山兵の数は六百にまで縮小してしまいます。このあたり、途中で復命した趙紹の報告を聞き、主父が落涙するところが名場面でしょう。

 主父はかたわらの恵文王に涙の目をみせ、
「王よ、よくごらんなされよ。一刻の王朝が倒壊し、つぎつぎに王が斃れ、懿徳のさだかでない若い王に殉じて死んでいった中山兵が数多くいた。しかも、来春、全員が戦死すると知りながら、砦をはなれず、王を守ろうとする者が六百人もいる。わしも王も、ある日滅亡を迎えるとき、はたして六百人も殉じてくれるであろうか。はなはだ心もとない。王は、こころしてこの六百人を視ておくことだ」
と懇切にいった。

これは、主父(武霊王)の最後を知れば、まことに哀しい認識でありましょう。

そして、自らに殉じる覚悟を持つ六百人の命を預かる中山王尚は、主父の勧告を受け入れることを決断します。それは、中山の完全な抹殺ではなく、辺境の一城に引退する、という条件でした。中山王尚は山を降り、兵はそれぞれの道に分かれていきます。楽毅と少数の従者は、趙国内の妻孤祥の実家に身を寄せます。

ひそかに好敵手であった楽毅将軍の動静を調べさせていた趙与がこれを察知し、主父に推挙しようとしますが、敵将の推挙に難を示す上司の壁は厚く、楽毅もまた趙に仕えることを潔しとせず迷っているうちに、沙丘の乱により主父と平陽君は横死してしまいます。



なんといっても呼沱における山岳ゲリラ戦の描写が圧巻です。また、沙丘の乱における主父の悲惨な結末も、シェークスピアの悲劇を観るようです。そして、失意の楽毅がどのように再起するのか、初読時には実に興味深く、再読時にも次の大きな活躍が楽しみになります。

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備忘録ノートは五冊目に

2013年10月18日 06時01分36秒 | 手帳文具書斎
近頃はほとんどブログのネタ帳と化している備忘録ノートですが、四冊目がほぼ終わりに近づき、五冊目のツバメノートを準備しました。当初の予想どおり、このまま行けば六冊までは到達しないで終わりそうです。

ブログのネタにはなりにくい記載としては、最近のものではγアミノ酪酸とか Windows Power Shellとか、あるいはまた次年度の年間予定の概要などです。室内楽とGABAとが混在するノートというのは、他の人の目から見れば「はて?」と首を傾げる関連の無さですが、当人は興味関心のおもむくままに。それもまた、楽しみではあります。



もう一つの写真は、今シーズンの山形弦楽四重奏団定期演奏会のチラシです。明日の土曜日は、山形市の文翔館にて、第49回定期演奏会の予定。ごく近くに、食事のできるお店も見つけました(^o^)/

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宮城谷昌光『楽毅(二)』を読む

2013年10月17日 06時04分37秒 | -宮城谷昌光
新潮文庫で、宮城谷昌光著『楽毅(二)』を読みました。物語は、趙の武霊王によって三方から攻められた中山王が、四邑を献じて趙と講和を結ぼうとします。楽毅は、父の喪中であるにもかかわらず使者として趙に向かうように命じられます。中山王は太子の死を画策していますが、一方で趙の武霊王もまた、太子の廃替に迷いを見せています。ところが武霊王は、外に対しては果断を見せる。四邑を献ずるという中山の意向を示す楽毅に対して、約束は十四邑だとゴネます。これは、使者を怒らせて無礼を咎め、斬ろうとするものでした。楽毅は、武霊王の底意を見抜き、残りの十邑を献じる連絡を取るとして時間を稼ぎます。実はそこからがさすがの対応で、好敵手の趙与を人質に取り、郊昔の胆知もあって国境を突破し、帰国を果たします。この点を見れば楽毅の勝ちですが、愚かな中山王が講和決裂で帰国した楽毅を怒り、王と楽毅との間の溝が深まる結果となり、楽毅を信頼する太子は中山国のために王と楽毅の対立を悲しみます。

この対立を緩和し、服喪に戻った楽毅を守ったのは、楽氏に代わり新たに宰相となった司馬熹でした。中山国の危機に、これまで対立することが多かった楽氏と司馬氏とが手を結んだ形となったために、王の暴威も頓挫しますが、服喪を終えて参内した楽毅に、王は昔陽攻めを命じます。これを献言したのは宰相の司馬熹であり、その狙いは、堅城に楽毅を置くことで中山の延命を図ること、でしょうか。

楽毅は昔陽の城を陥し、趙軍の攻撃を防ぐことができるように守りを固めます。しかし、情勢は違った方向に進み、司馬熹と中山王は没し、太子が新たに中山王となります。楽毅は、新王を救うべく、包囲された首都の霊寿へ急ぎ、趙の牛翦将軍を倒します。このとき、王はすでに霊寿を脱出して斉に向かう途中で、負傷していたのでした。楽毅は太子となった尚を斉に亡命させ、斉軍は昔陽の城に入り、楽毅自身は三千メートル級の山岳地帯である呼沱の山野に塞を築き、敗兵を集めながらこれに籠もります。そして、燕に中山の窮状を訴え、燕の利を説くため、敵国・趙を経由して燕への潜入を試みます。その際、楽毅に嫁した妻の孤祥の実家である孤氏の助けが必要でした。

宮城谷作品には、主人公を多くの女性が取り巻く例が多いのですが、『楽毅』の場合は夫人の孤祥との場面が少しずつ描かれるくらいで、彩やかな恋愛模様などは描かれません。このあたりも、「軍事の物語」という印象を強く受ける理由になっているのかもしれません。

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