電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

昔の文具本と今の文具本

2014年08月31日 06時01分43秒 | 手帳文具書斎
先に1986年から1996年頃に刊行された文具系の文庫本を記事に取り上げました(*1~*3)が、これらが昔の文具本の傾向を代表するものとすれば、その特徴は、一言でいえば「舶来文具への憧れ」ではないかと思います。それは、たとえばスマイソンの手帳にモンブランのマイスターシュトゥックで記録をしたり、ミードの黄色いリーガルパッドにビックの太字のボールペンで書いて破り取ったりするようなライフスタイルへの憧れを醸し出すように作られていると言ってもよいかもしれません。

ところが、先日、某図書館の日本十進分類「生活」の棚に「文具」という区分が作られており、文具に関する書籍やムックが並んでいるのを発見。その中から、比較的新しめの文具系ムックとして、2011年8月に刊行された『別冊宝島・最強の文房具394』を借りてきました。他にも類似のものが並んでいましたが、傾向は似たり寄ったりで、時代の空気の共通性を感じます。その特徴を一言でいえば、「国産文具はかなりスゴイぞ」となります。『別冊宝島』という母体の傾向もありますが、「仕事が快適になる超組み合わせ術」というテーマのもとに、「達人たちがイチオシする」文房具を紹介する、というスタンスです。

この20年間に起こった、「舶来文具への憧れ」から「国産文具はかなりスゴイぞ」への転換のきっかけは何だったのだろう? それは、もしかしたらジェットストリームやフリクションボールといった、定番ボールペンの大変革にあったのではないか? 年代的にはおそらく2006年前後で、この時期に、大げさに言えば「ジェットストリーム・フリクションボール革命」が起こったと考えると、つじつまが合います。昔の文具本と今の文具本の違い。それは多分、「ジェットストリーム・フリクションボール革命」を経験したかどうかの違いのように思います。

(*1):市浦潤『文房具~知識と使いこなし』を読む~「電網郊外散歩道」2014年8月
(*2):中公文庫編集部編『文房具の研究~万年筆と鉛筆』を読む~「電網郊外散歩道」2014年8月
(*3):中公文庫編集部編『文房具の研究(2)』を読む~「電網郊外散歩道」2014年8月

さて、今日は午後からマチネで山響定期。鈴木秀美さんの指揮で、ハイドンの「太鼓連打」とシューベルトの「ザ・グレート」です。楽しみです。

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桃の皮のむき方

2014年08月30日 06時06分23秒 | 料理・住まい
桃の美味しい季節です。できればあまり手間をかけずに、美しく皮をむきたいものです。そこで、某さんに教えてもらった桃の皮の上手なむき方をご紹介。そんなこと、とっくに承知! という方は、お許しあれ(^o^)/

(1) 桃は、柔らかすぎず、できれば固めのものを選び、水洗いします。
(2) 桃の割れ目にそって、ぐるりと一周するように、種まで包丁を入れます。
(3) 皮付きのまま手のひらで左右に包み込むように持ち、包丁の切れ目にそって、左半分と右半分を逆方向にねじり回します。
(4) 種付きのものと種が取れたものと、左右に二つに割れますので、種の周囲にナイフを入れ、種だけをほじくり出します。
(5) 種が取れた左右半分ずつの実を、皮を向き、左半分と右半分をそれぞれを四等分にして塩水に浸します。全部で桃が八等分されます。
(6) お皿に、種がついていた色付きのほうを上にして、きれいに並べます。こんなふうです。



さらにクローズアップ。蛍光灯の光の加減で、こちらの色が実際に近いです。



ちなみに、これらの写真はぜんぶワタクシがむいたものです。エッヘン(^o^)/
でも、あっという間に食べられてしまいました(^o^)/
今の季節、桃はほんとに美味しいですね。

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プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」を観る~キーロフ・バレエ

2014年08月29日 06時02分50秒 | -オーケストラ
プロコフィエフの音楽は、どうやら好みに合うらしく、わりに熱心に聴いております。当地で開催される室内楽の演奏会なども、できるだけ逃さないように心がけておりますが、さすがにバレエとなると、馴染みがないこともあり、めったに親しむ機会を得ません。

そんなとき、たまたま某図書館で、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」のDVD を見つけて借りてきました。1枚のDVDに、キーロフ・バレエの公演が収録されたもので、カメラの特殊効果を用いて場面転換を図っていますし、映画のような横長の画面ではなくて、ほぼ4対3の四角い画面ですので、テレビ放送をもとに作られたのかもしれません。



原作は有名な童話ですので、あらすじは台詞や字幕がなくてもよくわかります。優雅に跳んだり跳ねたりするけれど、要するにパントマイム(^o^;)>poripori
悪役にあたる二人の意地悪なお姉さんたちのコミカルさには、大ウケです(^o^)/
踊りで性格を表すというのは、可能なのですね!

ただし、音楽はすこぶる充実したものです。これまでCDで聴いてきた「シンデレラ」組曲の音楽が、なるほどこういう場面で使われていたのか!とビックリします。同時に、なんてうまく場面を表した音楽なのだろうかと感心してしまいます。



「白鳥の湖」などにおける男性のバレエ・タイツ姿は、少々違和感ありなのですが、この作品では、童話らしい衣装がありますので、あまりモッコリ感はありません(^o^)/
それにしても、時計が12時を打つ有名な場面における、あの音楽のすごさ!
バレエは、踊りの見事さとともに、音楽で楽しむものなのだなと納得いたしました。

私の場合、オペラへの開眼はヴェルディの「ドン・カルロ」でしたが、バレエはプロコフィエフの「シンデレラ」と言ってもよいかもしれません。このキーロフ・バレエのものは、音声というか録音には少々不満がありますので、できれば別の演出で、自分でもDVDを1枚ほしいぞ、と思ってしまいました。

ところで、手許にあるプロコフィエフの「シンデレラ」組曲第1番のCDは、NAXOSのテオドル・クチャル指揮ウクライナ国立交響楽団による演奏です。前半は「ロメオとジュリエット」のハイライトで、後半が「シンデレラ」の音楽になっており、組曲第1番の7曲が収録されています。これがなかなか良い演奏で、プロコフィエフのモダンな響きを生かしながら、神秘性や童話的な夢幻性をよく表現していると感じます。「ロメ・ジュリ」のほうは、スクロヴァチェフスキの素晴らしい演奏・録音もありますので、そちらを手にすることが多いのですが、「シンデレラ」のほうは、今もクチャル盤(8.553273)で聴いて楽しんでおります(*)。

(*):プロコフィエフ「シンデレラ」組曲第1番を聴く~「電網郊外散歩道」2006年8月

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2006年と2007年のダブルリングノート備忘録を解体して簡易製本する

2014年08月28日 06時03分44秒 | 手帳文具書斎
リングノートは、記入時には便利なのですが、何冊もたまってくると、本棚に立てて保管するには不便があります。それは、背表紙に年度を記入するのが難しいためです。そのため、複数のリングノートを解体して一冊にまとめることができないかを課題としていました(*1)が、先日購入したリングノート用バインダーには、ダブルリングノートを解体するための道具が付録(*2)についてきておりました。これを用いて、2006年と2007年の備忘録ノート(*3)を解体し、簡易製本することを試みました。

まずは、写真のようにノートを解体します。ダブルリングノートは、付属のオープナーで簡単に解体することができました。あっけないほどです。



どうも、左側のカラー写真を表紙にしたノートとコクヨのB6判ダブルリング・キャンパスノートとは、穴の数が違うなど、規格が違っているようです。でも、ダブルリングの解体の方法は全く同じ。まずは針に糸を通し、糸で穴をらせんに固定していきました。そして手許にあった赤い製本テープで固定します。



これで、二冊とも簡易製本が完了。





背表紙に西暦年と巻数を書き入れ、これで本棚に入れてすぐに該当の年のノートが取り出せるようになりました。

(*1):複数のダブルリング・ノートを一冊にまとめるには~「電網郊外散歩道」2014年8月
(*2):文具店に行き、リングノート用リムーバー付きファイル等を購入する~「電網郊外散歩道」2014年8月
(*3):紙が先か筆記具が先か~「電網郊外散歩道」2008年8月

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井上さつき『日本のヴァイオリン王~鈴木政吉の生涯と幻の名器』を読む

2014年08月27日 06時04分44秒 | -ノンフィクション
中央公論新社の今年(平成26年)の新刊で、井上さつき著『日本のヴァイオリン王~鈴木政吉の生涯と幻の名器』を読みました。巻末の「おわりに」によれば、本書は平成25~27年度日本学術振興科学研究費採択課題「近代日本における楽器産業の発展メカニズムと音楽文化~鈴木ヴァイオリンを中心に」の研究成果の一部とのことです。研究の性格からもうかがえるように、しっかりとした調査に基づく記述の背後に、著者の先人に対する尊敬と感動が読み取れ、読後感は充実したものとなりました。

本書の構成は、次のとおりです。

第1部 明治編
 第1章 生い立ち
 第2章 ヴァイオリン第一号製作まで
 第3章 ヴァイオリン作りを本業に
 第4章 本格生産開始
 第5章 明治期のヴァイオリン
 第6章 日清・日露戦争期
 第7章 1910年の二大博覧会と政吉の外遊
 第8章 大量生産への道
第2部 大正編
 第1章 大正初期
 第2章 ヴァイオリンの普及
 第3章 第一次世界大戦時の輸出ブーム
 第4章 ライバル参入の動き
 第5章 三男、鈴木鎮一
 第6章 アインシュタインとミハエリス
 第7章 名演奏家の来日と蓄音器の普及
 第8章 クレモナの古銘器をめざして
 第9章 ヨーロッパへの「宣伝行脚」
第3部 昭和編
 第1章 昭和初年の栄誉
 第2章 懸命の努力
 第3章 子どものためのヴァイオリン
 第4章 経営悪化
 第5章 会社の破産と再建
 第6章 晩年

第1部では、和楽器、とくに三味線作りの職人としてスタートした鈴木政吉が、明治の文明開花の時代背景のもとに、洋楽器、とくにヴァイオリンの製作に転換し、すぐれた資質と技術をもとに、ヴァイオリンの量産と販路拡大に成功する過程を描きます。

第2部では、ヴァイオリンの工業的生産を背景に、各種博覧会での受賞も後押しして、海外輸出が本格化します。第一次世界大戦でドイツが敗れたこともあり、鈴木ヴァイオリンは順調に輸出を増やしますが、国内では初学者の学習のハードルの高さから、しだいにピアノにその座をゆずるようになる様子が描かれます。

第3部では、三男の鎮一が演奏家として成長する中で、ヨーロッパの銘器を入手し、工業的量産品だけではなく、芸術的楽器の製作に転じるようになりますが、日中戦争の泥沼化とアメリカの輸入禁止政策により、しだいに企業経営が悪化していく様子が描かれます。



いや~、おもしろい。
いくつか個人的に興味深い印象的エピソードを書き留めておきましょう。
(1) ピアノと比較した初学者の学習のハードルの高さについて
 大学を卒業し、関東某県に就職したとき、職場にはヴァイオリンを習っている先輩が二人もいました。一人は家族でお子さんも一緒に習っているとのことで、田舎ではレッスンしてくれる指導者が少ないことと、自分で楽しめる音が出るようになるまでに要する期間が長いことを語っておりました。一般論ですが、このあたりが、ピアノや吹奏楽にくらべて弦楽の底辺がうすい原因なのかもしれないと感じました。その点から言っても、例えば親が子に、あるいはおじさん・おばさんが甥や姪に、楽器とともに弦楽器の楽しさと魅力を伝える伝統が地域社会に根付いていくことが大切なのだろう、と感じます。
(2) ミハエリスについて
 大学で生化学を習ったとき、酵素反応のところで必ず出てきたミハエリス定数Km(基質濃度を大きくしていったとき、酵素反応の速度は一定となりますが、これを最大速度Vといい、その1/2に達する濃度Kmをミハエリス定数といいます)。あるいはミハエリス(ミカエリス)-メンテンの式のミハエリスだったのですね! そのミハエリスが来日し名古屋大学で生化学の教鞭をとっていたこと、またピアノをよくし、来日したアインシュタインと二重奏を楽しんだことなど、恥ずかしながら、知らずにおりました。まことに思いがけないエピソードでした(^o^;)>poripori




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娘が愛用する手帳と筆記具

2014年08月26日 06時01分15秒 | 手帳文具書斎
先日、東根の『清居』で麩懐石料理を食べた際に、娘がお品書きを手帳だかノートだかに挟み込んでおりました。B6判横開きサイズでゴムバンドで留めるタイプのもので、何やらペンを二本差しています。これでも手帳なのだそうで、写真を撮らせてもらいました。金属製の筆記具のほうは、ステンレスのようなずっしりした重さがあり、ずいぶんと高級感があります。製品名を聞くと「アレッシィ」というのだそうで、学生時代に購入したものだとか。ゲルインク・タイプのボールペンはジェットストリーム芯を使える(*1)とのことで、驚きました。

調べて見たら、どうやら2006年頃に、三菱鉛筆とコラボしたこともある製品らしい。ふーむ、ジェットストリームも、発売当初にすでに高級路線を試していたのですね。知らぬは当方ばかりなり、だったのか! しかし、娘もジェットストリーム愛用者だったとは、意外でした。しかも、替え芯をあげようかと言ったら、「箱で買っている」とのこと(^o^)/oyaji,kamauna

(*1):JETSTREAM×ALESSI ~ b's mono-log

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アフィニス音楽祭2014合同オーケストラ演奏会でヘンデル、ストラヴィンスキー、シューベルトを聴く

2014年08月25日 06時02分42秒 | -オーケストラ
早朝から午前中いっぱい熱心に働いて、白菜を育てる予定の老母の畑を耕運機で耕し、朝食後は妻と二人で北限の桃「川中島」の収穫に従事しました。桃は、摘果が充分なところは立派な大玉の桃が収穫できましたが、サクランボの時期になり時間切れとなったところでは、小さな実が鈴なり状態になってしまいました。まずは大玉のところからせっせと収穫。

昼食後に一休みして、午後からは山形テルサホールに出かけました。本日は、アフィニス夏の音楽祭2014の最終日、合同オーケストラ演奏会です。今回のプログラムは次のとおり。

(1) ヘンデル 「王宮の花火の音楽」(金管アンサンブル版)
(2) ストラヴィンスキー 組曲「プルチネルラ」
(3) シューベルト 交響曲第5番 変ロ長調 D.485

さて、ヘンデルの「王宮の花火の音楽」は立奏で。ステージ左から、ソプラノ・トランペット(元ロイヤル・コンセルトヘボウ管の首席で現在はチューリヒ音楽大学教授であるフリッツ・ダムロウさん)、トランペットが三人(宮本弦さん、山響の井上直樹さんと松岡恒介さん:フリューゲルホーン持ち替え)、バロック・ティンパニ(山響の平下和生さん)、チューバ(宮田保良さん)、ユーフォニウム(牛渡克之さん)、ステージ右側にはトロンボーンが三人(太田涼平さん、五十嵐達也さん、高橋智広さんの山響勢)、正面ティンパニの奥に、ホルンが三人(元フィンランド放送響首席で現在はフランクフルト音楽大学教授のエサ・タバニさん、倉持幸朋さん、山響の関谷智洋さん)、という楽器配置です。
演奏が始まると、金管合奏の響きがとにかく華やかです。いかにも夏向きで、ヘンデルらしい豪華さがあります。なんだか、王侯貴族の一人としてロンドンの川遊びに興じているような気分がいたします(^o^)/

続いてストラヴィンスキーの「プルチネルラ」。新古典主義時代の作品だそうですが、当方はあまり聴き馴染みのある曲ではありません。楽器配置も、興味津々です。
ステージ左から第1ヴァイオリン(8)、チェロ(6)、ヴィオラ(6)、右端が第2ヴァイオリン(8)で、チェロの左奥にコントラバス(5)、正面奥に木管セクションとしてフルート(2)、オーボエ(2)、ファゴット(2)、さらにその奥に金管セクションとしてトランペットとトロンボーン(各1)、ホルン(2)と見ましたが、正確な人数はよくわかりませんでした。それよりも、川崎洋介さん(オタワ・ナショナルアーツセンター管弦楽団コンサートマスター)がコンサートマスター席に座ります。指揮者なしの演奏なのです!演奏が始まると、川崎さんのヴァイオリンは、やわらかで澄んだ音で全体をリードします。弦楽アンサンブルは繊細で管楽器の音も軽やか、楽しい音楽になっています。Obのアビュールさん、Fgのデネヴェークさんが加わる木管アンサンブルは期待通り素晴らしい。そうそう、トロンボーンは山響の新星・太田涼平さん、お見事でした。



休憩の後は、シューベルトの交響曲第5番。
同様に、1st-Vn(10)、Vc(6)、Vla(8)、2nd-Vn(10)、Cb(4)、Fl(1)、Ob(2)、Hrn(2)、Fg(2)という編成。コンサートマスターは、ヘンリック・ホッホシルトさんで、川崎洋介さんはセカンドのトップに座ります。いつも見慣れたテルサホールに、指揮者なしで流れる若いシューベルトの音楽を、快く聴きました。ホッホシルトさんは、一つのフレーズの中でも豊かな表情がありますし、コントラバスのイェルク・リノヴィツキさん(元北ドイツ放送響)の動きを見ていると、弓を弦から離して音を響かせるタイミングがすごくうまいことにあらためて感心します。
弦楽アンサンブルの見事さ、管の感度のよさ、全体のまとまり、第3楽章の推進力も第4楽章のシューベルトの激しさもきっちりと表現して、その上でシューベルトのふわりとした柔らかさ、ロマン性を感じさせてくれました。

ホッホシルトさんの合図で、それぞれに聴衆の拍手を受けていましたが、山響の団員の皆さんもだいぶ応援に加わっているようでした。それぞれお名前をあげることはしませんが、お疲れさまでした。ほんとに良かったです。
答礼も終わり、鳴り止まない聴衆の拍手の中で、若い演奏者たちがみんなで握手しあって名残惜しそうにステージから去っていく様子を見ていると、音楽祭というのはいいものだなあと感じます。前向きな刺激を受けます。協力した山形大学の学生さんたちやスタッフの皆さんにも、きっとそれぞれに思い出に残る夏になったことでしょう。アフィニス音楽祭が、来年は広島で、再来年にはまた山形で開催されますように、祈りたいと思います。

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今日の予定~北限の桃「川中島」の収穫とアフィニス夏の音楽祭2014

2014年08月24日 06時03分07秒 | 週末農業
この夏は、異常な気象現象が続き、各地で豪雨による土砂被害が報じられています。亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げますとともに、避難されている方々にお見舞いを申し上げます。

当地でも、一昨日は突然の激しい雨に見舞われ、天童市では落雷で停電したほか、降雹により収穫中の「つがる」リンゴにかなりの被害が出たそうです。素人判断ながら、こうした豪雨災害などは、温暖化による「極端現象」の現れ(*1)であって、今後はしだいに増えてくるのではないかと恐れていますが、はたして各地の対応はどうなっているのでしょうか。



さて、当方の今日の予定は次のとおり。なんとか消化して、アフィニス音楽祭の合同オーケストラ演奏会を聴きたいものです。

(1) 老母の依頼で、涼しい早朝の仕事で畑の耕耘を二ヶ所。
(2) 午前中は、引き続き北限の桃「川中島」の収穫。野鳥が梨を集中的に襲っていますので、今のうちに早めに桃を収穫しておきたい(^o^)/
(3) 昼食後、休憩してからアフィニス夏の音楽祭2014・合同オーケストラ演奏会に出かけます。





(*1):豪雨・豪雪になる理由は~「電網郊外散歩道」2014年3月
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中公文庫編集部編『文房具の研究(2)』を読む

2014年08月23日 06時02分51秒 | 手帳文具書斎
本棚の整理をしていて見つけた文具系文庫本の第三弾、中公文庫編集部編『文房具の研究(2)』、1996年11月に発行された中公文庫ビジュアル版シリーズ中の1冊です。「夢を創る小道具たち」というようなこちょびたい(*1)副題がついており、先の「万年筆と鉛筆」編(*2)に続き、それ以外の文房具を扱っています。
構成は次のとおり。目次はページの順序ではなく、どういう意図なのかよくわかりません。たぶん、こういう柱だてなのだろうと推測して;

1 小さな脇役が夢を支える
■作家の机上風景~坂口安吾、林芙美子、宇野千代、串田孫一、太田治子
■すぐれものの構造を探る~机上空間を工房に変える道具~ハサミ、ハサミの魔術師によって紙は鼓動をし始める~ペーパーアーティスト
■W3のケシゴムとユニホルダー
■アメリカ文具で育った僕にとって、三穴バインダーは分類の王様だ~東理夫さん
■光を抱いて輝くガラスペン~人の手で作られた道具には人の手の温もりがある~佐瀬勇さん
■すぐれものの構造を探る2~ペンケースの中の偉大なる凡庸~ボールペン
■銀座の一角で文化の一端を担いつづけた伊東屋の92年
■ちょっとペンケースを拝見
2 選りすぐりカタログ
 切る・削る、束ねる、貼る、アイデア満載おもしろグッズ
■付帯コラム
 オルファ・カッター物語、マックス・ホッチキス物語、3M・ポストイット物語 

編集された時代が1996年ということで、パソコン関係ではすでに Windows95 が爆発的に普及していた頃です。前著『文房具の研究~万年筆と鉛筆』ではほとんど登場しなかったパソコン等の機器が、本書では東理夫さんの書斎に PC9821 とキャノンのインクジェット・プリンター、イメージスキャナなどが写真になっています。でも、本文中には全く言及なし。このあたりが、つまりパソコンが文房具の範疇に入ってきていないあたりが、時代の制約なのでしょう。

いや、違うな。いろいろな雑誌等に掲載されていた文章を集めて編集・発行されたのが1996年というだけで、ほとんどの文章は1995年以前なのでしょう。実際、初出・発表が1980年代というものが多いようです。

今ならば、パソコンを中核として、それを助ける様々な文房具の世界をどのように展開するかが眼目のような気がしますが、相変わらず「手書きか印刷か」みたいな視点が主流だったのでしょうか。



(*1):訳注「こそばゆい」の山形弁(^o^)/
(*2):中公文庫編集部編『文房具の研究~万年筆と鉛筆』を読む~「電網郊外散歩道」2014年8月

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アフィニス夏の音楽祭2014室内楽演奏会(1)を聴く

2014年08月22日 19時28分52秒 | -室内楽
残暑厳しい夏の宵、山形市の文翔館議場ホールにて、ただいま開催中のアフィニス夏の音楽祭2014から、室内楽演奏会の第1日を聴きました。たぶん、冷房がキンキンにきいているだろうという予想は的中し、上着を持参したのが大正解(^o^)/



横に7脚×2列×14、約200席の椅子を並べる会場設営はたいへんだったろうと思います。早めに会場に到着し、録音マイクやテレビカメラの死角に入る席に陣取り(^o^)、いつ演奏が始まってもOKです。本日のプログラムおよび出演者は、

(1) モーツァルト:ピアノ五重奏曲 変ホ長調 K.452
 Ob E.アビュール、Cl 玉井真紀子、Hr E.タパニ
 Fg 廣幡敦子、Pf 斎藤 龍
(2) プログ:4つのスケッチ
 Tr1 F.ダムロウ、Tr2 宮本 弦、Hr 安土真弓
 Tb 太田涼平、Tub 宮田保良
(3) R.シュトラウス(R.レオポルト編曲):メタモルフォーゼン(弦楽七重奏版)
 Vn1 H.ホッホシルト、Vn2 猶井悠樹、Va1 村田恵子
 Va2 福田幸子、Vc1 海老澤洋三、Vc2 西村絵里子
 Cb 上岡 翔

というものです。

第1曲め、モーツァルトのピアノ五重奏曲では、元ロンドン交響楽団の首席で、現在マンハイム音楽大学とバーゼル音楽院の教授であるエマニュエル・アビュールさんのオーボエがステージ左側に、ファゴット、ホルン、クラリネットが、対面するピアノを囲むように配置しています。ホルンは元フィンランド放送交響楽団首席で現在はフランクフルト音楽大学教授のエサ・タパニさん。演奏が始まると同時に、いかにもモーツァルト的な開始である「ポワーン」という音を、アビュールさんはオーボエを吹きながら開口部を円弧を描くように客席に向けます。なるほど、こんなふうにすると、音が単調になるのを防ぐことができるのですね。ちょうど、吹奏楽で一斉にベルアップするのに似た、面白い効果でした。若い参加者の皆さんも、一生懸命に演奏しているのがわかります。音楽とともに楽器も体も一緒に動いているようですが、アビュールさんほど大胆ではないようです(^o^)/
でも、いかにもモーツァルトらしい音楽を楽しみました。

第2曲目、プログの「4つのスケッチ」ですが、第1トランペットのフリッツ・ダムロウさんは、元ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席奏者で、現在はチューリッヒ芸術大学の教授という肩書です。楽毅の配置は、ステージ左から Tp1,Hrn,Tub,Tb,Tp2 と並びます。吹奏楽にあまり縁のない当方は、プログという名前は初めて聞きました。思わず「ブログ」と間違えそうになりますが、演奏が始まったら唖然茫然、おもしろい! とりわけ、II.アレグロ・ヴィヴァーチェ では、テレビ時代劇「秘太刀馬の骨」の音楽で多用したような、ミュートした金管のアンサンブルの音がおもしろく、快速で細やか、すごい! の一言です。若い参加者の皆さんも、生きのいいリズムに乗ってそれぞれ技巧を展開、大いに楽しみました。



15分の休憩の後、最後は、R.シュトラウスの「メタモルフォーゼン」。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の現役コンサートマスターである、ヘンリック・ホッホシルトさんが第1ヴァイオリンをつとめ、これに若い参加者の皆さんが加わる形での弦楽七重奏です。楽器配置は、ステージ左から、第1と第2のヴァイオリン、続いて第1と第2ヴィオラ、やや右後ろにコントラバス、第2と第1チェロが右端、というものです。
曲の開始で、ヴィオラとチェロとコントラバスにヴァイオリンが加わるところの音色が、いいなあ。オリジナルを七重奏に減じて編曲したとはいえ、なお濃密な弦楽アンサンブルの音は、弦楽好きにはたいそう魅力的です。柔らかい音を奏でるホッホシルトさんの体の動きは、旋律にぴたりと合っており、音楽を自分のものとして、内側から出てくるものを演奏・表現しているようです。R.シュトラウスの音楽は、若い頃の「ティル」や「ドン・キホーテ」などを好んで聴いているものの、「メタモルフォーゼン」のような地味目のものはあまり聴く頻度は多くありません。CDで良いので、ぜひオリジナルの編成で聴いてみたいものだと思いました。

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本日は、アフィニス夏の音楽祭2014の室内楽演奏会

2014年08月21日 06時03分05秒 | クラシック音楽
広島市と山形市で隔年で開催されている「アフィニス夏の音楽祭」、2014年は山形市で開催(*1)されています。2010年には室内楽演奏会(*2)と合同オーケストラ演奏会(*3)を聴くことができましたが、2012年は定年退職前の現役最後の年、都合で聴くことができませんでした。今年こそ、全部の演奏会を聴きたいと願っていましたが、残念ながら野暮用でかなわず、なんとか都合をつけて、本日の室内楽演奏会と24日(日)のオーケストラ演奏会を聴くことができそうです。チケットはなんとか確保してあり、まずは今日を乗りきること(^o^)/

音楽祭の日程の中では本日が室内楽の第1日にあたり、プログラムは、

■公演日時 2014年8月21日(木)19:00開演
■会場   文翔館 議場ホール
(1) モーツァルト:ピアノ五重奏曲 変ホ長調 K.452
 Ob E.アビュール、Cl 玉井真紀子、Hr E.タパニ
 Fg 廣幡敦子、Pf 斎藤 龍
(2) プログ:4つのスケッチ
 Tr1 F.ダムロウ、Tr2 宮本 弦、Hr 安土真弓
 Tb 太田涼平、Tub 宮田保良
(3) R.シュトラウス(R.レオポルト編曲):メタモルフォーゼン(弦楽七重奏版)
 Vn1 H.ホッホシルト、Vn2 猶井悠樹、Va1 村田恵子
 Va2 福田幸子、Vc1 海老澤洋三、Vc2 西村絵里子
 Cb 上岡 翔

となっています。



いっぽう、合同オーケストラ演奏会のほうは、

■公演日時 2014年8月24日(日)16:00開演
■会場   山形テルサ テルサホール
出演:山形交響楽団&アフィニス祝祭管弦楽団
(1) ヘンデル :王宮の花火の音楽(金管アンサンブル版)
 Tp1 フリッツ・ダムロウ、Tp2 宮本 弦
 Tp3 井上直樹、Tp4/Fgl 松岡恒介
 Hr1 エサ・タパニ、Hr2 倉持幸朋、Hr3 関谷智洋
 Tb1 太田涼平、Tb2 五十嵐達也、Tb3 橋智広
 Euph 牛渡克之、Tub 宮田保良
 Timp 平下和生
(2) シューベルト:交響曲 第5番 変ロ長調 D.485
 コンサートマスター:ヘンリック・ホッホシルト
(3) ストラヴィンスキー:組曲「プルチネルラ」
 コンサートマスター:川崎洋介

というものです。夏らしい、金管アンサンブルによる「王宮の花火の音楽」に、大好きなシューベルトの交響曲第5番です。これが聴かずにいられようか、いや、いられない(反語)。
そして、ストラヴィンスキーの「プルチネルラ」をどんなふうに演奏するのか、これも楽しみ(^o^)/

残念ながら、室内楽の2日目は都合で涙を飲んで諦めましたが、このプログラムが実はかなり魅力的で、シュポアの「複弦楽四重奏曲 第1番 ニ短調 Op.65」、マルティヌーの「九重奏曲 第2番」、そしてブラームスの「弦楽六重奏曲 第2番 ト長調 Op.36」というものです。釣りの世界では「逃した魚は大きい」と言われますが、当方のような素人音楽愛好家にとっては、「聞き逃した演奏会ほど魅力的なプログラムになっている」というのが通例なんですね~(^o^;)>poripori

まあ、ぼやいてもしかたがありません。元気で聴くことができる演奏会に向けて、体調を整え、畑仕事と本業の仕事を消化して、万全の準備をしておきましょう!

(*1):アフィニス夏の音楽祭 2014 山形~公式ウェブサイト
(*2):アフィニス音楽祭の室内楽演奏会でシューマン、プロコフィエフ等を聴く~「電網郊外散歩道」2010年8月
(*3):アフィニス音楽祭でモーツァルトとR.シュトラウス「英雄の生涯」等を聴く~「電網郊外散歩道」2010年8月

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孫と観た「アナ雪」ついでにチェロとピアノの「Let It Go」~ごく夏向きな演出

2014年08月20日 06時01分08秒 | 映画TVドラマ
帰省した娘夫婦と孫たちと一緒にテレビで観た「アナと雪の女王」略して「穴雪」じゃなかった「アナ雪」から、某ブログ(*1)で紹介されていたカッコイイ「Let It Go」の動画を観ました。

なんと、真っ白な雪の中で、白いチェロと白いピアノによる演奏です。Vivaldiの「四季」から「冬」を織り交ぜて、いかにも夏向きな演出(^o^)/

演奏者や撮影するスタッフの人たちの苦労がしのばれるものの、思わず「楽器がカワイソウ…」と思ってしまいました。動画の終わりの方に、「Behind The Scenes」というメイキングビデオへのリンクが出てきますが、これも楽しいものです。でもなあ、こういうのって、実際の制作スタッフだけでなく、最初に企画したプロデューサーも同じ苦労を味わっているのだろうか(^o^)/
ならいいのですが(^o^)/

Let It Go (Disney's "Frozen") Vivaldi's Winter - ThePianoGuys


それにしても、普段はテレビも見ず、アフィニス音楽祭(*2)を聴きに行く予定の他は畑仕事か本を読んでいるという、ほとんど仙人暮らしの中高年にこんな動画を見せてしまうのですから、おそるべし!「アナ雪」(^o^)/

(*1):Let It go ~「ちぇろじぇに」2014年4月
(*2):アフィニス夏の音楽祭2014山形~公式サイト
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吉村昭『闇を裂く道』を読む

2014年08月19日 06時04分15秒 | -吉村昭
文春文庫で、吉村昭著『闇を裂く道』を読みました。この作品は、それまで御殿場ルートを通って急勾配の山越えに苦労していた東海道線のために、丹那盆地の下を通り、三島と熱海をつなぐ丹那トンネルを建設した記録に基づく物語です。

大正7年3月上旬、一人の新聞記者が、新たに建設される鉄道の取材のために、熱海に向かおうとする場面から、本書は始まります。後藤新平鉄道院総裁は、東海道線の輸送力を増強する新しいトンネルの建設が可能かどうかを、鉄道管理局に調査させます。現地を調査した担当技師は、トンネルの必要性と、技術的に可能であることを復命報告します。これに基づいて予算が見積もられ、具体的に工事が始まります。三島口の工事を請け負ったのは、鹿島組でした。

工事は様々な障害を乗り越え、あるいは回避しながら進められます。現代であれば事前のボーリング調査で周辺の地質状況を確かめながら進むところを、露頭をもとに推定した地質図で判断するわけですから、思いがけない困難が起こってきます。最大の困難は地下水でした。

もともと、丹那盆地の地底には、大きな地下水の層があり、周囲の湖沼や河川等の水環境も、これを前提に成り立っていました。ところが、トンネル工事はこの地下水の層を貫通する形で進んだものですから、トンネル内に河川が流れ込むようなもので、地下水の奔流の中での難工事となります。さらに、効率的に排水できる工事を行い、効果をあげた反面、地下水の水位が下がり、河川の水が切れ、湖沼の水位が激減するなどによって、農業と住民の生活の根幹が破壊されてしまいます。

トンネル内の排水や落盤事故の防止などは、なんとか技術的に対策が可能ですが、丹那盆地の水環境の根底が変化したことによる村落の基盤の破壊は、技術的な対策は不可能です。むしろ旗を立てて迫る農村の人々の怒りと危機感は、週末農家の私にもよくわかります。これは、土木技術の問題ではなく、大きな政治問題となってしまいます。

トンネルを開通させるために努力する鉄道院と鹿島組、住民の怒りの矢面に立ち、補償と代替水路の確保に取り組む地元県庁マン、互いに錯綜する動きが、時系列を追って描かれ、やがて我が国初の大規模複線トンネルが開通の時を迎えます。



国家の輸送力や都会の人々の利便性などの都合で、一地域の存立と生活の基盤が脅かされる姿は、現在の福島県浜通り地域の現状と重なります。とりわけ、メルトダウンした原子炉を冷却するための汚染水が、地下水の流入によって膨大な量になってしまう現状は、丹那トンネル工事における地下水湧出とのたたかいを彷彿とさせる状況でしょう。トンネル開通のような華やかなゴールがフクシマでは全く見えず、今後何十年にわたって困難な作業を続けなければならないという状況だけに、なんとも複雑な読後感でした。

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ウィリアムソン教授と密航留学生たちの関わりは薩摩藩にも

2014年08月18日 06時01分24秒 | 歴史技術科学
明治の日本に話題を移す前に、犬塚孝明著『密航留学生の明治維新』をもとに、ウィリアムソン教授と密航留学生たちの関わりの深さを、もう少し紹介しておきましょう。

長州藩からは、最初の五人の他にも、高杉晋作に鼓舞されて南貞助と山崎小三郎が渡英してきます。ところが高杉は、渡航費用だけは用意したものの、生活費のことを全く考慮していませんでした。山崎小三郎は、造船技術の実地研究のためグラスゴーに去った山尾庸三の後にクーパー邸になんとか入ることができたものの、朝夕の食事も衣服も、真冬のロンドンで暖をとることもままならない困窮生活におちいります。グラバー商会のハリソンの父親が見かねて月額25ポンドほどの金銭援助をしてくれたようですが、ついに肺結核にたおれてしまいます。このとき、ウィリアムソン教授夫妻は山崎小三郎を自邸に移し、エマ夫人が懇切に世話をしてくれたそうです。しかし、過労と栄養失調のため、病気はすでにかなり進行しておりました。ついに入院の事態となった山崎小三郎は、治療と看護の甲斐なく、三月初め頃に病死してしまいます。享年22歳でした。

当時の地元紙(The London and China Express)は、教育上の目的で来英していた日本人士官の客死を小さく報じ、「ユニヴァーシティ・カレッジのウィリアムソン教授および12名の日本人学生たちが出席して葬儀がとり行われた」(p.127)ことを伝えているとのことです。

山崎小三郎の死は、不謹慎な言い方ですが、アジテーターに煽動され活動家となった若者が犠牲となる構図にあてはまり、在英の野村弥吉からの知らせを伊藤俊輔が井上聞多に伝えた書簡にあるように、

山崎の病気畢竟衣食足らず、朝夕余りの困難を経、其上異郷言語等も通ぜず、かつは自国の事を煩悶して休まず、終に此病を醸すに至る、此以後は必ず外国へ人を出すなれば、先づ金等の事を弁じ、其上ならでは決て送りくれ申さず様との事に御座候。

というのは、全くその通りであると思います。

ところで、葬儀に出席した日本人留学生の人数が12名と報じられているのは、実は野村弥吉と南貞助の他に、薩摩藩からの留学生10名が含まれておりました。英国への密航留学生については薩摩藩からも組織的に派遣(*3)されており、金のない山尾庸三が、たまたまロンドンで薩摩藩の留学生と出会って、グラスゴー行きの旅費を借りて旅立っていたようです。東洋の野蛮人と人種差別を受けても不思議ではない英国社会にあって、留学生たちは薩摩だ長州だといがみ合うことの愚を痛感していたことでしょう。ジャーディン・マセソン商会やグラバー商会の斡旋に加えて、留学では先輩にあたる山尾が薩摩藩留学生たちにカレッジ生活を案内し、ウィリアムソン教授やヒュー・マセソン、画家のクーパーなどが支援する留学生サークルのような集まりを形成したのかもしれません。山尾がグラスゴーの造船所に去った後に、困窮の中で病死した一人の留学生仲間の葬儀は、国家の近代化という当面する課題を超えて、様々な人生上の疑問を生んだものと思われます。19名で渡英していた薩摩藩留学生たちはやがて分裂し、森有礼らは、留学生サークルに近づいた宗教家の示唆した、西欧文明社会の裏面をキリスト教に基づく宗教的共同体で乗り越えるという幻想に取り付かれてアメリカに渡ります。しかし、英国に残った者たちは、ウィリアムソン教授の分析化学からさらに進んで、数理物理学(野村弥吉)などの学習に取り組みます。

こうして、英国に渡った幕末の先覚者たちは、ウィリアムソン教授との関わりを支えにしながら、ロンドンからグラスゴー等へと地理的な広がりを見せていったと考えられます。山尾庸三は、グラスゴーの造船所で働きながら、工員のための教育を通じて後に日本の工学教育の祖となるダイアーと知り合っているようです。

次は、明治維新の激動の経過は一切省略し、お雇い外国人教師が日本に残したものを見ていきたいと思います。

(*1):日英関係の始まりに見る、ある英国人の無償の愛~ニュース・ダイジェスト,2010年5月 ~いささか美化しすぎの感もありますが、山崎小三郎らの墓と、すぐそばにウィリアムソン教授の墓があることが紹介されています。
(*2):総領事館ほっとライン第6回:ロンドンの墓地で先人の足跡をしのぶ~時事通信「世界週報」より ~日英関係にはもう少し古い関わりがあることを紹介しつつ、山崎小三郎ら客死した密航留学生を紹介しています。
(*3):長州ファイブと薩摩スチューデント~英国ニュースダイジェスト
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長州藩の密航留学生は何を学んだか

2014年08月17日 06時05分32秒 | 歴史技術科学
犬塚孝明著『密航留学生たちの明治維新』(*1)によれば、「長州藩の五人の留学生を一緒に住まわせるには、プロヴォスト街の博士の家はあまりにも手狭であった」ために、「マセソンは井上と山尾の二人を、カレッジのすぐ前のガワー街103番地のクーパー邸に寄宿させることにし」ます(p.86~87)。主人のアレクサンダー・D・クーパーは、風俗画を得意とする画家で、その妻もアカデミー出品作家の一人だったとのことですが、この時代はちょうど美術界にオリエンタリズムが流行していた頃でもあり、東洋のサムライ青年を受け入れることは、画業の上でもメリットを感じたのかもしれません。

プロヴォスト街のウィリアムソン博士邸の三名(伊藤、野村、遠藤)とガワー街のクーパー邸の二人(山尾、井上)は、英会話の学習を経て、ユニヴァーシティ・カレッジに科目聴講生(Students not Matriculated)として入学(*2)します。これは、学びたい科目を選んで授業料を払い、講義に出席するもので、Ph.D.を授与される正規の学生ではありません。『密航留学生たちの明治維新』によれば、1864年7月22日付の学生登録簿(Register of Students)には、山尾、伊藤、野村、遠藤の4名が2ヶ月~7ヶ月分の分析化学(Analytical Chemistry)の授業料を納入し、聴講者となったことが記録されているとのことです。担当は、もちろんウィリアムソン博士でした。

この科目の特色は、化学を初めて学ぶ者をも対象とした実験室教育であることで、理論の学習とともに、新設のバークベック実験室で、数名の助手の協力のもと、自ら試すことができるというところにありました。まさに、ギーセン大学におけるリービッヒ流の教育方法です。バークベック実験室というのは、まさにこの年、1864年に、ジョージ・バークベック博士を記念して開設された、当時の最新設備を誇る実験室で、クリスマスやイースターをのぞき、毎日午前9時から午後4時まで開放され、多くの学生が勉学に利用していた施設とのことです。

密航留学生たちは、おそらく朝晩はウィリアムソン夫妻やクーパー夫妻とともに英語等を学び、日中はカレッジに行って実験室で化学の実験と学習に明け暮れるという生活を送ったのでしょう。英語は多少不自由でも、実地に試しながら学ぶことができる画期的なシステムのおかげで、化学の初歩から少しずつ積み上げて行き、学習期間から判断して、おそらく未知試料の分析なども経験したことと思われます。

分析化学実験、例えば金属陽イオンの定性分析というものは、かつて私の学生時代には「19世紀以来の古色蒼然たる実験技術」と陰口をきいたものでしたが、幕末の密航留学生が初めて体験する場面を想像すると、まるで違った色合いで見えてきます。たぶん、黒板とチョークと書物によって、高尚な理論を説くやり方では、定性分析や定量分析など分析化学の内容の理解は困難だったでしょう。実験室で実地に色の変化や沈殿の分離操作などを通じて成分元素を推定したり、量的な考察を行うような経験は、幕末の青年武士たちには格別に鮮明に印象づけられたことと思います。例えば未知試料を一定の手順で処理していくことによって、その成分を分離し同定することができる。それは、階級、宗教、人種や国籍によらず、きちんと学んだ者であれば誰でもが可能となる、西洋文明の技術的基盤の一つであり、ウィリアムソン博士は自分の信念に基づき(*3)、東洋のサムライ留学生達に、それを伝えたのではないか。

授業の合間や休日に、密航留学生たちは、当初の目的である海軍学を越えて、イングランド銀行や造幣局、博物館、美術館など各所へ通い、西欧文明の精華を吸収しようと努めていたようです。実際には、見学すべき場所について、ウィリアムソン博士やマセソンらの助言があったことでしょうが、英国の中央銀行であるイングランド銀行で紙幣の印刷を見学して感嘆するというのは、当時の武士の見識から見て、かなりの飛躍を感じます。おそらく、彼らは彼らなりに、英国の文明社会を分析し、根底をなす構成要素に到達しようと考え続けていたからではなかろうか。それが、例えば中央銀行と全国共通紙幣の発行であり、交通・物流の体系としての鉄道網であり、科学や技術の教育であるというように、その後の彼らの人生において主要なテーマになっていったのではなかろうか、と考える次第です。



井上聞多と伊藤俊輔は、新聞を通じて、無謀な攘夷を決行した長州藩に対する四ヶ国の制裁計画を知り、急ぎ帰国して下関戦争の講話交渉にあたるわけですが、外交的・政治的局面はさておいて、もう一度、長州藩の密航留学生の名前と帰国後の仕事を一覧してみましょう。

井上聞多、天保六(1835)年生まれ、井上馨、外務大臣
遠藤謹助、天保七(1936)年生まれ、大阪造幣局長
山尾庸三、天保八(1837)年生まれ、工部大学校、盲唖学校を設立
伊藤俊輔、天保十二(1841)年生まれ、伊藤博文、内閣総理大臣
野村弥吉、天保十四(1843)年生まれ、井上勝、鉄道局長官

一足早く帰国した二人は、識見を買われて政治家としての役割を果たすこととなりましたが、他の三人は、テクノクラートの道を歩むことになります。そしてその道は、たんに自分が鉄道が好きだから鉄道をやる、と決めたのではなさそうです。技術的視点からという制約はありましたが、西欧文明社会を分析し、その根底にある要素を抽出し、日本に移すことによって、極東に西欧文明に基づく社会を再構成することを考えた、というふうに読み取れます。

いずれにしろ、五人の密航留学生たちは、リービッヒ流の教育システムを通じ、ウィリアムソン教授や学友たちから、西欧文明を構成する要素を探る考え方を学んでいったのではないか。ウィリアムソン教授を通じて受け継がれたのは、リービッヒ流の実験実証主義や教育システムであるとともに、オーギュスト・コント等の自由主義的な産業社会の見方・考え方であったろうと思われます。

写真は、ロンドンのイングランド銀行です。

(*1):犬塚孝明著『密航留学生たちの明治維新』等を読む~「電網郊外散歩道」2014年1月
(*2):当時、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンには、法文学部(Faculty of Arts & Laws)と医学部とがあったようですが、密航留学生たちは法文学部に聴講生として入学したようです。ただし、柏木肇「西欧の化学ー19世紀化学の思想その4、イギリスにおける化学の職業と科学運動」雑誌『科学の実験』1978年7月号p.575には、「医学部の中に化学教育を置き」とありますので、正規の学生としてであれば、医学部だったかと想像しています。
(*3):ダーウィンと同時代に生きたウィリアムソン教授は、1863年に39歳でイギリス化学会の会長に就任しますが、原子論を信奉することが会長にふさわしくないとして一度退任させられています。しかし自分の信念を曲げず、後年ふたたび会長職に就任しているように、学問的業績と識見の豊かさだけでない、強い信念の人でもありました。

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