電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

今朝の山新は「蝉しぐれ」三面ぶちぬき

2005年09月30日 21時18分25秒 | -藤沢周平
いよいよ明日一般公開が始まる、黒土三男監督の映画「蝉しぐれ」、今朝の地元紙「山新」こと(この物語の最初の掲載紙)山形新聞では、カラー・三面ぶちぬきでこの映画の広告特集を組んだ。
第1面、「蝉しぐれ」あす10月1日(土)全国東宝系公開スタート、「日本人の気高さ描く」「心揺さぶる映像 海坂藩の世界再現」「にぎわうセットと資料館」「2日に侍コンサート」などの見出しがついている。
第2面と3面には、「これほど美しく切ない恋があったろうか」とし、「にじみ出るもの大切に 運命の恋、胸打つラスト」「山形の空気漂う映画」「立ち昇る女の情念 世界に通じる魂の表現」などの見出しがおどる中で、主演の市川染五郎と木村佳乃にインタビューしている。
その中で、「一番好きなシーンは」と問われて、最後の対面シーンを両者ともあげていたのが印象的だった。おふくが「文四郎さんのお子が私の子で、私の子どもが文四郎さんのお子であるような道はなかったのでしょうか」と言うシーン。木村佳乃さんは、こんなふうに言っている。
「もう、あんなせりふ、まずないですね。あのせりふを言えたというのは、これ以上のしあわせはもうないです。私、どれだけの期間、あのせりふと向き合ったか・・・。憶(おぼ)えればいいというようなせりふではないので、ずーっとあのせりふとにらめっこしました。」
テレビの金曜時代劇では、なんだか最後の場面が白足袋が映る濡れ場になってしまった。あれでは、余韻も何もない。黒土監督も、実は不満だったらしい。この映画では、最後の対面の場も抑制されたものになっているという。このおふくの行動について、木村佳乃さんは次のように言っている。
「私は、女の人はもっと、ある種生々しいと思うんです。髮を下ろす前、その日にすべてをかけているわけです。自分から誘っているわけですし、ものすごい大胆な告白、これ以上の女性からのアプローチはないのではないか、と思います。その日一日しか会えない、女性だったら結構、決してきれい事だけではないと思っています。」

う~む。これでは混雑を恐れて逡巡している場合ではないだろう。
そんなわけで、明日は万難を排して、映画「蝉しぐれ」の一般公開に行って参ります。
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シューマン「子供の情景」を聞く

2005年09月29日 20時30分57秒 | -独奏曲
若い頃から、シューマンのピアノ音楽が好きだった。NHK-FMの「大作曲家の時間」でローベルト・シューマンを取り上げたことがある。手紙や評論の文章や様々なエピソードとともに、年代を追って作品を紹介する構成だった。あの番組を監修したのは、たぶん吉田秀和氏ではなかったか。同番組の冒頭、「交響的練習曲」の出だしの部分が実に印象的で、毎週欠かさず聞いたものだった。今、もう一度聞けるなら、ぜひ聞いてみたいラジオ番組のトップに位置する名番組だったと思う。

シューマンのピアノ作品の中では、「謝肉祭」「幻想曲」「交響的練習曲」「ピアノソナタ第1番」「クライスレリアーナ」など、比較的大きめの構成を持つ作品を好んで聞いているが、また一方で「幻想小曲集」や「子供の情景」などの作品もお気に入りだ。

1838年、シューマンは、クララに対し、12曲の小曲を選び(後に1曲を追加)、子供の情景という小曲集ができたことを知らせている。現代ならば、ロマン派を代表する作曲家シューマンが、その妻となる女性に曲集について知らせていることに何の不思議もない。

だが、若いといってもすでに28歳に達していた音楽評論誌主宰者が、19歳の有名な女性ピアニストの父親に対し、結婚のための法廷闘争を展開しているという状況は、現代にあっても世間の耳目を引く事態に変わりはなかろう。ましてや、軍隊に志願しても、右手の人差指と中指が不自由で、銃の引き金を引くことができずに不採用となる(*)ようでは、父親の怒りはとどまることはなかっただろう。さらにその原因が、若い頃の不行跡による梅毒の水銀療法の副作用となると、脳梅毒に侵され狂死する結末が見えているだけに、娘の無謀な恋愛を妨げるしかなかったのだ、とも言える。哀れな父親の絶望的な戦い。いちがいに頑迷で愚かな父親とばかりは言えないような気がする。

(*):アラン・ウォーカー著『シューマン』、東京音楽社、p.51

シューマンも、まだこの頃は、病気の進行を感じていなかったのだろう。若さが未来を希望に変えていたともいえる。優しく、幸福な音楽である。

「子供の情景」は、現在、ヤン・パネンカとクラウディオ・アラウの演奏が手元にある。やや速目のテンポでリズムの冴えが決然とした印象を与えるヤン・パネンカの演奏(DENON OX-7002-ND, GES-9252)と、ゆったりと(時にはたどたどしさを装いながら)おだやかな気分で演奏されるアラウの録音(Philips UCCP-7052)とを、時に応じて取り出して聞く。
ヤン・パネンカの演奏は、1974年3月、青山タワーホールにてデジタル録音されたもので、ピアノの低音部が実にクリアーにとらえられたもの。アラウの演奏は、1974年3月の録音で、アナログ録音全盛期のものだ。
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新規投稿がつらい日

2005年09月28日 22時41分45秒 | Weblog
今日は、ちょいと飲み会があり、かなりアルコールが入っていて、新規投稿がつらい日である。電車で帰り、駅まで家人に迎えに来てもらい、「ガヨン、ありがとう」と言ったら怒られた。「アジョシー、馬鹿なこと言うな」というわけだ。韓流の影響が片田舎の山形まで押し寄せていることに驚く。
電車の中で、講談社現代新書の井上栄著『感染症の時代』を読んだ。まだ半分ほどだが、興味深い内容だ。藤原京が、下水がたまる低い位置にあったために、伝染病の被害を受けやすかった。それをきらって、わずかな年数で平安京に遷都した、というのだ。周辺河川と比較し、相対的な標高差が、歴史的な意味を持つ、という指摘だ。これは面白い視点だと思った。



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「蝉しぐれ」の前売券を購入

2005年09月27日 20時25分00秒 | Weblog
今日、思い立って黒土三男監督の映画「蝉しぐれ」の前売券を購入して来た。チラシを見ると、観光物産センターで売っているように書いてあったが、全国共通前売券はもう売り切れ。しかたがないので、映画館の前売券を購入してきた。
映画館の窓口のお嬢さんによると、前売券の発売状況を見る限り、公開初日は土曜日と言うこともあり、相当の混雑が予想されるとのこと。相当の覚悟を決めて行かねばなるまい。
また、同じ10月1日は、山形県郷土館「文翔館」で10周年記念のイベントも催されるようだ。議場ホールではジャズサミットと称するコンサート、26日には梯剛之ピアノリサイタルが開かれる、との情報もある。
写真は、大正時代の代表的な石造建築で、見事に復元された旧山形県庁・山形県郷土館「文翔館」。この内部の漆喰による飾り天井は実に見事に復元されており、感動する。

■参考
(*1): 10月2日夜、オープンセットで侍コンサート~「蝉しぐれ」かわら版より
(*2): 山形県郷土館「文翔館」催し物情報
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お彼岸を過ぎると

2005年09月26日 19時59分25秒 | Weblog
暑さ寒さも彼岸までというが、事実今朝の気温は涼しさを通り越して寒いくらいだ。毛布を二枚かけてもまだ寒く感じた。おそらく、最低気温は20度を下回ったのではないか。朝の通勤路は霧が発生し、高いビルのてっぺんが見えないほどだった。もうじき十月、いよいよ本格的な秋だ。
職場でも風邪ぎみの人が数人。健康管理に注意しないと、この季節の風邪は長引きやすい。充分な睡眠と水分補給、それにバランスの取れた食事。寒ければ重ね着をして暑ければ脱ぎ、こまめに着衣の枚数を調節する。ウィルスを体内に入れないために、手洗いとうがいを忘れないこと。注意点はこんなところか。

今日の通勤の音楽は、フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団のバルトーク「管弦楽のための協奏曲」「弦楽器・打楽器・チェレスタのための音楽」。
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平岩弓枝『御宿かわせみ18・秘曲』を読む

2005年09月25日 21時58分20秒 | -平岩弓技
平岩弓枝著『御宿かわせみ』、とうとう第18巻まで来た。『秘曲』という副題のついた物語は、第1話「念仏踊りの殺人」から始まる。「かわせみ」で働いている女中が5日ばかり休みを取って実家に帰ったところで殺される。東吾の推理で動かぬ証拠が発見されて、犯人はお縄になるが、忠実な奉公人は帰らず、るいは悲しむ。
第2話「松風の唄」、東吾は洋式銃の練習に励むが、抜群の腕前を示す武家の男に目を留める。その男は、かつて狂犬のような男に娘を殺された経験を持っていた。第3話「おたぬきさん」。ロシアン・ルーレットをしていたんだね、突然血を吐いて死んだ女は。第4話「江戸の馬市」、勝海舟は片方だけだったが、両方だったとは。それでは妹にも話せなかっただろう。
第5話「冬の鴉」。まぁ、鴉が好きという人は、ローレンツ先生くらい(*)でしょうけれど、それにしても病気とはいえ妙な話ですね。
第6話「目籠ことはじめ」、家出をした清太郎がやくざに半死半生のところを、かつて一緒に育てられた奉公人の娘おみやに助けられる。いつのまにか他人でなくなり、竹細工に身を助けられて、井筒屋の両親と対面するが、おみやは身を引くと言ってきかない。結末は・・・・ホロリとします。
第7話、表題作「秘曲」。秘曲を受け継ぐ者はただ1人なんて、了見が狭いヨ。卵を一個しか産まない生物種はやがて滅ぶのです。だからといって、東吾があちこちに子孫を残して良いというわけではない。
第8話「菜の花月夜」、なかなか子どもを授からないるいに、降って湧いたような赤ん坊置き去り事件。ちょっと酷だが、東吾の優しさに触れてホロリ。でも、作者はるいを何度も悲しませるいいネタを思い付いたのだろう。悪い人よなぁ、平岩弓枝さん。それを読んでいる読者(私)もだけれど(^_^;)>poripori

(*): コンラート・ローレンツ『ソロモンの指輪』
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アップルパイ

2005年09月25日 14時11分49秒 | 料理・住まい
9月のリンゴ「つがる」がたくさんとれたので、アップルパイを作ってもらった。紅玉ほどではないが、甘さを抑えると酸味と香りが残り、とてもおいしい。お茶の時間に、紅茶でもコーヒーでも、どちらにも合う。明日からまた早番でやや早い出勤。この連休の最終日、ビデオでも見ながら、ゆっくりと休みましょう。
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田舎の法事の現状と意味を考える

2005年09月24日 22時13分13秒 | Weblog
今日は、予定どおり親戚の法事に出かけた。黒の喪服に黒ネクタイをしめ、御香料と数珠を持ち、すぐ近所の一族の本家の宗主と連れだって出かけた。着いてすぐに仏壇に御参りをし、施主に御挨拶をしてお茶をいただいているところに菩提寺の住職が到着、すぐに法要と焼香の準備にかかる。焼香の際に必要な炭が見付からず、あわてる。当主の奥様は様々な準備でそこまでは気が回らないこともある。どこかにあるはずなのだが、当主と親戚が探しても、あわてるばかりで見付からない。やむをえず、お線香を折り、炭のかわりに代用することに。
かくて、ようやく読経が始まり、足がしびれるのをこらえてお経を聞く。もう何十年もの間、何回となく聞いているお経だが、解脱や悟りはどんな精神的現象なのだろう。そういえば、最近中村桂子さんが般若心経(でよかったのかな?)の生命科学的解釈を本に書いていたなぁ、などと不謹慎なことを考えながら、お経を聞いた。
法要が終わり、歩いて寺に移動する。幸い、お天気もまずまずで助かった。寺の本堂で読経と焼香を済ませ、おみど(大御堂?)を御参りし、続いて隣接する墓地に移動して参会者が一人一人線香を手向け、仏に御参りをした。
山門前には、準備良く専用バスが到着しており、市内の割烹へと移動。施主となった夫妻の御挨拶のあと、住職の発声で御馳走をいただいた。今回は、純粋な精進料理ではなく、割烹の法事向けのメニューのようだった。料理では、お刺身やテンプラなどよりも、季節のキノコ料理と土瓶蒸し、それにあけびの味噌煮や冷たく冷やしたむきそばなどが美味しかった。30名弱の親族や一族の参会者中には、酒豪も酒癖の悪い人もいず、いたってなごやかな宴席であった。
施主の挨拶のあと、再び専用バスで自宅に戻り、そこで一族の者は解散、兄弟姉妹など、家族の人たちがしばらくぶりの再会を機に語り合ったことだろう。

子どもの頃、家族が死去したのに、親戚知人一同が和やかに談笑しているのを見て、不審に思ったことがある。だが、今ならば違う風に考える。年寄りが天寿を全うするように、遅かれ早かれこの世に別れを告げる日はやってくる。葬儀や法事は、遠く離れ離れになっている人々も、久しぶりで会って語り合うことのできるよう、死者が生者に贈る最後の贈り物なのだと。
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ハイドン「太陽四重奏曲」を聞く

2005年09月24日 08時49分07秒 | -室内楽
夏から断続的にハイドンの弦楽四重奏曲作品20、いわゆる「太陽四重奏曲」を聞いている。全6曲が2枚組で収録されているCD(DENON COCO-70733-4)である。一枚もののCDと同じケースにニ枚が入っているので、荷物にならないだろうと思って持参し、札幌のホテルや公園で、携帯CDプレイヤーで聞いたり、通勤の車中で聞いたり、また自宅で聞いたりして、しばらく楽しんだ。
実際の演奏会でなら、集中して聞くことができるので、初めて聞く曲でもスッと入って行くことができる。しかし、LPやCDで初めての音楽に接するときは、ながら聞きであったり電話等で中断されたりで、演奏会のように集中が続かないことが多い。ハイドンの弦楽四重奏曲は、作品64や作品76などを通じてだいぶ親しくなったとはいうものの、見知らぬ音楽に変わりはない。そのため、何度も何度も繰り返して、自然に耳になじんでしまうまで聞いた。ハイドンの親しみやすく優しい音楽である以上に、中に暗い悲劇的な表現や、強い情感の表出がある。これは素晴らしい音楽・演奏だ。

(1)弦楽四重奏曲第31番、変ホ長調、作品20-1
(2)同 第32番、ハ長調、作品20-2
(3)同 第33番、ト短調、作品20-3
(4)同 第34番、ニ長調、作品20-4
(5)同 第35番、ヘ短調、作品20-5
(6)同 第36番、イ長調、作品20-6

そういえば、若いベートーヴェンがハイドンの弦楽四重奏曲を筆写して勉強したというエピソードが伝えられているが、もしかするとこの曲集あたりが該当するのではないか。古典的な優美な音楽であることを突き抜けて、強い情感を表している音楽を勉強する若いベートーヴェン。この曲集には、そんな想像をさせる要素がある。

演奏は、旧東独のウルブリヒ弦楽四重奏団。ドレスデン・シュターツカペレの奏者が集まって組織された団体とのこと。1970年、ドレスデンの聖ルカ教会でのアナログ録音。こういう録音が、2枚組1500円という廉価で再発売されることを喜びたい。
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映画「巴里のアメリカ人」を見る

2005年09月23日 07時16分53秒 | 映画TVドラマ
動かなくなったLDプレーヤーを修理したために、昔の映画を楽しむことができるようになった。取り出したのは、アーサー・フリード制作、ヴィンセント・ミネリ監督の「巴里のアメリカ人」(1951)だ。
この映画、ジーン・ケリー演じる修行中の売れない絵描きジェリー・モリガンが、パリで気ままな暮らしをしている描写から始まる。オスカー・レヴァント演じる友人の苦闘する作曲家・ピアニスト、アダム・クックや、陽気なフランス人歌手のアンリ・ボレルなど、気のいい仲間たちだ。
ある日、金持ちの未亡人ミロが、ジェリーの絵に目をとめ、親しくなる。彼女に誘われて行った店で、ジェリーはレスリー・キャロン演じるフランス娘リズ・ブールビエールに心を奪われる。だが、彼女は著名な対独レジスタンスの旗手の娘で、ずっと年上のアンリに保護され、愛されていた。ミロはジェリーを愛し、アンリはリズを愛しているが、ジェリーとリズはどうなるのか、というのが主な展開である。
お話そのものは、50年代のハリウッド・ミュージカル映画の典型だが、見事なのはガーシュインの音楽と色彩的なダンスシーンである。
「Nice Work If You Can Get It」「Embraceable You」「Fascinating Rhythm」「By Strauss」「I Got Rhythm」「Tra La La」「Love Is Here T Stay」「I'll Build A Stairway To Paradise」「I Don't Think I'll Fall In LOve Today」「ピアノ協奏曲ヘ調 第3楽章」「'S Wonderfull」「Liza」そして「An American In Paris」と続く。
この中で、特に見事なのはオスカー・レヴァントが一人何役も演じる短縮版「ピアノ協奏曲ヘ調」と、最後の「パリのアメリカ人」全曲を踊り切る長大豪華なダンスシーン。ジーン・ケリーらのタップダンスと、レスリー・キャロンらのバレエが、ガーシュインの音楽を背景に展開されるシーンは、この映画の白眉だろう。古き良き時代の衣装の素敵さ、少々色褪せたとはいうものの、色彩の見事さ・美しさ、ロートレックやユトリロなどの名画の構図を模した背景、曲調に合わせた群舞の場面転換など、抜群に楽しい。

レーザーディスクで7800円で購入したこの映画、今はDVDで500円で売られている。著作権が切れたためと思われるが、MGMの傑作ミュージカルが、公共の財産として永く大切にしたいものだと思う。
写真は、単身赴任時にひいきにしていたあるパン屋さん。ただし、フランスではありません。
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えっ、『蝉しぐれ』は連載当時人気がなかった?

2005年09月22日 20時11分47秒 | -藤沢周平
先日の朝日新聞の文化欄に、世田谷文学館の「藤沢周平の世界展」の紹介記事が掲載された。初公開の旧蔵資料など約500点が展示されているという。ヒロインの名前には苦労したようで、新聞連載初回の草稿には72の候補が列挙されていたとか。連載終了後に加筆された部分は、20年ぶりに再会したふくと別れた後の文四郎の心情描写や風景描写を中心に、連載時の5倍強に増え、余韻を深めている、とのことだ。
同記事では、また次のようにも書いている。
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『蝉しぐれ』は連載当時あまり人気がなく、藤沢さん自身「作者が退屈するほどだから、読者もさぞ退屈したことだろう」(「新聞小説と私」)と書いている。渾身の加筆だったのだろう。
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おや、これはだいぶ私の記憶とは異なるものがある。地元紙「山形新聞」に『蝉しぐれ』が連載されたのは、昭和61年7月9日から昭和62年4月13日まで。連載開始直後はさすがに静かだったが、次第に人気が高まり、連載後半に入る頃には、『蝉しぐれ』を自宅で読みたいために、地元紙を購読し始めた同僚が何人もいたし、母方の祖父母の法事に呼ばれたとき、叔父・叔母たちの会話が『蝉しぐれ』談義だった。かなり熱狂的な盛り上がりだったように思う。ただ、片田舎の山形だったから、全国的には目立たなかっただけであるし、藤沢氏自身が、謙遜をこめてそのように表現しているだけではないのか。加筆は作品の完成度を高めるための作業であり、連載当時の不出来・不人気を修正したのではなかろう。

いずれにしろ、10月1日の映画『蝉しぐれ』の公開が待ち遠しい。まずは、見てからだ。
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もう来年の手帳が

2005年09月21日 21時16分56秒 | 手帳文具書斎
今日、旅行代理店が忘年会の営業に来たらしい。もうそんな季節かと話題になった。書店では、もう来年の手帳が並んでいる。ここ数年、普通の手帳を使っているが、ますますスリム化して、上着のポケットに入る薄い手帳になりそうだ。
手帳が薄くなったのにはわけがある。パソコンと携帯電話を使うようになってから、住所録を持ち歩く必要がなくなったからだ。電話は携帯電話でかければよいし、連絡はメールですむことが多い。近年は、住所録は年賀状くらいにしか使わないようになってしまった。手帳で持ち歩く情報は、事実上スケジュールと簡単な控え記録だけで足りてしまう。
また、様々な店舗のポイントカード類も、サービスの終了などでだいぶ整理されたし、クレジットカードや銀行のキャッシュカード類は種類をしぼっているので、それほどかさばらない。そうしてみると、カード類の運搬という役目も、私の手帳からは離れてしまった。

システム手帳からスケジュールを取り除くと、長年にわたり継続的に計画し記録しつづける要素が浮かびあがる。私の場合は、結婚式など冠婚葬祭のスピーチ原稿であったり、コンピュータの設定記録などであったり、遠く離れた親戚の住居周辺の地図や交通案内であったりする。なにか事あるごとに非常持ち出しをする必要のあるもの、それをシステム手帳に一括してまとめている、と言えばよいのだろうか。
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あったらいいな~ブログに望むこと

2005年09月20日 19時38分59秒 | コンピュータ
今年の流行のキーワードの一つが、「ブログ」だそうだ。実際、自分のウェブサイトを持つなど考えもしなかった人が、自分の Weblog をオープンしている。えたいの知れないウェブサイトにおそれをなし、歓迎せざるメールにうんざりしていた人たちに対して、ブログはインターネットをさらに身近にした、と言って良いかもしれない。
たしかに、デザインはきれいだし、簡単に模様替えもできる。書く内容をたっぷり持っていた人が、水を得た魚のように猛烈に書きはじめる例を見聞きすることが多い。コメントやトラックバックに触発され、日常生活ではありえないほどの多彩なつながりができることも、ブログの流行に貢献しているだろう。

だが、ブログを継続しているうちに、様々なトラブルにも遭遇する。その一つが、歓迎せざるトラックバックの存在だ。どうも、そのものずばりカタカナ三文字を使うと逆に歓迎せざるトラックバックが増えるような気がする。これは、人間が送っているのではなく、特定のキーワードを探して、機械が無人で送りつけて来るのだろう。

これを、ドメイン名でアクセス制御するという方法もあるが、あまり現実的ではないだろう。そこで、「あったらいいな」という話である。

私が「あったらいいな」と思うのは、「合言葉機能」だ。トラックバックが送りつけられて来たら、「合言葉を言え」と返す。で、合言葉を言えなければ、トラックバックは受け付けない。合言葉を問う文言はユーザーが設定でき、気の利いたセリフがそのブログのオーナーのセンスを示す、というのはどうだろう。なぞなぞであったり時事問題であったり、時々設定を変更できれば、それほど強力な暗号化は必要ないだろう。

歓迎せざるトラックバックが来た。
「今年は西暦何年?半角数字で答えてね」「2005」

てな具合で受け付ければ、少なくとも人手でなければトラックバックはできなくなるだろう。そんなの、うちのブログでは必要ない、という人は、その機能をオフにすればよい。

もう一つ、ベイジアン・フィルタを通すようにする、という手もある。ただし、これを各ユーザーが使うようになったら、サーバの負荷はすごいことになるだろうなぁ。Thunderbird 等のメーラは、各ローカルマシンで動作しているわけで、集中サービス型のブログには不向きなのも知れない。

現実的にはどうなのかわからないが、少なくとも歓迎せざるトラックバックの嵐を制御できるようにしたブログが生き残るのではないか。
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平岩弓枝『御宿かわせみ17・雨月』を読む

2005年09月19日 21時34分36秒 | -平岩弓技
先週末から風邪気味だったが、この三連休おとなしくしていて、ほとんど作家的生活をしていたためか、だいぶ調子が回復してきた。文春文庫で、平岩弓枝著『御宿かわせみ17・雨月』を読む。

第1話「尾花茶屋の娘」では、どこかニヒルな旗本の末弟は離別された兄嫁と心中し、孤独で意地っ張りな商家の娘はやくざの子を宿したまま川に身を投げる。第2話「雨月」は、菊見に出かけた先で出会った商人風の男は、住職と生き別れの兄弟だった。大火が分けた明暗は、実母に出会った方が幸せとは限らなかった。第3話「伊勢屋の子守」に登場する子守娘、可愛げがないからといっていじめるのもいかがなものか。
第4話「白い影法師」、跳梁する盗賊が霧の中で東吾らに出会ったのは運が悪かったということだろう。さりげなく東吾が幕府の軍艦操練所に休職願を出していることが示される。このあたり、たぶん後で必要になってくるからだと思われる。
第5話「梅の咲く日」。作者は東吾とるいの夫婦に子どもができないことを問題にしはじめている。深川の蕎麦屋長寿庵の長助の孫、長吉の手習いが最初のきっかけだ。事件の方は、昔の盗賊仲間に出会ってしまった父親が、見捨てた息子に知られず仲間を始末し自分も死ぬ、という筋書き。
第6話「矢大臣殺し」、皆が皆、自分こそ犯人だと自首して来る。そんなときは、犯人はお稲荷さんだということにせざるをえないのさ、という東吾の私的判決。まぁ、気持ちはわかるけどねぇ。
第7話「春の鬼」、不倫の子を宿した妻が夫を殺し、不倫の相手と心中する話。第8話「百千鳥の琴」、おみわに残した五百両は現金ではなかった。るいの琴を守ろうとした和光尼の体当りは迫力だ。

可愛く性格の良い子どもが幸せになるのは結構なことだが、あまり可愛くもなく、性格もそう善良とばかりはいえない子どもが概して不幸になるのは、はたして当然のことなのだろうか。ふとそう思う。それは、優等生幸福論ではないのか。
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1ダースなら安くなるってもんじゃない

2005年09月19日 15時37分51秒 | -協奏曲
ヴィヴァルディの「四季」を含む協奏曲集「和声と創意への試み」の曲数がどうして12曲なんだろう、という素朴な疑問。ヴィヴァルディが指導していた、聖ピエタ養育院の少女達からなる40名の合奏団(*1)のヴァイオリン奏者の中で、12名が交互にソロを演奏するように、協奏曲を工夫したと考えた。これは、別に根拠があるわけでもなんでもなく、単に現代の演奏会のように一人だけがソロを担当すると、特定の少女へのえこひいきのようになり、運営バランス上まずいのではないか、と考えたからである。苦労人のヴィヴァルディ、そんな下手な対応はしないのではないか、という推測だ。

(*1): 皆川達夫氏の著書『バロック音楽』(講談社現代新書)によれば、1739年、ある旅行者の記録として、「すばらしいのは孤児院の音楽です。(中略)生徒はみな女子で、庶子、孤児、養育能力のない親の子からなっています。彼女らは国の費用で養育され、もっぱら音楽をしてまわっています。そのうえ、彼女らは天使のように歌い、ヴァイオリン、フルート、オルガン、オーボエ、ファゴットなどを演奏します。要するにどんな楽器でもこわがりません。彼女らは修道女のように閉じこもって生活をしています。彼女たちだけで演奏し、毎演奏会に40名参加します。(後略)」(p.123)とある。

それはさておき、考えて見ればなぜ12曲なんだろう?ヴィヴァルディの協奏曲は、作品3の「調和の霊感」も作品9の「和声と創意への試み」も、全部で12曲からなっている。コレルリ(1653-1713)の合奏協奏曲集作品6も、全部で12曲だ。これに対し考えられるのは、
(1)1年が12ヶ月からなることを表わしている
(2)教会での音楽であるから、キリストの12人の使徒にちなんでいる
(3)1オクターブが黒鍵を含め12の音からなることを表している
(4)その他
というところか。楽譜出版等における西欧の習慣には全く知識がないので、実に漠然としたものでしかないが、先に掲載した「ヴィヴァルディは女子校音楽部の顧問の先生」という記事(*2)に対するSchweiter_Musikさんのコメントにあるとおり、その後の古典派の時代にはこれが6曲を1セットとするように変化して行くようだ。ハイドンの太陽四重奏曲集(Op.20)や「ひばり」を含む作品64、「皇帝」を含む作品76も、モーツァルトのハイドン・セットも半ダース組である。ベートーヴェンは初期の作品18は半ダースだが、中期のラズモフスキーあたりでは4分の1ダースの3曲になる。でも4楽章×3曲=12楽章だからいいことにしたという考え方もできる。シューマンやブラームスは、そういう慣習面から見ても、古典派に通じるところがあるのかもしれない。
(*2): 「ヴィヴァルディは女子校音楽部の顧問の先生」

そのベートーヴェン、後期になると「1ダースなら安くなるってもんじゃない」とかなんとか言って、その習慣を破棄したのだろうか。このあたりも、もしかしたら革命家ベートーヴェンの面目躍如たるものがあるのかもしれない。
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