電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

映画「グリーンブック」を観る

2019年03月27日 06時01分07秒 | 映画TVドラマ
先の日曜日は、お天気に恵まれず農作業日和ではなかったため、午後から映画館に出かけ、妻と映画を観ました。子どもが「良かった」と言っていた映画「グリーンブック」です。

ニューヨークのナイトクラブで用心棒を務めるイタリア系のトニーは、勤め先を失い、金に困って大食い競争で金を稼いだりしています。そこへ、南部への演奏旅行の運転手の仕事が舞い込みますが、雇い主はカーネギー・ホールの上階に住む貴族的上品さを保つ黒人ピアニスト、ドクター・シャーリーでした。

1960年代初頭、出かけた先々の南部の人種差別は露骨でひどいもので、ピアニストを有名人として紹介されながら、控室は物置のようなところで、レストランでは白人と同席することは許されません。黒人が宿泊可能なホテル等、旅のガイドブック「グリーンブック」をもとに宿を手配するトニーは、自分も「イタリア野郎」と蔑まれたときには、怒りを爆発させます。警官を殴って留置場に入れられたトニーの巻き添えを食らい、一緒に留置されてしまった雇い主が電話で助けを求めた先は、なんとロバート・ケネディ司法長官。そりゃあ、警察はびっくりしたことでしょう(^o^)/

映画『グリーンブック』予告編


なかなか良かった。同じ1960年代に、NASAで計算手として働いていた黒人女性を描いた映画「ドリーム」(*1)も良かったけれど、今回の音楽家の物語も良かった。それほど遠くない過去から、まがりなりにも人種差別が不当だとされる社会を少しずつ実現してきた背景には、愛や幸福とともに、平等に扱われることを願った先人のこうした苦闘があったからなのでしょう。音楽を演奏するシーンは断片的で、もっとじっくり聴きたいと思ってしまったけれど、笑いの中で励まされ、勇気づけられるような映画でした。

(*1):映画「ドリーム」を観る〜「電網郊外散歩道」2017年11月

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NHK正月時代劇「家康、江戸を建てる」を観る

2019年01月04日 06時03分34秒 | 映画TVドラマ
先頃、門井慶喜著『家康、江戸を建てる!』を読んだ際に、NHKが2晩の正月時代劇を放送することを知りました。正月2日と3日の夜、珍しく夜九時からのテレビドラマを観ました。前編は「水を制す」、後編は「金貨の町」というもので、前編は原作の第3話「飲水を引く」を中心にして第1話「流れを変える」の要素を加えたもので、後編は原作の第2話「金貨を延べる」を中心にしたものでした。テレビ的なホームドラマ風脚色や、大久保長安のような悪役を仕立て社内抗争風にしたところなど、思わず苦笑いする場面もあったのですが、なかなか面白く楽しみました。



本当は、もう少し利根川東遷の事業、特に河川の流れが変わる圧倒的な場面のロケを期待したのでしたが、さすがのNHKもそこまでの土木事業は組めなかったようで、大規模工事の場面を扱うドラマの難しさかもしれません。

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新田次郎『ある町の高い煙突』が新装復刊され、映画化もされているらしい

2018年08月18日 06時08分43秒 | 映画TVドラマ
最近の当ブログへのアクセス解析を見ると、新田次郎著『ある町の高い煙突』の記事(*1)へのアクセスがやけに多くなっています。時間帯によっては、トップページのアクセスを上回るほどです。夏休みもそろそろ終盤に入り、もしかしたら読書感想文の課題にでもなっているのかと思いましたら、どうやら今年の春に文春文庫で復刊されている(*2)だけでなく、映画化も進行している(*3)らしい。2019年春に封切り予定のようで、これは楽しみです。

(*1):新田次郎『ある町の高い煙突』を読む〜「電網郊外散歩道」2011年9月
(*2):文春文庫『ある町の高い煙突』〜文藝春秋BOOKS
(*3):映画「ある町の高い煙突」公式ホームページ【公式】映画「ある町の高い煙突」Twitter

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今夜のEテレがおもしろそう

2018年07月31日 17時38分33秒 | 映画TVドラマ
お昼のテレビで知りましたが、今夜10時から、Eテレの「知恵泉」という番組枠で、長井長義を紹介する番組が放送されるようです。曰く「人生を切り開く化学式"日本薬学の父"長井長義」というものです。

失敗しながら未知に挑め!明治期、本格的な化学を学び、日本に新たに“薬学”を根付かせた長井長義。女子教育の発展にも尽力し、人々に勇気を与えた先駆者の志に迫る。

当ブログでも「歴史技術科学」というカテゴリーで、長井長義ほか明治の国費留学生に触れるとともに、我が国初の女性帝大生の誕生との関わりなどをご紹介(*1〜3)しています。これは観たい。ぜひ観たい。興味深いです。

(*1):明治初期の留学生の行先〜「電網郊外散歩道」2015年2月
(*2):帝国大学に初めて女子が受験、入学する〜「電網郊外散歩道」2016年10月
(*3):帝国大学に入学した女性たち〜「電網郊外散歩道」2016年10月

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映画「万引き家族」を観る

2018年07月20日 06時03分39秒 | 映画TVドラマ
過日、妻と子どもと一緒に、「万引き家族」のレイトショーを観てきました。全く血縁のない五人が一つ屋根の下で暮らし、婆さんの年金を当てにしながら万引きや盗みを常習的に繰り返し、底辺での生活を営んでいるけれど、少なくともネグレクトや虐待などはない、方を寄せあい分けあって生きる様子を描きます。

この映画の受け止め方は、人によってずいぶん違ってくるのだろうと思います。ある人は情緒的な面から受け止めるでしょうし、またある人は根底に格差と貧困を見るでしょう。父親役の男性はなんとも甲斐性なしで、婆ちゃんが死んでも火葬にもできません。「スイミー」を愛する男の子も、どうやらパチンコ屋の駐車場で車内に放置され熱中症で死にかけていたところを、車上荒しのついでに助けられたらしい。この男の子の背景にも、貧困の連鎖がありそうです。でも、男の子が小学校に行っていないのは、義務教育を受けさせないという意味で、やっぱり一種の虐待でしょう。



「本当の親」という言葉がありますが、これは遺伝子の連続性に保証される血縁的な「本当」と、子どもを愛し可愛がる徳性面からみた「本当」の親という両面があります。血縁や法律的な家族関係はあっても虐待する親と、血縁・法的には無縁でも一緒に繋がり合って生きている親と、どちらが構成員にとって幸せなのだろう?たぶん、日本では血縁に根拠づけられた親権が強すぎるのかも。それと、「妹には教えるなよ」と諭した商店主のように、情が強くなりがちな家庭だけでなく、地域が理で子どもを育てるという面もあるのでしょう。

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映画「黄色いリボン」を観る

2018年04月25日 06時02分35秒 | 映画TVドラマ
先日、ぽっと空き時間ができましたので、古い映画DVDの中から、ジョン・フォード監督の「黄色いリボン」を観ました。ジョン・ウェインが退役間近な騎兵隊大尉ネイサンを演じ、最後の任務として隊長夫人とその姪オリヴィアを護衛するというものです。馬で行けば機動的なのに、幌馬車で荷物を運ばなければならず、移動は思うに任せません。行く手にバッファローの大群が見えた時、部下の一人は先住民たちが部族の垣根を超えて団結することを予想し、事実そのとおりになります。暗躍する白人の悪徳武器商人。争いは必至の情勢となりますが、任務に失敗したネイサン大尉は退役の日を迎えてしまいます。この後の急展開は、血を流さず抗争を無力化してしまうという意味では面白い解決で、「インディアン対騎兵隊の大決戦」みたいなスペクタクルにしていないところは好感が持てます。



全体として、いかにも「古き良き白人社会アメリカの常識」に折り合いをつけながら、公民権運動後の社会の風潮にも目配りをしました、といった印象を受けたのですが、実はそれよりもずっと以前の、1949年に制作されたものだそうです。ふーん、そうなのか。

そういえば、本作のヒロイン役オリヴィアが、鼻っ柱が強いけれど過ちを認めて素直に詫びる、典型的な良い子チャンで、なるほどこういう女性観が伝統的なアメリカの婦人像なのかと再認識しました。そうであれば、「マイ・フェア・レディ」の、教授の言いなりにはならないイライザの姿が、実に革命的なものだったのだなと納得できます。

そして、「黄色いリボン」の軽快な音楽は、中高年にはなにやら懐かしいものがあります(^o^;)>poripori



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映画『ドリーム』を観る

2017年11月13日 06時02分12秒 | 映画TVドラマ
これはぜひ観たいと思っていた映画『ドリーム』(原題:Hidden Figures)を観ました。数学の才能に恵まれたキャサリン、ドロシー、メアリーの三人の黒人女性が、1960年代のNASAで計算手として雇われています。スプートニクでソ連に先を越され、有人飛行でもガガーリンに敗れたアメリカは、NASAの中でも人種偏見と差別が横行していました。数学の天才的な才能を持つキャサリンは、軌道計算などの分野で本部長ハリソンに着目されるようになりますが、機密の奥には黒人女性用のトイレがないために、一日に何度も800m先にある有色人種用のトイレに行かなければなりません。コーヒーポットさえも白人用と黒人用が分けられるような職場で、キャサリンは正確かつ誠実に職務を果たし、類い希な才能を皆に認められていきます。

一方で、計算力に優れた黒人女性が集まっている西計算室を率いるドロシー・ヴォーンは、導入されたIBMのメインフレーム機を見て、自分たちの職場を確保する必要を感じ、FORTRAN言語の独習を始めます。IBMの技術者たちも、NASAの専門的計算の分野はお手上げで、メインフレーム機の能力を発揮するところまでには至りません。ドロシーの力を知ったIBMの技術者の推薦を受けて、ドロシーはコンピュータ室長を命じられるのですが、自分の仲間と一緒でなければ受けられないと一度は断ります。結局、ドロシーからFORTRANを学んでいた西計算室の30名の仲間たちが全員でプログラマーとしてコンピュータ室に異動することになります。このあたりの先見の明とリーダーシップが、ドロシーの魅力です。

メアリーは、耐熱壁に欠陥があることに気づいていますが、それを技術者として解決するには、大学に進むかまたは大学相当の科目を設けている高校で必要な科目を履修し、技術者として雇われる必要がありました。前例はありませんが、勇気を持って裁判所に申請を出し、判事に認められて高校の夜間課程に学ぶこととなります。他の二人に比較してエンジニアとしての仕事ぶりが描かれることは少なく、いささか物足りないのですが、この三人もまた、アメリカの宇宙開発を支えていたことは間違いないでしょう。そして、グレン中佐が乗り組んだフレンドシップ7号は打ち上げられます。お約束の危機とその解決は、できすぎた話だと思っていたら半ば実話だそうですから、これもまたすごいです。



ここからは、個人的な感想です。

  • トイレ問題で悩んでいたキャサリンの静かな怒りを知った本部長ハリソンが、白人用と有色人種用に分けられたトイレの標識をたたき壊す場面は、思わず涙が出ました。月へ人類を送ろうと考えているハリソンにとって、人種的偏見や差別は、怒り以外の何ものでもなかったのでしょう。
  • IBMのメインフレームのお守り役で付いてきた技術者たちは、実際の業務には何の役にも立たない。それまで計算の実務に携わってきた黒人女性たちがプログラマとなって働くことによって、初めてコンピュータがその力を発揮するようになります。一人ではとてもこなせない、30人の部下(仲間)の協力がなければ遂行できないという判断は、実際に実務を管理監督していたドロシーだからできる判断でした。同時にそれは、キャサリンなど他の部局で働く計算手の仕事を奪うことになっていくのです。
  • 邦題の「ドリーム」は毒にも薬にもならない代物ですが、原題の「Hidden Figures」のほうは、「隠された人たち」を意味するとともに「隠された数値」をも意味するのかもしれません。周回軌道から地球へ帰還するためのパラメータ値、あるいは着水地点を表す緯度経度の値、などでしょうか。
  • 有人宇宙飛行の光の面に貢献したプログラムと計算技術は、同時に軍事技術としても画期的なフィードバックとなったことでしょう。その点では、光が強ければ強いほど影もまた同程度に暗いという宿命をもっているのかもしれません。

映画化にともなう単純化の結果、一部事実と異なった部分もあり、また例えばアウシュヴィッツで家族を失い、今アメリカで働く男の信念など、もう少し掘り下げてほしかった面もありますが、良い映画でした。おもしろかったし、見終えた後の感動も大きいものでした。この原作があれば、ぜひ読んでみたいものです。

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DVDで映画「バベットの晩餐会」を観る

2017年08月25日 06時03分07秒 | 映画TVドラマ
先の週末、雨降りのお天気により室内生活となりましたので、しばらく前に入手していたDVDで、映画「バベットの晩餐会」(*1)を観ました。この作品は、1987(昭和62)年に公開されたデンマーク映画で、イサク・ディーネセンの小説を原作として映画化されたものだそうです。

19世紀、デンマークの辺境に一人の老牧師と二人の娘が生活しています。牧師は清貧の中に信念を持って生活していますが、それは姉妹が娘らしいロマンスを頑なに拒絶する生き方をもたらすことになります。姉のマチーヌに求愛した若い士官ローレンスは村を去り、軍務に没頭することとなりますし、賛美歌を歌う妹フィリッパに歌の才能を見出したフランス人歌手アシーユ・パパンもまた、歌のレッスンを通して誘惑のような求愛をしますが、これまた突然の拒絶にあって故国に帰ります。

人生の春を信仰と奉仕に捧げたまま、父である老牧師を亡くし、年老いてゆく姉妹のもとに、パリ・コミューンの際に革命政府側にいた夫と息子を失った女性バベットが亡命してきます。それは、フィリッパに縁があった歌手アシーユ・パパンの紹介によるものでした。バベットは、老姉妹のもとで家政婦として料理や家事を担うようになりますが、それはあまり家事が得意ではなかった姉妹にとってプラスであっただけでなく、信仰の集会に集う村人たちにとっても、歓迎すべき変化でした。

やがて、14年の年月が流れます。マンネリ化による信仰心の衰えからか、村人の中に小さな諍いが表面化してきて、姉妹は心を痛めます。二人は、「天国に持っていけるものは、与えたものだけ」と説いた父・牧師の生誕百周年を記念したささやかな食事会を企画し、村人を招くことを思いつきます。バベットは、フランスの友人に頼んで買ってもらっていた富くじが当たって、一万フランの賞金を得ていましたが、おそらくはフランスに帰国するのだろうという予想に反して、自分のお金で祝いの晩餐会の料理を作らせて欲しいと願い出ます。八日間の休暇の後にやってきたのは、甥と二人で生きた海亀やウズラや牛の頭などを含む多量の食材を運んできたバベットでした。

生きた海亀を火であぶる悪夢を見てうなされた姉マチーヌは、村人に懸念を伝えます。魔女の饗宴に心を奪われないようにと、心を一つにした村人たちは、料理や食事について一切話題にしないことを申し合わせます。
一方、牧師を尊敬していたかつての士官ローレンスは、今は将軍となっていますが、人生の虚しさに悩んでおり、叔母とともに牧師の生誕百周年の晩餐会に参加することとなりますが、ワインや料理のあまりの美味しさに驚嘆します。それも当然で、バベットは実は……というお話です。



うーむ、実に観ごたえのあるいい話でした。大人の映画、ドラマです。こういう良質の映画を観ていると、思わず時間を忘れます。それなのに今のテレビドラマは…などという愚痴は言いますまい。キリストの最後の晩餐と同じ12人の来客に供する最高のフランス料理の数々を作るという奮闘の時間を終えたバベットが疲れ果ててうずくまる場面の矜持と孤独は、「芸術家は貧しくなることなどないのです」との言葉どおり、まさに芸術家の姿でしょう。

音楽も良かった。賛美歌も良かったし、アシーユ・パパンが妹フィリッパにレッスンする場面も、実はモーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」でドン・ジョヴァンニがツェルリーナを誘惑する場面でしたが、これもほんとに良かった。

たぶん、原作はもう少し違った側面を持ち、違った味わいの作品なのだろうとは思いますが、こうした形で映画化されるのを見ると、これはこれで優れた映像作品ではないのかと感じます。機会があれば、原作も読んでみたいものです。

(*1):映画「バベットの晩餐会」オフィシャルサイト
【予告】バベットの晩餐会


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しまった!見逃した!!

2017年06月04日 06時02分09秒 | 映画TVドラマ
先月の山響第261回定期演奏会の際にお知らせがあった、SAY(さくらんぼTV)のドキュメンタリー番組(*1)ですが、放送日が6月2日だったようで、見逃してしまいました。「山形交響楽団の活動を長期にわたり追った番組」ということで興味を持っていたのですが、なにせふだん全くテレビを観ないもので、後の祭りでした(T-T)
なに、そのうち年末年始あたりに再放送があるかもしれません。それを期待して待つことにしましょう。

それよりも、本日は午後から山響第262回定期演奏会の予定です。「世界屈指の名匠が奏でる抒情と気品に満ちた響き」と題して、シトコヴェツキーさんの指揮とヴァイオリンによる次のようなプログラム。

  1. レスピーギ/リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲 P.172
  2. ストラヴィンスキー/バレエ音楽「プルチネルラ」組曲
  3. ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
     ドミトリー・シトコヴェツキー(指揮・Vn)、山形交響楽団

楽しみです。

(*1):山響第261回定期演奏会でモーツァルト、ベートーベン、ブラームスを聴く~「電網郊外散歩道」2017年5月

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映画「シン・ゴジラ」を観る

2016年08月21日 06時03分14秒 | 映画TVドラマ
過日、映画「シン・ゴジラ」を観て来ました。「ゴジラ」といえば、小学生の頃、体育館で行われた映画教室で観た白黒の映像が怖かったという記憶が強く残り、夢にまで出てうなされたことも数知れず。その後、数多く作られたゴジラ映画では、ゴジラが「シェー」をするなどというふざけた演出が多く、単なる怪獣バトルにも違和感があって、「卒業」しておりました。アメリカ映画で作られた「ゴジラ」も、「ジュラシック・パーク」の影響か、生物としての生々しさや多数の卵を産みつける繁殖の恐怖などは理解できるものの、初代ゴジラのテーマ性~核と放射能の恐怖から遠ざかっている点は今ひとつと感じられました。

で、今回の「シン・ゴジラ」は?
なかなかおもしろく、楽しめました。とくに、未知の災害発生の際の国家的な対応をシミュレートしているところ、内閣官房や各省庁の合同会議等、やけにリアルです。洋画であれば、スーパー優秀な幾人かの関係者(個人)の動きで単純に描かれるところですが、関連する多方面にわたり対応することを余儀なくされる点を、会議の人数で表しています。あれは、絵空事ではないリアルさだと思います。おそらくこのあたりは、単純な怪獣映画のファンは退屈するところだと思いますが、東日本大震災など大規模な災害への対応を経験した者として、見過ごせない点です。

いくつか、ツッコミどころも感じました。例えば、強烈なエネルギーを発した後に、エネルギーがたまるまで一休みするという想定は、むしろスマホ等の充電池のイメージで、海底に投棄された放射性廃棄物を食って進化した、原子力をエネルギー源とする怪獣のイメージとはいささか異なります。原子力なら、原潜と同様に、休みなく動き回ることができるでしょうから。

でも、怖さ、不気味さは充分に伝わります。黒いゴーヤみたいな質感の肌荒れ皮膚の下に、赤い光が血管のように見えています。あれが大画面いっぱいに広がると、本当にすごい迫力です。また、転倒したゴジラの口の中に、クレーン車で血液凝固剤や特殊微生物を注入するところは、まさに福島第一原発のイメージと重なります。この映画が、「フクシマ」以後に作られたことを如実に感じさせる場面です。

また、物語の始めの方で登場し、後にゴジラ対策のヒントを与えてくれる孤高の偏屈科学者・牧教授は、なぜゴジラの細胞膜の何かの分子構造を知っていたのだろう? ゴジラの細胞のサンプルがなければ、あの分子構造は知りえないはず。ゴジラ登場以前にゴジラの細胞膜の秘密を知っていたとすれば、タイムスリップでも想定しないと無理なのではなかろうか(^o^)/



映画館では、パンフレットが売り切れていました。人気もあり、観客動員も相当の数になっている模様です。初代と同様に、原子力や放射能との関わりを深めた「シン・ゴジラ」は、先祖返りの映画であると同時に、まさに「フクシマ」を経験した現代の物語であると感じます。

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映画「殿、利息でござる」を観る

2016年05月29日 09時59分27秒 | 映画TVドラマ
久しぶりに上天気となった土曜日、早朝から週末農業に精を出し、暑い日中は母屋の整理をしました。預けていた家具が金曜日には戻って来て、ガランとしたリビングが多少は住まいらしくなってきています。

そんなこんなでくたびれたので、夕食後には妻と映画を観に出かけました。磯田道史著『無私の日本人』(*1)より「穀田屋十三郎」を原作とする映画、「殿、利息でござる」(*2)です。

描き方としては、基本的にはコメディですが、逆説を強調する面があり、浪花節に近いところもあります。とくに浅野屋の真相は、まさに浪花節。これは、原作がそういう面がありますのでしかたがないのでしょう。また、百年に一人と言われる能吏、萱場杢の冷徹さは秀逸で、「利息を取る側に回るか、取られる側に回るかだ」という区分けをするところなどは、金融の本質を突いています。

もう一つの見どころは、フィギュアスケートの羽生結弦クンの出番ですが、なかなか颯爽とした殿様ぶりで、予想以上に好印象でした。やっぱり「華がある」というのはこういうのを言うのだろうなあ。ただし、元弓道経験者として見れば、武家の所作としてはやや優雅に過ぎ、立ち居振る舞いがもう少し直線的でも良かったかな、とは感じましたが。

(*1):磯田道史『無私の日本人』を読む~「電網郊外散歩道」2015年7月
(*2):『殿、利息でござる』公式サイト
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映画「殿、利息でござる」が楽しみ

2016年03月08日 06時05分30秒 | 映画TVドラマ
磯田道史著『無私の日本人』より「穀田屋十三郎」を原作とする映画が作られているそうです。なんでも、若殿をフィギュア・スケートの羽生結弦クンが演じるという話題性もさることながら、『武士の家計簿』に続き、おもしろい映画になりそうと期待が大きいです。2016年5月14日封切予定とか。近くの映画館では、いつ頃からの上映になるのだろう? 興味津々です。

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映画「杉原千畝」を観る

2015年12月31日 06時03分06秒 | 映画TVドラマ
たまたま休みが取れたクリスマス・イブの午後に、妻と二人で映画を観て来ました。今回は、チェリン・グラック監督による「杉原千畝」です。「激動の第二次世界大戦下、日本政府に背き命のヴィザを発行しつづけ、6000人にのぼるユダヤ難民を救った男の真実の物語」というコピーは、物語を端的に要約していると言ってよいでしょう。白石仁章著の原作『杉原千畝~情報に賭けた外交官』を少し前に読んだ(*1)ところでしたので、タイミングの良い鑑賞となりました。



杉原千畝の決断が、国際的な視野で見たときに、人道的な行為として高く評価されることはその通りですが、この映画では原作と同様に、外交官が諜報という任務も負っていることを描きます。それは、ロシア革命によってハルビンに逃れてきた白系ロシア人社会に接近し、情報を集め、ソビエト連邦と満州国との間の北満鉄道買収交渉を有利に進めることになる一連の経過に表されています。杉原の協力者として働いたイリーナという女性は、はじめは彼の最初の妻のクラウディアのことかと思っていましたが、どやらそうではないらしい。おそらくは、時間の枠の中にコンパクトに収めなければならない映画的制約に従って、前妻の存在をカットし、その代わりにイリーナという女性協力者に投影したものでしょう。

北満鉄道買収交渉で名をあげすぎたために、杉原はソ連政府から「ペルソナ・ノン・グラータ」(好ましからざる人物)との烙印を押され、外交官として入国することを拒否されてしまいます。結果的に、そのことが杉原千畝一家がリトアニアのカウナスに赴任することとなります。当時リトアニアには日本人は在住せず、領事館の開設は明らかに情報収集が目的です。そこで千畝に接触して来たのが、ポーランドの情報将校の一人である愛称「ペシュ」でした。これがなかなかの名優で、陽気な表情でやることはやる、という役を見事に演じ、もう大拍手です。

ナチス・ドイツを横目に見ながらソ連を注視する杉原は、ドイツとソ連との密約に気づき、やがてリトアニアもソ連軍によって占領されると予想します。ナチス・ドイツに追われてポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人たちは、次々に閉鎖される各国大使館の状況を見て、日本の領事館に集まってきます。そこで主人公が葛藤するところはドラマとしての山場なのでしょうが、むしろ祖父と孫が体験した、ナチス・ドイツの残虐性を示す場面の印象が強烈! こうした恐怖を経て逃れてきたカウナスで、もう逃げる場がないという絶望の中に一筋の光明が見える……それを示してくれたのは、オランダ領事のヤンと日本人「センポ・スギハァラ」と言いました。

映画のはじめの方で、外務省に杉原千畝の情報を求めてやってくるかつてのユダヤ人難民のリーダーの姿が描かれますが、同時にこの映画では、日本に渡航する際にJTBの職員が天草丸への乗船許可を決断するなど、1人だけでなく他にも少なからぬ日本人が関わっていたことをも、客観的に描いており、杉原千畝という例外的な一個人の美談にはしていません。このあたりも、冷静な大人の描き方で、好ましく感じるところです。

(*1):白石仁章『杉原千畝~情報に賭けた外交官』を読む~「電網郊外散歩道」2015年10月

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映画「いしゃ先生」の先行上映を観る

2015年11月29日 06時03分15秒 | 映画TVドラマ
11月より山形県で先行上映が始まった映画「いしゃ先生」(*1)を観て来ました。戦前から戦後にかけて、山形県の無医村で、村長をしていた父の頼みで若い女医が故郷で医者として奮闘する話で、高橋義夫『風吹峠』(*2)と同じく、実在の人物・志田周子(ちかこ)を描いた映画です。

昭和10年、東京女子医専を卒業して二年、研修中の女医の志田周子は、父からの電報で急ぎ帰郷します。周子が生まれ育った故郷は、山形県西村山郡大井沢村。久しぶりの実家では、幼い弟たちや母の手料理に迎えられますが、父の用件は重大なものでした。実際に母を亡くした経験を持つ父・荘次郎は、大井沢村が無医村という状況から脱することを願い、村の診療所を設立し、娘の周子をその医師として迎えたいというのです。はじめは固辞した周子も、三年だけという約束で診療所を引き受けますが、村人たちの信頼を得るまでには、まだまだ困難な道のりがありました。貧しさ、無知・無理解。戦前の僻地には、女性であるというだけで偏見にさらされる状況がありました。そして、たった一人の医師という立場はプライベートな恋愛もままならず、東京の恋人との別離も味わいます。



主演の平山あやさんは、晩年の周子の写真とイメージが重なるときもありました。左沢の旧家に生まれ、教師として大井沢村に赴任する中で、その村の向上のために努力し、村長にまでなった父親の、その理想に殉じたような娘の一生。脚本を書いた、尾花沢市生まれのあべ美佳さん(*3)も、もしかしたら深いところでそうした周子の境遇に理解と共感を示したのかもしれません。

また、周子がモンブランの万年筆で恋人に手紙を書きますが、それが左利きであったり、冬場には毛皮の襟巻きをしていたり、昭和のテイストを感じさせる洋服のデザインなども、関係者の記憶や写真などを丹念に取材したもののようです。高橋義夫さんの『風吹峠』とはまた違った、若い女性らしい視点が新鮮な脚本であり、それをうまく生かした永江二朗監督の映画と感じました。

脇役の中では、診療所の助手となった幸子役の上野優華さんが良かった。「あたし、バカだけど」と周子の健康を案じる場面は、思いが伝わり秀逸でした。

映像の中に、今は山形弦楽四重奏団の定期演奏会等の会場で、文翔館議場ホールとよばれ親しまれている旧県会議事堂において、周子が東北初の保健文化賞を受賞する場面がありました。ああ、ここで実際に授賞式が行われたのだなと、思わず感慨に浸りました。いい映画でした。

(*1):映画「いしゃ先生」公式サイト
(*2):高橋義夫『風吹峠』を読む~「電網郊外散歩道」2009年12月
(*3):あべ美佳さんのこと~Wikipediaの解説

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テレビで「山響スペシャルコンサート」を観る

2015年11月03日 06時04分17秒 | 映画TVドラマ
去る11月1日(日)、野暮用で出かけなければいけない時刻が迫っていましたが、山形放送(YBC-TV)で過日の「山響スペシャルコンサート」の番組を、途中まで観ました。さらに、娘が録画してくれていたので、後半も全部観ることができました。この10月の、山形国際ドキュメンタリー音楽祭を記念した演奏会(*1)の記録です。およそ一時間の番組は、当日のプログラムを抜粋するとともに、山響のふだんの活動をも紹介するもので、定期演奏会以外はなかなか接することの少ない、小中学校でのスクールコンサートの様子なども取材したものです。



スッペ「軽騎兵」序曲に始まり、永田美穂(Pf)さんを独奏者に迎えたモーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」第1楽章、民謡と演歌歌手の工藤あやのさんとの「最上川舟唄」「花笠音頭」、オーボエのホセ・リカルド・カスタニェーダさんとのモーツァルト「オーボエ協奏曲」第1楽章、山響アマデウスコアが加わって「ふるさと」やシベリウスの「フィンランディア」合唱付きバージョンの演奏など、本番当日のエッセンスを堪能することができました。





残念なのは、我が家のテレビの音声ではホールに響き渡るオーケストラや合唱の素晴らしい音が再現できないこと。でも、さすがに山響を何十年も取材してきている山形放送のテレビスタッフは、コンパクトに要領良く番組をまとめ上げていました。考えてみれば、NHK-TVの「オーケストラの森」で山響を紹介した時も、実際の撮影では在京のスタッフが来県して担当したと聞いています(*2)。地方の民放テレビ局で、クラシック音楽の演奏会で、その曲にふさわしいカメラワークや音響など番組制作の力と経験を持っているところはそう多くないはずです。このように、一般の視聴者にも楽しめる内容になっているところは、立派だと感じます。娘に録画してもらったDVDは、大事に保存しておくことにしましょう。

(*1):山響スペシャルコンサートを聴く~「電網郊外散歩道」2015年10月
(*2):オーケストラの森「山形交響楽団」でマーラーの4番を聴く~「電網郊外散歩道」2006年10月

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