電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

チャップリンの映画「街の灯」を観て昔の記憶違いを知る

2019年12月08日 06時01分40秒 | 映画TVドラマ
DVDで、チャップリンの無声映画「街の灯」を観ました。学生時代以来、約半世紀ぶりです。あらためて、実に濃密な名作と感じました。あらすじは今さら説明も不要でしょうが、要するに浮浪者チャーリーが盲目の花売り娘と知り会い、やや人格破綻の金持ちの知遇を得て、娘のために一肌脱ごうと奮闘するドタバタ喜劇が、強盗と間違われて刑務所に入るはめになります。チャーリーが出所したところで、彼からもらったお金で貧困を脱し、手術で視力も回復した娘と再開する話です。

YouTube にあった音楽付き超ダイジェスト版で全編をおさらい;
街の灯 チャップリン/愛のテーマ ニューシネマパラダイス(サントラ完全版)


今回、あらためて感じたことをいくつか挙げてみると:

  • 若い娘が花を売っていると、チャーリーのように買ってくれる人もいるけれど、交代してくれたおばあさんには誰もふりむいてさえくれないという残酷な真実。うーむ、中高年になると、こういう短いシーンが突き刺さるようです。このへんが、「ライムライト」につながっていくのかな。
  • 刑務所から出てきたチャーリーが街を歩き、ショーウィンドウを眺めていたお店は、「Music Store」でした。チャップリンがまだ若く、貧困にあえいでいた頃の、楽器や楽器店への憧れを表しているシーンでしょうか。その後、チェロをたしなみ、音楽の才能を示したことなどから、つい、そんな想像をしてしまいます。
  • 最後の有名なシーン、「You ?」(チャーリーがうなずき)、「You can see now ?」「Yes, I can see now.」 これは、なんとも絶妙のシーンです。ペーソスがただよいます。そうだよね〜、人生って、こんな感じだよね〜、って(^o^;)>


学生時代にはじめてこの映画を観たときは、祖母が30代で失明し、全盲の困難な生活をおくる中で子供時代を過ごしましたので、絵空事と思えず感動した記憶があります。たぶんそのせいだと思いますが、花売り娘が手術後に目が見えるようになる場面で、モノクロの画面がカラーになるというシーンがあったような気がしたのでした。全編を見通しましたが、残念ながらそんなシーンはなく、おそらくは「そういう場面があったら良いのに」という願望が、そのような誤った記憶になって残ってしまったのでしょう。でも、ほんとに味がある、いい映画です。

最後はまた音楽で。マンドリン・オーケストラの演奏です。
映画「街の灯」よりラ・ヴィオレテラ (すみれの花売り娘) La Violetera : ホセ・パディーヤ・サンチェス José Padilla Sanchez


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映画「決算! 忠臣蔵」を観る

2019年12月04日 06時03分22秒 | 映画TVドラマ
月末の土曜の午後、買物がてら妻と一緒に映画を観て来ました。話題の『決算!忠臣蔵』です。もう師走、タイムリーな時節柄、しかし内容は仇討とは程遠いものです。女好きでお調子者で「でくのぼう」と名高い大石内蔵助、幼なじみの勘定方・矢頭長助の奮闘で赤穂城を明け渡し、主戦論者たちを抑えながら主君の一周忌を済ませますが、事態は「そんな馬鹿な!」の方向に転がり、ついに仇討ちを決意します。ですが、その頃には資金は底が見えてきていました。赤穂浪士の生活費、討ち入りの武具の費用など、一回限りのチャンスを活かさなければなりません。大高源吾のもたらした吉良の在宅日の情報は、予算内で決行できる、重要なものでした。



忠臣蔵といえば「情の世界」になるのが定番で、そこに予算や経理をもってきたところが新鮮です。むしろ、主知主義的すぎるほどにクールな視点を貫きます。根っからの経理マンから見ると、「忠臣蔵」はこんなふうに見えるのかも。ゲラゲラ笑うような場面はあまりなかったみたいで、むしろ呆れてしまう場面が多かったように思います。何時の時代も、威勢のいい主戦論者たちは、予算や経理なんぞを考えていないものなのかもしれません。

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映画『閉鎖病棟〜それぞれの朝〜』を観る

2019年11月17日 06時03分31秒 | 映画TVドラマ
帚木蓬生原作の映画『閉鎖病棟〜それぞれの朝〜』(*1)を観てきました。以前、ラジオ文芸館で同氏の作品「かがやき」の朗読を聴き(*2)、収録された本を探しているうちに『風花病棟』(*3)や『閉鎖病棟』(*4)を読み、感銘を受けたものです。今年になって映画化されているのを知り、公開を楽しみにしておりましたので、当地での上映に都合を合わせて早速でかけた次第。

映画は、私にとってはテレビ「家族に乾杯」でおなじみの笑福亭鶴瓶が演じる梶木秀丸こと秀さんが、死刑執行後に蘇生してしまい、車いすの身となって精神病院で暮らしているところから始まります。舞台となった精神病院での日常生活が描かれますが、サラリーマンだったがストレスから統合失調症になり幻覚や幻聴に悩まされ暴れだすようになって、家族から疎まれて入院させられたチュウさん(塚本中弥:綾野剛)を妹夫婦は厄介視しているなど、それぞれに精神に障碍(がい)と身の上によんどころない事情を抱えながらも、基本的には善良な人たちです。けれども、いかにも幸福そうな上機嫌を振りまいていた年配の婦人・石田サナエの孤独な死や、赤と白の手旗信号で「ハヤク イエニ カエリタイ」と繰り返す若者など、行き場がないという点では、地域社会に開放されてはいるけれど、やはりある意味「閉鎖された病棟」とも言えるのかもしれません。

そこにやってくる18歳の少女・島崎由紀は、義理の父に暴行され、妊娠しています。心を閉ざしたまま、隙を見て屋上から飛び降りて自殺を図るのですが、生け垣にひっかかり、嬰児は死亡、本人は生還してしまいます。家に帰れない由紀は、病院の中で秀さんやチュウさんなど周りの人たちと静かに暮らすうちに、しだいに生きる元気を取り戻していきます。

ところが、凶悪犯罪を犯した重宗という札付きの悪党が、牢屋の代わりに精神障害者を装って病院に送り込まれ、皆に嫌われるだけでなく、よりによって由紀を暴行し立ち直れないほどに心身ともに傷つけるのですが、本人はふてぶてしく居座っているのです。かつて死刑判決を受け、死ねなかった秀さんは、この男を排除することを決意、自らの死刑を覚悟のうえで、車いすと侮った重宗を殺害します。

この事件の公判に、傍聴に出かけたチュウさんの前に現れたのは、被告側の証人として証言台の前に立つ、今は看護見習いとして働いている20歳の由紀でした。秀さんに「生きてほしい」と伝える由紀の姿を、チュウさんも、患者の代表を引率した井波看護師長も、じっと見つめます。



原作とは時代背景が異なり、映画のほうでは戦後の時代性が後退して、現代らしい要素が取り入れられていますが、作品に込められたメッセージはおおむね忠実(*5)であると感じます。原作に負けない、優れた脚本であると言えましょう。例えば、チュウさんの妹夫婦が、ボケてきた母親を施設に入れ、自分たちが自宅を処分してマンションを建てるからと同意書に署名を迫りますが、実際は精神疾患をわずらい障碍者となった兄を厄介視しているのです。家族の面会に同席する井波看護師長の言葉は、短いですが痛烈で、正しく、重い。これが本当だと思います。

ほんとうに心に残る、いい映画でした。この映画についてあれこれ検索していたら、昔、冤罪によって難儀された村木厚子さんと原作者の帚木蓬生氏と平山秀幸監督が対談している動画を見つけました。これも興味深いものでした。

11月1日(金)公開『閉鎖病棟―それぞれの朝―』座談会―生きづらさを抱える人たちへ


(*1):映画『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』公式サイト
(*2):ラジオ文芸館「かがやく」を聴く~「電網郊外散歩道」2015年9月
(*3):帚木蓬生『風花病棟』を読む~「電網郊外散歩道」2015年11月
(*4):帚木蓬生『閉鎖病棟』を読む~「電網郊外散歩道」2016年4月
(*5):原作よりも後退してるかもと思えるのは、警察・検察が凶悪犯を安易に精神病院に送り込んで牢屋の代わりにしているのではないかという、精神科医の立場からの問題提起の面でしょうか。ただし、映画の時間枠に収めて娯楽作品として成立させるには仕方がない、という面もあるのでしょう。

【追記】
「由紀ちゃん」と呼んでいたので、原作どおり「島崎由紀子」なのかなと思っていたら、脚本では2006〜2008年頃という想定に合わせ、「由紀」という名前にしているのだそうです。本文中の名前を訂正しました。最近は「子」のつく名前が珍しくなっているからなあ(^o^;)>

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映画「引っ越し大名」を観る

2019年09月04日 06時00分53秒 | 映画TVドラマ
先日の雨降りは天の配剤で、桃の収穫を休みにして何をしていたかといえば、妻と映画を観にでかけておりました。以前の「超高速!参勤交代」(*1)に味をしめて、映画「引っ越し大名」です。

江戸城において、藩主の松平直矩が柳沢吉保をはねつけたばかりに、姫路から豊後国日田へとお国替えになります。総勢10,000人、距離600km、予算はほぼないといってよい難事業で、引っこし奉行に抜擢されたのは御書物番の引き籠もり侍である片桐春之介。豪快な幼なじみで武術の達人でもある鷹村源右衛門や、前任の引越奉行の娘で今風に下世話に言えば「子持ちバツイチ」の於蘭などの助けを得て、このプロジェクトに挑みます。

いかにも体育会系の鷹村源右衛門が大暴れするチャンバラ場面も痛快でしたが、一方で今風に言えば本社の命を受けて事業所が縮小移転する話です。金策とコストカットだけではすまず、リストラにも大鉈を振るわなければなりません。このリストラ関連では、帰農を命じた方も命じられた方も、それぞれの思いと流れた時間の積み重ねがありました。思わずうるうるしてしまいました。



ところで「女抜きで引越ができるとお思いですか?!」のセリフは体験で痛感しております。二度の単身赴任を含め、これまで何度かの引越には、妻と娘の多大なる協力がありました。ここに深甚なる感謝を…えっ、何を今頃? ご尤もで(^o^;)>poripori
いや、久々に楽しくおもしろい映画を観ました(^o^)/

(*1):映画「超高速!参勤交代」を観る〜「電網郊外散歩道」2014年8月
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映画「ある町の高い煙突」を観る

2019年06月27日 06時03分28秒 | 映画TVドラマ
東日本大震災に伴う福島第一原発の事故をきっかけに、新田次郎の原作で『ある町の高い煙突』を再読し(*1)、また映画化されることを知りました(*2)。この映画がいよいよ当地でも公開されることになり、先日、観てきました。原作をおおむね踏襲した脚本で、好感が持てる出来栄えかと思います。物語を時間内におさめるために払わなければならなかった単純化の犠牲はありましたが、大煙突が完成し煙を吐き出す場面では、じんわりと感動しました。いい映画でした。


(画像をクリックすると公式サイトに飛びます。)

とはいうものの、原作のファンとしては、ストーリーの単純化のためにはらわれた犠牲を惜しむ気持ちも強いものがあります。例えば関根家の跡取り娘で三郎の許嫁である「みよ」の割愛です。加屋淳平の妹の千穂との悲恋をクローズアップするためには、みよさんの存在が邪魔になるということでしょうが、それでは村の青年たちの内部対立で窮地に立った三郎を助けるために、みよが薙刀を持ち馬に乗って駆けつけるというカッコイイ場面が見られないではないですか(^o^)/

まあ、そこは新装復刊されている原作本を読んでお楽しみいただくこととして、映画は映画として受け取るべきでしょう(^o^)/

(*1):新田次郎『ある町の高い煙突』を読む〜「電網郊外散歩道」2011年9月
(*2):新田次郎『ある町の高い煙突」が新装復刊され、映画化もされているらしい〜「電網郊外散歩道」2018年8月

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映画「ビリーブ 未來への大逆転」を観る

2019年05月22日 06時04分13秒 | 映画TVドラマ
全国的に雨降りで、畑仕事はお休み。妻と映画を見に出かけました。「ビリーブ 未來への大逆転」(*1)です。

私が10代の頃、米国では公民権運動やベトナム反戦運動が盛んでした。この映画は、その頃の実話をもとにしているのだそうです。脚本は、2010年、ルースの夫マーティンの葬儀の際に送られた弔辞の内容に興味を持った実の甥が、「スーパーおばさん」の若い頃の訴訟記録をもとに書き上げたものらしい。公式サイトによれば、こうです。

時は1970年代、アメリカ。女性が職に就くのが難しく、自分の名前でクレジットカードさえ作れなかった時代に、弁護士ルース・ギンズバーグが勝利した、史上初の〈男女平等〉裁判。なぜ、彼女は法の専門家たちに〈100%負ける〉と断言された上訴に踏み切ったのか?そして、どうやって〈大逆転〉を成し遂げたのか?
ルースを演じるのは、『博士と彼女のセオリー』でアカデミー賞®にノミネートされたフェリシティ・ジョーンズ。彼女を信じ、支え続けた夫のマーティンには『君の名前で僕を呼んで』のアーミー・ハマー。さらに、『ミザリー』のオスカー女優キャシー・ベイツが伝説の弁護士役で出演。貧しさと差別をバネに、弱い立場の人々と手を組んで、権力に立ち向かうルースの逆転劇に、心の拳を高く振り上げずにはいられない。

貧しいユダヤ人家庭に生まれたルース・ギンズバーグは、「すべてに疑問を持て」という亡き母の言葉を胸に努力を重ね、名門ハーバード法科大学院に入学する。1956年当時、500人の生徒のうち女性は9人で、女子トイレすらなかった。家事も育児も分担する夫のマーティンの協力のもと首席で卒業するが、女だからというだけで雇ってくれる法律事務所はなかった。やむなく大学教授になったルースは、70年代になってさらに男女平等の講義に力を入れる。それでも弁護士の夢を捨てられないルースに、マーティンがある訴訟の記録を見せる。ルースはその訴訟が、歴史を変える裁判になることを信じ、自ら弁護を買って出るのだが──。

たしかに、大きな、歴史的な法廷逆転劇です。

むしろ、当方が心を動かされたのは、頑固で気難しい母親を介護する独身の男性が、男性には介護補助者を雇う費用が控除されないという当時の税法の矛盾を一身に引き受けているところ。実際の税の控除額はわずかかもしれないけれど、法が「親を介護する男性は助けない」と宣言しているようなもので、老老介護の高齢社会に突入した現代に意味するところは大きい。

夫マーティンや娘に支えられながら法廷に立ったルース・ギンズバーグの弁論は、前半は判事に押されっぱなしですが、後半は技術的各論ではなく、批判された「ラディカルな社会変革」という言葉を手がかりとし、歴史的見地に立った訴えが見事です。見事なスピーチと感じました。



主題歌とは別に、劇中の音楽の取り入れ方が印象的。LPで「フィガロの結婚」序曲が流れますが、これは当時の貴族社会への風刺をオペラ化したモーツァルトの意味を象徴するものかも。また、壁にはヴェルディの歌劇「アイーダ」のポスターらしきものがちらりと見えました。

(*1):映画「ビリーブ 未來への大逆転」公式サイト

※公式サイトのスクリーンショットを貼り付けようかとも思いましたが、肖像権だとか色々とうるさそうで、大人の判断でやめました。代わりに、季節の花を。

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映画「グリーンブック」を観る

2019年03月27日 06時01分07秒 | 映画TVドラマ
先の日曜日は、お天気に恵まれず農作業日和ではなかったため、午後から映画館に出かけ、妻と映画を観ました。子どもが「良かった」と言っていた映画「グリーンブック」です。

ニューヨークのナイトクラブで用心棒を務めるイタリア系のトニーは、勤め先を失い、金に困って大食い競争で金を稼いだりしています。そこへ、南部への演奏旅行の運転手の仕事が舞い込みますが、雇い主はカーネギー・ホールの上階に住む貴族的上品さを保つ黒人ピアニスト、ドクター・シャーリーでした。

1960年代初頭、出かけた先々の南部の人種差別は露骨でひどいもので、ピアニストを有名人として紹介されながら、控室は物置のようなところで、レストランでは白人と同席することは許されません。黒人が宿泊可能なホテル等、旅のガイドブック「グリーンブック」をもとに宿を手配するトニーは、自分も「イタリア野郎」と蔑まれたときには、怒りを爆発させます。警官を殴って留置場に入れられたトニーの巻き添えを食らい、一緒に留置されてしまった雇い主が電話で助けを求めた先は、なんとロバート・ケネディ司法長官。そりゃあ、警察はびっくりしたことでしょう(^o^)/

映画『グリーンブック』予告編


なかなか良かった。同じ1960年代に、NASAで計算手として働いていた黒人女性を描いた映画「ドリーム」(*1)も良かったけれど、今回の音楽家の物語も良かった。それほど遠くない過去から、まがりなりにも人種差別が不当だとされる社会を少しずつ実現してきた背景には、愛や幸福とともに、平等に扱われることを願った先人のこうした苦闘があったからなのでしょう。音楽を演奏するシーンは断片的で、もっとじっくり聴きたいと思ってしまったけれど、笑いの中で励まされ、勇気づけられるような映画でした。

(*1):映画「ドリーム」を観る〜「電網郊外散歩道」2017年11月

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NHK正月時代劇「家康、江戸を建てる」を観る

2019年01月04日 06時03分34秒 | 映画TVドラマ
先頃、門井慶喜著『家康、江戸を建てる!』を読んだ際に、NHKが2晩の正月時代劇を放送することを知りました。正月2日と3日の夜、珍しく夜九時からのテレビドラマを観ました。前編は「水を制す」、後編は「金貨の町」というもので、前編は原作の第3話「飲水を引く」を中心にして第1話「流れを変える」の要素を加えたもので、後編は原作の第2話「金貨を延べる」を中心にしたものでした。テレビ的なホームドラマ風脚色や、大久保長安のような悪役を仕立て社内抗争風にしたところなど、思わず苦笑いする場面もあったのですが、なかなか面白く楽しみました。



本当は、もう少し利根川東遷の事業、特に河川の流れが変わる圧倒的な場面のロケを期待したのでしたが、さすがのNHKもそこまでの土木事業は組めなかったようで、大規模工事の場面を扱うドラマの難しさかもしれません。

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新田次郎『ある町の高い煙突』が新装復刊され、映画化もされているらしい

2018年08月18日 06時08分43秒 | 映画TVドラマ
最近の当ブログへのアクセス解析を見ると、新田次郎著『ある町の高い煙突』の記事(*1)へのアクセスがやけに多くなっています。時間帯によっては、トップページのアクセスを上回るほどです。夏休みもそろそろ終盤に入り、もしかしたら読書感想文の課題にでもなっているのかと思いましたら、どうやら今年の春に文春文庫で復刊されている(*2)だけでなく、映画化も進行している(*3)らしい。2019年春に封切り予定のようで、これは楽しみです。

(*1):新田次郎『ある町の高い煙突』を読む〜「電網郊外散歩道」2011年9月
(*2):文春文庫『ある町の高い煙突』〜文藝春秋BOOKS
(*3):映画「ある町の高い煙突」公式ホームページ【公式】映画「ある町の高い煙突」Twitter

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今夜のEテレがおもしろそう

2018年07月31日 17時38分33秒 | 映画TVドラマ
お昼のテレビで知りましたが、今夜10時から、Eテレの「知恵泉」という番組枠で、長井長義を紹介する番組が放送されるようです。曰く「人生を切り開く化学式"日本薬学の父"長井長義」というものです。

失敗しながら未知に挑め!明治期、本格的な化学を学び、日本に新たに“薬学”を根付かせた長井長義。女子教育の発展にも尽力し、人々に勇気を与えた先駆者の志に迫る。

当ブログでも「歴史技術科学」というカテゴリーで、長井長義ほか明治の国費留学生に触れるとともに、我が国初の女性帝大生の誕生との関わりなどをご紹介(*1〜3)しています。これは観たい。ぜひ観たい。興味深いです。

(*1):明治初期の留学生の行先〜「電網郊外散歩道」2015年2月
(*2):帝国大学に初めて女子が受験、入学する〜「電網郊外散歩道」2016年10月
(*3):帝国大学に入学した女性たち〜「電網郊外散歩道」2016年10月

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映画「万引き家族」を観る

2018年07月20日 06時03分39秒 | 映画TVドラマ
過日、妻と子どもと一緒に、「万引き家族」のレイトショーを観てきました。全く血縁のない五人が一つ屋根の下で暮らし、婆さんの年金を当てにしながら万引きや盗みを常習的に繰り返し、底辺での生活を営んでいるけれど、少なくともネグレクトや虐待などはない、方を寄せあい分けあって生きる様子を描きます。

この映画の受け止め方は、人によってずいぶん違ってくるのだろうと思います。ある人は情緒的な面から受け止めるでしょうし、またある人は根底に格差と貧困を見るでしょう。父親役の男性はなんとも甲斐性なしで、婆ちゃんが死んでも火葬にもできません。「スイミー」を愛する男の子も、どうやらパチンコ屋の駐車場で車内に放置され熱中症で死にかけていたところを、車上荒しのついでに助けられたらしい。この男の子の背景にも、貧困の連鎖がありそうです。でも、男の子が小学校に行っていないのは、義務教育を受けさせないという意味で、やっぱり一種の虐待でしょう。



「本当の親」という言葉がありますが、これは遺伝子の連続性に保証される血縁的な「本当」と、子どもを愛し可愛がる徳性面からみた「本当」の親という両面があります。血縁や法律的な家族関係はあっても虐待する親と、血縁・法的には無縁でも一緒に繋がり合って生きている親と、どちらが構成員にとって幸せなのだろう?たぶん、日本では血縁に根拠づけられた親権が強すぎるのかも。それと、「妹には教えるなよ」と諭した商店主のように、情が強くなりがちな家庭だけでなく、地域が理で子どもを育てるという面もあるのでしょう。

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映画「黄色いリボン」を観る

2018年04月25日 06時02分35秒 | 映画TVドラマ
先日、ぽっと空き時間ができましたので、古い映画DVDの中から、ジョン・フォード監督の「黄色いリボン」を観ました。ジョン・ウェインが退役間近な騎兵隊大尉ネイサンを演じ、最後の任務として隊長夫人とその姪オリヴィアを護衛するというものです。馬で行けば機動的なのに、幌馬車で荷物を運ばなければならず、移動は思うに任せません。行く手にバッファローの大群が見えた時、部下の一人は先住民たちが部族の垣根を超えて団結することを予想し、事実そのとおりになります。暗躍する白人の悪徳武器商人。争いは必至の情勢となりますが、任務に失敗したネイサン大尉は退役の日を迎えてしまいます。この後の急展開は、血を流さず抗争を無力化してしまうという意味では面白い解決で、「インディアン対騎兵隊の大決戦」みたいなスペクタクルにしていないところは好感が持てます。



全体として、いかにも「古き良き白人社会アメリカの常識」に折り合いをつけながら、公民権運動後の社会の風潮にも目配りをしました、といった印象を受けたのですが、実はそれよりもずっと以前の、1949年に制作されたものだそうです。ふーん、そうなのか。

そういえば、本作のヒロイン役オリヴィアが、鼻っ柱が強いけれど過ちを認めて素直に詫びる、典型的な良い子チャンで、なるほどこういう女性観が伝統的なアメリカの婦人像なのかと再認識しました。そうであれば、「マイ・フェア・レディ」の、教授の言いなりにはならないイライザの姿が、実に革命的なものだったのだなと納得できます。

そして、「黄色いリボン」の軽快な音楽は、中高年にはなにやら懐かしいものがあります(^o^;)>poripori



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映画『ドリーム』を観る

2017年11月13日 06時02分12秒 | 映画TVドラマ
これはぜひ観たいと思っていた映画『ドリーム』(原題:Hidden Figures)を観ました。数学の才能に恵まれたキャサリン、ドロシー、メアリーの三人の黒人女性が、1960年代のNASAで計算手として雇われています。スプートニクでソ連に先を越され、有人飛行でもガガーリンに敗れたアメリカは、NASAの中でも人種偏見と差別が横行していました。数学の天才的な才能を持つキャサリンは、軌道計算などの分野で本部長ハリソンに着目されるようになりますが、機密の奥には黒人女性用のトイレがないために、一日に何度も800m先にある有色人種用のトイレに行かなければなりません。コーヒーポットさえも白人用と黒人用が分けられるような職場で、キャサリンは正確かつ誠実に職務を果たし、類い希な才能を皆に認められていきます。

一方で、計算力に優れた黒人女性が集まっている西計算室を率いるドロシー・ヴォーンは、導入されたIBMのメインフレーム機を見て、自分たちの職場を確保する必要を感じ、FORTRAN言語の独習を始めます。IBMの技術者たちも、NASAの専門的計算の分野はお手上げで、メインフレーム機の能力を発揮するところまでには至りません。ドロシーの力を知ったIBMの技術者の推薦を受けて、ドロシーはコンピュータ室長を命じられるのですが、自分の仲間と一緒でなければ受けられないと一度は断ります。結局、ドロシーからFORTRANを学んでいた西計算室の30名の仲間たちが全員でプログラマーとしてコンピュータ室に異動することになります。このあたりの先見の明とリーダーシップが、ドロシーの魅力です。

メアリーは、耐熱壁に欠陥があることに気づいていますが、それを技術者として解決するには、大学に進むかまたは大学相当の科目を設けている高校で必要な科目を履修し、技術者として雇われる必要がありました。前例はありませんが、勇気を持って裁判所に申請を出し、判事に認められて高校の夜間課程に学ぶこととなります。他の二人に比較してエンジニアとしての仕事ぶりが描かれることは少なく、いささか物足りないのですが、この三人もまた、アメリカの宇宙開発を支えていたことは間違いないでしょう。そして、グレン中佐が乗り組んだフレンドシップ7号は打ち上げられます。お約束の危機とその解決は、できすぎた話だと思っていたら半ば実話だそうですから、これもまたすごいです。



ここからは、個人的な感想です。

  • トイレ問題で悩んでいたキャサリンの静かな怒りを知った本部長ハリソンが、白人用と有色人種用に分けられたトイレの標識をたたき壊す場面は、思わず涙が出ました。月へ人類を送ろうと考えているハリソンにとって、人種的偏見や差別は、怒り以外の何ものでもなかったのでしょう。
  • IBMのメインフレームのお守り役で付いてきた技術者たちは、実際の業務には何の役にも立たない。それまで計算の実務に携わってきた黒人女性たちがプログラマとなって働くことによって、初めてコンピュータがその力を発揮するようになります。一人ではとてもこなせない、30人の部下(仲間)の協力がなければ遂行できないという判断は、実際に実務を管理監督していたドロシーだからできる判断でした。同時にそれは、キャサリンなど他の部局で働く計算手の仕事を奪うことになっていくのです。
  • 邦題の「ドリーム」は毒にも薬にもならない代物ですが、原題の「Hidden Figures」のほうは、「隠された人たち」を意味するとともに「隠された数値」をも意味するのかもしれません。周回軌道から地球へ帰還するためのパラメータ値、あるいは着水地点を表す緯度経度の値、などでしょうか。
  • 有人宇宙飛行の光の面に貢献したプログラムと計算技術は、同時に軍事技術としても画期的なフィードバックとなったことでしょう。その点では、光が強ければ強いほど影もまた同程度に暗いという宿命をもっているのかもしれません。

映画化にともなう単純化の結果、一部事実と異なった部分もあり、また例えばアウシュヴィッツで家族を失い、今アメリカで働く男の信念など、もう少し掘り下げてほしかった面もありますが、良い映画でした。おもしろかったし、見終えた後の感動も大きいものでした。この原作があれば、ぜひ読んでみたいものです。

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DVDで映画「バベットの晩餐会」を観る

2017年08月25日 06時03分07秒 | 映画TVドラマ
先の週末、雨降りのお天気により室内生活となりましたので、しばらく前に入手していたDVDで、映画「バベットの晩餐会」(*1)を観ました。この作品は、1987(昭和62)年に公開されたデンマーク映画で、イサク・ディーネセンの小説を原作として映画化されたものだそうです。

19世紀、デンマークの辺境に一人の老牧師と二人の娘が生活しています。牧師は清貧の中に信念を持って生活していますが、それは姉妹が娘らしいロマンスを頑なに拒絶する生き方をもたらすことになります。姉のマチーヌに求愛した若い士官ローレンスは村を去り、軍務に没頭することとなりますし、賛美歌を歌う妹フィリッパに歌の才能を見出したフランス人歌手アシーユ・パパンもまた、歌のレッスンを通して誘惑のような求愛をしますが、これまた突然の拒絶にあって故国に帰ります。

人生の春を信仰と奉仕に捧げたまま、父である老牧師を亡くし、年老いてゆく姉妹のもとに、パリ・コミューンの際に革命政府側にいた夫と息子を失った女性バベットが亡命してきます。それは、フィリッパに縁があった歌手アシーユ・パパンの紹介によるものでした。バベットは、老姉妹のもとで家政婦として料理や家事を担うようになりますが、それはあまり家事が得意ではなかった姉妹にとってプラスであっただけでなく、信仰の集会に集う村人たちにとっても、歓迎すべき変化でした。

やがて、14年の年月が流れます。マンネリ化による信仰心の衰えからか、村人の中に小さな諍いが表面化してきて、姉妹は心を痛めます。二人は、「天国に持っていけるものは、与えたものだけ」と説いた父・牧師の生誕百周年を記念したささやかな食事会を企画し、村人を招くことを思いつきます。バベットは、フランスの友人に頼んで買ってもらっていた富くじが当たって、一万フランの賞金を得ていましたが、おそらくはフランスに帰国するのだろうという予想に反して、自分のお金で祝いの晩餐会の料理を作らせて欲しいと願い出ます。八日間の休暇の後にやってきたのは、甥と二人で生きた海亀やウズラや牛の頭などを含む多量の食材を運んできたバベットでした。

生きた海亀を火であぶる悪夢を見てうなされた姉マチーヌは、村人に懸念を伝えます。魔女の饗宴に心を奪われないようにと、心を一つにした村人たちは、料理や食事について一切話題にしないことを申し合わせます。
一方、牧師を尊敬していたかつての士官ローレンスは、今は将軍となっていますが、人生の虚しさに悩んでおり、叔母とともに牧師の生誕百周年の晩餐会に参加することとなりますが、ワインや料理のあまりの美味しさに驚嘆します。それも当然で、バベットは実は……というお話です。



うーむ、実に観ごたえのあるいい話でした。大人の映画、ドラマです。こういう良質の映画を観ていると、思わず時間を忘れます。それなのに今のテレビドラマは…などという愚痴は言いますまい。キリストの最後の晩餐と同じ12人の来客に供する最高のフランス料理の数々を作るという奮闘の時間を終えたバベットが疲れ果ててうずくまる場面の矜持と孤独は、「芸術家は貧しくなることなどないのです」との言葉どおり、まさに芸術家の姿でしょう。

音楽も良かった。賛美歌も良かったし、アシーユ・パパンが妹フィリッパにレッスンする場面も、実はモーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」でドン・ジョヴァンニがツェルリーナを誘惑する場面でしたが、これもほんとに良かった。

たぶん、原作はもう少し違った側面を持ち、違った味わいの作品なのだろうとは思いますが、こうした形で映画化されるのを見ると、これはこれで優れた映像作品ではないのかと感じます。機会があれば、原作も読んでみたいものです。

(*1):映画「バベットの晩餐会」オフィシャルサイト
【予告】バベットの晩餐会


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しまった!見逃した!!

2017年06月04日 06時02分09秒 | 映画TVドラマ
先月の山響第261回定期演奏会の際にお知らせがあった、SAY(さくらんぼTV)のドキュメンタリー番組(*1)ですが、放送日が6月2日だったようで、見逃してしまいました。「山形交響楽団の活動を長期にわたり追った番組」ということで興味を持っていたのですが、なにせふだん全くテレビを観ないもので、後の祭りでした(T-T)
なに、そのうち年末年始あたりに再放送があるかもしれません。それを期待して待つことにしましょう。

それよりも、本日は午後から山響第262回定期演奏会の予定です。「世界屈指の名匠が奏でる抒情と気品に満ちた響き」と題して、シトコヴェツキーさんの指揮とヴァイオリンによる次のようなプログラム。

  1. レスピーギ/リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲 P.172
  2. ストラヴィンスキー/バレエ音楽「プルチネルラ」組曲
  3. ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
     ドミトリー・シトコヴェツキー(指揮・Vn)、山形交響楽団

楽しみです。

(*1):山響第261回定期演奏会でモーツァルト、ベートーベン、ブラームスを聴く~「電網郊外散歩道」2017年5月

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