晩秋から冬になると、忘年会の案内が届くようになります。今は、職場の忘年会と仲良し同窓生の会だけになりましたが、以前は様々な名目の忘年会が目白押しにあり、最も多いときで12月中に4~5回という記憶があります。
こういう忘年会では、無難なところで余興にカラオケというのが多く、なにか持ち歌を用意しておく必要がありました。当方、ふだんはテレビの歌番組など見ませんので、流行の歌といってもちんぷんかんぷん、AKBをどこかの秘密警察の略称かと間違えるレベルです。したがって、持ち歌といっても雰囲気的にマッチするものというと、ごく限られてしまいます。いきなりトップバッターに指名されたときは、たいていは選曲の時間を省いてアカペラで
で始まる「乾杯の歌(Stein Song)」:
"Maine Stein Song" (Rudy Vallee, 1930)
Stein Song:
を元気良く歌い、雰囲気を盛り上げます。また、参加者の顔ぶれが中年組が多ければ、昔懐かしいチューリップの「心の旅」:
心の旅 / チューリップ
や、沖縄風の「花」「島唄」「芭蕉布」:
『芭蕉布』 ☆ 夏川りみ "Rimi Natsukawa"
などを人畜無害に(^o^)、あるいは思い切り若い人たちが多ければ、逆に「東京ラプソディ」:
藤山一郎_東京ラプソディ Tokyo Rhapsody (1936)
等を賑やかに歌います。何か工夫しないと三番まで飽きずに持たせるのが難しいけれど、こういうのが意外にレトロで受けたりするのですね(^o^)/
でも、いくら当時は流行していたからといって、例えば a-ha の「hunting high and low」:
a-ha - Hunting High And Low
を「あがすけ」に(*1)英語で歌うわけにもいきません。忘年会のカラオケの選曲は、意外に難しいものです。
酔っ払ってカラオケで歌う歌の選び方には性格が出るもので、場を仕切りたがる親分肌の人は「乾杯」や「愛の讃歌」などで紅白のトリの気分を味わいますし、ウケ狙いでアニメソングをメドレーで歌うのもいれば、「恋人よ」や「22歳の別れ」など悲しい別れの歌を切々と歌う泣き上戸もいます。意外な人がど演歌を好んだり、ごく大人しい若者が意外にもセミプロ級の民謡の歌い手だったりしたこともありました。
歌は楽しむもの。嫌がる人にマイクを強制するのはよろしくないし、妙な機会均等・悪平等主義は困りものですが、別に無理して主役になる必要もありません。上手な人の歌を聴いてその時代を懐かしく思い出し、若い人の熱気を感じつつ盛り上がるのはけっこう楽しかったりします。年齢とともに高音が苦しくなり、昔は楽に出ていた音域がカバーできなくなって、持ち歌から外さなければならなくなった歌もありますので、かわりに何か別のレパートリーを探さなければと、CD や YouTube を探す季節が、もうすぐそこまで来ています。さて、今年は何にしよう(^o^)/
(*1):山形弁で「生意気に、カッコつけて」の意。
こういう忘年会では、無難なところで余興にカラオケというのが多く、なにか持ち歌を用意しておく必要がありました。当方、ふだんはテレビの歌番組など見ませんので、流行の歌といってもちんぷんかんぷん、AKBをどこかの秘密警察の略称かと間違えるレベルです。したがって、持ち歌といっても雰囲気的にマッチするものというと、ごく限られてしまいます。いきなりトップバッターに指名されたときは、たいていは選曲の時間を省いてアカペラで
さ~かずきを持て、さあ卓をたた~け♪
で始まる「乾杯の歌(Stein Song)」:
"Maine Stein Song" (Rudy Vallee, 1930)
Stein Song:
を元気良く歌い、雰囲気を盛り上げます。また、参加者の顔ぶれが中年組が多ければ、昔懐かしいチューリップの「心の旅」:
心の旅 / チューリップ
や、沖縄風の「花」「島唄」「芭蕉布」:
『芭蕉布』 ☆ 夏川りみ "Rimi Natsukawa"
などを人畜無害に(^o^)、あるいは思い切り若い人たちが多ければ、逆に「東京ラプソディ」:
藤山一郎_東京ラプソディ Tokyo Rhapsody (1936)
等を賑やかに歌います。何か工夫しないと三番まで飽きずに持たせるのが難しいけれど、こういうのが意外にレトロで受けたりするのですね(^o^)/
でも、いくら当時は流行していたからといって、例えば a-ha の「hunting high and low」:
a-ha - Hunting High And Low
を「あがすけ」に(*1)英語で歌うわけにもいきません。忘年会のカラオケの選曲は、意外に難しいものです。
酔っ払ってカラオケで歌う歌の選び方には性格が出るもので、場を仕切りたがる親分肌の人は「乾杯」や「愛の讃歌」などで紅白のトリの気分を味わいますし、ウケ狙いでアニメソングをメドレーで歌うのもいれば、「恋人よ」や「22歳の別れ」など悲しい別れの歌を切々と歌う泣き上戸もいます。意外な人がど演歌を好んだり、ごく大人しい若者が意外にもセミプロ級の民謡の歌い手だったりしたこともありました。
歌は楽しむもの。嫌がる人にマイクを強制するのはよろしくないし、妙な機会均等・悪平等主義は困りものですが、別に無理して主役になる必要もありません。上手な人の歌を聴いてその時代を懐かしく思い出し、若い人の熱気を感じつつ盛り上がるのはけっこう楽しかったりします。年齢とともに高音が苦しくなり、昔は楽に出ていた音域がカバーできなくなって、持ち歌から外さなければならなくなった歌もありますので、かわりに何か別のレパートリーを探さなければと、CD や YouTube を探す季節が、もうすぐそこまで来ています。さて、今年は何にしよう(^o^)/
(*1):山形弁で「生意気に、カッコつけて」の意。