弦楽四重奏曲や「中央アジアの草原にて」等の管弦楽曲、歌劇「イーゴリ公」の作曲者であるボロディンは、自分のことを音楽家としてではなく、化学者として自称していたらしい。実際、軍医としての経歴の他に、彼の名前を取った化学反応を発見している。
Merck Index(1968)の「人名反応」によれば、「Borodin反応→Hunsdiecker反応を見よ」とされ、そこには
A.Borodine, Ann.,119,121(1861)
The degradation of a silver salt of a carboxylic acid in anhydrous media by means of halogen to a halide of one carbon atom less:
RCOOAg + X2 --> RX + CO2 + AgX
と記載されている。この反応は、ハロゲン化アルキルの合成法であると同時に、ラジカル反応の例として、現代の有機化学の教科書にも出てくるものだ。
さらに、WikiPedia で「ボロディン」を引くと、Borodin反応の発見の他に
「求核付加反応の一つであるアルドール反応を発見した」
ともある。
学問の世界で、自分の名前の付いた反応を発見するというのは、よほどのことだ。その意味では、ボロディンはこれらの業績により、化学の世界にも立派に名前を残していることになる。
ロシア五人組の音楽仲間は、ボロディンに「化学の研究なんかいい加減にして、もっと作曲しろ」と助言をしたに違いない。しかし本人は、生活の糧も自分の業績も、化学の方に主眼を置いていたのだろう。
そんなことを先入観として持っているせいか、二つの弦楽四重奏曲は、安定して美しい、幸福な音楽に聞こえる。運命にあらがい、不幸を嘆き悲しむような、聞くものの心をかきむしるような要素はごく少ない。それが不満な人も多いだろうが、私にはこういう音楽を書いた人もいたのだ、ということがむしろ驚きである。第1番も第2番も、素晴らしく、好ましい音楽ではないか。
演奏はハイドン四重奏団、Naxos の 8.550850 の CD である。
Merck Index(1968)の「人名反応」によれば、「Borodin反応→Hunsdiecker反応を見よ」とされ、そこには
A.Borodine, Ann.,119,121(1861)
The degradation of a silver salt of a carboxylic acid in anhydrous media by means of halogen to a halide of one carbon atom less:
RCOOAg + X2 --> RX + CO2 + AgX
と記載されている。この反応は、ハロゲン化アルキルの合成法であると同時に、ラジカル反応の例として、現代の有機化学の教科書にも出てくるものだ。
さらに、WikiPedia で「ボロディン」を引くと、Borodin反応の発見の他に
「求核付加反応の一つであるアルドール反応を発見した」
ともある。
学問の世界で、自分の名前の付いた反応を発見するというのは、よほどのことだ。その意味では、ボロディンはこれらの業績により、化学の世界にも立派に名前を残していることになる。
ロシア五人組の音楽仲間は、ボロディンに「化学の研究なんかいい加減にして、もっと作曲しろ」と助言をしたに違いない。しかし本人は、生活の糧も自分の業績も、化学の方に主眼を置いていたのだろう。
そんなことを先入観として持っているせいか、二つの弦楽四重奏曲は、安定して美しい、幸福な音楽に聞こえる。運命にあらがい、不幸を嘆き悲しむような、聞くものの心をかきむしるような要素はごく少ない。それが不満な人も多いだろうが、私にはこういう音楽を書いた人もいたのだ、ということがむしろ驚きである。第1番も第2番も、素晴らしく、好ましい音楽ではないか。
演奏はハイドン四重奏団、Naxos の 8.550850 の CD である。
専攻は数学とは言え,僕も理系大学生の端くれですのでボロディン反応の名前くらいは存じ上げておりました。(偉そうなことを言っておきながら反応の詳細は結局のところ良く分からないのですが)
僕も学問と音楽の両方に名前を残せるような人間になりたいですが,そのためにはまず全然努力が足りておりません・・・。
実はチェリビダッケは数学者とは行かないまでも若い頃に数学を専攻していたことがあったりもしたそうですが。
でも確かに化学はボロディンくらいしか聞かないですね。ボロディンは化学者であると同時に医者でもあったそうです。二足のわらじどころか三足だったわけですね。天は二物を与えずというのもアテにならないですね・・・。
すごいですね~。
でも、教科書に出てくるような業績を残した、というのはすごいと思いますよ。19世紀、発見の時代だったというのも大きいと思いますが、それにしても、おっしゃるとおり天は二物も三物も与えているようで、凡人はうらやましいところです(^o^)/