電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

文藝春秋編『藤沢周平のこころ』を読む

2018年11月27日 06時03分03秒 | -藤沢周平
文春文庫の10月新刊で、文藝春秋編『藤沢周平のこころ』を読みました。もちろん、藤沢周平の未公開作品を収録したものではありませんで、帯によれば「佐伯泰英、あさのあつこ、江夏豊、北大路欣也らが語る〜私が愛してやまない藤沢作品の魅力」について語ったものを収めたアンソロジー風の「永久保存版」です。内容を大まかにまとめれば、

1 名作を紡ぎ続けた作家の軌跡
   対談、インタビュー、直木賞選評、選考委員座談会など
2 藤沢作品の魅力を徹底紹介
   対談、エッセイ、作家と作品について
3 新たなる映像の世界へ
   映画、ドラマ、対談、役者として

といった構成になっており、多彩な内容で楽しめるものです。

いくつか、どこかで読んだ文章もありましたが、興味深い指摘もたくさんありました。例えば、松岡和子×あさのあつこ×岸本葉子さんの熱愛座談会(^o^)/

岸本 『蟬しぐれ』でいいますと、私はタイトルから気になって、どんなときに蟬が鳴くのかを調べてみたんです(笑)。そうすると、後悔というテーマが出てくるところではよく鳴くんです。

この指摘には、うーむ、なるほど。

また、宮部みゆきさんがミステリーの観点から選んだ三冊、『秘太刀馬の骨』、『闇の歯車』、『ささやく河〜彫師伊之助捕物覚え』というのも納得ですし、児玉清さんが『霧の果て』の神谷玄次郎にゾッコン惚れ込みながら、「小説の面白さ」について、「娯楽性というものを大事にしたい」と書いた作家の一節を紹介して文を終えている点も納得です。

作家・藤沢周平は、教師・小菅留治として教え子たちとの再開を果たした後に、先生の作品の暗さを指摘する元生徒に「もう少し待って欲しい」と答えながら、徐々に「彼らにも読まれる」ことを意識していったのではなかろうか。運命に抗う自分の負の感情のはけ口としての小説から、世の中で懸命に生きている読者に対してそっと差し出せるのは小説の持つ面白さだろうと考えたのかもしれない、と思います。

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山形新聞「藤沢周平没後20年」の鼎談がネットで提供

2018年01月02日 06時02分46秒 | -藤沢周平
地元紙・山形新聞では、藤沢周平没後20年を記念して、様々な企画を実施していました。その中で、文藝春秋社の担当編集者であった鈴木文彦氏、作家の娘でエッセイストの遠藤展子氏、山形新聞社社長で『藤沢周平と庄内』の著書を持つ寒河江浩二氏の三氏による鼎談の要旨が、2017(平成29)年12月25日付の山新に二面見開きで掲載(*1)されました。当日にざっと斜め読みしてページを抜き取り、正月休みを契機にゆっくり読んでみました。これが、なかなかおもしろい。



思わず笑ってしまったのが、遠藤さんがバラした話。

遠藤 私と今の母と父の3人が全部反映されているのが『獄医立花登手控え』シリーズ。私が中学、高校のころ、父は話をよく聞いてくれた。よく話を聞いてくれていいお父さんだと思っていたら、後で本を読むと、私が話した友達のような子が出てきて「これはネタにされた」ということがあった。登のおばは今の母にそっくり。登は誰なんだろう? 東北から江戸に出てくるわけだから、登もお父さんだ、と。観察力がすごいので、家族といえども観察され、ネタにはされている。

第1巻で遊び呆けるおちえは、高校生の頃の娘の展子さんがモデルらしい、という話は何かで読んで承知しておりました。しかし、あの締まり屋のおばさんが作家の奥さんがモデルだったとは、初めて知りました。思わず爆笑、作家にあらためて親近感を持ってしまいます(^o^)/



ところで、紙面に「ホームページで鼎談の音声紹介」という案内が出ており、この鼎談が「山形新聞ニュースオンライン」の特集記事で、音声として聴くことができる(*2)ことを知りました。また、先に記事にした「小菅先生と教え子たち」(上中下)等の記事も公開されている(*3)ことがわかりました。こういう提供の仕方は、山形以外の藤沢ファンにとって得難い貴重な機会でしょう。たぶん、公開には期限があることでしょうが、こうした太っ腹な形での提供に感謝しつつ、皆様にご紹介いたします。

(*1):「藤沢周平の世界」鼎談〜「やまがたニュースオンライン」
(*2):藤沢周平没後20年、生誕90年〜「やまがたニュースオンライン」
(*3):藤沢周平没後20年「小菅先生と教え子たち」(上)(中)(下)

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藤沢周平没後二十年「小菅先生と教え子たち(下)」を読む

2017年12月10日 06時03分08秒 | -藤沢周平
11月29日付け山形新聞に、藤沢周平没後二十年の特集企画の一環として、「小菅先生と教え子たち(下)」が掲載されました。地元鶴岡に残る教え子たちのまとめ役として、学級委員長みたいな役割を果たしたらしい、元JA鶴岡の理事・萬年慶一氏の回です。氏が語る小菅先生の思い出は、ホームルームの時間に読み聞かせをしてくれたこと。とくに印象深いのが『レ・ミゼラブル』で、ジャベール警視の探索の中、マドレーヌ市長が馬車の下敷きとなったフォーシュルバン老人を救い出す場面です。

中学生のまっすぐな心情として、自己の保身を考えるならば見て見ぬふりをするほうが良いのだけれど、目の前で苦しむ老人を救えるのは自分しかいないというジレンマに陥ったマドレーヌ市長の決断が、価値あるものとしてストンと腑に落ちた、ということでしょう。そしてそれが、かつて自分を救ってくれたミリエル司教の教えに忠実であろうとした、愛ある決断だったことも。

若い日のこうした記憶は、意外なほど深いところで影響を残しているものです。老年期に入ると、記憶の底から浮かび上がるエピソードは、穏やかで優しいものでありたいと願うところです。



学級図書や「脳天コツン」の話からは、若い中学校教師として楽しく過ごしていたことが想像されますし、「碑が建つ話」の関連の経緯はエッセーで親しいところですが、湯田川中学校での教師生活と教え子たちを終生懐かしく思っていたことがうかがえます。

おそらく、紙面に登場しない教え子たちの中には、言い尽くせない不幸や苦難の人生を送った人もいたことでしょう。小菅留治先生の家庭的な不幸からの回復と作家としての成功を、彼らもまた我が事のように喜び、励みにし、勇気づけられていたのではなかろうか。そして、先生もまた、教え子たちの「その後」を気にかけ、幸せを念じながら、様々な人生の哀歓を感じつつ、作品の中にあたたかく投影していたのではなかったか、と思います。

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藤沢周平没後二十年「小菅先生と教え子たち(中)」を読む

2017年12月09日 06時04分20秒 | -藤沢周平
11月28日付け山形新聞に、藤沢周平没後二十年の特集の一環として、「小菅先生と教え子たち(中)」が掲載されました。前回と同様に、ノートに切り抜いて貼り付け、読み返しております。今回は、大石梧郎氏の回想です。

「耐えるたびに / 少しずつ / 人生が見えてくる」

これは、師弟が互いの近況を報告していた「泉話会」で、大石氏が最後に書いてもらった色紙だそうです。湯田川中学を卒業し高校に進んだけれど事情により中退して16歳で上京、金属加工・金型設計製作会社に勤務し、29歳で独立、と経歴にありますので、たぶん独立する前後の時期のはずです。人生の辛酸をなめたであろう先生の姿を見ながら、会社を立ち上げた頃のことを、現在は大石工業会長として回想するとき、この色紙にこめられた肯定と励ましに背中を押されるような感じを持ち、懐かしくありがたく思い出されることでしょう。

氏は東京在住であったために、駆け出しの時代に療養所まで出かけて小菅先生を見舞っているようです。背広姿の20歳の若者の傍らで浴衣姿の小菅先生が笑顔を見せている写真は、作家と言うよりはやはり「先生」の笑顔でしょう。療養所を出た「先生」が業界新聞の記者をしていた時代のことも、氏はある程度承知していたのかもしれません。恩師を敬慕し、心の支えとしている元生徒が、大人になっても先生の人柄を尊敬できるというのは、たぶん実に幸せなことでありましょう。氏は、取材を受けた記者から、

「ほとんどの作家は自分の作品が映画化、ドラマ化されると決まると、必ずと言っていいほど主演の俳優と一緒の食事をねだる」

ものだけれど、「小菅先生は一度としてそのようなおねだりはしなかったそうです」とのエピソードを引き出しています。記者を逆取材したようなこの挿話が、実に何というか、藤沢周平らしさを感じさせます。

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藤沢周平没後二十年「小菅先生と教え子たち(上)」を読む

2017年12月08日 06時01分44秒 | -藤沢周平
藤沢周平が没して二十年になります。そういえば、没後十年のときも、様々なイベント等の様子を記事にしていましたので、あれからもう十年になるのかと感無量です。今年も、山形新聞でいろいろな企画をしていますが、最近「おや」と思ったのが「小菅先生と教え子たち」という記事でした。藤沢周平というペンネームで有名作家として知られる前に、東京在住の教え子たちを中心に交流を続けていたことは、作家本人も書いておりますので、ある程度は承知しておりました。でも、今回のように一回に一人ずつ、教え子の視点で、有名作家であるとともに敬愛する恩師でもある人のことを語ってもらうという企画は、たいへん興味深いものです。

11月27日付けの「工藤司朗」氏の回は、病癒えて結婚し娘一人を得たばかりなのにその妻を亡くすという苦難を経て、縁あって再婚するに至る時期の、まだ勤め人と作家という二足のわらじをはいていた頃の話が中心です。静岡在住の同期生の松田君からの電話で、小菅先生が「藤沢周平」というペンネームで「オール讀物」新人賞の候補になっているという話を聞き、早速買い求めてこれを読み、感激して先生の勤め先に電話をするところから交流が始まります。このあたりの経緯は、後に役員となった建築資材販売施工会社員という工藤氏の積極性を表すものでしょう。積極的に前に出ようとはしない恩師を引っ張り出した教え子たちの活力が、ともすれば後ろ向きになりがちな作家の暗い情念に、時折、陽光を照らすようなものであったのかもしれません。でなければ、その後の師弟の交流が長く続くものとはなりにくかったのではないかと思います。

直木賞の受賞の際に、先輩と二人で万年筆を贈ったとありますが、それがあのパーカーの万年筆だったのでしょう。二人が教え子たちを代表し、副担任だった大井晴先生とともに授賞式に招待されたのは、返礼の意味もあったのかもしれません。

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佐藤賢一「『海坂藩』という発明~藤沢周平没後20年(4)」を読む

2017年03月04日 06時03分21秒 | -藤沢周平
地元紙・山形新聞で、藤沢周平没後20年の特集を組み、記事を連載していますが、その中で2/24に掲載された鶴岡市在住の作家・佐藤賢一さんの「『海坂藩』という発明」という論には、思わず「なるほど!」と共感するところが大でした。

たしかに、それまでの時代小説の舞台は基本的に江戸であり、お家騒動を鎮めるために地方へ旅することはあっても、やっぱり江戸にもどってきて、「江戸は気楽でいいなあ」というパターンが多かったように思います。でも、藤沢周平作品、とくに海坂藩ものは、藩内で完結するものが少なくありません。誰かが江戸へ出かけて行ったり、江戸から誰かがやってきたり、ということはあっても、基本的に海坂藩の中の物語であることに変わりはありません。この、時代小説が江戸を離れて地方の小藩の物語として成立することを示した点が、藤沢周平の発明だ、と指摘した佐藤賢一氏の着眼に、なるほど!と感心させられた次第です。



もちろん、これは江戸を舞台とした藤沢作品、例えば『用心棒日月抄』シリーズなどの価値は不変であることを前提にしての話ですが、例えば『蝉しぐれ』を代表とする地方の小藩の物語が、多様な後続の作家たちの作品を生み出す力になったと見ることはたしかに可能であり、間違ってはいないはずです。

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藤沢周平『隠し剣秋風抄』を読む

2016年11月03日 06時02分21秒 | -藤沢周平
文春文庫で、藤沢周平著『隠し剣秋風抄』を読みました。初出は『オール讀物』誌で、私が大学を出て就職し、関東某県で暮らしていた頃に執筆発表されていた作品のようです。単身赴任の頃に読み、このたびは十年ぶりくらいの再読になりました。

第1話:「酒乱剣石割り」。そうそう、酒乱というのは、こういうタイプです(^o^)/
第2話:「汚名剣双燕」。臆病者の汚名を着てしまったが、それは理由あってのこと。かつての剣友と決着をつける時です。
第3話:「女難剣雷切り」。醜男で間が悪い惣六の話です。
第4話:「陽狂剣かげろう」。はじめは狂気を真似ることで乙江との別れをやり過ごすつもりでしたが、佐藤半之丞は乙江の早逝を知るや、お上に一言恨みを言おうと城中で刀を抜きます。
第5話:「偏屈剣蟇ノ舌」。人が右だと言えば左と言うタイプの偏屈者に、暗殺者に頼んでいるのではないと言いながら情報を仕込んだら、結末はどうも思い通りにいくとは限らなかったようです。
第6話:「好色剣流水」。好色漢というのはいるものです。自分はそれほどではないといいながら、常に女性の方に寄っていくタイプ。でも、今回は相手が悪かった。相打ちが精一杯か。
第7話:「暗黒剣千鳥」。家老によって暗殺を命じられた5人のうち4人までが殺され、三崎修助だけが生き残ります。表向きの縁談の華やかさとは裏腹に重苦しい結末ですが、藤沢周平作品らしく、ひたむきな娘が少し明るい希望をつないでいるようです。
第8話:「孤立剣残月」。上意討ちの命を受けて討ち取った男の弟が、帰国したあかつきには小鹿七兵衛と果たし合いを申し込むらしい、という情報が届きます。相手は、梶派一刀流の名手とのこと。果たし合いの後の夫婦の描き方は、なかなかいい場面です。
第9話:「盲目剣谺返し」。こちらは、映画「武士の一分」の原作になった作品です。文春文庫で296頁~331頁まで、わずかに36頁の短編です。映画では、キムタクこと木村拓哉の、有段者らしい剣さばきの見事さに驚きました。原作の方は、簡潔な描写の中に、三村新之丞と加世の夫婦のすれ違いと再会を描きます。確かに、味わい深い、印象的な幕切れです。

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藤沢周平『三屋清左衛門残日録』を再々読する

2016年09月06日 06時02分05秒 | -藤沢周平
WEB サイト「藤沢周平作品データベース」(*1)にあった記事で、『用心棒日月抄』シリーズ第五作として『三屋清左衛門残日録』を読む、というのがありました。執筆年代や作品内容からみて少々無理があるのは承知の上で、つい第五作を想像してしまう読者の一人として、おもしろい発想だと思い、『残日録』をまた読み始め、案の定、ハマってしまった次第です。

三屋清左衛門は、若い頃に無外流の名手として嘱望された時期もありましたが、先代藩主の信頼を得て出世を重ね、用人として勤め上げ、先代藩主の没後に家督を長男の又四郎にゆずって隠居をしています。妻の喜和は死去して独り身ですが、新藩主の信頼が厚く、隠居部屋を新築してもらい、そこに住んでいるという境遇です。

なるほど、このあたりは『日月抄』の青江又八郎の晩年を想定したと見られなくもないかも。しかし、読み進めるうちに、そんな詮索はどこかへ吹っ飛んでしまい、物語の中に引き込まれていきます。

四年ぶりの再読(*2)ですが、特に好ましく感じられるのは、先祖の百回忌がきっかけで、若い頃のひそかな記憶に絡んだ女性の娘を、剣術道場の信頼できる後輩に紹介し世話をする「白い顔」とか、農婦の母子を助けたのがきっかけで藩内の抗争の存在を知ることになる「川の音」、あるいは偶然に立ち聞きした密事を藩の対抗勢力に伝えようとする武士を描く「霧の夜」などです。たとえば、

誰もいない、丘の陰に入って小暗く見える川には、水面を飛ぶ虫をとらえる魚がはね、そしてそこだけ日があたって見える丘の高い斜面のあたりでは、一団になってひぐらしが鳴いていた。夏の終わり、秋に移るところだと清左衛門は思った。丘のどこか見えない場所に、やはり一団になって鳴くひぐらしがいて、ひぐらしは寄せる波音のように交互に鳴きかわしていた。
 「川の音」より、p.159

というような記述に季節感を感じ、やけに共感したりします。

虫の音、蛙の鳴き声、ひぐらしの声など、藤沢周平の音にまつわる感覚は豊かです。都会の喧騒の中にあって、こうした自然の音は、懐かしい海坂藩や武蔵野の療養所生活に通じるものがあったのかもしれません。



逆に、本作品の末尾で、中風を患った竹馬の友が起きて歩く練習を始めたエピソードを取り上げて終わっていますが、随筆の中で、こうした表現をしたことを後悔していると述べているところがあり、不思議に思ったものでした。今になって思うのは、病を得た人はかならずしも良くなるとは限らないわけで、たとえ充分に回復はできなくても人間の尊厳は変わらないし、起きて歩ける、働けることが全ての価値観ではない、ということだったのでしょうか。

(*1):たーさんの部屋2~「藤沢周平作品データベース」
(*2):藤沢周平『三屋清左衛門残日録』を再読する~「電網郊外散歩道」2012年4月

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藤沢周平『又蔵の火』を読む

2016年08月13日 06時06分38秒 | -藤沢周平
文春文庫で、藤沢周平著『又蔵の火』を読みました。昭和47年~48年頃に発表された、作家デビュー後の著者の初期作品集と言ってよいかと思います。昭和46年に『『溟い海』でオール讀物新人賞、翌47年に『暗殺の年輪』で直木賞を受賞していますので、まさに受賞の頃の作品です。本書は、五編の作品から成っています。

第1話:「又蔵の火」。この緊迫感、スピード感は、尋常ではありません。映画であれば、凄惨な争闘場面を含む、きわめてハードボイルドな作品です。事情を客観的に眺めれば、土屋丑蔵にとっては大いに迷惑な話。又蔵は兄の仇と言うけれど、兄の行状はたぶん許される限度を越えているでしょう。作者はなぜ実話に基づくこの歴史的な事件を作品にしたのだろうかと不思議に思いますが、その疑問は本書全体、暗いトーンを持つ作品すべてに当てはまります。

第2話:「帰郷」。「弔いの宇之」という通り名を持つ渡世人の宇之吉は、あるとき老いの寂寥と悲傷を覚え、帰郷します。自分の家だった屋根の下には、おくみという勝ち気な若い娘が住んでおり、彼女はどうも自分の娘らしい。おくみに手を出そうとしている昔の仲間で仇敵の久蔵が、今は親分を追い出し高麗屋を乗っ取って幅をきかせています。宇之吉は、西部劇ならさしずめさすらいの老ガンマンといった役回りでしょう。

第3話:「賽子無宿」。こちらもイカサマ賭博の渡世人の話です。病気で行き倒れる寸前に喜之助を助けてくれたのは、中風の父親を養って屋台を引いていたお勢でした。ようやく回復した喜之助は、ずっと以前、自分が陥れられた真相を知りますが、嫉んだ男は落ちぶれ、鶴惣一家は阿漕なやり方を続けています。喜之助は、やはり西部劇の「さすらいのガンマン」です。

第4話:「割れた月」。御赦免船で三宅島から江戸霊岸島に戻った日の午後、元錺職人の鶴吉は深川六軒堀町の元の家に戻りますが、そこには昔の情婦のお紺はいなくて、隣家の娘お菊が成長し、父親の理助と共に暮らしていました。お菊は、お紺の正体を察しており、むしろ鶴吉に心を寄せていたようです。理助が卒中で倒れると、鶴吉が働いて養うようになりますが、素人商売はなかなかうまくいきません。結局は、破局型のストーリーになってしまいます。

第5話:「恐喝」。これもまた救いのない、賭場の客に対する恐喝の話です。しかも、イカサマ賭博でカモにした若旦那を恐喝し、その許嫁を売ろうというのですから、最低の野郎どもです。ところが、実際にその娘が連れてこられた時、竹二郎は驚きます。竹二郎が怪我で困っていたときに、親切に助けてくれた、あの娘ではないか。恐喝者は守護者に一変し、娘を逃がした後は、仲間内での凄惨な争闘の場面となります。ある意味、典型的な昭和の時代小説と言って良いでしょう。

大きな文字の新装版で読みやすいけれど、作者はなぜヤクザな男を好んで取り上げたのか。それは、たぶん暗い情念の世界、悲劇的結末の舞台設定をするのが容易だからでしょう。運命にあらがうまでに至らず、運命に流され放浪する存在。しかし「一言、言いたいことがある」。それは、運命に対する憤怒、と言ってもよいでしょうか。

初期の藤沢周平の、あの暗いトーンがたまらなく好きだと言った叔父の一人は、新婚早々だった長男を癌で亡くし、しばらくして自身もまた息子の後を追うように癌で亡くなりました。おそらくは、叔父もまた運命に対して「胸の火が、いま火焔を噴き上げている」思いを持っていたのだろうと、今は想像しています。



さて、今日はお盆で寺の役割がありますので、朝食後には寺に向かい、午後からは一族の挨拶まわりをし、また自宅で挨拶を受けます。例年のことですが、長い一日になりそうです。

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ドラマ「作家・藤沢周平・父の一言~ふつうが一番」を観る

2016年07月12日 06時05分56秒 | -藤沢周平
新聞の番組欄を見ることは少ないのですが、たまたま予告紹介記事で目についたドラマ「作家・藤沢周平・父の一言~ふつうが一番」を観ました。
赤ん坊の娘を置いて妻が早逝した後、父・小菅留治が娘の展子チャンを育てる奮闘が「幼稚園の手提げ袋事件」で描かれます。小菅留治役は、映画「山桜」(*1)で寡黙な武士・手塚弥一郎役を演じた東山紀之、同居するしっかり者の母親役に草笛光子。小菅留治氏の求婚のエピソードは、なんだかユーモラスです。妻となる和子さん役は、「良家の子女のたしなみ」で空を飛んだりする(*2)松たか子さん。結婚生活も、子どもとバアちゃんまで一緒なのですから、なかなか一筋縄ではいきません。子役がとても上手なので、学芸会風にはならなくて良かった(^o^)/

その子役が急に大きくなって、しかも急に反抗期になったのにはビックリしましたが、バアちゃんの諭し方が実にうまいのに感心しました。これは、たぶんあのバアちゃんの年代の人が脚本を書いたか、あるいは演出をしているのではなかろうか(^o^)/
酔っ払って山師の親戚を自宅に連れ帰って来たりするあたりはお笑いの要素ですが、酔っ払って若い女房に逃げられたと泣く松チャンを「ふつうが一番」と説教するあたりは、脚本家が考えた人情ドラマの設定でしょう。
奥さんの和子さんが倒れたときは、おそらく「また妻を病気で失うことになるのか」と恐れたためでしょうか、背負って担ぎ込んだ医院で看病を受け、助かります。こういう夫婦の助け合いを描くばかりではウソっぽくなると思ったのでしょうか、その後は直木賞の候補作にノミネートされ、『暗殺の年輪』で受賞するあたりのハラハラドキドキが、夫婦喧嘩の真っ最中に電話が来る設定で描かれます。で、夫婦喧嘩はおしまい。そりゃそうですね~(^o^)/



たしか、作者は『暗殺の年輪』で直木賞を受賞することをあまり喜ばなかった(*3)のではなかったか。それを編集者にたしなめられた経験を、何かのエッセイで書き残していたように記憶していますが、このドラマの中では、単純化のためにいさぎよくカットされています。このあたりの塩梅が、よくできています。現代風に笑いのツボをおさえた、でもしっとりした味のある、いいドラマでした。小道具や家の中の様子等、昭和のテイストが感じられて懐かしく思いました。直木賞の選考結果が黒電話で知らされるまでのやきもき等、これが現代の携帯電話なら、ドラマになりにくいですからね~(^o^)/

調べて見たら、プロデューサーが石井ふく子、脚本は「蝉しぐれ」をドラマ化(*4)し映画化(*5)した黒土三男、演出は清弘誠、制作はTBS。これは、たぶんそのうちに再放送があるのではないかと思います。

(*1):映画「山桜」を観る~「電網郊外散歩道」2008年5月
(*2):お正月に映画「K-20 怪人二十面相・伝」を観る~「電網郊外散歩道」2009年1月
(*3):『暗殺の年輪』と『蝉しぐれ』~両親の造型などから~「電網郊外散歩道」2009年10月
(*4):NHKの金曜時代劇「蝉しぐれ」の脚本はやはりすぐれていた~「電網郊外散歩道」2014年2月
(*5):『蝉しぐれ』、あらためて原作の厚みを思う~「電網郊外散歩道」2005年10月

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藤沢周平『竹光始末』を読む~8年ぶりの再読

2016年06月11日 06時01分18秒 | -藤沢周平
図書館で、たまたま藤沢周平『竹光始末』の初版本を見つけました。私が読んだのは新潮文庫ですが、オリジナルは1976(昭和51)年に立風書房から発行された単行本です。
本書の構成は、次の通り。

第1話:「竹光始末」
第2話:「恐妻の剣」
第3話:「石を抱く」
第4話:「冬の終わりに」
第5話:「乱心」
第6話:「遠方より来る」

特に印象に残るのは、小黒丹十郎とその妻、二人の子供という一家族が、海坂藩に仕官望みで訪ねてくる、冒頭の一編です。募集はすでに終わっているが、少し探してやろうという言葉を頼りに、安旅籠で胡桃を割って食べることで空腹をしのぐ場面など、いかにも貧しさの中で労わり合う夫婦の情景が切ない。その中で届いた吉報とは、上意討ちの任務でした。この後は、映画「たそがれ清兵衛」の中で描かれたとおりです。
「恐妻の剣」は、中高年世代には思わずウフフと苦笑するところがあります(^o^)/
その一方で、「石を抱く」は不運な男の一途さを描く佳編ですが、石抱きの刑に耐える背景をリアルに描いて、若い男のいちずな主観性と強いコントラストをなしています。
「冬の終わりに」は、賭場を舞台にたまたま勝ってしまった若い男が、闇の世界をのぞく恐怖感を描きます。
「乱心」。新谷弥四郎は、道場仲間の清野民蔵の異常な出来事から、その妻・茅野の不義の噂を思い起こします。新谷弥四郎は清野民蔵と共に江戸に出府することとなりますが、やはり事件が起こります。明らかに精神を病むに至った清野を、弥四郎が討つはめに陥るというものですが、この狂気の描き方はかなりリアルです。もしかして、作家の学友や職場の周辺で、類似のケースを見聞きした経験があったのでしょうか。
「遠方より来る」。これもまた、「竹光始末」と同様に浪人が訪ねてくる話。ただしこちらは迎える側の視点からで、迷惑ではあるが多少の義理はあるし、さてどうしたものか…と悩む話です。このあたりの小市民性が、微苦笑とともに読者の共感を呼ぶ面があるのかもしれません。



再読しても、やっぱりおもしろい。特に、オリジナル初版本での再読は、時代の空気を感じさせます。では、オリジナルの単行本が出版された1976(昭和51)年当時、私は何をしていたのだろう? 軽自動車の規格が360ccから550ccに改正され、ロッキード事件の捜査、南北ベトナム統一、ピンクレディ旋風、アメリカ大統領がジミー・カーターに交代した年。うーむ、あまり思い出すことの少ない時代だなあ(^o^;)>poripori

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藤沢周平『獄医立花登手控え』シリーズを一気に読む

2016年05月26日 06時01分50秒 | -藤沢周平
毎週金曜日の夜に、テレビで藤沢周平原作『獄医立花登手控え』シリーズををもとにしたドラマを放送していますが、なんだかんだと都合が合わず、見逃してしまっています。残念ですが、ここは寝床脇の書棚に並んでいる原作の文庫本(講談社文庫)全四冊を、数日がかりで一気読みしました。

一冊ずつ、一話ずつ、断続的に読んでいるときは、獄につながれた者とそれにつながる市井の人々の姿が印象的ですが、連作を一気読みするときは、共通して何度も登場する人物が浮かび上がってきます。それは、主人公の立花登本人はもちろんですが、叔父・小牧玄庵夫婦や従妹のおちえ、おちえの遊び仲間のおあき、獄の同僚にあたる土橋桂順や平塚同心、有能な岡っ引の藤吉、下っ引の直蔵、登が通う柔術の鴨井道場の仲間の新谷弥助などの面々です。これらの登場人物の描写が、巻が進むにつれて次第に変化してくるところが実に面白い。

代表的なのがおちえでしょうか。生意気で小癪な小娘が、少々遊びが過ぎて、第一巻の最後に悪党どもに牢破りの幇助の人質として捕えられ、大立ち回りの末に救出されます。そして後の巻では、しだいに殊勝な娘になって、主人公の相手役らしくなっていきます。実に恋は成長の糧です(^o^)/

おちえの引き立て役のように、運の悪い役回りなのが、山猫のような眼をしたおあきでしょう。この娘は、遊び仲間から転落し、やくざの情婦になってしまうのですが、最後は実直な豆腐屋の女房としてようやく落ち着きます。

叔父夫婦の描き方は、実に人間観察が面白く、俗物性と医の仁術性とを共に見ているようです。とくに、流行らない医者の奥方というのは、こんなふうにしまり屋でなければやっていけないのだろうと思いつつ、ちょいと御免蒙りたいと思ってしまいます(^o^)/
藤沢周平の周囲に、もしかしたらこういう夫婦がおられて、それを誇張して描いたのかな、などと想像して、思わず笑ってしまいます。

何度も読み返していますが、その度にドキドキします。思わず引き込まれてしまうおもしろさです。同じ作者の『用心棒日月抄』シリーズでもそうですが、細部を味わいながら少しずつ読む楽しみと共に、シリーズを一気に読む楽しみ方もあります。どんなふうに読んでも味がある点で、藤沢周平作品はやっぱり良いですなあ。



昔の中井貴一主演のテレビドラマシリーズでは、篠田三郎さん演じる同心の平塚が良い役回りで、人気があったようです。原作ではそれほどでもないのですから、あれはきっとテレビ的な都合で、主役を助けるわき役としての創造なのでしょう。今度のリメイク版ではどんなふうに描かれているのか、興味深いところです。

(*1):藤沢周平『春秋の檻~獄医立花登手控え(1)』を読む~「電網郊外散歩道」2007年9月
(*2):藤沢周平『風雪の檻~獄医立花登手控え(2)』を読む~「電網郊外散歩道」2007年9月
(*3):藤沢周平『愛憎の檻~獄医立花登手控え(3)』を読む~「電網郊外散歩道」2007年9月
(*4):藤沢周平『人間の檻~獄医立花登手控え(4)』を読む~「電網郊外散歩道」2007年10月

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効果音としての「蝉しぐれ」

2015年08月20日 06時04分01秒 | -藤沢周平
藤沢周平著『蝉しぐれ』を、再び読んでいます。その題名の由来は、おそらく最終章「蝉しぐれ」から取られたものでしょう。そして、それはたぶん、

顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供のころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。

というあたりでしょう。この文章に続く最後の描写は、黒松林の中から真夏の強い陽射しの中へ馬腹を蹴って走り出すというもので、何となく明るく決然とした印象を受けます。

ところが、「矢場町や町のはずれの雑木林」の記憶というのはどういうものであったか。それは、第五章「黒風白雨」中の、

その空地の中に、山ゆりやかんぞうの花が咲き、日陰になった暗い雑木林の中では蝉が鳴き競っている様子を横目に見ながら、文四郎は空地の前を通り過ぎた。蝉の鳴き声はまるで叫喚の声の用に耳の中まで鳴りひびき、文四郎は蝉しぐれという言葉を思い出した。

あたりでしょうか。これに続く場面は、実は養父助左衛門が藩の監察に捕えられ、帰ってこない不安な情景となっています。



最後の場面、黒松林の中の蝉しぐれは、一瞬、過去を振り返る気分の背景音、効果音として使われているのでしょうか。このあたりも、映画的な想像力の要素を感じます。短い文章(場面)の中に、過去の文章(場面)が重層的に生きています。藤沢周平『蝉しぐれ』は、読み返すたびに様々な発見がある、ほんとうに素晴らしい作品だと感じます。

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金曜時代劇「神谷玄次郎捕物控2」を楽しみに

2015年04月10日 06時03分14秒 | -藤沢周平
NHK-BSで、毎週、金曜時代劇「神谷玄次郎捕物控2」を放映していますが、このシリーズには藤沢周平の『霧の果て~神谷玄次郎捕物控』を原作とする前作もあったようです。いつ頃放送されていたのかも全く気づかず、うかつなことでした。こんどのシリーズはどんな内容になるのか、藤沢ファンとしては興味深く楽しみなことです。

そんなきっかけで、藤沢周平著『霧の果て~神谷玄次郎捕物控』(*1)を再読しました。およそ10年ぶりの再読になりますが、うーむ、あらためて、面白い! ハードボイルド・タッチで描かれる八丁堀同心の姿はなかなかかっこいいです。

(*1):藤沢周平著『霧の果て~神谷玄次郎捕物控』を読む~「電網郊外散歩道」2005年12月

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作家が読む藤沢周平~葉室麟の場合

2014年10月27日 06時05分08秒 | -藤沢周平
先ごろ、映画「蜩ノ記」を楽しんで観ましたが、原作者の葉室麟氏は、藤沢周平作品を好み、よく研究しているらしいと感じています。その氏が藤沢周平作品について書いている記事を興味深く読みました。文藝春秋社の「本の話」に掲載された、「ラスト一行の匂い~「オール讀物」没後15年・藤沢周平大特集より」~葉室麟です。

藤沢周平作品の「最後の一行」の見事さ、「さりげなく締めくくられていながら、物語のエンディングとして鮮やか」な理由を、業界紙の記者あるいは編集者として仕事をした経歴を取り上げ、「記者の眼」を感じる、としています。たとえば、『風の果て』については、

記者に心を許して、思わず自分の過去を語ってしまった重役は、やがて話し過ぎたと我に返り、インタビューが終わると同時に、
――咳ばらいした。威厳に満ちた家老の顔になっていた。
のではないだろうか。『風の果て』の最後の一行は、インタビュー記事の秀逸な締めくくりのようでもある。

としているのはなるほどと思いますし、また、この文章の終わりに、

仕事を通じて、藤沢さんは社会の中核を担いながらも、自らを語らないひとびとの真実に触れたに違いない。
無名のひとびとを癒す記者の視線が物語の中に込められているという気がする。
だからこそ、藤沢作品は〈大人の小説〉なのだ。

とあるのは、まったく大賛成です。

たしかに、藤沢周平作品の最後の一行の、さりげないけれどどこか余韻の残る終わり方には思わず参ってしまいますが、それを「記者の眼」ととらえた視点は初めてです。なるほど、と読みました。

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