電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

夏の盛りに芽生えた秋の気配は

2021年08月31日 06時00分36秒 | 季節と行事
夏の盛りに芽生えた秋の気配(*1)は、東北の住人に晩夏の残暑を嘆かせながらも、しっかりと根を下ろしつつあります。書斎から見えるいつもの風景にも、異なる要素が混じりはじめました。ヤブランが、少しずつ花茎をのばしています。おや?と気づいたのが昨日。しだいに花茎が伸びて、来月初〜中旬頃には花が咲くでしょう。

そういえば、空の様子もすでに真夏のものではないようです。




これは、すでに秋の空かもなあ。



老母の花畑も、秋の色ですし、妻の寄せ植えも終わりに近い。




大きいものから順に収穫していき、もぎ残した桃がけっこう大きくなっています。おそらく今日明日中に収穫が終わりますが、残り物には福があるらしく、樹上完熟となる川中島白桃は実は生産者の楽しみの一つです。




昨日は、朝のうちにけっこうな雨が降り、小雨の中で収穫をしました。雨に濡れた桃が風情があると言うよりも、やっぱり色の再現性は私のスマホよりもコンパクトデジカメのほうが良いみたい、などと再確認したところです。

(*1): 絶好調時に危機はひそみ、真夏の中に秋は芽生える〜「電網郊外散歩道」2005年8月

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シャワーのありがたさ〜桃の収穫、暑さよりも辛いのは

2021年08月30日 06時01分09秒 | 週末農業・定年農業
我が家の川中島白桃の収穫・出荷がいよいよ大詰めに近づきました。雨降りが続き、作業が遅れていましたが、妻と二人で頑張って、なんとか今月中にめどが付きそうな見通しとなりました。出荷量は昨年を上回る見通しです。出荷できない「はね桃」をご近所の非農家に提供すると、「暑い中、ご苦労さま、嬉しいワ〜!」と喜ばれます。親戚友人知人に宅急便で送った分が到着して、喜びの電話をもらったりすると、これまた嬉しいことで、生産者冥利につきるというものです。

ところで、たしかに桃の作業は暑い真夏の仕事になりますが、実は収穫は早朝の朝仕事が中心で、午前中に選果・箱詰めを行い、お昼に農協に搬入して出荷完了、午後は昼寝をして体を休めるというパターンが多いので、真昼の暑さはさほど影響しません。むしろ桃の作業で辛いのは、表面にある細かい毛というか粉というか、あれです。半袖で作業すると、両腕がかゆくなり、とてもじゃないけど我慢できません。そのため、長袖のシャツを着た上に軍手をして腕カバーをつけるというフル装備。これでかゆみを防止する作戦です。

何が嬉しいと言っても、作業後に自宅に戻り、お風呂でシャワーを浴びるありがたさが一番でしょう。石鹸をつけてよく洗い流し、アレルギー体質の両腕のかゆみを防止します。さっぱりした後に食べる桃は格別です。



ところで、愛用のデジタルカメラを忘れて、スマートフォンで撮影してみましたが、午前10時ころの光なのに、この写真はなんだか夕方の光のような印象です。ホワイトバランスが変なのかな。チープなカシオのコンパクトデジカメのほうが、色の再現性はより良好なのかもしれない。このサイズの桃だと、18玉〜20玉くらいかな。手前の左から3番目あたりが16玉くらいの大きさです。慣れると、ひと目で大きさが判断できるようになります。平コンテナに新聞紙を敷くのは、輸送時に桃の軸周りが擦れて傷んでしまうのを防止するためのものです。これも、老母に聞いて知った生産者の知恵でした。

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最近、呆れたこと

2021年08月29日 06時00分35秒 | Weblog
新型コロナウィルス禍もしだいに様相を変え、現在はデルタ株など変異株が大流行しているようです。本県も連日のように数十人規模の感染者が報道され、少し前とはまるで状況が違ってきました。ただし、内訳を見ると、初期の頃は介護福祉施設での集団感染など高齢者が中心でしたが、今は高齢者のワクチン接種が一巡したおかげで、高齢者の感染や重症化などの事例はぐっと少なくなりました。前記高齢者の一人として、ここまでになったことは、医療従事者の皆さんはじめ行政や関係する業者の皆さんの努力のおかげと感謝するばかりです。

報道によれば、現在はより若い人の感染が中心になってきているようです。若い人はワクチン慎重論が強いのだそうで、この対策として東京都は、若者が渋谷で予約無しでワクチン接種できる機会を作ったのだそうな。ところがこの接種枠が200人までだったそうで、希望する若者たちによって超巨大な行列が発生してしまい、こんどは抽選に変更したとのことです。それでも接種を希望する人が延々と行列を作ったというニュースでした。納得です。ワクチンを打たないんじゃない、打てないんだ、という若者の意見は正論です。

一方、同じ日のテレビのローカルニュースでは青森県むつ市の例が報道(*1)されました。これによれば、市の人口が55,000人のむつ市で、1日に4,000人が接種可能な集団接種が始まったということです。ワクチンの供給が順調にいけば、単純計算ですが、すでに実施済みの高齢者を除き、希望する大部分の市民は7回〜8回程度で完了できる計算になります。

一方で、人口がおよそ1,400万人の東京で、若者を対象にした接種枠が1日数百人というのはありえない。単純計算で人口が250倍なのですから、1日数万人の規模でさえ1桁小さいことになります。東京は東京の難しさがあるだろうことは百も承知の上で、でも今度のこの企画は人をバカにしたものではなかろうか。また、この計画にゴーサインを出した人の実務的な判断力を疑います。こういうことを繰り返していたら、政治を信用していない若い人が、こんどは行政への信頼を失ってしまうのではないかと懸念します。

ふだん時事的・社会時評的な記事は避けている当ブログですが、今回はさすがに呆れました。

(*1): 1日約4000人接種可能 むつ市で大規模な集団接種始まる〜NHK 青森NEWS WEB

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シーチキン等を添えてトマト味の素麺を食べてみる

2021年08月28日 06時01分24秒 | 料理住居衣服
少し前の写真ですが、某日のお昼、風変わりな素麺を作りました。料理と言うにはいささか気恥ずかしい代物ですが、麺つゆを牛乳で割って美味しく食べられる(*1)のなら、麺つゆをトマトジュースで割ってもいけるんじゃないかという発想です。



例によって、変わり麺つゆだけでは面白くないと、椎茸や玉ネギ、万願寺などをさっと炒めて、さらに油を切ったシーチキンとトマトを添えました。これで、栄養的にもバランスがとれるかな?

で、食べてみた結果、麺つゆをトマトジュースで割っただけでは、いささか味がどろっと濃すぎるような気がします。さらに少し水で割ったほうがさっぱりしていいみたい。それとも、麺つゆの昆布だしと味が喧嘩するのだから、トマトジュースだけで塩加減をしてやればいいのだろうか? このへんは好みの問題かもしれませんが、何事もまずは実験。元理科少年の信条です(^o^)/

で、肝心の奥様の評価は? うーむ、翌日から自分でお昼を作るようになりました(^o^)/

(*1): 見かけはパスタ、実は「そうめん」!〜久々のヒット作か〜「電網郊外散歩道」2021年5月

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凹み気分にメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」

2021年08月27日 06時00分36秒 | -オーケストラ
日々の暮らしの中で、例えば桃の収穫最盛期なのに雨ばかり降っているとか一日ドックの指定日になっているとか、物事が思うように進まず凹み気分のときは、仕方がないので好きな音楽を聴いて過ごします。そんなときは、元気いっぱいな曲のパワフルな演奏に心惹かれるとは限りません。むしろ、基本的には前向きな音楽をしっとりと演奏する、古楽ブーム以前のよく馴染んだ音楽に手が伸びます。今回は、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を、カラヤン指揮ベルリン・フィルの録音で何度も繰り返して聴きました。

この録音、たしか私が学生時代の1970年代初頭のものではなかったか。音楽雑誌では、黒田恭一氏あたりは積極的に評価していましたが、一部の評論家やライター氏は色々なことを言っていました。ナチスに加担したカラヤンが、ユダヤ人だからと弾圧されたメンデルスゾーンの音楽をいまさら取り上げるのはどういうつもりだとか、そんなような批判です。今の年齢になってみると、当時この録音を批判した評論家やライター氏は、もしかしたら単に言ってみただけなのではないかと思ってしまうのです。今の時代とは異なり、インターネットなどという情報もなかったわけで、既存の情報をつなぎ合わせるしかなかったでしょう。逆に、日本語の文章に対してヨーロッパから苦情を言われる心配もなかったでしょう。その意味では、一つの発言に世界中から批判が飛んでくる現代のレスポンスとはまるで違う環境ではありました。

カラヤンは、なぜか第1楽章での繰り返しを省略しています。また、第3楽章のゆったりしたテンポが特色かもしれません。流麗の極みとも感じる音楽を聴いていると、凹み気分が少し前向きになります。そういえば、私はこの曲をかなり取り上げています(*1)し、山響の定期演奏会でもかなりの回数聴いています。やっぱり、好きなんだなあ、この曲。

■カラヤン指揮ベルリンフィル、1971年録音
I=8'04" II=6'25" III=7'59" IV=5'36"



YouTube では、現代のいろいろな演奏を聴くことができます。その中から、パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団の動画を。
Mendelssohn: 4. Sinfonie (»Italienische«) ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Paavo Järvi


(*1): 例えば メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を聴く〜「電網郊外散歩道」2005年8月

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よく使うツールは、この10年でさらにどう変化したか

2021年08月26日 06時00分37秒 | 手帳文具書斎
今から10年前の2011年に、「よく使うルールは、この30年でどう変化したか」という記事(*1)を書きました。また、20年(*2)、10年(*3)という具合に、10年区切りで推移を比較しました。では、さらに10年が経過した2021年の現在は、さらにどう変化しているのだろうか。もちろん、常に持ち歩いているようなものに限っての話です。



  1. 綴じ手帳
  2. 備忘録ノート(A5判)
  3. 老眼鏡
  4. 万年筆
  5. タッチペン型ボールペン
  6. スマートフォン
  7. コンパクト・デジタルカメラ
  8. 腕時計
  9. 財布
  10. 車のキー、靴べら
  11. ハンカチ・ちり紙

というところでしょうか。

2011年当時はどうだったかというと、写真で比較することができます。



10年前と比較して変化した点と言うと、

  • 退職して自宅がベースになったので、USBメモリ等で常時データを持ち歩く必要がなくなった。
  • 代わりに、老眼鏡が必須になった。
  • PHSがスマートフォンになった。
  • システム手帳をやめ、綴じ手帳に戻った。
  • ボールペンはJetstreamのタッチペンとPowerTankを使うことが多いが、筆記具は万年筆中心になっている。
  • 携帯音楽プレーヤーを使わなくなった。聴力の保護のためイヤホン使用を控えていることと、カーステレオがUSBメモリでたくさんの楽曲を聴くことができるため。

などでしょうか。Kindle PaperWhite や Android タブレットを持ち歩いて本を読むことも可能ではあるのですが、それはもっぱら枕元読書のスタイルが変化しただけで、移動時には文庫本や新書本を手にすることが多いです。おそらく、電池の残り容量を気にするモノを多く持ちたくないという心理が働くためだろうと思います。

(*1): よく使うツールは、この30年でどう変化したか〜「電網郊外散歩道」2011年2月
(*2): よく使うツールは、この20年でどう変化したか〜「電網郊外散歩道」2011年2月
(*3): よく使うツールは、この10年でどう変化したか〜「電網郊外散歩道」2011年2月

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来年度のジャガイモ種芋を農協に予約注文

2021年08月25日 06時00分56秒 | 週末農業・定年農業
農協から案内があり、来年度の馬鈴薯(ジャガイモ)の種芋を予約注文しました。今年は、数日出遅れたのが響いてどの店にも種芋がないという状況になり、困った挙げ句に通販で岡山県から購入するという事態になりました。来年は今年の轍を踏みたくないので、早々に農協に予約注文しておくことにしたものです。

2022年 自家用ジャガイモ種芋  ■男爵:3kg、 ■キタアカリ:2kg  予約注文済

こんなふうにブログに記録しておけば、来春になってから予約したのを忘れて種芋を探し回ることも避けられるでしょう。当ブログの「週末農業・定年農業」カテゴリーの記事は、検索が容易な点を活かして、写真記録付きの農事メモになっています。たいへん便利です。



ちなみに、今年のジャガイモ(アンデスレッド)は、植え付けた時期が遅れて生育も遅れ気味でしたが、夏場に順調に成長し、なんとか追いついたようで、8月上旬にコンテナ1個分を収穫しました。収穫後、風通しの良い日陰で乾かしましたので、その後の状況も良好のようです。さっそく妻がポテトサラダを作ってくれました。たいへん美味しくいただきました。少し涼しくなったら、シチューやじゃがバターなどを作って試してみたいものです。

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死亡率ではなく後遺症が問題か〜新型コロナウィルス禍

2021年08月24日 06時00分44秒 | 健康
先日、お昼のテレビを観た後で、新型コロナウィルス感染症の後遺症の実態を示す映像に驚かされました。これです。

[新型コロナウイルス] 後遺症の実態 | 命を守る行動を | NHK〜YouTube より
(埋め込みは許可されていないようなので、リンクのみ記します。)

思わずノートにとってしまいましたが、かなり多くの、かつ深刻な後遺症が報告される中で、特にブレイン・フォグ(脳の霧)と呼ばれる現象に注目しました。感染し、回復後に記憶力や注意力の低下が見られるとのことで、全般的に重症になるほど認知能力の低下が顕著ですが、軽症でも一定の認知能力の低下が見られるということです。

考えてみれば、ワクチン未接種の人は新型コロナウィルスへの免疫を持ちませんので、鼻や口などから侵入したウィルスは、口腔や鼻腔から気管支、肺に及ぶ呼吸器全体を侵襲するだけでなく、その周辺の組織・器官にも感染を広げることになります。味覚や嗅覚に異常が見られるということは、神経組織がダメージを受けていることを示しており、ウィルス感染とそれに伴う自己免疫疾患のような影響は、感覚神経だけにとどまらず他の脳神経組織にも及ぶと考えるほうが自然です。であれば、ブレイン・フォグという現象は有りえます、納得できます。

以前、当地に日立建機の工場がある関係で、工場長さんのお話を聞いたことがあります。カンボジアの内戦の結果、大量の地雷が使われ、内戦終了後も残っている地雷で多くの犠牲者が出ていた実状を見かねて、地雷除去機を開発(*1)して畑にする話でした。核兵器の怖さは一瞬にして蒸発する怖さですが、対人地雷は例えば片足を失うことでその人の未来の多くを奪ってしまう。

新型コロナウィルス感染症は死亡率が低いので風邪と同じだという意見がありますが、それは対人地雷は核兵器ほど怖くないと言うようなものでしょう。対人地雷は、命は失わないけれど足を失うなどの犠牲者を多く出すことで、特に子供の犠牲者が多くなることで、敵側の負担を増大させてじわじわと弱体化させるという非人道的な兵器だったわけですが、死亡率だけで考えてはいけないということは明白です。

(*1): 日本製の誇りを売れ!命がけの超現場主義〜山梨日立建機社長・雨宮清氏〜テレビ東京

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出羽三山でアンサンブル〜金管五重奏と弦楽四重奏〜

2021年08月23日 06時00分09秒 | クラシック音楽
山形交響楽団のホームページ(*1)が一新され、WEBでチケットを購入することができるようになりました。これにあわせ、先のクラウドファンディングや「山形交響楽団×出羽三山」などのコラボ演奏なども紹介されています。蒸し暑い夏に出羽三山の涼しさをお届けできたら幸いと、動画を2つほど選んでご紹介します。

山形交響楽団×出羽三山 金管五重奏in羽黒山五重塔 
(1)「もののけ姫」、(2) J.S.Bach 「小フーガト短調」、(3)「私のお気に入り」


山形交響楽団×出羽三山 弦楽四重奏in羽黒山できるようになりました。三神合祭殿 【御奉納演奏】
(1) 「最上川舟歌」、(2) W.A.モーツァルト 弦楽四重奏曲第17番「狩」第1楽章




当地では、祖父あるいは亡父の少し上の世代あたりまで、若衆(男)が先達に導かれて歩いて月山に登り、湯殿山に参り、無事に帰宅してはじめて一人前として認められるという慣習がありました。その先達は地元の先輩がつとめ、現在の西川町、岩根沢などの宿坊に一泊した後は、宿坊の人が先達をつとめたということです。そういえば、西川町の同級生の家を訪ねた時、詩人の丸山薫記念館とともに、今は出羽三山神社の社務所となっている旧「日月寺」(*2)を見学し、かつて東日本一円に広がった出羽三山信仰文化圏(*3)における内陸側の正面入口だったという寺の庫裏の広さと大黒柱の太さに驚いたものでした。なるほど、それで当地にも「湯殿山」と彫られた石碑が残されているのだな、と納得したものです。

出羽三山と言えば、今はすっかり神道の神社というイメージですが、実はつい明治時代まで、神仏習合の山岳密教だった歴史があります。戊辰戦争の頃、明治政府から発せられたいわゆる神仏分離令によって、仏教と修験道が混じり合った独特の山岳宗教は、内陸側の真言宗寺院と庄内側の天台宗寺院の軋轢を経て、仏域と神域に二分し神域が出羽(三山)神社となりました。神域における仏教の経典は焼かれ建物は破却されることとなり、明治政府の調査が行われ、羽黒山の五重塔は仏教施設だから壊せと言われたとき、前夜のうちにあらかじめ本尊を鏡に入れ替えておき、これは天照大神を祀った神道の建物である、その証拠に仏教の五重塔は朱塗りだがここは白木であると言い逃れたために、破壊を免れたということです。

私たちは、宗教上の理由をつけて破壊行為を行う外国での蛮行に眉をひそめますが、明治の時代に日本でも宗教的バーバリズムが吹き荒れた時期がある(*4)ことなど、ふだんはすっかり忘れております。でも、戊辰戦争の脅威を間近に受けながら先人がなんとか保存することができた場所が、今や日本の文化遺産となっているわけです。そこで西洋音楽の精髄であるオーケストラ、山形交響楽団のメンバーが音楽を演奏する。それが、実にしっくりすることに驚かされます。そういえば、古来、文化は浸透していくものだと気がつきます。もちろん、伝える人たちの努力と受け入れる人たちの受容性によって、ですけれども。

(*1): 山形交響楽団ホームページ
(*2): 岩根沢三山神社(旧日月寺)〜月山朝日観光協会
(*3): 出羽三山信仰圏の地理学的考察, 岩鼻通明〜京都大学学術情報リポジトリより(PDF)
(*4): 例えば 神仏習合:神仏分離前の出羽三山、鵜飼秀徳『仏教抹殺〜なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(文春新書) など。以前の記事では、寒河江市「慈恩寺の美仏と阿弥陀仏たち」展を見る〜「電網郊外散歩道」2015年7月

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愛用のデジタルカメラのケースが寿命みたい

2021年08月22日 06時00分07秒 | ブログ運営
愛用しているコンパクトデジタルカメラ CASIO の Exilim EX-Z30 が故障して EX-Z330 に更新(*1)したのが2010年の春で、そのときにカメラの厚みに合わせてソフトケースに切り替えたのでした。2021年の現在、カメラケースのファスナーが壊れて、途中で綴じなくなってしまいました。だいぶ汚れていますし、便利ではありましたが、問答無用で更新でしょう。さて、コンパクトデジカメの退潮が言われて久しく、コンパクトデジカメ用のカメラケースなど売っているのだろうか?



量販店に行き、カメラケースを探してみました。ない! 昔はあんなにいろいろあったカメラケースが、ほんの少ししかないのです。スマートフォンのケースはずらりと並んでいるのですが、コンパクト・デジタルカメラそのものが、もうほとんどないというのが実状でした。一眼レフ、とくにミラーレスタイプのコンパクトな一眼レフは辛うじて生き残っていますが、時代はすっかり変わっていることをあらためて実感しました。

現役時代なら、「この際だからミラーレス一眼に変更!」とか言って、オリンパス・ペンあたりに触手を伸ばすところですが、年金生活の兼業農家となっている今、まだ使えるものは壊れないように大事に使いたい。で、購入したのは Nikon のカメラケース CS-NH55BR という明るい茶色のタイプ。



これなら、厚みは増しますがカメラの保護には役立ちそうです。Nikon のケースに CASIO のカメラという羊頭狗肉の状態ですが、まあ他人に見せるためではないので良しとしましょう。



ちなみに、横長の写真はスマートフォンで撮りました。どうも、スマホカバーをブラブラさせながら写真を撮るのは、気分的にイマイチですね〜(^o^)/

(*1): 新しいコンパクト・デジカメを購入する〜「電網郊外散歩道」2010年4月

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川中島白桃の季節〜【業務連絡】来週から収穫出荷に入れそうです

2021年08月21日 06時00分04秒 | 週末農業・定年農業
過日、妻が長年にわたり地域での役割を果たしてくれた功績を称える表彰を受けてきました。たしかに、東日本大震災の際にすぐに独居老人宅を回り安否を確認したり、突然一人暮らしになってしまった障碍者の生活の不便を生存の危機ととらえ、すぐにヘルパーさんが来てもらえるようにしたり、その奮闘ぶりは私も声を大にして称賛するものです。夜はお寿司を取り、ビールで乾杯して労をねぎらいました。

翌日は晴天の予報でしたので、早朝からサクランボと桃の防除を実施しました。空き家となっている家の放置果樹園にアメリカシロヒトリが大発生し、樹全体が白く網がかかったような状態になっていまして、当然のことながら隣接しているこちらにも影響が及び、プルーンがだいぶやられている模様。野ネズミ被害と大雪によりサクランボは倒壊し、自宅裏の果樹園は半分近くが崩壊状態になっており、困ったものです。

自宅に近い方の半分はなんとか健全に維持できており、サクランボ、桃(あかつき)、梅などを収穫、出荷しました。また、少し離れた園地にサクランボ、川中島白桃、リンゴがかなりたくさん植えてあり、特に川中島白桃とリンゴが収穫を待っています。二箇所の園地の防除を終えると汗びっしょりで、シャワーを浴びてさっぱりし、ゆっくり朝食を食べました。いやはや、真夏の防除作業は熱中症にならない工夫が必要だと実感します。

さて【業務連絡】です。川中島白桃は、来週から収穫・出荷に入れそうです。「川中島白桃」をご希望の方は、サクランボの注文の際のメールアドレス(@niftyのほう)に、送り先の郵便番号と住所、電話番号、送り主の郵便番号と住所、電話番号、数量(箱数) をお知らせください。16玉〜18玉、5kg、2,000円(送料別)、クロネコ便です。

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吉村昭『雪の花』を読む

2021年08月20日 06時00分54秒 | -吉村昭
江戸時代まで、天然痘は治療法のない恐ろしい感染症でした。何度も大流行があり、死亡率は高く、回復できた場合であっても顔などに痘痕が残り、とくに若い女性には悲嘆のもととなりました。そんな時代に、福井藩の町医者の子として生まれた笠原良策は熱心な漢方医として成長しますが、天然痘の流行にはやはりなすすべを知らず、無力を感じるばかりでした。ある日、疲れを取ろうと訪れた山中温泉で、加賀国(石川県)在住の同業の医師と同宿となり、蘭学、西洋医学の話を聞きます。蘭方医の新知識に興味を持った良策は、日野鼎哉のもとで学ぶことを決意し、京都に向かいます。そこで出会った書物『引痘略』により、牛痘を用いたジェンナーの種痘法の概要を知ります。

恐ろしい感染症を予防する方法がある。一度牛痘にかかった者は、二度と天然痘に感染することはない。種痘法による免疫の獲得です。問題は、牛痘の苗をいかにして入手するかでした。笠原良策は、名君の声が高い福井藩主・松平春嶽に願い出て許諾を得、外国から渡ってきた牛痘の苗を入手します。七人の子どもに接種しますがようやく一人だけ発痘し、この苗を7日間隔で新しい子どもに植え継ぐことで多くの人々を救う可能性を見出します。京都において一定の実績を積み重ねた後、大雪の中の山越えを敢行し、痘苗を植え継いだ子どもを福井に運ぶことに成功します。しかし、福井での種痘の実施は、身分制の壁と種痘法への偏見が立ちはだかり、困難な日々が続くのでした。



京都ではある程度順調に進んだ種痘が、福井ではあれほど困難だったのはなぜか。一つには笠原良策を支援する背景というか、ネットワークが弱体だったからと言えそうです。京都では緒方洪庵が痘苗を請うて訪ねてくるほどでしたが、福井では藩医でもない単なる町医者にすぎない。そういう身分制の強さが障壁となったのではなかろうか。さらに、牛痘を接種したら牛になるとか、疱瘡の毒を体内に入れるのだから悪化するに決まっているとか、当時もまた偏見と猜疑心と臆病とが混じり合った悪評が絶えなかったことでしょう。しかし、繰り返される天然痘の流行に際し種痘を受けた者は助かり、受けなかった者からは多くの犠牲が出たことで、論より証拠、種痘法はやがて全国各地に広まっていきます。

ジェンナーの種痘法の発見が1796年、牛痘由来の痘苗が日本に到来したのが1848年ですから、52年後ということになります。鎖国の時代背景を考えれば、ずいぶん早かったと考えることもできるでしょう。著者・吉村昭氏は、ロシアで種痘法を習得し帰国後に蝦夷地で種痘を実施した経緯を別の物語として描いていjますが、これは後に続きませんでしたので、やはり日本では笠原良策の業績が重要でしょう。以後、世界と同様に日本中で種痘、天然痘ワクチンの接種が行われ、私を含む中高年世代は腕にしっかりと痘痕が残っていますが、1980(昭和55)年にはWHOが天然痘の撲滅を宣言し、大きなニュースとなりました。その後、種痘は行われなくなり、若い人たちの腕には痘痕はみられなくなりましたが、これが逆に他のワクチンも不要だとの誤解を招き、いくつかのワクチンの副反応に対する(おそらくは無自覚な善意と正義感からなる)報道キャンペーンも重なって、公衆衛生を担当する官公庁の及び腰とワクチン不信の流れとなっていったのだろうと思います。もしそうだとしたら、先人ははたして何と言うのだろうか?

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なんだか怪しいぞ〜「移転しました」だけのブログはありうるか

2021年08月19日 06時00分52秒 | ブログ運営
goo ブログに限らず多くのブログサイトでは、同じ運営企業のユーザーが来訪した記録をアクセス管理画面から確認することができ、このときユーザー名をクリックすることで相手のブログを訪問することができるようになっています。過去には不特定多数を対象にしたトラックバックという機能があり、これがスパムの温床となって廃れたという歴史がありますが、いわば自社ユーザー内だけのトラックバック機能のようなものでしょうか。

ところが、先日、妙な訪問記録を発見しました。ユーザー名は女性のような感じですが、相手先ブログはトップページだけで他の記事は皆無、しかもそのトップページには「移転しました」とかなんとか、なにやらリンク先があるだけです。

おかしいんでないかい!

普通、ブログには何らかの記事があって、その上で参考になるリンクが張ってあるものです。たとえブログサービスの運営母体(gooなど)に不満があって他社に移転するにしろ、それまでの経過というか、記事の蓄積があるはず。たぶん、この「移転先」なるものをクリックすると、何やら

怪しいところに飛ばされるのだろうなあ!

いかにも善良なブログユーザーをねらった「釣り」の気配が濃厚です。君子危うきに近寄らず。備忘のために記載しておきましょう。

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パソコンの台数を減らす〜Windowsデスクトップはハード側の問題みたい

2021年08月18日 06時00分04秒 | コンピュータ
リビングに置いて使っていたWindowsデスクトップが不調で、「デバイスに問題が〜」というメッセージを出して再起動を繰り返します(*1)。Windows10 のアップデートの問題なのかと思い、Linux の LiveDVD で起動してみたところ、これまた途中で問題発生。結局は、Windows7 当時の2013年 Iiyama 製デスクトップのハード的な問題と見切りをつけ、これも廃止することにしました。代わりに、今までプレゼン用に使っていたサブノートパソコン ThinkPad Edge E130 (*2)を置いてみたところ、小型のPCデスクにもかかわらず実に広々としています。もうサブノートでプレゼンという場面もあまりないだろうし、これでいいなあ。家族がそれぞれ使っているものは別として、私が使っているパソコンは、メインの Ubuntu Linux 機(hp Pavillion 550-240jp/CT)とあわせて、これで2台だけになりました。サブノートPCは2013年、デスクトップPCは2016年に購入したものですが、メモリはそれぞれ8GBと16GBを積んでおり、耐久性に問題がなければまだまだ現役なはずです。

もうじき古希のジイチャンが、今は仕事でネットワークのお守りをすることもなくなったし、そうそうたくさんの台数のPCを無駄に使い続けることもあるまいと判断して、必要以上の台数を少しずつ減らしていくことにしました。幸いに、オリンピックの金メダルを作るために、パソコンや電子機器のリサイクルがまだ続いているらしく、来月末まで無償で引き取ってくれるところもあるようです。ハードディスクのデータ消去を依頼すると有料となるようですが、幸いに Iiyama 製デスクトップは Windows で使っていたハードディスクを Linux で上書きした直後ですので、問題ないでしょう。もう一つ、2002年購入でずいぶん長く使った SOTEC の WindowsXP 機も物置から出してきて電源を入れてみましたがアウトでした。電源が入らなければデータ消去もできませんので、分解して HDD を外し、コンクリートに何度かたたきつけて物理的にデータを読み出せなくさせ、キーボードもあわせて梱包しましたら2台でなんとか 20kg 未満という条件に収まり、佐川急便で引き取ってもらいました。

もう1台、データ消去が終わっていない Ubuntu Linux 機 hp s3540jp/CT(*3) (写真中央)が残っていて、物置にはまだ富士通の FMV-6450CL3 など VineLinux 時代のPC(*4)があるはずです。近日中に、こちらもあわせて処分する予定です。ほんとは、新しいパソコンを購入したときに処分すればよかったのだけれど、職場の感覚で「自宅どこでもPC」化に再利用して、処分まで思い至らなかったのだな。PCの断捨離を実行できたのは、古希の声を聞いてからだったということか(^o^;)>poripori

(*1): 新型コロナワクチン接種の予約ができた〜Windowsパソコンの不調と対応〜「電網郊外散歩道」2021年6月
(*2): 新しいサブノートパソコンが届く〜「電網郊外散歩道」2013年6月
(*3): 新しいパソコンが届く〜「電網郊外散歩道」2008年9月
(*4): 古いパソコンの限界〜「電網郊外散歩道」2009年8月

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横着者と社会的制裁

2021年08月17日 06時00分12秒 | Weblog
いつの時代にも横着な気持ちになることはありうるし、それを実行に移してしまう横着者は存在するでしょう。封建時代には、武家による支配の他に、例えば農村部では村八分のような形で社会的制裁が行われました。これは、火事と葬式では助けるけれど、その他は共同体の互助システムから外されてしまうもので、実際にはかなり困ったことになるため、実効性のある制裁となったことでしょう。戦後は、特に封建的な慣習として村八分というものが批判攻撃され、今だに村八分が行きている土地などというともう大変な色眼鏡で見られますので、当地で耳にすることはほとんどなくなりました。

では現代では、法令に抵触しなければ何をしても良いのかというと、必ずしもそうではない。法令には触れていないとグレーゾーンを大手を振って歩こうとする横着者は、思いがけないところで失敗し、ある日突然、社会的制裁を受けることがあります。大都市の自由な空気の中で、社会的制裁の怖さを知らずに過ごしてきた横着者が、様々な形で社会的制裁を受ける。それは逆に、法令にあるような罰の上限が示されていないだけにとめどなく続き、終わりが見えない面があります。現代の社会、とくにネット社会は、そういう村八分的な怖い面も持っています。ともすれば生じがちな横着な気持ちを抑え、横着な振る舞いをすることがないよう、大人としての自制心が求められるところと自戒しています。

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