電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

プロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲第2番」を聴く

2009年02月28日 06時20分37秒 | -協奏曲
リムスキー・コルサコフの「弦楽六重奏曲」の次に車に積み込んだのは、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲のCDです。ボリス・ベルキンのヴァイオリン、マイケル・スターン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏で、今回は第2番を取り上げます。

プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番は、ロシア革命のその年に完成し、26歳の若さの作曲者御本人は母国を離れ、外国に亡命してしまいます。でも1933年にはソ連に帰国、この頃「ロミオとジュリエット」や「キージェ中尉」などを作曲し、好評を博します。同国の広告塔として、まだ優遇されていたであろう1935年に、このヴァイオリン協奏曲第2番が作られています。添付された解説書によれば、この作品が作曲された経緯は、フランスのヴァイオリニスト、ロベール・ソータンからの依頼によるものだそうで、演奏旅行中に第1楽章を書き始めたのはパリ、第2楽章はロシアの小都市ヴォロネジ、そしてスペインのマドリードで初演されたという記録があります。さて、なぜスペインなのか?

Wikipedia によれば、1935年といえば、ヒトラーがヴェルサイユ条約を破棄し、ナチス・ドイツの再軍備を宣言した年です。日本で言えば、美濃部達吉氏が天皇機関説で不敬罪に問われた頃。コミンテルンが第7回大会において人民戦線戦術を採用し、台頭するファシズムに危機感が高まっていた時代。やがてフランコ独裁にいたるスペイン内戦の直前、第2共和制末期に、プロコフィエフはソ連から演奏旅行を許可された(派遣された?)ことになります。まだ若く無鉄砲だった「赤いピアニスト」ではすでになく、40代半ばの分別ある大人として、自分が果たすべき広告塔の役割を自覚していなかったはずはないでしょう。

第1楽章、アレグロ・モデラート、4/4拍子。独奏ヴァイオリンが不安げな主題を奏しはじめ、オーケストラが受け継ぎます。独奏ヴァイオリンの速いパッセージを経て、ゆったりと下降する第2主題が登場、ぐっと盛り上がり、弦のピツィカートで静かにこの楽章が終わります。
第2楽章、アンダンテ・アッサイ~アレグレット、12/8拍子。独奏ヴァイオリンがあたたかく優しい主題を奏でます。背景でリズムを刻む管楽器が、人形か鉄腕アトムの歩行の効果音のようで面白い。変奏の後、アレグレットの中間部で登場するフルート・ソロが魅力的です。なんともプロコフィエフらしい、美しい緩徐楽章です。
第3楽章、アレグロ・ベン・マルカート、3/4拍子。カスタネットを伴い、どことなくスペイン風な旋律は、こうした演奏旅行の背景を考えると、納得できますし、どこか不安げでせわしなく、何かに急かされるような曲の雰囲気も、こうした時代背景を思えばよく理解できるような気がします。

この曲は、ハイフェッツが愛奏して世界的に知られるようになったのだとか。ハイフェッツの年代であれば、例えばヒルトン原作の映画「心の旅路」に描かれたような、両大戦間の不安な背景を知るだけに、この作品の美しさも不安感も、身近なものだったことでしょう。現代の私たちには、「それでもこの作品は美しい!」と感じることができるだけですが。

ボリス・ベルキン盤は、DENON COCO-70667 という型番のクレスト1000シリーズ中の1枚で、1993年にチューリヒ・トーンハレでデジタル録音されたもので、プロデューサーは川口義晴氏。録音も良好で、聴きやすいものです。
もう一枚、アイザック・スターン盤は学生時代に購入した懐かしいLPで、CBS-SONY の SONC 10400 という型番。やや速目のテンポで奏する全盛期のスターンのソロはたいへん見事なものですが、オーマンディ指揮フィラデルフィア管のバックもたいへん立派です。

■ボリス・ベルキン(Vn)、マイケル・スターン指揮チューリヒ・トーンハレ管
I=10'50" II=10'08" III=5'58" total=26'56"
■スターン(Vn)、オーマンディ指揮フィラデルフィア管
I=10'24" II=9'31" III=6'00" total=25'55"
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こんどはMOドライブがお下がりで戻る

2009年02月27日 06時36分18秒 | コンピュータ
娘が学生時代に使っていたデスクトップ型お下がりパソコンは、今のところ快調に動いており、Windows 環境が必要なときに使えるのは、やはりありがたいものです。先日はまた、同様に買ってやった光磁気ディスク(MO)ドライブが不要になったからと、戻って来てしまいました。ドライブはもちろん完動品で、Olympus の 640MB 対応のものです。今や数GB単位の USB メモリが、実に安価に購入できる時代ですので、バックアップメディアとしての存在意義は薄れているのかもしれません。大量の音楽や動画データのバックアップに用いられることの多い書き込み可能な光学メディアは、実は色素を用いていますので熱や紫外線に弱く、特に R/W タイプなどをうっかり真夏の車の中に置き忘れたりしようものなら、データはたちまちダメになってしまいます。



写真のように、当方は SONY の 128MB 用ドライブの時代からの MO ユーザーですので、通常のメールやブログ、テキストファイル備忘録などのバックアップには、追記自在で保存にも安心感があります。これで、単身赴任アパートに1台、自宅に1台、ドライブの共通化ができてしまいました。
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ようやく画面デザインに慣れてきたようだ

2009年02月26日 06時32分47秒 | ブログ運営
2月8日に、思い切って当ブログのテンプレートを変更してから、最近は新しいデザインにも落ち着きが感じられるようになりました。以前の強烈なオレンジ色のポップさに比べると、今の方が同系色ではありますが、ややパステル・カラーふうで、やさしい感じがします。
ちなみに、以前の画面デザインは、こんな感じ。そうか、2004年の冬は記録的な暖冬で、12月の末にもまだ雪が降らなかったのですね。



これに対し、現在のデザインはこんな感じ。一応、画面サイズはだいたい同じくらいかな?



まあ、感覚的な問題なので、好き好きの部類ですが、以前のデザインよりも明るくしゃれた感じではあります。

あらためて気づいたのですが、2004年当時は、Netscape 7.1 を使っていたんですね。そういえば、一部のブログでコメントができないことに気づき、Mozilla 経由で Firefox に乗り換えたのでした。たかだか5年とはいえ、なんだかずいぶん昔のような気がいたします。
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梶尾真治『つばき、時跳び』を読む

2009年02月25日 06時28分33秒 | 読書
何らかの偶然で、時代を超えて過去や未来へ飛んでしまう、いわゆるタイムスリップものを初めて読んだのは、本書の本文中でも言及されている、マーク・トゥエインの『アーサー王宮廷のヤンキー』でした。これは実におもしろかった!さらにいささか趣きは異なりますが、半村良『戦国自衛隊』や、ジュード・デヴロー『時のかなたの恋人』(*1)なども面白く読みました。今回読んだ、梶尾真治著『つばき、時跳び』(平凡社)は、どちらかといえば『時のかなたの恋人』に通じる、時代を隔てたラブ・ロマンスです。

サラリーマンをやめ、専業作家生活を始めた井納惇は、祖父の家「百椿庵」に住み始めます。そこで、母が見たことがあるという若い女の幽霊に出会います。ですがそれは、実は幽霊ではなく、百椿庵の屋根裏に装備された時間移動を司る装置によって現代に飛んで来た、幕末の時代の娘でした。彼女の名は「つばき」。150年前に、1人で百椿庵に住んでいたのです。惇はつばきに現代のいろいろを手ほどきしますが、これは映画「マイフェアレディ」風。さらに着物ではなく現代の洋服を着せて、現代の町を案内します。このあたりは、映画「ローマの休日」風味。ところが、不注意にもつばきは幕末に戻されてしまいます。惇は彼女のことが忘れられず、屋根裏の装置をあれこれ探るうちに、今度は自分が幕末の百椿庵に移動することになってしまい、つばきに再会するのですが………というお話。



なかなかよくできたタイムスリップ・ラブロマンスです。現代の台所で、つばきが中性洗剤に感動し、油汚れがどんどん落ちることに驚いていますが、むしろガステーブルで鍋底にススがつかないことに驚くべきでしょう。長年、山形で芋煮会をしている者としては、鍋底にこびりついたススをかき落とす手間が、いちばんうっとおしい作業であることを痛感していますので。そんなこともあり、面白さから言えば、過去の時代から来た娘に現代を案内するよりも、現代の主人公が幕末の世に飛んでいってからの方がずっと面白いと感じます。

野暮を承知で、もう一つだけ疑問を呈しておきましょう。クロミウムとかいう、時間移動をつかさどる金属は、どうやら昇華性のものらしい。しかも、

前日、自分で手にしたときよりも、あの梁に差し込まれていたピンクがかった金属棒が、驚いたことに、ひとまわり小さくなっていた。
目の錯覚などではなかった。昨夜、原稿用紙が風で飛んだりしないようにと、その上に置いた。縦に置いた金属棒は、やや原稿用紙からはみ出ていた。それが、今では、原稿用紙内におさまっている。
(中略)
金属棒を手に持つと、確かに軽くなっていることがわかった。梁からはずしたことで昇華が促進されているのだろうか。

という具合に、一晩ではっきりと質量の減少さえわかるほど昇華が速いのであれば、幕末から現代まで存在し続けられるはずがない。逆に、幕末から現代まで、油紙に包まれて昇華せずに残っていたのなら、たかだか一晩で、小さくなったのがわかるほど急に昇華が進むのは不自然です。
つばきさんが再び幕末に飛ばされてしまう物語の展開上、必要な属性であることはわかりますが、昇華速度の不均一というのは、あまり納得できる想定ではないように思います。

まあ、そんなことは野暮なツッコミであることはもとより承知。つばき嬢は「ローマの休日」でいうところのアン王女でありますが、この映画の方は別れの後の空虚さで終わるのにたいして、こちらの物語はカルピスソーダのように甘酸っぱいハッピーエンドです。

この百椿庵という建物は、実は著者の自宅なのだそうで(*2)、こういう椿の花がたくさん咲き誇るお家に、一度住んでみたいものです。いえ、幽霊や幕末のお嬢さんの御訪問は、つつしんでご辞退申し上げますが(^o^)/

(*1):ジュード・デヴロー『時のかなたの恋人』を読む~電網郊外散歩道
(*2):カジシン・エッセイ第24回「時を超える話」~高橋酒造株式会社
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祝「おくりびと」オスカー受賞!

2009年02月24日 06時20分22秒 | Weblog
過日、映画を観たばかり(*)の「おくりびと」ですが、とうとうオスカーを受賞してしまいました!どうも内外の各賞総なめのような感じです。すごいですね~。
映画がほんとに良かっただけに、納得です。
そうか、すると、山響はオスカー受賞作主演オーケストラだし、飯森範親さんはオスカー受賞作主演指揮者ということになるのですね。「第九」の演奏シーンで画面右側に大きく登場したチェロの茂木さんも、オスカー受賞作出演奏者ということに(^o^)/
撮影で登場した酒田市や鶴岡市は、一躍世界的ロケ地になったわけです!
目出度い!
当方、(ナショナリズムというよりはローカリズムの観点から)単身赴任の宿で快哉を叫んでおります。



(*):映画「おくりびと」を観る~「電網郊外散歩道」より
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オーケストラと室内楽

2009年02月23日 06時50分52秒 | クラシック音楽
規模の大小はありますが、オーケストラによる管弦楽作品をCD等で続けて聴いていると、ピアノソナタなどの独奏曲や室内楽などを聴きたくなります。反対に、室内楽や歌曲ばかりを続けて聴いていると、大編成のシンフォニーやオペラを聴いてみたくなります。感覚の楽しみはかなりわがままで、昔の王侯貴族に仕えたお抱え楽人たちも、ずいぶん苦労したことでしょう。幸いに、現代ではCD/DVDなどというものがあり、棚中よりあれこれ選び出しながら、気ままに音楽を楽しむことができます。
では、実演ではどうか?

昭和48(1973)年に初版が刊行された、大木正興著『室内楽のたのしみ』(音楽之友社)によれば、地方の音楽鑑賞組織や文化活動団体によって、著明な演奏家を招いて室内楽の演奏会がしばしば行われるものの、それは経費のかかるオーケストラの演奏会のかわりに安上がりの代用品として行われるだけにすぎない、という厳しい指摘がありました。もちろん、長年室内楽の振興を願って活動した著者の意図するところは、代用品としてではなく、室内楽の独自の魅力と価値を認めてほしい、ということなのですが、では本書が書かれてから36年後、平成21(2009)年の今日の状況はどうなのだろうか。

幸いなことに当地山形には、村川千秋氏が中心となって結成したプロ・オーケストラである山形交響楽団があり、若い音楽監督を迎え、意欲的に活動しております。また、山響団員を中心として結成された常設のカルテットである山形弦楽四重奏団が、ハイドンの弦楽四重奏曲全曲演奏という目標をかかげ、年四回のペースで定期演奏会を行うなどの活動を続けています。文翔館議場ホールという文化財の建物の中で行われる演奏会に集まる聴衆は、人口20万人規模の地方都市において、コンスタントに80人程度を集めており、単純に人口比で言えば、100万都市なら400人、1000万都市なら4000人規模の聴衆に相当する比率となっています。
そのほかにも、定期的ではありませんが、管楽器を含むさまざまな形の室内楽アンサンブルが演奏会を開くなど、室内楽の演奏会が一定のレベルで成り立っているようです。

私を含め、聴衆はオーケストラ音楽の代用品として室内楽演奏会に足を運んでいるわけではないでしょう。それなら山響の演奏会に行けばよいのですから。実際は、オーケストラの演奏会を楽しみつつ、室内楽演奏会をも楽しんでいるのだと思います。地元にオーケストラがあってこそ、室内楽も定着することができる。その見本のような都市の姿です。その意味では、人口規模は小さいですが、実は魅力的な「音楽都市・山形」なのかもしれません。
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久しぶりにFM放送でスークのドヴォルザーク等を聴く

2009年02月22日 09時49分18秒 | -室内楽
ようやく晴れた日曜の朝、NHK-FMで、「20世紀の名演奏~チェコの名バイオリン奏者ヨセフ・スークが弾くチェコ音楽~」を聴いています。曲目は、4つのロマンティックな小品 Op.75 などです。お気に入りの曲を、お気に入りの演奏(*)で。CDを棚から探し出す前に、ちゃんと解説してくれるのがありがたい。豆を挽いて、FM放送を聴きながらコーヒーを淹れると、なんとも良い香りがします。

スークの初来日は1959年だそうです。室内楽にも熱心に取り組んでいましたので、1960年代から日本コロムビア盤のシンボルのような存在でした。DENON の Crest1000 シリーズなどにより、スークの代表的な録音が安価に購入できるようになりました。昔は文字通り「高値(?!)の花」だっただけに、こうしたタイトルを愛聴できるのはうれしい限り。



先日、某書店に立ち寄り、雑誌「日経Linux」3月号と、単行本で飯島和一『出星前夜』(小学館)等を購入してきました。日経Linux3月号は「NetbookでLinuxを楽しむ」等が特集されており、特にLinuxで無線LANを利用する際の問題点などに興味がありました。残念ながらDELLのLinux機Inspiron-Mini12等は対象になっておらず、いささか不満でしたが、NetBookとLinuxの親和性が高いことが確認できました。もっとも、海外製品はLinux-NetBookを正規に販売しているわけですから、当然のことではありますが。日本国内ではなぜLinux-NetbookがDELLに続いて出てこないのか、疑問です。

写真は、単身赴任地での朝の様子。この日はまとまった雪が降り、ごらんのように車も雪に埋もれておりました。雪をおろして出発するまでに、数分はかかります。急げば事故に遭いますので、やはり時間にゆとりを持って出発することが大切です。そんなわけで、今日のうちに単身赴任先に戻ります。夕方までは、家でゆっくりできる時間です。

(*):ドヴォルザーク「4つのロマンティックな小品」を聴く~「電網郊外散歩道」より
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リムスキー・コルサコフ「弦楽六重奏曲」を聴く

2009年02月21日 08時43分59秒 | -室内楽
このところ、通勤の音楽としてずっとリムスキー・コルサコフの弦楽六重奏曲イ長調を聴いていました。週末を機に、自宅のステレオ装置で音量を上げて楽しんだり、パソコンに取り込んだ曲を USB 経由でヘッドホン再生し、じっくりと聴いたりしています。CDは、REM というレーベルの 311208 という型番の輸入盤で、演奏は Sextuor A Cordes de L'Atelier Instrumental D'Expression Contemporaine Region Nord-Pas-de-Calais という長ったらしい名前の団体です。リーフレットはどうやらフランス語らしく、当方には手も足もでません。また、頼りの Wikipedia でも、リムスキー・コルサコフの項目(*1)に弦楽六重奏曲という単語は登場しません。それでもさすがは Google 君、Rimsky Korsakov sextet で検索したら、各楽章の出だしを数分ずつ試聴できるページ(*2,ただし英語)が見つかりました。以下は、このページを参考にして書いています。

リムスキー・コルサコフの弦楽六重奏曲とはまたあまり耳慣れない曲目ですが、実は作曲者32歳の1876年、Russian Music Society のコンペティションのために書かれたのだそうです。若々しく華やかで楽しめる曲との評価を得たらしいのですが、残念ながら一等賞は逃してしまったそうな。27歳でペテルブルグ音楽院の教授に就任していた作曲者ご本人は、ナジェージダと結婚、自分に欠けている和声法や対位法などの知識と技術を身につけるべく、懸命に努力していた時代でしょう。自分には室内楽の才能はあまりないらしいと見切りをつけ、あっさりと管弦楽による交響的作品のほうへ注力するきっかけになった作品らしいです。

たしかに、低音域の豊かさもあり、禁欲的で求心的な方向性よりは、どちらかといえば伸びやかで外に向かうタイプの音楽のように感じます。一等賞にはならなかったかもしれませんが、演奏時間が30分を超える、たいへん幸福で魅力的な、立派な音楽ではありませんか。私はこういう音楽、好きですね。

曲は、全部で五つの楽章から成っています。
第1楽章、アレグロ・ヴィヴァーチェ。始まりのテーマの魅力的なこと!主題がヴァイオリンに引き継がれてからも、戸外で弦楽アンサンブルを聴くような、開放感があります。
第2楽章、ロンド・フガート。軽快なスケルツァンド。リムスキー・コルサコフは、なんと6人の奏者でそれぞれ別々にフーガを展開できることを誇りにしていたとか。六重のフーガですか!そういう苦労が評価されなかったら、たしかにちょいと落ち込むかも(^o^)/
第3楽章、スケルツォ:ヴィヴァーチェ・アラ・サルタレッロ。ふつうはここで緩徐楽章となるところでしょうが、スケルツォ楽章です。パルス律動のようなリズムが、たいへん活発な印象を与えます。
第4楽章、最も印象的なのが、たぶんこのアンダンテ・エスプレッシーヴォの緩徐楽章でしょう。第1主題がチェロ独奏で深々と奏されるとき、思わずため息でしたもの。MP3 形式ですので、どうぞこの楽章のさわりを、リンク先(*2)で試聴してみてください。
第5楽章、フィナーレ:アレグロ・モルト。活発なアレグロ楽章で、6人の奏者は互いにせめぎあったかと思うと調和の響きを奏で、フィナーレは大団円を迎えます。

この六重奏曲は、作曲者の死後4年経過した1912年にようやく刊行されましたが、初版はロシア革命の後に見失われたのだそうで、ソ連時代に第2版が刊行されたのだそうな。その意味では、人気曲「シェエラザード」と比べ、世界中の愛好家に親しまれるための十分な時間が持てなかった曲目なのかもしれません。

参考までに、演奏データを示します。
■AIEC String Sextet
I=7'01" II=5'35" III=5'19" IV=9'09" V=6'11" total=33'15"

(*1):Wikipedia 「リムスキー・コルサコフ」の項
(*2):Nicolai Rimsky-Korsakov String Sextet in A Major
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看護師さん、早く帰りたかったんだろうなあ

2009年02月20日 06時25分15秒 | 健康
定期健康診断ではオール◎で、職場の「三健人」と呼ばれる当方にも、アレルギー性の副鼻腔炎という泣き所があり、定期的に耳鼻咽喉科にかかっております。この医院はたいへん繁盛しており、やや大袈裟に言えば、いつも「患者が列を作って」おります。早朝起床の習慣を生かし、いつもは午前中に受診するのですが、過日は都合で夕方遅くなってからの受け付けになってしまいました。
診察も終わり、いつもの鼻洗浄になったら、今回はなんだかやけに苦しくむせてしまいます。ちょっとした水責めです。よく見ると、担当の看護師さん、洗浄液をいつもより高い位置に保持しています。
ハハーン、この看護師さん、早く帰りたいのだな。サイホンの原理で、水位を高くしてじゃんじゃん流し、早く終わそうという魂胆と見ました。ちょいと、そりゃないよ!水責めされる患者は、たまったもんじゃあ~りません。

看護師さんは、愛敬や見た目の可愛さではないですね。やっぱり「基本に忠実!」
できるからといって、やっていいとは限らない。
基本を逸脱した、こういう小さな事の積み重ねが、患者をよそへ逃してしまうのですよ!

写真は、某耳鼻咽喉科ではありません。また冬に逆戻りした、単身赴任地の植木の様子です。
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「日記を持ち出せ」~樋口健夫「書きも書いたり」より

2009年02月19日 06時28分27秒 | 手帳文具書斎
文具に関するフリーペーパー「BUN2」の2月号に掲載されている、「書きも書いたり」という連載の第17回、「日記を持ち出せ」という記事がたいへん面白く、興味深く読みました。

社会人の中で、日記を書いている人の割合が3~4%でしかない理由として、筆者は次の三つの理由を挙げます。
(1)忘れる 前日の出来事は、忘れてしまう。
(2)内容の無さ 思い出せないから内容がない。
(3)保管場所 自宅に置いてあるので、すぐ記入できない。
そして、いつでも取り出して記入できるよう、「日記をいつも持ち歩く」ことを提案しています。また、「家族や配偶者が見ても大丈夫な日記にしておくこと」が大事だ、とも言っています。
忘れないためにはすぐ記入することが大事であり、そのためには常に持ち歩くことが大事だ、ということでしょう。また、常に携帯するものである以上、忘れて他人の目に触れる可能性があり、そのために記号略号を用いたり、プライバシーを極力排除した普遍的な内容とするなどの配慮が必要になるのだろうと思います。その意味では、樋口さんの主張する「日記」はかなり広い意味でとらえたもののようです。

当方も、スケジュールや ThingsToDo などは薄型のシステム手帳に記録するほか、B6判のらせん綴じノートを常に携帯し、ブログ記事ネタ帳としても活用しています。ただし、厳密に言えば、これは「自分が出会った出来事や感想などを一日ごとに書いたもの」(新明解国語辞典)という意味での「日記」ではなく、「記憶すべき事柄を簡単にメモするための個人的な雑記帳」(Wikipedia:備忘録)あるいは「毎日の出来事などの記録。日記よりも業務的な内容のものを言う」(Wikipedia:日誌)という意味で、「備忘録」または「日誌」というべきもののように思います。

当方のWeblog(Web日誌)も5年目に入り、冠婚葬祭の際に参照する備忘録の役割を果たしつつあります。また、地元山形交響楽団や山形弦楽四重奏団の定期演奏会等の個人的な記録にもなっています。日記というよりも、やはり日誌、備忘録という性格のものでしょう。
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書籍の判型別読了数の推移

2009年02月18日 06時36分06秒 | 読書
読書記録を、単純に書籍の判型で整理してみると、どうなるのだろう?との好奇心から、過去十年分の読書状況を分析してみました。
まず、テキストファイル備忘録から、読書記録を抽出します。

$ awk -f book.awk memo1999.txt > books-99.txt
$ awk -f book.awk memo2000.txt > books-00.txt

$ awk -f book.awk memo2008.txt > books-08.txt

抽出した結果を、テキストエディタで開いて眺めると、単純に三つに区分できるようです。
(1) 文庫本
(2) 新書
(3) 単行本
書名を見て、文庫か新書か、あるいは単行本か、意外にわかる(記憶している)ものです。中には全然記憶にないものもありますが、それはテキストファイル備忘録の該当日付を開いてみると、そこで確認できます。book.awk という自作の小プログラム(*)で抽出・集計される毎年の記録には、読了した書籍の総数も集計されますので、新書と単行本の冊数をそれぞれ数え、総数から引き算すれば、文庫本の冊数が出ます。これを、表計算でグラフにしてみました。



総数で見ると、2002年以前と以後とで大きな違いがあることがわかります。たしかに、以前は Linux 等の専門書や雑誌に夢中になり、小説を読むゆとりがなかったことに加え、仕事の面でも多忙モードで、おおげさに言えば「昼夜の別なく」働いていたからなぁ(^_^;)>poripori
初めての単身赴任の住まいが図書館のすぐ近所で、単行本を借りては読んでいた時期でもありました。
また、新書の読了数は不思議にあまり変化がないのですが、逆に変化が大きいのが文庫本で、最近は、若い時代のように、また読書を楽しむようになっていることがよくわかります。

(*):備忘録から読了数をカウント~「デジタル文書綴り」より
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音楽ブログ相互の影響

2009年02月17日 06時44分13秒 | ブログ運営
クラシック音楽の愛好者が、音楽に関するブログを主宰し、記事を掲載します。するとその記事を読んだ方も、CDやLPやネット上の音源などを探しだして聴きたくなりますし、実際そのようなきっかけで聴いていることがよくあります。このような動機付けは、昔ならば月刊レコード雑誌などがになっていた役割でした。雑誌の性格上、レコード会社の営業政策に由来する提灯記事も少なくなく、「これが決定盤」的な優劣比較も盛んで、よく読まれていたと思います。ところが現在は、ブログ記事をきっかけにして聴いている、その作曲家のその曲に関する演奏の多様性は、優劣比較の対象ではなくて、音楽愛好家が自分の生活の中でなぜか好んで聴いている趣味嗜好、好き好きの問題に過ぎません。

この人が記事に書いているこの曲は、いったいどんな音楽なのだろう。
この人は、この曲のこの演奏をこんなふうに聴いているのか。ふーん。こちらの演奏ではどうだろう。
この曲には、こんな背景があったのか。へぇ~。

というような感じで、音楽を楽しむための、日々のきっかけとしているのです。こういう、いわば相互の動機付けの役割が、音楽ブログにはあるようです。

そういう意味では、愛読している mozart1889 さんの「クラシック音楽のひとりごと」が、Doblog の障害によるサービス停止のために、もう一週間も読めない状態になっているのが残念です。一日も早い復旧を望むとともに、当方も記事のバックアップの必要性を感じます。

写真は、自宅の USB オーディオでも愛用しているヘッドホン、SONY DR-6M です。
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佐伯泰英『蛍火ノ宿~居眠り磐音江戸双紙(16)』を読む

2009年02月16日 06時34分33秒 | -佐伯泰英
前巻では、磐音の父・坂崎正睦とおこんの父金兵衛との間で、正式に婚約が認められ、二人の仲は大きく前進しました。当然、作者は悲劇のヒロイン小林奈緒こと白鶴太夫を登場させるのでは?と予測しましたが、さてどうか。佐伯泰英著「居眠り磐音江戸双紙」シリーズ第16巻、『蛍火ノ宿』です。

第1章、「おいてけ堀勝負」。亡きお艶の三回忌を前に、後添いに入るお佐紀を出迎えた磐音とおこんですが、磐音はお佐紀の姉、失踪したお香奈の安否を確かめることに。乱暴マッチョ男と柔弱優男の対決を磐音が助太刀してようやく解決しますが、肝心の三回忌に欠席しちゃって。
第2章、「白鶴の身請け」。出ました!やっぱり白鶴太夫の登場です。予想がずばり当たり、ちょいと自慢の鼻高々。でもこの章では、白鶴太夫の身請け話があり、本人も乗り気なのですが、邪魔が入りそうだという情報が届いただけで、主たる話題は今津屋吉右衛門とお佐紀の婚礼の仲人を誰に頼むか、という話。なるほど、の人選でした。
第3章、「禿殺し」。それにしても白鶴太夫の周囲はトラブル続きです。これほどトラブルの多い女性も珍しい。よほど人徳がないのか、周囲の男どもを魅入らせる魔性の持ち主なのか、などと茶化したくなるほどですが、でも落籍話のお相手が出羽山形の最上紅花商人とあっては、少々応援もしたくなります。フレー、フレー、前田屋~! 今津屋吉右衛門の仲人は無事決まり、あとは祝儀を待つばかり。
第4章、「4人の容疑者」。白鶴太夫付きの禿と若い衆が殺され、嫌がらせの域をこえて、これは立派な(?)犯罪です。推理小説仕立てですが、犯人のこの動機は、いささか弱いのでは、とも思えます。嫌がらせくらいはやりかねないが、殺人まで行くものだろうか?ともあれ、最後は磐音から前田屋へと白鶴太夫は旅立ちます。
でもねぇ、北極のブリザードの中に暮らすわけではなし、出羽山形も良いところですよ。食べ物も酒もうまいしどこにでも温泉があるし。住んでいる私が保証します(^o^)/

これで、後顧の憂いはなくなりました。あとは今津屋の祝言と、磐音・おこんの祝言か。いやいや、そんなに簡単には作者が許さないでしょう。次巻に期待。


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ベートーヴェンのピアノソナタ第3番を聴く

2009年02月15日 06時40分22秒 | -独奏曲
若いベートーヴェン・シリーズで、アシュケナージ以外のピアニストの演奏を集中して聴いております。ベートーヴェンのピアノソナタ第3番、ハ長調、作品2-3です。当方は、悲劇的な第1番、明るい第2番、そして堂々とした第3番という作品2の3曲を収録したアシュケナージのCDのほかに、ブルーノ・レオナルド・ゲルバーによるDENONのCDと、スヴィャトスラフ・リヒテルによる演奏を収録したLPを持っていますが、今回は主としてゲルバーの演奏をじっくりと聴いております。
この曲は、ハ長調という調性の共通点や、演奏に30分近くを要する曲の大きさなどから、「小ワルトシュタイン」と呼ばれることもあるのだそうな。ピアノ学習者が、ベートーヴェンのソナタにはじめて挑戦するときに選ばれることも多いのだそうで、言われてみれば「なるほど」です。

第1楽章、アレグロ・コン・ブリオ、ハ長調、4/4拍子。ターン タカタカタッタ タンタン、というトリル風の面白い音型を持つ主題で始まります。ピアノの音が、響かせてエネルギーを外に発散しようとするアシュケナージと、どちらかというと響きをコントロールし内向する印象のゲルバーと、面白い対照となっています。
第2楽章、アダージョ、ホ長調、2/4拍子。ロマン的な情感をたたえながら、ゆっくりと歌うような第1部と、分散和音による第2部が交代する自由なロンド形式、と言えばよいのでしょうか。青年らしい、とても素敵な音楽だと思います。
第3楽章、スケルツォ:アレグロ、ハ長調、3/4拍子。ピアノソナタで、はじめてスケルツォと名乗ったのではないでしょうか。短いですが、テンポの速い、対位法的な要素が強く出ている音楽です。
第4楽章、アレグロ・アッサイ、ハ長調、6/8拍子。華やかな中に力強さも併せ持つ、ピアノの腕前を披露するには格好の音楽です。たぶん、若いベートーヴェンが、のりのりで弾きまくったのでしょう。ゲルバーの演奏は、全体に速めのテンポを取っておりますが、この楽章の速いテンポでもよくコントロールされ、堂々とした勢いのあるリズムの切れ味は素晴らしいです。

アシュケナージのCDは Polydor の POCL-3401 という型番で、第1番とは録音会場が異なっており、1976年の4月に、ロンドンのキングズウェイ・ホールでアナログ録音されたものです。
ブルーノ・レオナルド・ゲルバーのCDは、DENON 33CO-2203 という型番の正規盤で、1987年の7月29日~30日に、パリのノートルダム・デュ・リパン教会でデジタル録音されています。使用した楽譜は児島新校訂の春秋社版だそうです。
リヒテルのLP(Victor VIC-2001)には、「現代ピアノ界の巨人の演奏」という吉田秀和氏の解説が掲載されています。この中でも指摘されていることですが、出だしはゆっくりと始まり、終楽章をクライマックスとして、これに向かって次第に盛り上がっていく、という構造になっています。LPのB面には第4番が収録されていますが、これもたいへん魅力的なものです。使用ピアノはベーゼンドルファーで、1975年の4月に、ウィーンで収録されたアナログ録音。

■アシュケナージ(Pf)
I=9'57" II=8'30" III=3'13" IV=5'05" total=26'45"
■ゲルバー(Pf)
I=9'44" II=7'07" III=2'56" IV=5'02" total=24'49"
■リヒテル(Pf)
I=10'22" II=7'36" III+IV=8'28" total=26'26"

リヒテルのLPは、たしか就職してすぐの頃に、近所の本屋兼レコード店で購入したはず。この頃の記憶はやけに鮮明です。後年の、お金にまかせて購入し、ろくに聴かずに棚のこやしになっているものとは違う、強い印象があります。
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最近、聴いている音楽は

2009年02月14日 06時26分27秒 | クラシック音楽
しだいに春の気配が感じられる昨今、通勤の音楽として聴いているのは、リムスキー・コルサコフの「弦楽六重奏曲」です。CDは車に入れっぱなしですので、単身赴任のアパートでは、別の音楽を聴いております。ベートーヴェンのピアノソナタ第3番。こちらはアシュケナージとゲルバーの演奏したCDで、2枚をとっかえひっかえ聴いておりましたが、先日思い立って二枚ともパソコンに取り込みました。なるほど、これならお目当てのところを再現するのもらくちんです。分析的・資料的な利用にはいたって便利。そういえば、リヒテルの演奏したLPがあったはず。あれは、たしか第3番と第4番を収録したものでした。もうずっと取り出していないなあ。自宅では、ステレオ装置で大きな音量で聴くことができるほかに、そんな昔を懐かしむ楽しみもあります。

写真は、単身赴任先付近の杉林。杉の花(?)で、だいぶ赤みが増しております。春の訪れと共に花粉が飛ぶことでしょう。花粉症の方々には、つらい季節です。当方は、中学生の頃に、授業で習った風媒花・虫媒花という知識を確かめようと、野外に放置したスライドガラスを顕微鏡で観察し、さまざまな花粉が落ちて付着しているのを確認したことがあります。松の花粉(*1)の、二つ空気嚢が付いた独特の形(*2)を見つけたときには、もう感動ものでした。杉の花粉は、どんな形だったのかな。

(*1):松の花粉の顕微鏡写真~みのしまクリニック「花粉症情報」より
(*2):松の花粉の見事な顕微鏡写真~「科学のつまみ食い」より
(*3):(*2)の写真の元記事となった「空中花粉を採取しよう」
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