電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

新しい道ができる

2009年12月31日 05時35分31秒 | 散歩・外出・旅行
だいぶ前から工事中だった道路が、ようやく完成したようです。いつ開通したものか、詳細は不明ですが、とにかく信号機も取り付けられ、とかく渋滞がちだった変則交差点も解消された模様。道路建設には賛否両論の昨今ですが、当地の生活道路・通勤道路ならば、改善は大歓迎です。新しい道路の開通など、生涯に何度もあるわけではないでしょうから、一度「通り初め」をしてみたいものだと思います。ですが、実際は仕事中の時間帯でしょうから、まあ無理というものか。この日のように、いつの間にか新しい道路ができていることに驚くのが、自然でいいのかもしれません。

私たちの生活も、一本道だと思っているとそうでもなく、いつの間にか新しい道ができていたりするものです。無理して急いでもしかたがありません。急がば回れ、健康第一のエコドライブ、安全運転で参りましょう。
来る新しい年が、皆様に健康と幸福をもたらす年となりますように、お祈り申し上げます。
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シューマン「アンダンテと変奏曲」を聴く

2009年12月30日 06時13分03秒 | -室内楽
ほっとするひととき、お菓子をつまみながらコーヒーを飲み、お気に入りの音楽を聴くのが何よりも嬉しいものです。たとえばこの曲、1843年に作曲された、シューマンの「アンダンテと変奏曲」。今日は二台のピアノではなくて、オリジナルの編成で、2台のピアノ、2つのチェロとホルン、というもの。しかも、演奏はマルタ・アルゲリッチ(Pf)、アレクサンドル・ラビノヴィチ(Pf)、ナターリャ・グートマン(Vc)、ミッシャ・マイスキー(Vc)、マリー・ルイーゼ・ノイネッカー(Hrn)という豪華な顔ぶれです。


この二枚組のCDでは、一枚目の第5トラックから第7トラックまで、便宜的に三つのトラックに分けて収録されています。添付のパンフレットの表記をもとに、Wikipedia 等の解説を加えると、どうやら次のような区分になるようです。

第5トラック:序奏(ソステヌート)~主題(アンダンテ・エスプレッシーヴォ)~第2変奏(ウン・ポコ・ピウ・アニマート)~第4変奏(ピウ・アニマート)~第5変奏(ピウ・レント)~間奏曲(ウン・ポコ・ピウ・レント)。短い序奏に続く、アンダンテ・エスプレッシーヴォの、夢見るようなシューマンの音楽の始まり。ピウ・レントの夢見るような音楽。そして、第2変奏から第4変奏に至る、活発な音楽。このあたりは、まったくピアノの独壇場で、ホルンやチェロは、たしかに音を添えるだけ、という感じもしますが、第5変奏、ピウ・レントでは、ぐっと雰囲気が変わります。それにしても、ピアノとチェロとホルンという組み合わせを考えたのは、どういうきっかけだったのかわかりませんが、結果的にクララに花を持たせたことになったのでしょう。(^_^)/
第6トラック:第6変奏(ピウ・レント)~第7変奏(アニマート)。中盤の飛び跳ねるようなピアノに続くホルンのソロが、酒席帰りの酔っ払いには「パパ、酔ってねーよ!」に聞こえてしまう、というのは内緒です(^o^)/
でも、このチェロの旋律はほんとに素敵です。
第7トラック:第10変奏(ダッピオ・ムーヴィメント)~終曲(テンポ・プリモ~ピウ・アダージョ)。ピアノの活発な動きに目を(耳を)奪われますが、実はホルンとチェロのバックがあっての響きであることに気づきます。試奏後に、周囲の意見を入れて二台のピアノのための曲に改訂してしまったとのことですが、曲の終わりのところで、リタルダンドしてそっと終わる、このオリジナル編成の魅力は、かけがえのないものだと思います。

CDは、EMI ベストクラシックス100 というシリーズ中の TOCE-14256 という二枚組で、1994年のライブ録音だそうです。実際、演奏の後の盛んな拍手から、演奏会の雰囲気も知ることができます。デュトワと共演したテレビ録画等からは、怖いオバサンにしか見えないアルゲリッチですが、じつはすごいプレッシャーの中でソリストとして活動してきたようで、こういうシューマンの室内楽などに、彼女の音楽の本当の喜びがあるような気もしてくる(*)、そんな録音です。

■2台のPf、2つのVcおよびHrnのためのアンダンテと変奏曲(アルゲリッチ他)
I=8'06" II=4'50" III=5'47" total=18'43"

(*):アルゲリッチの幼い頃のトラウマに触れて~青柳いずみこのMerde日記

トップの写真は、今朝のコーヒーと、いただきもののお菓子。代官山の小川軒のレーズンウィッチです。これ、おいしいんですよね~。コーヒーとレーズンウィッチとシューマン。早朝の至福であります。
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クリステンセン『イノベーションのジレンマ』を読む

2009年12月29日 06時21分03秒 | -ノンフィクション
数年前に、出張の際に出先で購入したものではなかったかと思います。長いこと少しずつ読んでは休み、また少し読んでは休みを繰り返し、クレイトン・クリステンセン著『イノベーションのジレンマ』をようやく読み終えました。「技術革新が巨大企業を滅ぼすとき」という副題を持った、翔泳社刊の単行本です。企業の栄枯盛衰を、経営者の資質や手腕などではなく、優秀な経営者が正しい努力をした、だから失敗した、というふうに、「破壊的イノベーション」の特殊な性質を明らかにしたものです。

技術革新には、通常の技術の延長上にある「持続的イノベーション」と、従来の技術を置き換えてしまう「破壊的イノベーション」とがあるとし、後者の特質を、豊富な実例で分析するものです。題材として多く取り上げられているのは、ハードディスク技術の進歩と関係する企業の盛衰であって、登場する企業の名前はいずれも親しみ深いものであり、時代背景も十分に鮮明な記憶の範囲内です。大型コンピュータからミニコンへ、そしてワークステーションやパソコンへという流れを背景に、5.25",3.5" などのハードディスクドライブの技術革新が、記憶容量、記録密度の競争から、省スペース性や信頼性の追求に移行し、ついに価格の競争になっていくという過程を追います。

本書の構成は、次のようになっています。

序章
第一部 優良企業が失敗する理由
第1章 なぜ優良企業が失敗するのか~ハードディスク業界に見るその理由
第2章 バリュー・ネットワークとイノベーションへの刺激
第3章 掘削機業界における破壊的イノベーション
第4章 登れるが、降りられない
第二部 破壊的イノベーションへの対応
第5章 破壊的技術はそれを求める顧客を持つ組織に任せる
第6章 組織の規模を市場の規模に合わせる
第7章 新しい成長市場を見いだす
第8章 組織のできること、できないことを評価する方法
第9章 供給される性能、市場の需要、製品のライフサイクル
第10章 破壊的イノベーションのマネージメント~正しい戦略、誤った戦略
第11章 イノベーションのジレンマ~まとめ
『イノベーションのジレンマ』グループ討論の手引き


顧客の声に耳を傾け、求められたものを提供する技術に積極的に投資し、利益率の向上を目指して、小さな市場より大きな市場を目標として活動した優良企業は、まさにそのゆえにこそ、破壊的イノベーションから取り残されるというジレンマは、なるほどと思わせるものがあります。もちろん、その当時から、小型で信頼性が高く安価な製品を求める顧客の本質的な声もあったはず、という揶揄は可能でしょうが、それは後出しじゃんけんのようなものでしょう。大変に新鮮な視点でした。
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映画「のだめカンタービレ最終楽章・前編」を観る

2009年12月28日 05時59分51秒 | 映画TVドラマ
歳末の日曜日、久方ぶりの好天に誘われて、妻と映画を観に出かけました。山形市嶋地区のムーヴィーオン山形です。例によって八文字屋書店で開演時間を待ちます。11時30分の回ですが、客席は満席とはならず、中央部が埋まる程度でした。観客は比較的若い世代が多く、当方のような「夫婦50割引」該当の世代は少数派かと思ったら、他にも何組か見かけました(^o^)/
昨年の正月に、テレビでヨーロッパ・スペシャル番組を続けて観て(*1,2)、すっかりファンになった「のだめカンタービレ」の、その後を描く映画バージョン「最終楽章・前編」です。

物語は、指揮者コンクールでジャンらをおさえ優勝した千秋真一が、師シュトレーゼマンが若き日に活躍した、伝統あるマルレ・オーケストラの常任指揮者のポストを得るところから。ところがこの楽団は問題山積でした。楽員は生活に追われ練習もままならず、意識と演奏レベルの低下が定期会員の減少を招き、悪循環から130年の伝統を誇るオーケストラも崩壊寸前です。ラヴェルの「ボレロ」、デュカスの「魔法使いの弟子」等のプログラムによるデビュー公演も、散々の出来になってしまいます。ただし、楽団を独裁的に支配するコンサートマスターと、はじめはぎくしゃくするのですが、楽員のオーディションあたりから不思議と千秋との共通点が浮き彫りになっていきます。要するに、なんとか愛する楽団を立て直したいという空回りだったのですね。それが、若き独裁者たる音楽バカ・千秋真一の就任で、皆の目の色が変わってきます。しつこい千秋の要求に反発、生活との両立に疲労困憊しながらも、楽員の懸命の努力が続きます。このあたり、ちょいとジンときますね~。

そして迎えた新シーズンの初回公演。チャイコフスキーの大序曲「1812年」、J.S.バッハのピアノ協奏曲第1番(千秋のピアノ弾き振り)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。「1812年」の演奏は、本物の大砲をぶっ放す効果も取り入れられ、なかなかドラマティックです。玉木君の指揮ぶりも、テレビ版のブラームスの交響曲第1番のときよりも格段に進歩し、肩の力が抜けて、とてもスムーズになっていました。もっと表情に柔らかさがあって、音楽の喜びを目でも語りかけられればいいな、とは感じましたが、でも、たいしたもんです。

実際に演奏したブルノ・フィルは、二管編成でちょうど山形交響楽団と同じ規模です。さすがに、迫力のパイプ群を持つオルガンを正面に据えたホールは素晴らしい!何十年も演奏会に通いつづけているという老人が、思わず立ち上がりブラボーを叫ぶシーンは、なかなか感動的です。

いっぽう、のだめチャンのほうは、千秋と初共演と舞い上がり、チラシをまく場面の嬉しさ、晴れやかさがよくあらわれていた「第九」四楽章の場面が微笑ましい。また、コンセルバトワールの進級試験で弾いたモーツァルトのピアノソナタ第11番イ長調K.331、いわゆる「トルコ行進曲つき」の演奏が、なんとも魅力的・感動的でした。あとてパンフレットを見たら、実際のピアノ演奏はランラン(郎朗)だそうで、「なるほど!」です。しかし自由奔放な、いいモーツァルトですね~!

原作でもそうなのかどうか、このドラマの場合、千秋がぐぐっと前に出てくると、それに反比例してのだめチャンがどよ~んと落ち込むというパターンがあるようです。千秋のバッハの弾き振りの出来栄えと自分の遅々たる進歩の落差に、またまた「コンチェルトの共演」の夢が遠ざかり、落ち込みます。このシーンにチャイコフスキーの「悲愴」交響曲がかぶるのですから、ほんとに可哀想です。でもね~、オークレール先生が言うまでもなく、人真似ではない、のだめ自身の個性を花開かせるには、まだまだ勉強が必要なのですよ。
音楽院を巣立ち、アパートも引っ越して新天地に羽ばたく千秋とオーボエの黒木君。アニメおたくのフランクと、黒木君にボルシチを褒められて嬉しそうなターニャがいるとはいいながら、取り残されてしまうのだめ。さあ、どうなる~後編へ続く、という感じでしょうか。

しかし、透徹した視野を持ちながら、オークレール先生はあいかわらず穏やかな紳士で、いい味ですね~。とても音楽家には見えない竹中シュトレーゼマンは、どうやらベートーヴェン的悲劇の始まりなのかも。

(*1):「のだめカンタービレ」を観る(1)
(*2):「のだめカンタービレ」を観る(2)
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シューマン「ピアノ三重奏曲第1番」を聴く

2009年12月27日 06時20分16秒 | -室内楽
なかなか音楽にじっくり耳を傾ける時間が取れません。というよりも、気持ちの余裕というか、ゆとりの問題でしょうか。このところ、暇を見つけて聴いているのが、シューマンのピアノ三重奏曲第1番、ニ短調、Op.63です。
この曲は、シューマンがライプツィヒからドレスデンへ居を移した1847年の6月から10月にかけて作曲されたのだそうで、交響曲第1番の作曲を終えた、作曲家37歳の作品となります。

第1楽章、精力的かつ情熱をもって。低音から上昇するヴァイオリンが、なにか恨み言でも言っているような雰囲気です。ヴァイオリンが激しく自己主張すると、チェロが力強くそれに応じます。途中の中間部、ハーモニクスでまるでヴィオラのように裏返った中音を奏するのはチェロなのでしょうか。ピアノは豊かな和声を聴かせ、弦の歌う旋律を支えます。クララの誕生日のために書かれたとはいうものの、ピアノだけが前面に出すぎることはありません。三者のバランスが、たいへんよく取れていると感じます。
第2楽章、生き生きと、だがあまり速くなく。活発で、はずむようなリズムがたいへんおもしろい。ピアノという楽器は、こういう音楽になると、ほんとうに目覚ましい活躍をするのですね。
第3楽章、ゆるやかに、深い内的な情感をもって。深く沈み込むような、瞑想的な気分を持った楽章です。ゆるやかなヴァイオリンの旋律に、そっと呟くようなピアノに込められた感情。そしてチェロが歌い出すと、それはもう、まだ絶望の淵を覗いてはいない、シューマンの憧れの世界です。
第4楽章、火のような情熱をもって。再び活発で情熱的で、三人の奏者がぶつかり合う音楽です。晴れやかさに陰りをもたらそうとする楽想と、それを押し返し、堂々たる音楽のフィナーレを迎えようとする楽想のせめぎあい。

ピアノ三重奏曲という曲種は、同じ室内楽とは言っても、弦楽四重奏などの、調和を重視する内向性とはやや異なり、奏者の個性が互いにぶつかり触発しあうような面があるように思います。チョン・キョンファ(Vn)、ポール・トルトゥリエ(Vc)、アンドレ・プレヴィン(Pf)という三者の個性が触発し合う様子は、メンデルスゾーンの同曲のほうが顕著のように思いますが、このシューマンの演奏も十分に個性を発揮したものです。
いっぽう、ジャン・ユボー(Pf)とジャン・ムイエール(Vn)、フレデリック・ロデオン(Vc)の三人の演奏は、より親密な雰囲気を重視したもののようです。両者の間には、テンポの設定に若干の違いはありますが、演奏時間はほとんど同じです。むしろ、音楽の表情、身振りの大きさ、そういう雰囲気の違いが大きいのかもしれません。

■チョン・キョンファ(Vn),アンドレ・プレヴィン(Pf), ポール・トルトゥリエ(Vc)
I=12'40" II=4'36" III=6'25" IV=7'51" total=31'32"
■ジャン・ユボー(Pf), ジャン・ムイエール(Vn), フレデリック・ロデオン(Vc)
I=12'22" II=4'59" III=6'23" IV=7'46" total=31'30"

これまで、エラートの「シューマン室内楽全集」で楽しんできました(*1)が、たまたま購入した「メンデルスゾーンとシューマンのピアノ三重奏曲第1番」チョン・キョンファ、トルトゥリエ、プレヴィン盤は、今年、もっとも印象的なCDの一つでした。メンデルスゾーンも名演ですが、すでに記事にしております(*2)ので、今回はシューマンの第1番のほうで。

(*1):シューマンのピアノ三重奏曲第2番を聴く~「電網郊外散歩道」
(*2):今日は花の金曜日~メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲を聴く~「電網郊外散歩道」
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「~ist」という呼び方

2009年12月26日 06時06分16秒 | クラシック音楽
「~ist」という呼び方があります。指揮者(conductor)は別としても、独奏者をソリスト(soloist)と呼びますし、楽器の名前に「~ist」をつけて呼ぶ場合が多いようです。例えば、ピアニスト(pianist)、ヴァイオリニスト(violinist)、ハーピスト(harpist)、という具合です。
管楽器でも、フルートやオーボエ奏者の場合は、フルーティスト、オーボイストでいいように思いますが、ではトランペットやトロンボーン、チューバ、クラリネット、ファゴット奏者のことは何と言うのか。弦楽器でも、コントラバス奏者は?チェロ奏者はチェリストで良いのかチェロリストなのか?などと考え始めると夜も眠れず・・・いやいや、すうっとよく眠りに入れます(^o^)/

そうそう、私のような中年おじんがこういう話題で一人盛り上がっているとき、ある種の吹奏楽系の楽器奏者の名前で呼ばれるんですよね~、えーと、あれですよ、あれ。ホラフキストって(^o^)/
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伊坂幸太郎『モダンタイムス』を読む

2009年12月25日 06時17分44秒 | 読書
『死神の精度』(*)に続き、伊坂幸太郎作品『モダンタイムス』を読みました。著者は、大学卒業後、1990年代中~後半には、SEとして働くかたわら、文学賞に応募していたのだそうな。ちょうど Windows95 やインターネットの普及期にあたり、SE としてはたぶん相当に忙しかったことと思います。よく小説を執筆する暇があったものだと感心します。本作は、そういう経歴を知ると「なるほど」と思える、「検索から監視が始まる」という未来社会を描いた物語です。

『死神の精度』でもそうでしたが、著者は日常性の中にありえないような非日常の想定をすべり込ませるのがうまい。始まりの部分の展開は、妻・佳代子への恐怖感が中心であって、この女性の背後に謎の組織でも出てくるのかと思っていたらさにあらず。主人公は、妙な会社の仕事を請け負い途中で失踪した先輩SEの後任として仕事をはじめますが、この仕事というのがどうも胡散臭い。そのうちに、私立中学校の襲撃事件を解決して名を上げた国会議員が登場するやら、検索システムが監視され、いくつかのキーワードを組み合わせて検索した人が襲撃されたり社会的に抹殺されたりするようなのです。

せっかくのミステリーですので、あらすじは省略いたしますが、なるほど『モダンタイムス』とは言い得て妙なネーミングです。チャップリンの同名映画だけでなく、監視社会を描いた某映画にも触発されたような印象。なかなかおもしろいです。

都会で恋愛結婚したカップルの場合は、相手の背景や過去に恐怖感を感じたりすることが、理論上ありうるのですね。当方、互いに同郷の幼なじみ結婚(?)ですので、そういうフクザツな心境は、まるで想像もできませんが(^o^;)>poripori

システムや法律が、最初の目的をどんどん外れて別の生き物のようになっていくという自己運動性、自己展開性がテーマのようにも見えますが、組織やシステムの自己組織化というのは、近年の分子生物学等の影響でしょうか。遠くの蝶の羽ばたきが回り回って地球の裏側に影響を及ぼすというような意味で、複雑系の理論をも下敷きにしているようです。その意味で、理系的な親しみを感じる要素もあるかもしれません。

一方で、井坂好太郎という似た名前の小説家を登場させ、狂言回しのような役割を振るなど、思わず微苦笑してしまうようなところもあり、ストーリー・テラーとしての資質は相当に大きなものがありそうです。今後、続けて読んでみたいと思わせる作家の一人です。

(*):伊坂幸太郎『死神の精度』を読む~「電網郊外散歩道」
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2009年、日常身辺の出来事十選

2009年12月24日 06時24分18秒 | Weblog
世間的には、国内外の政権交代など "Change!" な1年でありましたが、身辺では相も変わらぬ日常が続き、無事是好日という観点からはたいへん良好な一年でありました。以下、テキスト備忘録や当ブログの記事等を元に、2009年における日常身辺の出来事十選であります。

(1)単身赴任2年め、元気で過ごす。タイマー付き炊飯器、電子レンジ、冷蔵庫は偉大です。弁当作りもほぼ定着、節約に貢献しました。バス・トイレ付き6畳1DKは、電網随筆家の書斎と化しています。
(2)通勤エコドライブに徹し、無雪期リッター20kmをほぼキープ。さすがに雪道のノロノロ運転では無理ですが、無雪期の通勤ドライブで、日産ティーダ・ラティオ1500ccセダン(CVT)が、リッター20kmをほぼキープしました。満足できる数値です。無事故無違反も嬉しい。
(3)亡父の一周忌と広島行き。被爆者だった亡父の一周忌を自宅で行い、広島の平和公園、記念資料館を見学し、20代の青年が経験した過酷な体験に、息子は思わず同情いたしました。
(4)果樹園の再開と週末農業。亡父が晩年楽しみにしていた果樹園を再開し、サクランボ、ウメ、スモモ、プルーン、柿などを収穫することができました。週末農業が可能だったのは、亡父が残した、スピードスプレーヤ、耕運機、自走式草刈機など農業機械を整備し、使い方を覚えたことが大きかったと思います。
(5)映画「K-20怪人二十面相・伝」「おくりびと」「劔岳・点の記」などが良かった。「おくりびと」はアカデミー賞を受賞し、酒田や山響(山形交響楽団)も注目されました。
(6)山形交響楽団、山形弦楽四重奏団の定期演奏会を楽しみました。急な用件で演奏会に行けなかったこともなんどかあり、残念な思いをしましたが、今年もいい演奏会を楽しみました。事業仕分けのターゲットが天下り財団ではなく、オーケストラを直撃する形となったことは、残念至極でありました。
(7)音楽CDを購入する店舗の棚が年々貧弱になり、当方の趣味を満足させることができにくくなりつつあります。本意ではありませんが、ネット通販の利用が増えそうです。その中でも印象的だったのは、アンドレ・プレヴィン(Pf)、チョン・キョンファ(Vn)、ポール・トルトゥリエ(Vc)のトリオによる、メンデルスゾーンとシューマンのピアノ三重奏曲第1番のCDでした。
(8)コンピュータに関しては、ほぼ Linux で間に合うようになりました。赤いネットブックの購入で無線LAN を便利に使えるようになっただけではなく、古いマシンが次々と壊れて引退して行き、結局のところ、残っている Windows マシンは、XP が2台だけになってしまいました。
(9)今年読んだ本で印象的なのは、堤未香『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)、モンゴメリ『赤毛のアン』(集英社文庫)、飯森範親『マエストロ、それはムリですよ』、加藤祐三・川北稔『世界の歴史(25)アジアと欧米世界』(中央公論社)、半藤一利『幕末史』(文藝春秋)、クリステンセン『イノベーションのジレンマ』(翔泳社)などでしょうか。
(10)仕事の上で最も力を注いだ分野に関して、某表彰の東北地区候補の一人にノミネートされたとか。結果的には候補で終わりましたが、見ず知らずの方々から当方の仕事を評価していただいていたことになり、率直に嬉しい。

そうですね、こんなところでしょうか。世間の諸々の事象から離れて、個人的には総じて良い年であったと言えましょう。写真は、先日の雪と自宅の南天。風情があります。
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佐伯泰英『侘助ノ白~居眠り磐音江戸双紙(30)』を読む

2009年12月23日 06時11分25秒 | -佐伯泰英
第28巻で、父に同伴して土佐へと旅立ったでぶ軍鶏こと重富利次郎が、前巻で霧子さんに負けじと活躍を見せておりました。佐伯泰英著「居眠り磐音江戸双紙」シリーズ第30巻『侘助ノ白』は、利次郎の土佐での波乱の日々と江戸の佐々木道場の日常を交互に描く形で展開していきます。

第1章「斬り合い」。土佐に到着した重富利次郎は、土佐藩江戸定府の近習目付を勤める父・百太郎と共に、分家の御槍奉行・重富為次郎の屋敷に滞在し、従兄弟の寛二郎に勧められて藩校教授館の朝稽古に参加します。これまでの修練がものをいい、五人抜きと実力を発揮し、多くの知己をえますが、城帰りの父を護衛し、城下で襲撃者を撃退します。どうやら、土佐藩内にも商人と結託した不穏な動きがあるようで、父の用務は、どうやら秘密の監察にあるようです。

第2章「餅搗き芸」。こんどは師走の江戸に場面が変わり、尚武館佐々木道場の餅搗きの場面です。杵搗き餅はかたくなりにくく、実においしいのですね。賑やかなよい場面です。旅の武芸者・小田平助さんも、飄飄としてなかなか気持ちの良い苦労人の様子。どてらの金兵衛さんの風邪見舞いが縁で今津屋の用心棒をつとめることになりますが、こちらは定番の安心感です。

第3章「闘剣士」。古代ローマのカタコムブと闘技場を一緒にしたような、あるいは清朝の阿片窟とスペインの闘牛場を一緒にしたような、奇怪なイメージの一編。妻女の病の薬代にと闘剣を志願した憑神さんも気の毒ですが、多くの観客がいるという想定は、あまり後味が良いものではありません。

第4章「桂浜の宴」。気持ちの澱みを玲圓との真剣稽古で洗い流した磐音のもとに、土佐の利次郎からの手紙が届きます。霧子に宛てた追伸をそっと伝えるあたり、他人のことだとよく気がつくのですね、磐音クン。
その高知城下では、利次郎を名指しの襲撃などという陰謀の手も伸びますが、利次郎は果敢に撃退します。一方、江戸の正月は、小田平助を加えた佐々木道場における和気藹々、対照的な和やかさ。竹村武左衛門の娘・早苗も木刀を手に初稽古に。凛々しいですね~、父親とはえらい違いです(^o^)/

第5章「漆会所の戦い」。土佐藩内の紛争も、城内では藩政改革派が勝利しますが、漆会所に立て籠もった反対派の東光寺無門は、下士の怨念を理由に抵抗の姿勢を崩しません。藩主不在時に多人数の争闘を避けようと、東光寺の師・麻田勘次は利次郎を伴い漆会所に乗り込みます。藩校教授館の朝稽古で利次郎に苦杯をなめた下士の稲葉安吉と利次郎の戦いで始まり、麻田勘次と東光寺無門の師弟対決は師匠の側に凱歌が上がります。
一方、江戸では田沼意次の息子の意知が雇った不逞の武芸者が尚武館に挑みますが、小田平助に撃破されます。なんとも強烈な、得がたい門番です。そして利次郎と麻田勘次の稽古後の会話は、なにやら禅問答のようです(^o^)/



ようやく年内に第30巻まで到達しました。これで既刊は全巻読破したことになります。新年早々、新刊の発売も予定されているとのこと、作者の精進のおかげで、当方の楽しみもまだまだ続きそうです。喜ばしい限りです。
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年末年始のブログミックス

2009年12月22日 06時26分53秒 | Weblog
師走ともなると、多忙な中にも年末年始の話題が多くなります。今や、話題づくりの常套手段となっている「メディアミックス」を真似て、当ブログとラジオ・テレビ等とのミックスを探ってみたいと思います。

【音楽】
■12月28日(月) 13:30~16:55 JFN系ラジオ(全国21局) FM山形など。クラシック特別番組のパーソナリティを、飯森範親さんがつとめる番組だそうです。「シェフ範親の窓」12月18日付け記事より。実際の放送時間は、局によって異なるそうです。この時間ずっと、というわけではなさそう?
■12月30日(水) YBCーTV 午前10:00~11:25 第200回定期演奏会が放映とのこと。急な葬儀で出席できなかっただけに、これは嬉しい放送です。民放のコマーシャルも、許しましょう。地元山形のクラシック音楽番組に、スポンサーになってくれた企業に感謝です。
■12月31日(木)教育TV 午後8:00~9:25 N響「第9」演奏会、クルト・マズア指揮
安藤赴美子(Sop), 手嶋眞佐子(Alt), 福井敬(Ten), 福島明也(Bar), 合唱:国立音楽大学、東京少年少女合唱隊。なにせ、紅白歌合戦は「宮田輝・水前寺清子」のコンビの頃から見たことがありませんものですから(^o^)/
■12月31日(木)教育TV 午後9:25~午前0:05 クラシック・ハイライト2009、今年の来日演奏家など。
■1月1日(金)教育 午後7:00~10:00、NHK-FM 午後7:15~10:00 ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート2010、指揮は、2008年に続き再びジョルジュ・プレートルの予定
■1月3日(日) AM04:25~05:50 朝日放送・山形テレビ系 新春番組『新春クラシック2010』 山形交響楽団音楽監督 飯森範親さんのドキュメンタリーが放送予定。
これは、山響モーツァルト交響曲全曲演奏会Vol.8でオーボエ協奏曲とト短調交響曲等を聴く の記事にあるとおり、10月3日の演奏会を収録していたものだと思います。
■1月3日(日)教育TV・NHK-FM 午後7:00~9:00 第53回NHKニューイヤー・オペラコンサート、指揮:沼尻竜興、東京フィルハーモニー管弦楽団

【ドラマ他】
■1月1日(金)総合 午後6:05~6:50 新国民作家 佐伯泰英の世界~執筆現場である熱海の自宅に佐伯さんを訪ね、作品の紹介や佐伯さんの日常を見つめながら、人気作家の実像に迫る~
■1月1日(金)総合 午後7:20~8:35 正月時代劇「陽炎の辻~居眠り磐音江戸双紙~」スペシャル、第28巻『照葉ノ露』が原作。設楽小太郎は師匠と母を討つことができるのか。~こちらも、原作の感想をすでに掲載済みです。
■1月2日(土) BS2 午後9:00~11:55 衛星映画劇場「マイ・フェア・レディ」、オードリー・ヘプバーン、レックス・ハリソン他。カジシン本で映画「マイフェアレディ」を思い出す、というのもなんですが(^o^;)>poripori
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高橋義夫『風吹峠』を読む

2009年12月21日 05時55分38秒 | 読書
一度手に取って読みたいと長年探し続けていた本を、偶然に図書館で見つけたときは実にうれしく、帰宅するのが待ちきれないほどです。先日見つけた、高橋義夫著『風吹峠』(かざほことうげ)も、そんな本の一つ。山形県西村山郡西川町の志田周子(ちかこ)をモデルにしたと思われる、無医村に生きた女医の半生です。

物語は、昭和10年、西塔千花が東京女子医専から山形県根子沢村に帰ってくるところから始まります。小児科の課程を終えたばかりの新米女医は、父親が村長をつとめる貧しい僻村である根子沢村の出身でした。山林とわずかな田畑と、月山信仰の参詣者を泊める宿坊が村の主な産業で、医者にかかる時は死亡証明を書いてもらうときだという村の現実を前に、父親は娘を第一高女(今の山形西高)に入れ、東京女子医専に進ませたのです。

成人した千花が見る村の現実は、無力感を感じさせるものでしたが、唯一人の医者としての役割を果たすうちに、娘たちの身売りも同級生の夫の失踪も幼児死亡率も栄養状態の悪さや持病も、貧困と寄生虫が最大の問題だと痛感します。高齢出産の赤子を娘に託したまま母親が急死すると、千花の役割は増え、幼い弟妹の面倒を見る立場になってしまいます。これでは、村との契約を打ち切り、勉強のために医専に戻ることはできません。がんじがらめの若い女医の悩みに、少しだけ明るさを見せてくれるのが、月山で骨折して千花の治療を受けた、米沢の(旧制)中学校の教師・風間伊作との交流です。戦前の話ですので、なんともしかたのないことではありますが、この二人、実にもどかしい。双方ともに、家と仕事と故郷の現実に妨げられ、互いに惹かれあっていながら、諦めざるを得ないのです。

村の中で、千花の存在はしだいに大きなものになっていきますが、日中戦争、太平洋戦争の暗雲がしだいに広がり、頼りにしていた弟も応召、戦死します。最後の思い出にと抱かれた風間伊作も応召しますが、終戦によって生還、世情は徐々に変わっていきます。
父親が病死して文字通り旧家の女家長となった千花は、婦人会の会長としての役割とともに、男女同権の選挙で村会議員としても働きます。議会でのやりとりは、昔の村の宴会ふう。遠慮がないというか、無思慮、無作法というか。

「おなごが酒呑んだらいけねえだか。おなごが人ば恋したらいけねえだか。ふしだら者といわれても、わたしは平気だ。光栄だず。」

悪意の個人攻撃に対する千花の抗議は、村民の命を一手に預かる存在だけに、迫力があります。

しかし、風間伊作の再婚家庭の様子を見てしまうと、千花の孤独感はつのります。亡父の鞄を持って村の子どもたちの予防注射を行い、診療室のストーブの前で老いて一生を終えるその孤独感は、風吹峠に吹きつける強風のようなものでしょうか。



若い頃に、NHK仙台放送局編の『東北庶民の記録』という本を読みました。この中に、志田周子の半生を簡潔に紹介した一編がありました。その後、舞台となった西川町の中で(*1)、岩根沢には何度か行ったことがあります。岩根沢を愛した詩人・丸山薫の記念館があり、月山神社の社務所でもある日月寺の庫裏の広さに驚き、大雪城を越えて月山山頂に至る途中のお花畑の見事さに感嘆したものでした。今ならば、立派な道路を自動車が行き交い、冬場は除雪が見事に行われ、町への通勤も可能です。しかし、息子たちや娘たちが帰ってこない村は、本質的に共通の寂しさを抱えているのでしょう。

本作『風吹峠』は、地味な作品ながら、平成3年第105回直木賞候補となっています。

(*1):本作の舞台は、てっきり岩根沢とばかり思っていましたが、実は大井沢だったようです。映画「いしゃ先生」の先行上映を観てようやく気づきましたので、訂正します。

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山響第201回定期演奏会~ポーランドからの俊英~を聴く

2009年12月20日 14時32分39秒 | -オーケストラ
あちこちで大雪警報が出ていた師走の夜、山形市の山形テルサホールにて、山形交響楽団第201回定期演奏会を聴きました。今夜は、ポーランドの指揮者、俊英ミハウ・ドヴォジンスキを迎え、ルトスワフスキ「小組曲」、エルガーの「エニグマ変奏曲」、シベリウスの「交響曲第2番」という魅力的なプログラムです。
朝一番に雪かきを済ませ、午前中から親戚の法事でお昼に喪明けのご馳走を食べ(アルコール抜き)、午後は一休みをして演奏会に備えました。

プレ・コンサート・トークで通訳さんと一緒に登場した指揮者ミハウ・ドヴォジンスキさんは、それほど大柄な人ではありません。若い、俊英という表現がなるほどと思わせる30歳。ポーランドでは雪は珍しくないそうですが、山形の雪が今年初だそうです。ルトスワフスキは、山響からポーランドの曲を、という依頼に応えて選んだものだそうで、短いが甘美な曲。エルガーの「エニグマ変奏曲」は謎に満ちた曲、シベリウスの「交響曲第2番」ではフィナーレがお気に入りだとのこと。さて、どんな演奏になるのかとワクワク。
団員の皆さんが拍手の中で登場、勢ぞろいしたところへ、特別首席コンサートマスターの高木和弘さんが。一段と大きな拍手が起こります。
オーケストラの配置は、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、中央右にチェロ、右側にヴィオラ、その後方にコントラバスという弦楽セクション、ステージ中央奥へ木管、さらに金管と並び、右端のでかいチューバがピカピカで一段と目を引きます。ティンパニとパーカッションは左手奥に陣取ります。

最初の曲、ルトスワフスキ(1913-1994)の小組曲は、ポーランドの古都クラクフの東にある、マコフという村の民謡が使われているものだそうで、作曲されたのは1950年代でしょうか、前衛的なものというよりは親しみやすいものを感じます。以下、パンフレットを参考に、当方の印象を加えて。
第1曲「Fujarka」(横笛)、ピッコロが印象的な始まりです。私の席からは見えませんでしたが、ヴァイオリンとピッコロのリズムを刻んでいるのはティンパニ?それとも小太鼓なのでしょうか?
第2曲「Hurra Porka」(ポルカ)、リズミカルでいて軽くない、同じ音をタンギングするように繰り返すのですが、それが単純でないのです。こういう反復のしかたがあるのだな、と感心してしまいました。
第3曲「Piosenka」(歌)、クラリネットが低音で魅力的に始まります。フルート、オーボエ、ファゴットに弦が加わって、たしかに甘美な雰囲気と言えるかも。
第4曲「Taniec」(踊り)、弱音器をつけた金管から。途中にミステリアスな経過を経て、リズムに乗り盛り上がって早いテンポでフィナーレを迎えます。
若い俊英指揮者のお国もの、聴衆もあたたかい拍手をおくります。当方も、この曲の実演はもちろん初めて。録音でさえ、FM放送などでわずかに耳にしたことがある程度です。でも、すてきな現代曲ですね。ルトスワフスキの「小組曲」を、たいへん気に入りました。ドヴォジンスキさん、いい曲をありがとう!

さて、曲間に金管が増強され、次はエルガーへ。通称「エニグマ変奏曲」とされておりますが、「管弦楽のための創作主題による変奏曲《謎》」作品36というのが正式名称だそうな。名前が長い!ヨーロッパの世界大戦で用いられたドイツ軍の暗号機の名称が、たしか「エニグマ」だったはず。いかにも「黄昏の英国」風、実は金融市場の支配権をしっかりと保持していた大英帝国の矜持を思わせる、渋い名曲です。
当方、表されているという人名などにはとんと興味がありませんで、録音ではおなじみでも実演では初めての、アンダンテで奏される主題が変奏されていくさまを楽しみました。金管が活躍しますが、飛び出さずに全体の響きの中にとけこんで、でも埋没せずに音色を作ります。弦と木管がのどかで美しい音楽を奏でると、金管はお休みで、しっとりしみじみ、いかにも英国風黄昏の音楽。第6変奏のヴィオラや第12変奏のチェロのソロの旋律と音色がすてき。「全力を出し切って熱演しています」風ではなく、余裕を持ちながら実力をしっかりと発揮しているという風なポーズの英国紳士ふうでしょうか。
実は、当方、シンバル奏者の動きに注目しておりました。ジュワワ~というような音をどうやって出しているのか、興味津々。どうも、シンバルの左右を重ねたまま、丸くすりあわせて音を出しているようです。なるほど~。積年の疑問が解決し、これぞ実演の醍醐味です。フィナーレにおける、ジャーンというシンバルの爆発も、よけいに爽快に響きました(^o^)/

さて、15分の休憩の間も、オーボエの調整?練習?の音が聞こえます。次のシベリウスを意識してのことでしょうか。若い奏者の緊張感をピリピリと感じるところかも。

後半のプログラムは、シベリウスの交響曲第2番ニ長調、Op.43です。
第1楽章、アレグレット。弦のさざ波の中に、オーボエとクラリネットのソロがぴたりと決まります。いわゆるシベ2の始まりです。山響のシベリウスの蓄積は、村川千秋さんの「シベリウス・チクルス」時代から、かなりの回数があります。若い指揮者の解釈に応えるオーケストラは、表情にも自信と安定感を感じます。でも、音楽は真剣で集中力に富むものです。
第2楽章、テンポ・アンダンテ、マ・ルバート・バラード。静かなティンパニのトレモロに乗って、コントラバス(時々チェロ)のピツィカートからチェロのピツィカートに受け継がれ、ファゴットが加わります。さらにコルネットやオーボエ、クラリネット、そしてヴァイオリンと受け継がれていくあたりの様子は、いかにもシベリウス!山響の音は決して混濁しない。澄んでいます。こういうサウンドでの北欧の音楽は、北国の雪景色に似て、清冽な印象です。
第3楽章、ヴィヴァーチッシモ。第4楽章、アレグロ・モデラート。第3楽章から第4楽章へは続けて演奏されます。第1ヴァイオリンの速い動きに呼応して、コントラバスも。この音楽的な呼応の適確さ。そういえば今回はコントラバスが活躍する場面が多いような。ファゴット、ホルン等の支えの上で奏でられるオーボエソロが、いいなあ、実にのどかで!フィナーレへ続く息の長いクレッシェンドが次第に盛り上がっていきます。弦楽の旋律の上に、管楽器が色彩的な色を加え、引き潮のように弱まって行ったかと思うと徐々に力を盛り返し、クライマックスへ。もしかしたら、金管部隊は平均年齢が一番若いんじゃないかと思うほど、パワフルなfffの斉奏がかっこいい!

あー、いい演奏会でした。ここしばらく、悔しい野暮用や突発キャンセルなどで涙をのんでいただけに、オーケストラ音楽を満喫いたしました。終演後のファン交流会にも出たいところでしたが、妻が孫と子供たちを監督(?)に出かけて不在の自宅では、老母が一人で留守番をしておりますので、いそいで戻りました。
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今日は「電網郊外散歩道」の誕生日

2009年12月19日 06時26分33秒 | ブログ運営
今日は、当ブログ「電網郊外散歩道」の誕生日です。2004年の12月19日、「今年はなかなか雪が降らない」という記事でスタートしました。当初は勝手が分からず、トラックバックの仕方も試行錯誤でした。たしか、来訪者もごく少なかったように記憶しています。画面のデザインも、こんな感じ。これは、12月25日の記事です。



そして、初めてコメントをいただいたのが、たぶん翌年1月30日、中学生 shihoko さんによる「他の人のWeblog」という記事へのものではなかったかと思います。当時中学生だったら、今は高校を卒業しているのでしょうし、当時大学生だった人も、今は立派に社会人でしょう。いろいろと悩みもあることでしょうが、たぶん若さにあふれた、有意義な生活を送っていることと思います。

そうか。ブログ開始当時生まれた赤ちゃんが、もう満五歳になり、今日から六年目に入るのですね。わーお!そりゃすごい!よく続いたもんだ(^o^)/

そして、最近の記事と画面はこんな感じ。



人畜無害な中年の個人的な記録でありますが、最近は、1日あたりのIPアドレス数が 500 くらい、週間ページビューが 11,000 ページを超えております。時々、goo ブログのランキング 1000 位以内に入ることもあり、この5年間の成長は驚くばかり。なんともありがたいことです。ごらんいただいております皆様に、心から感謝を申し上げます。

さて、今日は朝一番に雪かき、午前中から親戚の法事、午後は一休みして雪かき、夕方から山形交響楽団第201回定期演奏会に出かける予定。妻は野暮用で東京行きですので、今回は身軽な単独行動です。
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今年の備忘録は6冊を越えそう

2009年12月18日 06時23分10秒 | 手帳文具書斎
12月の中旬の段階で、B6判らせん綴じの備忘録ノートは、六冊目がほぼ終わりかけています。備忘録と言えば聞こえは良いのですが、ほとんどブログのネタ帳と化しており、早晩使いきりそうです。さて、同判型のまま七冊目に突入するか、それともわずかな期間なら思い切って判型変更するか、早々に決断しなければなりません。コクヨの Systemic カバーノートに澪ペーパーの Campus HighGrade を組み合わせるという、ちょいと贅沢な使い方をしてみたいという気もします。

冬の夜、イリーナ・メジューエワのピアノで、「メトネル作品集」がすてきな音楽です。
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天童オルゴール博物館でクリスマスの音楽を聴く

2009年12月17日 05時58分33秒 | 散歩・外出・旅行
先の日曜日、天童市にある"ARSBEL"こと天童オルゴール博物館(*1,*2)で、クリスマスの音楽を聴いてきました。設立間もない頃に、二度ほど訪れたことはありましたが、近年はずっとご無沙汰で、ほんとにしばらくぶりでした。12月20日まで、鶴岡市の加茂水族館からミズクラゲを借用しているとのことで、透明なクラゲのわきでオルゴールの透明な音を聴こう、という趣旨だそうです。



第一展示室は、立派なキャビネットに入ったものから卓上型のものまで、各種のオルゴールが数十種類並んでいます。案内の男性が説明してくれて、およそ30分、演奏を聴くことができました。最初は、スイス製のシリンダー・オルゴールから。回転する円筒に出ている突起で音が鳴ります。音色はきれいですが、シリンダーの交換が難しく、いろいろな曲を取り替えて聴くといかないでしょうし、だいいちシリンダー型では大量生産は不可能です。王侯貴族やお金持ちの大きな玩具といったところでしょうか。
続いて、ドイツ製のディスク・オルゴールです。金属製の円盤に大根おろしのように突起がプレスされており、円盤が回転すると音が鳴ります。なかなか立派な音です。このディスク・オルゴールは、プレス製造ができますので、ある程度大量生産がききます。しかも円盤を交換することで、いろいろな曲を取り替えて楽しむことができます。プレイヤーとメディアの分離は、ここですでに起こっているのですね。



続いて、ヴィクトローラ社のクレデンザという高級蓄音機で、SPレコードの音を聴きました。合唱で「もろびとこぞりて」。たしかに、声楽はオルゴールでは絶対に実現できない世界です。それに、レコードは、演奏者が表現した p から f までを、かなり忠実に再現してくれます。これは、オルゴールでは不可能です。

演奏が終わると、第二展示室に移動しました。ここは、パイプオルガンや自動ピアノなどが置いてあり、ロール紙に記録したデータをもとに、自動演奏が聴けます。今回は、日本に三台しかないという1920年製の自動演奏スタインウェイで、ショパンの「革命」のエチュードを聴きました。無人の鍵盤が動き、演奏される仕組みには驚かされますが、人間が演奏するものとの根本的な違いに気づいてしまいました。それは、オルゴールと同じで、強弱が表せない、ということです。



ここまでは、以前にも聴いたことがありましたが、今回は温室のようなところに第三展示室「レコード館」というのが作られていました。ここには、EPレコードやLPレコードが集められています。アナログ時代のパイオニア製オーディオ製品を用いて、大音量で聴かせてもらったのは、なんと、ちあきなおみの「喝采」と山下達郎の「クリスマスイブ」。たぶん、この解説の男性は、ちあきなおみさんの大ファンなのでしょう(^_^)/



それにしても、大音量で聴くLPレコードは、ppからffまで、実にいい音がします。物量を投入した、1980年代の高級オーディオ装置で聴いた懐かしい歌は、ほのぼのと心温まるものでした。また、展示された古いステレオ装置も、たいへん懐かしいものでした。



(*1):ARSBEL~天童オルゴール博物館のWEBサイト
(*2):ARSBEL~天童オルゴール博物館スタッフブログ
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