電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ドリーブ「コッペリア」「シルヴィア」他

2005年03月31日 22時45分57秒 | -オーケストラ
年度末の追い込みご多忙モードで進行中、早朝出勤・遅番帰宅が続いています。いささか疲れました。通勤途中の音楽だけが楽しみです。
今、車の中ではまっているのが、ドリーブのバレエ音楽です。「コッペリア」「シルヴィア」などなど。音量を上げて、車の中だけでもルンルンしていきたいものです。しまった、演奏者を忘れた。たしか、NAXOS の CD だったな。明日、ゆっくり調べてみよう。
とりあえず、今日は記録のみ。
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ネットワークは人と人とを結び付けるが

2005年03月30日 21時37分18秒 | Weblog
コンピュータ・ネットワークは、人と人とを結びつける働きをする。今まで知り得なかった人々と、知遇を得て交流し、有益な人間関係の広がりができることが多い。これは、古くからのネットワーカーでなくとも、同意できることだろう。有益とはとえてもいえない人間関係を結ぶこともできるが、それはおおよそ本人の心がけの問題のように思える。
だが、一方で人間の時間は24時間と限られている。ネットワークの力で、人間関係が拡大する反面、家族や地域の人々とのつながりは確実にその分だけ減退するのではないだろうか。昔、プログラミングの最中に妻に話しかけられ、今アルゴリズムを組み立てているところだから話しかけないで、と言ったら、しばらく口をきいてもらえなかった。ブログやメーリングリストにはまったりすると、家族や地域の人たちとのつながりは減少するだろう。
ネット社会の人間関係が深まるときには、その分だけ、家族や地域社会との縁が薄れる。相反する要素の、どのあたりでバランスを取るか、古くからのネットワーカーとしては、冷静な対応をしたいと考えたいものだ。

写真は、夜の駐車場入口。
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耳鼻咽喉科に行く

2005年03月28日 18時10分29秒 | 散歩外出ドライブ
昨日の日曜に出勤したので、今日は代休日。月曜の代休は、床屋さんも図書館もお休みで、あまり嬉しくない。でも、今日だけは違った。昨晩、喉につかえた魚の小骨がまだ取れないようで、不快な異物感がある。朝、かみさんを送り、子どもを部活に連れて行き、その足で耳鼻咽喉科に行った。最初は口を大きくあけて喉頭部を探していたが、しばらくすると鼻腔からファイバースコープを入れ、探すことしばし。
「ありませんね。傷が残っていますから、これが異物感の原因でしょう。抗生物質を三日分処方しますから、飲んでみてください。」
との診断。このお医者さん、開業前は県立病院でならした経験豊かな実力派だけに、まずは安心。

帰りに新☆堂により、音楽CDを物色、昔懐かしいジョルジ・シフラ父子によるリストの「ピアノ協奏曲第1番・第2番」(パリ管弦楽団、TOCE-13078)、ジェラール・スゼー(Bar)とダルトン・ボールドウィン(Pf)によるフォーレの歌曲集(TOCE-13099)の二枚を購入して来た。
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小骨が喉につかえて

2005年03月27日 21時32分07秒 | Weblog
夕食で食べた魚の小骨が喉につかえて、苦しいやら痛いやら。多少楽にはなったが、まだ取れない。明日、耳鼻咽喉科に行って、見てもらうことにしよう。寝てるうちに取れるといいのだけれど。

考えてみると、ちょっとした痛みや、鼻づまりで呼吸が苦しいなどの症状で、生活の質や満足感がずいぶん変わる。音楽を聞く気にも本を読む気にもなれない。寝るより楽はなかりけり、と床にもぐりこむことにする。
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『田宮模型の仕事』を読む

2005年03月26日 21時58分37秒 | -ノンフィクション
文春文庫で、『田宮模型の仕事』を読んだ。
子どもの頃、模型飛行機といえば角材と竹ひごで作るものであり、アルミニウムの細いパイプを継ぎ手にして接続するところに感心した記憶がある。その後、プラモデルが流行し、2種類ほど作った記憶はあるが、お金がなかったのでそれほどのめりこむことはなかった。後にタミヤ・ブランドの精密なプラモデルがあることを知識として知ったが、実際にはまったく縁のないままに過ぎてきた。
ただ、どんなふうにしてプラモデルというものができたのか、同時代史として興味があった。木製模型屋として出発しながら、泣く泣くプラモデル製作に転向し、金型屋との交渉に耐えながら取材こそ模型屋の命と信じてとことんやりぬいた、2代目経営者の自伝的な記録である。なんだかプロジェクトXふうだが、悪い印象は受けない。面白かった。

写真は、珍しくお彼岸を過ぎてから降った名残りの雪と、日暮れに立ち寄ったお菓子屋さんの建物。
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このサイトが面白い~PC処世術

2005年03月26日 08時59分31秒 | コンピュータ
Weblogの他にも、定期的に閲覧しているサイトというものがある。それは、スラッシュドット・ジャパンであったり、地域ポータルサイトであったり、さまざまだが、中には特定のテーマについての、たいへん興味深いサイトがある。たとえば、「PC処世術」(*)と題するこのサイトなどだ。

*: PC処世術 パソコンの進化と共栄する

今回は、「パソコンの能力は充分かー解像度編」と題して、紙と比較したディスプレイの解像度の低さを取り上げている。確かに、TeX/LaTeX で美しい組版を実現したとしても、それは紙に印刷した場合であって、画面に A4 サイズで表示すると、実物大なのに印刷された紙にはとても及ばない。読みやすい解像度にズームアップすると、画面をスクロールして読まなければならず、結局紙に印刷して校正することになる。
この不便さは、ビデオメモリの増設と画面の高解像度化で解決できるはずだ、という主張の趣旨はよく理解できる。
そのほかにも、パソコンのハードウェアの面から、興味深い見解が多数掲載されており、たいへん参考になる。
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「思う」と「考える」の違い

2005年03月24日 21時48分48秒 | Weblog
ずっと前に、「思う」と「考える」の違いを質問されたことがある。そのとき、こんなことを答えた記憶がある。

「思う」ことに知識は不要。
(例)バスで毎日見掛けるあの子のことは全然知らない。毎日あの子のことを思っている。
「考える」には知識が必要。
(例)あの子は四月生まれだから、誕生石のダイヤモンドを贈れば喜ぶだろう。

「思う」と「考える」の違いは知識の要不要。「思う」は対象のまわりをめぐること。「考える」は対象に関する知識を組み合わせること。

最近、またこれに似た経験をした。たぶん、こんな理解でいいのかな。こういうことを考えるのは面白い。
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春の運転は乱暴になりがち

2005年03月23日 22時12分34秒 | Weblog
長い冬が明けて春が来ると、本当に車の運転が楽しい。写真のように、今まではツルツルの路面に神経を使いながら運転していたのが、夏タイヤに交換してから、ぐんと運転がらくだ。こうなると、中にはつい飛ばしたくなる人が出てくる。とくにこわいのは免許取立てのケース。恐さ知らずに無茶をする。自爆ならまだしも、巻き添えになると大変だ。さいわい、早朝出勤なので、あまり無謀運転には遭遇しないですんでいるが、ちょっと遅くなるとかなり激しい運転の車に出くわす。ヤレヤレだ。
みなさん、音楽でも聴きながら、悠々と運転いたしましょう。
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Weblogの話題の見付け方

2005年03月22日 21時59分10秒 | ブログ運営
このWeblogでは、本と音楽と郊外散歩をテーマにしている。
日常的な話題の見付け方は、こんなふうにしている。
(1)通勤や帰宅後、休日などに音楽を聞いたとき、いいなぁ、と思ったものを書く。
(2)読みおえた本で、面白かったものについて、気づいたことを書く。
(3)散歩していて、いいなぁ、と思った風景などを写真といっしょに書く。
(4)様々なテーマについて検索した結果、注目したWEBサイトのことなどを書く。
(5)生活や社会のできごとなど、気づいたことや感じたことを書く。
内容を考えるのは、通勤の車の中や、エレベータの待ち時間などが多い。「あっ、今日はこれを書こう」とすぐ決まる日は、たいていすらすらと書ける。
あまりネタ切れになることはないのだが、一日が多忙で本も音楽も開くことさえできない日があったりする。だいたい、懇親会と称する宴会があったりして、帰宅するとバタンキューになっているケースが多い。そういうときは、無理をしないでお休みにする。
一時、blogランキングなるものを試してみたが、格別どうということもないのでやめてしまった。そういえば、自分のサイトでは、アクセスカウンタすら付けていない。なんということはない、無理をしない自然な取り組みがいいのではないか、と考えている。
みなさんの場合は、どんなふうに話題を考えているのだろうか。
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WEBサイト「物語案内」を更新

2005年03月21日 22時58分12秒 | コンピュータ
1ヶ月以上間があいてしまったが、WEBサイト「物語案内」(*)を久々に更新した。
今回は、宮部みゆき著『ぼんくら』、林望著『リンボウ先生のオペラ講談』、R.P.ゲイル、T.ハウザー著『チェルノブイリ』の3点を取り上げた。前の2点が「楽しい話」、『チェルノブイリ』が「こわい話」で探すことができる。
(*): WEB「物語案内」トップページ

連休の最終日、借りていた本を返しに図書館に行った。図書館は休館日だが、返却ポストに入れて来た。春の陽光をあびて、図書館の木々もようやく活動し始めたようだ。
楽しみにしている「読書好きの12歳」さんのWeblog、最近お休みのようす。学年末テストかな?
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庭木が雪で裂けた

2005年03月21日 20時06分33秒 | 散歩外出ドライブ
春らしい陽気で、どんどん雪がとけている。すっぽり雪に埋もれていた庭木が顔を出した。2本あるドウダンツツジのうち1本の枝が、写真右上部のように途中から裂けてしまった。今年は例年より雪が多く、例年の雪に耐えてきた樹木も、この冬の大雪にはだいぶやられているようだ。
午後、冬タイヤを夏用タイヤに交換。家内の車もタイヤを交換。運転も静かに、快適になった。果樹園の中を貫く郊外の道路を走ると、リンゴやサクランボの木が雪で裂けて無残な姿をさらしている。これも例年にないことだ。
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『終戦のローレライ』を読む

2005年03月20日 21時07分43秒 | 読書
出張の際に東京駅で購入してきた、福井晴敏著『終戦のローレライ』(講談社文庫、全四巻)を読む。地下鉄で映画『ローレライ』が大きくディスプレイされていたので、何も考えずに購入してきた。
ローレライという名のドイツ軍の新兵器を運搬するUボートが、米軍の潜水艦の執拗な攻撃を受けて「ナーバル」というシステムの核を捨てざるをえなくなる。これを回収に行った「伊507」潜水艦により、ナーバルに隠された秘密が明らかとなる。
最初は、かなりリアルな物語かと思っていたが、途中から超能力ものになってしまい、少し残念。それでも、爆沈した潜水艦の乗組員の死を全身で感じる恐怖など、強いイメージを喚起させる。それも、最後のほうになると、少年の心が助けになり、あんなに強く感じていた恐怖を乗り越えて、連戦連勝、無敵のスーパー魔女と化すところなど、いささか設定に安直さを感じる部分もある。
まあ、あまりかたいことを言わずに楽しむべきなのでしょう。
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ザビーネ・マイヤーのモーツァルト「クラリネット協奏曲」

2005年03月20日 15時29分35秒 | -協奏曲
ザビーネ・マイヤーのクラリネット、マレク・ヤノフスキ指揮N響の演奏で、モーツァルトのクラリネット協奏曲を聞いた。ただし、テレビのN響アワーを録画したもので、1998年9月18日の定期公演である。
ここで、ザビーネ・マイヤーは、普通のクラリネットではなく、バセット・クラリネットを用いて演奏している。バセット・クラリネットは、普通のクラリネットよりも十数cmほど長く、半音で四個分だけ低い音が出る楽器で、1991年に復元されたのだそうな。モーツァルトは、このバセット・クラリネットを愛し、低音と高音を対比した曲を書いた。だから、本来この曲は、バセット・クラリネットで演奏すべきだ、とザビーネ・マイヤーはインタビューの中で語っている。
低い音を出すために親指を使うことから、バセット・クラリネットは首からひもで吊り下げて演奏する。ザビーネ・マイヤーは、30代からこの楽器を使いはじめたことになる。低い音から高い音へ、駆け上るような音階が、陰影ゆたかに演奏される。何度見ても聞いても、素晴らしい。これはやみつきになる。バセット・クラリネットの音色はいいものだ。
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モーツァルトの蔵書

2005年03月19日 12時15分46秒 | -ノンフィクション
岩波現代文庫で、海老澤敏著『変貌するモーツァルト』を読んだ。興味深い内容がたくさんあったが、特に「モーツァルトの知的生活を垣間見る」という章が面白かった。
モーツァルトの遺品目録の中で、書物は計43点、124冊あるとのこと。具体的な書名一覧は省かれているものの、この量をどう考えるべきだろうか。洪水のような出版点数、家庭で置き場所に困るほどの蔵書を基準とすれば、貧弱な蔵書だといえようが、18世紀の自立した音楽家という条件を考えれば、少なくない数量だと思う。
蔵書の質にしてもそうだ。同時代のゲーテやギリシア時代を代表するホメロスなどの作品がないからといって、水準の低い貧弱なものだと言ってよいのだろうか。著者は、こういう問いを発している。たしかに、私たちの蔵書を、大江健三郎や川端康成がないからといって、文学に理解のない、低い水準のものだと言ってよいか。単に、好みが違う、というだけではないか。モリエールやグリム、クロプシュトック、ボーマルシェ、メタスタージオ、ゲレルト、シェークスピアなどの作品が含まれた蔵書は、厳選された、最後まで手元に置きたかった本として受け止めるべきではないのか。
だから、モーツァルトを音楽家としては高く評価するが、彼の知的生活には見るべきものはない、とするのはいかがなものか。
これは、たいへん大事な指摘のように思う。
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モーツァルト「クラリネット五重奏曲」

2005年03月18日 21時41分10秒 | -室内楽
今日は、朝から日帰りで東京出張。敗戦処理と予想してはいたが、案の定だった。まず、しかたがないのだが、(今風に言えば)やっぱり「へこむ」なぁ。
電車の中で、ザビーネ・マイヤー(Cl)とフィルハーモニア・クヮルテット・ベルリンによる、モーツァルトの「クラリネット五重奏曲」を聞く。(デンオンCOCO-70526)
旧西ベルリンのジーメンス・ヴィラで収録されたこの録音は、1982年6月というから、彼女が22歳の時のものだ。もう20年以上も前になる。演奏のことをコメントする気分にならないが、モーツァルトのこの音楽は、「へこんだ」気持ちが、いささかなりともなぐさめられる。モーツァルトはいいなぁ、と思う。
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