電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

オーディオ製品カタログに時代を見る

2008年11月30日 10時50分51秒 | クラシック音楽
ようやく晴れた休日、せっせと雪囲いをしました。老母はせっせと漬物を仕込み、ネギを土中に埋め、冬支度に追われております。午後から書棚の最上段の整理をしたところ、昔のカタログがごっそりと出てきました。前にも一部掲載(*)したことがありますが、アナログLPレコード華やかなりし頃のオーディオ関連製品、懐かしさに浸る中年世代の方々のために、少々ご紹介。トップの写真のような、サンスイの格子状グリルを持った据え置きタイプの大型スピーカ SP-3005 などの製品の向こうに、この当時の時代を見ることができるかもしれません。


まずはグレースのトーンアームです。次の写真(マイクロ MB-400S)のようなフォノモータと組み合わせて、貼り合わせてくりぬいた積層合板のキャビネットに組み立てていた豪の者もいました。

次は、ONKYO の Component Stereo カタログです。スピーカの E-63A(MKII)とかアンプの Integra シリーズとか、魅力的でした。カタログも生活提案のようなスタイルです。

オープンリールでオートリバースをうたっていたパイオニアのオープンデッキ T-4000 です。こちらは再生のみオートリバースで、録音再生ともにオートリバースできる上級機 T-6000 もありました。

ここからはソニー製品です。まず、録音した音をモニターできる、1モーター3ヘッドのオープンデッキ TC-6350 のカタログです。

ソニーのカセットデッキ TC-2130A です。当時は、こういう平型のデッキが主流でした。

最後は、日立の Lo-D シリーズのスピーカです。ギャザード・エッジのウーファーに削り出しのホーン・トゥイータの2ウエイという構成の HS-500 という高級機もありましたが、こちらはその弟分にあたる、HS-350 という製品。カタログも、白黒に Lo-D というロゴだけが青色という、ストイックなイメージのものでした。


これらのカタログは、実際に自分が使っていたから持っていたのではなくて、初めて自分でオーディオ機器を購入する際に、いろいろ集めたものではないかと思います。1970年代前半頃かと思いますが、どれも思わず懐かしくなります。

(*):懐かしのオーディオ機器のカタログを発見
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購読をやめてわかったパソコン雑誌の役割

2008年11月29日 07時26分24秒 | コンピュータ
一時は雨後の筍のように乱立していたパソコン雑誌ですが、今は休刊廃刊が相次ぎ、すっかり様変わりです。当方も、ずいぶんいろいろなパソコン雑誌を定期購読しました。ざっと思い出すだけでも、
(1)アサヒパソコン
(2)月間ASCII
(3)季刊Networker~月刊Networks
(4)月刊Oh!FM~Oh!FM-TOWNS
(5)季刊~月刊Linux Journal
(6)季刊~月刊Linux Magazine
(7)月刊・日経Linux
などです。この中で、もっとも購読期間が長かったのは、月刊アスキー誌でしょうか。
現在、ほとんどが休刊あるいは編集内容が大幅に変わり、時々眺めたり購入したりするのは、(6)の日経Linuxくらいになってしまいました。ある程度つっこんだ内容になると、むしろWEB上で検索するほうがはやいですし、特にパソコン雑誌を定期購読していなくても、不便はないように思います。

一つだけ、パソコン雑誌を定期購読していた時期と現在との、かなり明らかな違いを感じることがありました。1980年代の終わりから90年代の初頭にかけて、sedやawkを覚えたのは、間違いなくASCII誌やNetworker誌の特集記事がきっかけでした。また、日本語TeX/LaTeXやgnuplot、Linuxなどを知ったのも、Oh!FM-TOWNS誌やASCII誌がきっかけです。つまり、雑誌は、しばしば新しい知識や技術を身につけるきっかけとなったのです。


(パソコン通信の雑誌「Networker/NetWorks」FDの付録がついていた)


(隔月刊から月刊になったころのLinuxMagazine誌)

ところが、WEBの時代になってからは、検索すればいつでも調べられるとはいうものの、新たに身につけた技術や言語はごく少ない。年齢とともに仕事の内容が変わったこともありますが、雑誌に紹介された記事を試してみたり、参考書籍を購入してつっこんで勉強したり、といったことがなくなり、日々、情報は通り過ぎていくだけになってしまったように感じます。パソコン雑誌には、実はこういう「手ほどき」の役割、教育的な役割があったのではないか。
パソコン初心者が卒業した時点で雑誌の役割が急減したこともそれが理由なのだとすると、紙メディアは新しさを追うのではなく、もう一度季刊の時代に戻って、手ほどきや教育的な役割に徹した編集をしてみるのも面白いのでは、などと考えたりします。もちろん、一時のような栄華はありえないでしょうが。
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モーツァルト「ピアノ協奏曲第27番」を聴く

2008年11月28日 06時52分34秒 | -協奏曲
モーツァルトが作曲した最後のピアノ協奏曲らしい、第27番変ロ長調K.595は、年齢と経験を積み重ねるほど、巨大で複雑でスゴイ作品を作れる(作る)ようになる、というようなイメージとは随分遠いところにある作品のように思います。変なたとえですが、「巨人の星」に代表されるスポ根もの~刻苦精励・魔球の進化みたいな~はそんなイメージですが、モーツァルトはそんなイメージを軽やかに蹴っ飛ばす。事態はむしろ逆の方へ----

楽器編成は、Fl(1),Ob(2),Fg(2),Hrn(2),弦5部に独奏ピアノというもので、クラリネットもトランペットもティンパニもないというシンプルなものです。これは、予約演奏会を開こうとしても開けないほど離れてしまった聴衆を呼び戻すために、複雑になりすぎた音楽をシンプルに戻そうとした結果だ、と考えるべきなのでしょうか。どうも、そういう考えには、「巨人の星」的イメージが前提にあるような気がします。本来は巨大で複雑でスゴイ作品を作りたかったのだが、聴衆に合わせて程度の低い作品を作ったのさ、みたいな前提が。ですが、はたしてどうなのか。オーケストラを雇う金銭的な余裕がなかったため、という見方はありうると思いますが、むしろ、「フィガロ」や「ドン・ジョヴァンニ」や「魔笛」などを創造した作曲家の、シンプルな編成でも求める音楽的効果は得られる、という自信の現れと見ることもできます。

第1楽章、アレグロ。なんとも軽やかな始まりです。独奏ピアノが入ると、時折翳りを見せながらも、優美な音楽が展開されますが、単に優美なだけでなく内容も豊富です。
第2楽章、ラルゲット。ピアノのつぶやくようなソロから始まり、ホルンがこだまし、弦楽が入ります。続く音楽も、ゆったりしていますが、弛緩したものではありません。むしろ、奏者にとってはたいへんに緊張感を求められるところなのでは?劇的な内面を秘めた静謐な音楽、という印象です。
第3楽章、アレグロ。やっぱり伸びやかで軽やかなロンド形式の音楽です。フィナーレは盛り上がって決然と終わります。

音楽は、巨大で複雑な音響だけに価値があるのではない。軽やかなリズムとさらりと転調するひとふしの中にも、音楽があるように思います。

ロベール・カサドシュ(Pf)、ジョージ・セル指揮コロムビア交響楽団ことクリーヴランド管弦楽団、1962年11月に収録されたアナログ録音で、SONY Classicalの5033902 という型番の3枚組CDと、アンネローゼ・シュミット(Pf)、クルト・マズア指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団による DENON の紙箱CD全集 COCQ-84097-105、あるいは例の MyClassicGallery という全集分売ものの GES-9233 から。ふだんはセル盤を聴くことが多いのは確かですが、これらの演奏を云々するのは野暮というものでしょう。いずれの演奏を聴いても、私は幸せです(^o^)/

でも、参考のために演奏データを示します。
■カサドシュ、セル指揮クリーヴランド管
I=13'17" II=8'47" III=8'01" total=30'05"
■シュミット、マズア指揮ドレスデン・フィル
I=13'25" II=6'40" III=8'45" total=28'50"
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暖房について

2008年11月27日 04時30分32秒 | 季節と行事
冬季間、暖房なしでは過ごせない当地では、様々な暖房を使います。昔は、薪の他に木炭や石炭などが熱源で、火鉢やダルマストーブなどが主な暖房でした。それが次第に石油ストーブに移行し、今はFF式や温風式のファンヒーターが中心です。
当方のアパートでは、以前の単身赴任時に購入した石油ストーブと、タイマー式の電気ストーブを併用しております。これは、朝、目覚めたときに少しでも寒さを和らげるように、タイマーで暖房を入れるようにしているのと、いざ停電という時のことも念頭に、電気のいらない石油ストーブとを組み合わせているものです。また、朝食の準備で電子レンジを使うので、電気ストーブと同時使用だとブレーカーが落ちてしまうから、という理由もあります。換気と湿気の問題はありますが、暖房能力の点では、十分のようです。
夜間の就寝時は、昔ながらの湯たんぽを使います。湯沸かしで沸かしたお湯を入れておくと、一晩中ぽかぽかと温かく、よく眠れます。電気毛布よりもずっと快適です。昔の人は、良いものを考えてくれたものですね。

上の写真は、自宅の書斎兼仕事部屋用のFF式温風ヒーターです。本とピアノが置いてあるので、湿気のこもりやすい普通の石油ストーブは置けません。書斎を改築して20年以上になりますが、これで二台目くらいでしょうか。国産品は丈夫で長持ちするのがありがたいです。この部屋でモーツァルトのピアノ協奏曲第27番のCDを聴いたりなどするときには、もう快適で動きたくなくなります。

下の写真は、アパートで使っている石油ストーブと電気ストーブ。炎の赤い色を見ると、なんとなく暖かさを感じます。健康上はFF式が良いのでしょうが、やむをえません。




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ある日のお弁当

2008年11月26日 06時43分16秒 | 料理・住まい
当方、ほぼ毎日お弁当を作って持参しております。職場の同僚からは、当初、呆れられたり感心されたりといった反応でしたが、しばらくしたら見慣れたようで、ごくふつうの日常になりました。たまに出前のラーメンなどを食べると、やけに美味しく感じますが、さすがに毎日となると飽きてしまいますし、お小遣いが減るのも痛いです(^o^)/
お弁当を作るのは大変そうですが、要領がわかれば実はそれほど大変ではありません。要するに、何か1~2品は作りますが、あとは冷蔵庫にあるものを適当に詰め合わせればよい、と割り切っています。
例えば、当方のある日のお弁当はこんな感じ。
(1)塩鮭の切り身を焼いたもの、実は朝食の残り半分
(2)柱状に切った大根に軽く塩をふり、キムチで漬けたもの
(3)食用菊のおひたし
(4)ゼンマイの煮物
(5)カブの玄米漬け
(6)梅干し
ごらんのとおり、いたって低カロリー、しかも(4)~(6)は自宅から持参したものですから、ほとんど手はかかっていません。できれば味噌汁かスープがほしいところですが、なに、熱いお茶を用意するだけでもけっこう美味しく食べられるものです。
単身赴任は二度目ですが、毎日お弁当を作るのは今回が初めてです。食事の合理的な計画は、それ自体なかなか面白く楽しいものです。レッツ・エンジョイ・お弁当!(^o^)/
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佐伯泰英『朔風ノ岸~居眠り磐音江戸双紙(8)』を読む

2008年11月25日 06時30分45秒 | -佐伯泰英
佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙』シリーズ、第1巻の迫力に思わず魅せられて読みはじめ、第4巻で呆れてやめようかと思ったものの、中居半蔵さんの物産プロジェクトが気になり、ここまで来ました。とうとう第8巻『朔風ノ岸』です。岸と言うからには船が着く話に違いない、と勝手に決めつけて読みはじめました。

第1話「府内新春模様」。年の暮れの気ぜわしい時にスリ騒ぎがあれば、たいていの人は疑わずに信じてしまいそうですが、磐音は前提を疑う、という力を持っています。そこが、南町奉行所の知恵者である笹塚孫一が買っているゆえんなのでしょう。
第2章「三崎町初稽古」。豊後関前藩の物産プロジェクトは、ゆっくりではありますが次第に準備が進んでいるようです。若い藩士二名を乾物問屋の若狭屋に案内した後に、神田三崎町の佐々木玲圓道場に案内します。二人は、その初稽古で磐音のすごさをあらためて知り、今津屋での待遇に目を白黒させます。磐音はさらに南町奉行所に呼ばれ、狂信的な血覚上人一派を操る人物が、鐘ヶ淵のお屋形こと遠江横須賀藩の西尾幻楽という隠居老人であることを知らされます。藩屋敷前で江戸家老福坂利高に嫌味を言われた上に、屋敷の周りをうろちょろするな、と叱られます。この人、サラリーマン世界の不人気上司の代表みたいな役回りですね。
第3章「早春下田街道」。品川柳次郎が持ってきた働き口は、寄合旗本大久保家の知行所である伊豆修善寺でのやくざ抗争を鎮め、大久保家の支配に服させることです。食い詰め浪人は登場するし、なかなか大変です。でも、竹村武左衛門や品川柳次郎がなかなか役者であることがわかり、どこかユーモラスなお話です。
第4章「寒月夜鐘ヶ淵」。しょっぱなから伊豆土産のわさびが美味しそう。私はわさびの若葉のぴりっとした辛さが大好きです。寒の季節にわさびを添えた鰻の白焼き。うまそうですね~。中川淳庵を誘拐した鐘ヶ淵の隠居も、年貢の納め時でしょう。
第5章「待乳山名残宴」。神田三崎町の佐々木道場から中川淳庵に連れられて行ったところは若狭小浜藩邸。そこで藩主の忠貫に会います。速水、赤井主水正の両幕臣の中枢に加えて大藩の藩主です。これは、今後の展開に大きく影響しそうです。

などと思っていると、出ました!やっぱり思わせぶりな奈緒こと白鶴太夫の消息がからみます。でも、私には豊後関前藩の物産プロジェクトの船が出発した、という父正睦からの手紙の方がワクワクします。
結局、題名の『朔風ノ岸』は、物産プロジェクトの船とは関係がありませんでした。しかたがない、次作に期待しましょう。
それにしてもこのシリーズ、26巻もあるのですね。わーお!平岩弓枝『御宿かわせみ』シリーズを読んでいたのはいつ頃だったのかと、しばらく遠くを見るような目になりました(^o^)/
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シューベルトの時代の冬の旅は

2008年11月24日 20時29分49秒 | -オペラ・声楽
シューベルトの歌曲集「冬の旅」は、恋に破れた若者が、失意のうちに冬の荒野をさすらう話ですが、親しみやすく苦さの中にほんのり甘さもある音楽に、つい温暖な地の放浪を連想してしまいがちです。でも、シューベルトの時代の冬の旅は、実際はどんな風だったのでしょう。

手がかりとしては、(1)歌詞の内容、(2)地理や気候のデータ、などがあると考えられます。以下、いかにも理系的な無粋レポートであることは自覚しつつ、手元にあった古い平成四年版の『理科年表』で、興味関心のおもむくままに調査決行!



うーむ、どうやら日本で言えば山形や信州松本あたりの気候と似ているようです。それならば、冬の旅について、体験的にリアリティを持って語れそう。要するに、詩人ミュラーが放浪し、シューベルトもまた共感した「冬の旅」とは、実はクロスカントリー・スキーの世界を徒歩で歩き回るようなものなのかも!

シューベルトの「冬の旅」は、現在当方の手元にある録音は、(1)ヘルマン・プライの旧録音のLP、(2)ヘルマン・プライの新録音のCD(*1)、(3)エルンスト・ヘフリガーの晩年の録音のCD、の3種類です。最近は、廉価盤には歌詞が付いていないものが多くなりましたが、幸いなことにネット上で歌詞を探すことができます。たとえば「シューベルト 冬の旅 歌詞」で google 検索すると、かなりの数のサイトがヒットします(*2)が、これらの翻訳を参考にすると、

第1曲「おやすみ」より

Der Weg gehüllt in Schnee. 道は雪で覆われてしまっている。

Und auf den weißen Matten そしてこの一面真っ白の中で


第3曲「凍った涙」より
Gefrorne Tropfen fallen 凍ったしずくが
Von meinem Wangen ab: 僕の頬から落ちる。


第4曲「凍結」より

Durchdringen Eis und Schnee 氷も雪も


第6曲「涙の河」より

Ist gefallen in den Schnee; 雪の上に落ちていった。
Seine kalten Flocken saugen 雪面の冷たい粉が吸い込んでいく、


第8曲「かえりみ」
Es brennt unter beiden Sohlen 両足の底が焼け付くように痛む、
Tret' ich auch schon auf Eis und Schnee, 僕は氷と雪の上を進んでいるというのに。


第20曲「道しるべ」より

Suche mir versteckte Stege 雪に覆われた岩山を通り
Durch verschneite Felsenhöhn? 隠れた小道を探すんだろう?


第22曲「勇気」
Fliegt der Schnee mir ins Gesicht, 雪が顔に吹きつけても


昔、まだ庄内在住の頃に、地吹雪で車に閉じ込められそうになったことがありました。幸い、なんとか脱出できましたが、この夜に同じ場所で、雪に閉じ込められて亡くなった方もいらしたはずです。冬の吹雪の中を歩くことは、装備や条件が悪ければ、常に命の危険と隣り合わせだと感じます。

シューベルトの「冬の旅」も、ご覧のとおり凍傷の一歩手前でさまよい歩く内容です。当時は、オオカミなども出たかもしれません。決して暖地の冬ではない、今よりもずっと厳しい冬の放浪。死へ誘う絶望の深さを思い、厳粛な気分になります。

(*1):ヘルマン・プライの「冬の旅」を聞く~「電網郊外散歩道」より
(*2):シューベルト歌曲対訳集
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カサドシュとセルによるモーツァルトのピアノ協奏曲のLPで指揮者はどう扱われていたか

2008年11月23日 09時00分38秒 | -協奏曲
私の手元に、1枚のLPがあります。1963年初発の、日本コロムビア OS-270 というレコードです。内容は、ロベール・カサドシュ(Pf)、ジョージ・セル指揮コロムビア交響楽団による演奏です。見開きのダブルジャケットの中に、3ページにわたるライナーノートがあり、4ページ目は羽田空港ロビーでのカサドシュのポートレートと自筆のメッセージが掲載されています。なかなか気合の入った、立派なレコードです。



ところが、このライナーノートが、ある意味、まったくスゴイ。

1 音の色の魔法~カザドゥジュの実演とレコード~ (村田武雄) 158行
ほとんど全編がカサドシュへの賛辞ですが、指揮者にも少しだけ触れた箇所があります。行数にして1段落15行のみですので、全部を引用してみます。

この新しいステレオの「ピアノ協奏曲第26番と第27番」とは、セルが指揮しているだけに、いっそう冷たいほどに引きしまったモーツァルトとなった。これは1963年の最も新しい録音なので、カザドゥジュの音色の美しさが見違えるように鮮やかに聴かれる。直ぐ前で弾いているような録音法もカザドゥジュのピアノの場合にはタッチの1つ1つが目に見えて魅力的だ。いっさいの主観的な解釈を許さない音楽家であるカザドゥジュとセルの組み合わせは、現在考えうる最良のものである。さっそうたるテンポで直截簡明に表現する、この2人の芸術観は現代人のすべてに通じる。モーツァルトが時代の垢を洗い落として、われわれの前に新しい肌を輝かせている。とくに「第27番変ロ長調」(K.595)がすぐれた演奏である。

2 曲目解説 (向坂正久) 180行
(1)モーツァルト最晩年のピアノ協奏曲
(2)Side-A モーツァルト ピアノ協奏曲第26番ニ長調「戴冠式」K.537
(3)Side-B モーツァルト ピアノ協奏曲第27番K.595
3 ロベール・カザドゥジュ~人と芸術~ (上野一郎) 170行
カザドゥジュ家の家系図、祖父から息子まで

つまり、158+180+170=508行の中に、指揮者とオーケストラに触れた内容は、先の1パラグラフ15行のみであり、全体の行数の3%しかない、ということなのです。素人の考えでは、協奏曲のレコードのライナーノートならば、独奏者を紹介し、指揮者とオーケストラの演奏を評価し、それぞれ半々くらいの行数を費やすのかな、と思いますが、実際はこんなふうでした。なんとなく当時のセルとクリーヴランド管弦楽団がどんな風に理解されていたかが想像できます。1970年の来日に始まる一連の動きで、これが一変してしまったことになります。
日本コロムビア時代、ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団は、エピック・レコードに録音しておりました。エピック・レーベルは、1953年に米コロムビアレコードの傘下に設立された、フィリップス・レコードのクラシック音楽部門を販売するためのサブ・レーベルで、本家のコロムビア・レコードにはワルターやバーンスタインがおり、エピック・レーベルにはセル、ドラティ、ジュリアード弦楽四重奏団などが所属していた、ということのようです。そんな事情から、本家の売上に影響するような扱いはできなかったのでしょう。
この時代、音楽家が所属のレコード会社の営業政策によって評価されるようになっていた、という事実を表すものなのかもしれません。

さて、昨日は野暮用、今日は息子も帰省し法事と、山形交響楽団の定期演奏会は行けそうにありません。残念無念です。12月3日の山形弦楽四重奏団の定期演奏会には万難を排して出かける予定。楽しみです。
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雪道の運転

2008年11月22日 08時27分56秒 | 季節と行事
例年にない連日の雪降りです。冬タイヤの交換は済ませておりましたので、慌てはしなかったのですが、雪道の運転はまだ早いんじゃないかと、職場でもひとしきり話題になりました。単身赴任の住まいからとは違い、通勤距離の長い御仁などは、朝早く出発するために青息吐息、ほんとに大変そうです。

写真は、単身赴任先の初雪の朝。一日中降り続き、日中は下の写真のような状態でしたが、



翌日にはこんな状態に。



さて、冬の雪道の運転は、1ー2ー3だそうです。つまり、制限速度よりも10km/h減速し、2倍の車間距離を保ち、30分早く家を出ること、だそうです。三番目のはのろのろ運転による渋滞を見越したもので、なるほど、です。中には気の短い人もいるようで、派手に雪水を蹴立ててはみ出し追い越しをしていく車もありますが、安全&経済運転に徹して行きたいと思います。北国の雪道運転ドライバーの皆様、安全運転でまいりましょう(^o^)/
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諸田玲子『狐狸の恋~お鳥見女房(4)』を読む

2008年11月21日 06時24分14秒 | 読書
新潮文庫で、諸田玲子著『お鳥見女房』シリーズ第4巻『狐狸の恋』を読みました。なんともすごい題名です。キツネとタヌキの恋ですから、つい化かしあいを連想してしまいますが、もちろんそんな内容ではありません。

第1話「この母にして」。地味な存在だった長男の久太郎、村人に無理難題を要求する鷹匠の専横に怒り、童子を狙って急降下した鷹を打ちすえた村人を救います。雨の中の、ドラマティックな場面です。鷹姫こと恵以が珠世に贈った尾鈴というのも、凛としたイメージです。
第2話「悪たれ矢之吉」。先に生まれた兄、後に生まれた弟、それだけで立場が違う。子どもの頃には何とも思わないが、成長すると様々なことを考えます。理解し、受け入れるまでに、ダイナミックな過程を経ていきます。
第3話「狐狸の恋」。次男の久之助は、綾の庇護者となっている叔父から直々に依頼を受け、ある旗本のお側女の身辺警護を引き受けます。綾の手前、いいところを見せようとしますが、どっこい、大人の恋でした。
第4話「日盛りの道」。負傷した夫から託された血文字の扇。意味がわからず歩く道と使命感で歩く道とでは、日盛りの道も違って見えることでしょう。菅沼家に嫁いだ自覚が生まれ、夫婦の信頼が確かめられた事件です。
第5話「今ひとたび」。水野越前守が老中を罷免され、鷹匠の和知家も影響を受けます。愛鷹を処分されると思った鷹姫こと恵以は、鷹を連れたまま失踪します。久太郎には心当たりがありました。気骨のある若者と勝気で純な娘とが、互いの心を確かめあいます。いい場面です。
第6話「別の顔」。うーむ。まさしく「小さな親切、大きな下心」のお話ですね。
第7話「末黒の薄」。捨て子の一件は、実は上意による仇討ちがからんでおりました。久右衛門と久之助が赤子の母親を小者に仕立て、大名屋敷に乗り込みます。事情を知った綾は、久右衛門と亡母との関係に思い至ります。古い怨みが和解へ転じただけでなく、久太郎と恵以との関係も、思いもかけない形で急展開します。なるほど、です。

さて、次作はどうなるのか、まだ文庫化されておりません。しばらく楽しみに待つことにいたしましょう。
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シューマン「リーダークライス」Op.24を聴く

2008年11月20日 06時12分41秒 | -オペラ・声楽
昨日は、今の季節としてはびっくりするほどの雪が降り続きました。幸い、先の連休にタイヤ交換を済ませておりましたので、通勤にも支障はなく、単身赴任のアパートと職場とを往復しております。

最近の通勤の音楽は、季節感に全く合わない、シューマンの歌曲集を聴いております。従来、「詩人の恋」や作品39の「リーダークライス」、あるいは「女の愛と生涯」などはLPの時代から親しんでおりました。でも、まだまだ多くの歌曲集を、繰り返し聴いて親しむまでには至っておりません。先にシューマンの歌曲大全集を入手(*)したこともあって、近ごろシューマンの歌曲集に魅力を感じております。いえ、別に恋をしているわけではありません(^o^)/

第1曲「朝目が覚めるとまず思う」。歌が、軽やかなピアノに乗ってすっと入って来ます。その自然さ。たいへんチャーミングな短い曲ですが、次のやや激しさのある第2曲に自然につながります。
第2曲「なんだってそんなにうろうろそわそわするんだ」。ピアノが切り込むように歌を主導します。速い詞と音楽が一致して、今風に言えばラップミュージックのような見事さです。
第3曲「ぼくは樹々の下をさまよう」。ピアノの序奏の美しさ。ロマンティックな気分に満ちた歌です。歌が歌として終止せず、ピアノの後奏によってはじめて終わるというあり方が、ここですでに見られます。「決して打ち明けたりしないから」と繰り返した後の、ピアノの後奏の詩的な終わりの見事さ。
第4曲「恋人ちゃん、ぼくの胸にお手々を当ててごらん」。恋人の手を取るときのようなどきどきを感じさせる短い曲です。
第5曲「ぼくの苦悩の美しいゆりかご」。これも、ロマンティックな気分に満ちた、比較的長めの、美しい曲です。歌もですが、ピアノ・パートがまた素晴しい音楽です。
第6曲「おーい、待ってくれ、舟乗りさんよ」。気分の見事な転換。ピアノが、この曲全体にわたって、歯切れの良いピアニスティックな活躍を示します。
第7曲「山々や城が見おろしている」。フィッシャー=ディースカウですから当然ではありますが、歌い手のディクションが実に見事だと感じます。もとの歌詞が韻を踏んでいるのでしょうか、リズムと歌詞とが自然に一体になっています。
第8曲「はじめはほんとうに生きる気をなくして」。短いですが、厳粛な気分を持った印象的な曲です。出だしは「霞か雲か」みたいですが、実は

はじめはほんとうに生きる気をなくして
もうだめかと思ったものだったが、
それでもなんとかもちこたえた----
へえ、どうして? などとだけは聞いてくれるな。
(喜多尾道冬・訳)

という、意味深なものです。
第9曲「愛らしく、やさしいバラやミルテで」。ピアノに誘われて歌いだし、歌がピアノによって生きている。歌とピアノの関係が、よりピアノに近い、でも歌としても素晴しい、そんな音楽です。

詩人が編んだ詩集の順に曲を付けるのではなく、作曲家が気に入った詩を選んで曲を付け、曲集全体として一つの気分を作る歌曲集を編む、そういう歌の世界を作ったことがよくわかります。そしてそれが、ピアニストを目指したシューマンが、若い頃に親しんだ歌の世界に立ちもどって作り出した、愛しい人に贈る愛の音楽でした。1840年、クララ・シューマンとついに結婚したローベルトの、歌の年の出発となった素晴しい曲集です。

演奏は、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(Bar)、クリストフ・エッシェンバッハ(Pf)、グラモフォンによる1970年代のアナログ録音です。もとの詩は、ハインリッヒ・ハイネによるものです。歌詞の対訳がついた立派な解説書が添付してあり、素人音楽愛好家にはたいへんありがたいものです。

(*):シューマンの歌曲大全集を購入する
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本を読む速さと記事を書く速さ

2008年11月19日 06時54分43秒 | 読書
面白い本を初めて読むときは、ただひたすらに読みふけり、そのスピード感に酔うようなところがあります。一冊を読み終わって、感想をまとめ反芻し、記事として投稿する手間をかけるよりも、次の巻が待ちきれない、といったケースもあります。私の場合、読む速さのほうが、記事を書くよりも断然速いのです。

そんな場合は、むりに抑制したりせず、ひたすら読むことに専念し、あとから再読しつつ感想をまとめるようにしています。再読の時のほうが、視点も確かになるように感じますし、また初読時の面白さの正体が何であったのかも、やや冷静に見つめることができるように思います。
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レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』を読む

2008年11月18日 06時26分27秒 | -外国文学
ハヤカワ・ミステリ文庫で、レイモンド・チャンドラーの『さらば愛しき女よ』を読みました。前に読んだ『長いお別れ』が1953年の作品で、本作は1940年のものです。舞台はロサンジェルス。主人公の私立探偵フィリップ・マーロウは、セントラル街の博奕場で、192cmはあるかという、刑務所を出たばかりの大男が、ヴェルマという女を探しに来て殺人事件を起こすところに立ち会うハメになります。その店は経営者が代わっており、以前の経営者の細君がヴェルマを知っていました。大男は銀行強盗を計画しているところを密告され、8年間ずっとヴェルマ・ヴァレントという女を刑務所の窓から想いつづけてきたというわけです。
大男マロイは逃亡します。そしてフィリップ・マーロウのところへ奇妙な依頼が舞い込みます。宝石強盗から翡翠の首飾りを買い戻す際の用心棒を頼まれるのですが、約束の場所で彼は殴り倒され、依頼主は殺されてしまいます。依頼主はなぜマーロウを知ったのか、またなぜ人気のない所での取引を目論んだのか。ヴェルマ・ヴァレントを追いかける大男マロイも探偵マーロウも、厄介者だったからに違いありません。では、誰にとって?

例によって、スピード感のある物語の展開、個性的な人物描写、緊張感を失わない場面の転換、ひねりのきいた会話など、ハードボイルドな魅力があふれています。せっかくのミステリーですのであらすじは省略しますが、結末まで一気に読ませる力があります。1940年代のロサンジェルスの姿を思い描きながら、昭和末に渡米したときにハリウッドやベイ・エリア、ヨットハーバー等を訪れたことをひととき思い出しました。
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山響スクリーン・ミュージック・コンサートを聴く

2008年11月17日 06時28分27秒 | -オーケストラ
11月16日の日曜日は、午前中に諸々の用件を済ませ、午後から山形県郷土館「文翔館」特別企画展「五百沢智也が描くふるさとの山々」を見学、原画の細密さと拡大複製した展示のダイナミックさにうたれ、その足で県民会館へまわりました。山響スクリーン・ミュージック・コンサートです。プログラムはやけに簡素なペラペラの色上質紙を二つ折りにしたものが一枚だけ。いつもの立派な山響定期演奏会のプログラムに馴染んだ目には、料金が高いのにずいぶん手抜きに感じます。今回は主催が山形新聞・山形放送で、2008やまがた映画博の特別企画という位置づけですし、細かな所で少しずついつもと違います。

さて、第1部の幕開け、1曲めは、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」から。オリジナルの楽劇にはつきもののブリュンヒルデの叫びはありませんが、映画「地獄の黙示録」の音楽です。ホルンのロング音がお見事!重量級ではないけれど、見通しの良いワーグナーです。
続いて2曲目は、シベリウスの交響詩「フィンランディア」。この曲は、スクールコンサート等でも演奏機会が多いのでしょうか、手の内に入った曲目のようです。以前、村川千秋さんの指揮で、合唱つきバージョンで聴いたことがありますが、今回は合唱なし。私は、どうしてもガンで亡くなった昔の仲間を六日町教会で見送ったときに歌った賛美歌を思い出してしまいます。「ダイハード」とは結びつきません。
案内役の荒井幸博さんは、舞台上部に降りてくるスクリーンに映画の代表的なシーンを映しながら、映画の主題や特徴を簡潔に要約、ときどき飯森さんも加わって、音楽も上手に紹介していました。
第3曲めは、映画「2001年宇宙の旅」から、ヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」。今年の1月に、川中子紀子さんを加えた山響ニューイヤーコンサートで楽しんだばかり。ホルンとチェロがゆったりとした旋律を奏します。
最後の第4曲、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の第1楽章。高畑勳監督作品の、宮沢賢治原作「セロ弾きのゴーシュ」で使われました。このアニメ映画は、私も大好きな作品です。編成もやや小さく、金管がだいぶ減っています。クラリネットとオーボエが、なんとものどかで素敵です。

休憩時間中、ファゴット・セクションは調整に余念がありません。高橋あけみさん、楽器がどこか気になるのでしょうか。クラリネットとパーカッションもステージに残り、熱心やなーと思っていたら、おやおやコントラバスも加わって調弦を始めましたよ。

第2部は、映画音楽から。いきなり20世紀フォックスのファンファーレです!これはびっくり。なかなかしゃれた構成です。第1曲、チャップリン映画メドレー。「黄金狂時代」「モダンタイムス」「ライムライト」から。どこか「麦畑」を思わせるところや、犬伏さんのヴァイオリン・ソロ、照明の色の変化など、楽しい工夫もあります。私の好きな「ライムライト」も、どこかうらぶれた音色ではなく、かなり豪華な響きと大きなスケールを持って演奏します。チェロとヴァイオリンの対話が、落ち目の老ピエロと人気上昇中の乙女を表すのでしょうか。でも最後はアメリカ映画らしく、20世紀フォックスのファンファーレで。
第2曲、ミュージカル「ウエストサイド物語」から。「マリア」「トゥナイト」「クール」「アメリカ」など、華々しく盛大に。「クール」のリズムは、生意気あんちゃん達を思わず興奮させ、挑発する力がありますね。この映画は、「日本では松竹の洋画専門のピカデリー劇場系列で1961年(昭和36年)12月23日に封切られて、1963年(昭和38年)5月17日まで509日にわたりロングラン上映された。」とWikipediaでは紹介しています。ちなみに、ご本人いわく、この千秋楽の日は飯森さんが生まれた日なのだそうです(^o^)/
第3曲、「エデンの東」。レナード・ローゼンマン作曲の音楽が素晴らしいです。この人はもともとクラシックの人で、アクターズ・スクールで音楽を指導していたのを、主演に抜擢されたジェームス・ディーンがエリア・カザン監督に推薦紹介したのがきっかけだったとか。さすがに荒井幸博さんは要点を簡潔に説明してくれますので、音楽も大いに楽しめます。
第4曲、「天空の城ラピュタ」より「君を乗せて」。この音楽の中の、チェロの音はいいですねー。もっと長く、ずっと聴いていたいのに、短~い!
第5曲、「風と共に去りぬ」より、「タラのテーマ」。わが妻の大好きな映画です。飯森さんは高校生で初めて見たそうで、難しかったと言ってました。正直ですね~。
第6曲、「サウンド・オブ・ミュージック」より。「私のお気に入り」「もうすぐ18歳」「ドレミの歌」「エーデルワイス」「マリア」「高き山に登れ」など。私も、子供たちと一緒に何度もLDで見ました。野暮ったいジュリー・アンドリュースが、恋をしてどんどん素敵になるのがわかります。オーボエのひなびた音が「エーデルワイス」を歌うとき、トラップファミリー合唱団が音楽祭で歌い、優勝発表までの合間に逃走するあのスリルや、修道院の老院長さんが示唆する「高き山に登れ」がスイスへの逃走ルートをも示しているという、あの物語を思い出しました。

山形新聞・山形放送社から飯森さんに花束が贈られ、アンコールとして「アメリカ」の最後をもう一度せいいっぱい派手に演奏して、盛り上がって終わりました。ああ面白かった!妻も大喜び。

帰りに、妻と二人で寿司屋で夕飯を済ませ、書店兼CDショップに寄って、「ウエストサイド」等、バーンスタインの自作自演の曲目を集めた「パノラマシリーズ」のCDを購入して、家に帰りました。
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紅葉の山寺

2008年11月16日 10時28分45秒 | 散歩・外出・旅行
先日、所用があって山寺に行き、ついでに景色を眺めました。11月中旬、本堂から奥の院にかけて、紅葉もそろそろ終わりです。
山寺(*)は、今から1200年ほど前に、慈覚大師が開いたという天台宗の古刹です。正式名は宝珠山立石寺。でも、実際は芭蕉の句と風景の方が有名なのでしょう。JR山寺駅の展望台から見ると、岸壁にへばりつくように、木造建築が散在しています。



拡大してみると、ようやく建物が見えてきます。



車の場合は、手近な駐車場に1日500円位で車を預けることができます。時間があれば対岸まで渡り、奥の院まで石段を登ってみたいところですが、今回は景色を眺めるだけといたします。しかし、良い眺めです。

(*):やまがた観光ダイジェスト「山寺」

さて、本日は、いきつけのタイヤ屋さんに私の車の冬タイヤ交換を依頼してから、先ごろ動物病院をオープンした知人を訪ねてお祝いをし、その足で文翔館に行き「五百沢智也展」(*2)を見て、県民会館で山響スクリーン・ミュージック・コンサートを楽しむ予定。スケジュールはかなりタイトです(^_^;)>poripori

(*2):五百沢智也展~山形新聞ニュースより
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