電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

現地滞在の楽しさ・面白さ

2011年05月31日 06時01分35秒 | 散歩外出ドライブ
興味を持っている時代や歴史的事件について、現地に滞在してその現場を歩くのは、旅の醍醐味と言うべきでしょう。当方のあまり多くない経験から言っても、単に駆け足で通過するだけの観光とは異なる感銘と充実感があります。当地で言えば、単にサクランボ観光で終わるのではなくて、「山形サクランボのルーツと明治期洋風建築をたどる旅」というようなヒソカなテーマ性があったら、なお面白かろう、と思うのです。山形サクランボのルーツと明治期洋風建築の間には実は共通の要因がありまして、各地に残るアーリーアメリカン風な明治期洋風建築の立役者と言えば三島通庸ですが、北海道開拓使であった黒田清隆を通じ山形にサクランボの苗木を取り寄せ、栽培を奨励したのも、実は初代県令の三島だったのです。いわば、二つの近代化遺産をたずねる旅ということに。様々な品種の開発の歴史にも、歴史とドラマがあります。あれこれと調べて現地に滞在し、ひとつひとつ確かめて歩く旅は、ほんとうに楽しいものです。サクランボ園での体験も、ぐっと色合いが違って見えることでしょう。



海外で言えば、ボストン~プリマスをめぐるアメリカ建国の旅は興味深く楽しかったし、妻と行ったシンガポールの街散歩も楽しかった。これから出かけてみたいところはたくさんありますが、例えば今まで一度も足を踏み入れたことのない四国や北九州あたりかなあ。「バルトの楽園」や長崎など、想像するのも楽しそうです。定年退職して時間ができたら、こんなこともできる、あんなこともできると空想しておりますが、できればその頃までには、震災の影響にも明らかな復興の歩みが見られ、原発事故も終息して生活に落ち着きが見られるようになっているといいなあと、願わずにはいられません。
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「JIN~仁~(完結編)」第6回・第7回を観る

2011年05月30日 06時07分34秒 | 映画TVドラマ
日曜劇場「JIN~仁~(完結編)」第6回・第7回を観ました。第6回では、ペニシリンについて講義するために長崎に出かけ、グラバーと武器取引で儲けている坂本龍馬と再会します。孤立した長州と、対立する薩摩を結びつけるには、南北戦争の終結で大量に余った武器を土産にすること。龍馬さんは、この国を変えるには、長州戦争の悲劇は必要なのだと主張します。ところが、現代人の仁先生はそれを認めません。暴力は暴力を生むだけだ、と。たしかに、内乱の後は外国との戦争の連続だったからでしょう。医学的に見ものだったのは、細かい眼科の手術でした。南方仁先生はどんな領域でもこなしてしまうようで、専門的な経験を必要とする医学の世界では、ちょいとスーパーすぎる気もします(^o^;)>

そして第7回。野風さんの婚礼に列席するため、横浜に出向いた南方先生と咲さん、野風さんの乳ガン再発と転移が判明しますが、彼女は自分の希望を未来につなぐお腹の子供を、ぜひ産みたいと望みます。平均余命は二年と告げられて、「そんなに」と喜ぶ。それならば、子供をこの手に抱くことができようし、笑顔も見られる、もしかしたら、手を引いて一緒に歩くことができるかもしれない、と。うーむ、この展開だと、たぶん野風さんはそれができずに亡くなるのではと心配になりますが、坂本龍馬クンのほうは、大政奉還を着想し、戦をせずにすむ道を考えついたもよう。武器商人ブラック龍馬から非凡な政治構想家への転換です。
今回は、手術場面はなし。笑えたのは、酔っぱらい咲さん(^o^)ですね。ろれつもカツゼツも正確で、それほど酔っぱらった風には見えませんでした(^o^)/

写真は、未来の「すてえしょん」なるものです。あまりの人の多さに、田舎モンは目が回ります(^o^)/
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ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」を聴く

2011年05月29日 06時04分33秒 | -協奏曲
ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」は、これまですっかり取り上げたとばかり思っておりましたが、実はまだだった(*)と気づきました。そういえばそうだったのかもしれません。うかつなことです。

天下のヴァイオリン協奏曲は、1806年の12月23日に、アン・デア・ウィーン劇場で、同劇場のコンサートマスターであるフランツ・クレメントをソリストとして、ほぼ初見で初演されたそうです。Wikipedia によれば、どういうわけかその後は演奏される機会がごく少なく、ロマン派の時代になって、ブラームスの盟友ヨアヒムがしきりに取り上げたために知名度が急上昇したのだそうな。名曲は必ずしもその真価がすぐに理解されるとは限らない、という代表例でしょう。

1806年といえば、作曲者は36歳。ピアノ協奏曲第4番、3曲のラズモフスキー弦楽四重奏曲、交響曲第4番や「フィデリオ」第2稿が作曲されていると年譜にはあります。まさに充実した豊穣の時代です。

楽器編成は、独奏ヴァイオリン、Fl,Ob(2),Cl(2),Fg(2),Hrn(2),Tp(2),Timp.と弦5部。

第1楽章:アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ニ長調、協奏曲風ソナタ形式。冒頭、ティンパニが遠くで「トントントントン」と四つの音を刻むと、木管がやわらかに主題を歌います。オーケストラの中でごく自然に独奏ヴァイオリンが音楽を引き継ぎ、やがて華やかに活躍し始めます。このあたり、群舞の中に溶け込んでいたプリマドンナが、ヒロインとして自然に立ち上がるような風情があります。オーケストラによる展開部を経て、経過部、再示部と進み、カデンツァによって盛り上がり、頂点で曲が結ばれます。
第2楽章:ラルゲット、ト長調。弱音器を付けた弦楽合奏で穏やかに主題が示されます。これがクラリネットに受け継がれ、独奏ヴァイオリンがからみながら変奏されていきます。そしてファゴットとヴァイオリン!このあたりの呼吸は、実にステキの一語です。旋律がオーケストラに移っても、やっぱり素晴らしい!中間部、弦楽のピツィカートをバックに、独奏ヴァイオリンが甘美に歌う旋律も、実に魅力的です。作曲者自身による短いカデンツァの後、曲は第3楽章へ続きます。
第3楽章:ロンド、アレグロ、ニ長調。ソロ・ヴァイオリンがリズミカルにロンド主題を提示します。管弦楽とソロ・ヴァイオリンの応答を繰り返しながら、やがて独奏ヴァイオリンによる変奏となり、提示された副主題をファゴットが引き継ぎます。この味わいも、実にいいものです。最後の技巧的なカデンツァがロンド主題を再現すると、オーケストラと独奏ヴァイオリンの協奏が盛り上がり全曲が閉じられますが、聴き終わった後に、快い充実感が残ります。



数えてみたら、当方の小規模のコレクションにも、次の5種類の録音がありました。なお、CD のデータの末尾の西暦年は、録音の年です。

(1) パールマン(Vn)、ジュリーニ指揮フィルハーモニア管 (CD: EMI, TOCE-7053, 1980)
(2) ジャン=ジャック・カントロフ(Vn)、アントーニ・ロス=マルバ指揮オランダ室内管 (CD: DENON GES-9239)
(3) グリュミオー(Vn)、コリン・デイヴィス指揮 (CD: Ph, GCP-1017, 1974)
(4) クレーメル(Vn)、マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ (CD: Ph, PHCP-10537, 1980)
(5) ハイフェッツ(Vn)、ミュンシュ指揮ボストン響 (録音:1955/11)

このうち、(1)~(3)はクライスラーのカデンツァのようです。音楽的にも演奏効果の面でもバランスの取れたもので、定番の安定感があります。これに対し、(4)と(5)はやや異色で、クレーメルはシュニトケ作、ハイフェッツはヨアヒムのものを自分でアレンジしているのだそうな。私がふだんよく聴くのは、パールマン盤やカントロフ盤などですが、クレーメルの録音をFM放送ではじめて耳にしたときには、たいへん新鮮に感じたものでした。彼は、録音の際に必ずシュニトケのカデンツァを用いているとは限らないようで、エアチェックしたカセットテープを何度も聴き、シュニトケ作のこのカデンツァを用いた録音を探しておりました。マリナー盤を探し当てたときは、かなりうれしかったものです。

ハイフェッツの録音は、最近になって接するようになったもので、著作隣接権が切れてパブリック・ドメインになったことによる、直接的な恩恵の一つです。速いテンポでぐいぐいと進むミュンシュの指揮ぶりも好ましく、快刀乱麻、たいそう見事なものだと感じます。近年の、古楽器奏法による速いテンポの演奏と通じるものがあります。ただし、ハイフェッツの演奏では、このテンポでもしっかりとヴィヴラートがかかっているようなのがすごいですが(^o^)/

参考までに、演奏データを示します。
■パールマン盤  I=24'22" II=9'25" III=10'06" total=43'53"
■カントロフ盤  I=24'25" II=8'54" III=10'44" total=44'03"
■グリュミオー盤 I=23'53" II=8'55" III=8'57" total=41'45"
■クレーメル盤  I=24'09" II=9'55" III=10'20" total=44'24"
■ハイフェッツ盤 I=20'30" II=8'43" III=8'18" total=37'31"
ここで、ハイフェッツのデータは、再生時間を時計で測ってみたものです。

惜しむらくは、ブラームスの協奏曲で素晴らしい演奏を披露した、ダヴィド・オイストラフとジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の録音が残されていないこと。このことが、かえすがえす残念でなりません。

(*):私の好きな「番号なし」の曲~「電網郊外散歩道」2011年5月
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半藤一利『昭和史1926-1945』を読む

2011年05月28日 06時02分54秒 | -ノンフィクション
先に『幕末史』をおもしろく読んでいた(*)ことから、平凡社ライブラリ版で、半藤一利著『昭和史 1926-1945』を読みました。上下二巻からなる『昭和史』の上巻、戦前・戦中編です。そういえば、この冬に、NHK-TVでも同様の番組を観ました。開戦の決断は、ずるずると先延ばしにしているうちに、最悪の決断をするしかなくなってしまった、という内容でした。5.15事件や2.26事件の影が見え隠れする時代の現実だったのでしょうか。

本書を通じてはじめて知った、あるいは気づいたことも多くありました。たとえば、こんな点です。

(1) 国民の熱狂とマスコミ報道の怖さ。天皇自身が危険を感じたほどだったらしい。
(2) 軍の人事評価の歪み。人事ではなく閥縁。現地の暴発を抑えられない、処罰できない。
(3) 作戦参謀のシステム。仲間内で比較しての優秀性であり、現実、現場の検証を受けての優秀性ではない。
(4) 情報の民主主義の大切さ。ノモンハン事件の結末は、天皇まで上がっていないのでは。
(5) 穏健派はなぜ敗北するか。急進派の本質は内部闘争への集中にあるから。広く状況を把握している穏健派が排除されると、ダッチロールが加速する。

まことにその通りなのですが、思わずやれやれとため息が出てしまいます。昭和の前半史は、なんだか気持ちが沈みます。



ちなみに、この写真は亡父の古い日記にあった、昭和17年10月29日付けの朝日新聞です。父はこのとき19歳。配偶者(わが元気老母)から古い日記を処分せよとやいのやいの言われていたのに、とうとう処分できず、作業小屋の片隅に保管していたらしいです。紙面の全体のようすは、こんなふうです。



このときは、まさか自分が徴用され、原爆投下直後の広島に救援に入り、入市被爆するとは思ってもいなかったことでしょう。

(*):半藤一利『幕末史』を読む~「電網郊外散歩道」2009年9月
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電車で備忘録を記録する

2011年05月27日 06時03分52秒 | Weblog
一人で旅行する場合、電車の中は実に有意義な時間となりえます。読書、音楽など、余儀なく与えられるものとはいえ、貴重な時間であることに変わりなし。車内では、小型の情報機器を操作する人が圧倒的に多くなりましたが、残り少なくなったノートのページを危ぶみながらペンを走らせるのは、けっこう楽しい。
ただし、夏期には電車のどちら側の席になるかでずいぶん違います。できれば、直射日光の差し込む側は避けたいところです。時間帯によって席を選ぶことが大切で、こうなるとたいせつなのは作戦です(^o^;)>poripori
時間に余裕があるときは、あえて普通で行き、太陽の反対側に座る、などという方法もあるのかも。なんだか、いかにも田舎モンの発想ですが・・・(^o^;)>poripori

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佐伯泰英『孤愁ノ春~居眠り磐音江戸双紙(33)』を読む

2011年05月26日 06時05分57秒 | -佐伯泰英
出張の旅の道連れは気楽な読み物が良いだろうと、久しぶりに佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙』シリーズを手にしました。第33巻『孤愁ノ春』です。前回までのストーリーはおおよそ頭に残っていますし、さっそく続きに入ることができました。

第1章:「弔いの日々」。将来を期待されていた将軍嗣子の家基が、田沼意次一派に毒殺されたことに抗議して自裁した、佐々木玲圓とおえい夫婦の亡骸を隠し墓に埋葬した磐音は、おこんとともに今津屋の寮に隠棲しています。長屋の金兵衛さんや今津屋吉右衛門夫妻、老分さん、品川柳次郎母子とお有、武村武左衛門の家族や宮戸川の親分に幸吉など、磐音の身近な人々の消息が描かれます。
第2章:「長屋の花見」。磐音の隠棲は、家基と玲圓夫婦への服喪とともに、身近な人々へもれなく書状を認めるためのものでした。元隠密の弥助は、この書状を届け、読後に焼却するまで見届けるという任務を負います。意次の愛妾おすなの家で、三味線作りの名人との評判を得つつあった鶴吉が、新たな敵・雹田平なる中国系の系図屋が登場したという情報を伝えます。ふーむ。今後、反撃の際に、田沼意次側の弱点となるのが、どうも系図がらみらしいと見ました。
第3章:「川留め」。船で江戸を脱出した磐音とおこんは、東海道を西に歩きます。途中、霧子と弥助と合流し、旅は4人づれ、いや、おこんのお腹の赤子を加えれば4.5人連れ?まずは、幕府お花畑番の猛者連を田沼一味から切り離すことを策します。
第4章:「遠湖騒乱」。今の浜名湖を舞台に、鉄砲や大砲という物騒な武器を沈めてしまう、という作戦です。田沼一味のマヌケな家来が、おこんの口先と色香に丸め込まれ、作戦は大成功。本当は苦難の逃避行のはずが、悪者一味に一泡吹かせ無事に逃げおおせるという、伝統的見せ場です(^O^;)>
第5章:「弥助走り」。今で言う愛知県刈谷市の称名寺にあるという、佐々木家累代の墓に遺髪を納めますが、雹田平らにつきとめられます。しかし、磐音・弥助・霧子は強い。あっという間に撃退、旅は名古屋に向かいます。



あいにく出張先は名古屋方面ではありませんでしたが、それにしても都会は疲れます。慣れた田舎道を車で走る生活を続けているものだから、足腰が弱ってしまうのでしょう。無雪期に、せっせと歩く必要がありますなぁ(^o^;)>poripori
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Windows7/VistaとXPでプリンタの共有

2011年05月25日 06時02分04秒 | コンピュータ
この春の異動で新しい環境に変わりましたが、なんとか馴染んだ頃に、小さな悩みの相談を受けました。あるセクションで、古いレーザープリンタを使っており、今まで数人で共有していたのだけれど、接続しているマシンが更新されてWindowsVistaになったら、今まで共有できていたWindowsXP側から使えなくなってしまった、というのです。

話を聞いてみれば同一ワークグループですから、できないはずはない。当方、Ubuntu-Linuxの愛好者ですが、別にMS-Windowsを敵視しているわけではありません。同僚に頼られれば、一肌脱ごうという気になります。要するにWindows7/Vistaではセキュリティ面が強化されているために、なんらかの設定が必要になっているのだろうと考え、さっそく調べてみました。

「コントロールパネル」-「ネットワークとインターネット」-「ネットワークと共有センター」-「共有の詳細設定」-「ファイルとプリンタの共有:有効」-「パスワード保護共有:有効」
と設定し、例えば各ユーザーのパスワードを作る、等の方法で対処可能。

この方法で、プリンタの共有だけでなく、ファイルの共有もできるようになります。少しは環境改善に貢献できたかな(^o^)/

こういうちょっとした困りごとは、Google君に質問すれば一発なのですが、困っている人は、そもそも検索語を何にしたらいいか、それさえわからないから、困っているわけです。小さな親切が大きなお世話にならないように気をつけながら、感謝されて気分良く帰ってきました。
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ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月」の再放送

2011年05月24日 06時05分29秒 | 映画TVドラマ
過日、ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月」を観てたいへん感銘を受けました(*1)が、その再放送があるようです。一度目はこの20日にすでに終わり、二度目の再放送となる模様。

5月28日(土)午後3時
NHK教育TV
ネットワークでつくる放射能汚染地図
~福島原発事故から2か月~(再)

これは、もう一度観ておきたい番組です。

(*1):NHK ETV特集のページ

さて、本日から出張となります。ネット環境が確保できるかどうか、少々心許ないのですが、なんとか更新だけはしたいところです。
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携帯電話と中波ラジオ

2011年05月23日 06時05分50秒 | Weblog
携帯電話がしだいに高機能になり、情報源として日常的に活用している人が多くなりました。当方は、情報源としてはもっぱらパソコンを使い、携帯電話は文字通り通話とメール程度にしか使っていませんが、テレビ放送なども受信できるようで、平時には、たしかに役立つ情報源となることでしょう。

ところが、地震などで大規模な停電が起こると、情報源として致命的な欠点が露呈します。それは、電池の消耗が早いこと。先の東日本大震災の際は、電池を長く持たせるために電源を切っておくなどの工夫をしなかった人は、充電できずに困った経験をしたことでしょう。デジタル機器の弱点です。

これに対し、小型のラジオの電池の持ちは別格です。停電が長時間続くとき、ニュースや生活・交通情報など、頼りになるのはラジオです。しかも、中波ラジオ。アナウンサーが読み上げるニュースや生活情報などに、じっと耳を傾けました。まるまる二日間、乾電池の消耗を心配せずに使えたのは、実にありがたかった。同じラジオが、電池交換なく再度の大停電にも活躍しました。立派なものです。災害時には、携帯電話はメール等を中心に、連絡するための使用に限定し、情報を得るのはラジオにする、というような使い分けをすることが大切なようです。

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ゼルキンとセルのブラームス「ピアノ協奏曲第1番」を聴く

2011年05月22日 06時05分36秒 | -協奏曲
これまで、NHK-FMのエアチェック・テープで長らく愛聴し、1980年代の初めには念願のLPを入手し好んで聴いていた、ゼルキンとセル指揮クリーヴランド管によるブラームスのピアノ協奏曲第1番と第2番のCDを購入しました。通勤のカーステレオでも聴けるようになり、ここしばらく「ああ、いいなあ!」と聞き惚れておりました。本日は、第1番ニ短調Op.15を取り上げます。

作曲年代は、1858年2月に完成されたとあります。まもなくブラームスは25歳。R.シューマンは脳梅毒が進行して精神病院に収容されており、1854年から1858年にかけてほとんど作品が生み出されていない、シューマン夫人とその娘たちへのブラームスの献身の期間に相当します(*1)。当初は、二台のピアノのためのソナタとして着想され、やがてこれを管弦楽化して交響曲とすることを計画し、さらにピアノ協奏曲に直した、というもので、この期間は、シューマン一家の世話とこの曲に、まさにかかりきりだったと言ってよいでしょう。若いブラームスの初めての管弦楽作品であるとともに、悲劇の最中にあった家族の内側にあった青年が生み出した音楽であるという点でも、注目すべき作品でしょう。

第1楽章:マエストーソの指示どおり、ティンパニがとどろく中で、ヴァイオリンとチェロが力強い主題を奏します。実に巨匠的な管弦楽の始まりですが、突然に静まり第一ヴァイオリンが表情豊かな旋律を奏でます。独奏ピアノを加えて再び主題を示すところは、実に力強く、ヴィルトゥオーゾの時代であることを感じさせるものです。しかし、途中には「おや?」と思うほど独奏ピアノが物思いに沈む風情もあり。このメランコリーの深さは、かなりのものです。
第2楽章:アダージョ。ここもまた、たいへん魅力的な、詩情あふれる音楽です。始まりの弦とファゴットの穏やかな対話からして、思わず聞き惚れてしまいます。ピアノがまた、この旋律を繰り返し、クラリネットの憧れに満ちた旋律も、何か青年の物思いを表しているようです。そういえば、昔、息子をスポ少の練習試合に乗せていくとき、この曲が流れていて、息子の昂ぶりがすっかり鎮まってしまい、試合は散々だったことがありました。息子よ、スマン。あれは選曲ミスだった(^o^;)>poripori
第3楽章:ロンド、アレグロ・ノン・トロッポ。独奏ピアノが力強く入り、管弦楽がこれを受けて、いかにも堂々として立派な、難度の高そうな展開です。主題が再び再現され、カデンツァを経て速度を増し、情熱的に終わります。この燃焼感も、本作品の魅力でしょう。

LP(CBS-SONY,23AC-630)によれば、録音は1968年4月19日と20日に、オハイオ州クリーヴランド市、セヴァランス・ホールで行われたとあります。この頃はエピックではなくてCBSで行われており、プロデューサーはポール・マイヤース、エンジニアはエドワード・T.グラハムとエド・ハミルスキーと記録されています。アナログ録音時代の、同曲の代表盤と言ってよいと思います。

ただし、このLPの、門馬直美さんのライナーノートは、「ピアノ協奏曲には、女性ピアニストでは十分の効果をあげにくい作品がいくつかある。ブラームスの2曲のピアノ協奏曲も、そうしたものに数え入れることができよう。」と始まり、女性ピアニストはブラームス作品には向かないという私見を述べてゼルキンの演奏を称揚しておりますが、これはいささか異論あり。

当方、実はMDにエアチェックした、エレーヌ・グリモーとファビオ・ルイージ指揮ウィーン響とのライブ録音(*2)も好んで聴いておりますし、山形交響楽団の第202回定期演奏会(*3)でも、コルネリア・ヘルマンさんのピアノで、同曲を聴いております。このときのコメントが、「老大家のブラームス演奏も味がありますが、それとはまた別に、ためらいや気後れも現在進行形の、若い演奏家による若いブラームスの音楽表現もあってよいだろうと思います。」というものでした。今も、まったく同様に考えております。

CDは、SONY の essential classics の2枚組(SB2K89905)で、ピアノ協奏曲第1番と第2番、それに「大学祝典序曲」と「悲劇的序曲」が収録されています。お値段は、Amazonでは1,520円でした。こんな立派な録音が、なんともありがたいことです。

■ルドルフ・ゼルキン(Pf)、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団
I=21'03" II=14'25" III=11'28" total=46'56"

(*1):ブラームスがクララ・シューマンに出会った頃~「電網郊外散歩道」2006年10月
(*2):NHK-FMでエレーヌ・グリモーのブラームス「ピアノ協奏曲第1番」等を録音~「電網郊外散歩道」2009年6月
(*3):山響第202回定期演奏会~大作曲家の青春時代~を聴く(1)~「電網郊外散歩道」2010年1月


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太田垣博嗣『驚異の鞄活用術』を読む

2011年05月21日 06時07分21秒 | -ノンフィクション
なかなかまとまって本を読めない日々が続いております。どうしても、図書館から借りてきた実用書で、軽めのものをパラパラと眺める程度になってしまいます。先日、そんな中から、太田垣博嗣著『驚異の鞄活用術』という本を読みました。題名のとおり、鞄マニアの著者がウンチクを傾けたものです。

前半は、鞄の選び方や鞄を使う上での工夫などを紹介し、後半はブランド物の鞄の紹介となっています。当方、常用しているセカンドバッグがくたびれてきましたので、その選び方の参考になるかと思ったのですが、予想以上にブランド物の内容が多く、鞄の選択の面ではなるほどと思いましたが、活用「術」の面はそれほどでもないと感じました。

システム手帳、備忘録ノート、携帯電話、デジタルカメラ、小銭入れ、ポケットティッシュ、筆記具などを入れて日常的に持ち歩くことができる、便利なセカンドバッグがないかと探していますが、やっぱり現物を持っていって、その場で試してみないと、著者の言う通り、ほんとのところはわからないのかもしれません。
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意志と習慣~あるいは強さと合理性

2011年05月20日 06時04分58秒 | Weblog
若い頃に、何かを決意してそれをやり通すことができず、自分の意志の弱さを嘆くことがありました。仕事に就くようになって、習慣や手順の大切さに気づきました。意志の弱さに帰着させるのではなく、習慣となるように、合理的に物事を変えていく。そうしたら、案外らくにできるものだ、というケースが少なくありませんでした。

今にして思えば、「意志は弱く、習慣は強い」というところでしょうか。あるいは、強さと合理性の違いと言ってもよいかもしれません。最近は、脳みその老化現象なのか、ついうっかりと習慣でやってしまって、困ってしまう場合もありますが(^o^;)>poripori
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「JIN~仁~(完結編)」第5回を観る

2011年05月19日 06時03分54秒 | 映画TVドラマ
最近の日曜夜のお楽しみは、日曜劇場「JIN~仁~」(完結編)です。第5回目で、お初ちゃんはやっぱり亡くなるはめになり、別な未来を見て江戸時代に戻ってきた仁先生は、思い切り「へこみ」ます。自分がした医療は、その人にとっては、まったく役立たないか、あるいは少しばかりの延命に過ぎないのではないか。歴史が相手では、どうあがいても無駄なのではないか。この悩みは深刻です。

ところが、歌舞伎役者の鉛中毒を治療することに賭けて、寝食を惜しんで没頭するうちに、しっかり者の咲さんの言葉をヒントに、気づいてしまうのです。人間にとって、死は不可避である。その意味で、医療というものは、しょせん一時的な延命措置にすぎない。しかし、延命措置により与えることができる時間には意味がある。なぜなら、人々が、願うものを実現しようとすることを助けることができるからだ。医療の価値はある、と。

さて、咲さんが偶然にペニシリンの抽出液を高濃度のアルコール中に混ぜたとき、白く混濁したことから、これをろ過するという方法で、ペニシリンの粉末化に成功します。なるほど、そういえば、例えば濃い硫酸鉄(II)水溶液を99.5%エタノールに投入すると、硫酸鉄の粉末が沈殿します。アルコールに溶けにくい物質なら、同じ原理で分離することができます。お砂糖の濃い溶液も、エタノールに加えることにより、粉砂糖が得られるというような、そんな原理なのでしょう。

坂本(内野)龍馬の危機は迫っている模様です。来週はどんな展開になるのでしょうか。今から楽しみです。
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「私の好きな『番号なし』の曲」の記事にリンクを張る

2011年05月18日 06時02分09秒 | ブログ運営
先日投稿した「私の好きな『番号なし』の曲」の記事に、これまでの過去記事の中から該当するものを選び、リンクを張りました。驚いたことに、ほぼ全部の記事について、なんらかの形でリンクを張ることができました。たんに協奏曲が多いというだけではなく、やっぱりお気に入りの曲はなんらかの形で早めに言及されているのだな、と感じました。

意外だったのは、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の記事がなかったこと。はてな?まだ記事にしていなかったのだろうか。これは盲点でした。
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ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月」を観る

2011年05月17日 06時05分02秒 | 映画TVドラマ
5月15日(日)の夜10時から、教育テレビのETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月」(*)を観ました。これは優れたドキュメンタリーだと感じました。ぜひ再放送してもらいたいものです。

番組では、放射線医学研究所の研究官だった木村真三博士が、辞表を提出し、今回の福島原発事故の独自調査を行うところから始まります。放射能汚染に関して最弱者の立場にある女性や子供の健康を考えれば当然の調査が、辞表を出してからでないと実施できないのかと驚きますが、とにかく京都大学、広島大学、長崎大学の放射線観測、放射線医学を専門とする科学者達のネットワークと連係し、震災の3日後から放射能の測定を始め汚染地図を作成する経過を、カメラが追います。

当方も、新聞の発表数値をもとに、天気図の等圧線を描く要領で、福島第一原発から北西方向に汚染地域が広がっていると推測していました(*2)が、それが実際に福島第一原発の周辺地域の土壌をサンプリング調査したり、自動車内でリアルタイムに線量を計測する装置を使って、道路地図上に汚染状況を描くことで、部分的に高い放射線量を示すホットスポットの存在が実証されます。しかも、そのホットスポットには、自主的な避難所があり、避難者が生活しているのです。情報から取り残された人々の事情は、家畜であったりペットであったりするわけですが、日常生活を投げ捨てなければならない人々のやるせなさが、痛いほど伝わります。

莫大な予算をつぎ込んだシミュレーション・システムとは違い、手作りの測定機器を使って、現場に実際に入って得られたデータは貴重です。価値あるものだと思います。現場を大切に、実際のデータを重視するという姿勢は、自然科学の本質に関わるものだと思います。あとは、茨城県や千葉県など、関東地方のデータがどうなっているのか、さらに続報を知りたいものです。

(*):ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月」
(*2):各地で観測された放射線量をどう見るか~「電網郊外散歩道」2011年3月22日
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