電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ある日のお弁当

2006年06月29日 20時04分29秒 | 料理住居衣服
久しぶりにデジカメの画像を整理したところ、こんなものが出てきた。少し前になるが、笹巻きのお弁当だ。そういえば、昨年も同じ時期に親戚からいただいた笹巻きの記事を掲載している。画像ファイルの日付を見ると、もう先々週になるのだろうか、サクランボの収穫時期の頃の、季節感のあるお弁当。
実は、昨日職場にお弁当箱を忘れてきてしまい、今日はおにぎりだった(^_^;)>
そんなわけで、お弁当にちなんだ記事の掲載となりました。
ただいま、モーツァルトのディヴェルティメント第17番(K.334)を聞いております。ウィーン八重奏団員によるデッカの録音。少々アルコールも入り、いい気分です。
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セルとドルイアンで、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタを聞く

2006年06月28日 21時07分08秒 | -室内楽
一気に暑い日が続きます。昨日も今日も、室内でもほぼ30度近い気温で、たいへんでした。帰宅して、窓から夕方の涼しい風を入れ、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタを聞き、生きかえるようです。

単身赴任をしていた時代、偶然に入ったレコード店で発見したCDです。演奏は、クリーヴランド管弦楽団の指揮者だったジョージ・セルのピアノ、そして同管弦楽団のコンサートマスターだったラファエル・ドルイアンのヴァイオリン、1967年の8月の録音です。収録された曲目は、モーツァルトのマンハイム時代~ウィーン初期を中心とする次の4曲。
(1)ヴァイオリン・ソナタ第32番、K.376、I=5'00" II=5'22" III=6'17"
(2)ヴァイオリン・ソナタ第25番、K.301、I=7'55" II=4'35"
(3)ヴァイオリン・ソナタ第28番、K.304、I=6'50" II=5'06"
(4)ヴァイオリン・ソナタ第24番、K.296、I=6'00" II=6'24" III=4'15"
いずれも快活で明るい表情の演奏です。コロコロと音符がころがるようなセルのピアノも達者ですし、モーツァルトの協奏交響曲やフルニエと競演したR.シュトラウスの「ドン・キホーテ」などでソロを演奏したラファエル・ドルイアンの清潔なヴァイオリンも見事なものです。

曲目からして深刻ぶったものではありませんし、今日のようなお天気の時にさっとシャワーを浴びるような、さっぱりして気持ちの良いものです。

写真で、手前に見えるのが畑のタマネギ。後方に見えるのはジャガイモの花です。
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マジンガーZの格納庫の見積り書を作成した会社

2006年06月27日 21時28分43秒 | Weblog
私はリアルタイムでテレビ番組を見た世代ではありませんでしたが、それでも名前だけは知っています。マジンガーZ。脳味噌のない巨大なロボットに、操縦者が脳の位置に合体し、悪と戦う、というお話だったかと思います。この出撃基地の格納庫を現在の技術で作るとなると、どんな工法でどれだけの金額になるのか、という見積書を作った会社があります。前田建設ファンタジー営業部という部門とのことです。
詳細はリンク先(*)をごらんいただくこととして、中年のおじさんたちのこの大まじめな仕事ぶり、しばらくぶりに爆笑させてもらいました。こういう若々しい感覚、大好きです。しかも、大規模土木工事見積りの基本をしっかり教えてくれるという、実に知性と教養あふれるページです。
なんでも、6月30日からは、あのサンダーバードの国際救助隊の秘密基地の工事見積りを開始するとか。これも今から楽しみです(^_^)/
(*):マジンガーZの格納庫の工事見積り作成まで~前田建設ファンタジー営業部
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サクランボ収穫作業がほぼ終わる

2006年06月26日 21時32分38秒 | 週末農業・定年農業
例年より1週間近く遅れたサクランボの収穫作業だったが、今年は昨冬の老父の入院手術のため充分な剪定ができず、平年よりもだいぶ収量が下がったようだ。大雪の被害もあり、倒れたり裂けたりした樹もあった。結果的には、遅く始まった作業が、例年なみの時期に終了したことになる。もっとも、サクランボ等の果樹農業は、老父がこれで生活しなければならないわけではなく、多くの親戚知人に宅配し、喜ばれることが何より嬉しいのと、雇人の人達との長年のつきあいと、農協に出荷して自前で小遣いを得るのが張合いになっている面とのミックスであるから、あまり採算は考えていないようだ。せいぜい雇人の人件費で赤字にならないようにしている程度か。まずは健康で農作業ができることに感謝しなければ。

ロス出身のお嬢さんがやってきて、最後のサクランボ狩りを楽しんでいきました。アメリカン・チェリーと違って、大切に育てているそうな。日本の梅干しが大好きだそうで、ベリー・サワー!ダイスキ!だそうです。女性がすっぱいものが好きなのは、万国共通なのでしょうか(^_^;)>poripori
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平岩弓技『はやぶさ新八御用帳』第2巻「江戸の海賊」を読む

2006年06月25日 20時28分17秒 | -平岩弓技
平岩弓技さんの『はやぶさ新八御用帳』シリーズ第2巻、「江戸の海賊」を読みました。第1巻に続き、一冊全部で謎解きをする推理仕立ての中編時代物です。

最初に登場する人物が、町奉行所の本所方同心の高丸龍平、話す内容が緋桜小町ことお小夜の噂話です。深川や本所の橋の袂に奇妙な張り紙があり、船幽霊と称する海賊の探索を始めるところから、物語の幕が開きます。「この頃お江戸に流行るもの/地震、大水、船幽霊/退治したくば飛鳥にござれ/花の下なる平将門」という内容です。
隼新八郎は、高丸龍平とともに飛鳥山に出向き、突然降り出した激しい雨に、茶屋で一休みしていました。突然の落雷でお小夜たちに抱きつかれているときに、一人の武家女の背中に白刃が突き立てられて殺害されます。

せっかくの推理仕立てですので、粗筋は省略しますが、発端となった奇妙な張り紙、結局あれは誰が何の目的で張ったものなのでしょうね。そんなことをして、犯人側にどんなメリットがあったのでしょうか。謀計は秘するが良策、なのではないかと思いますが、必然性がよくわかりません。
それでも、新八郎と新妻の郁江さんが心を通わせるところは、ちょっといい場面です。第1巻のお鯉さんはどうするんだい、と突っ込みたくはなりますが。
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チャイコフスキー「フィレンツェの思い出」を聞く

2006年06月24日 09時13分07秒 | -オーケストラ
チャイコフスキーにはニ短調の弦楽六重奏曲(Op.70)があって、「フィレンツェの思い出」という名で親しまれているようです。残念ながら、私はオリジナルの弦楽六重奏では聞いたことがありませんが、弦楽セレナードに併録された弦楽合奏版で楽しんでおります。1990年の2月にウィーンのスタジオ・バウムガルテンでデジタル録音されたナクソス盤、8.550404 という型番のCDで、フィリップ・アントルモンの指揮、ウィーン室内管弦楽団の演奏、お値段は安価ですが、たいへんいいCDのように思います。(ただし、D minor が ニ長調 に翻訳され表記されているのは、私でもわかる明らかな間違い。)

第1楽章、アレグロ・コン・スピリト、ニ短調。切り込むような情熱的な出だしが印象的ですが、すぐに優しいチャイコフスキー節が聞けます。メロディーを支える他のパートがオクターブで同じ音を奏するためか、音にふっくらとした厚みがあって、弦楽合奏の効果が上がっているようです。
第2楽章、アダージョ・カンタービレ、ニ長調。こういう柔和で叙情的な緩徐楽章になると、チャイコフスキーの天性のメロディーメーカーとしての素質が存分に発揮されるようです。
第3楽章、アレグレット・モデラート、イ短調のスケルツォ。情熱的で劇的な要素もある印象的な音楽です。
第4楽章、アレグロ・ヴィヴァーチェ、ニ短調。フィナーレでの開放感が、やっぱり室内楽の枠を超えているように思います。弦楽合奏版の魅力が、ここでも強く感じられます。

それにしても、アントルモンに限らず、ピアニストがしばしば指揮者を目指すようになる理由はどこにあるのでしょうか。近年思いつく限り、バレンボイム、アシュケナージなどがそのいい例ですし、わがジョージ・セルも、デビュー当時は達者なピアニストでした。

これは推測でしかありませんが、たぶん弦楽器の持つカンタービレの魅力、管楽器の音色の色彩感といった、ピアノの持つ表現力を超えた部分を大きくカバーする、最高の楽器としてのオーケストラの機能に惹かれる、という要素と、ピアニストの孤独な作業よりも、多人数の合奏を通じた、音楽でコミュニケートする一体感、といったものを求めるようになるから、なのでしょうか。

フィリップ・アントルモンの指揮するウィーン室内管弦楽団の演奏は、チャイコフスキーの音楽の持つ、室内楽に収まりきれない広がりを、弦楽合奏の形でうまく開放しているように思います。

どこがフィレンツェなんだ?というツッコミは、ほら、思わせぶりなタイトルで商売するって、あるでしょ?出版社の意向とか(^_^)/

■フィリップ・アントルモン指揮、ウィーン室内管弦楽団
I=10'23" II=10'37" III=6'27" IV=7'06" total=33'33"
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シュールな(?!)トラックバック

2006年06月23日 21時41分01秒 | コンピュータ
※以下の記事で、アスタリスク(*)の部分はカットしてお読みください。

先日の「ロマンティック・ギ*タ*ー名曲集を聞く」という記事に対し、トラックバックが来た。「フ*ェ*ン*ダ*ー・テ*レ*キ*ャ*ス*タ*ー*激*安」とかいうものだ。はて、「フ*ェ*ン*ダ*ー」にガットギター(クラシックギター)なんてあったのかな、と思って、例によってWikipediaで「フ*ェ*ン*ダ*ー ギ*タ*ー」調べてみると、やっぱりエレクトリック・ギ*タ*ーのメーカーだという。
たぶん、「ギ*タ*ー」という単語を検索し、該当するブログ記事に無差別にトラックバックを送り付けているのだろう。エレクトリックもクラシックも区別しないで。担当者の頭の中では、「ギ*タ*ー」といえばエレクトリック・ギ*タ*ーであり、クラシック・ギ*タ*ーの記事があるかもしれないなんて、想定もしていないのではないか。

想像力に乏しい人が、自分の想定でトラックバックを送りつける事態を空想すると、かなりみょうなことになる。たとえば、「エルメス」や「メスシリンダー」や「メダカのオスメスの区別」の記事に、「メス」をキーワードとして、医療用メスの激*安*販*売のトラックバックが来たり、管楽器の「マウスピース」にボクシングの「マウスピース」のトラックバックが来たら、たぶんかなりシュールだ。

おそらく、同音異義語の多い日本語の特徴にかかわる部分で、欧米に発するコンピュータ・プログラムがちぐはぐさを露呈する、というところに事態の本質があるのだろう。機械的に送りつけるプログラムを相手に怒ってみてもしょうがないと思い、歓迎されざるトラックバックをネタにしてしまいました。ちなみに、私はこのトラックバックの送付元には興味がありませんので、一切さわっておりません。皆さんも無視するのが一番かと思います。少し期間を置いて、ほとぼりがさめた頃に問答無用で削除したいと思います。

写真は畑のジャガイモの花です。ちとアルコールが入っております(^o^)/
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講談社文庫のブックカバーが届く

2006年06月22日 20時41分26秒 | 読書
従来、文字のポイントが小さく、敬遠することが多かった講談社文庫、このところ『はやぶさ新八』シリーズや藤沢周平の『市塵』、『貧乏同心御用帳』など、文字のポイントが改善された版が普及してきたので、続けて購入する機会が多かった。添付の帯を見ると、10冊分のマークを送ると、ビニールレザー調のブックカバーをプレゼントするという。あまり数は多くないが、講談社文庫のマークを集めて送ったところ、先日届いた次第。

愛用していた集英社のブックカバーは、だいぶ手垢がついて汚れてしまった。ビニールレザー調のものは、手垢が目立たずありがたい。届いた講談社のブックカバーは赤と濃紺。さて、これからどの本を読みましょうか。ちょっと楽しみです。
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フランクの「ヴァイオリン・ソナタ」を聞く

2006年06月21日 21時13分36秒 | -室内楽
以前、大好きなフランクのヴァイオリン・ソナタを、ピエール・フルニエがチェロ用に編曲して演奏したCDを取り上げた(*)ことがあります。ところが、肝心のフランクのヴァイオリン・ソナタを取り上げていなかったことに気がつきました。で、おそまきながら本家本元の出番です。
私が好んで聞いているのは、ジャン=ジャック・カントロフ(Vn)、ジャック・ルヴィエ(Pf)の演奏。1982年8月、オランダのハーレム、コンセルトヘボウでの録音とクレジットされていますが、デンオンのデジタル録音です。

第1楽章、アレグレット・ベン・モデラート、イ長調。ピアノのささやくような序奏に始まり、優しい憧れに満ちた主題が提示されます。ヴァイオリンとピアノの、とくにピアノの表情が豊かです。
第2楽章、アレグロ、ニ短調。速く激しい感情。ピアノが駆け回ります。ヴァイオリンの中低音部の音色と対比させながら、高音部の音色を効果的に生かしています。ゆっくりした中間部を経て再び速く激しくなっていきます。
第3楽章、レチタティーヴォ~ファンタジア・ベン・モデラート。ピアノが低音で呼ぶとヴァイオリンが低音で答えるが、ピアノが高音で呼びかけてもヴァイオリンは低音で答えるという具合に、きまぐれに幻想的に展開します。
第4楽章、アレグレット・ポコ・モッソ、イ長調。再び第1楽章の主題が出てきたかと思うと次々に先行する楽章の主題が再現され、優しいヴァイオリンの音色が響き、最後は華麗なコーダで締めくくられます。

このCD、とにかくヴァイオリンの音色が素敵です。そしてルヴィエのピアノが陰影を添えます。絶妙のコンビだと思います。クレスト1000シリーズの一つ、長く愛聴したい録音です。

■ジャン=ジャック・カントロフ(Vn)、ジャック・ルヴィエ(Pf)、DENON COCO-70457
I=5'44" II=7'49" III=7'02" IV=5'53" total=26'28"

(*):フランクのチェロソナタを聞く
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柴田錬三郎『貧乏同心御用帳』を読む

2006年06月20日 20時36分25秒 | 読書
つい先日、書店で見かけた平積みの文庫本の中から、「剣は強いが情けに弱い。江戸町奉行所の町方同心・大和川喜八郎は32歳、独身なのに6歳から14歳までの孤児を9人同居させているかわりもの~」云々の紹介文に乗せられて、柴田錬三郎『貧乏同心御用帳』を購入しました。講談社文庫ですが文字のポイントが大きく、たいへん読みやすいのも理由の一つです。

さて、この連作短編集は、四本の物語から成っています。
「南蛮船」、江戸町奉行所の町方同心・大和川喜八郎が同居させている孤児九人は、別に大層な主義主張があったわけでもなく、成り行きで増えてしまったにすぎない。家が三間しかないから、もう置けないと断っている。孤児たちは同心組と称し、探索を手伝うこともあり、大人のウソを見抜きなかなか役に立つところもある。このあたり、ホームズが時折使うロンドンの少年たちを思わせる。
しかしルソンねぇ・・・鎖国から200年、世代にして8代、3000余人で血統を受け継ぐことができるものだろうか。テーマが民族の純血というしろものだけに、ややエキセントリックなお話です。
「埋蔵金十万両」、武田信玄の埋蔵金伝説によるお話。埋蔵金伝説の話はよく耳にしますが、私は一攫千金の夢は見ない性格のようです。ただし、一度でいいから金を王水(*)に溶かし、とける様子を観察してみたい。甲州金を1個見つけたら、ぜひ御一報ください(^_^)/

(*):Wikipediaによる「王水」の解説

「お家騒動」、双子の兄弟とお家騒動の話はよくあるパターン。山手樹一郎の『桃太郎侍』もそう。ただし、本作は一方が熱病のために人格が歪んだダメ兄で、もう片方が立派な弟。う~む、これは困りましたね。自由気ままな生活が良いのはわかるが、すこしは働きなさい。
「流人島」、本作によれば、八丈島の流人生活はそれほど悲惨ではなかったそうな。もちろん、お金があれば、の話です。地獄の沙汰も金次第と、ホリエモンも言っていたとかいなかったとか。私は地獄も極楽も無縁なので、別にいいけど。
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傷のあるCDの音楽再生について(2)

2006年06月18日 20時49分07秒 | クラシック音楽
DVD/CDプレイヤーで再生不良の「ロマンティック・ギター名曲集」、ためしにWindowsXP(SP2)マシンでWindowsMediaPlayerで再生してみました。前半は順調、後半になったら途中でダウン。音が出なくなり、停止ボタンがききません。マウスカーソルは動くけれど、同時に開いていたアプリケーションも止まりました。全くダメです。こんなときはあわてず騒がず、ひたすらエラーになって返ってくるのを待ちます。しばらくじ~っと待っていたら、ようやくマウスカーソルが正常になり、制御が可能になりました。う~ん、だめですねぇ。もう一回挑戦してみると、こんどはなんとか再生します。トラックの一部が損傷し、不安定になっているようです。
では、再生ソフトを変えてみるとどうなるでしょうか。RealOneプレイヤーで再生してみました。こちらもなんとか大丈夫のようです。

ちょっと結果を整理してみました。

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maker machine OS 再生ソフト 傷のあるCD再生
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Pioneer DVR-310 ------ ----- ×
Fujitsu FMV6450CL3 VineLinux3.1 GnomeCDplayer ○
SOTEC S2120C-L5 WindowsXP(SP2) WindowsMediaPlayer △
SOTEC S2120C-L5 WindowsXP(SP2) RealOnePlayer ○
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このCDは、どうやら再生テスト用に使えるようです。
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傷のあるCDの音楽再生について

2006年06月18日 08時40分26秒 | クラシック音楽
梅雨時に聞く音楽は、暑苦しいのは敬遠したいので、今日も「ロマンティック・ギター名曲集」を聞いています。実はこのCD、傷モノなんです。前半はいいのですが、後半のシューベルトになると、わが家のDVD/CDプレーヤーでは再生が安定しません。ところが、だいぶ古い富士通のパソコンFMV6450CL3を使っているLinux機では、まったく問題なく再生します。特別にピックアップやドライブの性能が良いと言うことは考えにくいので、おそらくエラー処理ロジックの差なのだろうと思います。Gnome CDプレーヤー、シンプルですが、なかなか便利です。

パガニーニの大ソナタ、いいですねぇ。
第1楽章、Allegro risolute
第2楽章、Romanza
第3楽章、Andantino Variato
特にこの第3楽章は独立して聞かれることも多く、ギター音楽の魅力を存分に教えてくれる曲だと思います。

さいわい、ギター音楽という、あまり大音量を必要としないジャンルですので、パソコンに接続した開口部径8cm(高さは22cm位)程度の外部スピーカでも楽しめるという次第。もし、傷がついてオーディオ機器での再生が不安定なCDがあったら、試しにパソコンで再生してみることをおすすめします。案外、大丈夫かもしれません。
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パガニーニ、シューベルト、メンデルスゾーン

2006年06月17日 22時22分31秒 | -独奏曲
梅雨のさなかの蒸し暑い週末、サクランボの収穫に忙しい日々です。従兄弟夫婦と子どもが来訪、我が家でサクランボ狩りを楽しんで行きました。

夜は静かにクラシックギターの音楽を聞きましょう。「ロマンティック・ギター名曲集」と題したナクソス盤で、ジェラルド・ガルシアの演奏です。収録された曲目はなかなかセンスがよく、

(1)パガニーニ、カプリース 第9番 Op.1-9
(2)メンデルスゾーン、無言歌集より、
「ヴェネツィアの舟歌Op.19-6」「ないしょ話Op.19-4」「心の悲しみOp.53-4」「別れOp.85-2」「朝の歌Op.62-4」「ヴェネツィアの舟歌Op.30-6」
(3)パガニーニ、ギターのための大ソナタ
(4)パガニーニ、カプリース 第24番 Op.1-24
(5)シューベルト、メルツ編曲
「涙の讃美」「愛の使い」「セレナード」「すみか」「漁師の娘」「郵便馬車」

となっています。
とりわけシューベルトの音楽は、まるでギターのために作曲されたオリジナルのように感じるほどで、たしかに「セレナード」などは切なく甘く、親指で弾かれる低音部に寄り添うように繰り返される人差指以下の高音部のメロディが、忍び会う若い恋人たちの二重唱のようで、たしかに夜の窓辺で弾かれる曲種だよなぁ、と思ってしまうほどです。

ジェラルド・ガルシアという奏者は存じ上げませんが、達者な腕前であることは間違いありません。1989年12月、ドイツのハイデルベルグ、ゲースト録音スタジオで収録されたデジタル録音です。マイクロホンの指向性を音孔部付近に狭く限定せず、左指が弦の上を滑りながら移動する音も多少収録されていますが、特に直接音が生々しいタイプの録音というわけではなく、ごく自然な録音と言ってよいでしょう。
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長編・中編・短篇

2006年06月17日 06時31分32秒 | 読書
読書のカテゴリーでブログの記事を書いていて、「~な長編です」とか「~い短篇です」などと書くことがあります。どのくらいが短篇で、どのくらいの分量があれば長編なのか、権威ある定義があるのかどうかわかりませんが、私の便宜的な区分は・・・。
(1)短篇 文庫本1冊の中に、それぞれ独立した複数の物語が含まれているときは、短編集と考えます。
(2)中編 文庫本1冊が、一つの物語となっているとき、これは中編であると考えます。
(3)長編 文庫本1冊におさまらず、上中下三巻に分かれているようなものです。
(4)大長編 文庫本5冊とか7冊とか、片手で持ち切れなくなるほどの分量がある場合です。
こんなふうに考えると、『赤ひげ診療譚』は短篇、『蝉しぐれ』は中編、『樅の木は残った』は長編、『デイヴィッド・コパーフィールド』は大長編になりますが、『御宿かわせみ』は江戸の宿屋を舞台に大長編のような体裁を取るに至った短編集、という位置づけです。いかがなものでしょうか。
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情報化社会で大切な覚悟とは

2006年06月16日 21時28分01秒 | コンピュータ
最近、様々な事件に関連して、偉い人が「お詫び」をしている場面をよく目にする。たいていは対応が遅れて集中砲火をあび、火だるまになることが多い。情報化社会で大切な覚悟とは、「嘘はばれる、隠せば現れる、待ってはくれない、正直が一番強い」ということだとつくづく思う。

松下電器のファンヒータ事故の際、事後の対応が徹底していた。あらゆるメディアを使い、協力店舗を総動員して、1軒1軒可能性をつぶしていったあの手法は、わが家の老父母の印象では、松下電器の名前に続く言葉を、危険から信頼に変えていった。ネガティブキャンペーンだったはずのものが、いつかポジティブキャンペーンに変わっていった。

安かろう悪かろうは、ほとんどの人が経験している。大切なものは信頼を重視しなければならない。コンピュータが手足を持つ時代、ソフトウェアや基礎となるデータの信頼性が問われる時代だ。ミスのないプログラムはありえないと思う一方で、しかし重大な事故を生じさせないしくみが必要だと思う。そのしくみには、技術的なものもあり、社会的なものもあり、また文化的なものもあるように思う。
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