電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

雨降りの日、お出かけの成果は

2024年05月10日 06時00分47秒 | 散歩外出ドライブ
過日、雨降りの日は久々に農作業が休みの日でした。床屋に行き、髪を切ってもらってさっぱりして、夏タイヤに履き替えた車でお出かけをして少しばかり買い物を済ませ、さらに行きつけの書店をのぞきました。ポケットメモに記録していた新刊タイトルを探していたら、ありました。新潮文庫で、宮城谷昌光著『公孫龍』の第1巻:青龍篇と第2巻:赤龍篇の二冊です。



しばらくぶりの宮城谷作品。公孫龍という人物に馴染みはありませんが、第2巻:赤龍篇では楽毅が登場するそうで、中山の滅亡から燕に移るあたりの頃でしょうか。『楽毅』という作品がたいそう面白かっただけに、期待してしまいます。文庫はまだ完結していないようですが、何巻まで続くのか、それも楽しみです。能率的に用事を済ませ、しかも目指す本をゲットして、良い雨の日となりました。

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山辺町の噺館で第45回桂文治独演会を聴く

2024年04月21日 06時00分19秒 | 散歩外出ドライブ
朝から強風が吹き、寒くて長時間の外仕事は難しそうですので、山辺町の噺館(はなしごや)で第45回を数えるという定例寄席、桂文治独演会を聴きました。会場は、山辺町の社会教育の仕事をされておられた公務員が退職金とクラウドファンディングで建設・維持しているという「噺館」というところです。まさに落語好きが嵩じて寄席のオーナーになったみたいな話ですが、こういうのも山響創設者の村川千秋さんと共通するところがあり、山形人の県民性というか、特長なのかも(^o^)/

本日の演目は、

  • 鈴ヶ森
  • はてなの茶碗
    〜休憩〜
  • 松山鏡

というもので、他に休憩の後に「紙切り」芸が入ります。「鈴ヶ森」の間抜けな追い剥ぎ泥棒の話も愉快ですし、「はてなの茶碗」の近衛や帝まで登場する破天荒さも可笑しい。後半の「松山鏡」では、お奉行様の前で死んだ親父にひと目でいいから会いたいと訴えるところは、ちょいとうるっときました。お奉行様の采配は孝行息子に「鏡」をつかわすというもの。鏡を初めて見る人の反応としては、まあ、そんなものでしょうか。いやいや、水鏡というもので自分の顔を見るのは経験していると思うけどなあ(^o^)/

源泉100%かけ流しのテルメ柏陵でゆっくり温泉に入り、温かい肉そばを食べて帰宅しました。妻も良い骨休めになったことでしょう。置いていかれた猫・李白だけは、少々ご機嫌ななめだったかもしれません(^o^)/



参考までに、「噺館」での今後の定例寄席の出演者(4月〜6月分)を載せておきましょう。

【追記】
朝からくしゃみ、鼻水が出て、微熱があります。どうも、風邪をひいたみたい。今日の午後の山響定期は、残念ですが大事を取ってお休みといたします。良いお天気なのですが、ひたすら寝て治しましょう。

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温泉に行き、お風呂と松花堂弁当を味わう

2024年02月13日 06時00分31秒 | 散歩外出ドライブ
農閑期なので、妻のプレ古希ほか色々とりまぜてプチお祝いをしようと、家族で東根温泉「ののか本郷館」でお風呂と松花堂弁当を楽しんできました。以前、亡母と孫たちと「雛膳弁当」を食べた記事(*1)を書いていますが、この旅館は東根温泉の中では老舗旅館になるのでしょうか、20年ほど前に改築してきれいな宿になっています。写真は、フロント前のロビーの様子。



大きな団体の宴会などには不向きですが、逆に言えばそうした酔客の混雑に出くわす確率はあまり高くない、地元の粋人の御用達のような宿(*2)です。




久しぶりに、板前さんの心尽くしをいただきました。鯛飯が美味しかったし、季節の味、例えばあさつきの酢味噌和えなども新鮮で美味しかった。お風呂にも入ってゆっくりして帰宅しましたが、我が家に着くなり、やんちゃ猫・李白に「どこに行ってたニャ〜」とまとわりつかれました(^o^)/

(*1): 孫たちと温泉に行き、「雛膳弁当」を食べる〜「電網郊外散歩道」2016年3月
(*2): 個人的な選択でいうと、有名ホテル旅館は団体客を主たる対象としているところが多く、同窓会などの宴会を除けば利用は少ないかな。親戚友人知人から家族で瀟洒に泊まりたいという要望の場合には、天童温泉の湯元「松の湯」を紹介しています。ここは源泉だけあってお湯が豊富できれい。メゾネットの場合、たぶん満足感は高いですがお値段が少しお高いのと、なかなか予約がとれないのが難点。庶民的で静かな宿というとさくらんぼ東根温泉「ののか本郷館」、さらに庶民的な宿といえば、お風呂が少し小さめだけれど料理が美味しい同「さくら湯」あたりでしょうか。

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サクランボ等の果樹園が宅地になっていく様子は

2024年01月14日 06時00分24秒 | 散歩外出ドライブ
雪のない冬は、ドライブや散歩など外出にはありがたい面があります。最近、戸建住宅やアパートなどがどんどん増えている新興住宅地を歩いてみました。写真では住宅の正面入口が並ぶメインの通りは外していますが、戸建住宅に住んでいるのは若い人らしく、敷地いっぱいに住宅とカーポートが建っています。車社会の山形らしく、カーポートに入っている車は2台分で、おそらく若い夫婦のものでしょう。





以前はサクランボやリンゴ等の果樹園だったところが、すっかり住宅地に様変わりです。少し行くと、まだ畑や果樹園が残っていますが、これらもおそらくは時間の問題でしょう。人口減少の時代に、他市町村から流入し、微増とはいえ人口が増加する地域です。住宅の供給と共に、様々な事業所が近隣に移転新築され、働き口があるというのが大きい要因なのでしょう。



歴史をたどれば、この地域は昔から果樹園だったわけではありません。原始植生はブナ林と推定され、遺跡からみて縄文時代の集落が点在した地域ですので、おそらくは水の手が近い林縁地帯だったと思われます。そこに鉄器と稲作文化を持った人々が移り住み、小さな河岸段丘の下方の土地には水田を、上の方に集落を作り、県内の古墳分布を見ると北限に近いことから、北方の対抗勢力と拮抗しながら耕作地を広げていったのでしょう。荘園の時代には誰かの荘園として開かれていった時期もあるようで、土地と収穫を奪われないために自ら武力を養い、武士が台頭していった時代に支配領主は次々と代わりますが、中世の頃の道路が現在も集落を結ぶ主な生活道路となっています。湧き水では不足するため豪族と豪農が中心となって河川の上流から農業用水路を開削し、水田を広げていきますが、水田に不向きな台地上の畑は、ある時は紅花を植え、またある時はクワを植えて蚕を飼うなど、様々な利用のされ方をしてきたようです。サクランボ果樹園に変わったのは、高度経済成長が一段落しトラック輸送とコンピュータ化が進んだ昭和40年代以降のことでした。



水田のほうは土地改良事業により大きく四角い形に変わりましたが、本質的な変化は少ないようです。これに対して、サクランボ等の果樹園が宅地に変わっていく様子は、短期的に見ると残念なことのようにも思えますが、長い歴史を振り返れば土地の利用形態が変わっていく一断面に過ぎないのかもしれないとも思えます。台地の縁に湧く水源の上に立つクヌギの大木は、「水神」と彫られた小さな石碑を足元に置き、人間の営みをずっと眺めてきたのでしょう。

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愛車の「給油記録」ノートに今年の記録らんを作る

2024年01月11日 06時00分55秒 | 散歩外出ドライブ
昨年の暮れにはまだ給油時期ではなかったのですが、そろそろ愛車マツダ・デミオXDディーゼルの給油時期になりました。歴代の車を1車1冊で記録しているコクヨの測量野帳を用いた「給油記録」ノートに、昨年のデータを整理し、新しい年、2024(令和6)年の記入欄を作る必要があります。まずは昨年の記録を整理し、コンピュータ上の表計算シートにも入力整理しました。



これによれば、昨年春に非常勤の勤務からも引退した2023(令和5)年には、走行距離はがくっと少なくなって 5,124km、255L の軽油を給油し、支出は 38,472円でした。燃料消費率は 20.1km/L で、燃料の平均単価は 151円、i-stop 機能を停止した状態での DPF 再生間隔は平均で 140km でした。

走行距離が減ったのはもちろん通勤がなくなったためで、近場の移動は農作業がらみが多いために軽トラックの出番となります。用事で遠方の市町村へ出かけたり、演奏会で山形市に出かけたりするときに畳用車の出番があるくらいで、長距離通勤だった昔とは異なり、ディーゼルの恩恵はあまり感じなくなっています。




それでも4回目の車検となる今年は、走行距離がたぶん10万キロを超える予定。記入用の項目を用意し、次の給油のために備えましょう。

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図書館から冬休みに読む本を借りてきた

2023年12月23日 06時00分05秒 | 散歩外出ドライブ
先日、用事ででかけた際に少し時間がありましたので、図書館に立ち寄り、冬休みに読む本を三冊ほど借りてきました。

  • 茂木大輔『N響で出会った名指揮者たち』音楽之友社
  • アリソン・アトリー『時の旅人』岩波少年文庫
  • 山口昌伴『ちょっと昔の道具から見直す住まい方』王国社

一冊目は、N響の首席オーボエ奏者だった著者の目から見た、1990年〜2019年までN響を振った指揮者の印象やエピソードをまとめた本。ちょうどテレビで「N響アワー」を熱心に見ていた時期に当たり、懐かしい顔ぶれはDVD等の録画もけっこうあり、本書を読みながら演奏を聴いてみたいものです。
二冊目は みっち さんのブログ(*1)で話題にしていたもので、私は未読でしたので興味を持ったものです。
三冊目は、60年ほど昔の生活を忘れつつある現在、記憶を思い出すよすがとして、また現在の生活を振り返る視点として、興味を持ったものです。
いずれも、年末年始の冬休み期間中の読書として格好の題材。読書感想文の宿題はありませんが、当ブログの記事ネタにはなるかもしれないという目論見もあります(^o^)/

(*1): 行きがかり上、アリソン・アトリーの「時の旅人 A Traveller in Time」(1939年)を読み始めています、の巻〜If you must die, die well みっちのブログ より

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母の一周忌で来形した某夫婦を文翔館に案内する

2023年11月09日 06時00分54秒 | 散歩外出ドライブ
母の一周忌で来形した某夫婦を山形駅に出迎え、文翔館を案内しました。明治維新の後、庄内、最上、置賜など旧藩を中心に別れていたところを山形県として統一し、県都を山形市に置いて初代県令となった三島通庸が建てた木造の県庁が、明治44年の山形北大火で消失したために、耐火性の高いレンガ造りの建物として再建されたこと、設計に当たったのは米沢出身の中條精一郎らの建築設計事務所で働いていた田原新一郎であったこと、職人は東京駅が竣工した後に山形に来て山形県庁の工事に当たったことなどの来歴を説明し、また昭和の修復工事についても説明しました。正庁の天井にある飾り漆喰の見事さや、壁紙やリノリウム張りの床板、スレート拭きの洋風屋根の外観など、復元の見事さに目を見張っていました。

その後、映画「るろうに剣心」の撮影の舞台となった県知事室や中庭など館内の展示をゆっくり見て回り、最後はごく最近に改修工事が終了したばかりの議場ホールへ。ここも雰囲気の良いホールで、室内楽等の演奏会に使われていると話すと、うらやましい環境だと感心した様子でした。

蔵王や山寺など一般的な観光地とは少し異なりますが、戦災に遭わなかった山形市にはこうした重要文化財がたくさん残されています。山形市内観光の際には見学地の候補に入れておき、できればボランティア・ガイドを予約しておくと良いかと思います。入館料、ガイド、いずれも無料です。ちなみに、私自身が何度か文翔館のガイドをしたことがあり、今回は過去の経験を活かしてあまり専門的に過ぎない説明を心がけたこともあって、某夫婦には喜んでもらえたようでした。

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好天に誘われて〜リンゴ畑を眺めながら秋の散歩

2023年10月31日 06時00分15秒 | 散歩外出ドライブ
良いお天気となった秋の某日、所用があり、徒歩で公民館に向かいました。時間に余裕を持って出かけましたので、少し周辺を散歩することに。





秋晴れの、ほんとに良いお天気です。どなたかのリンゴ畑が見事に色づいて、立派な出来です。うーむ、我が家のリンゴもあのくらい上手に作ってみたいものだと思いながら、いやいや、出荷できるレベルまで手をかけるのはたいへんだぞと思い直し、どうにか工夫できないかと思案しつつ、秋の散歩です。

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映画館の隣にスーパーマーケットが進出して

2023年10月15日 06時00分08秒 | 散歩外出ドライブ
東根市の国道13号線から国道287号線が分岐する角地に、新たにスーパーマーケットが進出しました。「スーパーヤマザワ・さくらんぼ東根店」です。名前のとおり、JR のさくらんぼ東根駅西口から出て国道13号を横断したこの場所は、たしか以前はパチンコ店だったはず。パチンコ店の経営が振るわず撤退し、地元スーパーの「ヤマザワ」が進出したということのようです。ちょうど隣接して映画館「フォーラム東根」等があり、映画の帰りに買い物というようなことが可能になります。巨大なショッピングモールを見慣れた目には、むしろちょうどいい規模のように感じます。食料品を中心にしながら、日用品や猫エサなども置いてあるので、一通りの買い物ができるようです。妻とぐるりと回ってみましたが、開店セールでだいぶ安価な設定になっており、このところの値上げラッシュ月間にあって、助かります。

そうだなあ、東根市内でも国道13号線の西側に位置するこの近辺は、わりに地価がやすいために新規の住宅建設が多い地域ですので、人口減少の時代にあってむしろ人口が増加している地域です。そうした見通しを含んでのスーパーマーケットの新規開店なのでしょう。サクランボ畑から住宅地へという流れ(*1)は、どうやら加速しているようです。

(*1): 果樹園と宅地化、原野化〜「電網郊外散歩道」2019年6月

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噺館で春風亭一之輔の落語を楽しむ

2023年09月27日 06時00分40秒 | 散歩外出ドライブ
たまたまチケットをもらって、山辺町の噺館(はなしごや)で春風亭一之輔の落語を楽しんできました。落語界のことはとんとうとく、テレビの「笑点」もまれに見ることがあるという程度ですので、春風亭一之輔という名前を聞いても、なかなか顔が思い浮かばない。家族に「笑点に新たに加わったメンバーで、ひねくれた感じの人」と説明されてはじめてピンときました。それは面白そうだと楽しみに、当日は余裕を持って山辺町へ。50席という小さな会場には、以前、山響のチェロの久良木夏海さんの演奏会(*1)で入ったことがありましたので、会場周辺の地理はなんとか記憶に有りました。



出ばやしに乗って前座の若い人が登場、名前も噺の題名もわからないけれど、千両箱が何個も登場する景気の良い夢の話で、逆に言えば下積みの苦労を感じさせるところもあります。若さを感じさせるけれど一所懸命なところが好感が持て、面白かった。

いよいよ春風亭一之輔さんが登場、「火曜平日の昼間なのにこんなにお集まりいただいて、火曜日の昼間なのに」というくすぐりがすでにちょいと斜めからの視線(^o^)/ 演目「子ほめ」「蜘蛛駕籠」に大笑い、休憩の後の「蛙茶屋」でしょうか舞台番の話はなんだか男子高の下ネタふうのノリでしたが、いや〜、笑わせてもらいました。面白かった〜。

余談ですが、「笑点」の座布団の枚数が6枚より多くなると、実は危ないのだそうです。それははじめて知りました。たしかにそうなのかも(^o^)/



(*1): 山辺町で久良木夏海「なつくら」バッハの無伴奏チェロ組曲等を聴く〜「電網郊外散歩道」2020年12月

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行きつけの書店で文庫本と文具のお買い物

2023年09月24日 06時00分59秒 | 散歩外出ドライブ
先日、久々に行きつけの書店に行き、文庫本と文具のお買い物をしてきました。文庫本の方は、小学館時代小説文庫というシリーズで、山本一力著『菜種晴れ』。著者の本は、最近は講談社文庫でもなかなか見つけられず、体調を崩したのか、出版社とトラブルにでもなったのかと余計な推測をしてしまいます。『ジョン・マン』の続編がしばらく出ていないだけに、心配です。



文具の方は、パイロットの「ジュースアップ」ボールペン、ブルーブラックの0.4mmを購入したところです。試し書きができなかったので、0.4mmというのがどのくらいの太さ(細さ)なのか見当もつかずに購入したのでしたが、デザインは魅力的なのに細すぎて文字がなんとも読みにくい(^o^;)>poripori
これは、せめて0.5mmのインクリフィルを購入して交換してしまうか、0.4mmは誰かにあげてしまい、0.5mmの軸を探すかしたほうが良さそうです。文具趣味は、100円玉数枚で楽しめるだけに、いろいろなペンがたまってしまいますが、Juice Up というペンは、ダブルリングノートのリング部にクリップを引っ掛けて使うには良さそうな顔料ゲルインクボールペンのようです。

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そう言えば桃収穫が始まる前に妻とドライブに行っていたっけ

2023年08月24日 06時00分39秒 | 散歩外出ドライブ
川中島白桃の収穫作業が始まる前の20日(土)、高齢の叔母さんがお盆参りに来られて、たぶんこれが最後になるんじゃないかなとしみじみ話して行きました。お蒸かしとミョウガのぬた和え、ナスの漬物などを喜んで食べてもらい、最後はもぎ残しの「あかつき」と旬の「川中島白桃」の食べ比べ。従弟君も「これは美味しい」と喜んでくれました。美味しくなった頃に持っていくからねと約束して、カボチャやナス、オクラなど野菜をいっぱいお土産に帰宅。良かったね、ご苦労さまと頑張った妻をねぎらい、「どっか連れてけ〜」との要望に応えて、猛暑の中のドライブとなりました。

最初に行ったのが村山市の東沢バラ公園。残念! 園内は無料で入れたものの、バラのソフトクリームを期待していた交流館は臨時休業でした。そこで、予定を変更して国道48号線、関山峠の手前の大滝で涼むことに。ここは、仙台市から来る時に最初に目につく東根市の大滝ドライブイン「泉や(*1)」の駐車場に車を停め、店の脇の階段を下りていくと滝つぼ近くまで接近することができます。まずは店の脇の通路上方からの眺め;




で、下に降りると目線が変わり、こんな風景となります。



日曜日なので、晴天の下、親子連れが楽しそうに水遊びしていました。



さらに近づいてみます。





水量はだいぶ減っていましたが、人出はそれほど多くないし、水は冷たく澄んでおり、気持ちの良いひとときを過ごしました。



その印象には、このサクランボのソフトクリームが美味しかったことも貢献していると思われます。さすがに熱々のイワナの塩焼きや玉こんにゃくを食べる元気はなく、どうしても冷たいものに目が行きます。ちなみに、妻はメロン風味のかき氷でした。

(*1): 大滝ドライブイン「泉や」

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妻と二人でランチに出かけた

2023年07月23日 06時00分35秒 | 散歩外出ドライブ
野菜畑の収穫や伸びる一方の草取りに追われて「もういや〜!」と音を上げた妻を慰労すべく、心優しい夫は妻をランチに誘いました。出かけた先は、山形市の霞城セントラル。24階の中華料理店「紅花楼」です。家を出たときは小雨模様だったのに、到着したらお天気も上がり、展望も充分です。



今年はサクランボもスモモも不作とあって、あまり贅沢はできませんので、ビジネスランチとしましたが、いや、これだけボリュームがあれば古希の爺さんには充分でしょう(^o^)/





デザートにソフトクリームを頼みました。女子高生みたいですが、これが美味しかった〜(^o^)/





妻も満足してくれたようです。帰りはスモークたまご「スモッち」を買って帰りました。久々のドライブで、軽トラックに出番を奪われてすねていた愛車マツダ・デミオディーゼルXDも、じゅうぶんに満足したことでしょう(^o^)/

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旅の空から〜草津温泉の緑色は高温酸性を好む温泉藻の一種

2023年07月11日 06時00分25秒 | 散歩外出ドライブ
先頃、両親の最後の旅行の旅程をたどり、群馬県の草津温泉に行ってきましたが、そこで興味を持ったのが湯畑と硫黄、それに湯の流れにそって見られる濃い緑色でした。源泉から湧き出すお湯は温泉に利用するには熱すぎます。これを適温まで冷やすのに、冷水を混ぜる方法は湯量が多すぎて不向きです。そこで、高温の湯の流れを連結した木箱に導き、外気に接する表面積を多くして自然に冷却する、いわば空冷によって温度を下げようというのが湯畑の工夫でしょう。さしずめ自動車のラジェータのようなものでしょうか。



そこに堆積する黄色いものは、これはおそらく硫黄でしょう。火山性の温泉に特有のニオイは硫化水素でしょうし、このへんは当地の蔵王温泉などでもおなじみのものです。泉質も同様にpHが1とか2とかの強酸性で、昔の人は疲労回復のほかに水虫のような真菌由来の皮膚疾患に対する効能なども意識して利用していたものと思われます。ただし、宿泊した旅館の温泉は酸性泉ではあるけれどそれほどきつい硫酸泉ではなさそうで、これは利用する源泉の位置によって泉質が異なるようです。草津温泉の多様性と言うべきでしょうか。




ところで、私が印象的だったのは、湯畑の滝に見られる緑色でした。源泉をたどると、上流にも流れに沿って緑色になっており、ふと「もしかしたら緑色硫黄細菌?」と思いつきました。で、Wi-Fi が使えるところで「草津温泉 緑色」で検索してみると、残念! 絶対嫌気性の緑色硫黄細菌ではなくて、45℃前後の高温と強酸性域で生育するイデユコゴメ属の温泉藻の一種なのだそうな。そうなのか、やっぱり「百聞は一見に如かず」です。

亡父にとっては亡くなる2年前、82歳で体力的にもきつかったのではないかと思いますが、坂道をずいぶん歩いたのだなと感心します。母も膝が悪く階段のような上り下りは不自由だったと思いますが、温泉に入ってのんびりして、さぞやゆっくりできたことでしょう。とはいうものの、息子はやや感傷的になりはしますが、旅行するにも視点は化学や生物から離れません。どうも、無粋なことこの上なし(^o^)/ 思わず苦笑いです。

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富岡製糸場を見学〜旅の一部から

2023年07月07日 19時04分33秒 | 散歩外出ドライブ
今回の旅行は、生前、両親が旅した最後の旅程をたどるもので、昨年の晩秋に没した母の介護ごくろうさまという慰労の意味も兼ねて、関東在住の兄姉が計画してくれたものです。その中で、特に印象に残ったのが富岡製糸場でした。学校の歴史の授業では、明治5年に創業の官営工場で、お雇い外国人の人件費が高すぎ、また規模が大きすぎて採算が取れず、結果的に民間に払い下げられたと習いましたが、実際に目にすると教科書の文章だけでイメージするのとはまるで違いました。





まず、木骨煉瓦造という構造、すなわち建物を支える木製の柱と柱の間に「フランス積み」の形式で隙間なく積まれたレンガの色や形がかなり不揃いであること。どうやらこれは、レンガそのものを近くで焼いて供給したため、はじめのうちはかなり不揃いだったらしい。たしかにこれは、レンガまで輸入していたら予算が不足するというよりも、基礎的な技術移転という目的があったためでしょう。




もう一つ、巨大な工場の機械を動かす動力は、蒸気だったようです。地元産の亜炭を燃やし、ボイラーで発生させたスチームを使って繰糸機を動かすわけですから、スチームの配管が工場の配置を決定する面があり、無計画な拡張はできないために、最初から大きな敷地の工場を設計する必要があったということでしょうか。おそらく、動力が電気の時代であれば、工場の配置や設計ももう少し柔軟にできたのかもしれないと思います。



また、何度も経営主体が変わりながら、富岡製糸場が動態保存されることができた理由として、当時の片倉工業の企業姿勢、経営方針が称賛されるべきだろうと思います。昭和生まれには「キヤロン肌着」で親しみ深いカタクラが、富岡製糸場の歴史的価値を意識して保存管理につとめていたからこそ、明治の産業化遺産の一つとして世界遺産に登録されることができたということでしょう。当ブログの「歴史技術科学」カテゴリーを綴ってきた者として、共感するところがあります。




そして、カタクラ時代の最後の頃、昭和の後期に使われていたという日産製の繰糸機を見ながら、おそらく電子化=コンピュータ・コントロールへと転換する大きな時代の波に乗ることができなかったのではなかろうかと想像してしまいました。

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