電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

久保寺健彦『青少年のための小説入門』を読む

2019年02月09日 06時05分56秒 | 読書
集英社刊の単行本で、久保寺健彦著『青少年のための小説入門』を読みました。イジメられっ子中学生の入江一真が万引きを強要され、駄菓子屋の店番をしていたヤンキーの田口登につかまります。登は文字を読んだり書いたりすることが困難なディスクレシアという学習障碍を持っており、一真に本の朗読をするなら許してやると持ちかけます。実は登は、文字の読み書きはままならないけれど、抜群の記憶力と創作力を持っており、作家になるのが夢でした。その日から中学を卒業して高校生になっても、一真は図書館員の勧める様々な名作を朗読し、これが二人の文学修行になります。やがて二人は、清水健人というペンネームで覆面の二人作家としてデビューし、人気が出ていきますが…というお話。

いや、おもしろかった。久々に引きこまれ、一気に読みました。同時に、本作のベースの一つになっているのは、ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』ではなかろうか、と感じました。『朗読者』のほうは、虚弱な少年ミヒャエル・ベルクが、偶然にずっと年上の女性ハンナ・シュミッツに助けられたことがきっかけとなり、彼女のために朗読をしつつ性の経験を重ねるうちに、互いの関係が密接に離れがたいものに変わっていくのですが、彼女はある日突然に姿を消してしまいます。実は…という話でした。

弱っちい少年が、だいぶ年齢の離れた大人に助けられ成長する中で、彼を助ける大人の弱さや罪に気づき、その悲哀を理解する話であるという点で、共通するところがあります。どちらも大人(登とハンナ)の死によって終わりますが、『青少年のための小説入門』の方は、少年がそこから再びスタートする点が違っています。



小説家の苦悩を描く部分は、たぶん著者自身の経験が色濃く反映されているのでしょう。ありすの存在は、一真の少年時代の健康さを確保するための役割でしょうか。本書をきっかけに、『朗読者』をもう一度読んでみたいものです。

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上田岳弘『ニムロッド』を読む

2019年02月02日 06時03分36秒 | 読書
講談社の文藝雑誌『群像』の2018年12月号で、上田岳弘著『ニムロッド』を読みました。第160回芥川賞受賞作の1つですので、実にタイムリーではあります。

「心臓麻痺」で停止したサーバーを再起動するのが中心のサーバー管理の仕事をしつつ、仮想通貨のマイニングをはじめ、実用にならないダメな飛行機の話(*1)を書いてくる男や、染色体検査で異常がわかった胎児を中絶した女、皆が同じように考え一つになってしまうのを塔の上から眺める話、左目だけから流れる涙など、色々な素材をつなぎあわせて、現代の雰囲気の中に昔の人と変わらぬ疑問を投げかける話、と読みました。

サーバー管理の日常は職業や仕事の、仮想通貨は金儲けの意味を問い、駄目な飛行機の話にはどこか虚無感が流れます。染色体検査のエピソードは夫婦や愛情やハンディキャップと人生の意味に苦味を与え、塔のエピソードには疎外感や孤独感が流れます。現代風のよそおいの下に内包される普遍性。おそらくは、だから多くの人に訴えることができるのだとも言えるでしょうか。

(*1):このサイトは実際にありました。ダメな飛行機コレクション



余談です。

1台や2台のサーバーならば、管理するのも楽しさがあるでしょう。純粋な好奇心から、様々なプログラムがどんなふうに動いているのかを知るのは実に興味深いものです。しかし、管理しなければいけないサーバーの数が数千台を超えるようになると、これを1台1台こまかく管理するのは事実上無理でしょう。不具合が起これば再起動するだけの作業員になってしまうのも無理はありません。好きで入った仕事が、やがて苦痛になり、意味が感じられなくなる。台数の、もっと言えば数量的な増加は仕事の質を変える、ということでしょう。実感としてわかります。

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『文春文庫解説目録2018』を眺めて

2018年12月28日 06時04分15秒 | 読書
先日、行きつけの書店で『文春文庫解説目録2018』という冊子を入手しました。文庫本の書名と短い解説を、著者名順に並べたもので、かつては岩波文庫や新潮文庫などでもよく見かけたものです。自分がすでに読んだものをマークして、未読のものでおもしろそうなタイトルの目星をつけるのは、読書好きにとってはけっこう楽しみな時間でした。

同様に、今回も文春文庫等をリサーチ。「文春学藝ライブラリー」というシリーズの中に、E.G.ヴァイニング著『皇太子と私』という本を見つけました。これはたぶん、以前に記事にしたことがある、リーダーズ・ダイジェスト選集の中にあった、あの本(*1)ではなかろうか? 50年ぶりの出会いになるのかもしれません。行きつけの書店に、さっそく手配・入手しました。

(*1):祖父の本で『リーダーズダイジェスト選集:世界のベストセラー16選』を読む~「電網郊外散歩道」2017年5月

ん? 我が家のアホ猫が何か言っています。

でもねぇ、この表紙はなあに? ブサカワイイって、こういうの? それならアタシたちのほうが、よっぽど表紙にふさわしいと思うわ。モデル料は要らないから、あ、違った、ササミでいいわ。

うーん、思わず絶句(^o^)/
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門井慶喜『家康、江戸を建てる』を読む

2018年12月09日 06時05分10秒 | 読書
祥伝社文庫で、門井慶喜著『家康、江戸を建てる』を読みました。以前、単行本が出た時には注目したのですが、入手する前に忘れてしまったようで、この度、文庫本として発売されたのを機に、読んでみようと手にしたものです。
構成は次のとおり。

第1話:「流れを変える」
第2話:「金貨を延べる」
第3話:「飲み水を引く」
第4話:「石垣を積む」
第5話:「天守を起こす」

ここで、第1話:「流れを変える」は、利根川東遷の話(*1)です。秀吉の小田原攻めの際に、秀吉は家康に、北条氏の旧領である関東八カ国を与える代わりに、現在の所領、駿河、遠江、三河、甲斐、信濃を差し出すように命じます。
これを承諾した家康は、江戸・千代田の地に住まい、伊奈忠次の案により利根川の流れを変えて、水浸しの江戸の地を干そうとします。
このあたりは、現在から昔を推測した傾向があり、始めからそのような雄大な意図を持っていたかどうかは疑問なのですが、家康個人に結びつけることによって、お話としては面白くなった面があるでしょう。

第2話:「金貨を延べる」は、後藤庄三郎と小判の話。家康が秀吉に願って、貨幣鋳造役の後藤家から名代が到着しますが、関東があまりに田舎なので、橋本庄三郎という職人を置いてさっさと京に帰ってしまいます。庄三郎はようやく実力を発揮できるようになり、十両の大判ではなく、使い勝手の良い一両の小判の鋳造を始めます。いろいろあって、関ヶ原の決着がついた直後に、京都に高札を立てた庄三郎の行動は、なかなか読ませる場面です。

第3話:「飲み水を引く」。湿地は多いが良質の飲料水は乏しかった江戸に、上水道を引く話です。江戸の水道インフラの整備が後の百万都市の基礎になったことを思えば、溢れる水を制御する工夫は、たんなる水力学上の意義にとどまらないでしょう。

第4話・第5話も面白いのだけれど、城や天守の話はいまひとつピンときません。やっぱり多くの人々の生活に直結する土地や貨幣経済や上水道の話のほうが興味深いです。さらに言えば、下水道の代わりに整備された人肥リサイクルのしくみは、徳川の誰の時代に、どなたが考案したものか?そんな方向に興味が向かいます。「天守は不要」、同感。まあ、理想的には城自体が不要な方が望ましいのですが(^o^)/

(*1):利根川の東遷、荒川の西遷〜東京の川と橋

【追記】
なんでも、NHK の正月時代劇でこの作品を取り上げるのだそうです。調べてみたら、そのとおりでした。放送予定は1月2日と3日の21:00〜22:13、2夜連続。お正月が楽しみになりました。
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山野辺太郎『いつか深い穴に落ちるまで』を読む

2018年11月21日 06時01分27秒 | 読書
雑誌『文藝』の新人賞受賞作品で、山野辺太郎『いつか深い穴に落ちるまで』を読みました。理系的センスで言えば荒唐無稽でも、小説的面白さの観点からは、ある意味、痛快な話です。

戦後のある時期、ある官僚の発案で、日本から地球の裏側にトンネルを掘る計画が立てられ、なんともはや、その計画は実際にスタートしてしまいます。山梨県からブラジルへ、温泉を掘削するというような偽装をしながら実際に温泉を掘り当てたりしつつ、穴は深部へ延びていきます。逆にリオ・デ・ジャネイロ側からも着々と掘り進められているのだそうで、広報係のもとへリオの広報担当の女性からメールも届きます。このあたり、歴史の大雑把な輪郭をたどりながら、地球深部には高温のマントル層があるという地球科学の知識などは一切無視して、ついに深い穴は貫通の時を迎えます。

この時点で、結末を予想してみました。おそらくは、男が穴に飛び込んで、地球中心部までは加速しつつ落下するけれど、地球の中心を過ぎれば引力のために次第に減速し、リオ側の穴から飛び出すことが出来ず再び落下していき、日本とブラジルの間で振り子運動を繰り返す、というオチではなかろうか?

残念ながら、実際の結末はまるで違いました。物理学の法則などまるで無視して、地球の中心を過ぎてもぐんぐん加速を続け、やがてリオの側で受け止めようと網を張っていたのも突き破り、宇宙空間へピューン!(^o^)/
そうか、ブラジルでは重力が反対向きに働いているんだ。すると、ブラジルではリンゴは上方に落下するんだ(^o^)/



作者は、たぶん意図的に地球科学や物理学的制約を外し、想像のおもむくままに物語を作り上げたのでしょう。ライトノベルの魔法や転生や、ありえない想定と根っこは一緒です。想像のおかしみ、真面目な相貌を持つ破天荒な空想力。深読みして、何か別なふうに読み解こうとすることもできるでしょうが、この作品の「呆気にとられる」ほどの可笑しさを楽しむことといたしましょう(^o^)/

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池井戸潤『下町ロケット・ガウディ計画』を読む

2018年10月24日 06時03分53秒 | 読書
小学館文庫で池井戸潤著『下町ロケット・ガウディ計画』を読みました。2012年の冬に、前作『下町ロケット』を読んで(*1)から、もう六年以上経っていることに驚きながら、佃製作所に舞い込んできた謎のバルブ部品の試作の話を読み始めたら、もう大変、思わず引き込まれて一気に読んでしまいました。

今回の話は、帝國重工に継続して納入しているロケット用バルブ部品の話にも、新規に試作依頼があった人工心臓「コアハート」のバルブ部品の話にも、共通して絡んでくるライバル企業サヤマ製作所との軋轢です。佃 vs サヤマ。経歴も社風も考え方も違う対立に加えて、貴船 vs 一村 という医科大学の心臓血管外科の医師どうしの対立もあり、以前の帝國重工におけるトラブルで佃製作所を憎んでいる者や、許認可権限をかさに威張る役所の人間なども、複雑な動きをします。そういったしがらみの中にあって、娘を失ったサクラダの社長の思いや佃製作所の若い社員たちの奮闘など、思わずじんとくる場面もありました。

あらすじを追うことは、これから読む方々にとってはせっかくの作品の興趣を損ねる面がありましょうから割愛いたしますが、思わず一気読みしてしまう面白さでした。



心臓外科手術といえば、先年老母の経カテーテル大動脈弁置換術に立ち会う経験(*2)をしたばかりです。トイレに行くためにわずかな距離を歩くにも、途中で一休みしなければいけなかったのに、手術後は90歳を過ぎてなお、再び畑に出て二時間程度の畑仕事で野菜作りを楽しめるようになっています。大動脈弁と言えば、まさにこのバルブに相当するものではなかろうか。たかがバルブ、されどバルブなのです。心臓という収縮型ポンプシステムのキー・デバイスと言っても良いでしょう。その意味でも、リアルに面白く読むことができました。

(*1):池井戸潤『下町ロケット』を読む~「電網郊外散歩道」2012年2月
(*2):リアルタイムに見る経カテーテル大動脈弁治療(TAVI)に感動する~「電網郊外散歩道」2017年7月

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乃南アサ『六月の雪』を読む

2018年08月20日 06時03分53秒 | 読書
文藝春秋社の単行本で、乃南アサ著『六月の雪』を読みました。奥付を見ると2018年5月刊の第1刷とありますので、まだバリバリの新刊です。著者は女子中高等学校から早稲田の社会科学部に進み中退、広告代理店勤務を経て作家生活に入った方のようで、今度のオリンピックの年あたりに還暦を迎える世代のようです。

主人公・杉山未來は、声優の夢破れ、契約社員として三年間地味に働き、契約最終日を迎えます。同居の祖母とささやかな宴を開こうとした未來は、生まれ故郷の台湾の夢を見て当時の写真を探そうと階段を踏み外し頭を打って入院した祖母のために、昔の生家を探そうと台湾に出かけます。案内してくれるのは、父の教え子らしい台湾女性、李怡華です。愛想のない彼女と台南の旅をスタートしますが、翌日、李怡華は都合で帰らなければいけないとのこと。代わって紹介されたのが洪春華という女性で、言葉遣いが悪いけれど悪い人ではなさそうです。

洪春華は、台南の歴史的建造物に強い楊建智や、彼の高校時代の歴史の先生・林賢成とともに、未來の祖母の記憶にある旧台南第一高等女学校や、曽祖父が勤めていたという三井の製糖試験所とその社宅を探します。
ここからは、台湾の歴史を織り交ぜながら、未來の家庭の事情や台湾で出会う人々の一筋縄ではいかない人生を垣間見る展開となり、ミステリー風ロードムービーの趣があります。日本語のわかる彼らと一緒だったから、なんとか祖母の記憶にある家や「六月の雪」という欖李花の花も探し当てることができました。



日本の植民地だった時代、蒋介石がやってきた戒厳令の時代、蒋経国から李登輝(*1)に交代した時代。台湾の歴史は、感情を表に出さない国民性を作ったと李怡華は言います。同じ家族であっても、世代によって台湾語、日本語、中国北京語と異なる言語を話すという事情は、温又柔さんの本(*2)でも承知していましたが、また別の角度から再確認しました。

未來が中国語を学ぼうと台湾に語学留学を決意するあたりは、ごく自然に納得しましたし、林先生と親密になりそうなハッピーエンドの展開も予想できたのに、バイタリティあふれる洪春華のオートバイ事故という結末は、ちょいと衝撃的でした。久々に、良い物語を読んだと感じました。最初、「のなみ」という読み方すらわからなかった乃南アサという作家の作品は初めて読みましたが、なかなかおもしろかった。

(*1):李登輝『台湾の主張』を読む〜「電網郊外散歩道」2016年9月
(*2):温又柔『台湾生まれ日本語育ち』を読む〜「電網郊外散歩道」2016年4月
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高橋弘希『送り火』を読む

2018年07月30日 06時02分05秒 | 読書
俊英による芥川賞受賞作ということで、高橋弘希著『送り火』(文藝春秋社)を読んでみました。導入部は、東京から青森県の山間の町に引っ越してきた中学三年生の男の子が、新しく住まいとなった一軒家になじみ、翌年には廃校となる予定の中学校のクラスに入っていく様子が描かれます。わずか六人しかいない男子生徒たちの中で、花札でナイフを盗む役割を決める場に居合わせたことから打ち解けていく、というのは実に大きな一歩だったのでしょう。

なんぴとも、悪を見て、あえてこれを選ぶわけではない。むしろ、それをより大きな悪と比べて善であるかのように思い、これに惑わされて、悪を追い求めるのである。  『エピクロス~教説と手紙』より

あとは、予想通り、いじめと暴力、その暗転としての見境無しの反撃までが、気持ちの悪い「伝統」を背景に描かれます。たしかに、言葉によって描写されるシーンは凄惨で、思わず息をのむすごさがあります。ただし、こんなこともふと思ってしまうのです。

この物語は、ドーナツ化現象でやがて廃校となる予定の都会の学校へ、田舎から転校してきた中学生が、かつて巨大なスーパーだった建物が空きビルとして放置されている場所を舞台として遭遇する出来事としても成り立ちます。昔ながらの伝統として弱いものをいたぶるのは、地元の暴走族でも設定できるでしょう。作者はなぜ津軽地方を、広く言えば田舎を舞台に選んだのか。それはたぶん、作者自身が田舎の出身であり、土俗的な背景を描きやすかったのと、田舎=遅れた封建的因習にまみれた地域としてとらえるステレオタイプな通念、都会を、繁栄と虚飾の影に大きな社会悪を宿しているとはとらえていない、そういう通念に合わせただけなのではないかと思ってしまいます。



正直に言って、先に読み終えた北條裕子『美しい顔』にしろ本作にしろ、おそらく二度と読み返すことはないでしょう。野暮天理系人間には、芥川賞作品はますます合わなくなってきている(*1)のかもしれません。並行して読んでいる柏原宏紀著『明治の技術官僚~近代日本をつくった長州五傑』(中公新書)がおもしろいだけに、よけいに辛口になってしまいました。

(*1):アクタガワ賞とナオキ賞~「電網郊外散歩道」2012年3月

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伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』を読む

2018年06月21日 06時03分00秒 | 読書
新潮文庫で、伊坂幸太郎著『ゴールデンスランバー』を読みました。元宅配マンで、数年前にアイドルが暴漢に襲われているところを助けたことで一躍有名になった主人公・青柳雅春は、現在はバツイチで失業中。学生時代の友人である森田森吾と会い、初の公選首相である金田貞義の暗殺で濡れ衣を着せられると告げられ、青柳は逃げることができましたが、森田自身は爆殺されてしまいます。

そこから始まる逃亡のドラマは、仙台市内に張り巡らされたセキュリティ・ポッドのために、携帯電話を使うたびに居所を突き止められ、間一髪で逃れるという繰り返しで、主人公の学習能力が低いのではないかとはらはらします。はたしてこの結末はどうなってしまうのかと思わず夢中になってしまう作品。2008年の本屋大賞受賞作で、映画化もされているようです。



「逃亡」のドラマとしては、吉村昭『逃亡』というのもありました(*1)が、なんといっても子供の頃に面白く観ていたテレビドラマ「逃亡者」の記憶が鮮やかです。

リチャード・キンブル。職業:医師。正しかるべき正義も、、時として盲(めし)いることがある。彼は、身に覚えのない妻殺しの罪で死刑を宣告され、護送の途中、列車事故に遭って辛くも脱走した。…(中略)…彼は逃げる。執拗なジェラード警部の追跡をかわしながら、現在を、今夜を、そして明日を生きるために。

この時代の逃亡のドラマは、まだ途中で医者として人助けをする余裕がありました。しかしながら、現代においては「逃亡」はもっとずっと難しくなっているようです。携帯電話や監視カメラが広汎に普及し、「似ている」「おかしい」という理由ですぐに通報されてしまいます。本作のように、仲間に助けてもらう話ならばともかく、とても昔のような人助けを重ねるヒューマン・ドラマにはなりえないようです。

(*1):吉村昭『逃亡』を読む~「電網郊外散歩道」2011年11月

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三浦しをん『まほろ駅前番外地』を読む

2018年05月17日 06時05分16秒 | 読書
文春文庫で、三浦しをん著『まほろ駅前番外地』を読みました。『まほろ駅前多田便利軒』の続編というか、サイドストーリーのような位置づけのようです。

第1話:「光る石」
第2話:「岸良一の優雅な日常」
第3話:「思い出の銀幕」
第4話:「岡夫人は観察する」
第5話:「由良公は運が悪い」
第6話:「逃げる男」
第7話:「なごりの雪」

現行作品の場合、あらすじを忠実に追うとネタバレになってしまいますので、読んだ人ならわかるかも、というような形でコメントしたいと思います。

第1話:こういう女性の競争心、対抗心って、コワイですね〜(^o^;)>poripori
第2話:どんなに日常が優雅であろうと、千枚通しをほほに突き刺すようなこういう残虐性はキライです。作者の感性は、どうも人畜無害なワタクシとは合わない面があるようです(^o^;)>poripori
第3話:曽根田のバアちゃんの若い頃の話。
第4話:高校の同窓会の件で多田と行天が仲違いをし、岡家の依頼仕事で岡夫人に仲裁され叱られる話。ふーむ、岡夫人は作者の理想像なのかも。
第5話:これも都会の裏面の話。当地のようなど田舎では無縁の世界。
第6話:依頼内容が遺品の整理でも、ここまで徹底していると、異常性が際立ちます。まだ若い未亡人は、敏腕女社長。刑事コロンボなら事件性を嗅ぎつけるところでしょうが、このお話ではそうではなかったようです。
第7話:どうもこの1編の中に、次の『まほろ駅前狂騒曲』の発端があるようです。



本作における作者の基本は「逆説」なのかもしれません。本当はこうだった、みたいな逆説を物語として具体化する実験なのでしょうか。面白いのだけれど無理があると感じる面もあります。逆説のほうが本当らしいと思えるのは、若いうちだけなのかも。

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三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』を読む

2018年05月12日 06時02分11秒 | 読書
文春文庫で、三浦しをん著『まほろ駅前多田便利軒』を読みました。だいぶ前に、図書館で単行本を借りて読み終えています(*1)ので、今回は再読になります。なんとなく記憶にありましたが、まったく忘れているところもありました。構成は、

第1話:「多田便利軒繁盛中」
第2話:「行天には、謎がある」
第3話:「働く事は、満身創痍」
第4話:「走れ、便利屋」
第5話:「事実は、ひとつ」
第6話:「あのバス停で、また会おう」

というものです。

主人公:多田啓介は、子供を亡くし離婚歴のある、中年とまではいかないがもう若いとは言い難い年齢の便利屋稼業。曽根田のバアちゃんを見舞うという「仕事」を請け負い、帰りに高校時代の同級生・行天を拾います。この行天君、なんとも仰天な性格と言動ですが、やっぱり離婚歴があり、子供が一人いるみたい。

で、東京の南西部、神奈川県に接する架空の街まほろ市で、多田と行天の同級生コンビが様々な依頼を請け負い、なんとか解決していくという流れになっています。登場するのが娼婦やチンピラ、ヤクザ、可愛げのない小学生、偏屈老人に行天の元妻の医師、というもので、いずれも一筋縄ではいかない顔ぶれです。

これがパブリックドメインになっている作品ならば、盛大にネタバレでも良いのでしょうが、現行作品ならばそういうわけにもいかないでしょう。なかなかおもしろかった、とだけ記しておきましょう。



個人的には、タバコを意味ありげに描くシーンはあまり好きではない。若い頃、長く続く咳に苦しんでいる時に、もうもうと紫煙うずまく部屋での会議を強制され、会議中禁煙を提案してもあっさり否決された(*2)のを根に持っているわけではない……いや、あるな(^o^)/
このシリーズの表紙にタバコの絵が登場するのは、某タバコ会社から宣伝費用でも出ているのでしょうか(^o^)/

(*1):自分で購入する本と図書館から借りる本〜「電網郊外散歩道」2014年5月
(*2):岩波新書で小林博著『新版・がんの予防』を読む〜「電網郊外散歩道」2009年3月
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石井遊佳『百年泥』を読む

2018年05月02日 06時04分58秒 | 読書
雑誌『新潮』の2017年11月号で、新潮新人賞発表として掲載されていた、石井遊佳著『百年泥』を読みました。どうやらこの作品は、第158回芥川賞の受賞作らしい。



最も印象的なエピソードは、ある少女の母親が肝臓を病んで亡くなり、これを火葬し川に流すために旅をしますが、山岳道路の土砂崩れのために遠回りを余儀なくされ、火葬費用が足りなくなってしまいます。旅行者に目星をつけて、窃盗で賄おうとするのですが、日本人旅行者(観光客)のエピソードが切なくていい話です。1970年の大阪万博のコイン! そんな時代があったなあと思わず遠い目になってしまいます。ふだん読んでいる小説とはだいぶ趣を異にしていますが、面白く読みました。

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山本一力『牛天神』を読む

2018年04月15日 06時01分54秒 | 読書
文芸春秋社の単行本で、山本一力著『牛天神』を読みました。『損料屋喜八郎始末控え』シリーズ中の一冊のようですが、第何作目になるのかは不明です。2018年1月刊の第1刷と奥付にありますので、最新刊であることは間違いありません。



大事に育てられ、性根も悪くないのですが、質屋の小島屋の跡取り息子はどうも今一つ物足りず、遊郭遊びが過ぎるのです。小島屋は、背中合わせで損料屋を営む喜八郎のところに相談、別々に調理することで素材の味を引き出すという潮汁の味がヒントになり、小島屋の与一朗を二年間だけ喜八郎が預かり、その後、小島屋に返すということで話はまとまり、与一郎は損料屋の一員として働き始めます。このあたり、どうも子供を大事に育てることの良い面と物足りない面を表しているようですが、ご当人のボンボン与一朗の目は必ずしも節穴ではなかったようで、佃町の二千坪の広大な火除け地を買った問屋・堂島屋の二番番頭・伊五郎の横柄な注文を断ります。その後の成り行きを見ると、どうも与一朗の判断こそが正解だったみたい。

堂島屋を動かした黒幕は実は別にいて、その男・鬼右衛門こそ、深川に恨みを残す福太郎の別名でした。鬼右衛門の執念は、いったんは深川っ子たちの結束の前に敗れ去りますが、鬼右衛門らは筋書きを描いた者として喜八郎、喜八郎に思いを寄せる秀弥、北町奉行所の秋山順生とのつながり等をつかみ、復讐のために動き出します。はたして防ぐことはできるのか、というミステリー風仕立ての物語となっています。なかなかおもしろく楽しみました。

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遊学館ブックス『小説にみる山形』を読む

2018年04月11日 06時02分15秒 | 読書
遊学館ブックスで、『小説にみる山形』を読みました。平成29年12月15日発行と奥付にありますので、ほんとに出たばかりの最新刊です。遊学館というのは、山形県立図書館などが入っている建物のことで、ここで「山形学」だとか「小説になろう」講座などがずっと開催されてきました。今回の『小説にみる山形』は、平成28年度の「山形学」講座やフォーラム等のテーマに基づき編まれた冊子で、次のような構成になっています。

フォーラム「文学にみる山形」 鼎談:佐伯一麦、小池昌代、池上冬樹
講座「小説にみる山形」
1. 語られた人物  髙橋義夫、鈴木由紀子
2. 藤沢作品に描かれた舞台を歩く  松田静子、中里健
3. 「怪異と伝承」の謎  黒木あるじ、佐藤晃
4. 作家はふるさとの山形をどう描いたか  石川忠司、森岡卓司
5. 井上作品・浜田作品の原点を訪ねる  阿部孝夫、樋口隆



今回、とくに興味深かったのが、「ないた赤おに」の作者・浜田廣介が、晩年になって色紙によく書いていたという言葉、

強くやさしく男の子、やさしく強く女の子

あるいは、

ほしいもの 冬の炉ばたのあたたかさ もうひとつ 人の心の温かさ

など、この年齢になってしみじみといい言葉だなあと感じられます。あるいはまた、晩年の詩

 道ばたの石

道ばたの石はいい
いつも青空の下にかがみ
夜は星の花をながめ
雨にぬれても風でかわく
それにだいいち
だれでも腰をかけてゆく

などという境地に、思わずほっとしたりします。

童話的などと軽々しく言うことはできません。藤沢周平と同様に、浜田廣介もまた不幸な厳しい前半生を過ごした人でしたから、人のあたたかみに感じるところが大きかったのでしょう。

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箒木蓬生『悲素』(下巻)を読む

2018年03月23日 06時03分19秒 | 読書
和歌山毒カレー事件の背後にある複数の事件は、いずれも容疑者の周辺で起こり、多額の生命保険がかけられるなど不審な点が多いことが判明していきます。無味無臭というヒ素の毒の特徴から、食中毒やその他の病気と診断され、毒殺・変死とはみなされなかった。それが、犯人を増長させることになってしまった、ということでしょう。

しかし、毒カレー事件により県警の捜査が入り、容疑者周辺の過去の疑惑にも調査の手が伸びて、九大医学部の沢井教授の診断で、いずれも典型的なヒ素中毒であることが明らかになります。容疑者に毒を盛られた元従業員の生存者が、様々な証言をしてくれたことで、多額の生命保険を詐取する事件の構造が浮かび上がります。

下巻の後半は、裁判の経過が中心となりますが、素人にはどうにもじれったい応答が続きます。仮にも人が人を裁くわけですから、丁寧な審理が必要だということはわかりますが、常識では理解しがたい面も少なくなく、読み続けるにはだいぶ辛抱が必要でした。それでも、一審判決の三ヶ月後に沢井教授が定年で九大を退官した際の、捜査を担当した刑事からの手紙には心を打たれます。



犯人の心理を、どう理解すればよいのか。おそらくは、毒殺魔の心理状態として「仮想的な万能感」を想定することは当たっている面が大きいのでしょう。人の生死を握っている、あるいは自分のさじ加減で人の生死を決めることができ、誰も自分の犯行を明らかにすることができないという感覚。取材する記者たちに対する傲慢な態度も、そのあたりの反映だったのかもしれません。

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