電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

母屋の書棚を整理・処分していて見つけたもの

2016年01月31日 06時04分29秒 | 料理・住まい
昨年の暮れ以来、母屋の書棚の本を大整理・処分しているうちに、亡父が買い求めたらしい永井隆選集が見つかりました。氏は、もともと放射線が専門で、長崎で被爆者の診療に当たった医師だそうですが、子供の本で『この子を残して』なども一緒にあるところを見ると、救援のために入った広島で入市被曝し、原爆症を自覚していた亡父が関心を寄せていたらしいことがわかります。もちろん、原爆は神の恩寵というような氏の極論に共感したとは思えないのですが、私も『村医』などは若い頃に取り出して読んだ記憶があります。



記念に写真を撮って処分するつもりでおりましたが、並べて写真を撮っているうちに、なんだか泣けてきてしまいました。これは、とても処分できません。もう少し、保留することにします。

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来年度も仕事を続けることに

2016年01月30日 06時05分23秒 | Weblog
還暦を契機に、一度は定年退職をしたのでしたが、ご縁があり今の職場に再就職しました。幸いに楽しく勤めることができており、ありがたいことです。この三月で満三年が過ぎようとしていますので、来年度はどうするのか考えておりましたが、引き続き仕事を続けられることになりました。もうしばらく、音楽を友として、県都への通勤が続きます。安全運転でいきましょう。

ということは、週末農業のほうも、しばらくは現状のままに継続することになります。最近は、サクランボだけでなく桃がちゃんとできるようになりましたので、嬉しくやりがいがあります。サクランボと時期が重複するスモモ等は減らして、6月のサクランボ、8~9月の桃、10月のリンゴというふうに、時期を分散して負担軽減を図りたいと考えています。

写真は、テーマとは関係なく、昔のオーディオ・カタログから、ある時期のオンキョーの製品です。オンキョーは、この頃からおしゃれなミニコンポ的な志向があったのですね。

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山形弦楽四重奏団第58回定期演奏会でハイドン、シューベルト、バルトークを聴く

2016年01月29日 20時35分36秒 | -室内楽
久々に平日の開催となった山形弦楽四重奏団の第58回定期演奏会には、仕事でちょいと残務整理をしてから食事を済ませて行きましたので、18時50分頃に、いつもの会場である文翔館議場ホールに到着しました。ヴィオラの倉田譲さんの解説が佳境に入っており、笑い声もして、なんだかだいぶウケているようでした。シューベルトの弦楽四重奏曲は、第11番あたりまでは家庭音楽として書かれており、お父さんのチェロがあまりうまくないようで、ヴィオラが補助する形になっていること、バルトークの弦楽四重奏曲は、若い頃はあまり好きでなかったのだけれど、年齢とともに共感できるようになったこと、その意味では年をとるのも良いことかも、というようなお話でした。



そっと席について聴衆の入りを見ましたが、おおよそ50いや60人くらいでしょうか、さすがにいつもよりは少ないようです。それでも、真冬の平日という条件と

  1. ハイドン 弦楽四重奏曲 ハ長調 Op.54-2
  2. シューベルト 弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 D.87
  3. バルトーク 弦楽四重奏曲第2番 ハ短調 Op.17 Sz.67

という、およそポピュラリティからは遠い曲目を思えば、よくぞこれだけの人数が集まるものだということも言えるかも(^o^)/

さて、演奏が始まります。第1曲目は、ハイドンの作品54-2です。第1楽章は、いかにもハイドンらしい闊達な印象。第2楽章:アダージョは、ラプソディックと言うのかジプシー風というのか、第1ヴァイオリンがかなり自由に歌います。第3楽章:メヌエットは、アレグレットで続けて演奏されます。第4楽章:フィナーレ、アダージョ~プレスト。始まりはゆっくりと、2nd-Vn、Vla、Vcの響きの上で展開される1st-Vnの旋律が魅力的です。一転して速いテンポで演奏されます。

2曲目は、シューベルトの第10番。第1楽章:アレグロ・モデラート。なるほど、言われてみればヴィオラとチェロの動きが重なるところが多いようです。第2楽章:プレスティッシモ。いかにも家庭音楽らしいユーモアでしょうか。第3楽章:アダージョ、柔和で優しい音楽です。第4楽章:アレグロ。残念、このあたりで気持ちよくなってしまい、意識と記憶が飛びました(^o^;)>poripori

ここで10分間の休憩です。

休憩の後は、バルトークの第2番です。この曲は1917年に完成されたそうで、三つの楽章からなり、緩ー急ー緩のスタイルに属すると言ってよいのでしょうか。
第1楽章:モデラート。チェロの音に注目して聴きました。ヴァイオリンの不協和な響きにとらわれがちになりますが、チェロの動きが音楽のベースを作っている面があるようで、いい音、いいリズム、いい響きです。第2楽章:アレグロ・モルト、カプリチオーソ。なるほど、カプリッチョですね~。ただし、バルトーク風味ですが(^o^)/ リズムといい、響きといい、活力が感じられます。ピチカートの連携プレーもバッチリです。第3楽章:レント。二本のヴァイオリンによって始まります。ゆっくりとしたテンポで、微妙にずれた響きや不協和な響きを楽しみます。でも、バルトークの音楽としては、まだまだ旋律的な聴きやすさがありますね~。

拍手に応えて、アンコールは J.S.バッハの「フーガの技法」から。2nd-Vn、1st-Vn、Vc、Vla の順に始まり、同じ旋律を無限に追いかけているような音楽。弦楽四重奏で聴くのも、良いですね~。

次回の担当の今井東子さんが、第59回定期演奏会のお知らせをアナウンスしてくれました。4月24日(日)、文翔館、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第12番、池内友次郎、ハイドンのOp.76-6というプログラムだそうです。さっそくプログラムにメモしました。



帰路、バルトークの弦楽四重奏曲全集のCDを聴きながら運転している間に、バルトークの音楽についてつらつら考えました。バルトークの音楽を演奏する方も聴く方も、その音楽を受け入れ、理解するには、精神的なスタミナというか強靭さを必要とするのではないか。身も心も疲れ果てていて、「パトラッシュ、僕はもう疲れたよ」状態では、バルトークの音楽の、たたきつけるようなエネルギー、激しいリズムなどを受け入れるのは難しく、生の活力のようなものが必要なのかもしれません。でも、弦楽四重奏曲の第1番や第2番は、意外に聞きやすく、おもしろかったと思います。ただ単に、CDで聴いているだけでは得られない、実演ならではの面白さを感じました。

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紙の資料がこれほどたまった理由

2016年01月28日 06時05分54秒 | 手帳文具書斎
書棚の大整理をして、紙の資料の量にいまさらながら驚きました。単純に捨てられるものもあるけれど、内容的に微妙なものも含まれている可能性もありますので、少しずつ点検しながら、残すものと捨てるものとを選別していきました。自室のものはだいたい終わったのですが、紙の資料がこれほどたまってしまった理由は何だろう?

それは、たぶん「これは○○に関係がある、一応保存しておこう」というふうに、中身を吟味せずに「関係がある」だけで保存してしまったからでしょう。中には何度か利用して役に立ったものもありますが、大部分は保存するだけで終わってしまいました。まあ、役に立ったものがあっただけでも良しとしなければならないのでしょう。おそらくは、ハードディスク内にもそうしたファイルがたくさんあるのでしょうが、物理的なスペースが問題にならないために、意識されることが少ないだけなのかもしれません。

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ブラームス「ヴァイオリン・ソナタ第2番」を聴く

2016年01月27日 06時03分20秒 | -室内楽
このところ、ヘンリク・シェリングのヴァイオリン、アルトゥール・ルービンシュタインのピアノで、ブラームスの「ヴァイオリン・ソナタ第2番」を聴いております。

ヘンリク・シェリングは、私の若い頃にはレコード会社のドル箱スターの一人であり、廉価盤中心の購入希望リストには登場しないバイオリニストでした。当時のレコード雑誌の新譜評などを読むと、シェリングの演奏は「精神性」が高く、その反面、例えばルッジェーロ・リッチなどの演奏は技巧ばかりで空疎だ、といったような言説がまかり通っておりました。もちろん、今はリッチの演奏が空疎だとは思いませんけれど、たまにFM放送などでJ.S.バッハの無伴奏や、ヴァルヒャとのソナタなどを耳にする機会はあっても、じっくり繰り返し聴く機会には恵まれず、シェリングはいつしか忘れ去ってしまった演奏家でありました。

ところが、時は流れて私自身が還暦を過ぎた頃に、シェリングの録音の一部がパブリック・ドメインになっている(*1)ことを知り、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集を入手することができました。これまで主として聴いてきたのは、イツァーク・パールマン(Vn)とウラディミール・アシュケナージ(Pf)によるEMI録音です。やわらかく優しい表情のパールマン盤にくらべて、シェリングとルービンシュタインの演奏の、表情がずいぶん厳しくいかめしいことに驚きます。別の言い方をすれば、愛想のない表情と言ってもよいかもしれない。ルービンシュタインに対して、正々堂々とわたりあっている感じもします。なるほど、当時の評論家氏は、こういうのを「精神性」と評していたのだな、と理解しました。

■シェリング(Vn)、ルービンシュタイン(Pf)盤
I=8'16" II=6'06" III=5'49" total=20'11"
■パールマン(Vn)、アシュケナージ(Pf)盤
I=8'20" II=6'41" III=5'08" total=20'09"



パールマン盤に添付のリーフレットの解説によれば、ブラームスのこのソナタは、トゥーンに滞在中であった1886年の夏に作曲されたもので、この時期の平安と充実を反映するものなのだとか。そうであれば、シェリング盤のほうは、もう少し柔和な表情でも良さそうに思いますが、反面、いかめしい表情の中にチラリと見せる含羞こそブラームスにふさわしいと思ったりもします。おもしろいものです。

(*1):シェリング/ブラームス「ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調Op.100」~クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~より

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演奏家と車

2016年01月26日 06時02分58秒 | 散歩・外出・旅行
演奏家と車というのは、意外に密接な関係があるようです。大切な楽器を抱えて、満員電車で演奏会場に向かうのは恐いし、演奏以前に気力・体力の面で問題がありすぎます。その点、マイカーであれば、楽器も衣装も一緒に運ぶことができるでしょう。また、家族の送迎など、実用的な意味でも大切な相棒になるのではないかと思います。当地に在住の演奏家の皆様も、雪道の運転に難儀しながらも、自宅から演奏会場へ車で直行する方々も少なくないのでは。

そういえば、先年、山形交響楽団の「アマデウスへの旅」第19回演奏会(2013年6月)に出演し、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第1番を演奏した後に、昨年2月には池辺晋一郎さんと飯森範親さんと三人による鼎談&モーツァルトのソナタ等の演奏を聴いたヴァイオリニストの松田理奈さんは、真っ赤なデミオに乗っているそうな(*)。

松田さんだからマツダ車に乗るのは、語呂合わせの点からも別に不思議ではないのですが、イザイの無伴奏のCDも購入してよく聴いている松田理奈さんが、同じ真っ赤なデミオに乗っているというのは、ちょいと親近感を感じます(^o^)/

当方のマツダ・デミオXDも、もうすぐ登録して一年になります。この冬も無事故で乗り切り、なんとか輝くような春を迎えたいものです。

(*):ヴァイオリニスト松田理奈×MAZDA DEMIO~マツダのWEBサイトより

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佐伯泰英『旅立ノ朝~居眠り磐音江戸双紙(51)』を読む

2016年01月25日 06時01分44秒 | -佐伯泰英
豊後関前藩の三人の若者が互いに斬り合うはめに陥った『陽炎ノ辻』以来なんと50巻も読みつづけてきた佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙』シリーズの最終巻、51冊目の『旅立ノ朝』を読みました。



第1話:「見舞い」。坂崎磐音の一家は、豊後関前藩に到着、父・坂崎正睦を見舞います。藩主が隠居を許さないため、正睦は国家老の席を辞することができません。しかし、正睦の病気療養の間に勢力を蓄えてきた中老の伊鶴儀登左衛門が藩政の実権を握ろうとしている、というのが本巻の状況のようです。
第2話:「思い出めぐり」。病床の正睦は、孫の空也が示す直心影流の法定四本之形打太刀を見て生気をよみがえらせます。一方、中老の伊鶴儀登左衛門は、藩主の側室お玉の子の実継を擁して藩の実権の乗っ取りを策している模様。双子の刺客を空也が倒し、親子は奈緒の紅花の畑が広がる花咲の郷を目指します。
第3話:「関前の紅花畑」。奈緒母子に霧子が手伝いに加わり、ようやく順調に栽培できるようになった紅花畑を前に、磐音ら親子と奈緒母子、重富利次郎・霧子らは夕食を共にします。磐音たちが帰った後を、伊鶴儀配下の者たちが襲撃しますが、利次郎と霧子、空也までが残っていたとあっては、襲撃者たちもかなうわけがありません(^o^)/
どうやら、伊鶴儀登左衛門の切り札の男は、坂崎磐音に深い怨みを持つ者のようです。ハハーン、もしかするとあの人かな?
第4話:「寛政の戦い」、第5話:「最後の戦い」。国家老・坂崎正睦が動きます。藩士らに総登城を告げる触れ太鼓が鳴らされ、中老・伊鶴儀一派との対決となりますが、ここから後は実際に読んでからのお楽しみということで、あらすじを追うのは止めましょう(^o^)/



この長い物語を、作者はどうしめくくるのか、興味深い結末はなかなか後味の良いものでした。春風駘蕩が持ち味の主人公が悲劇で終わっては話が台無しですし、かといって単に刺客を倒し続けて終わりでは竜頭蛇尾の感を免れません。豊後関前藩の陽炎の辻で始まった物語を再び同じ地で閉じるという円環を、主従あるいは親子の世代交代という手法で後に続くらせん状の物語に転じることで、作者は余韻を残す結末に変えてしまいました。こういう作劇術の点からも、最終話をおもしろく読みました。

あとは、全巻一気再読というお楽しみが待っていますが、しばらくは雪かきと母屋の書棚の整理処分などに追われて、まだまだ先になりそうです。

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UTF-8で記録した備忘録ファイルをWindows7/8のDOS窓で処理する方法

2016年01月24日 06時05分10秒 | コンピュータ
1989年からずっと、テキストファイルで備忘録を記録してきました。当時はMS-DOS環境でしたので、テキストファイルの文字コードはShift-JISでした。Windows3.1/95/98/2000さらにXPでも、基本的に文字コードはShift-JISで共通でした。この頃、Vine-Linux も併用していましたが、こちらは文字コードが EUC が基本で、テキストデータ処理の際には、nkfで文字コードや改行コードなどを変更する必要がありました。その後、Ubuntu-Linuxを中心に使うようになり、文字コードは UTF-8 になりました。幸い、Windows7/8 でも文字コードはUTF-8でしたので、Ubuntu でも Windows でも、同じUSBメモリに文字コードを意識することなく記録することができました。これをテキストデータ処理で利用するには、Ubuntu上でawkスクリプトで十分に間に合いました。

ところが、新調したWindows7/8のパソコンのDOS窓では、テキストエディタを用いて UTF-8で記録したテキストファイルを gawk 等で処理することができません。Windows7/8のDOS窓では、従来のWindowsとの互換性のために、Shift-JISコードのテキストファイルしか扱えないようなのです。では、WindowsのDOS窓で備忘録ファイルをテキストデータ処理するにはどうすればよいかというと、これは要するにnkfコマンドでSHIFT-JISコードに変換してから処理すればよい、ということになります。たとえば、nkf32.exe をダウンロードしてパスの通ったディレクトリに置き、 nkf.exe にリネームしておきます。また、gawk for Windows も同様にダウンロードして gawk.exe をパスの通ったディレクトリに置いておきます。その上で、

> nkf book.awk > booksj.awk
> nkf memo2015.txt > tempsj.txt

のようにスクリプトファイルとデータファイルを準備しておき、

> gawk -f booksj.awk tempsj.txt | sort > booksj.txt

のように処理すれば、Shift-JIS コードで書かれた一年間の読書記録の日付順リストが得られます。その結果は、次の通り。


117冊
2015/01/04 佐伯泰英『失意ノ方居眠り磐音江戸双紙(47)』読了
2015/01/06 山本一力『ジョン・マン~望郷編』再読了
~略~
2015/12/19 宮城谷昌光『楽毅(三)』再読了
2015/12/23 宮城谷昌光『楽毅(四)』再読了


ふむふむ。では、映画の記録はどうか。

>gawk "$2~/映画/{print $1,$2}" tempsj.txt | sort > movies.txt
>type movies.txt
2015/01/25 映画「バンクーバーの朝日」を観る
2015/02/22 映画「KANO1931~海の向こうの甲子園」を観る
2015/11/23 映画「いしゃ先生」先行上映を観る
2015/12/24 映画「杉原千畝」を観る

となります。

文字コードの変換を意識しなければならない分だけ面倒ですが、なんとか実行可能なようです。こうしてみると、UTF-8 でデータを統一でき、しかも文字コードを意識せずにそのままテキストデータ処理が実行可能な Ubuntu-Linux の環境というのは、かなり便利なものだと感じます。
ちなみに、下の画像は Ubuntu-Linux のターミナルでのもの。



ユーザー名はぼかしてありますが、パイプで接続した tail コマンドで末尾の3行のみを表示させることができたり、Windows の DOS窓と比べて、ずいぶん細やかな工夫配慮と Unix系の歴史が感じられます。

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近頃の佐伯一麦「Nさんの机で~ものをめぐる文学的自叙伝」の連載は

2016年01月23日 06時01分50秒 | Weblog
山形新聞に連載されている佐伯一麦「Nさんの机で~ものをめぐる文学的自叙伝」は、これまでも何度か(*1)取り上げており、興味深く読んでおりますが、今月13日付の「孤独な執筆中、寛げる友」という回は、机上の小物についての話から、いつのまにか音楽の話題に転じるもので、当方の関心の方向と重なる部分がありました。

要するに、執筆に倦んだときには、机の上の銀の小鳥を眺めるのだとか。鳥の鳴き声に「法、法華経」とか「テッペンカケタカ」などの意味を持つ言葉をあてはめて「聞きなし」するのは、鳥の鳴き声を言語能力を司る左脳で聴く日本人の特徴であり、西洋音楽は鳥の声を音楽で表している、ということでした。そこで例としてあげられているのが、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の第2楽章であり、マーラーの交響曲第1番「巨人」の第1楽章であり、メシアンの「鳥の目ざめ」や「異国の鳥たち」などがある、という具合です。



随筆などの文章に、音楽について、とくに西洋クラシック音楽について言及されていたりすると、思わず親近感を感じてしまいます。ヘンな習性だとは思いますが、鉄道マニアが鉄道に関する随筆に親近感を覚えるのと同じようなものなのかもしれません。

(*1):左の検索ボックスに「佐伯一麦」と入れてこのブログ内検索をすると、けっこうこの連載記事の話題が出てきます。

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今年の雪質は

2016年01月22日 06時05分15秒 | 季節と行事
この冬はなかなか雪が降らず、お正月を過ぎても雪のない風景が広がっていました。ところが、いざ雪が降り出してみると、こんどはたっぷり水を含んだような湿った雪です。こういう雪は、重くて始末に困ります。除雪機でも、粉雪のような乾いた雪ならば快調に吹き飛ばしてくれますが、湿った雪はすぐに詰まってしまい、難儀をします。

本来であれば、大寒前後の今の時期は寒さが厳しく、連日の真冬日となるところですが、今年は日中の最高気温がプラスになっており、湿った雪が融けてべたべたザクザクになり、さらに厄介です。狭い道路では、車もすれ違うのに気をつかいます。



こういう年も珍しい、と言っていられるうちはまだ良いのかも。温暖化がすすめば、こんな雪質が常態化していくのかもしれません。もしかしたら、気温の高い空気は飽和水蒸気量も格段に多くなるため、夏場には大雨と洪水をもたらし、冬場には湿った重いドカ雪になる、ということになってしまうのか? はて? (^o^)/

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この本を読みたい~坂本敏夫『典獄と934人のメロス』

2016年01月21日 06時02分32秒 | 読書
1月17日付け山形新聞の書評欄に掲載された、坂本敏夫『典獄と934人のメロス』という本が気になります。これは読んでみたい。関東大震災による火災が迫る横浜刑務所で、今で言えば刑務所長にあたる典獄の椎名通蔵は囚人の解放を断行します。結果的に、全員が刑務所に帰還しただけではなく、避難民の救助に身を挺する姿があったとのことです。

山形県寒河江市出身の椎名通蔵という知られざる山形人の系譜を知る楽しみもあります。また、著者の30年におよぶ取材の契機になったのが、冤罪で服役中の兄の身代わりとして帰還を急ぐ福田サキという女性の長女との出会いだったというあたりで、もう「この本を読みたい!」モードに突入(^o^)/
時間をみて、書店で探してみましょう。

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2015(平成27)年の備忘録はA4判100枚2冊半だった

2016年01月20日 06時03分09秒 | 手帳文具書斎
昨年、2015(平成27)年の備忘録ノートの消費量は、A4判100枚でおよそ2冊と半分で終わりました。特に11月から12月にかけて、小ネタが中心で、ぱたっと消費速度が落ちてしまいました。理由は、単純に忙しかったから、でしょうか。

もったいないので、表紙の「2015-(3)」の下に「2016-(1)」と書き足して、継続して使っています。このやり方は、以前もやっていたことで、特に年の区切りで必ずノートを新しくするほどの意味はありません。このへんの融通性が、市販の日記帳や日付の書いてある手帳にはない、ノートの便利なところでしょう。



とはいうものの、年の区切りは明確にしておきたいので、小さな付箋を貼って新しい年のページの区切りとしました。また、ノートの最初の方に書いている項目の目次も、横線をひいて年の区切りとし、はっきりさせました。連続の中の区切り、区切られてはいるが連続した時の流れは、この程度の扱いでよかろうと思います。

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雪のため通勤路が大渋滞に

2016年01月19日 06時02分20秒 | 散歩・外出・旅行
この一週間は、南岸低気圧が接近して関東地方に雪を降らせた後で、三陸沖に低気圧が抜け、西高東低の典型的な冬型気圧配置になるとの予想だそうです。この週の始まりは、今までの無雪の冬景色がうそのように、あたり一面真っ白な風景となりました。月曜の朝という条件とも重なり、通勤の時間帯にはずっとノロノロ運転で、いつもの倍の時間がかかりました。幸いに、日中の気温が高いために、帰路はシャーベット状に融けておりましたが、今週はなんだか油断できないお天気が続くようです。時間に余裕を持って出かけ、車間距離を充分に取り、スピードは控えめに、特にカーブでの減速など、安全運転に心がけたいものです。雪国のドライバーの皆様、しばらくの期間、辛抱いたしましょう(^o^)/

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ボロディンの歌劇「イーゴリ公」より「ダッタン人の踊り」の舞台は

2016年01月18日 06時05分02秒 | -オペラ・声楽
過日の山響定期で序曲が演奏されたボロディンの歌劇「イーゴリ公」の音楽では、「ダッタン人の踊り」が有名ですが、実際の舞台上ではどんな場面が展開されるのだろうと思っておりました。たまたま歌劇「イーゴリ公」の序曲を調べていて、YouTube でボリショイ劇場での動画があるのを見つけました。

Alexander Borodin Prince Igor Polovtsian Dances Bolshoi Theatre


ふーむ、なるほど~。予想以上にエキゾチックな場面なのですね。スケールの大きな音楽に見合った舞台となると、半端なものではできませんで、スピード感と力感を併せ持ったものが要求されるようです。しかし、日曜作曲家と言うけれど、それにしては本格的にすごいです、ボロディン。

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山響第250回定期演奏会でボロディン、ブルッフ、チャイコフスキーを聴く

2016年01月17日 06時04分09秒 | -オーケストラ
寒波の前触れのような雪がちらつく中、山形テルサホールで山形交響楽団の第250回定期演奏会を聴きました。会場に到着したときには、すでにロビーコンサートが始まるところでした。曲目はモーツァルトのホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407で、演奏は八木健史(Hrn)、中島光之(Vn)、倉田譲・田中知子(Vla)、茂木明人(Vc)という顔ぶれです。弦の四人は山形弦楽四重奏団の定期演奏会などでお馴染みですが、八木さんのナチュラルホルンの演奏をじっくりと間近に見るのは珍しく、音楽を楽しみながら、またとない機会とじっくり観察しました。要するに、管をくるくると丸めただけのホルンの音程を作るために、吹き方だけでなく、朝顔に突っ込んだ右手で空気の流れを調節しているのですね! な~るほど! 



16時の開演前に、例によってプレコンサート・トークがありました。今回の指揮者のミハウ・ドヴォジンスキさんに西濱事務局長がインタビューする形です。お魚と寿司と日本酒「出羽桜」が大好きなドヴォジンスキさんは、首席客演指揮者としての三年間の契約を終えて、山形の聴衆の皆さんへ感謝を伝えたいと話し、客席から大きな拍手が贈られました。

ドヴォジンスキさんといえば、2009年12月の第201回定期でエルガーの「エニグマ変奏曲」にシベリウスの交響曲第2番等を振ったこと(*1)や、2013年12月の第233回定期でマルティヌーのチェロ協奏曲にショスタコーヴィチの交響曲第9番を指揮したこと(*2)などが強い印象を残しています。オーケストラをバランスよくコントロールして、しなやかな響きを作り出す指揮者、というイメージを持っています。今回も良い演奏会になるのでは、と期待して来たところです。

さて、本日の曲目は、

  1. ボロディン/歌劇「イーゴリ公」序曲
  2. ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 op.26 Vn:成田達輝
  3. チャイコフスキー/交響曲 第1番 ト短調 op.13「冬の日の幻想」
     ミハウ・ドヴォジンスキ指揮、山形交響楽団

というものです。

第1曲目、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」序曲では、楽器編成は次のようになっています。ステージ左から右へ、第1ヴァイオリン(8)、第2ヴァイオリン(7)、チェロ(5)、ヴィオラ(5)、その右にコントラバス(3)という通常配置、正面奥にピッコロ&フルート、オーボエ(2)、次の列にはクラリネット(2)、ファゴット(2)の木管楽器、さらにその奥にホルン(4)、トランペット(2)が並び、最奥部にはティンパニとトロンボーン(2)、バストロンボーン、チューバの金管楽器が配され、コンサートマスター席には犬伏亜里さんが座ります。演奏は金管楽器の重々しい音から始まり、やがて弦楽器が主体となった活発な音楽に変わっていきます。途中の甘く懐かしいような響きも美しく、ロシア音楽の香りを味わいました。

続いて第2曲目、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番です。
独奏者の成田達輝さんが登場します。後方の重量級金管部隊が退き、楽器編成は Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),Hrn(4),Tp(2),Timp.に弦楽5部となります。第1楽章の開始は、ティンパニが静かに鳴る中でフルート、クラリネット、ファゴットの木管楽器とホルンに導かれて、ソロ・ヴァイオリンが低音を響かせたのち、レシタティーヴォ風に中~高音域を鳴らします。わーお! ヴァイオリンの音がほんとにきれい! それに弓が弦から離れる際にも、充分に歌っている。こういうのは実際に聴かないとわかりません。ほとんど前奏曲といった趣きの第1楽章に続き、第2楽章はいかにもロマン的な緩徐楽章です。緩やかですが、力強く魅力的な旋律が展開されます。思わずため息が出そうな音楽です。第3楽章:弱音から次第に盛り上がるオーケストラに乗って、独奏ヴァイオリンがリズミカルに登場、躍動的で情熱的な第1主題と、叙情的な第2主題とが展開されます。ほんとに絢爛豪華な、という形容がよくあてはまる、ロマン派協奏曲の典型のような音楽ですので、美音のブルッフというご馳走をたっぷり賞味することができました。

聴衆の拍手の中で、アンコールの前に成田さんがちょっとご挨拶。「実は私の本籍は山形市で」え~っ!「父と母が第二公園の近くのアパートに住んでいて、私はそこで三歳まで過ごしました」おやおや!「昨日も、山長そばでラーメンを食べて来まして」なんと! そうでしたか!
ローカルなご挨拶に沸いたところで、アンコールを三曲も大サービス(^o^)/



会場に表示された記載によれば、

  1. J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番より 第1曲:プレリュード
  2. J.S.バッハ 同 第3曲:ガヴォットとロンド
  3. パガニーニ 24のカプリース 第1番

というものでした。1992年生まれの古楽世代らしく、生き生きとしたバッハが良かった~。技巧的なパガニーニは、唖然とするような見事さでした。

15分の休憩時間には、富岡楽器の販売コーナーで独奏の成田達輝さんのCDを購入し、カプチーノを飲み、トイレで知人と挨拶代わりの雪談義を交わし、と大忙し。



第3曲めは、チャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」です。ヴァイオリンがひそやかにさざめく中で、フルートとファゴットで音楽が始まります。ヴィオラも加わり、ロシア風の音楽が展開されていきます。交響曲とはいうものの、がっちりと構築的な音楽ではなく、むしろロシア民謡風の魅力的な旋律を次々と聴かせてくれるような音楽です。第1楽章での4本のホルンのハーモニーや、トランペットの執拗な同音反復など、チャイコフスキーらしいといえばらしい。やわらかな響きの第2楽章で、ヴァイオリン群とFl,Ob,FgのTopのアンサンブルもステキです。第3楽章では、軽やかなスケルツォらしく、指揮者は踊るように体を揺らして指揮します。ホールの効果もあり、山響は小規模な編成としてはよく鳴るオーケストラだと思いますが、ドヴォジンスキさんはバランスよくコントロールされた音を聴かせます。終楽章では、はじめの序奏部こそ「歩くようにゆったりと、悲しみをもって」という指示のとおりですが、やがてバスドラムやシンバルも加わり、トロンボーンなど金管部隊もバリバリと咆哮し、力強く華やかに終わります。いや~、良かった!

盛大な拍手に迎えられて、何度もステージに呼び出されたドヴォジンスキさんに、花束が贈られます。贈呈役は、最近は通訳にも進出した(^o^)第1ヴァイオリンの今井東子さんでした。ドヴォジンスキさんは、大きな花束を感謝をこめてコンサートミストレスの犬伏亜里さんに贈り、舞台を去りました。

チャイコフスキーの音楽、とくに初期の曲にはそれほど親しみを持っていませんでしたが、ドヴォジンスキさん指揮する我らが山響の演奏で、交響曲第1番の魅力にあらためて目を開かれた思いでした。



終演後のファン交流会では、ソリストの成田達輝さんの山形ローカルネタが再び披露され、たいへん盛り上がりました。カナダの篤志者から楽器を貸与されたこと、素晴らしい楽器に触発されて、今年はベートーヴェンを研究したいと話してくれました。うーむ、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聴いてみたいのは同感です。個人的には、技巧を披露しつつ現代的な抒情を奏でるという意味で、プロコフィエフの協奏曲なども聴いてみたい気がします。



続いて指揮者のドヴォジンスキさんが登場、今井東子さんが通訳をつとめました。山響との演奏会では、シベリウスやショスタコーヴィチの交響曲を振った演奏会が印象的だとのことで、新進気鋭の若手として初めて得た首席客演指揮者というポストが、現在の活躍につながったことになります。今後、さらに大きく活躍してくれる指揮者だと思いますが、山形とのご縁を今後も保ってもらいたいものだと願いながら帰途につきました。帰路は、雪降りでした。

(*1):山響第201回定期演奏会~ポーランドからの俊英~を聴く~「電網郊外散歩道」2009年12月
(*2):山響第233回定期演奏会でドヴォルザーク、マルティヌー、ショスタコーヴィチを聴く~「電網郊外散歩道」2013年12月

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