電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

ウィーン・ビーダーマイヤー・アンサンブル「南国のバラ」を聞く

2006年02月28日 20時25分51秒 | -室内楽
先週は、一週間ずっとマーラーの交響曲「大地の歌」を聞いていたので、ちょっと毒消しに(?!)楽しいウィンナ・ワルツを取り出して聞いている。演奏はウィーン・ビーダーマイヤー・アンサンブル。
第1曲、ランナーの「ロマンティックな人々」からはじまり、シュトラウス親子のワルツやポルカを軽やかに演奏、最後はシュトラウス2世のワルツ「南国のバラ」で終わるという趣向。全16曲、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、ヴィオラにコントラバスという編成で、実に優雅で楽しい。演奏者はヘルムート・プッフラー(Vn)、ベルンハルト・ビーバラオァー(Vn)、エドワルト・クドラック(Vla)、ミラン・サガット(Cb)とクレジットされており、いずれもウィーンフィルのメンバーなのだとか。大オーケストラによる華やかなウィンナ・ワルツもいいが、こういう小編成による洒落た編曲の満ち足りた音楽もいいものだ。
CDはDENONのCOCO-70525、録音は1988年4月18日と20日、ウィーンのバウムガルテン・カジノでデジタル録音されたとある。録音現場に立ち会った人達は、きっと終わってから一杯やったことだろう。もしかすると間が1日あいているのは二日酔いかな(^_^;)>poripori
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2月はほんとにあわただしい

2006年02月27日 22時38分10秒 | Weblog
先日1月が終わったばかりと思っていたら、もう明日は2月も28日。ほんとにあわただしい。老母も明日は退院の予定、明後日は子どもの高校の卒業式である。答辞を読むそうで、母親は大丈夫かとやきもきしている。大学受験のほうも、まず一つ受かったのでなんとか浪人せずにすみそうだが、早速住むところを探す必要がある。これまたあわただしいことだ。

通勤の音楽、今日は「南国のバラ」、ウィーン・ビーダーマイヤー・アンサンブルの演奏。DENON COCO-70525。大オーケストラの演奏とは一味違う、カルテットの演奏するウィンナ・ワルツの世界。これは楽しい、お気に入りの音楽です。
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ブックマークを整理する

2006年02月26日 21時41分50秒 | コンピュータ
Linux機で使っているMozillaブラウザのブックマーク(IEでは「お気に入り」か)がごちゃごちゃしてきたので、思い立って一気に整理した。日常的に使っているものは大丈夫なわけだが、フォルダの中に記憶したものはずいぶんリンク切れや休眠サイトが目についた。整理の原則として、
(1)リンク切れのものは削除する
(2)重複したものは一本化する
(3)休眠サイトはsleepingというフォルダに一括して移動する
というようにした。
その結果、ブックマークがずいぶんすっきりした気がする。ついでに、ブックマークをエクスポートして "bookmark-060226.html" ファイルとして保存し、共通化をはかることとした。データをMOにバックアップしておけば、そこからインポートするだけで使い慣れた環境が復元できるので、まずは一安心。
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タミフルの化学合成に成功

2006年02月26日 10時54分00秒 | Weblog
今年は、職場の同僚にもだいぶインフルエンザが発生し、タミフル(*1)の御世話になった人が少なくなかった。行動異常などの副作用が見られることもあるようだが、発熱して48時間以内に飲めばだいぶ効果が期待でき、比較的軽症で推移するため、信奉者になった人も多かろう。
実はこのタミフル、中国の植物の果実である八角(*2)を原料としていたそうで、スイスのロシュ社もこの原料難に悩んでいたらしい。しかし、芳香族アミノ酸の生合成の前駆体として知られるシキミ酸を経由しないで、石油から化学合成が可能な1,4-シクロヘキサジエンから合成(*3)できてしまえば、ロシュ社の特許の強さもどうなるかわからないだろう。情報技術を武器に、ゲノムとバイオで熾烈な競争が行われている今、不斉合成の文献参照数世界一の柴崎先生(東大)、厄介な特許紛争に巻き込まれなければよいけれど。「シバサキを特許紛争でしばれ。その間に研究を進められる」とか。

(*1): Wikipediaより、オセルタミビル、商品名タミフル
(*2): タミフルの主な原料となる八角
(*3): タミフル、化学的製造法を開発…スイス社と話し合いへ
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マーラーの交響曲「大地の歌」を聞く

2006年02月25日 11時54分04秒 | -オーケストラ
通勤の音楽に、今週は一週間通してマーラーの交響曲「大地の歌」を聞いた。道路に雪がなくなり、乾燥した路面で渋滞知らずの早朝出勤と、若干渋滞するがまだ明るい時間帯の帰宅路と、マーラーの音楽を聞きながらハンドルを操作する。けっこう快適だ。
交響曲「大地の歌」、20代や30代のころにはあまりぴんとこなかった。味わい深く聞けるようになったのは、やはり中年になってからか。最初に馴染んだ「大地の歌」がクレンペラー指揮のもの。次にインバル盤で、バーンスタイン盤が一番馴染みが新しい。通勤の音楽として三種の演奏をエンドレスに聞きながら、個別の歌い手や演奏の違いよりも、音楽に内在する、三者に共通する要素を強く感じた。

冒頭の荒々しいホルンの斉奏、木管とヴァイオリン、続くテノールの第一声が鮮烈で、聞き手をぐいと音楽の中に引き込む力がある。気分的に言うと、第1楽章と第2楽章が共通で、第3楽章、第4楽章、第5楽章が活発な要素が強く、最後の長大な第6楽章が暗く重く終わる、という構成になっているように思う。

クレンペラー盤のリーフレットには、ドイツ語の歌詞と西野茂雄さんの訳詞がついており、重宝する。第1楽章は「現世の悲しみを歌う酒宴の歌」とされ、酒宴の前にテノールが1曲歌うという趣向になっている。そして歌う歌が、なんと「生は暗く、死もまた暗い!」というものだ。これに対し第2楽章は、メゾソプラノ(オリジナルではコントラルト)が「秋の日に独りありて」で孤独の中で疲れ果てた心を歌う。要するに、私たちが酒宴の中で生きにくい世を愚痴るようなものか。
続いて第3楽章は「青春の歌」。池に逆さまに写る景色を眺めるというシニカルな要素はあるが、テノールが歌えばメゾソプラノも続く。管弦楽も諧謔的に鳴り響き、酒宴は盛んなようだ。第4楽章は「美しきものを歌う」。金色の陽光、そよ風、若い娘たち、若者と猛りたつ馬などのイメージをメゾソプラノと管弦楽が歌う、マーラーらしい美しい音楽。第5楽章、テノールが「春の日を酔いて暮らす」を歌う。周りが思わず差し出した手を、酔っぱらいが「かまわないでくれ」とはねのけるようなものだろう。ややコミカルな音楽だ。
最後の第6楽章は、「告別」。全曲の半分ちかくをしめる長大な曲で、古典派交響曲の1曲分に匹敵する長さ。この世に告げる別れなのか、特定の女性に告げる別れなのかは不明瞭。死を予感しこの世に別れを告げる音楽とも受け取れるが、またこの未練たっぷりの終わり方は、同時に生への執着とアルマ・マーラーへのメッセージと考えても理解できる。見よ、自然は美しく、人生はいとしい。マーラーの音楽を十二分に堪能できる楽章だ。

クレンペラー指揮の演奏は、1950年のウィーン響とのモノラル録音もあるようだが、それではなくて、クリスタ・ルードヴィヒとフリッツ・ヴンダーリッヒの畢生の名唱を記録した1967年のステレオ録音(東芝EMI CC33-3265)。
バーンスタイン指揮イスラエル・フィルの演奏は、クリスタ・ルードヴィヒとルネ・コロが歌ったもので、FDCA-540という全集分売のもの。
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏は、ペーター・シュライヤーにデビュー後5年という若きオランダの名花ヤルド・ヴァン・ネスが立派に歌ったもので、1988年フランクフルトのアルテ・オーパーでデジタル録音された、DENON COCO-70406 というCDである。こちらは録音が素晴しい。音量をあげて聞くと、思わず音楽に聞き惚れる。
演奏の好き好きはあろうが、クレンペラー盤が一番親しみが深いせいか、手に取る回数が多い。次が録音の良さもあり、インバル盤か。

参考までに、演奏データを示す。
■クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管 盤
I=7'58" II=10'03" III=3'37" IV=7'41" V=4'36" VI=29'25"
■バーンスタイン指揮イスラエル・フィル盤
I=8'30" II=10'06" III=2'55" IV=7'30" V=4'06" VI=30'10"
■インバル指揮フランクフルト放響 盤
I=8'19" II=9'31" III=3'14" IV=7'16" V=4'25" VI=28'35"
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歌劇「トゥーランドット」が流行りそう?!

2006年02月24日 20時04分03秒 | -オペラ・声楽
芸能スポーツの話題にはとんとうとい私には、オリンピックの話題も関心がなかったが、たまたま見たニュースで、プッチーニの音楽が流れ、女子選手がフィギュアの演技をしている場面が放送されていた。あれ、この曲は・・・としばし考えていると、なんだか日本人選手らしい。へ~、なかなか選曲がいいなぁ、と思っていたら、ああ、「トゥーランドット」だ、と思い出した。しかも、荒川静香選手が金メダルだという。芸能スポーツに全く興味関心のない人間でも、オリンピックの金メダルの価値はわかる。たいへんめでたいことだ。
ところで、限りなく耽美的なこの音楽、実はフィギュア・スケートのリズムによくあっているように思う。音楽によって、滑りやすい曲と滑りにくい曲があるのだろうか。もしあるのだとしたら、荒川選手の金メダルには、プッチーニも一役買っているのかもしれない。クラシックには興味関心のない人にも、歌劇「トゥーランドット」の音楽が流行ったりして(^_^;)/
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モーツァルトの年俸

2006年02月23日 21時35分35秒 | クラシック音楽
先日、車のラジオでFM放送を聞いているとき、海老沢敏さんが面白い話をしていた。ヨーゼフ2世に宮廷音楽家として雇われたモーツァルト、非常勤ながら年俸は現在の額でいうとおよそ800万ということだ。サリエリは常勤であるからもう少し高いわけだが、「非常勤で」800万ですよ!宮廷での面倒な拘束時間を考えると、自由に創作に打ち込めるモーツァルトの方がずっと分がいいと思う。これは、相当に皇帝の覚えがめでたいことを意味するものだという。
さて、年収800万円というと、現代の確定申告ではもうすぐ税金20%に近付くあたりなので、決して貧苦にあえぐ年収ではないし、楽譜出版や予約演奏会の収入もある。モーツァルトはイチローや松井ほどの年俸ではないが、現代の売れないマンガ家よりはずっと恵まれている人だった。どうもモーツァルトは、清貧というイメージからはほど遠いようだ。
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あたたかい一日、雪がだいぶ融けた

2006年02月22日 21時45分58秒 | Weblog
陽春という言葉がぴったりくるような暖かい一日、おかげで雪もだいぶ融けたようだ。
通勤の郊外路もアスファルトの路面が出て、凍結の心配もない。通勤ラッシュもだいぶ緩和され、いつもより10分ほど遅く出ても、職場に着くのはいつもどおりだ。それだけ混まなくなったということだろう。
通勤の音楽、今週はマーラーの交響曲「大地の歌」を聞いている。昨日と今日はバーンスタイン指揮イスラエル・フィルの演奏。ルネ・コロとクリスタ・ルードヴィヒ。管弦楽の部分は、クレンペラーの緊張感のある演奏が魅力的だが、両者に共通なクリスタ・ルードヴィヒの歌唱にちょっと興味がある。今週の後半は、もう一つの「大地の歌」、インバル指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏を聞く予定。
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机上のPCの配置を変更する

2006年02月21日 21時33分46秒 | コンピュータ
今までは、机上のパソコンの配置が変則的だった。Windowsパソコンをデスクサイドのワゴン左下部に収納し、ワゴンテーブル上にはレーザープリンタを置き、机上にはディスプレイとキーボード、右端に小型のLinux機を置く、というものだ。従来はCRTだったために場所を取り、両サイドに分けていたが、今度は液晶ディスプレイを使っているため、Linux機をディスプレイ左側に置き、2台のPCをワゴンテーブル側に統一することができる。キーボードのScreenLockキーの連打により、CPU切替器で1組のキーボードとディスプレイでCPUを切替えて表示することができる。普段はLinux機に接続しているMOドライブも、Windowsで使いたいときには、USB端子をWindows機のUSBポートにつなぎかえるだけですむ。なぜ今までこの配置に気づかなかったのだろうと不思議だ。CRTを設置していた時の呪縛が、配置の柔軟性を奪っていたというべきか。
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飲み屋に忘れた文庫本が戻る

2006年02月20日 20時16分16秒 | 読書
先日、高校の同級会の際に忘れた文庫本、電話をしてみたら「あります」とのこと。今日、仕事帰りに立ち寄り、受けとってきた。ディケンズの代表作の一つ、岩波文庫の石塚裕子訳『デイヴィッド・コパーフィールド』の第一巻だ。

保護者のような存在だった父親が亡くなり、若く世間知らずな未亡人は、幼いデイヴィッドを家事を切り盛りしてくれていた誠実なペゴティに托す。こうしてデイヴィッドは、ヤーマスのペゴティの兄の家で、みなしごのハムとエミリーと、寡婦のミセス・ガミッジと暮らすことになる。

ここまで読んで、飲み屋に忘れてきたので続きはありません、というのではなんとも情けない話だ。戻ってきてほっとした。よかったよかった。今晩はせいぜい続きを読むことにいたしましょう。

通勤の音楽、今週はクレンペラー指揮、マーラーの交響曲「大地の歌」を聞いている。管弦楽もさることながら、フリッツ・ヴンダーリッヒとクリスタ・ルードヴィヒの堂々たる歌唱が素晴しい。
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再び宮城谷昌光『香乱記』を読む

2006年02月19日 23時17分54秒 | -宮城谷昌光
しばらく前に図書館から借りていた宮城谷昌光著『香乱記』の返却期限が近付いた。昨日と今日、全三巻を一気に読み終えた。昨年春に読んで以来、二度目の読了。毎日新聞社刊の単行本三冊で、たぶん文庫にはまだ入っていないのではないか。

秦が倒れ、項羽と劉邦が争う時代を背景に、斉の田三兄弟、特に田横を人間性豊かに描いた作品である。酷薄な項羽と腹黒い劉邦の争いは卑しいが、侵略を是としない斉の在り方はすがすがしい。最後は騙し討ちのように亡国の憂き目を見るに至るが、主従の信頼が最後まで保たれ、読後感は悪くない。また田横を慕う薄幸の女性たち、小伽、希桐、蘭などが登場するけれど、なぜ希桐が去らねばならないのかは最後までよくわからない。

先日、高校の同級生の集まりがあり、『デイヴィッド・コパーフィールド』第1巻を持っていったところ、見事に会場に忘れてきてしまった。うかつなことだ。まことに残念無念(^_^;)>poripori
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ブログの画面デザイン

2006年02月18日 08時29分45秒 | コンピュータ
多くのブログサイトの画面を拝見するにつけても、その秀逸なるデザインに感心する。と同時に、人気のあるデザインは多くの人が採用するらしく、複数のサイトが同一のデザインになっていることも多い。私の「電網郊外散歩道」は、味も素っ気もないオレンジ色のもので、たまたま試作した2004年12月に提供されていたもののうち、
(1)背景はできるだけ明るい色
(2)タイトルは小さく記事と写真のスペース(行数)を多く確保できる
(3)記事の本文の横幅が広すぎず読みやすい
(4)必要な要素は画面左に、当面不要な要素は画面右端に
などの条件を満たすとしてたまたま選んだものだ。
しかし、この素朴なデザインのサイトはあまり見かけず、これはこれで希少価値(?!)もありそうで、けっこう気に入っている。
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自宅でもプリンタをLANで使いたい

2006年02月17日 21時53分58秒 | コンピュータ
我が家では、私の部屋(書斎)と居間と寝室と、コンピュータを置いてある部屋はすべてLANケーブルで接続されている。したがって、家族はどこからでもインターネットを利用できる。家庭内LANの恩恵を感じる部分だ。ところがプリンタは、家内のカラー・インクジェットと私のモノクロ・レーザープリンタと、それぞれ別々に使っており、共用はできていない。年賀状のときくらいしか利用する機会がないとはいっても、不便に感じることはある。
現在使っているモノクロ・レーザーをネットワークで利用するには、単純に安価なプリントサーバを使えばよいだろう。プリンタの台数を増やすよりも、後々の処分のことまで考えると、ネットワークで共用したほうがなにかと都合がよさそうだ。古いパラレルのプリンタ端子をサポートしたプリントサーバも、最近はあまり姿を見ないので、製品があるうちに入手しておくのがよいかもしれない。
キャノンのLBP310、Windows3.1の時代から使っているが、トナーカートリッジを何度も交換して、まだまだ現役。紙送りなどに不満な点ももあるが、ほんとに丈夫だと感心する。
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J.S.バッハ「音楽の捧げもの」を聞く

2006年02月16日 20時39分08秒 | -オーケストラ
ここしばらく、通勤の音楽にJ.S.バッハの「音楽の捧げもの」BWV.1079を聞いている。ジャン=フランソワ・パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団ソリストたちの演奏、デンオンの My Classic Gallery シリーズの1枚、GES-9203 というCDである。

この作品は、(1)三声のリチェルカーレで始まり、(2)王の主題による各種のカノンとして、逆行・同度・反行・反行の拡大・螺旋カノンの五つのカノンが続き、(3)トリオ・ソナタ、(4)上方五度のフーガ・カノニカ、(5)王の主題による無限カノン、(6)無限カノン、(7)二声のカノン、(8)四声のカノン、(9)六声のリチェルカーレ、で終わる。

新潮文庫のカラー版作曲家の生涯シリーズ、樋口隆一著『バッハ』によれば、本作品の作曲年代は1747年、バッハ62歳、亡くなる三年前のものであるという。この年、プロシアのフリードリヒ大王に招かれたバッハは、ポツダム宮殿にてフォルテピアノの即興演奏を所望され、見事にこれに応えたという。ところがバッハは、翌日再び宮殿に招かれ、同じ主題による六声のフーガの即興演奏を所望された。本書には「これにはさすがの彼もとまどい、自作の主題を用いることによって切り抜けた」と説明がある。バッハは、たぶんこのことが自分の名誉の問題だと考えたのかもしれない。どう考えても、不思議な緊張感を持ったこの曲が「音楽の喜びに満ちた平和で楽しい」ものには感じられない。ましてや、王の権威に恭しくへりくだる要素など微塵も感じられない。むしろ、フルートをよくし音楽的才能もあったと考えられるフリードリヒ大王に対して、自分の力はあれだけのものではありませんよ、と示したかったように思える。一つの主題が見事に展開され変奏される有様は、王の主題をもとに作曲され献呈された音楽という形を取りながら、きわめて抽象的ではあるものの、音楽の世界ではあなたの意のままではありませんよ、と言っているようにさえ感じられる。
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危機に瀕するカメラ屋さん

2006年02月15日 20時12分49秒 | 散歩・外出・旅行
しばらくぶりにカメラ屋さんに行き、プリントを依頼した。デジカメの画像データをUSBメモリーに移し、カメラ屋さんに持っていくと、その場でL判と2L判にプリントしてくれる。早くて便利だが、銀塩写真に比べると出来上がりの解像度はいまひとつだ。特に、2L判にするとよくわかる。職場の同僚にあげる分を焼き増しして、出来上がるまで世間話をしてきた。
コニカミノルタもフィルム写真から撤退したが、フジだけは「頑張ります」というFAXを各DPE屋さんに送ってきたと言う。我が家では子どもの七五三から入学・卒業まで、このカメラ屋さんにお願いしてきた。良いお得意さんだった建設業界も、今はCD-Rを届ければよいことになっているそうで、まったく商売あがったりですよ、という話に、厳しい時代を感じさせられた。百科事典業界もカメラ屋さんも立ち行かない時代、デジタル化の影響がここにもあらわれている。

変な話だが、人々の時間は24時間と定められているのだから、バーチャルな世界に費やす時間と日常生活に費やす時間の和が一定だと考えると、バーチャルな世界が拡大するにつれて、日常生活を支えてきた今までの街の文化が縮小していくことになるのだろうか。それとも、単に栄枯盛衰を繰り返す個々の産業分野の交代なのだろうか。
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