電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

シンガポールで買ったカセットテープ

2008年07月16日 06時49分11秒 | Weblog
ずいぶん前に、結婚何周年だかの記念に、妻とシンガポールを旅行したことがあります。ツァー旅行だったのですが、行けども行けども免税店めぐりばかりで、いささか飽き飽きしていたころ、オプショナル・ツァーがあるといいます。しめたとばかりに、「参加しません」と申し出て、二人で地下鉄に乗ってみました。で、ふつうのショッピング・センターに行き、ふつうの買い物を楽しんできました。

そのときに、あるレコード・ショップで、店員のお嬢さんにウォークマンを見せて、

"What music is popular in Singapore ?"

とかなんとか尋ねてみると、いくつかのカセットテープを出してきてくれました。一つは、張學友という中国系(香港?)の歌手が、桑田圭祐や井上陽水らの歌を歌った「吻別」、それからにぎやかなポップス系のヒットソング集、もう一つがマレー系の民族音楽を集めたテープでした。いくつかをまとめて購入して、しばらく楽しんでおりましたが、なにせミュージックカセットを聴く機会は激減しており、先ごろようやく再発見した次第。

で、妻もお気に入りだった張學友の歌が、テープがワカメになったらしく、少々音が揺れます。これはたいへん、とMDへのダビングを試みました。一部音が揺れますが、残りはなんとか大丈夫そうです。シンガポールで購入してきた、やわらかな中国語で歌われている「真夏の果実」(*)などの日本の流行歌、夫婦の古い日々の財産です。

(*):毎天愛イ尓多一些~曲:桑田佳佑
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ミニコンポで試した結果(2)~NHK-FM「バロックの森」で協奏曲の発展を聴く

2008年07月15日 07時00分51秒 | クラシック音楽
新調した単身赴任のアパートのためのミニコンポ、テレビの共同受信用のアンテナを利用してFM放送を聞けないかどうか、試してみました。

まず、ホームセンターでテレビアンテナ用のコネクタを購入してきて、4C-2V ケーブルに接続し、ミニコンポのFM端子につなぎます。すると、従来の室内アンテナのときとは全く違います。地元のFM局が、きれいに受信できます。これならミニディスク(MD)を用いたタイマー留守録音もじゅうぶんにできそうです。

先週の木曜日、目覚ましの音楽は、NHK-FMの「バロックの森」を試してみました。すると、なんと当日は「協奏曲の発展」としてコレルリやヴィヴァルディ等を取り上げるのだとか。これはラッキー・ポッキー・ケンタッキーと、最早化石化した伝統的駄洒落を一人でぶちかまし、ついでにMDへの録音も一緒にテストしてみました。

2008/07/10 6:00~55 NHK-FM 「バロックの森」-協奏曲の発展-
(1) トランペットを伴う6声のソナタ ニ長調 ガブリエルリ作曲
(2) 合奏協奏曲 ヘ長調 作品6 第9    コレルリ作曲
(3) 合奏協奏曲集 作品8 から 協奏曲第9番 ホ短調 トレルリ作曲
(4) 和声法とインヴェンションの試み 作品8 から バイオリン協奏曲 第6番 ハ長調「喜び」 ヴィヴァルディ作曲
(5) 協奏曲 ト短調「夜」RV.104   ヴィヴァルディ作曲

録音を何度か聴きましたが、面白かったのは、トレルリの合奏協奏曲が、名前こそ合奏協奏曲ですがすでに独奏協奏曲をなしていること、ヴィヴァルディによって発展した協奏曲は、共通して主に急-緩-急の3楽章からなり、オーケストラとソロが交互に奏するリトルネルロ形式をとっていること、などの説明でした。オーケストラはいつも同じ音楽を演奏し、ソロはその都度ちがう音楽を演奏するから、オケがパンだとするとソロは具にあたる、サンドイッチのような音楽だ、という説明に、思わず「な~るほど!」

この時間帯、思わず「バロック音楽の楽しみ」と書いてしまいそうになります。一時、「朝のバロック」などという題名のときもあったような(*)。しかし、ほんとに長寿番組ですね。もうほとんど文化財(^o^)/

(*):放送番組を記録する~1971、1981、2001年のFM番組表~ MyComputingStyle より

写真は、7月に入り、咲き始めたネジバナです。下から順に、反時計回りに咲くのかな?反対向きのものはあるのでしょうか(^o^)/
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山形交響楽団第190回定期演奏会を聴く

2008年07月14日 21時18分17秒 | -オーケストラ
昨日は、早朝から庄内へ。午前中は庄内で役割を果たし、昼食も抜きで、すぐに高速を飛ばして山形へ向かいます。会場の山形テルサへすべり込んだのは、開演時刻を過ぎた14時05分頃でした。飯森範親さんのプレトークも、最初の曲目、レズニチェクの歌劇「ドンナディアナ」序曲も聴くことができず、わずかに最後の部分を会場内のモニターで眺めました。ようやく入場した座席は、後列左端と条件は良くありませんが、独奏者の表情などはよく見えます。

さて、ソリストの川久保賜紀さん、少しくすんだ黄緑色というのか、若竹色のロングドレス。パンフレットに曲目変更のお知らせと、ご本人のお詫びの文章が掲載されておりました。先日の飯森さんのブログでも触れておられましたが、川久保さんは、体調不良のため、来日直前の8日までドイツで入院静養されておられたとのこと、ヨーロッパから日本へは、飛行機でもかなりこたえる旅のはずです。山形入りしたのが一昨日とのことですので、本当にオーケストラと練習できたのは昨日だけ、という状況だったようです。であれば、難曲のバルトークというのはいささか無理というものでしょう。得意の演目であるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が選ばれたのは、結果的にたいへん良かったのかも。

さて、チャイコフスキー。始まりの音が、なんとも緊張感があり、かつ美しい。伸びやかな高音、力のある低音です。第1楽章、ソリストが休んでいる場面では、ちらちらとコンサート・ミストレスの犬伏亜里さんのボウイングに目をやりながら、全身でリズムを取り、音楽を感じている様子です。カデンツァは、思わず息をのむ気迫で、第1楽章の終わりに思わず会場から拍手が出てしまっていたのは、理解できる状況でした。第2楽章、かなりゆったりとしたテンポで。フルートのソロもぴたりと決り、かっこいいです。第3楽章、クラリネットとオーボエのかけあいが、とても素敵な音色で、いい感じです。動きの速い弦のピツィカートのあと、オーケストラのトゥッティに対抗するようにヴァイオリン・ソロが速く技巧的なパッセージを披露し、フィナーレへ。いやぁ、ソリストの気迫、気力というのは、たいへんなものですね。
まずはほっと一安心して大満足。

さて、オーケストラの楽器配置は、ステージに向かって、指揮者の左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後方にコントラバス、という配置です。中央後方にフルート、オーボエ、そしてクラリネット、ファゴットの木管群、さらにその後方に、ホルンとトランペット、さらにその後方にはトロンボーン、テューバが並び、管楽器の左にパーカッション、その後方にティンパニ、という具合です。

休憩の後は、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」です。冒頭の低弦に乗って、あの有名なファゴットのソロ。高橋あけみさんのファゴットが、ひそやかに響きます。いいですね~。もうほれぼれと聴き入りました。その後、弦の優美な旋律とともに、フルートとオーボエ、クラリネットとファゴットが素晴らしい音色を聴かせると、金管群も加わり、オーケストラが懐かしむような旋律を奏でます。そして一転して激しくめまぐるしい迫力の音楽へ。ここは、金管群の出番です。
ところで、3本のトロンボーンのうち、テューバの隣の1本はやけにでかいし、音も別のように思いましたが、違ったかな?奏者の方も、すごい気迫で睨んでいましたし(^_^)/
第2楽章、とても優美な舞曲風の音楽が、ティンパニのきざむリズムにのって、次第に不安な雰囲気が高まって来ます。第3楽章、軽やかな行進曲風のスケルツォ。もしこの楽章がフィナーレだったら、同じくらい人気を博したのでしょうか。シンバル奏者が立ち、バスドラムの連打のあとに、ジャーン!これ、やっぱりかっこいいですよ。思わず客席で拍手したくなる気持ちがよくわかります。これは、聴衆よりも、そういうふうに作った作曲家のほうが悪いです(^o^)/
第4楽章、ああ、この旋律。最後の別れを告げるような、映画の一場面のような。またしてもファゴットのお二人に陶然となりました。最後、低弦が静かに奏される中、コントラバスのピツィカートが消え入るように終わり、静寂が……聴衆も、飯森さんの棒が下りるのをじっと待ちます。その緊張感、静寂感、そして拍手!

理系の観察眼というのは困ったもので(?!)、ファゴットの高橋さんとオーボエの斎藤さんが、思わず顔をおおって涙を拭いたのを、しっかり見てしまいました。演奏する側も感動したのでしょう。ほんとに素晴らしい「悲愴」交響曲でした。



写真は、秋に放送予定の、山響と飯森さんの番組のために、交流会を取材するカメラマンと外部マイクさんです。どんな番組になるのか、今から放送が楽しみです。しかし、昔のベータカムを知る者にとっては、たぶん業務用のハイビジョン・カメラであろう、この放送用機器の小型化が進んでいることに驚きです。
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磯山雅著『バロック音楽~豊かなる生のドラマ』を読む

2008年07月13日 06時20分47秒 | クラシック音楽
最近、ほんとにバロック音楽びたりです。NHKブックスの中の1冊、『バロック音楽~豊かなる生のドラマ』(磯山雅著)を読みました。モンテヴェルディあたりからバッハに至る流れを通観し、あわせて現代におけるバロック音楽の演奏と受容史を平明に記述した本書は、あまりに専門的すぎない、一般向けの音楽史書としてふさわしい内容と感じます。

特に新鮮に感じたのは、
(1) ドイツ三十年戦争の悲惨さを描く第IV章「廃墟に流れる歌」における、ハインリッヒ・シュッツの評価です。服部幸三・皆川達夫両氏も力説していたシュッツの偉大さは承知しながら、これまであまり聴いておりませんでした。あらためて再確認。
(2) イタリアにおける器楽の発展を描く第V章「歌うヴァイオリン」。ガブリエーリ、フレスコヴァルディ、コレルリ、ヴィヴァルディという流れがたいへん興味深いです。
(3) 太陽王ルイ14世が統治した時代のフランス音楽を描く第VI章「大御代を輝かす楽の音」。王の一挙手一投足に音楽を付けるなんて、王を演じることに夢中だったのですね、この王様は。で、王が認める美しさしか認められない、一元的な世界。フランス音楽の独自性は育ったがイタリア音楽の価値を評価する作曲家は不遇な時代です。リュリ、シャルパンティエ、クープランなどのフランス・バロックの世界。
(4) 第VII章「趣味さまざま」では、イタリア音楽とフランス音楽の対立とラモー、ドイツにおけるバッハの登場。著明な対立が辺境で統合解決されるという例は、ドルトンの原子説とゲイ=リュサックの気体反応の法則との矛盾がアボガドロの分子説によって解決されるように、科学史上にもよくある話です。
(5) 第VIII章「音楽を消費する先進国」では、市民革命を早く成し遂げたイギリスで、その経済力を背景に市民階級が台頭してきます。ヘンデルが、王様をたたえるオペラから市民の感情に即したオラトリオに転進したことを、この文脈に位置づけられると、「なるほど~」と目から鱗です。
(6) 第IX章「神と人間に注ぐ愛」では、バッハに見るバロック音楽の深まりが描かれ、第X章は「数を数える魂」として音楽を数学と結びつけた合理主義が語られ、ちょっと脇道の散歩の風情。そして第XI章では「コーヒーを飲みながら音楽を」で、テレマンやオペラ・ブッファの台頭、そして大バッハの人間くさい「コーヒー・カンタータ」と大バッハの息子達の時代が描かれます。
(7)最後の第XII章は「現代に息づくバロック」で、いわばバロック音楽の受容小史。このへんは、NHK-FM「バロック音楽の楽しみ」の記憶が強い中年世代にはなつかしい記述が多いところです。

とにかく、面白かった。講談社現代新書の『バロック音楽』も読みましたが、あちらは著者の好き嫌いがはっきり出ていて、その点では面白かったけれど、普遍性の点では?でした。こちらの本は、より普遍性があるように感じました。
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コレルリとヴィヴァルディ、ヘンデルとバッハ

2008年07月12日 06時57分32秒 | クラシック音楽
どの時代にも、好敵手と見なされる組合せがあるものです。当方の年代では、さしずめ大鵬と柏戸、ニチボー貝塚とソ連、といったところでしょうか。

今、磯山雅さんの『バロック音楽~豊かなる生のドラマ』というNHKブックスを読んでいますが、この本によれば、バロック時代には、コレルリとヴィヴァルディというのもありそうです。コレルリは豪華な響きの合奏協奏曲、ヴィヴァルディはソロ・コンチェルトで評価されています。さらに時代が下ると、コレルリを引き継ぐヘンデルと、ヴィヴァルディを尊敬し自分のものとしたバッハ(*)、という図式がなりたつかも。もちろん、バッハについては「すべての流れは大海に注ぐ」ことも承知していますが、ごくおおざっぱに言えば、ということです。

私は、どちらかといえば、柏戸~ニチボー貝塚~ヴィヴァルディ~バッハというのがひいきですが、もちろん大鵬あっての柏戸、ソ連あってのニチボー貝塚ですので、コレルリとヘンデルの音楽の魅力をじゅうぶんに認めた上での話。これら「好敵手」の「取組」は何度鑑賞してもいいものです。

(*):「バッハは、二十代の終わりにヴィヴァルディの協奏曲と出会ったことにより、音楽の書き方が大きく変わるほどの影響を受けた。」磯山雅『バロック音楽』(NHKブックス)、p.138より。

写真は、しばらく好んで聴いている、そのヴィヴァルディとコレルリのCDです。
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購入したミニコンポで試してみた結果(1)

2008年07月11日 07時06分42秒 | クラシック音楽
先日来、新たに購入したミニコンポを、いろいろな面から試しています。まず、スピーカのセッティングですが、床にじかに置くよりも、自作スピーカボックスの上に置いたほうが良いようです。やや不安定で地震の心配はありますが、ある程度高さのあるこのほうが、音の定位がぼやけにくいようです。まだまだ改善の余地はあります。

付属のスピーカ・システムは、要するに3cmと13cmのユニットを8リットルの箱に入れたもので、大型システムと比較すれば、はじめから低域不足は明らかです。ただし、最大入力が70ワットと大きいことからみても、でかい音を出すことで低域の量感をカバーするのが、本来の意図のようです。単身赴任のアパートでは、でかい音を出すのは近所迷惑になり、難しい面があります。大きい音、迫力の低音を楽しみたければ、カーステレオか、休日に自宅の装置で楽しむべきでしょう。

でも、そこは昔取った杵柄、予備機のプリメインアンプ Pioneer A-01 にミニコンポの Line Out を接続し、Fostex の FE103 を自作のスピーカボックスに入れたもの(写真の下のほうに見える青い方)を同時に駆動してみました。

(1)ONKYOのFRシリーズのXN7TX(D)のスピーカは、高域がよく伸びて、なかなかいい感じです。ヴィヴァルディの協奏曲集「ラ・ストラヴァガンツァ」のような、弦楽主体の音楽が、実に魅力的に響きます。ただし、低域は小音量ではどうしても不足気味です。意外にパワーが入りますので、大音量ではけっこう鳴ってくれます。
(2)FE103自作ボックスは、内容量は6.5リットル程度のバスレフ方式ですが、中低域がわりに豊かで開放的で、詰まった感じがありません。ただし、高域に独特の紙くささがあり、リング・ツイータの音と比較されると、高域の弱さは歴然としています。
(3)それぞれのスピーカ単独では、互いに相反する特徴をもった両者ですが、これを同時に鳴らしたら?両方のアンプを、自作スピーカの音量よりも、ミニコンポのほうが少~し上回るくらいに調整してみると、中低域がふっくらして、バランスがいい感じになります。自作スピーカの音をなくすと、音の豊かさがすっと減少するのがわかります。結果的に二台のアンプで駆動するわけで、音量も大きくなっているわけですので、聴感上、豊かに感じる面はありますが、プリメインA-01のトーンコントロールの低域を数デシベル持ち上げてやると、なお効果的なようです。

それにしても、今までのパソコン用小型スピーカとは格段の相違です。田部京子さんの演奏するシューマン「交響的練習曲」のようなCDで、ようやく音楽を楽しめる環境になってきたなぁ、という実感をもちます。
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野口悠紀雄「『超』整理法3~時間編」を読む

2008年07月10日 06時18分22秒 | 手帳文具書斎
ようやく、体調も回復しつつあります。ありがたい!昨日の夕方からの会議も無事に役割を終えることができ、まずは一安心です。

さて、なにをいまさら、と言われそうな中公文庫。野口悠紀雄著「『超』整理法3~時間編」を読みました。著者は、ずっと前に雑誌ASCIIの連載で知った方です。発想の基本にMS-DOSのファイル管理と共通のものを感じて、面白いなぁと思っておりました。

この方、スケジュール管理はコンピュータやPDAには適さないと早くから主張され、「超」整理手帳というものを考え出したのは御承知のとおりです。私はといえば、主張の大筋には頷きながらも、A4判四つ折というサイズは大き過ぎる気がして、ついに採用するにはいたらずに来ておりますが、売れっ子になった野口センセイの時間管理術には興味を持っておりました。売れっ子生活を経験したがゆえの、体験からなるノウハウがあるのでは、と考えて、時期遅れの文庫本を手にした次第。

第1章 時間との戦い
第2章 時間を見る技術
1. あなたは時間を見たか~時間と仕事を一覧できるようにすることが大切
2. 時間と仕事を一覧する~手帳の予定表ページをつなげると、予定が一覧できる
3. 手帳革命~「超」整理手帳を発想
第3章 スケジューリングの技術
1. 仕事の進め方五原則~(1)中断しない時間帯を確保する(2)現場主義と応急措置(3)拙速を旨とせよ(4)ときには寝かす(5)不確実なことを先にやる
2. 予定の立て方のヒント~(1)日誌で未来を予測する(2)自分で期限を切る(3)関係者にスケジュールを知らせる(4)ポケット一つ原則でダブルブッキングを防ぐ
3. 予見できぬ事態への対処~重要なものに限り、遠い予定に入れてよい
第3章補論 スケジューリングに関する経済理論の応用~限界効用逓減、予備日を過剰に作る
第4章 時間を増やす技術
1. 時間は増やせる~(1)時間は買える(例:タイピストを雇う、部下に仕事を任せる、職住近接=通勤時間を買う)
2. 時間は無償で取引されている~教えてもらう、メモを書いてもらう
3. すきま時間の有効活用~インプットでなくアウトプットに
第5章 他人の時間を大事にしよう
1. ルールを確認~世界は一人では成立しない~携帯電話の時代には古い習慣を見直そう
2. 新しいルールを~(1)列車の座席を別々に(2)懇談を避ける
3. 時間を大切にする公共政策~道路標識の合理性

全部で2時間ほどで読み終えました。うなづける点も多く、興味深く読みました。私の場合は、仕事を一覧し視覚化することが必要なのは承知しておりますが、日々流れ行く事柄が多すぎて、とても全体を一覧するまで把握しきれていない、というのが最大の問題点かも。今後、なおいっそうの努力を要するところでしょう(^_^;)>poripori

写真は、先日の東京出張で食べた、山形駅弁です。ほんのり塩味のきいた青豆ごはんがなんともいえず美味しかった。
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具合が悪く、戻って休みました。

2008年07月09日 06時27分21秒 | Weblog
昨日は、朝から調子が悪く、出かける頃からおなかが張って困りました。出勤したあたりから気持ちが悪く、冷や汗が出て立っていられない状態に。血圧は上が90台、下は50台です。枕と毛布を借りて少し休み、小康状態を見計らって、休みを取って単身アパートに戻りました。

アパートで昼過ぎまでゆっくり寝て、おそるおそる食事をとり、夕方までさらにうつらうつらしておりました。おかげでようやく起きられるようになり、夕飯はなんとか作って食べることができました。原因は何でしょうね。今流行の、ウィルス性のやつかな?

うつらうつらしながら、それでもCDを静かに流してしまうのは、どう言ったらよいのでせうか(^o^;)>
でも、さすがにCDを選んでいる元気はなくて、ちょうどプレーヤーに入っていたドヴォルザークの「ヴァイオリンとピアノのための作品全集」Disc-2を聴きました。スーク(Vn)とホレチェック(Pf)の演奏で、「四つのロマンティックな小品」がとても良かった。

さて、体調から言うと本日は休みたいところですが、夕方から重要な会議が入ります。なんとか持たせないといけません。

写真は、某所から見た月山です。少しコントラストを強調しています。
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新しいミニコンポで試してみたいこと

2008年07月08日 07時23分36秒 | クラシック音楽
新しく導入した、単身赴任アパートのためのミニコンポ、あまり大きな音量では鳴らせませんが、いくつか試してみたいことがあります。

(1)TVの共聴アンテナ端子にFMを接続してみる。指向性は違うがVHF帯でもあり、室内アンテナよりはましかもしれない。
(2)X-N7TXに附属する2ウェイ小型SPの音と、CDアンプの Line out から取った信号をパイオニアのプリメイン・アンプA-01に接続し、Fostex の小型スピーカ FE103 を用いた自作スピーカでリアルタイムに比較してみたい。
(3)適合する曲目ジャンルのテストをしてみたい。ヴィヴァルディの協奏曲集「ラ・ストラヴァガンツァ」のような弦楽合奏は、たいへん美しく再生できますが、大編成のオーケストラやピアノなどの器楽、あるいは声楽などはどうでしょうか。
(4)AM/FM放送の、MDへの長時間タイマー留守録。音楽ソースはあまり期待していませんが、それ以外の深夜・早朝、あるいは日中の番組など。

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ヴィヴァルディの協奏曲集「ラ・ストラヴァガンツァ」を聴く(2)

2008年07月07日 06時19分21秒 | -協奏曲
だいぶ聴き進んできました、イタリア合奏団によるヴィヴァルディの協奏曲集「ラ・ストラヴァガンツァ」ですが、Disc-2もなかなかすてきな音楽ばかりです。

第7番、ハ長調。本協奏曲曲集では、合奏協奏曲の緩-急-緩-急の4楽章形式を取る唯一の曲です。第1楽章は、ラルゴ。終わりのオルガンが快い響きです。第2楽章は弦楽合奏による軽やかなアレグロ・モルト。第3楽章、ラルゴ。ここでは、オルガンと弦楽の静かな合奏の中に、ソロ・ヴァイオリンがしっとりと歌います。第4楽章、アレグロ。低音弦がポリフォニックに響きます。
第8番、ニ短調。第1楽章、アレグロ。せきとめられていた激しい感情を、あふれだすように率直に表出したような急速な曲想が、途中でチェンバロが静かに呟くような第2楽章のアダージョに変わり、深い闇のような間を経て第3楽章のアレグロへ。比較的長めのこの楽章は、いかにもバロック風な音楽です。
第9番、ヘ長調。第1楽章、アレグロ。合奏協奏曲ふうな合奏で始まります。はずむようなリズム、ヴァイオリン・ソロは、運動性ゆたかです。第2楽章、ラルゴ。うったえるようなソロ・ヴァイオリンと弦楽合奏が交互にやりとりする中に、チェンバロがなだめ役のように入ります。第3楽章、アレグロ。
第10番、ハ短調。第1楽章、スピリトーゾ。ソロ・ヴァイオリンがたいへん活躍します。弦楽合奏のふっくらとしたやわらかさ、そして突然の中断。第2楽章、ためらうように始まるアダージョ。先の中断との対比が、たいへん効果的です。実演では、きっと思わずハッとすることでしょう。通奏低音のチェンバロが引き締めます。第3楽章はアレグロです。
第11番、ニ長調。第1楽章は明るく晴れやかなアレグロ。まるで早口言葉の応酬のようです。オルガンもけっこう登場します。第2楽章、ラルゴ。オルガンとチェロに導かれて、ソロ・ヴァイオリンが優美なアリアを歌う様子は、まるで美しいプリマドンナが嘆きの歌を歌うバロック・オペラの一場面のようです。第3楽章、アレグロ・アッサイ。再び活発な弦楽合奏に乗って、ソロ・ヴァイオリンと弦楽合奏が華やかに縦横に活躍します。
第12番、ト長調。第1楽章、スピリトーゾ・エ・ノン・プレスト。トゥッティとソロが明確に交替し、明解ではっきりした対比です。第2楽章、ラルゴ。ゆったりした低音主題の上で、幼い少女がたどたどしさを見せながら一生懸命訴えるような、愛らしさで印象的な変奏が展開されます。第3楽章、アレグロ。一転して速い曲想です。速いパッセージも奏ききるソロ・ヴァイオリンなど、変化に富む楽想が楽しめます。

この魅力的な曲集の名前として用いられている、"La Stravaganza"(ラ・ストラヴァガンツァ)という呼び方は、「風変わりな」という意味だそうです。たしかに、当時の教会における音楽としては、あまりにも個人的な感情を強く表出したものなのかもしれませんが、後世においてソロ・コンチェルトというジャンルが登場する前の、見事な先駆けであると同時に、コレルリなどの合奏協奏曲のしなやかな魅力をもあわせ示した作品というべきでしょう。イタリア合奏団の見事な演奏、コンタリーニ宮における見事な録音とともに、素晴らしいCDだと思います。



写真で言えば左側が楽しんだヴィヴァルディのCD。右側のは、コレルリの合奏協奏曲集Op.6です。
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単身赴任用に、ONKYOのミニコンポを購入

2008年07月06日 10時50分55秒 | クラシック音楽
苦節三ヶ月(?!)、ようやく、と言うべきか、ついに、というべきか(^o^)/
単身赴任アパート用に、ミニコンポを購入しました。地元の量販店で見つけた、ONKYOのミニコンポ、FRシリーズの製品です。型番は、XN7TX(*) というのだそうです。

*:ONKYO FRシリーズ XN7TX(D)~Dはダークブラウンの略か

なにをいまさらミニコンポ、各社それぞれパソコンやネットワーク、あるいはデジタルオーディオプレイヤーとの連携を打ち出して来ています。でも、単身赴任用6畳1DKのアパートでは、音楽を楽しむことができ、目覚ましやスリープが使えてお値段がそこそこリーズナブルであればいいのです。選択の決め手は、スピーカでした。ドンシャリでない、自然な音。ユニットや箱のサイズからして、リアルな低域を期待しても無理というものでしょう。あまり音域を欲張らない、自然な定位が理想です。

今や旧型在庫品なのでしょうか、処分価格で購入できました。静かに音楽を聴きながら寝てしまうスリープ再生や、音楽で目覚めるタイマー再生など、当分楽しめそうです。また、PioneerのプリメインアンプA-01が眠っていますので、FE103自作スピーカと比較してみる実験なども可能です。昔の血が騒ぎます(^o^)/
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カーステレオでヴィヴァルディの協奏曲集を聴くとき

2008年07月05日 07時56分18秒 | -協奏曲
カーステレオでよく知っている曲を聴くときは、脳内サーチ機能が作動し、それほど困りはしませんが、あまりなじみのない音楽を聴くときは、今が第何楽章なのか、判断に困ります。パソコンならば、ネット上のデータベースから検索して、曲目はおろか、演奏者まで表示してくれますが、もちろん私の車のカーステレオには、そのような便利機能はついておりません。ましてや、ヴィヴァルディの協奏曲集のように、18曲も19曲もあるようなCDでは、トラック番号を瞬時に読み取り、第何番の第何楽章、と変換する、高度なテクニックが必要です(^o^)/

実は、ヴィヴァルディの協奏曲集「ラ・ストラヴァガンツァ」では、実に明瞭な規則性がありますので、非常に容易に変換が可能です。つまり、

Disc-1では、第1番~第6番が収録されており、全部が3楽章からなる。すなわち、
(1)Tr番号に2を加え、3で割った商が曲の番号になる。
(2)Tr番号に2を加え、3で割った余り+1が楽章の番号になる。
たとえば、お気に入りのトラック15は、(15+2)÷3=5…2 となりますので、第5番の第3楽章、という具合です。Excel で示せば、こんな具合。



Disc-2では、第7番だけが4楽章で、第8番~第12番までは3楽章からなっています。したがって、計算はちょいと面倒ですが、なに、違いがあるのはDisc-2の頭にある第7番だけですので、曲の番号と楽章を少々ずらしてやればよいだけです。つまり、第7番だけは、3で割らずに4で割る(^o^)/



こんなふうにして、第10番の第1楽章の、突然ふっと中断するような終わり方と、ためらうように始まる第2楽章のアダージョの入り方は、効果的だなぁ、などと記憶しています。

演奏、録音ともに優れたこのCD、通勤の音楽として連日聴いていると、毎日何かしら発見があって、なかなかいいものです。
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オリヅルランというのだそうです。

2008年07月04日 07時07分59秒 | Weblog
わが家の玄関先にぶら下げてある鉢物のうち、一鉢から小さくて可憐な花が咲いています。細長い茎に小さな花をつけ、その先にまた子株がついてぶら下がっています。ランナーと言うのでしょうか、子株をぽきりと折り取って植え替えると、またふやせるのだそうで、低温にも強いため、育てやすいのだとか。おもしろい性質を持った植物ですね。

どうも、風邪を引いたらしい。今回は、休まなければいけないようです。少々くたびれています。連休がありがたいです。
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安けりゃいいってもんじゃないが、高けりゃいいってもんでもない。

2008年07月03日 06時29分16秒 | クラシック音楽
ずいぶん前に、単身赴任のアパートの音楽再生環境がまだ不十分だ、という話をしましたら、老父母が使わなくなったラジカセがあるのだそうで、「アレでよければやるよ」という話でした。なんでも、通販で安いと思って買ってみたら海外製で、安物買いの銭失いだった、といういわくつきのものだそうです。

何だっていいよ、ないよりいいよ、とか言ってアパートに持ってきたのはいいのですが、やっぱり老父母が呆れるだけありました。DVD/CDプレーヤーとはいうものの、すごい回転音とS/N比の悪さ。電源を入れただけで、ザーっという「騒音」です。いや、さすがにこれでは、クラシック音楽のピアニシモを楽しむレベルではありません。幸福なヴィヴァルディの音楽を聴いてイラついていたら、お話しになりません。早々にボツです。その点、やっぱり一定レベルの国産ブランドは信頼できます。

もうひとつ、安けりゃいいってもんじゃないが、高けりゃいいってもんでもない話を。

ある外国製の高価なDVD/CDプレーヤーの中身が、ふたを開けたら実は日本製の一万円台の製品とそっくりだった、という話(*)は、ずいぶん話題になっているようです。当方、高級外国製品とはとんとご縁がない生活なので、別にどうということはないのですが、その一万円台の日本製品というのには、大いに興味があります。昔のアナログ・レコード・プレーヤーの時代からなじみ親しんだパイオニア製品とあっては、むしろ当然という感じさえ持ちます。我が家でも、2台あるDVDプレーヤーおよびレコーダーは、両方ともパイオニア製品。しかも、うち一台はまさしく一万円台のこの製品の系列のようです。

安けりゃいいってもんじゃないけれど、高けりゃいいってもんでもない。どうもそのへんに、この世の面白さがあるようです。

(*):こちらがそのお話。
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畠中恵『ねこのばば』を読む

2008年07月02日 05時12分51秒 | 読書
畠中恵さんのシリーズ第3作、『ねこのばば』を読みました。全部で5本の作品が収録されています。

第1話、「茶巾たまご」。健康で食欲旺盛な若だんななんて、そんじょそこらにある時代物と同じじゃないか、たぶん、落ちではまた寝込むんでしょ、と読んでしまいました。お話は案の定でしたが、「○○レシピ百選」なんてのは、単身赴任むきに書いてあるのでしょうか(^o^)/
第2話、「花かんざし」。人の目には見えないはずの鳴家が見える迷子の少女於りん。少女を着せ替え人形のようにして可愛がる若だんなの両親。しかし、於りんは家に帰ると殺されると言います。病とはいえ、不幸な女性がドラマティックに描かれる物語です。
第3話、「ねこのばば」。猫嫌いの人にはたまらない話かも。寛朝さんという坊さんも、なかなかたいしたものです。なんとなく、江戸時代のゲオルク・ショルティを連想してしまいました。桃色の雲なんていうのがあれば、単身赴任の宿も、もう少しうるおいがあるのかもしれません。
第4話「産土」。「産土」は「うぶすな」と読むのだそうです。弘法大師が描いた1枚の野猪除けの絵から抜け出た犬神の放浪の物語です。若だんなというから、てっきり一太郎のことかと早合点してしまいました。作者の術中にはまったというべきでしょう。人形の腕が強いイメージとして残る、なかなかシュールな物語です。
第5話「たまやたまや」。甘やかされた子どもは放蕩息子になるのですか、そうなのですか。そうとは限らないのでは、などと思っていては物語りは始まりません。お春ちゃんの純情、一太郎の善良で思いやりのある気持ちが、美しいがどこかさびしい結末に託されます。

駕籠が来て、花嫁が乗り込んでゆく。栄吉や親、親戚達が付き添った。
周りから小さい子供の、甲高い声が聞こえている。一寸、空をゆく、虹色のしゃぼんを見た気がした。幼い日の己らのように、子らは婚礼の華やかさを、今目に焼き付けているのだろうか。
花嫁の列が進み始める。若だんなは一歩踏み出して、止まった。もう駕籠には、声も届かない。遠ざかってゆく後ろ姿はやがて、道の先に消えていった。

以上、新潮文庫版、p.311~2 より。印象的な終わり方です。
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