電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

ベートーヴェンの速度表示は「無茶」だったのか

2011年09月30日 06時02分18秒 | クラシック音楽
私がまだ若かった頃、1960年代末~70年代前半にかけて、ベートーヴェンはメトロノームの発明を喜んだものの、実際の速度表示はとても演奏できず、「無茶」な指定だと決めつけるばかりか、ベートーヴェンのメトロノームは壊れていたとか、ベートーヴェンは速度表示など無視していた、とする記事が少なくなかったように記憶しています。

この頃にはまた、ベートーヴェンの演奏の真髄を示すのは物故した某ドイツの指揮者であり、その遅いテンポこそ、音楽の精神性を表しているのだ、という論調もよく見られました。素人音楽愛好家にすぎない当方は、ふーん、そんなものかと思っていましたが、お気に入りの演奏は快速テンポの溌剌としたものが中心で、今にも音楽が停止しそうでハラハラする激遅演奏には、どうもついていけないものを感じておりました。

どうもこれは、すべての音にヴィヴラートをかけていたのでは、指定の速度で演奏するのは無理だ、というだけの話であって、オリジナルな速度指定に基づき、ノン・ヴィヴラートの古楽奏法で演奏した表現の可能性が見直されるようになったのが、近年の現象なのであろうと思います。

現代楽器を用い、ヴィヴラートを多用した豊麗な音で、ゆったりと演奏される音楽の表現が、心休まる場合も少なくなく、大好きな録音も多いのですが、また一方で、古楽器を併用し、古楽奏法を取り入れて演奏される、透明で快活な音と表現が、たいへん新鮮に魅力的に感じられます。こういう無節操かつゼイタクな素人音楽愛好家の立場からは、ベートーヴェンの速度表示は「無茶」だったとは言えず、むしろ今にも停まりそうな激遅演奏のほうが、高速道路をトラクターで走るような無頼な表現なのかもしれない、と思ってしまいます。さて、実際のところはどうなのでしょう(^o^;)>poripori

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おもしろかった新書ランキング・・・はありますが

2011年09月29日 06時05分53秒 | 読書
だいぶ前の朝日新聞土曜版beに、beランキング「読んで面白かった新書」の満足度を調査した結果がありました。本好きには、これがなかなか興味深いものでした。具体的には、例えば上位ベストテンは、

(1) 福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)
(2) 堤未果『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書)
(3) 星野仁彦『発達障害に気づかない大人たち』(祥伝社新書)
(4) 池上彰『知らないと恥をかく世界の大問題2』(角川SSC)
(5) 野中広務・辛淑玉『差別と日本人』(角川Oneテーマ21)
(6) 藤原正彦『国家の品格』(新潮新書)
(7) 曾野綾子『老いの才覚』(ベスト新書)
(8) 武田邦彦『偽善エネルギー』(幻冬舎新書)
(9) 山田真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』(光文社新書)
(10)藻谷浩介『デフレの正体』(角川Oneテーマ21)

という具合です。

残念ながら、私が読んだことがあるのは、(2) の『ルポ貧困大国アメリカ』のみ。『生物と無生物のあいだ』は、興味は持ちながら、まだ読んでおりませんでした。

先日の『放射線と健康』のように、新書は興味のあるテーマについて、突っ込んで掘り下げてみたいときに選ぶことが多いです。いわば、百科事典の記述をさらに詳しく、その前後を含めて知りたいとき、かな。新書のベストセラーを手にすることが少ないのは、どうも私のそういう流儀によるところが多いようです。

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舘野之男『放射線と健康』を読む(2)

2011年09月28日 06時07分52秒 | -ノンフィクション
舘野之男著『放射線と健康』(岩波新書)の続き(*1)です。

第4章は、放射線事故の歴史と概要を述べ、放射線傷害について解説します。放射線の人体に与える影響で言えば、確定的影響についての章です。こちらは、しきい値があることが示されます。
第5章では、放射線の人体に与える影響のうちの確率的影響について解説しています。端的に言えば、被爆二世の追跡調査などの様々な結果から、遺伝的な影響というのはみつからないこと、むしろ原爆被爆者の寿命調査の結果からわかったのは、「放射線の影響で重要なのは遺伝ではない、がんだ」ということです。これは、集団遺伝学上の問題は別として、亡父と私、また私の子供たちを見ても、そう思います。
ただし、本書は著者の立場上なのか、低線量被曝に対しては比較的寛容な立場をとっています。放射線ホルミシスという概念を紹介し、低線量の放射線はむしろ細胞の遺伝子修復の機構を活性化する、と考えているようです。
それは、増殖能を持つ細胞、つまりDNA複製と細胞分裂を行う細胞において、DNAに損傷が見つかると修復機構が働き、修復できない場合はアポトーシスを起こして細胞死をもたらし、除去されます。DNA損傷を塩基損傷と1本鎖切断と2本鎖切断の場合に分け、前2者は修復可能だが後者は修復の誤りが10個中に1個くらいあるとします。また、DNA損傷の仕組みについても、直接損傷と活性酸素による損傷に分け、細胞内の水が放射線によって分解され、生じる活性酸素によるものとしています。酸素呼吸の過程でも活性酸素が生じますが、放射線による場合は局所的・限定的である点が特徴だということです。
大量の放射線を浴びたときは、遺伝子修復機構はすべてのDNA損傷を直すことができなくなり、その結果、DNAの永続的変異が増える、つまりがんが増える、と指摘します。
福島原発事故の現実を前にして、少量の自然放射線ならば自然修復機能が活性化される可能性を論じる部分は、いささか悠長な気がします。
第6章は、医療被曝問題を論じます。奇形の発生にはしきい値があり、現在の普通のX線検査の線量では奇形児は生まれない。X線検査を理由にした妊娠中絶を、「安全重視がかえって殺人を引き起こす」とします。ここが、X線検診を中年以降に限定することや低線量撮影技術の開発などを提唱した著者が、おそらく一番書きたかった部分なのでしょう。

福島原発事故を前にして書かれた本ではなく、どちらかといえば、医療分野で放射線の積極的な利用を推進する立場だったであろう著者らしい主張ではありますが、基礎的な放射線医学の知識をコンパクトに整理することができました。被爆二世の一人として、遺伝影響はない、がんが問題だ、という一節が、やけに印象的です。

(*1):舘野之男著『放射線と健康』を読む(1)~「電網郊外散歩道」2011年9月

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舘野之男『放射線と健康』を読む(1)

2011年09月27日 06時01分12秒 | -ノンフィクション
岩波新書で、舘野之男著『放射線と健康』を読みました。2001年に刊行された本書の刊行当時、1934年生まれの著者は67歳。放射線医学総合研究所の客員研究員という肩書きから判断して、おそらく同所に長く勤めた方で、放射線医学の第一人者という立場なのでしょう。表紙カバーには、次のような文章が掲載されており、これが本書の性格を一番的確に表しているものと思います。

検査や医療などで放射線を浴びる機会はますます多くなっている。また原発事故や医療事故のニュースは後を絶たない。被曝による傷害やがんのリスクはどのくらいあるのだろうか。遺伝への影響も気にかかる。安心して医療を受け、日常生活を送れるように、目に見えない放射線の実体や身体・環境への影響、さまざまな単位をやさしく解説する。

本書は、1974年の前著『放射線と人間~医学の立場から』の全面改訂版だそうです。「まえがき」において、著者は、かつての常識とは反対に、「普通のX線検査で奇形児が生まれることはない」という立場は、現在では「議論の余地のない定説」であり、X線検査を理由にした妊娠中絶は何とかして防がなくてはならないと述べており、このあたりが改訂の強い動機になっているようです。もちろん、福島原発事故などは想定されておりませんが、放射線が健康に与える影響について、わかりやすく解説しています。本書の構成は次のとおり。

第1章 放射線とはなにか
第2章 放射線の量を測る
第3章 日常の放射線
第4章 放射線障害
第5章 遺伝影響と発がん
第6章 放射線障害から見た医療

第1章では、放射線の発見以後の歴史を概観し、放射線の種類と性質を解説します。
第2章では、目に見えない放射線の量を測ることの意義と困難を説明した上で、国際的な単位、ベクレル(Bq)やシーベルト(Sv)などを説明します。
第3章では、1950年代、60年代の核実験に由来する放射性物質の降下(フォールアウト)を調べた結果から、人体内の放射能の年代による推移を示している点が興味深いところです。宇宙線由来の炭素14はβ線しか出さず、人体からのサンプル採取が困難ですが、体内のセシウム137は天然には存在せずγ線を出すので、ホールボディカウンタで測定可能です。Cs137の健康な成人男子の人体内の推移について、内山正史のデータから、

 セシウム137体内量は1963年の測定開始時にはすでに上昇しており、引き続いて上昇を続けて1964年10月に最大値、約600ベクレルに達した。その後は時間の経過につれて急速に減少し、1968年末には約70ベクレルとなった。
 1970年から体内量は微増傾向に転じ、1971年前半には、1968年初めのレベルに戻った。これは1967年から1970年まで中国が毎年おこなった3メガトン級の大気圏内核実験によってセシウム137が補給されたためである。1973年には2.5メガトン、1976年に4メガトンの核実験が大気圏内で実施された。この期間、体内量は30ー50ベクレルを維持している。
 大気圏内核実験は1980年10月の中国の実験を最後におこなわれなくなった。それにつれて体内量も減少を続け、1986年2月には22ベクレルとなった。(p.63-64)

のように述べています。
さらに、チェルノブイリ原発事故の影響についても、事故直前の1986年2月の22ベクレルという値が、4月26日の事故発生以後、5月第4週に30ベクレルに増加し、翌年5月には平均60ベクレルに達して、3年後にはもとに戻ったことが示されます。(p.64)
なるほど、暫定規制値の500ベクレルという数値がどのようなレベルなのか、参考になります。
ただし、体内には、例えばカリウムが体重あたり0.2%程度含まれますから、体重が60kgの人の場合、60×1000(g)×0.2×1/100=120(g) 含まれることになります。うち98%が細胞内に存在し、その量は 120(g)×0.98=117.6(g) すなわち、約118gということになります。カリウムは陽イオンの形で存在し、細胞膜の内外でナトリウム・イオンと濃度バランスをとることで、各種の細胞活動の調節に役立つ元素です。
一方、天然のカリウムには、カリウム40という放射性同位体が 0.0118%だけ含まれています。私たちの体を作る細胞内には、体重1kgあたり2gのカリウムが含まれるので、その0.0118%、つまり 2(g)×0.0118×1/100=0.000236(g) の放射性カリウムが含まれ、その放射能は約60ベクレルになるそうです。体重が60kgの人ならその60倍ですから、0.000236(g)×60=0.01416(g) つまり 0.0142g のカリウム40が含まれ、その放射能としては、60×60=3600(Bq) ということになります。(p.68)
放医研で測った、著者の1998年1月の体内放射能測定の結果は、

セシウム137 22.4ベクレル (0.002μSv/日)
カリウム40  3740ベクレル (0.46μSv/日)
その他の核種 検出されず

とのことですので、おおむねそんなところでしょう。これが、通常の内部被曝ということになります。



この項、さらに続きます。
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草刈りと枯死樹の伐採と肥料散布

2011年09月26日 06時01分37秒 | 週末農業
世間は三連休のようですが、当方は土曜に出張が入り、変則的な週末です。それでも、台風一過で好天が続き、暑くもなく寒くもなく、畑仕事にはまことに快適な季節です。そこで、妻と一緒に、果樹園の草刈りと枯死樹の伐採、それに肥料散布を行いました。




作業中に、ふと足元がずいぶんふかふかなのに気づいて、三角鍬で耕してみたら、モグラ穴がえんえんと続いています。それも、草刈りをした後の、土に還ろうとしているあたりが、集中的に穴ぼこだらけになっています。なるほど、枯れ草を餌にするミミズや虫たちを求めて、モグラがトンネルを掘ったのでしょう。そして、この穴をノネズミが利用し、冬季間に餌がなくなりサクランボの根をかじるために、樹勢が衰え、やがて枯死するわけですね。それは大変!急遽、三角鍬で樹の周囲を耕し、枯れ草を除いて土をむき出しにしました。これで、穴を掘れないノネズミは入り込めませんし、穴から顔を出せば、トンビやカラスに狙われる可能性が高くなります。もっとも、一日に何百メートルも穴を掘るモグラには負けますので、根本的には園地全体を耕運機で耕してしまうことが必要かも。




さて、一休みするときは、りんごをむいて食べます。サクランボとは違い、りんごのほうまではとても手が回らず、ろくに消毒もしていませんので虫食いだらけですが、中には健全な実もあります。果樹園に腰を下ろして食べると、これが意外に美味しい。九月のりんごは「つがる」という品種です。定年退職したら、りんごもきちんと剪定をして、きちんと消毒もして、ちゃんと収穫したいね、という点で、妻と意見が一致しました。

動くと汗をかきますが、じっとしているとすうっと涼しく感じます。水筒で持参した水が何よりもおいしい。近くの田んぼでは、家族総出で稲刈りをしていました。まさしく収穫の喜びです。でも今年は、残留放射能の測定をして出荷するのだとか。山形県のお米は、おそらくほとんど影響は受けていないと思われますが、ちゃんと調べて不検出のものだけを出荷するのだとか。もうすぐ我が家のお米も収穫時期になります。



写真は、少し離れた園地からの帰路、途中の田んぼに伸びる軽トラックの影です。

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村上もとか『JIN~仁~』第5巻を読む

2011年09月25日 06時05分59秒 | 読書
まさかこの歳になって、漫画を購入してブログに感想を書くなどということが起こるとは思いもよりませんでした(^o^;)/
集英社漫画文庫で、村上もとか著『JIN~仁~』第5巻を読みました。

本巻は、「陣の章」の続きから。西郷隆盛の虫垂炎開腹手術の場面が描かれます。さらに、後の新選組との関わりを媒介するためか、小菊という少女の飼い猫の後肢切断手術も。騒動が一段落すると、坂本龍馬とお龍が登場、沖田総司や一橋慶喜との対面で、龍馬暗殺の場面の役者が一気にそろった感じです。

次の「親の章」は、橘咲と母親・栄の関係を描きます。縁談を蹴飛ばして家を出た咲が、重症の脚気でも回復しようとする気力をなくしてしまった栄を、直接に助けることはできません。南方仁先生と咲さんは、栄の好きなお菓子でビタミンB1を補給しようと考えます。テレビでは、子役の喜市クンの健気さにうたれて、栄さんが安道奈津を食べるのでしたが、原作ではあくまでも仁先生と栄さんの対話です。新作のネタに悩む澤村田之助が、浮世絵師・雲泉に描かれた「生まれ変わった」野風をヒントに、「傾城野分廓恋鑑」を演じると、これが大当たり。雲泉の浮世絵も売れに売れ、野風見たさに仁友堂ににわか患者が殺到する始末、栄さんの脚気も好転します。

そして「呻の章」。脚気に効くと売り出した安道奈津が大人気になり、大奥の皇女和宮が田之助の「傾城野分廓恋鑑」の芝居が観たい、安道奈津が食べたいということで、仁先生も一肌脱ぎ、某寺院で上演しますが、皇女和宮は毒入りの茶で倒れ、仁は奥医師に指示して胃洗浄を行います。ようやく危機を脱したと思ったら、仁先生と咲さんは、和宮に毒を盛った疑いで捕えられてしまいます。



このあたり、テレビドラマでも緊迫の場面でした。いかにもおてんば少女という雰囲気の皇女和宮は、原作では咲さんと同年齢という想定ですが、テレビでは咲さんよりもずっと年下に見えました。このへんは、なかなか難しいところです。

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最近の読書~放射線の影響について

2011年09月24日 06時11分45秒 | -ノンフィクション
亡父は、昭和21年8月10日に広島市に入り、爆心地から2kmほど離れた比治山で被爆者の救援に当たったために入市被曝して、血液の異常の症状を示したほか消化器系のガンを何度も発症するなど、長い闘病生活を送りました。

陸軍で同じ訓練を受けた通信隊の同期で、広島に配属された仲間の一人は、直接被爆してケロイドを持っていながら、亡父よりも元気で存命なようです。この理由について、火傷を負ったためにすぐに広島市外に運ばれ、体内被曝をしなかったためであろうと推測しています。救援に入った亡父は、健康であったために市内にとどまり、飛散した放射性廃棄物が含まれた水を飲みながら一週間の救援作業に当たったことから、外部被爆とともに、かなりの内部被曝をしたためであろうと考えています。その点で、様々な原爆被害は、生々しい外傷など、目に見えるものを手がかりに伝えられているものが多く、内部被曝の、長期にわたる影響を充分に伝えているとは言い難いと感じています。

これまで、広島や長崎、あるいはビキニ環礁の水爆実験、チェルノブイリなどで、体内に取り込まれた放射性同位体の影響のデータが積み上げられてきていますが、体内被曝がどのようなメカニズムで様々な影響を及ぼすのか、その因果関係は必ずしも十分な形で確定しているとは言えないようです。ただ、因果関係がメカニズムとして明らかにされていなくても、統計的には発がん率の有意な上昇が見られるとのことで、これは亡父の場合にもあてはまります。山形県のような、福島原発の風下にはなりにくい地域では、受ける放射線量が微弱なため、外部被曝による確定的な影響についてはあまり神経質になる必要はないのかもしれません。しかしながら、食品等を経由した内部被曝による確率的な影響についてはどうなのでしょうか。例によって、当方のわかる範囲で整理するために、ただいま勉強中です。若い頃に、被爆二世の遺伝的影響について知りたいと思って入手し、読んだ江藤秀雄著『人体と放射線(第2版)』(岩波全書)や、もう少し新しい本で、舘野之男著『放射線と健康』(岩波新書)など、放射線医学の基礎的な知識を整理しているところ。遺伝的な影響よりは、むしろガンの問題が大きいとのこと。亡父のケースも、まさにこれに該当します。昔、学生時代に特別集中講義で聴いた放射線化学の内容なども、断片的に思い出します。

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ハイドン「チェロ協奏曲第1番」を聴く

2011年09月23日 06時02分42秒 | -協奏曲
最近の通勤の音楽は、ハイドンのチェロ協奏曲です。チェロ独奏はヨーヨーマで、ホセ・ルイス・ガルシア指揮のイギリス室内管弦楽団の演奏。第1番と第2番、それにボッケリーニのチェロ協奏曲を収録したCD(CBS-SONY:22DC-5526)ですが、本日は第1番を取り上げます。

Wikipedia(*1)によれば、この曲は、「ハイドンが1765年から1767年頃に作曲したチェロ協奏曲の一つ」で、「ハイドンの真作と確認され、現存しているチェロ協奏曲は、この曲と第2番 ニ長調 Hob.VIIb-2 作品101のみである(第3番は紛失)」とのことですから、30代中頃の作品ということになります。「楽譜は長い間失われていたが、1961年にプラハで筆写譜が発見され、1962年にミロシュ・サードロのチェロにより復活初演された」曲だそうな。なんと、そんなことがあったのですか。二百年も眠りつづけた音楽が、こうして録音され、東洋の島国の片田舎で愛好されるとは、ハイドン先生も、おそらく想像できなかったことでしょう。

楽器編成は、独奏チェロ、オーボエ2、ホルン2、弦5部というものだそうで、
第1楽章:モデラート、ハ長調、4分の4拍子。いかにも古典派ハイドンらしい出だしで、独奏チェロが入ってくると、がぜん魅力アップです。ヨーヨーマのチェロは、実に屈託なく、音も美しく、ハイドンの音楽の性格が実によく似合っています。
第2楽章:アダージョ、ヘ長調、4分の2拍子。管楽器を外し、弦だけで演奏される、優美な緩徐楽章。チェロの独奏部分もステキです。
第3楽章:アレグロ・モルト、ハ長調、4分の4拍子。バロック協奏曲の性格を残した、急ー緩ー急で言えば「急」の楽章です。独奏者の技術を示す演奏効果もあり、速いテンポとリズムが快感を感じさせる音楽です。

ハイドンの音楽は、若い頃は「しかつめらしい音楽で、ドラマチックな迫力に欠ける」と感じていました。ところが中年以降は、じわりと良さを感じます。たっぷりヴィヴラートをきかせたこの演奏は、古楽奏法による快速表現とは違い、少し取り澄ました感じはいたしますが、それはそれで耳馴染みの安心感があります。

そういえば、昔、ロストロポーヴィチが演奏するハイドンのチェロ協奏曲のレーザーディスクを、某君に記念に贈って、たいへん喜ばれたことがあります。ロストロポーヴィチのあの演奏も、とてもよかった。某君は、先年、惜しくも急逝してしまいましたが、この曲を聴くと、彼の笑顔を思い出します。

■ヨーヨーマ盤
I=9'01" II=8'13" III=6'28" total=23'42"

(*1):チェロ協奏曲第1番(ハイドン)~Wikipediaより

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台風15号、ようやく通過

2011年09月22日 06時01分44秒 | アホ猫
全国的に大きな影響を残した台風15号が、ようやく通過して行きました。当地山形でも、首都圏の交通の混乱ほどではありませんが、鉄道が一部運休し、道路も山岳道路の峠付近で通行止めになりました。河川も水位が上がり、警戒水位に達したところもあったようです。

こんなときには、さすがのアホ猫もハンティングは控えるものらしく、終日自宅でゴロゴロしていたそうです。たしかに、少々肌寒い気温ですので、丸くなって寝ているほうが楽チンなのでしょう。猫たちには、こんなお天気のときに外出する人間のほうが、アホに見えているのかもしれません。



でもねえ、アホ猫よ。そうやって、風雨にもかかわらず出勤する人間様が、お前たちのエサを運んでいるのだぞ。少しは感謝しろよ。

そんなことを言っても、アホ猫たちは全然興味を示しません。ありがたいお説教(^o^)も、猫に小判、馬の耳に念仏、カエルの面に小便、てなもんです。まあ、クルミの脳みそですから(^o^)/

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「暑い暑い」が「寒い!」に急変

2011年09月21日 06時03分08秒 | 週末農業
先日の連休時には、暑さも一段落したところで、自宅裏の果樹園の肥料散布を行いました。40kgほど散布しましたが、まだまだ全体の1~2割程度です。雨が降ってきそうでしたので、そこで中断しました。

つい数日前まで、30℃を越える猛烈な残暑にグッタリしていたのに、今度は20℃を下回るような気温です。涼しいを通り越して、寒い!こんな気温だと風邪を引きやすくなるのか、クシャミ連発です。

昨日から雨が降り、ずっと降り続いています。畑にとっては久しぶりの雨ですが、当地でも少々降りすぎです。報道によれば、近畿~中京方面の降り方は、少々どころではないようです。台風と大雨の被害が、最小限にとどまることを祈ります。

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村上もとか『JIN~仁~』第4巻を読む

2011年09月20日 06時08分54秒 | 読書
集英社漫画文庫版、村上もとか著『JIN~仁~』第4巻をよみました。本巻は、「尋の章」より「運命の決断」から。橘咲さんの縁談話が進む中で、南方仁先生は、吉原の花魁・野風の依頼で、乳ガンの再診察を行います。今回は、華岡流の麻酔術と乳ガン診療の経験を持つ佐分利医師と一緒です。野風の乳ガンは進行しており、今度は乳腺に分泌物も確認されます。野風の身請け話は破談となり、面子をつぶされた医師・三隅俊斎は、ひそかに復讐の策を練ります。それは、野風の手術の最中に、刀にモノを言わせて押し入ろうというものでした。橘咲さんの決死の覚悟と新門辰五郎親分の力で、なんとか暴挙は押しとどめます。この場面、テレビでもなかなか迫力がありました。

続いて「新の章」。乳ガンの手術で吉原を去った野風は、仁友堂に住み込み、下働きを始めます。生まれ変わったような姿を描き始めた浮世絵師:桜川雲泉は、手根管の手術で再び絵筆を握ることができるようになります。一方、坂本龍馬が報せたのは、佐久間象山が襲撃され、重態だという情報でした。勝海舟の妹が嫁いでいる関係もあり、勝の依頼で、仁先生はペニシリン製造スタッフの一部を引き連れて、船で京都に向かいます。

京の都は、たいへんな状態。長州藩やら新選組やら、どこも殺気立っていて、「陣の章」は内戦状態に突入する前夜を描きます。長州藩の少年兵・東修介や、新選組の近藤勇や沖田総司などが登場しますが、きわめつけは西郷隆盛の虫垂炎開腹手術でしょうか。

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今年は山響の「第九」を聴けるかな?

2011年09月19日 06時01分59秒 | クラシック音楽
毎年、暮れになると「第九」の話題が出ますが、当方、若い頃に一度だけ、たしか某全国紙系の在京オケの演奏会に行った(*1)ことがありますが、まだ山響の「第九」は聴いたことがありません。何度かあったチャンスも、夜間勤務だったりするなど、結局のところ、機会がありませんでした。今年は、12月27日(火)の19時から、山形テルサ・ホールで行われるとのこと。残念ながら、11月の定期公演は、両日とも仕事の都合で出張が入ってしまいましたが、「第九」のほうはもしかすると聴けるかもしれない!まだ山形交響楽団や山形テルサのサイトにも公式な情報は出ていませんが、ソリスト等の詳細が固まった段階で発表があるのでしょう。今のうちに、スケジュールを調整しておきましょう。

(*1):たしか、妻のつわりに気がついたのは、この頃ではなかったか。お嫁に行った娘は、お腹の中で某全国紙系在京オケの「第九」を聴いているはずです(^o^)/
(*2):12月27日の山響の「第九」は~「とりあえず日記」
(*3):合唱団員募集~山響アマデウスコア~「合唱・コーラスあれこれ」
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50歳の作曲家たち

2011年09月18日 06時04分31秒 | クラシック音楽
シベリウスの交響曲第5番が、作曲家の生誕50年を祝う記念演奏会のためのものということで、50歳を迎えた作曲家たちの作品にはどんなものがあるのだろうと、調べてみました。

■J.S.バッハ(1685-1750) 50歳は1735年。前年にコーヒー・カンタータやクリスマス・オラトリオなどを作曲しており、この年はカンタータ「神われらと共になかりせば」、世俗カンタータ「響け、はれやかなラッパよ」が生まれています。
■ハイドン(1732-1809) 50歳は1782年。前年の1781年にモーツァルトと親しくなり、「ロシア四重奏曲」と呼ばれる6曲の弦楽四重奏曲Op.33を作曲しており、1782年には、交響曲第76番から第78番、チェンバロ協奏曲などを作曲しています。
■ベートーヴェン(1770-1827) 50歳は1820年。フルートまたはヴァイオリンの伴奏を持つピアノのための10の主題と変奏Op.107、歌曲「かわいい子猫」など。ほとんど作品が生まれていない、「ハンマークラヴィーア・ソナタ」(1818)から「ピアノソナタ第30番」や「ミサ・ソレムニス」(1822)に至る空白期です。
■ブルックナー(1824-1896) 50歳は1874年。前年にワーグナーと会見、交響曲第3番を献呈しており、50歳のこの年は交響曲第4番を作曲しています。
■ブラームス(1833-1897) 50歳は1833年。交響曲第3番が生まれています。
■チャイコフスキー(1840-1893) 50歳は1890年。フォン・メック夫人から財政援助を打ち切られますが、歌劇「スペードの女王」、交響的バラード「地方長官」などを作曲しています。
■ドヴォルザーク(1841-1904) 50歳は1891年。この年、プラハ音楽院教授に就任、ピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」、序曲「自然の王国で」「謝肉祭」、スラブ舞曲ホ短調およびト短調などを作曲しています。ジャネット・サーバー女史からニューヨーク・ナショナル音楽院の院長就任の依頼があり、もうすぐアメリカに出発する頃です。
■マーラー(1860-1911) 50歳は1910年。交響曲第9番を完成し、第10番に着手しています。逝去の前年です。
■プロコフィエフ(1891-1953) 50歳は1941年。第二次大戦でドイツ軍の侵攻のためにトビリシに疎開しています。交響組曲「1941年」、歌劇「戦争と平和」、弦楽四重奏曲第2番などを作曲しています。
■ショスタコーヴィチ(1906-1975) 50歳は1956年。サンタ・チェチーリア芸術アカデミーの名誉会員に選出され、レーニン勲章を受賞しています。弦楽四重奏曲第6番を作曲。この年は、フルシチョフによるスターリン批判が行われています。

なるほど、こうして見ると、晩年を待たずに死亡したモーツァルトやシューベルト、シューマン等が惜しまれます。多くの作曲家がいずれも充実した作曲活動を展開している年代に、ただ一人ベートーヴェンの不振がやけに目立ちます。厄年という言葉がぴったりと当てはまるようで、時代に忘れられそうになりながら、自らの健康の不調や身辺のゴタゴタに悩まされていたのでしょう。思わず同情してしまいます。

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新田次郎『ある町の高い煙突』を読む

2011年09月17日 06時02分10秒 | 読書
東日本大震災にともなう福島原発の事故で、水素爆発によって放射能汚染が広がることが予想されたとき、ふと思い出したのが、新田次郎著『ある町の高い煙突』でした。日立銅山の煙害問題をテーマにしたこの物語では、地域気象を扱い、銅鉱石の精錬にともない発生する亜硫酸ガスの煙がどのように流れるかや、逆転層の存在、海風・陸風、一般気流などという概念がどのように役立ったかを知ることができました。日立市と条件のよく似た地域にある福島原発でも、建屋に充満した水素の爆発の規模では、逆転層を突き抜けて高層気流にまで到達することはなかろうし、おそらく数百メートル程度の標高の山地に遮られる形で、低いところへ、谷や峠や道路ぞいに汚染雲が流れるのではと考えたのでした(*1)。

原発問題はともかく、『ある町の高い煙突』を再び読んでみたいと考え、本棚を探してようやく見つけました。1979年1月29日、成田で購入し、同日に渋谷で読了しています。また、メモによれば、1981年の8月にも再読しています。30年ぶりに再読するきっかけが原発事故とは悲しい話ですが、久々に良い小説を読んだという感想を持ちました。






入四間村の旧家・関根家に養子に入った三郎は、馬に乗って旧制中学に通っています。明治も終わり近い年のある日、村にチャールズ・オールセンというスウェーデン人の技師がやってきて、三郎が英語で通訳を試みます。彼は、銅鉱山の出す煙で何か被害は出ていないか、という調査に来たのでした。これが、三郎が煙害問題に取り組むようになる、最初の出来事でした。三郎は、旧制第一高等学校に合格しますが、鉱山を買収した木原組の事業拡大策により鉱山の生産量は増大し、煙害も拡大していきます。三郎は一高進学を断念し、煙害問題とたたかう中心人物となっていきます。

会社の中でも、良心的に対策に取り組もうとする、農学畑の加屋淳平のような人もいれば、悪徳買収屋のような者もいます。村人のほうも、酒を飲まされ言いなりになってしまう年寄りもいれば、青年会のように結束して当たろうとする人たちもいます。他の煙害被害地を見てきたり、明治末に高価な写真機を購入して被害前後の証拠となる写真撮影をしたり、現地に行き事実に即して対処しようとする三郎たちの努力で、煙害対策は成果をあげますが、有毒煙の発生を止めることはできません。困難で絶望的な状況の中で、加屋淳平の妹の千穂との悲恋、兄妹のようにして育った婚約者みよの成長と三郎への信頼など、恋物語の要素もからみます。

そしてクライマックスは、高さ150m以上の東洋一の大煙突を建て、海抜高度を数百メートルまで確保し、逆転層の上の一般気流の中に首を出すことで、煙害を激減させる場面です。木原社長と関根三郎の睨み合いは、社運を賭けた決断と劇的な成功をもたらします。

三郎とみよの結婚式に際して、会社が贈った祝は、はげ山となった入四間村の山々に植える杉苗16万本だったというエピソードなども、明治の男の気骨を感じさせる、いい話ですし、晩年のオールセンとの再会の場面も素敵です。



公害とたたかう物語は、多くが悲劇的で怨念にみちたものになりがちですが、この『ある町の高い煙突』は、こんな歴史があったのなら、人間を信じようという気持ちにもなります。今だから、もう一度お薦めしたい本です。なんとか、復刊してもらいたいものです。

(*1):「放射能と山形」~「電網郊外散歩道」2011年3月
(*2):「日立の大煙突アルバム~復刻版~」

【追記】
最近、復刊され、映画化もされているようです。嬉しいことです。
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村上もとか『JIN~仁~』第3巻を読む

2011年09月16日 06時01分29秒 | 読書
集英社漫画文庫で、村上もとか著『JIN~仁~』第3巻を読みました。本巻は、団子茶屋の看板娘の茜の頚部火傷を植皮手術で治療するが、西洋医学所内で南方仁医師の医術に反発する一派による妨害事件に始まります(「進の章」)。
続いて「浸の章」では、歌舞伎界の人気立女形、澤村田之助の子を妊り、怪しい中絶手術がもとで敗血症となった遊女を救う話。吉原遊廓のもう一つの負の側面が描かれます。
「辰の章」では、南方先生に惚れた花魁・野風が、色仕掛けで仁先生を落とそうと思ったら、朴念仁の仁先生は、火消しの新門辰五郎親分との約束で火災現場に急行し、野風さんは置いてけぼりをくいます。辰五郎の弟分の千吉が気道熱傷で担ぎ込まれ、気管切開手術を行います。火消しの意地と医者の意地がぶつかって、後に相互理解と信頼に変わるお話です。
本巻最後の「身の章」は、野風の身請け話と乳ガン診察にまつわる物語。重要なチームメンバーとなる佐分利医師の命を救いますが、野風の乳ガンはどうなるのか、気を持たせて「次巻に続く」なんて、昔の連続ドラマみたいな編集手法ですね。

この巻も、テレビではほぼ忠実に描かれておりました。「野風=美紀そっくり」設定を除けば、ほぼそのままと言っても良いでしょう。なるほど、テレビドラマ化に際しての、脚本の苦労がしのばれます。

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