電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

「JIN~仁~レジェンド」を見る:その2

2010年12月31日 06時03分28秒 | 映画TVドラマ
ディレクターズ・エディションという形で再放送された「JIN~仁~レジェンド」第2夜、「人の章」では、幕末の江戸にその驚異的な医療技術で知名度を高めた南方仁先生が、歴史を変えてしまうことを恐れながらも、献身的に活躍する姿が描かれます。とくに印象的なのは、金八先生じゃなかった、武田鉄矢が演ずるところの(^o^)緒方洪庵が結核でなくなる最後の場面。緒方洪庵先生の治療にも回せるほどの大量製造はできていなかったということなのかと思っていましたら、「庄内の笛吹き」こと実は脳外科医 balaine 先生のご指摘によれば、ペニシリン(*1,*2)は結核には有効ではないのだそうです(^o^;)>poripori
な~んだ、そうだったのか!そういえば藤沢周平が苦労したように、ストレプトマイシンやカナマイシンなんてのができて普及するまで、結核は治療が難しい病気だったのでした。なるほど~。

ところで、興味深いのが江戸時代におけるペニシリン製造及び精製の可能性です。前夜は、たしか次のような原理で精製していたと思います。



ところが、今回はペニシリンの製造及び精製法にさらに工夫と改良を加えている点が注目されます。

(1) まず、青カビを大量に培養できなければ、有効な製造法とはなりませんので、効率の悪い表面培養法をやめ、ヤマサの醤油職人の技術と経験を生かし、桶を用いて攪拌しながら行う形で、通気深層培養法に近い方法をとっておりました。これは、1940年代の米国ファイザー社の製法に近いもので、なるほど、です。
(2) 薬効検定を経てペニシリンを含有することがわかっているカラム留分をそのまま使用するのでなくて、和紙を用いたペーパークロマトグラフィで濃縮し、活性の高い部分を蒸留水に溶かして用いるというふうに改良していました。数十倍に濃縮され、より効果が高まるというわけです。

なるほど、なるほど。注射液に使えるほどの精製であれば、大量の蒸留水が必要だと思われますが、そのあたりは描かれず、まあ時間枠のあるSFドラマでは、話の都合上しかたがないところでしょうか(^o^)/

後半は、燦然と輝くペニシリンや医療技術の光があれば、その影もまた暗く生じるはず、という坂本龍馬の予言どおり、様々な悪意と妨害が噴出して、ドラマを盛り上げます。一方で、火消の新門辰五郎親分との対決と火事場の手術シーンはなかなか緊迫感がありますし、婚約者だった未来とそっくりな花魁の野風の乳ガンの診断と手術には、有吉佐和子の『華岡青洲の妻』に描かれた、仙通散による全身麻酔が登場するなど、日本医学史的にも興味深い設定です。

結局、野風の手術は成功し、橘咲の縁談は流れて、咲は仁先生の助手でありかけがえのない理解者として、江戸の仁先生の心を射止めたようです。良かった良かった(^o^)/
でも、坂本龍馬はどうなるのか、幕末の動乱の中で、現代の歴史認識を有する南方仁先生は今後どうなっていくのか、今後に期待を持たせる、実にうまい展開でした。いや~、おもしろかった(^o^)/

(*1):ハワード・フローリー博士:ペニシリン療法の開発者~上宇部こどもクリニック
(*2):ペニシリン~Wikipediaの解説ページ
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駅ビルで散歩、寿司屋で同級生の忘年会

2010年12月30日 06時04分01秒 | 散歩外出ドライブ
地域在住の同期生が集まり、毎年忘年会を開いています(*1,*2,*3)。今年は、山形駅前の「江戸寿司」で開催。少し早めに行き、駅ビルをぶらぶら散歩しました。目的の一つが、DENON のクレスト1000シリーズの新譜とパンフレットがあるかどうか探すこと。残念ながら、探し物は不発でした。今は、新譜のパンフレットの類は、ほぼ皆無なのですね。そうか~、もしかすると主流はすでに紙を離れ、ネットと携帯に移行してしまったのか。自家用車通勤をしていると、街の様子にすっかりうとくなってしまいますが、こうしていろいろな店を歩くことで、街の雰囲気を感じることも大切な要素です。音楽CDだけでなく、書籍もとくに魅力的なものはなし。今回は、散歩しただけで終わりました。

ところで、休日の午後、電車内の乗客は何をして時間つぶしをしているのでしょうか。知らんふりして数えてみました。もちろん、自分自身は除いています。

(1) 仲間とおしゃべり  若者(6)
(2) 携帯電話      若者(3)
(3) ゲーム、音楽    若者(2)、大人(1)
(4) 雑誌、読書     若者(1)、大人(1)
(5) 車窓を眺める    若者(3)、大人(1)、老人(3)

大人は車で道路を走り、たまに乗ってくる老人は実家の法事などにやってきた遠方からの旅人のようで、田舎の電車はまさしく若者の世界です。その若者たちは、もっと携帯電話に夢中なのかと思っていましたら、むしろ友達との会話が中心のようです。都会の電車内とは違い、地域的な同質性が強いためか、会話が成立しているようです。むしろ、とめどないおしゃべりの延長上に、延々とメールが飛び交う素地があるのかも。

で、乗客を観察してメモする私は、この分類のどこに入るのか?たぶん、外見的には「音楽を聴きながら車窓を眺める大人」の中に入るのでは(^o^)/

(*1):歳末大忙し忘年会~「電網郊外散歩道」2005年12月
(*2):郵便料金と宅配料金と人件費~「電網郊外散歩道」2007年12月
(*3):珍しく洋食で同窓生の会~「電網郊外散歩道」2008年12月
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「映画TVドラマ」というカテゴリーを新設

2010年12月29日 19時09分08秒 | ブログ運営
歳末の27日と28日の2日間、「JIN~仁~レジェンド」を観た関係で、映画やテレビのドラマをまとめたカテゴリーを作ったらどうだろうと考えました。そのつもりで意識して一覧してみると、結構な数がありそうです。とりあえず、「読書」や「クラシック音楽」に埋もれていた記事をまとめてみましたので、どんな映画やテレビのドラマを観てきたか、わかりやすくなりました。あくまでも「ドラマ」の範疇ですので、N響アワーなどの番組はこの中には入りませんが、いろいろ悩ましい点もあります。
(1) オペラ映画は、映画に入れるのか、オペラにいれるのか。
(2) 藤沢周平原作の映画は、原作を重視して「藤沢周平」に入れるのか、表現媒体に基づき「映画」に入れるのか。
このあたり、もう少し整理して考えてみる必要がありそうです。
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「JIN~仁~レジェンド」を観る:その1

2010年12月29日 06時04分30秒 | 映画TVドラマ
以前、後半の数回だけ観た(*)テレビの日曜劇場「JIN~仁~」が好評だったため、27日と28日の2夜連続9時間枠で、再放送がありました。前半の第一夜の冒頭では、脳外科医の南方仁が難しい手術を避け、当直と易しい手術を引き受けて日陰の生活をしている理由が明かされます。それは、脳腫瘍に侵された婚約者の未来(みき)の手術を執刀し、植物人間にしてしまったという自責の念からのことでした。ある日、傷害事件を起こした奇妙な救急患者が運ばれてきます。脳内には胎児形の奇形腫瘍が見つかり、南方先生が摘出して標本としますが、患者はベッドを抜け出し、その標本ビンと救急用の手術道具を持って、非常階段にうずくまっているのです。南方先生はその男ともみあううちに階段を転げ落ち、見知らぬ時代に投げ出される、というのがタイムスリップの発端でした。

刀での斬りあいに出くわし、斬られた若者を手術で助けた縁で、とりあえず旗本の屋敷に住むことになり、父親をコレラで亡くした旗本・橘家の、勝気で前向きな妹娘・咲を助手に、馬に蹴られた町人の母親の頭部外傷や、長屋のコレラの沈静化などに活躍します。坂本龍馬や勝海舟らも登場する中、南方先生の医術が江戸の町で評判になります。西洋医学所の緒方洪庵の知遇を得て、歴史を変えてしまうことのこわさに悩みながらも、江戸の町に点滴やらペニシリンやらの医療技術と、隔離と予防という伝染病対策の方法を伝え、コレラや梅毒と戦う姿勢を示します。ペニシリンの精製方法は、実は婚約者の未来が作成したレポートに基づくもので、二人が仲良くなるきっかけとなったものでした。吉原の花魁の野風が婚約者の未来に生き写しなのを見て、南方先生もショックを受けますが、ツーショットで写真に収まる二人を見ていた咲も、ひそかに衝撃を受けます。一方、南方先生の画期的な医術に嫉妬し恐怖を感じ、西洋医学所の内部にも不穏な動きがありました。

なるほど、そういうストーリーだったのですか。前半を見ないで、いきなり後半の数回を観ただけでしたので、ようやく前後がつながりました。いや~、タイムスリップ幕末医学SF、「JIN~仁~レジェンド」第1夜、おもしろかった~。

(*):日曜劇場「JIN~仁~」のこと~「電網郊外散歩道」2009年12月
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黙って座ればピタリと当たるよ

2010年12月28日 06時06分42秒 | アホ猫やんちゃ猫
さあて、お立ち会い。我輩は人相ならぬ猫相を観て暮らしておる観相亭猫又と申す易者である。失せ猫、忘れ猫は言うに及ばず、猫の相性、招き猫の金運まで、黙って座ればピタリと当たるよ。

なに、アタシを観てほしい?よしよし、アンタの性格はすぐわかる。まず、勝気だね。向こうっ気の強さは天下一品、なに?庭木に巣作りをしようとしたカラスを撃退した?そうだろう、そうだろう。そのくらいの威勢のよさは、ちゃあんと猫相に現れておる。いやいや、そんな不服そうな顔をしなさんな。我輩はなにも不細工だなどと言ってはおらん。子猫の頃はいざ知らず、どちらかといえば育つに連れてきりょうも上がったほうではないかな?なに?飼い主にもそう言われている?そうだろう、そうだろう、ちゃあんと顔に書いてある。

それから何が知りたい?金運か?それは残念だな。アンタの飼い主は、金持ちにはならん。大金とはとんと縁がない。まあ、アンタのエサ代くらいは不自由せんようだから、その点は心配しなくてもよろしい。それから何が知りたい?恋愛運か?なに?オス猫どもがつきまとって、うるさくて仕方がない?ぜいたくを言っちゃいかん。世の中にはご縁というものがある。喧嘩をしない程度に、適当にあしらっておきなさい。仮にも人間様の真似をしちゃいかんぞ。とくに「エビゾウ」などという人のまねをして、障子を破いたりしてはいかん。なに?安心して眠くなった?単純なやつだな。仕方がない、そのへんで勝手に寝ていなさい。

では、次の方!



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自宅で除雪に汗を流す

2010年12月27日 06時01分00秒 | 季節と行事
土曜日から降り続いた雪で、日曜の朝にはかなりまとまった降雪量になりました。一晩でこのくらいの雪ですので、この調子で降り続いたら、大変な事態になるところですが、やや小降りになってきました。なんとか峠は越したことを祈りたいものです。

ちなみに、朝の自宅の雪の状況は、こんな感じ。



それを、除雪機で吹き飛ばします。



もうだいぶの年数になる機械ですが、なんとか今年も動いてくれそうなのがありがたい。操作も手慣れたもので、作業はすいすいと進みます。この面積で、車が通れる程度に人力で除雪するのでは、とてもじゃないが重労働です。

こちらが、除雪後のようすです。このくらいになると、なんとか車も通れます。



やれやれ、これで今晩も降らないでくれるとありがたいのだけれど。
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懐かしのCDカタログ~DENONクレスト1000シリーズ(その2)

2010年12月26日 06時04分15秒 | クラシック音楽
DENONのクレスト1000シリーズの第4回は、2004年の12月24日に全50点が発売され、全部で240点になりました。例によって、レギュラープライス盤の時代に入手しそこねていたものを中心に、ごっそりとまとめて大人買いをして、ずいぶん楽しませてもらいました。



この頃のカタログは、ページ数が20頁もあり、モノクロながらジャケット写真もかなり鮮明で、個々のCDの識別が容易です。第4回発売のものでは、インバル指揮ウィーン響によるショスタコーヴィチの交響曲第4番と第7番、バシュメットのヴィオラでベルリオーズの「イタリアのハロルド」、フルネ指揮オランダ放送フィルでイベールの「寄港地」他、プラハ室内合奏団でドヴォルザークの「弦楽セレナード」などをよく聴きました。ロベルト・シュトルツ指揮ベルリン響というコンビで「忘れな草、別れのワルツ~世界のワルツ」というCDも、シルヴィア・ゲスティのソプラノの魅力もあり、大いに楽しみました。他には、ヴィヴァルディの協奏曲集「和声と創意への試み」Op.8などを通じて、イタリア合奏団の魅力を知ったのもこの頃かと思います。

室内楽では、ハイドンの太陽四重奏曲集、モーツァルトのオーボエ四重奏曲、カルミナQによるブラームスの弦楽四重奏曲、パネンカとスメタナQによるドヴォルザークとシューマンのピアノ五重奏曲、シュタルケルとルージイッチコヴァによるJ.S.バッハ「チェロとチェンバロのためのソナタ全集」、器楽ではゲルバーのベートーヴェン「ピアノソナタNo.17,21,26」やベロフのドビュッシー、グリモーのラフマニノフなどのほか、イリーナ・メジューエワのピアノで「おとぎ話・忘れられた調べ~メトネル作品集」というのも収穫でした。

第5回は、その1年後、2005年12月21日に、全50タイトルが発売され、全部で290点となりました。このあたりから、本シリーズを置いているCDショップが減少し始め、入手が難しくなってしまいました。実際に、出先で見つけたカルミナQによるハイドン「エルデーディ四重奏曲集」やメジューエワの「忘れられた調べ~メトネル作品集2」など、ごく限られたものしか入手できておりません。



そして第6回~第9回発売分についてはカタログもなく、購入もきわめて少なくなっています。当方、手元にパンフレットがあり、懐が少々あたたかい時にまとめて注文したり、何かの機会に大型店に立ち寄り、目を付けていたタイトルをピックアップして購入する、といったスタイルが中心でしたので、購入の印を付けられるカタログが手元になく、店頭で現物を確認することもできないという状態では、結果としてシリーズから離れてしまうのもやむを得ません。CD不況を嘆く前に、地方のCDショップにもクラシックのパンフレットを丹念に置いて回るような、地道な需要の掘り起こしの努力が必要なのではないかと思います。
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懐かしのCDカタログ~DENONクレスト1000シリーズ(その1)

2010年12月25日 06時09分25秒 | クラシック音楽
初めて単身赴任をしていた頃、変則夜間勤務でしたので、午前中に街で買い物をする機会が多くありました。たまたま入ったCDショップで、DENON のクレスト1000シリーズのパンフレットを見つけました。廉価盤といえば、第一線を退いたようなタイトルで録音も古いものが多かったのでしたが、このシリーズは、現役盤で充分に通用するようなタイトルが惜しげもなく投入されており、しかも何枚か購入すると点数に応じて無料プレゼントされるというサービスぶりで、たいへん魅力的に感じました。もともと、LPの時代から DENON の PCM レコードはおなじみでありましたし、インバル指揮のフランクフルト放送交響楽団によるマーラーのシリーズやゲルバーによるベートーヴェンのソナタ等は、レギュラープライスで収集しており、DENON の録音には馴染みがありました。

2002年6月、第1回50タイトルが発売されました。第1回のカタログは、注文する際にお店にやってしまいましたので手元には残っていませんが、中身は第2回以降のパンフレットで確認することができます。なんといっても印象的なのは、スクロヴァチェフスキ指揮ケルン放送交響楽団によるプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」組曲でしょうか。ヴァイオリンのチー・ユンによる「ヴォカリーズ~ヴァイオリン名曲集」には、ずいぶん慰められましたし、カントロフ(Vn)とルヴィエ(Pf)によるフランク&ラヴェルの「ヴァイオリンソナタ」の演奏も、魅力的でした。有名どころでは、スーク・トリオによるドヴォルザークの「ピアノ三重奏曲第3番&第4番」のCDは、LPからの買い直しでしたし、オネゲルの「交響曲第3番」他のCDで、ジャン・フルネ指揮オランダ放送フィルの演奏に注目したことも記憶に残っています。



第2回発売は翌2003年の3月26日、全70タイトルでした。この中では、インバル指揮フランクフルト放送響によるマーラーの全集分売から、「交響曲第3番」などのほか、なんといってもスーク(Vn)とホレチェック(Pf)によるドヴォルザークの「ヴァイオリンとピアノのための作品集」、スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレによるシューマンの交響曲全曲、カルミナ四重奏団によるメンデルスゾーンの「弦楽四重奏曲第2番&第6番」、ウィーン・ヴィーダーマイヤー・アンサンブルによる「南国のバラ」など、ほんとによく聴きました。

第3回発売は、2004年の3月24日、全50タイトルで、計190点となりました。この回では、インバルとウィーン響によるショスタコーヴィチやスメタナSQによるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の分売などが目玉でした。当方は、ベートーヴェンのSQ全集はすでにレギュラー盤で持っており、むしろ別のものに注目しました。たとえば、ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」や、ベルキン(Vn)によるプロコフィエフの「ヴァイオリン協奏曲第1番&第2番」、ヴィヴァルディの協奏曲集「ラ・ストラヴァガンツァ」、コレルリの合奏協奏曲集などでイタリア合奏団の演奏の魅力を知りましたし、デュカスの「交響曲&魔法使いの弟子」などでのフルネ指揮オランダ放送フィルの演奏に魅了されました。

この12月22日には、なんと第10回目の発売(*1)なのだとか。今や、すっかり同社の看板シリーズになってしまったようです。CDが売れない時代だと言いますが、当方に関しては必ずしもそうとは言えません。以前には買えなかったタイトルがこうしたシリーズで復活すると、まとめて購入することも多く、棚には同社のタイトルがずらりと並ぶ結果になっています。要するに、一昔前の有名演奏家によるポピュラー名曲路線から一歩も脱却できないでいるところに、各レーベルの営業政策上の問題点があるように思います。

(*1):日本コロムビア~CREST1000シリーズ一覧
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いま読んでいる本、聴いている音楽

2010年12月24日 06時03分36秒 | Weblog
師走に入り、読書のペースがガクンと落ちました。時間をみて読んではいますが、なかなか進みません。

いま、読んでいる本は、集英社新書で中村桂子著『ゲノムが語る生命』です。読み飛ばせる種類のものではありませんので、あれこれ考えたり調べたりしながら読んでいます。こういう読書は、時間をかけたほうが、中身がじわっとわかってくるように思います。今は、「水平移動する遺伝子」というところ。このあたりは、当方の若い頃の、DNA 決定論的な生命観からはかなり変化してきています。網目状進化など、従来の固定した考え方から脱しつつあるところがおもしろい。

聴いている音楽は、ドヴォルザークの「伝説曲」と「交響的変奏曲」を、クーベリック指揮イギリス室内管弦楽団による演奏で。「伝説曲」のほうは、以前にも一度記事にしたことがあり(*)、付け加えることはほとんどありませんが、「交響的変奏曲」のほうは、たしかまだ取り上げていなかったはずです。いずれも、記事の題材としてあたためているところです。

(*):ドヴォルザークの「伝説曲」を聴く~2005年11月

ちなみに、我が家のアホ猫(娘)は、どうやら「伝説曲」を静かに流すほうがお気に入りのようです(^o^)/
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私の好きな「第7番」

2010年12月23日 06時02分25秒 | クラシック音楽
クラシック音楽のオールジャンル中から、番号という共通性だけで、好きな曲を1作曲家1作品、計10曲を選定するという実に無謀な試み(*)の「第7番」です。今年の1月に第6番を記事にして以来、とんと忘れてしまっておりました(^o^)/

さて、いろいろ苦労しましたが、厳正なる(^o^)選定の結果は次のとおり。

コレルリ 合奏協奏曲Op.6より第7番
ヴィヴァルディ 協奏曲集「ラ・チェトラ」より第7番
モーツァルト セレナード第7番「ハフナー」
ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第7番「大公」
シューベルト 交響曲第7(8)番「未完成」
ドヴォルザーク 交響曲第7番
ブルックナー 交響曲第7番
マーラー 交響曲第7番「夜の歌」
プロコフィエフ 交響曲第7番
ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」


【次点】
ハイドン 交響曲第7番「昼」
ブラームス ハンガリー舞曲第7番
メンデルスゾーン 「無言歌集」より第7番「瞑想」

迷ったのは、ベートーヴェンでは、交響曲第7番、ヴァイオリンソナタ第7番、弦楽四重奏曲第7番など。ベートーヴェンの場合、「第7番」はほんとにラッキーナンバーのようで、多彩な傑作が目白押しです。実に選択に困りました。室内楽も一つ入れたいということで、辛うじて逃げ切った、というところです。プロコフィエフの場合は、ピアノソナタ第7番あたりも候補になりましたが、やっぱり交響曲のシンプルな魅力が勝ったというところでしょうか。

ハイドンもチャーミングで素敵なのですが、バロックの協奏曲から合奏協奏曲と独奏協奏曲を二つ選定したために、残念ながら次点にしました。あとは、ブラームスとメンデルスゾーンは、ちょいと単独で競合するには少々肩身が狭いかも(^o^)/

シューベルトは、第8番で取り上げようかとも思いましたが、そうすると第9番の競合が甚だしそうで、第7番としてノミネートしました。ドヴォルザーク、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチは、文句なく代表でしょう。他には、シベリウスの交響曲第7番や、ヴォーン・ウィリアムスの「南極」交響曲などもあるのでしょうが、当方はまだまだ馴染みが薄く、割愛しました。

(*):これまでの結果~私の好きな「第○番」の過去記事~「第1番」「第2番」「第3番」「第4番」「第5番」「第6番
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冬の運転の留意点

2010年12月22日 06時05分28秒 | Weblog
冬の雪道の運転は、スピードやブレーキの感覚に慣れるまでが、一番事故を起こしやすいもののようです。自動車保険の担当者からも、「降りはじめがこわい」という話を聞きます。今年は雪が遅く、こわいつるつるの雪道の運転はまだ経験しておりませんが、これから気温が下がり、寒波が訪れるにつれて、ひやりとする危険も増していくことでしょう。今のうちに、冬道の運転の留意点を列挙し、安全運転に心がけたいと思います。

(1) 止まってくれるだろう、行きすぎてくれるだろう、すれ違えるだろう、などの「だろう」運転は事故のもと。
(2) 夏場には何の変哲もない、やや高低差のある交差点では、スリップ事故が起きやすい。充分に減速して、絶対にお尻を振らないスピードで通過する。
(3) 滑ってもコントロールを回復できるくらいに車間距離を確保すること。
(4) 安易に雪原に突っ込んで駐車しないこと。車の腹の下に雪がたまり、甲羅が石の出っ張りに乗り上げた亀の状態になってスタックすることがある。
(5) ウィンドウ・ウォッシャー液は、凍結防止の濃度指定を守ること。けちって水で薄めすぎると、凍結してパイプが裂損することがある。
(6) ワイパーブレードは、冬用に取り替えておくこと。吹雪の時にフロントガラスの先が見えない状態で走るのは命がけです。

まだまだありそうな気もしますが、とりあえず、気づいたものだけを挙げてみました。

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少し前の随筆集を読んで気づくこと

2010年12月21日 06時09分34秒 | ブログ運営
図書館で借りた「日本の名随筆」などの本を読むと、執筆時期がかなり前のためか、今とはいろいろと違う面があることに気づかされます。書斎の姿はずいぶん変わりました(*1,2)し、喫茶店(*3)はずいぶん減ってしまい、世相も様変わりしたところが多いようです。逆に、そこから現代の特徴を知ることができます。日常的で身近なところの変化をとらえると、そこがブログの記事の恰好の材料になるようです。

(*1):デジタル化の周辺~書斎~「電網郊外散歩道」2005年6月
(*2):書斎や書斎コーナーがブームに~「電網郊外散歩道」2007年6月
(*3):コーヒーの味~「電網郊外散歩道」2006年11月
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格別かわりばえしませんが、「電網郊外散歩道」7年目に突入

2010年12月20日 06時03分31秒 | ブログ運営
12月19日、当ブログ「電網郊外散歩道」は、満六年を過ぎて、七年目に突入いたしました。格別かわりばえもしませんが、いささかの感慨がなくもない。六年と言えば、小学校に入学した子供が卒業するまでの期間です。中学校に入学した子供なら、高校を卒業することになります。やれやれ、我ながら、よくもまあ続いたものです。

最近のアクセス状況は、週間ページビューが9000、1日あたりIPアドレスが450前後となっています。昨年から見ると、やや停滞気味でしょうか。ブログ界も一時の流行が次第に落ち着きをみせ、最近は関心もやや低下傾向にあるのではないかと思います。まあ、ごく日常的な、当たり前の存在になったということでしょうか。話題の間口が狭いと、なかなか続かないように思いますが、当方は間口を広めに取っておきましたので、なんとか続けられているのがありがたい。これも、読者の皆様のおかげと感謝申し上げます。

最近は、トラックバックが激減していると感じます。迷惑トラックバックに懲りて、トラックバック拒否に設定しているサイトも多いようです。あまり無関係なものが来るのもどうかと思いますが、古い記事にもときどきTBをいただき、自分でもこんなことを書いていたのかと思い出したり、関連するコメントを読み返したりするのも楽しいものです。のんびりゆっくり、電網郊外を散歩していきたいものだと思っています。
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山響第209回定期演奏会~霧につつまれた音楽~を聴く

2010年12月19日 06時06分43秒 | -オーケストラ
師走の週末の夜、山形県民会館で山形交響楽団第209回定期演奏会を聴きました。当日は勤務日でしたので、職場~軽食~県民会館へ。本日は「霧につつまれた音楽」と題して、藤岡幸夫さんの指揮で、次のようなプログラムです。

(1) ヴォーン・ウィリアムズ 「トマス・タリスの主題による幻想曲」
(2) ブルッフ 「ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 Op.26」 Vn:二村 英仁
(3) ウォルトン 「交響曲第1番 変ロ短調」

ヴォーン・ウィリアムズとウォルトンは英国の作曲家で、ブルッフはドイツ人ですが、実はヴォーン・ウィリアムズはブルッフに師事しているのだそうで、英国で活躍する藤岡さんも加えて、なるほど、本日は英国つながりなのでした。

お客さんの入りは、さすがに1,500席満席というわけにはいかず、最前列から2列ほどと、左右の端の方を除き、ほぼ埋まっているという状態です。この曲目でこの入りですから、山形もなかなかです。

さて、最初の曲目、ヴォーン・ウィリアムズの「トマス・タリスの主題による幻想曲」は、弦楽合奏による音楽です。ただし、弦楽の配置が普通とはちょいと変わっていまして、指揮者を真ん中に、左から 1stVn:8、2ndVn:6、Vc:4、Vla:4、Cb:3 と並んだ後方、いつもなら木管楽器の場所に、1stVn:2, 2ndVn:2, Vla:2, Vc:2, Cb:1 が別に陣取ります。ちょうど、室内オーケストラと弦楽合奏団が協演するような形です。コンサートマスター席には高木和宏さんが座り、後方の第二陣は犬伏亜里さんがリードするようになっています。室内オーケストラ部のほうは、ヴォーン・ウィリアムズらしい、艶やかな響きがしますが、後方の弦楽セクションはノン・ヴィヴラート奏法で、まるで神秘的なオルガンのように響きます。なるほど、こういう音色の対比を狙ったのですね。さらに、各セクションのトップだけが、弦楽四重奏のようにアンサンブルを聴かせる場面もあり、内的な感情の高まりが表わされ、素晴らしい音楽になっていました。

続いて、弦楽セクションが通常位置に戻り、木管とホルン、ティンパニが位置してブルッフの協奏曲が始まります。本日のソリスト二村英仁(Nimura Eijin)さんは、当方いささか羨ましくなるほど長身でスマートなヴァイオリン奏者です。遠くでティンパニが鳴るうちに、オーケストラと独奏ヴァイオリンが技巧的な楽句を奏し、濃厚にロマンティックな音楽を展開します。二村さんは、長身で姿勢が良い上に楽器を上げて演奏するタイプのようで、技巧を感じさせないほど自然な安定感、安心感があります。初めの二楽章は続けて演奏しましたが、第三楽章は少し間を置き、演奏しました。そうそう、CDのときは気づきませんでしたが、ヴァイオリン・ソロと弦のピツィカートのところの軽快さが印象的でした。良かった~。拍手に応えて、アンコールに「ホワイト・クリスマス」をサービスしてくれたのも、お洒落で素敵でした。



写真は、15分間の休憩時の様子です。後半は、ウォルトンの交響曲第1番。当方、LPレコードでもCDでもFM放送でも聴いた記憶がなく、たぶんまったく初めての曲だと思います。ステージ上には、第1ヴァイオリンが2人増え、ティンパニが2台並び、パーカッションもスネアとドラとシンバルが見えます。ホルンも1本増強され、トロンボーンとテューバも台上に上がります。山響定期としては、けっこう鳴り物の多い編成と言えます。
第1楽章:アレグロ・アッサイ。ティンパニのトレモロにホルン。第2ヴァイオリンのリズムの刻みが単純ではありません。どことなく大戦間期の雰囲気を思わせます。ファゴットのソロが頼りなげな不安感をかもし出し、オーボエやフルートとチェロの旋律も同様です。でも、基本的にはけっこう熱い音楽です。まだティンパニは1台のみ。パーカッションも沈黙を守ります。
第2楽章:プレスト・コン・マリーツィア。どこかシニカルな要素があり、突き放したような音楽です。そこが「悪意を持って」のゆえんでしょうか。でも、そんなことを言ったら、ショスタコーヴィチなんか悪意の塊のような気もする(^o^;)>poripori
第3楽章:アンダンテ・コン・マリンコニア。憂鬱なアンダンテ、という意味だそうです。なるほど、メランコリックなアンダンテ、というほどの意味か。木管と低弦。1st-Vnはトップの2人のみ、2nd-Vnはピツィカートでの始まりです。トロンボーンはミュート付きで。霧につつまれた音楽というのは、こんな感じでしょうか。「レベッカ」の舞台となったマンダレイや、「心の旅路」のお屋敷のようです。フルートが静かに終わり、弦も消え入るように楽章が終わります。
第4楽章:マエストーソ、アレグロブリオーソ・エド・アルデンテメンテ。堂々と、威厳を持って、という意味だそうな。明るい始まりです。Tbもミュートを外し、輝かしい音を響かせます。パーカッションが準備を始めたと思ったら、第2ティンパニも動きだし、シンバルにドラ、スネア、2台のティンパニの連打と、華やかです。弦の斉奏も力強くひたむきに、金管のファンファーレ?が圧巻で、クライマックスはけっこうしつこく、これでもか!という感じです。いざとなれば立ち上がる、ジョンブル・スピリッツでしょうか。

おお、これがウォルトンの音楽ですか。なるほど~。本作品は、ハミルトン・ハーティ卿の委嘱により書かれ、1935年に完成したとのことで、奇しくもプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番と同じ年にあたります。作曲者はこのとき力みなぎる30代前半。同じ1930年代(*)といっても、たしかにプロコフィエフなどとはずいぶん違います。これはいい音楽を知ることができました。ずっと後の作品になりますが、作曲者と親交があったジョージ・セルが米国初演をしたという第2番も、ぜひ聴いてみたいものです。

(*):プロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲第2番」を聴く~「電網郊外散歩道」2009年2月
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忘年会というものは

2010年12月18日 06時03分28秒 | 季節と行事
先週、忘年会がありました。そういえば、毎年忘年会をやっていますが、これって西欧諸国でもやるのだろうか、他の東アジア諸国でもやっているのだろうかと興味を持ちました。

こういう疑問なら、Wikipedia(*)でしょう。ふむふむ、それらしき行事はなくもないが、やっぱり日本固有の行事みたい。考えてみると、職場のボスもパートさんもみんな一緒に宴会なんて、たぶん欧米のような階級社会ではありえない話でしょう。一応、一定の秩序は保ちつつ、ふだん接することの少ない人たちと話をする機会を設けるというのは、東アジア的大家族主義というべきか、それとも一時 "Japan as NO.1" と言われて浮かれていた頃に米国に進出した日本メーカーが「輸出」した日本的経営の一部というべきか。

なにはともあれ、ゆっくりと温泉につかり、とりとめもなく一年の経過を思い出すと、師走だなぁという感慨を持ちます。当方、酒量はほどほどで良いほうですが、温泉での開催はなによりありがたい。二回も三回も温泉に入りのんびりできるのは、田舎の忘年会の醍醐味というものでしょう。

(*):忘年会~Wikipediaの解説
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