電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

Googleがあるのに、なぜ記録しようとするのか

2011年03月31日 06時01分14秒 | コンピュータ
テキストファイルで備忘録を作成しはじめて、20年以上になります。日記とは異なり、感想や思いのたけを綴ることが主眼ではありませんで、もっぱら出来事の記録や思いつき、雑多な備忘メモが主体となります。

Googleがあるのに、なぜ記録しようとするのか?

うーむ、もっともです。
たしかに、例えば山形交響楽団の定期演奏会の日時や場所、曲目やゲストなどは、Googleで検索すれば詳しく知ることができるでしょう。内外で起こった社会的な事件についても、新聞記事などが検索にヒットします。その意味では、こうした事柄を個人的に記録することは、あまり意味がないことかもしれません。

しかし、個人的な事柄はどうか。私たちの記憶というのは、あまり確かなものではありません。とくに、年齢とともに進行する記憶力の減退を考えると、公の報道や記録には登場しない個人的な事柄を記録する意味はあります。たとえば、

今、はいている冬タイヤは、何シーズンめだったろう?
使っている携帯電話の途中解約のしばりが解けるのは、何年の何月だったかな?
○○の件で相談を受けた人の名前は誰で、いつ頃だったのだろう?
何かで読んだ記憶があるけれど、あれは実に鋭い指摘だった。正確にはどんな言い回しだったかな?
3.11の地震・津波災害や福島第一原発の事故に関して、自分がどんなことを考え、調べようとしたのだったろう?

などなど、パーソナルな記録に頼らなければならないケースは少なくありません。こうした記録が備忘録に残っていれば、検索で日付と概要を知ることができ、関係資料や当時の手帳・ノート等により詳細に当たったり、友人知人を通じて問い合わせたり確かめたりすることができます。その意味では、Googleに出てこない、あるいは検索語が一般的でないために探しにくい事柄などが、パーソナルに記録する価値がある、と言えます。

さて、今日で三月も終わり。写真は三月になってから降った、某所の(たぶん)今年最後の雪景色。さすがにもう降らないでほしいものです(^o^;)>poripori
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モーツァルト「レクイエム」を聴く

2011年03月30日 06時04分34秒 | -オペラ・声楽
ふだん、モーツァルトの「レクイエム」を聴こうと思い立つことは、まずありません。学生時代、同級生が亡くなったときなど、廉価なLPに収録された音楽に、思わず厳粛な気持ちになりました。就職したての頃にも、急性白血病で亡くなった同級生の葬儀に参列したとき、新婚だったご主人の様子は、傷ましいものでした。また、父君と同年齢で同じ病気で亡くなった同業仲間の葬儀では、牧師さんが、クリスチャンだった彼の最期の様子を伝えました。いずれのケースでも、教会で行われた葬儀は、参会者の悲しみの心を鎮め、故人の魂の平安を願うものとして執り行われ、最後に歌われる賛美歌には、一種のカタルシスの作用が期待されていました。ですが、モーツァルトの「レクイエム」は、魂の平安と浄化を願うためのものというよりは、もっと直截に訴えかける悲痛さを感じてしまいます。

学生時代に聴いていたのは、1950年代のカール・ベーム指揮によるモノラル録音。最晩年のベームには見られない、厳しく引き締まった表現でした。こんな時でもなければ滅多に手を出さないこの曲を、いま聴いているのは、カラヤン指揮ベルリン・フィル、ウィーン楽友協会合唱団によるもの(UCCG-3771/2)。劇的で緊迫感のある表現です。

震災では、あまりにも多くの命が失われました。思わず運命とやらに非を鳴らしたくなる事態です。加えて、福島第一原発の現状は、相変わらず予断を許さない危機的な状況が続きます。まるで綱渡りです。冷却機能の回復ができるかどうか、最悪の事態を回避するために、長期戦になる模様。おそらく今は、大いなる存在に救いを乞うよりも、それぞれが為すべきことを為す時なのでしょう。
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スロウィッキー『「みんなの意見」は案外正しい』を読む

2011年03月29日 06時04分24秒 | -ノンフィクション
車通勤とは異なり電車通勤の時間は、幸いに座れたりすると、読書三昧の時間でもあります。福島第一原発の事故の報道が気になるためか、ノンフィクションに手が伸びます。ここ数日、だいぶ前のベストセラーで角川文庫から発行されている、ジェームズ・スロウィッキー著『「みんなの意見」は案外正しい』を読みました。

本書は、本来は集合知に関する内容なわけですが、その点ではすっかり有名になりましたので、別の角度からの記述に興味を持ちました。それは、チームの構成員の多様性の重要さについての指摘です。

似た者同士の集団だと、それぞれが持ち込む新しい情報がどんどん減ってしまい、お互いから学べることが少なくなる。組織に新しいメンバーを入れることは、その人に経験も能力も欠けていても、より優れた集団を生み出す力になる。その集団にいる古参のメンバー全員が知っていることと、新しいメンバーが知っているわずかなことが重複しないからだ。(中略)新メンバーは、だいたいにおいて前任者ほど知識を持っているわけではない。この効果は、彼がもたらす多様性から生まれる。(p.57)

これは、実によく理解できます。似たような経歴の、似たような専門分野の人だけが集まれば、不得意な分野で判断を誤ることはありえます。いざという時に、「ちょっと待って、しかるべき筋(人)に確かめたほうが良いのでは?」という意見が出せる人の存在は貴重です。

スペースシャトル・コロンビア号の爆発事故の際には、発射の際に耐熱タイルが剥落していることがわかっていました。ところが、帰還を成し遂げたアポロ13号の時とは異なり、その検討はなされず、機体の様子を画像として撮影してほしいという下部チームからのリクエストも却下されます。これら、打ち上げから事故に至るまで、飛行管制チームの様々な問題点を指摘した中で、最も印象に残ったのは、次のようなものでした。

元飛行管制官で、現在NBCの特派員であるジェームズ・オーバーグは、アポロ(13号)チームのほうが実際には(コロンビア号の)MMT(飛行管制チーム)よりも多様だったと発言した。(中略)オーバーグは、アポロチームのエンジニアの多くはNASAに就職する前にいろいろな業界で働いた経験を持っていたことを指摘した。現在、NASAのエンジニアは大抵大学院からすぐNASAに就職する。したがって、NASA内部に多様な意見が存在する可能性ははるかに少ない。これが問題になるのは、小さな集団にとっては意見の多様性だけが、人と人が顔を合わせて議論することのメリットを保証するものだからだ。(p.235)

そういえば、現在進行している福島第一原発の危機管理を担当している役員の方々はどうなのだろうかという疑問が、ふと頭をよぎります。財務や法務、人事管理や広報などの他に、現場や技術がわかっている、同程度のレベルの権限を有する人が入っていたのだろうか。そんなことは地方の一庶民が心配することではないのですが、事業の立ち上げ時期には重要視される技術系の人々が、事業の安定期になると次第に減らされていき、残るのは総務部門や下請け業者という傾向があるような気がして、実際はどうなのか、いささか気になります。

本書の最後に、山形浩生さんが、新時代の常識としての「みんなの意見」という解説を書いています。集合知の単純な礼賛ではない、本書の慎重さを指摘するとともに、専門家の役割は必要以上に軽視すべきではないとします。その理由は、集合知の代表的事例とも言えるGoogleの検索も、実は専門家の知見に大きく頼っているから、だそうです。

おそらく今後重要になるのは、その「みんなの意見」と専門家をどう使い分けるか、という話だろう。これはまだ答えがない分野だ。

そうですね。やっぱり、そのバランスなのでしょう。
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少々くたびれたのかな~午後ずっと爆睡

2011年03月28日 06時01分03秒 | Weblog
地震発生以来、倒壊物の片付けボランティアや農業関係の総会、自治区総会、寺の役員会、職場の送別会など、いろいろなことがあり、ほんとに久しぶりの休日になりました。例年ですと、もう果樹園のサクランボの剪定作業が進む時期なのですが、雪が残るだけでなくちらちら雪が舞うお天気です。なんだか寒くて、転勤前に風邪を引いてもいられないと、畑に出る元気もありません。それだけでなく、どうも体調が思わしくない。昼食後、思い切って寝床にもぐりこんで、アホ猫と一緒に爆睡。目覚めたのは、すでに夜でした。やっぱり少々くたびれたのかな。夜も、MDラジカセで昔のFMエアチェックを聴きながら、早々と就寝。聴いたのは、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第7番。
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電車通勤に切り替えます

2011年03月27日 06時02分21秒 | Weblog
地震以後まだ一度も給油していないため、そろそろガソリンが心細くなってきました。そんなこともあって、車通勤から電車通勤に切り替えることとしました。職場まで車で行くよりも、駅まで行く方が近い、という単純な計算です。電車で通勤すればたしかにガソリンの節約にはなりますが、朝早くお弁当を作ってくれる妻の協力なしにはできない話で、ありがたく感謝です。

電車通勤の友として、カーステレオのかわりに、愛用のウォークマンE(4GB)を使います。文庫本も持参することとし、できるだけ荷物を少なくすることを考えなければいけません。マスクをするとインフルエンザ予防と寒さしのぎになります。飛散する放射性物質を低減する効果も、多少あるかもしれません。

人事異動で、また転勤することとなりました。今度こそ、おそらく定年退職まで勤める最後の職場になりそうです。世情も大変な時期に、個人的にもまたまた激変です。

【追記】
山形ではほとんど心配する必要はないのかもしれませんが、当ブログを読んでいる方々は、必ずしも山形地域だけとは限らないのかも。それならば、体内被曝の可能性を低減するためには、マスクは意味があるのかもしれないと考え、記述を変更しました。
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退職慰労会兼送別会

2011年03月26日 06時03分31秒 | Weblog
職場に定年退職を迎える先輩がおりまして、早々に退職慰労会を計画しておりました。ところがそこへ、3.11の大震災&大事故が勃発し、未曾有の大惨事になりました。山形でも被災者の方々が避難所生活を送る日々、賑々しく退職慰労会などやってもよいものか、と相談を受けました。
当方、場所柄と進行を工夫すれば、やりようはあるのではないかと意見を述べましたが、幹事さんたちはだいぶ議論したようです。その結果、やはり定年退職者の長年の労苦に報いる意味でも、退職慰労会は開催することとし、

(1) 場所 あまり派手に目立たない会場を選定する
(2) 進行 冒頭、全員で黙祷する
(3) 時間 短く切り上げる

というような配慮をすることでまとまったようでした。

そうこうしているうちに、当方も異動することとなり、送別会も兼ねることに。過日、職場の皆さんと別れを惜しんでまいりました。退職者の挨拶は淡々としたものですが、味がありました。さすがです。当方も、短くご挨拶。料理も、時間の制約もありますので、次々に出てきました。しばらく「あるもので食べよう」的生活が続いたものですから、なんだかすごいご馳走をいただいたような気分です。
結局、およそ1時間45分で散会しましたが、幹事さんの話では、会場の飲食店からずいぶん感謝されたそうな。どこもみな自粛キャンセル続きで、飲食店も大変らしいです。このような開催のしかたもあるのでは、というお話でした。
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亡父の被爆とヒロシマの上水道

2011年03月25日 06時01分52秒 | Weblog
一昨年に亡くなった父は、昭和20年8月に広島で入市被爆しました。父の部隊が、原子爆弾の被害地の救援のために広島市の比治山に入り、一週間滞在したために、父の半生は、原爆症の症状である血液の異常と、消化器系のガンとの闘いでした。この経緯は、すでに何度か記事にしております(*1,2)が、要約すれば、爆心地から2.2kmくらいの距離の比治山は原爆による放射性物質により汚染されていたことと、上水道を通じて飲み水も汚染されており、それが体内被曝を引き起こしたと考えられます。

同じ部隊で訓練を受けながら、広島市内に配属されていた戦友は、背中に原爆によるケロイドを残していますが、いまだにお元気のようです。これはおそらく、大きな火傷を負ったために市外に運ばれ、高度に放射能汚染された水を摂取することがなかったためではないか。直接に原爆の放射線を浴びることがなかった父は、救援の任務に就き、体内被曝を余儀なくされたのではないか、と考えています。

では、そのときの状況は、具体的にはどんな位置関係でどの程度の距離があったのだろうか。参考までに調べてみました。
広島市で古くからの浄水場といえば、戦前から不断水記録を続けている牛田浄水場があります。こちらは爆心地から数kmの距離にあり、その取水口は、大田川中流域の広島市戸坂(へさか)にある戸坂取水場だとのこと。こちらは、爆心地から5~6km離れた場所にあるようです。そうすると、父の入市被爆は、いわば福島原発事故の10km圏内で一週間滞在して活動し、高度に汚染された水を摂取したのと同様の事態だったわけで、ヒロシマでの懸命の救援作業もその危険性を知らされていなかっただけに、恐ろしいものがあります。

危険性の周知という点からすると、原発事故に関連して様々な観測結果や情報が出されているのは、たいへん良いことだと思います。浄水場から放射能検出という報道によってミネラルウォーターが売り切れたりする現象も起こっているようですが、亡父の入市被曝の状況とはだいぶ異なっており、父のように体内被曝し原爆症に苦しむような状況ではないようです。乳児はともかく、いささか過敏な反応のようにも感じます。もっとも、それは山形県に在住する者の安心感からかもしれませんが(^o^;)>poripori

いずれにしろ、避難地域に居住していた方々や、周辺地域にお住まいの方々にはなんとも迷惑で難儀なことで、早い時期に事故が終息することを祈りたいと思います。

(*1):広島原爆ドームと資料館を見学し、亡父の体験を思う~「電網郊外散歩道」2009年8月
(*2):8月19日にヒロシマに入り救援にあたった父はなぜ被曝したのか~「電網郊外散歩道」2010年8月
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縮こまらないで

2011年03月24日 06時02分31秒 | Weblog
当地では、震災によるよるガソリン不足が影響して、様々な分野で活動が停滞しています。春は異動の季節ですが、転勤する人は引越しの手配ができず、困っているそうです。連日、報道される映像からは、ふつうの生活を営むことが申し訳ないような気持ちになってしまいます。これは、情としてはわかりますが、好ましい方向にはいかないような気がします。社会経済はシステムとして機能していますから、皆が縮こまってしまえば、社会システム全体が機能不全に陥ってしまいかねません。雇用を確保する意味でも、経済活動は活発に行われる必要があるのでは。何でも自粛・中止にすることが美徳ではないように思います。縮こまるのはやめて、被災者に配慮はしながらも可能な限り実施し、収益があがるものならばそれを災害への支援にも回せるようにするなど、地域を元気にし、そして被災者を助けることが大切な気がします。

震災の翌日、3月12日に予定されていた山形交響楽団第211回定期演奏会は中止になってしまいましたが、今月27日の山響「オーケストラの日」演奏会は、県民会館を会場にして、チャリティで実施される(*)とか。大賛成です。ガソリンがなくて動けない人も多いかと思いますが、徒歩で、自転車で、電車やバスで、できるだけ多くの人が集まってほしいものです。

(*):オーケストラの日~被災者支援コンサート~山形交響楽団
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震災報道番組の中の音楽

2011年03月23日 06時02分01秒 | Weblog
毎日、ラジオのNHK第1放送を聴いています。様々なニュースや聴取者の感想意見などの番組の合間に、ちょこっと音楽が流れます。その選曲が、実に感心してしまうほどです。震災直後には、音楽も控えていたようですが、翌々日あたりから、とくにあまり賑やかでなく、かといってあまり沈んだ雰囲気でもなく、しっとりとしているのだけれど、どこかに一本、芯の強いものが通っているような、そんな音楽が選ばれていました。選曲をしている人は、きっといろいろな音楽にふれて、心に感じるものをふだんから蓄えていて、そのストックをこんなときに出しているのでしょう。一週間ほど経過し、民放テレビではバラエティ番組も再開したとのこと。ラジオ番組中の音楽も、少しずつ明るいものが増えてきているようです。

では、私の場合は?厚着をして、暖房温度も低く設定して、今日はベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」を聴いておりました。ことに第2楽章が、心に沁みます。当方の定番、レオン・フライシャーのピアノ、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団です。ガソリンは無給油ですが、まだもう少しあります。こんなときに、冬場でリッター17キロ超という実走行燃費がありがたい。
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各地で観測された放射線量をどう見るか

2011年03月22日 06時03分29秒 | Weblog
福島第一原発の事故にともない、各地で放射線量が観測され、その結果が発表されています。新聞等には、東日本の地図上に値をプロットしたものが掲載(*1)されています。ところで、この数値はどう考えれば良いのだろうか。先の「放射能と山形?」記事に続き、例によって当方のわかる範囲で、整理してみました。

試しに、新聞に発表された、各地で観測された放射線量の地図上に、天気図の等圧線を描く要領で、10μSv/h, 1.0μSv/h, 0.10μSv/h の3本の線を描き入れてみました。元にしたデータは、3月18日午後3時現在のものと、3月20日午後3時現在のものです。

(1) 18日の10μSv/hの線を見ると、浪江町(150)や飯舘村(22.3)、福島市(11.2)を含むように、福島第一原発から北西に細長く広がっているように見えます。これはたぶん、日中の陸風とは逆に、朝晩に吹く海風によるものかと思います。20日には福島市(8.67)がこの範囲から外れ、範囲が狭まっているようです。
(2) 18日の1.0μSv/hの線を見ると、北茨城(1.0)、那須(1.00)、郡山(2.40)、白石(1.08)を含むようです。これは、北東~南西の風の影響なのでしょうか。これが20日には、北茨城(0.783)、那須(0.76)、白石(0.81)がこの範囲から外れ、やはり範囲が狭まっているようです。
(3) 18日の0.10μSv/hの線を見ると、小山(0.11)、日光(0.84)、会津若松(0.42)、米沢(0.101)、仙台(0.24)を含む範囲となるようです。20日の線を見ると、米沢(0.088)が外れた以外はほとんど変化がありません。また、0.20μSv/hで線を引いてみても同様です。ということは、この近辺あたりになると、むしろ自然放射線量のレベルなのでは、という気がします。

Wikipedia(*2)によれば、1年間に自然環境から人が受ける放射線の世界平均は2.4mSvだそうです。ただし、この中には食物由来のものも約0.35mSvが含まれる(*3)そうですので、それ以外はおおむね2.1mSvとみなすこととすれば、1mSV(ミリシーベルト)は1000μSv(マイクロシーベルト)ですので、1年間に2100μSvとなります。1年は365日、1日は24時間(h)より、1年は365×24=8760時間ですので、1時間あたりの放射線量は、

2100(μSv)÷8760(h)=0.24(μSv/h)

ということに。
さらに、つくば市における通常の放射線量は0.07~0.09μSv/hくらい(*4)だそうです。このサイトでは、福島第一原発から165km離れたつくば市における、屋内にいる場合と屋外の放射線量の違い(*5)も示されており、たいへん参考になります。0.20~0.10μSv/hという値は、おそらく自然放射線の範囲に入っているために、その範囲があまり変化しないのだろうと、納得いたしました。間に奥羽山脈が横たわるという違いはありますが、山形市とほぼ同様の直線距離です。その意味からも、参考になります。

逆に、測定値(μSv/h)を8760倍して1000で割れば1年間の放射線量(mSv)になりますが、もしも現在の値のままずっと続いたらと考えると、数値の高い地域の方々には、さぞ不安なものがあることでしょう。なんとか対策が功を奏し、早期に終息に向かってほしいものです。

(*1):放射線量、なお3県で平常時より高い値~3/20-asahi.com地図画像, 放射線量、茨城、栃木、群馬で平常時より高い値~3/19-asahi.com地図画像
(*2):被曝~Wikipediaの説明
(*3):自然放射線の量~つくば市・高エネルギー加速器研究機構・放射線科学センターのPDFファイルより
(*4):つくば市・高エネルギー研究機構(KEK)・放射線科学センターの放射線量
(*5):屋外と屋内の放射線量は具体的にどのように違うのか~つくば市・高エネルギー研究機構(KEK)・放射線科学センターのサイトより
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平凡な日常の価値

2011年03月21日 06時04分30秒 | アホ猫
東北電力の発表によれば、当初予定されていた計画停電が、需給を精査したら供給可能な範囲にとどまるとのことで、見送りになったとのことです。おそらくこれは、生産や物流が滞っているため産業活動がきわめて低い水準にとどまっていることと、地震・津波の被害に加えて福島の原発の状況から、一般家庭も役所等も、思い切った節電に協力しているためではないかと思います。

考えてみれば、なにげない平凡な日常にこそ価値があるのでしょう。「おはよう」と挨拶し、あたたかいごはんを食べながら会話をし、コーヒーと甘味を楽しみながら、音楽や読書で過ごすひとときは、かけがえのないものです。平凡な日常の価値は、そんな繰り返しの中にこそあるように思います。その点では、アホ猫、クルミの脳みそとバカにしたものでもありません。

「うちのご主人、今ごろそんなことに気づいたのかニャー。アホ主人だニャー。」
・・・うるさい、お前に言われたくはないわい(^o^)/
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仙台市からの避難者との会話から

2011年03月20日 06時02分57秒 | Weblog
震災や津波、原発事故から、県境をこえて避難される方々が、日に日に増えているようです。報道によれば、山形市でも市総合スポーツセンターの避難所がほぼ満員となり、霞城(かじょう)公園内の山形県体育館を紹介している(*1)とのことでした。

ようやく避難所に落ち着いた後にも、様々なことが必要になってくるでしょう。小さな子供がいる若い親の立場に立てば、子供を遊ばせる場所があればありがたい(*2)でしょうし、日常のこまごまとした不足を買い求めるお店の所在も知りたいことでしょう。お年寄りだって、習慣になっていた散歩が、見たこともない土地ではままなりません。文化は心のビタミンですから、書店や博物館など文化施設の所在を知りたいという方もおられるでしょう。そんな点からは、市の観光協会などが作成しているような、避難所周辺の地図があるといいのかも。

昨日、たまたま言葉を交わす機会があった仙台市からの避難者一家の話では、「山形に来たら、スーパーが普通に開いているんですねえ」とのことでした。なんでも、電気はようやく通ったけれど、水道もガスもまだ復旧しないために、買出しをかねて上山(かみのやま)温泉にお風呂に入りにきたのだそうです。

たしかに、ガソリンさえあるならば、車で一時間程度で山形県です。温泉に入り、汗と疲れを洗い流して元気を回復し、必要な物資の買出しをしてまた仙台に戻る。そんな気分転換も良いかもしれません。

ガソリンの節約を考えれば、仙台市からの最短距離は、広瀬通から仙台西道路を通り、作並温泉を過ぎて国道48号線の関山峠を越え、東根市高崎から東根市内に入る約60km位の経路でしょうか。高速道路が不通でも、このルートなら山越えも楽ですし、さくらんぼ東根温泉(*3)で汗を流し、近隣市町村では最大規模の無料駐車場を有するショッピング施設が集積する、イオン東根店(*4)やヨークベニマル東根店(*5)等で買出しをすることができます。映画を見るなどという気分にはならないかも知れませんが、最近オープンしたばかりのフォーラム東根は、なかなか良い映画館です。春休みの子供向けの「映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団~はばたけ天使たち~」を観て帰る、などということも可能かも。

いずれにしろ、被災された方々の心身の健康がなにより大切です。健康であれば、多くの人々の支援を受けながら、またぼちぼちやり直すことができることでしょう。福島の原発事故の一日も早い終息と、震災・津波で被災された方々の健康の維持・回復を、心からお祈りいたします。

(*1):県内への避難者3500人超、山形市もほぼ満員~山形新聞オンライン2011年3月19日
(*2):キッズ・ルーム開放、避難所に歓声 山形市、保育士2人配置~山形新聞オンライン2011年3月19日
(*3):さくらんぼ東根温泉
(*4):イオン東根店
(*5):ヨークベニマル東根店
(*6):フォーラム東根
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ガソリンスタンド前の車の行列が解消!?

2011年03月19日 06時03分59秒 | Weblog
ここ数日、通勤路の片側二車線のうち一車線を占拠していた、ガソリンスタンド前に給油待ちで並ぶ車の列が、帰りにはなくなっていました!どうやら、酒田港に到着したタンカーから燃料が供給されはじめ、大半は宮城県や福島県に輸送されているものの、多少は山形県内にもまわり始めた(*1)らしい。たぶん、10リットル程度の限定販売なのだろうとは思いますが、もう限界だと困りきっていた同僚もようやく給油でき、喜んでいることでしょう。

そういえば、知人の宮城県の実家も被災し、ライフラインの復旧が三ヶ月後だとのことで、ついに疎開を決断したとか。幸いに、山形に親戚があり、身を寄せることができるそうです。報道によれば、山形県では三万人の避難者の受入れが可能(*2)だとのこと、地震や津波災害だけでなく、原発事故による避難者も少なくないようです。温泉王国山形です。お風呂にでも入って、少しでも寒さや不便をしのぐことができればよいのですが。

(*1):ガソリン、不足感解消へかすかな兆し 東北へタンクローリー増強~山形新聞オンライン2010年3月17日
(*2):県内避難所、3万人の収容可能 県災害対策本部、さらに施設確保図る~山形新聞オンライン2010年3月18日
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放射能と山形?

2011年03月18日 06時05分56秒 | Weblog
福島原子力発電所の状況は、心が痛みます。現場で対応に当たっている人々の苦労を思うと、なんとか対策が功を奏して、無事に終息してくれることを願ってやみません。

ところで、数日前に、若い人からこんなことを聞かれました。なんでも、山形に放射能雨が降るので雨に濡れてはいけない、もし濡れてしまったら、ヨウ素のうがい薬を飲むとよい、というメールが届き、多くの人に伝えてほしいと書いてあったそうです。これは、チェーンメールだと思うのだけれど、内容は正しいのだろうか、というものでした。

以下、この疑問に対する私の推論です。

(1) 火山の爆発のような大きなものでない限り、煙や粉じんは高層の気流に乗るほどの高さに達することはなく、逆転層のために、比較的近い風下に落下してしまう。
(2) 山形では、風は北西の季節風が中心で、東南の風は台風など嵐のとき以外はめったに吹かないので、福島第一の風下になることはまれなのでは。
(3) 福島第一原発と山形市とは、直線距離で170kmほどあり、奥羽山脈の1800~2000m級の山体が横たわり、間を遮っている。γ線の透過もごく弱くなり、ほぼ無視できるだろう。

このうち、(1) は新田次郎著『ある町の高い煙突』を読んで得た知識です。明治時代、鉱山が排出する亜硫酸ガスの煙害を防ぐために、高い煙突を建てさせるまでの住民の闘いを描いた物語です。煙突から出た煙や亜硫酸ガスは遠くの海へ飛んでいく、という事前の説明がうそだった、というところの描き方が、実に迫力がありました。
(2) は、あまり実証的ではありませんが、「辰巳の風は嵐になる」という当地の諺に基づく経験的なものです。

そうそう、同じ太平洋側にある女川の原発が無事に停止したようなのに、福島第一はなぜあんな事故になったのか、不思議です。何か、本質的な違いがあるのでしょうか。



いやいや、そんなことよりも、この雪!なんたる雪の量!一晩で降ったこの雪をぜんぶ福島に送って、思い切り冷却してやりたいと、一瞬ですが、ほんとに思ってしまいました(^o^;)>poripori


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巨大地震と停電で役立ったもの

2011年03月17日 06時01分26秒 | Weblog
地震の後の情報収集に際して、役立ったのはラジオでした。そして、停電の夜に役立ったのは、大型の懐中電灯でした。この二つが合体した製品が、写真の黄色いラジオ付き懐中電灯「ライト・ラジオFF-101R」(*)です。ブランド名が「パナソニック」ではなく「ナショナル」となっていますので、たぶん1970年代のものかと思います。懐中電灯が単一乾電池三個で、ラジオのほうは単三乾電池二個が必要です。古い製品ですが、電源が別々になっているところがたいへん良いものです。今ならば、LED を用いたラジオ・ライト製品があるのではないかと思います。そのほうが、電池の持ちが良いかもしれません。

SONYのポータブル・ラジオは、老母の枕元に置いていました。こちらは、単三乾電池四本で動作します。ノイズが少なく、受信状況は一番良好なようです。音声もクリアで、聞き取りやすい音質です。もう一つ、SONYのポケットラジオは単四乾電池二本で動作しますが、非常時に胸ポケットに入れておいて役立ちました。ただし、スピーカの口径の関係か、音質は聞き取りやすいものではありません。

ラジオ付きカセットプレーヤーも、携帯電話が不通ですので混入するノイズがなく、明瞭に聞くことができます。でも、ラジオ放送を一人ポツンとイヤホンで聞くのは寂しいものがあります。災害時には、同じ放送にみんなで一緒に耳を傾けることが大事だと感じました。

忘れてはならないのが、予備の電池です。我が家では、たいてい乾電池はパック買いしますので、必ず何本かの予備があります。今回は、家にあった単三乾電池二本を使って、ストレート型懐中電灯を一回だけ電池交換しただけで終わりました。夜は早く寝てしまいましたので、実際にはそれほど乾電池を消費することはありませんで、これは意外な結果でした。無理して大量に電池を買いだめする必要はないのでは、と思います。

(*):趣味のラジオ紹介!~National FF-101R
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