電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

童門冬ニ『小説 上杉鷹山』(下)を読む

2006年04月30日 10時37分02秒 | 読書
ゴールデンウィークがスタートし、東北の春も今年は桜と共に楽しむことができます。休日を利用し、童門冬ニ著『小説 上杉鷹山』(下巻)を読みました。

七人の重臣たちのクーデター未遂事件の処断が終わり、下巻の始まりは藩校・興譲館を再興する話からだ。どこの藩でも、教育を重視する建前に変わりはない。藩士の子弟だけでなく、優れた素質を持つ町人や農民の子をも対象にした例もまた、少なくないのだろうと思う。ともあれ、米沢では藩の財政の中から基金を出すと共に、庶民の募金を組み入れて学校を再興した。処罰された重臣たちの子らが不穏な動きを見せる中、師・細井平州を江戸から招き、学校が再開される。

だが、藩内には別の動きもあった。治憲の腹心として大きな功績をあげてきた家老・竹俣当綱に、奢りや不正があるというのだ。家老本人からの引退願いを一度は慰留したものの、藩祖の祭礼の日に供応を受け泥酔して欠席するという不始末に対し、厳しく処断する。それは、家老職を解任し終身禁固とするものだった。盟友の莅戸善政もまた、竹俣に処分を命じた直後に引責辞任してしまう。
こうして古い仲間が次々に去って行く。君主の徳を貫こうとする藩主の心にも隙間風が吹く。だが中断は許されない。大飢饉がおそい、幕府から命じられる賦役負担も重い。「伝国の辞」は、世子・治広に家督を譲り隠居した際に伝えたものと言われている。この隠居も、実際には幕府の賦役負担を切りぬけるための方便の面もあったようだ。実際に、新経営陣になってからも失政を正すために会長自ら経営の最前線に再登場し、莅戸善政に再び家老職を命じている。

一つ不思議なのは、この時代には、役職に任期というものがなかったのだろうか、ということだ。家老職を無期限に勤めれば、腐敗も制度疲労も起こるだろう。人事異動により識見や職能は向上することを考えれば、家老といえども同じではないか。同じ人間を無期限に使うというのは、大変に大きな信頼を表すと同時に、実は骨まで酷使されるという面もあるのではないか。偉大な鷹山を描きながらも、藤沢周平の『漆の実のみのる国』では、実はそういう非情な面も描き出されているのかもしれない。



今日は、妻と娘と、これからお花見に出かけます。息子は帰省するのやらしないのやら、なしのつぶてです。父親は暢気に構えていますが、母親は次第に独立していく息子にいささか不満そうで、自然に受け入れられるまでにはもうしばらく時間がかかりそうです。
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ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」を聞く

2006年04月29日 21時59分13秒 | -協奏曲
温泉にて宴会の翌日、帰宅してから爽やかな午前中に昼寝をした。実に気持ちがいい。午後から、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」ハ短調、Op.37を聞いた。演奏は、レオン・フライシャー(Pf)、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団。1961年4月14日、クリーヴランドのセヴェランス・ホールで録音されたものを、デジタル・リマスタリングしたもので、比較的聞きやすい音質に改善されている。

新潮文庫版「ベートーヴェン」(平野昭著)によれば、第1および第2交響曲を完成し、ハイリゲンシュタットの遺書の危機を乗り越えた1803年、ベートーヴェンは、アン・デア・ウィーン劇場で二つの交響曲とオラトリオ「橄欖山上のキリスト」、そして自身のピアノ独奏でこのピアノ協奏曲第3番を演奏したとある。なんとも豪華で重量級のプログラムだ。

第1楽章、アレグロ・コン・ブリオ、モーツァルトの短調のピアノ協奏曲を思わせる、悲劇的な気分を持った序奏部の音楽。独奏ピアノが入って来ると、悲劇的な気分だけでなく颯爽としたテクニックを聞かせるところもある。「英雄」交響曲直前の時期を示す、若々しく充実した音楽だ。
第2楽章、ラルゴ。詩情にみちた深い演奏。ベートーヴェンの緩徐楽章の魅力はたとえようがない。
第3楽章、ロンド、アレグロ。管弦楽の響きは重厚で、しかもリズムは軽やか。フライシャーのピアノも自在に駆け回る。これは演奏家冥利に尽きると言ってよいのではないか。

ベートーヴェンの五曲のピアノ協奏曲の中で、唯一の短調の曲。しかも、ハ短調という調性を持つこの曲は、セルのきりっと引き締まったテンポの速い演奏によって、センチメンタルに流れない、いい音楽になっている。

この曲を最初に聞いたのは、たしか1970年前後で、ジョン・オグドンが来日し、N響と演奏会を開いた、テレビ放送を見たときだと思う。指揮は誰だったか忘れてしまったが、ハインツ・ワルベルクあたりだったろうか。ジョン・オグドンが、まだ不幸な病気に苦しむ前(*)で、元気な姿を見せていた頃だった。従弟が中学生か高校生で、音楽の宿題でこのテレビ番組を視聴し、レポートを出さなければならないとかで、一緒に見たのだったと記憶している。レオン・フライシャーもまた、難しい病気に悩み、先ごろ数十年ぶりにようやく回復したことが報道されたばかりだ。作曲家ばかりではなく、演奏家の悲劇にも心うたれるものがある。

参考までに、演奏データを示す。
■フライシャー(Pf)、セル指揮クリーヴランド管 (SONY SBK-47658)
I=15'21" II=9'45" III=8'34" total=33'40"
■アシュケナージ(Pf)、メータ指揮ウィーンフィル (F35L-50018)
I=17'25" II=10'23" III=9'12" total=37'00"

(*): Wikipediaの記述より、「ジョン・オグドン」
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遅かろうと早かろうと爛漫の春

2006年04月28日 07時09分40秒 | 散歩・外出・旅行
例年にない寒さで開花が遅れた桜もようやく満開となり、爛漫の春です。桜並木の花のトンネルの下に咲く椿を見つけました。写真のとおり、ピンクの桜の中に、強く存在を主張するかのような硬質の葉の緑と真紅の椿の花です。人知れず咲いている風景に思わず見とれました。開花時期が一致する地方でしかお目にかかれない、見事な風景です。誰が考えた取り合わせなのか、設計者(?)に脱帽です。

今日は花の金曜日、文字通り観桜会となり、温泉に泊まって宴会です。一足先に今日の分の記事を投稿しておきましょう。皆様も良い一日となりますように。
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童門冬ニ『小説 上杉鷹山』(上)を読む

2006年04月27日 21時01分06秒 | 読書
職場の同僚の子息がこの春に米沢興譲館高校に入学したという。入学式での校長の式辞が、上杉鷹山が細井平州を招き、藩校・興譲館を再興した場面を紹介し、「少し難しい話だったかもしれない。だが、若い人には少し難しい位でちょうど良い。難しいことに挑戦してほしい」とむすんだとのことだった。米沢の人の中には、上杉鷹山公は今も心の中に生きていると言うことだろう。

上杉鷹山は、幕藩時代の君主としては異色の存在だろう。若い頃、内村鑑三が『代表的日本人』の中で取り上げているのを読み、この地味な君主に興味を持った。その後、老父が学陽書房刊の本書を購入し読んでいるのを見て、私も借りて読んでみた。ビジネス書によくあるような美化した表現は気になったが、上杉鷹山という人間が実際に生きた偉さ・面白さは充分に感じられた。

上巻では、日向高鍋藩から養子に入った上杉治憲(はるのり)が、財政危機の米沢上杉藩の家臣団の中で、主流から外れた冷飯組のうちこれはと思った者を抜擢し、江戸屋敷から財政改革を始める。奥女中をばっさり整理し、虚飾を排し勤倹節約につとめる中で、国許である米沢藩を変えて行こうとする。改革の志に賛同する者もいるが、抵抗する者もいる。抵抗勢力のクーデター未遂事件までが描かれる。

物語があまりにも鷹山公を美化し過ぎではないか、という気もしないではない。だが、米沢市のあちこちにある史跡には、鷹山公の事績が今も残っている。「伝国の辞」の思想的ルーツは中国にあるとはいえ、

一、国家は先祖より子孫へ伝候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有るまじく候事

という遺訓を、フランス革命に先立つこと二世代前の1785年に、世子・治広に残したという事実は打ち消すことができない。Wikipediaの記述(*)は、このへんの評価を客観的に述べていると思う。
(*):Wikipedia に見る「上杉鷹山」の記事

写真は、童門冬ニ『小説 上杉鷹山』と文春文庫の藤沢周平『漆の実の実る国』。どちらも上杉鷹山を描いているが、本書の方が偉人伝ふうの傾向が強い。
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うす墨の普及について

2006年04月26日 20時50分00秒 | Weblog
先日、ある葬儀への香典を取りまとめる機会があり、驚いたことが一つある。それは、うす墨の普及だ。慶事については黒々とした墨字でよいが、弔事にはうす墨を用いることがある、という程度の認識しかなかったが、ほとんどがうす墨を用いており、びっくりした次第だ。
考えてみれば、香典袋やのし紙を書くときはほとんど筆ペンですませている。硯で墨をすり、小筆でさらさらと書ける人はすくないだろう。私も硯にあこがれながらも、実際は筆ペン派だ。だから、うす墨の普及はすなわちうす墨用筆ペンの普及に他ならない。昔はともかく、現在は「縁起でもない!」と嫌われることは少なくなったのだろう。今や、多くの家庭で弔事専用の筆ペンを用意してあるということか。

写真は、砂防堤を越える雪解け水。
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時間の使い方

2006年04月25日 21時07分00秒 | Weblog
子どもが家を離れ、平均年齢がぐっと高くなった我が家。私の通勤距離が短くなり、帰宅時間も早くなったおかげで、なんだか全体的に夜が早くなりました。夕食後の時間も比較的ゆとりがあるためか、少しずつ本も読めますし、夜10時になるともう寝ています。そのかわり、朝が早くなりました。季節が良いせいもありますが、とにかく朝5時半ころにパッチリ目が覚めてしまいます。夜更かし型若者がいない、典型的な年寄り生活パターンになってしまいました。
おかげで、夜にいただいたコメントには、回答にやや時差が生じてしまいます。この点は、常連の皆様には御容赦をいただきたいと思います。

ただ、朝型生活にはメリットもあります。まず、眠くならないので作業効率が上がります。判断力も鈍っていないので、構想を練るのにもあまり悩まずにすみます。ある程度まとまった時間が取れるため、内容を吟味できます。プライベートだけでなく、今日一日の予定を確認するなど、仕事の面でもプラスです。
まだ新聞も配達されない早朝、コーヒーを淹れ、ネットワークに接続するとき、主要なニュースサイトを見るのが楽しみです。
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最後のリンゴでアップルパイ

2006年04月24日 20時10分13秒 | 料理・住まい
一冬を過ごした「ふじ」リンゴ、さすがに春の陽気と共にいたんで来る。もったいないので、最後のリンゴを使って妻にアップルパイを焼いてもらった。おいしくできたので、写真をとろうとデジカメを取りに行っている間に、なんだか小さくなっている。あれ、おかしいなと思ったら、甘いものが大好きな老母が「少々いただきました」とのこと。まぁ、しょうがないか。
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この風景

2006年04月23日 20時58分15秒 | 散歩・外出・旅行
山形県村山盆地中部の白水川堤防に、かなりの長さにわたって桜並木がある。桜が満開となった時期には、赤提灯もライトアップもない、自然のままのこの風景は見事なもので、お気に入りの散歩ポイントだ。残念ながら、今年はまだ桜前線がここまで北上していないようで、つぼみはだいぶふくらんではいるものの、まったく開花していなかった。
遠くに見える山は、東北地方には珍しい高度差三百メートルほどの断崖を持つ黒伏山であろう。同級生にクライマーがいるが、しばしばこの山に出向き、登攀を楽しんでいるとのことだ。
奥羽山脈の脊梁の一つである船形山周辺から発する白水川は、今雪解け水が豊かに流れている。かつては黒伏山神社に参詣する人々のとぐ米で川の水が白く濁ったと言う伝承があるとのことだが、この桜並木はどんな人が何の目的で植えたものか。晴天の休日に車を止めて、妻と共に堤防の上に立つと、ふとそんなことが思われる。
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宮城谷昌光『孟嘗君』第5巻を読む

2006年04月23日 15時07分14秒 | -宮城谷昌光
宮城谷昌光著『孟嘗君』第5巻をようやく読了しました。2004年の秋に初めて読んで以来、昨年同時期に再読、今回で三読。あらすじだけでなく、内容のほうもだいぶ楽しめるようになりました。



「海大魚」の章では、洛芭を忘れられない田文が、父田嬰の命令により西周姫を娶ることになる。気乗り薄で迎えた花嫁が、実は・・・というお話。希望は星の光のように小さく遠いものだが、月と違って満ち欠けはしない、という白圭の諭しは、無名の時期の長かった作者の感慨だろうか。
「諸国漫遊」の章では、田嬰が薛(せつ)の国主となり、「靖郭君」と呼ばれるようになるが、田文は嗣子としては扱われない。隣接する嘗の邑を与えられ、これを見事に治めて孟嘗君と呼ばれる。だが、孟嘗君の人気が高くなれば、反発も生じる。若干の臣下と食客を連れて、馬車で諸国を巡る旅に出る。
「魏相の席」の章では、楚と結ぶ鄒忌(すうき)が、宰相への復帰を狙い、毒の樹で作った琴で威王を殺す。宣王が即位し、田嬰が薛で喪に服す間に、鄒忌が再び宰相に任ぜられる。鄒忌は宋王に薛を進呈すると伝え、宋軍が薛邑を取り囲むが、貌弁により鄒忌の悪事と真実を伝えられた宣王は田嬰の薛邑を救援する。策謀が失敗した鄒忌は、宋により暗殺される。孟嘗君は魏の首都大梁に入り、宰相の犀首から後継者にと懇望される。
「間雲」の章は、落ち目の魏を孟嘗君が立て直す次第。王族出身者は王室への忠誠心が薄く、自己保全に心をくだくが国益には寄与しない、という指摘は厳しく鋭い。張丑の指摘どおり、秦が韓を攻める。張儀を秦の宰相にと推す孟嘗君の深謀に対し、秦の樗里子は魏を攻めるが、魏の宰相の孟嘗君は国力の充実を優先し「そちらがどうであろうと、こちらは誓いを守る所存」と相手にしない。魏の襄王は孟嘗君を頼りにする。
「斉の宰相」の章では、秦と楚の争いに対し、秦の同盟国として国力を回復した魏も参戦し、楚を破る。楚は斉をたきつけ、魏を攻めさせるが、これも一蹴する。しかし孟子をかくまったために再び宋王に攻められた薛を救援すべく、わずかに300人の配下と共に薛に戻る。この救援の一部始終と田忌将軍の帰国の場面はたいそうドラマティックだ。田嬰の死とともに田文が嗣子となり、薛邑の国主とともに斉の宰相となる。
「函谷関」の章では、時が移り斉も愚昧な王の代となる。秦の宰相にと請われた孟嘗君は、趙の武霊王の策略により危うく囚われの身となりかかるが、かろうじて脱出する。斉と魏と韓の三国は孟嘗君を師将として秦を攻め、これを破る。だが、斉王は薛公・孟嘗君の盛名を疎んじるようになる。「人を助ければ自分も助かる」という白圭の死は、黄河の治水土木事業とともに残ることだろう。



この巻は、主たる悪役であった鄒忌があっさりと死んでしまうので、以後は各国の王の交代と争いを描くことに主眼が置かれ、物語のドラマ性は低下する。国の盛衰に予備知識があればもう少し楽しめるのかもしれないが、なんだか駆け足で歴史の説明をされているような気がしてしまう。なかなか難しいものだ。

本編に出てきた中山国の滅亡と将軍・楽毅について、著者は『楽毅』という物語を別に書いている。こちらは一連の軍事の物語だが、孟嘗君の国の最後が描かれ、ちょっと悲しい。
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フルネ「オネゲル作品集」を聞く

2006年04月22日 09時53分38秒 | -オーケストラ
ひさびさに陽光ふりそそぐ休日の朝、早起きしてコーヒーをいれ、音量ひかえめに音楽CDを聞きました。ジャン・フルネ指揮オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団による「オネゲル作品集」(DENON COCO-70425)です。
私はオネゲルの深刻な交響曲第3番を好んで聞いており、以前記事にした(*)こともあります。
(*):オネゲルの交響曲第3番「典礼風」を聞く
少し前に、Schweitzer_Musikさんが、オネゲルの作品を楽譜つきで詳細に解説(*2)されておられて、興味深く読みました。
(*2):「鎌倉スイス日記」
素人音楽愛好家にすぎない私には、管弦楽法の分析などは「ネコに小判、豚に真珠」の類でしょうが、好きな音楽CDをあらためて取り出して、別の角度から聞くきっかけになるという点で、たいへんありがたいものです。

「ラグビー」「パシフィック231」などの管弦楽の見事さは上記の記事のとおりですが、とくに今回は「コンチェルト・ダ・カメラ」という室内協奏曲がたいへん気に入りました。解説によれば、この音楽、もともとは1948年にバークシャー音楽祭で初演された「フルート、イングリッシュ・ホルンとピアノのための室内ソナタ」が原曲とのこと。これが評判が良いので、作曲者は同年秋に室内協奏曲に書き直したのだそうです。

第1楽章、アレグレット・アマービレ。アマービレという指示はどんな意味なのでしょう。20世紀の音楽らしい、独特の響きを持つ弦楽合奏に始まり、イングリッシュ・ホルンとフルートが軽やかな音楽を奏します。なるほど、室内協奏曲です。しかも、ヴァイオリンとヴィオラならぬ、フルートとイングリッシュ・ホルンのための二重協奏曲。この二つの木管楽器の音色の取り合わせが絶妙です。
第2楽章、アンダンテ。低音弦が重苦しく始まり、フルートとイングリッシュ・ホルンが半音階的な透明なメロディをゆったりと奏します。一種、不思議な音の世界です。
第3楽章、ロンド、ヴィヴァーチェ。一転して、やや速めの活発なロンド。ヴィヴァーチェという指示はあるものの、それほど晴れやかで開放的な気分ではありません。「パシフィック231」等だけを聞けばマッチョ指向(?)の作曲家と思いがちですが、室内楽に近い、なんとも知的な終わりかたです。

それにしても、オネゲルといいプーランクといい、木管楽器の使いかたが実に上手だと感じます。フランス語の発音が、木管楽器みたいなものかもしれません。
1993年、オランダのヒルヴェルスムのミュージック・センターでの明晰で暖かみのあるデジタル録音。ジャン・フルネ指揮の「ラグビー」「パシフィック231」「夏の牧歌」「交響曲第3番 典礼風」などを収録したこのCDは、1枚全部、演奏録音ともにすばらしい内容だと感じます。
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カラスが巣作り~ヒナがいるのかな?

2006年04月21日 19時50分13秒 | 散歩・外出・旅行
写真中央部、樹陰に見えるのはカラスの巣です。望遠とデジタルズームで撮影していますので、あまりはっきりしていませんが、親ガラスが一羽、じっとしています。もしかしたら、卵があるのかもしれません。それとも、ヒナがいるのかな?葉の陰になるとはいえ、昨日の冷たいみぞれまじりの雨は寒いことでしょう。また、天然の羽毛コートを着ているとはいうものの、雨にうたれる母カラスにはちょっと同情してしまいます。
我が家の木にも、ときどきカラスが飛んで来て営巣しようとしますが、ネコが登って威嚇するので、カラスもあきらめたようです。
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梅は咲いたか、桜はまだかいな

2006年04月20日 19時37分54秒 | 散歩・外出・旅行
南の地方ではすでに葉桜でしょうが、当地ではようやく花便りが聞かれるようになったこのごろ、「梅は咲いたか、桜はまだかいな」と問いたくなる季節です。我が家の梅もようやくちらほらと咲き出しました。桜もお花見に適した時期までにはあと数日かかりそうです。

今日はまた、時ならぬ雪が降りまして、国道112号月山道路ではチェーン規制がしかれたとか。山形河川国道事務所のWEBサイト(*)で月山道路をはじめとする山形県内各道路の状況を見ることができますが、最盛期にはさぞやアスファルトの黒い路面が真っ白になったことでしょう。今の季節、峠を越えるときには、事前に確認することが必要です。ライブカメラが普及した現在、安心して道路を選ぶことができ、ありがたいことです。
(*):山形河川道路事務所のWEBサイトで道路情報を得る

花も季節外れの雪に驚き、青ざめたのではないかと思います。はやく陽光がふりそそぎ、ぽっと色づいてほしいものです。
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ネット配信が増えたら音楽CDの生産が増加した

2006年04月18日 20時46分12秒 | クラシック音楽
音楽のネット配信が増えたら、音楽CDやDVDの生産量が増えたと言う。ネット配信で親しんだ音楽を、CDやDVDで手にしたいと思う人は結構な数がいる、ということだろう。たとえば、荒川静香選手が金メダルを取った「トゥーランドット」の音楽を、解説書のついたCDで聞きたい、という人はたぶん大勢いたのだ。
音楽のネット配信が増えたために減少したものというと、レンタル屋さんだという。それはそうだろう。音楽CDはわざわざレンタル屋に行って借りて来るほどのことはないだろうから。購入できる価格なら、たぶん買うだろう。
私の場合は、クラシック音楽のCDを置いてくれるショップが減少したと思う。ネット通販で購入できるとはいうものの、身近にクラシック音楽を手にするお店がないのは寂しいものだ。
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なぜ高校生は田舎を嫌うようになるのか

2006年04月17日 21時02分32秒 | Weblog
新聞に、ある調査結果が掲載されていた。小学生と高校生の地域に対する意識の差を対比したものだ。
小学生は、社会科の勉強で地域のことを学習する。どんなお店があり、どんな工夫をしているか、実際に見学したりして、いろいろと調べる。だから、小学生は地域に親しみを持ち、田舎だからと嫌ったりしない。ところが高校生はどうか。意識調査の結果は明白だ。田舎が嫌いで、できれば出て行きたいという答えがずっと多くなる。この理由はなぜなのか。

自分自身の経験を元に言うならば、田舎に愛想をつかす最初のきっかけは、通学に用いる公共交通機関の不便さだ。人口が少ないのだから、電車やバスの本数が少ないのはしかたがないと思える。だが、朝夕のラッシュ時の非人間的な混み具合や、多忙な親に送迎を依存しなければならず、不機嫌な親の愚痴につき合わされることなどが、自立心旺盛な若者には耐えられない。いつか田舎を出てやると思うようになる。

ただし、田舎が不便なのは高校生まで。自分で車にのるようになると、田舎は不便とは限らない。移動の自由が気分も自由にする。買物もレジャーも、車と共に行われるようになり、のんびりした田舎の生活が、それはそれでいいかも、と思えるようになるからだろう。
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宮城谷昌光『孟嘗君』第4巻を読む

2006年04月16日 20時18分52秒 | -宮城谷昌光
桜前線はもう福島県と山形県の県境あたりまで来ていると思いますが、開花を前に気温の方はやや足踏み状態です。昨日今日と家内も風邪気味で、終日自宅で過ごしました。こうなると、読書もはかどります。『孟嘗君』第4巻を読み終えました。

「それぞれの道」の章は、斉の宰相である鄒忌(すうき)の悪役ぶりが描かれる。馬陵の戦いで、孫子の指揮のもと、斉軍は魏に劇的な勝利をおさめる。しかし、凱旋する田忌将軍を待っていたのは、讒言により反逆者として亡命する運命であった。田文の親友である夏侯章の父は、田忌将軍のために重傷を負う。
「父と子」の章では、隻真とともに田嬰を仇と狙う隻蘭が、実は真犯人である鄒忌に騙され復讐心を利用されて、心ならずも王の子を宿したこと、そして鄒忌の手から田文に救われる経緯が描かれる。
「流別」の章では、白圭のもとで隻蘭が王の子を産む。蘭は誤った復讐心により失った心の平安を悔い、黄河の治水に挑む白圭のもとで無償の事業に打ち込む田文を慕う。白圭は蘭を洛芭(らくは)と改めさせ、田文を慕う心を憐れみながら、秦の公孫鞅のもとに行かせる。最後の一夜を共にした洛芭は、田文の子を宿す。
「壮者の時」の章では、秦の孝公が没し、暗愚の子・恵公が即位する。宰相である公孫鞅を憎む恵公は、商鞅の亡命を許さず、これを討った。公孫鞅の妻・風麗は白圭の妹であり、逃亡の途中で山賊の手に落ちる。田文らは身代金を運び、風麗らを救い出す。
一方、「靖郭君」の章では、田文の子を伴って秦を脱出した洛芭が子どもと離れ、趙の公叔家に捕われの身となる。偶然に出会った養父隻真に、真の仇は田嬰ではなく鄒忌であることを伝え、ようやく脱出に成功する。その頃、鄒忌は政敵の田忌の復帰を妨げるべく楚に向かうが、その隙に田嬰は謹慎を解かれ、韓の昭侯と魏の恵王を斉の威王のもとで同盟を結ばせることに成功する。この外交上の成果により、田嬰は靖郭君と呼ばれるようになる。
「徐州の戦い」の章では、田文が楚の亡命先に田忌将軍を訪れる。斉の威王は、魏との外交上の成果を賞し、鄒忌を罷免し靖郭君・田嬰を宰相とする。斉と楚の戦いは楚の勝利に終わるが、田嬰家の食客であった張丑を伴って公孫閲が粘り、田嬰の失脚は阻止される。

斉の国を蝕む悪役・鄒忌の存在感はたいへん大きいものがあります。田嬰の最大の政敵であると同時に、田文・洛芭の二人にも、不倶戴天の敵役でもあります。これだけ強力な悪役を描くと、いかに打倒するかが中心になり、悪役が倒れた後の描きかたが難しいと思いますが、さてどうでしょうか。

写真は、河原のネコヤナギの新芽です。
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