電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

農作業メモと備忘録ノートを相次いで更新する

2015年06月30日 06時02分06秒 | 手帳文具書斎
しばらく前になりますが、週末農業の記録を書き記している小型ノート「農作業メモ」の2冊目が終わり、3冊目に入りました。1冊をほぼ2年半使いました。今度の新しいノートも、作業着のポケットに入るよう、文庫本サイズのダブルリングノートとしました。



また、備忘録ノートも、今年二冊目に入りました。ツバメノートのA5判100枚(200ページ)という厚手のものですが、万年筆の書き味が良い紙質と糸綴じのしっかりした装丁とが相まって、重宝しております。見栄えの良いノートカバーを使おうと試みたこともありましたが、結局はむき出しのままに使っております。



農作業メモは、最近はパワータンク(PowerTank)ボールペンで書いております。水に濡れても大丈夫ということで、野外のメモには安心感があります。
一方、備忘録ノートは、もっぱら万年筆で。プラチナ#3776ブルゴーニュ(F)やパイロットのカスタム・グランディ(M)を主体に、プレッピーやカクノ、プレラなどの廉価ペンの中字(M)を、取っ替え引っ替え使って書いております。

備忘録には様々なことを書きますが、身近な雑記録の他に、ときどき時事ネタもメモします。とくにネットで読んだ記事は、メモしておかないときれいさっぱり忘れ去ってしまいますので、備忘のためにメモしておきます。例えばこんなふうです。

福島原発8m津波で建屋浸水予想~国が99年に予測図作成(2015/06/25:山形新聞オンラインより)
 大津波への対策を進言した部下に、1000年に一度の災害にいちいち対策していられるか、と言い放った上司の話がウェブに掲載されたことがあった。東京電力は、安全を過信し対策を怠った、という結論は妥当であろう。

こうした報道(*1)は、一つ一つは重要な意味を持つものですが、断片的なものであるために、忘れ去られてしまいやすいものです。わかってはいたが、対策をしなかった、ということなのでしょう。結果の違いは小さな意思決定の積み重ねがもたらすもの(*2)であり、安閑としていてはならない、ということなのでしょう。



それはともかく、新しいノートに書き始めるのは、楽しいものです。古いノートを本棚に納めるのも、自己満足ではありますが、ズラリ並んでいるのを見ると、ちょっとした達成感があります(^o^)/

(*1):福島原発8m津波で建屋浸水予想 国が99年に予測図作成~共同通信の記事
(*2):女川原発と福島第一との違いは古文書にある慶長津波の評価の違いにある?~「電網郊外散歩道」2011年4月

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明治初期の硫酸製造と大阪造幣局

2015年06月29日 06時02分26秒 | 歴史技術科学
山形師範学校の付属小学校における天覧実験(*1)は無事に終えたものの、明治初期の初等教育において、リービッヒ流の「実験を通じて学ぶ化学」が行われていたわけではありません。各地に建てられた小学校には、一斉教授用の教場(教室)はあっても、生徒用の理科実験室などはもちろんありませんでした。教場における主たる道具立ては、黒板とチョークと掛図、生徒は石版と石墨、紙と筆と墨、といったところでしょう。


(明治9年、鶴岡に建てられた朝暘学校~当時全国最大

ところで、明治15年当時の島津製作所のカタログ(複製)が手許にありますが、種々の物理化学の実験器具のほかに、例えば化学実験セットが二種掲載され、おそらくは薬品の種類や機器の組み合わせの違いで、お値段が違っています。30円と50円とあり、仮に当時の1円=2万円とすれば、現代風に言えば1組60万円と100万円のセットということになります。こうしたセットを購入できたのはおそらくは裕福な学校であり、学校にとっては例えば天覧実験の際に供するような使い方の、貴重な財産であったろうと思われます。







では、明治初期に、化学実験用の薬品はどうしていたのか? あるいは、大量に必要な、産業用の薬品は? おそらく、はじめは高価な輸入品を用い、後にそれら真似て(模範として)、国内で製造できるかどうか様々な形で試みられたのでしょう。その例として、長州ファイブの一人・遠藤謹助(*2)が勤務した大阪造幣局(*3)における硫酸製造を取り上げます。

明治政府は、近代的な貨幣制度を確立するために、大阪の地に造幣寮(後に造幣局)を建設します。明治4(1871)年のことでした。日本政府が英国の東洋銀行と結んだ条約をもとに、グラバーを通じて香港にあった造幣局の設備や主だった人員も移転したような形であり、監督権も日本側にはなく、元陸軍少佐で元香港造幣局長の地位にあったキンドルを中心に、外国人の指導のもとに事業が進められました。井上馨や遠藤謹助など、英国に密航留学した経験を持つ日本人幹部とはしっくりいかなかったようで、後に(明治7年)キンドル排斥運動が起こったりしていますが、明治初年の当時、実際の設備を運用するには、短期間の留学経験では実務的に役に立つことは無理だったでしょうし、ロンドン大学のウィリアムソン教授の姿勢とは違って、香港での経験からアジア人を蔑視する傾向を持つキンドルらに対する反発も強かったことでしょう。


(大阪造幣局外観・『造幣局のあゆみ 改訂版』より)(*3)

大阪造幣局は、洋式設備による貨幣製造工場であるだけでなく、素材となる金属の分析や精錬、製造加工など自給自足が可能な総合的工場でもありました。勤務体系や複式簿記の採用、日曜休日、1日7時間労働制など、英国風に合理的に整備され、断髪で洋服の着用など、現代に通じるスタイルを取り入れた工場でした。

とくに「金銀の分離精製や貨幣の洗浄に用いる硫酸は、明治5年に開設された硫酸製造所において、英国人技師フィンチの指導のもとに製造を開始」(*3)されたと記録されています。
明治6(1873)年の構内図に、「四百ポンド硫酸室」および「硫酸室(鉛室、硫黄窯場、精製煮詰窯場)」の存在が確認されます。


(造幣局構内図:『造幣局のあゆみ 改訂版』より)(*3)

塩川久男氏によれば(*4)、明治5年には「日産400ポンドの生産量で、不足分は輸入しなければならなかったので、先進技術により多量生産を行うため、同年4月フィンチを雇」いいれ、明治6(1873)年には新工場も建設されて、「造幣局でつくった硫酸が一般に販売され」るようになったこと、明治8(1875)にはガウランドがこの硫酸を分析し、「今般再溜の分は純粋なり」のお墨付きも得て上海に輸出されるようになったとのことです。

明治5年の開設から明治18年の民間会社への貸渡までの間に、硫酸の生産実績は 17,446,000 ポンド余り(*4)となっており、同時に硫酸製造は一国の化学工業の水準の指標である(*5)との言葉のとおり、硝酸、塩酸、アンモニア、リン酸アンモニウム、硫酸アンモニウム、硫酸亜鉛、硫酸鉄などの化学薬品も製造し、ソーダ工業もここから興されます。大阪造幣局は、当時の日本の化学工業の中心であったと言えましょう。


(*1):明治天皇の東北巡幸と山形師範学校における化学の天覧実験の記録~「電網郊外散歩道」2015年6月
(*2):長州藩の密航留学生は何を学んだか~「電網郊外散歩道」2014年8月
(*3):『造幣局のあゆみ 改訂版』平成22年 (PDF)
(*4):塩川久男「科学と社会~日本における近代化学の成立」、『科学と実験』p.66,Vol.29,No.12
(*5):「硫酸」~Wikipediaの解説

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「紅さやか」と「ナポレオン」がお菓子になった

2015年06月28日 06時05分27秒 | 料理住居衣服
少し前に、お菓子づくりの材料にと、完熟して黒くなった早生種サクランボ「紅さやか」と、まだ熟したとはいえない晩生種の「ナポレオン」を知人に提供したところ、先日、試作品を分けてもらいました。写真は少々ボケておりますが、これは当方のカメラと腕前のほうの問題デス(^o^;)>popripori

すっかり時期が過ぎてしまい、少量しか得られなかった「紅さやか」と、やや多めに提供した「ナポレオン」を、レモン汁とともにシロップに漬け込んで保存しておいたところ、「紅さやか」の赤色が「ナポレオン」にも染み込んで、同じようなキレイな色になったそうです。ムースもきれいなピンクで、美味しそう。



大粒で果肉が多く、酸味が強い「ナポレオン」と、着色に適した小粒の「紅さやか」の組み合わせは、種を取る労力(*1)を軽減することにつながり、人工着色料などを使わなくとも、きれいな色のジャムやフルーツソースを作るにも役立ちそうです。「ナポレオン」は、もともとは加工用のサクランボとして栽培されていた品種ですので、意外にもお菓子作りにも適しているのかも。



昨年に続き(*2)、我が家のサクランボが役立って、良かった良かった(^o^)/
それにしても、こういう技術を持った知人がいるということは、ありがたいことです(^o^)/

(*1):サクランボの種の取り方~ヨーグルト用サクランボ・ソースを作る~「電網郊外散歩道」2013年6月
(*2):サクランボのタルトをいただいて~「電網郊外散歩道」2014年6月

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遠くで雷鳴を聞きながら

2015年06月27日 07時25分12秒 | クラシック音楽
六月も下旬になると、例年ならば南東北も梅雨入りします。ところが、今年は梅雨入りが遅く、局所的な降雨は報道されるものの、当地はからりとした晴天とどよ~んとした曇り空のお天気とが、交互に続いておりました。

そんな日に、遠くで雷鳴を聞きながら耳を傾ける音楽は、なぜかドビュッシーや北欧の曲が多くなりがちです。たとえばドビュッシーの「夜想曲」(*1)やヴァイオリン・ソナタ(*2)、弦楽四重奏曲(*3)など、北欧の音楽として、たとえばグリーグの「ピアノ協奏曲イ短調」(*4)などです。いずれもこの季節に取り上げ、記事にしているところをみると、「梅雨どきの音楽」と言ってよいのかも。

最近の通勤の音楽も、グリーグのピアノ協奏曲を、レオン・フライシャーのピアノとジョージ・セル指揮クリーヴランド管の演奏で、繰り返して聴いております。曲の冒頭は雷鳴に通じるなあ、などと思いながら、水田が広がる夕暮れの農道を疾走するとき、遠くで稲妻が走ったりするのです。



昨日、南東北も無事(^o^;)梅雨入りしたとのこと。今日と明日は雨模様の予報ですが、当方は先日はじめて差配をした某家の四十九日に出席の予定。週末農業もお休みです。

(*1):ドビュッシー「夜想曲」を聴く~「電網郊外散歩道」2007年6月
(*2):ドビュッシーの「ヴァイオリン・ソナタ」を聴く~「電網郊外散歩道」2011年6月
(*3):ドビュッシー「弦楽四重奏曲ト短調Op.10」を聴く~「電網郊外散歩道」2015年4月
(*4):セル/フライシャーのグリーグ「ピアノ協奏曲」を聴く~「電網郊外散歩道」2005年6月

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パイロット・カスタム・グランディの青インク・カートリッジを初交換

2015年06月26日 06時03分28秒 | 手帳文具書斎
愛用の万年筆、パイロットの「カスタム・グランディ」のインク・カートリッジを初交換しました。記録によれば、青インク・カートリッジを使い始めたのが今月(6月)4日ですから、およそ20日で使い切ったことになります。同社のコンバータCON-50を使っていた時よりも、たしかに長い期間使えて、なおかつインク補充が楽です。特殊なインクを使うのでない限りは、カートリッジのほうが便利だという「歴史の教訓」を再確認する結果になりました(^o^;)>poripori



どうやら、「カスタム・グランディ」にはこのスタイルが定着しそうですので、同社の青インク・カートリッジをもう一箱購入して、職場の机の引き出しにもしのばせておきましょう。そうすれば、ペンケースの中のインクカートリッジを、たまたま切らしてしまった時でも大丈夫かも(^o^)/

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私の好きな二重奏曲

2015年06月25日 06時02分59秒 | クラシック音楽
楽器編成に焦点をあて、「私の好きな」という共通項のもとで、1人の作曲家について1曲ずつ、独奏曲、二重奏曲、三重奏曲などをリストアップしてみよう、という趣旨の第二弾、「私の好きな二重奏曲」です。では、さっそくリストアップを。

  • モーツァルト 「ヴァイオリン・ソナタ第28番」
  • ベートーヴェン 「ヴァイオリン・ソナタ第5番 "春"」
  • シューベルト 「アルペジオーネ・ソナタ」
  • R.シューマン 「幻想小曲集」Op.73 ~クラリネットとピアノのための~
  • ブラームス 「ヴァイオリン・ソナタ第1番 "雨の歌"」
  • ドヴォルザーク 「四つのロマンティックな小品」
  • フランク 「ヴァイオリン・ソナタ」
  • ラヴェル 「ヴァイオリン・ソナタ」
  • ドビュッシー 「ヴァイオリン・ソナタ」
  • プロコフィエフ 「ヴァイオリン・ソナタ第1番」

次点は、

  • J.S.バッハ 「チェロとチェンバロのためのソナタ」
  • サン=サーンス 「ヴァイオリン・ソナタ第1番」
  • エルガー 「愛の挨拶」

などでしょうか。

この題で真っ先に思い浮かべたのは、実はフランクのヴァイオリン・ソナタとベートーヴェンの「スプリング・ソナタ」、それにプロコフィエフの第1番のヴァイオリンソナタでした。3曲ともヴァイオリンとピアノの組み合わせで、音色的にも良い対比だと思いますし、曲としても実に魅力的なものです。ベスト3にプロコフィエフが入ってくるあたりに、私のプロコ好きがあらわれています(^o^)/

ただし、実はベートーヴェンの曲の決定には少しためらいがありました。なんといっても、作曲家毎に1曲という制約から、「チェロソナタ第3番」を外すのですから、あの雄大さが惜しまれて、かなりの逡巡があって当然です。楽器の音色から言っても、チェロの音は大好きなのですが、どちらか片方を選べ!と迫られると、単純に聴く回数から決めざるを得ませんでした。

ドヴォルザークは、愛好してやまないチャーミングな小品集で、ベスト5と言われたら、これとブラームスあたりが加わるところでしょうか。その他には、フランスの印象派の音楽から、ラヴェルとドビュッシーを選びました。サン=サーンスの曲も良いのですが、曲数の制限から、惜しくも次点ということで(^o^;)>poripori
次点のうち、J.S.バッハは、シュタルケルの録音を好んで聴いております。また、エルガーの「愛の挨拶」は、小品も入れたいのと、チャーミングなところが好きなんですよ~(^o^)/

ヴァイオリンとピアノの組み合わせに偏りすぎないようにと、少々意識したのがシューベルトとシューマンです。前者は「ヴァイオリンのためのソナチネ」と競り合いになり、オリジナルはアルペジオーネでしょうが、実際に使われることが多いチェロの音色の魅力から、めでたく代表となりました。シューマンは、これはもう、明らかにクラリネットの響きの魅力です。この曲を、山響の川上さんのクラリネットで、ナマで聴いてみたいものです(^o^)/

同様に、ヘンデルやコレルリのソナタなども、ヴァイオリンに偏りすぎるという点で割愛。ちょいと残念ではあります。

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果樹園を放置するとどうなるか

2015年06月24日 06時00分59秒 | 週末農業・定年農業
2008年の夏に父が亡くなったとき、丹精していた果樹園をどうするかが問題になりました。当時はまだ単身赴任でしたので、自分が果樹園農業を引き継ぐことは想定できず、どなたかに委託してはどうかと考えました。近所のほぼ同世代の人に相談したところ、その父君で亡父をよく知っている人から、「お父さんは80代でやれたのだもの、週末農業でやれるのではないか。わからないことはいくらでも教えるから」と諭され、それではということで、翌年の春から、自分でやってみることにしたのでした。

あれから七年。今や、週末農業はすっかり定着し、大きな楽しみに変わっております。あの時、果樹園を引き継ぐことを諦め、放置していたら、いったいどうなっていたのだろう?



実は、我が家の数年後に、委託先の高齢化で手入れができなくなってしまい、ここ三~四年ほど放置されたまま、荒れ果ててしまった果樹園があります。草はぼうぼうと伸び放題、サクランボは病気のために枝の先の方から葉が落ちて花も咲かず、枯れてしまったものや、今にも枯れそうな樹が立っているだけです。残った樹に付いた赤い実を求めて野鳥の大群が羽を休めている様子は、まるで幽霊屋敷の裏庭のような風情です。こうなってしまってからは、全部を切り倒し、植え直し、成長して収穫できるまで手入れをする必要があります。たぶん、最低でも十年間は、再開は難しいでしょう。




あの時、近所の老人の助言に従い、自分でやってみることを決断(*)していなかったら、我が家の果樹園もこんな風に荒れてしまっていたのかと思うと、実に感慨深いものがあります。

(*):果樹園の再開を目指して~「電網郊外散歩道」2009年3月

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梅雨のロミオは無駄に鳴く

2015年06月23日 06時05分58秒 | アホ猫やんちゃ猫
先日、朝っぱらからオス猫が鳴いていました。アオ~、アオ~とうるさいので、目が覚めてしまいました。我が家のアホ猫母娘は、ピクリと耳をそばだてますが、どうやらこれに応じるジュリエットではなさそうです。

そうこうしているうちに、夜には無情の雨。かなり激しい降り方です。オス猫も楽ではありません。

嗚呼! 梅雨のロミオは無駄に鳴く
  ジュリエット猫は 耳立てるだけ!

あのロミオは、紋次郎かな? ゴン太かな?




アホ猫(娘)「ロミオって、なあに? それって、食べられるの? 美味しいの?」

うーむ、花より団子と言うからなあ(^o^)/

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雨降りで農作業は一休み~書店で文庫本の新刊を探す

2015年06月22日 06時04分35秒 | 散歩外出ドライブ
サクランボ収穫の最盛期には、通勤帰りの寄り道もままなりません。まだ明るいことを良いことに、少し離れた園地に出向き、晩生種の「南陽」「紅秀峰」の露地植えを収穫します。雨が降れば裂果が大量に発生するだけに、少しの晴れ間も惜しい季節です。

とは言うものの、六月も後半に入れば、南東北も梅雨に入る時期です。雨も降り出します。昨日は、午後から雲行きが怪しくなり、雨がかなり激しく降ってきましたので、農作業はあきらめて休養日としました。



そうであれば、久々に書店に出向き、文庫本の新刊などを探しましょう。行きつけの書店で、たっぷり時間をかけてぐるりと店内をまわると、けっこう興味深いものが見つかります。

  • 山本一力『ジョン・マン 3 望郷編』(講談社文庫)
  • 磯田道史『無私の日本人』(文春文庫)

とくに後者は、文藝春秋社の「本の話WEB 書籍と作家の情報サイト」に掲載されていた紹介記事(*1)で興味を持ったもので、『武士の家計簿』の著者の本だからきっと面白いだろうとの判断です。こういう、地方史の中に埋もれた普遍性を持つエピソードを発掘する話は、たいへん興味深いものです。

(*1):古文書の中に見つけた、世界に伝えたい日本人~「本の話WEB」より

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姪夫婦たちがサクランボ狩りに来県

2015年06月21日 06時05分11秒 | 週末農業・定年農業
三年前に、姪夫婦がわが老母に曾孫を見せようと、赤ちゃんを連れて来県しました(*1)が、今回は、子どもにサクランボ狩りを体験させようと、やってきました。

三年前にはこんな赤ちゃんだったのが、



今回は、やんちゃな三才児に。



「パパ、こわいよ~」の段階からポケモンなみに進化し、



ごらんのとおり。カタチの真似をするというのは、成長の源泉なのですね(^o^)/



全員集合すると、ごらんのような大収穫。手前のコンテナが、まだ少し早いけれど晩生種の「南陽」で、奥の二つが最盛期の「佐藤錦」です。



老母の指導で、こんどは箱詰め体験も。

くたびれたので、そばでも食べようということになり、河北町の「冷たい肉そば」を食べに行きました。夕方からでも予約できる店ということで、「白鳥十郎そば」(*2)を指名。電話で予約して、皆で美味しく食べました。

まずは、本命の「冷たい肉そば」。



続いて、「おろし肉そば」。大根おろしが乗っています。



うまかった~(^o^)/

(*1):姪夫婦、5年ぶりにサクランボ狩に来県~「電網郊外散歩道」2012年6月
(*2):白鳥十郎そば

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福岡伸一『生物と無生物のあいだ』を読む

2015年06月20日 06時03分06秒 | -ノンフィクション
講談社現代新書で、福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』を読みました。学生時代に生化学を専攻したとはいうものの、その後の進歩はフォローしきれず、アセチルコリン・レセプターのサブユニットの塩基配列が解明されたあたりで止まっております。本書がベストセラーになっていた時期も、なにをいまさら二重らせんでもあるまいと、とくに関心を示さずにきておりました。そんな時に、たまたまPCR法の確立以降を扱った入門書を探すことになり、本書を手にした次第です。

私にとっては、エイブリーの肺炎双球菌を用いた実験(遺伝子の本体はDNAである)や、シャルガフの法則(4種の塩基のうち、AとT、CとGの含有量は等しい)などは、学生時代を思い出させ、なんとも懐かしい、ほろ苦さを持った内容です。しかし、PCR(polymerase chain reaction)法は、私にとってはそうではありません。原爆症の父が最初の胃ガンで剔出手術を受け、大学院進学を辞退し就職へと急に進路変更してから10年も過ぎたころに確立された方法です。もし、経済的基盤を失ったまま、家族を見捨てて大学院に進学していたらどうなっていたのだろうと恐ろしくなります(^o^)/
本書の構成は、次のとおり。

第1章 ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク
第2章 アンサング・ヒーロー
第3章 フォー・レター・ワード
第4章 シャルガフのパズル
第5章 サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ
第6章 ダークサイド・オブ・DNA
第7章 チャンスは、準備された心に降り立つ
第8章 原子が秩序を生み出すとき
第9章 動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)とは何か
第10章 タンパク質のかすかな口づけ
第11章 内部の内部は外部である
第12章 細胞膜のダイナミズム

PCR装置の発表は、1988年のようです。



要するに、DNAの二重鎖を100℃に加熱すると、アデニン(A)とチミン(T)、シトシン(C)とグアニン(G)間の水素結合が切断され、一本鎖となります。これを一気に50℃まで冷却し、徐々に72℃まで加熱していくと、二重鎖に再構成される前にプライマーが結合した箇所からDNAポリメラーゼが作用し、求めるDNAが二倍量に複製されます。これを再び100℃まで加熱し、コンピュータで制御してこのサイクルを繰り返せば、4倍、8倍、16倍…と自在に複製することができます。つまり、

「任意の遺伝子を、試験管の中で自由自在に複製する技術。もう大腸菌の力を借りる必要はない。分子生物学に本当の革命が起こったのだった。」(p.76)

ということになるわけです。
普通の酵素タンパクは、100℃では熱変性して失活してしまうものですが、100℃に加熱してもDNAポリメラーゼが酵素活性を失わない理由は、好熱細菌から抽出されたためで、最適温度が72℃であるとのことです。これも、実に興味深い。



遺伝情報の中から特定の文字列を探しだし、複製する自動化プロセス。その鍵は、ごく短い、人工的に合成可能な、10~20文字の1本鎖DNAでできている二つのプライマーにある、とされます。アンチセンス側はプライマー1から、センス側はプライマー2から、それぞれDNAポリメラーゼが複製していき、2本鎖DNAが2倍に増えて行きます。このようにして、目的のDNAの配列をいくらでも複製することができれば、材料が微小量であっても、困難はかなり回避できることになります。



動的平衡系としての細胞の中で、とくに細胞膜の動態に着目し、人工的に作った脂質二重層は安定なのに、酵素分子を分泌する膵臓の組織では、細胞内で作られた酵素分子がどのように細胞膜を越えて消化管に分泌されるのか。この精妙な膜の動態を明らかにするために、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法で二番目のバンドとして観察される糖タンパク質GP2の遺伝子をノックアウトしたマウスが使われます。その実験の結果は……。

うーむ、明らかになってみれば、ごく当然の結果でしょう。人間社会のある組織の構成員が、事故や病気で「ノックアウト」状態になってしまったときには、たいていの場合、代わりの人が出てきて、仕事はなんとか継続されます。ところが、ある一人の人が悪意を持って特定の仕事をサボタージュしてしまうと、全体がおかしなことになってしまう、そんなイメージでしょうか。

本書で話題にされている、ワトソンとクリックのノーベル賞受賞の業績に、ロザリンド・フランクリンのX線解析の結果がどのように使われたのか、という点については、高校生の頃に読んだ『二重らせん』でも、「かわいそうなロザリンド」と同情したものでした。でも、話題としてはすでに半世紀以上前の出来事で、特に感慨はありません。むしろ、自分自身が厳しい研究競争の渦中に身を置くことなく人生を送ったことを、結果的には良かったと思っていることに、歳月の重みを感じます。

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新しい通勤路を開拓する

2015年06月19日 06時03分05秒 | 散歩外出ドライブ
山形市内への通勤を始めて三年目となった今、新たな通勤ルートをいろいろと試しています。新車デミオXDディーゼルには、アイドリング・ストップをしていた時間を表示する機能があり、この時間がけっこうばかにならないと感じました。今までの幹線道路を主体とした場合、信号機の数は40か所以上あり、信号待ちの時間はのべ10分近くになります。山形市内に入ってからの混雑区間はしかたがないとしても、市内に入る前のルートの取り方で、信号機につかまる回数を減らせるのではないか?

ということで、県道や農道などを組み合わせ、信号機の少ない郊外ルートを選び、ここ数日間、試してみました。確かに信号機の数は半減し、信号待ちの時間も半減しました。通勤距離は若干増えましたが、所要時間はむしろ短縮され、職場に到着する時刻は五分ほど早まりました。燃費モニターも良好で、しばしば 25km/l に達します。冬場にはちょいと怖い面がありますが、無雪期には充分に使えるルートとなるようです(^o^)/

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年齢とともに手先は不器用になる?

2015年06月18日 06時03分45秒 | 健康
亡父の晩年を見ていると、なんとも手先が不器用になったと感じました。もともと器用なタイプではなかったようですが、それでもロープワークなど熟練の分野では見事なワザを見せてくれておりました。ところが、文房具の扱いなどの手先の仕事になると、なんだかあぶなっかしい。息子(私)は内心で「不器用だなあ」などと感じながら眺めておりました。

近頃、当の息子(私)が亡父の年齢に少しずつ近づくにつれて、自分自身の手先が不器用になってきたように感じます。万年筆のインクが切れて、コンバータでインク瓶から吸い上げる時など、なんだか手元が危なっかしい。あれ、こんなはずではなかったのに、と思ってしまいます。

もしかすると、握力も衰えているのかもしれません。歩かなければ足腰の筋肉が衰え、手作業をしなければ関連した筋肉やコントロールする神経系が衰える、ということなのでしょう。マウスやキーボード打鍵に関する筋肉だけが維持されてしまっているのかも(^o^;)>poripori
その点からも、手書きの習慣というのは、大切にしたいものです。

いや、美味しいものをいただくときは、話はまた別なのですけれど(^o^)/

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生産者が感じる矛盾

2015年06月17日 06時03分40秒 | 週末農業・定年農業
サクランボ収穫の最盛期です。ふだんは週末農業でのんびりやっていますが、この期間は雇人の人たちが来るので、何かと大変です。



そんな中で、生産者としていくつか感じる矛盾があります。まあ、週末農家の愚痴のようなものですが(^o^;)>poripori

(1) サクランボの出荷用のフードパックの詰め方について。「手詰め」という規格では、サクランボの軸が見えてはいけないのだそうです。上から見て軸が多数見えてしまうと「バラ詰め」扱いになって、単価がぐっと下がってしまうのだそうな。そんなふうに脅されると、中身は全く同じサクランボなのに、なんだかなあという感想を持ってしまいます。生産農家に無用の負担を強いて、消費者には割高な価格で買わせる、奇妙な、あまりよろしくない習慣なのでは。いったい、誰がこんな「規格」を考えたものやら?!



(2) 昔と比較して、着果率の低下を感じます。理由は様々に推測されているようですが、その一つに訪花昆虫の減少が考えられており、背景には水田のカメムシ防除等に使われているネオニコチノイド系殺虫剤が疑われているのだそうな(*1)。そうであれば、水田稲作農業と組み合わせて、減反した田んぼをサクランボ畑にしている農家にとっては、ミツバチ群崩壊症候群や在来のマメコバチの減少など、まさに自分で自分の首を絞めている図。しかし実際には、水田のカメムシ防除がやまない原因の一つに、コメの検査体制と等級があり、ここでもわずかな数のカメムシ被害粒の混入を許さない「規格」が姿を見せます(*2)。



「規格」を作り、それに合うものの価格を高くして、合わないものを安く買いたたく。それが品質を維持している面があることは確かでしょうが、一つ一つの「規格」が誰にとってどんなメリットがあるのかは、もう少し問われても良いように思えてなりません。

(*1):ネオニコ系殺虫剤の基礎知識・脅かされる生物多様性
(*2):ネオニコ系殺虫剤の基礎知識・ネオニコチノイドと斑点米

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長い文章を構成するとき

2015年06月16日 06時03分30秒 | 手帳文具書斎
当ブログの初期、ようやく記事投稿にも慣れて三年目くらいの頃に、文章の構成や編集について考えたことがありました。要するに、いわゆる「パラグラフ・ライティング」をベースにしたもので、理系の論文書きの常套手段です。
「文章の書き方」ではなくて、ある程度まとまった分量のある冊子や本を作るために、どのように文章を構成し編集するかについては、従来は論文を書く要領で、

第1章
 第1節
 第2節
第2章
 第1節
 第2節
 ……

という具合に、全体の構成を考え、節ごとに執筆し、全体の構成を考えながら編集するという方法をとってきました。
このようなスタイルには、テキストエディタEmacsと文書組版システムLaTeXはたいへん適しており、ワードプロセッサで編集するよりも、目次や相互参照、参考文献一覧などを自動的に作ってくれる点など、重宝しております。



ところで、ある程度長い期間にわたって少しずつ文章を執筆し、それをまとめて冊子にしたり本にしたり、あるいは現代であれば電子書籍にしたり、というようなことを計画した場合、ブログ記事をまとめて全体を編集するという方法も有効なのでは、と思うようになりました。つまり、1回の投稿分の記事を1つの節(section)に見立て、内容的なまとまりのある何回分かの記事を章(chapter)にまとめ、複数の章で全体を構成する、というやり方です。
この方法は、短期間に一気に書き上げてしまうような論文型のものではなく、長期間にわたって調べ、考えながら執筆していく場合に、むいている方法のように思います。
例えば、当ブログの「歴史技術科学」カテゴリーがある程度まとまった時点で、全体を日付順に編集しなおせば、話の筋道がわかり、読みやすくなるのではないかと考えました。作家などの「非公開執筆法」に対して、一種の「公開執筆法」と言えそうです。

(*1):電網郊外散歩道流「ブログ文章構成法」~「電網郊外散歩道」2007年11月
(*2):文書の編集について~「電網郊外散歩道」2007年12月
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