電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

『わたしの藤沢周平』を読む

2012年11月30日 06時04分35秒 | -藤沢周平
文春文庫の藤沢周平関連で、ときどき変り種が登場することがあります。文春文庫の平成24年10月新刊で、NHK『わたしの藤沢周平』制作班による、『わたしの藤沢周平』は、まさにその典型でしょう。帯には、「こういう読み方もあったのか!」「著名人39人が語る、藤沢作品への熱い想い、せつない記憶」とあるように、作者の没後十年にあたり放送されたテレビ番組に基づくものだそうです。
私はふだんテレビを見ませんが、以前たまたま目にした番組で、小室等さんが「山桜」について語っていた、あの番組(*1)シリーズを本にしたものです。

掲載されている著名人の感想は、どれも新鮮なものですが、これだけ多くの人が魅力を語り、そして一冊の本になってしまうような作品群を書いた藤沢周平の魅力を、あらためて考えてしまうのです。

(*1):小室等さんの好きな藤沢周平『山桜』を読む~「電網郊外散歩道」2007年4月
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ヴィクーニャなHarvardのボールペン

2012年11月29日 06時02分07秒 | 手帳文具書斎
四~五年前に、某中国系アメリカ人から、Harvard のロゴ入りボールペンをお土産にもらいました。握りに黒いゴムがついていますが、比較的ストレートな細軸で、職場用ルーズリーフ・ノートの自作ペンホルダーに適合するので、重宝しておりました。やがてインクが切れても、田舎では同型品を探しようもなく、しばらくペン立てに眠ったままになっていたものです。



ところが、先日たまたまぺんてるの「ヴィクーニャ」ボールペンを入手し、ルーズリーフ・ノート用に使っていましたら、インク・リフィルがどこかで見覚えのあるサイズ・形です。試しに例のハーバードのロゴ入りボールペンに入れてみたところ、なんとぴったりと適合しました。うーむ、これでヴィクーニャな新油性ハーバード・ボールペンの誕生です(^o^)/

ヴィクーニャの軸も決して悪いわけではないのですが、多少ペン先ががたつく傾向があるようで、知人の親切を思い出しながら、ハーバードのロゴ入りボールペンでスラスラと書いております。こんどインクが切れたときには、ぺんてるの「ヴィクーニャ」のリフィルを購入してくればよいことがわかりました。こういう互換性はたいへんありがたいものです。

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冬タイヤに交換しておいて良かった!!

2012年11月28日 06時02分02秒 | 季節と行事
先々週の日曜日(18日)、早々と冬タイヤに交換しました。山形盆地内では、まだ走るのに支障はなかったのですが、峠を通過する際には、天候の急変で雪道になる可能性がありますので、早めに交換しておくにこしたことはありません。その用心が功を奏し、昨日の雪にも、安心してハンドルを握ることができました。

今の冬タイヤは、たしか昨年秋に新調したばかりですので、2シーズンめということになります。路面の抵抗が大きくなるためか、アクセルやブレーキへの反応も敏感になるようです。まずは無事故無違反の記録を更新すべく、「10キロ減速・2倍の車間距離・30分早く家を出る」という雪道運転1-2-3の三原則を念頭に、安全運転を心がけたいと思います。

写真は、木枯らしが吹く前、11月初~中旬の某所の風景です。今はすっかり落葉して、うっすらと白い積雪がみられる冬枯れの風景に変わっていることでしょう。

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平岩弓枝『小判商人~御宿かわせみ(33)』を読む

2012年11月27日 06時02分26秒 | -平岩弓技
文春文庫で、平岩弓枝著『御宿かわせみ』シリーズ第33巻、『小判商人』を読みました。麻太郎と源太郎のコンビが冒険をする話が中心で、新たな展開が始まったようです。

第1話:「稲荷橋の飴屋」。お吉の姉が少女を連れてきます。田舎丸出しですが、明るく善良な子らしく、千春とすぐに仲良くなります。そうです、子供には遊び相手が必要です。で、稲荷橋の飴屋の婆さんが、悪戯をした子供らを、怪我をするほど折檻したと聞き、東吾は源さんに婆さんの素性を調べさせます。

第2話:「青江屋の若旦那」。境遇の大きく異なる育ち方をした兄弟が、互いに歩んできた道を歩むのが良い、と納得させることを狙った話なのでしょう。良い話ではあるけれど、あまり印象に残りにくい展開のように思います。

第3話:「明石玉のかんざし」。こちらも境遇がらみです。珊瑚と明石玉とはまた因縁めいた組み合わせです。もっとも、こういう因縁を考えつくところが、作者の特徴ではあるのですが(^o^)/
私も珊瑚のネクタイピンを亡き義母より頂戴しておりますが、もったいなくて使わずにしまいこんでおりました。これからネクタイをする機会は減っていくでしょうから、今のうちに使っておこうか、などと思ってしまいました(^o^)/

第4話:「手妻師千糸太夫」。手妻というのは、今で言えば手品あるいは奇術というところでしょうか。例によって、神林麻太郎と畝源太郎の二人が、盛り場で見世物小屋に入り、高座で出刃包丁を振り回した男を取り押さえます。お礼にと芸を見せてくれた手妻師の千糸太夫というのが、実は若い男を恋人に持つ老女で、というあたりが作者の真骨頂でしょう(^o^)/

第5話:「文三の恋人」。大風の後に庭の手入れを頼んだ植木屋の弟子は、相当に見込まれたのでしょう、三十歳まで妻帯禁止だといいます。そりゃ無茶な!ニチボー貝塚の選手の「恋愛禁止」より無茶ではないですか(^o^)/

第6話:「小判商人」。麻太郎と源太郎のコンビがよく行く高山仙蔵という人は、幕府の勘定奉行に仕え、外国通貨の知識にかけては当代一という実力者なのだとか。今で言えば、どこかの省庁の実力派官僚といったところでしょうか。そば屋の長助の母親が隠居所にしている部屋の垣根の向こうに質屋があり、そこから出た物の中から御禁制のメキシコ・ドルラルの偽造貨幣が見つかります。
金と銀の交換比率が国際相場とかけ離れていることから、日本の金が流出している苦しい時期に、偽造貨幣まで出回っては大変なことになります。捜索の網の内側で、犯人一味にとらえられた高山仙蔵と麻太郎、源太郎の師弟。東吾の登場は、作者の思い描く「強く賢く優しい」男性の理想像なのでしょうか。

第7話:「初卯まいりの日」。招き猫の絵馬ですか。我が家のアホ猫の写真なら、いつでも絵馬用に提供いたしますが、モデルとしてはちょいと不向きでしょうねぇ(^o^)/



シリーズ第33作、調べてみたら、幕末編としてはあと一作を残すばかりとなってしまいました。

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映画「よみがえりのレシピ」を観る

2012年11月26日 06時02分55秒 | 映画TVドラマ
過日、ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」(*1)を観てきました。在来野菜を伝承してきた人々の営みに光を当てるもので、ある意味、ドラマ以上に感動的なものがありました。この映画の制作意図を、渡辺智史監督は、次のように述べています。

在来作物は、何十年、何百年という世代を超え、味、香り、手触り、さらに栽培方法、調理方法を現代にありありと伝える「生きた文化財」である。しかし、高度経済成長の時代、足並みを合わせるように在来作物は、貴重な地域資源として見直されている。在来作物を知ることは、食と農業の豊かな関係を知ることにつながる。地域に在来作物がよみがえり、継承されていく姿は、豊かな食を味わい、楽しむ姿であり、地域社会の人の絆を深め、想像する姿である。この動きを日本全国、さらには世界中で起きている、食や農業の問題への処方箋(レシピ)として伝えて行きたい。

映画に登場するのは、自然農法である焼き畑で育てられる温海カブや藤沢カブ、田川カブ、宝谷カブなどの焼畑カブ、大豆の白山だだちゃ豆、外内島キュウリ、甚五右ヱ門芋、梓山大根、食用菊の「もってのほか」、山形赤根ホウレンソウ、金谷ゴボウ、雪菜などの在来野菜と、それを栽培し種を守ってきた老人たちと後継者、そして在来野菜を研究テーマとする大学の研究者とレストランのシェフなどです。

思わず不覚にもうるっとなってしまったのは、絶滅してしまったと思われていた品種が、たった一人の、無名の老人によって種子が守られていたこと。自分の代で絶やしてはならないと、なんとか大切な種子を継承しようとした、その思いです。在来野菜の生産者たちは、実に晴れ晴れとしたいい顔で、それぞれに味わい深い言葉を語っています。

山形県鶴岡市のレストラン「アル・ケッチャーノ」の奥田政行オーナーシェフの料理の数々を見ると、なんとも美味しそう。山形大学農学部の江頭宏昌准教授の活動も、素晴らしいものです。こういうドキュメンタリー映画を観ると、山形県の農村に根付いてきた様々な知恵の伝承に、思わず頭が下がります。「香港国際映画祭2012」及び「ハワイ国際映画祭2012」に正式出品された、「おいしくて、そして心に効くドキュメンタリー映画」です。これは、おすすめです。

(*1):映画「よみがえりのレシピ」
(*2):映画「よみがえりのレシピ」予告編~YouTube

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柿を収穫し、渋抜き作業を撮影する

2012年11月25日 06時07分11秒 | 週末農業
今月初旬に、柿を収穫し、干し柿を下げましたが、収穫は完了しておらず、写真のようにまだまだたくさんなっています。せっかくの実を腐らせるのはもったいないと収穫作業を再開し、こんどは焼酎で渋抜きをして、美味しく食べられるように準備をしました。

準備するのは、次のようなものです。






柿……庄内柿の系統の平核無(ひらたねなし)種、桶、厚手のビニル袋、焼酎(35度)、ひも、新聞紙

桶に、厚手のビニル袋を入れて口を広げ、柿の実の軸のほうを35度の焼酎にちょいとつけて、並べていきます。老母によれば、こうすると黒くならないで渋抜きがうまくいくのだそうです。





並べ終わったら、口をしっかりとひもで縛り、密閉します。



その上から新聞紙を広げて入れ、



ふたをして冷暗所に保存します。



気温にもよりますが、当地の気温だと、およそ10日くらいで渋が抜ける(*2)ようです。

もっとも、これはかなり曖昧な表現で、実際には渋が抜けるわけではなく、アルコールの影響で、水に難溶性のものに変わる(*1)だけのようです。でも、おかげで渋みのない柿の甘さが楽しめます。

(*1):柿の渋抜きについて~植物生理学会のQ&Aより
(*2):そして、袋から出して空気にあてることが大切なようで、これで代謝経路が変わるのでしょうか、いつまでも袋に入れたまま放置すると逆に渋さが残ってしまうようです。
(*3):酒井調良と庄内柿

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山響第224回定期で演奏会形式のワーグナー「さまよえるオランダ人」を聴く

2012年11月24日 06時09分38秒 | -オペラ・声楽
11月23日の夜、山形交響楽団創立40周年記念「ある幽霊船の物語」と題する第224回定期演奏会で、ワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」を聴きました。なんと素晴らしい勤労感謝の日、演奏会に関わった方々の努力に感謝しつつ、興奮を反芻しております。


(写真は、11月21日の山形新聞朝刊に掲載された広告です。)

演奏会形式ではあっても、地方都市でワーグナーのオペラを聴くというのは、稀有の体験です。ましてや、県庁所在地でも人口が20万余り、周辺人口を合わせても40万前後という山形市で、「さまよえるオランダ人」を通して聴くというのは、めったにないことです。山響ファンクラブが作成したステージ配置図によれば、合唱がおよそ60名、ソリストが6名、オーケストラは Fl(3), Ob(2), Cl(2), Fg(2), Hrn(6), Tp(2), Tb(3), 弦楽パートは 1st-Vn(10), 2nd-Vn(8), Vla(6), Vc(6), Cb(4), これに Hrp と Timp に Perc が加わり、ステージ裏のバンダを含めると60名を越えます。総勢130名に及び、19時に始まり21時45分に終わるという、記念演奏会にふさわしい上演でした。



配役は、次のようになっています。

オランダ人:小森輝彦(Bar)
ゼンタ:橋爪ゆか(Sop)
エリック:経種廉彦(Ten)
ダーラント船長:小鉄和広(Bs)
マリー:柿崎泉(Alt)
舵手:鏡貴之(Ten)
合唱:山響アマデウスコア
演奏:山形交響楽団
指揮:飯森範親

ここで、ワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」とは、Wikipedia によれば(*1)、

『さまよえるオランダ人』(さまよえるオランダじん、Der fliegende Holländer )はリヒャルト・ワーグナー作曲のオペラ。1842年に完成し、1843年に初演された。

神罰によって、この世と煉獄の間を彷徨い続けているオランダ人の幽霊船があり、喜望峰近海で目撃されるという伝説を元にした、ドイツの詩人ハインリッヒ・ハイネの「さまよえるオランダ人」(『フォン・シュナーベレヴォプスキー氏の回想記』)にワーグナーが着想を得て再構成したもの。

というものだそうで、なるほど、伝説とハイネの詩がルーツなのですか。

ダイナミックな序曲は、いかにもワーグナーの管弦楽曲!という印象を与えるものです。トロンボーンやチューバなど、荒々しい金管の咆哮をイメージしがちですが、ホルンといいファゴットといい、いい味を出してくれました。それに、ソロ・コンサートマスターとして高木和広さんが加わる山響自慢の弦楽セクションの素晴らしいこと。もう、のっけからワーグナー・サウンドです。

第1幕:ノルウェーの海岸
嵐を避けて、ダーラント船長の船が入江にたどり着き、投錨します。船長は、水夫たちを休憩させ、舵手に見張りを命じ、自分も船室に退きます。舵手もつい眠ってしまうと、そこに黒いマストに真紅の帆という不気味な船がやってきて、青白い顔のオランダ人が姿をあらわします。この男こそ、悪魔の呪いによって永遠に航海を続けているという「さまよえるオランダ人」であり、七年に一度だけ上陸を許され、そのときに生涯の貞節を誓う女性を見つけなければならないのです。ダーラント船長は、オランダ人が贈ってくれた財宝に目がくらみ、娘を結婚相手に差し出すことに同意し、帰港します。

第2幕:ダーラントの家
ダーラント船長の家では、女たちが賑やかに糸を紡いでいますが、娘のゼンタだけは壁に掛けられた「さまよえるオランダ人」の肖像画を見つめ、オランダ人を救うのは自分だと信じ込んでいます。父の船が戻ってきたとき、ゼンタに思いを寄せる若者エリックが現れ、自分が見た悪夢を語り、自分の悩みを救ってほしいと訴えます。でもゼンタは、父親に伴われてやって来たオランダ人に夢中で、互いに見つめあい、想いを語り合います。オランダ人は、救済の希望を持つのです。

第3幕:2艘の船が錨を下ろしている月夜の海岸
水夫と娘たちの合唱に、幽霊船の水夫たちが不気味な歌を歌い、海は荒れ、風が吹きすさびます。なんとかして思いとどまらせようとするエリックと、オランダ人の元に行こうとするゼンタの会話を陰で聞いてしまったオランダ人は、救済の希望を断念して、船を海へ出してしまいます。ゼンタは、自分の貞節を示すために、海にその身を投げます。ゼンタの一途な思いが通じ、オランダ人は救済され、ゼンタとともに天に昇って行きます。

まず、人間の声、歌の素晴らしさを感じました。水夫や娘たちの合唱、ダーラント船長の堂々たるバス、若々しい舵手のテノール、オランダ人の悲劇を感じさせる難しい音程を歌いきるバリトン、切々と訴えるエリックの誠実さを感じさせるテノール、娘を案じる乳母マリーのアルト、そしてゼンタの華のある素晴らしいソプラノ。演奏会形式とはいうものの、音楽の中にドラマがぎっしりと詰まっています。

そして、オーケストラ。例えばオランダ人や幽霊船の水夫たちが歌うとき、チェロやコントラバス、ファゴットといった低音楽器が奏でる響きと旋律は、善良なだけでは理解できない悪漢ワーグナーの音楽世界を如実に表現するものです。要所に聞かせるクラリネットの音色は、先ごろ日本音楽コンクールで第一位に輝いた川上一道さんと山形弦楽四重奏団の定期演奏会で親しみ深い郷津隆幸さんでしょう。圧倒的な盛り上がりを見せる終結部では、人間の声とオーケストラの饗宴を堪能しました。

いや~、良かった!終演後、思わず「えっ、もうこんな時間?」と驚いてしまいましたが、長い演奏時間も苦にならず、興奮のまま帰路につきました。

駐車場では、山形ナンバーに混じって、宮城ナンバーや福島、秋田ナンバーの車も目につきました。11月25日の日曜日16時から、再び同じ演奏会が開催されます。お近くの音楽好きの方々が、生のワーグナー体験ができますように(^o^)/

(*1):「さまよえるオランダ人」~Wikipedia の解説

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セルのハイドンの格調高さ~「交響曲第97番」を聴く

2012年11月23日 06時05分20秒 | -オーケストラ
旅の空では、どうしても音楽に飢餓感を抱くことが多くなります。そんなときに、ウォークマンで聴く音楽の見事さには、思わずため息です。例えばジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団による正規録音より、すでにパブリック・ドメインになっている「交響曲第97番」(1959年録音)です。リズムは精妙、響きは充実、実に立派なものです。ふだんから小型の自作箱に入れた12cmフルレンジ・スピーカで小音量で聴いているせいか、それとも都会の騒音にいささかうんざりした耳で聴くせいか、ウォークマンのイヤホンで聴く音楽は、やけに迫力が感じられます。

1792年の第1回ロンドン楽旅に際して作曲された、いわゆる「ロンドン交響曲」の5番目の作品だそうです。長い宮仕えを終え、ある程度は自由な作曲家となったハイドンが、新たな意欲を持って作った音楽。現代にあっては決して大向こうをうならせるようなものではありませんが、私のような中高年にはたいへん好ましく、むしろ共感を覚えます。

一方、自宅のステレオ装置でCDを聴くのは、ほっと安心できるひとときです。CDで持っているのは、ジョージ・セルの晩年にあたる1969年の再録音です。添付されたリーフレットには、第97番の交響曲について、こんなふうに解説されています。

No.97, on the other hand, is the last Haydn's festive C major symphonies, and surely the grandest of them, with trumpets and drums. Its slow movement is one of the most striking examples of the variation style Haydn made peculiarly his own.

例によって、下手な訳を試みてみると、

これに対して、第97番は、ハイドンの祝祭的なハ長調の交響曲としては最後の作品であり、元気溌剌としたリズムと祝典的なトランペットとドラムを有する、確かに最も雄大な音楽である。その緩徐楽章は、ハイドンが自分の固有なものとして作り上げた変奏スタイルの最も際立った例の一つである。

とのことです。なるほど、この曲の気分をよく言い表しているかもしれません。

さて、楽器編成は、Fl(2), Ob(2), Fg(2), Hrn(2), Tp(2), Timp.と弦5部から成っています。

第1楽章:アダージョ~ヴィヴァーチェ。ゆったりとした、しかし堂々たる始まりです。やがて、活力あるリズムで、輝かしく演奏されます。見事な音楽です。
第2楽章:アダージョ。感情や気分に溺れない、実に気品のある緩徐楽章です。
第3楽章:メヌエット、アレグレット。優雅なメヌエットですが、四管編成の大オーケストラとは思えない、抜群のリズムの切れが感じられます。
第4楽章:フィナーレ、プレスト・アッサイ。元気溌剌、ワクワク気分の音楽の始まりです。

参考までに、演奏データを示します。
■セル指揮クリーヴランド管(1957)
I=6'48" II=9'16" III=4'10" IV=5'09" total=25'23"
こちらは、MP3 ファイルを RhythmBox で再生し、楽章の終わりの時点での経過時間表示を読み取ったものです。
■セル指揮クリーヴランド管(1969)
CDに添付のリーフレットには、I=6'04" II=7'10" III=3'57" IV=5'17" と表記されていますが、同様にPCに取り込んだデータで再生時間を調べてみると、大きく異なりますので、たぶん何かの誤記ではないかと思います。実測値は、
I=8'44" II=9'31" III=4'11" IV=5'13" total=27'39"

1957年と1969年の新旧二種の録音について、演奏データを比較してみると、前半楽章、とくに第1楽章の著しい違いに気づきます。後半の楽章では驚くほどの一致がみられるのに、この楽章のみ、著しい違いがあります。1969年のほうがテンポが遅めになっているとはいうものの、これほど(約2分!)も違うとは考えられず、繰り返しの忠実な実施や採用した楽譜が違うなどの理由があるのかもしれません。このあたりが再録音を試みた理由の一つになっているのでしょうか。全体に、緊密でエネルギッシュな旧録音、やや落ち着いていっそう堂々とした新録音、という特徴が、この曲でも感じられます。

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目についたいくつかの言葉

2012年11月22日 06時02分31秒 | 手帳文具書斎
最近、ふと気づいたいくつかの言葉をメモしていましたら、こんなものがありました。

逆境は人を賢くする。
済んだことはいい。大事なことは、今日これからだ。
高齢化は限度があるが、少子化は限度がない、止まらない。
選ぶということは、他の選択肢を捨てること。様々なものを選ぶ季節は、心を残さないことが大事。
何でもありではなくて、有用であると信じるもの(こと)を提示することが大切だ。

ふーむ、それぞれ何らかの文脈でメモしたのだと思いますが、それが何だったのか、よく覚えておりません。たぶん、苦労している若い人を励ましたり、高齢化と少子化について思いを馳せたり、といったことが背景にあったのだろうけれど、それをもう覚えていないというのがなんともはや(^o^;)>poripori

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間に合わせる

2012年11月21日 06時04分59秒 | 手帳文具書斎
『捨てる技術』という本が流行った後に、しばらくして「断・捨・離」というのも一種の流行語になりました。いずれも、たまってしまったモノをいかにして減らすかという点からの、技術なりスタイルの提案だったようです。

それにしても、あふれるほどモノを溜め込んでから、どう捨てようかを考える前に、実は「溜め込まない」ための考え方も必要なように思います。「欲しがりません○○までは」というような、あまりに禁欲的な考え方はいかがなものかと思いますが、すでにあるもので「間に合わせる」というのもあるのでは。

小さな違いに拘泥し、「もっと良い」ものを探してもキリがない。当面はこれで十分、間に合う。そういう割り切りができたら、むやみにモノがたまり、あふれるような事態は避けられるのでは。

それでは進歩がない?いやいや、画期的に良いものが登場したら、たぶん間もなく気づかされるのではと思います。ちょうど私が踏んづけて軸を折ってしまったボールペンの後継を探しているうちに、パワータンクPowerTankやジェットストリームJetstreamボールペンに出会ったように、世の中のほうが騒ぎだして、その影響を受けざるを得なくなるのでしょう。

だから、たいした違いはないと見切って「間に合わせる」ことも大切な要素だろうと思います。

写真は、11月初旬のもので、雪化粧をした鳥海山です。少々トリミングをしています。

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三浦しをん『舟を編む』を読む

2012年11月20日 06時03分53秒 | 読書
平成24年に本屋大賞を受賞した作品、三浦しをん著『舟を編む』を読みました。

第1章:玄武書房辞書編集部の荒木公平は、監修者の松本先生との二人三脚で、国語辞典『大渡海』の編纂作業を続けて来ましたが、定年退職を前にして、後任となる編集担当者を探しておかなければならないことに気づきます。ようやく探し出したのは、なんとも風采のあがらない、馬締光也という男でした。

第2章:馬締光也の日常生活と恋愛、辞書編集者としての適性が描かれます。真面目な馬締、タケ(竹)おばあちゃんの孫娘が香具矢(かぐや)さんで、「月の裏」という料理屋で板前修行中というのですから、まさに「竹取物語」の世界。伝統的駄洒落保存会会員の当方といたしましては、思わずうれしくなってしまいます(^o^)/

第3章:馬締とは正反対の性格の西岡正志が、国語辞書の編纂事業から離れ、広告宣伝部に移ることになり、悩みます。あまり向いているとは思わなかった実務とは別に、辞書編纂の事業に別の角度から愛着を感じるようになっていたのでした。

第4章:新人が辞書編集部に配属になります。女性向けファッション雑誌編集部から来た岸辺みどりです。彼女の役割は、辞書に最適な用紙の選定。あけぼの製紙の宮本と組んで、究極の辞書用紙を開発選定しながら、ちゃっかり恋人もできてしまうあたりが、いかにもな展開ではあります。

第5章:四校の段階で、一語欠落が判明し、泊まり込みで校閲作業のやり直しに突入します。辞書編纂も大詰めです。そこへ松本先生が入院したとの報せが入り、馬締は社外編集者となっている荒木とともに、試し刷りを持って見舞いに行きます。大きなプロジェクトの完成の喜びと悲しみ。見事なエンディングです。



うーむ、なるほど。本屋大賞を受賞したのも頷けます。個人的には『ピエタ』(*)が一押しでしたが、国語辞書とヴィヴァルディの楽譜とでは、前者のほうがより一般性があるのは否めません。一冊の本の中で2組が結婚し1組が恋愛関係に入るという展開は、読者の期待に応えたのか作者の好みなのかはわかりませんが、よりハッピーエンドに近い『舟を編む』のほうが、悲哀の色濃い『ピエタ』よりも人気が出たのは無理もないことかと思います。

(*):大島真寿美『ピエタ』を読む~「電網郊外散歩道」2011年7月

【追記】
主人公となる馬締光也には、だれかモデルがいるのではないかと感じていました。さすがは Google です。それらしい取材記事(*2)を探してくれました。

(*2): 朝日新聞デジタル:「舟」を編む 果てはない

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白菜とダイコンの収穫

2012年11月19日 06時02分39秒 | 週末農業
過日、老母が丹精した野菜畑の収穫作業を手伝いました。妻と二人で、白菜とダイコンを収穫し、軽トラックで運搬します。白菜は60個、ダイコンはコンテナで三個分もありました。




青菜の収穫はまだですが、ひとまず一段落。運んだ白菜は、南側の日当たりの良いところに並べ、甘味が増すようにします。近所の非農家に五個くらいずつおすそ分けをしても、それでもまだまだたっぷりあります。今年も美味しい白菜カレーや白菜鍋が食べられます。老母の健康と丹精に感謝です。

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2013年のダイアリーは月間ブロック式の3月までタイプに変更

2012年11月18日 06時02分23秒 | 手帳文具書斎
この季節になると、毎年のことですが、新年用のダイアリー・リフィルを選びます。これまで使っていたのは、見開き一ヶ月タイプの11月~翌年12月までのもの(*1,*2)でした。これはこれで便利ではあったのですが、翌年1月から3月までのスケジュールを記入できずに困ることがありました。そこで来年は、心機一転、カレンダー型というか、月間ブロック式で翌年三月までの15ヶ月対応のものを選びました。



写真の右のものがそれで、Davinci の iPhone 対応リフィル:DR1318 というものです。これは、トモエリバーの用紙を使っており、月曜始まりで土日も平日と同等になっていて、お値段は 400円でした。同じ見開き一ヶ月とはいうものの、バイブルサイズ・システム手帳用のカレンダー型ダイアリー・リフィルは記入スペースが小さくて、これまでは敬遠しておりました。でも、幸か不幸か、この多忙も今年度いっぱいで終わる見通しとなりましたので、シンプルなもので充分だろうという判断です。

実際に、1月~3月までの予定を記入してみましたが、略号を駆使すれば、なんとか記入は可能なようです。それ以上の詳細は、ウィークリーあるいはデイリー・リフィルで対応すればよいと割りきることにします。

(*1):2012年の月間ダイアリー・リフィル~「電網郊外散歩道」2011年10月
(*2):BUN2をきっかけに来年の手帳を準備する~「電網郊外散歩道」2010年10月
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モーツァルト「ピアノ協奏曲第12番」を聴く

2012年11月17日 06時04分42秒 | -協奏曲
モーツァルトのピアノ協奏曲第12番、イ長調K.414は、1782年の秋に作曲され、主宰した予約演奏会で初演した三つのピアノ協奏曲(第11番~13番)のうち、最初に書かれたものと考えられているそうで、楽しく幸福な音楽です。作曲者が手紙で、「むずかしすぎも、やさしすぎもせず、ちょうど中間であり、たいへん華やかで、耳には快く、自然で、空虚さに陥っていない」と書いているそうで、それを信じるならば、ピアノの腕に自信のある貴族の令嬢などが演奏するのに、ちょうど良かったのかもしれないと思います。もっとも、楽譜の出版は三年後の1785年になってからだそうで、初演直後には無理かもしれませんが。

楽器編成は、Ob(2), Hrn(2), 弦4部、ピアノとなっています。弦4部は弦楽四重奏でも可能だそうで、それなら貴族の館における家庭演奏会でも演奏されたのかもしれません。

第1楽章:アレグロ、イ長調。
第2楽章:アンダンテ、ニ長調。
第3楽章:ロンド~アレグレット、イ長調。

この曲は、三曲の中では比較的素朴な印象を受けますが、それはそれとして何度も聴いているうちに、先の想像、例えば知人のお嬢さんが思いがけず腕達者なピアノを披露する時のような、そういう楽しさを感じます。「モーツァルトのピアノ協奏曲なんて、どれも同じさ」とはとても言えない、この曲の良さが感じられて来ます。

アンネローゼ・シュミットのピアノも、クルト・マズア指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏も、近年の古楽奏法のものとは異なりますが、聴き応えのあるもので、録音も自然で良好なものです。

参考までに、演奏データを示します。
■アンネローゼ・シュミット(Pf)盤
I=10'30" II=8'00" III=6'25" total=24'55"
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朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠2』を読む

2012年11月16日 06時02分45秒 | -ノンフィクション
福島原発事故を追跡検証する朝日新聞特別報道部の『プロメテウスの罠』(*1)の続巻、『プロメテウスの罠2』を読みました。なぜか、朝日新聞社本体からではなく、学研パブリッシングから刊行されているところに、大手広告主への遠慮を想像したりしながらも、内容的には朝日新聞社らしいものです。前巻に続く本書の構成は次のとおり。

第7章 原始村に住む
第8章 英国での検問
第9章 ロスの灯り
第10章 長安寺の遺骨
第11章 遅れた警報
第12章 脱原発の攻防

このうち、第7章で「原子村」ではなく「原始村」に住むことにした元原子力技術者の理由が注目されます。原子力のエネルギー面でのすごさに注目し、それをゆっくり利用しようと考えるのと、原子核反応によって生成する放射性核種の増加、すなわち「死の灰」の不可避的蓄積に注目するのとでは、態度は大きく変わるでしょう。この場合は、放射性廃棄物の処理方法が決まっていないのに廃棄物だけが増えていくという現実の異常さに気づいてしまったこと、でしょうか。
第9章「ロスの灯り」では、下北半島の「むつ小川原開発」の歴史的な経緯を、はじめて認識しました。なんと、会津処分の斗南藩まで遡る怨念のようなものが、バックにあったとは。虐げられた者が権力の座についたときどういう振る舞いをするかは、歴史上多くの例がありますが、その青森版と言って良いのかもしれません。
第11章の津波警報のあり方については、軽々に論じることはできませんが、例えば「これまでにないほどの大津波」というような表現が、選択肢の中にあれば良かったと感じます。水圧計のデータを採用しなかった点の指摘は大切ですが、定量的な扱いをすることができる前提を超えているならば、定性的な表現で巨大さを伝えるしかないと思うからです。
第12章「脱原発の攻防」も、政治ベースで動く数字の決まり方に、あらためて驚きます。

いずれにしろ、意欲的な取材、編集です。新聞の連載記事では断片的にしかわからない事柄も、書籍の形になるとある程度全体像が想像できるように思います。

(*1):朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠』を読む~「電網郊外散歩道」2012年8月
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