電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

本格的に春が来た

2023年03月31日 06時00分03秒 | 季節と行事
当地・山形にも、いよいよ本格的に春が来たようです。霞城公園の桜も一輪だけ咲いていたとか、ここ数日の晴天続きで、一気に季節が進んだようです。山形市で三月に桜が開花するのは、観測史上初めてなのだとか。もしかすると、それだけ温暖化が進んでいるということなのでしょうか。



我が家の春告げ花クロッカスもしばらく前から咲いていましたが、作業小屋の北側の残雪もようやく融けて、ヒマラヤユキノシタも咲き始めました。梅もちらほら咲き出しましたが、桃はまだ蕾が目覚め始めたところです。






サクランボの剪定枝の片付けもようやく終わり、カイガラムシの防除を行いました。ハーベストオイルが主体です。これでようやく一段落、少しほっとしました。



コメント (3)

シェーバーの最期

2023年03月30日 06時00分33秒 | Weblog
日常的に使ってきた回転式のシェーバー、Panasonic の ES6510P という最廉価製品がついに最期を迎えました。キャップにメモした購入日付を見ると、H26(2014)年2月とありますので、毎日のように使ってすでに9年を経過しています。安価な製品の割にはよく長持ちしたなという印象です。Ni-MH電池を内蔵し8時間充電するものですが、きっちり使い切ってからタイマーで充電するようにしていましたので、おそらくは充電池の寿命でしょう。もう1台、往復式のものもありますが、優しい切れ味の点で回転式タイプを愛用してきたものです。

毎日のように使ってきた製品は、不思議と記憶に残りますが、1台目はナショナルの回転刃タイプの交流式でした。これが実に切れ味が良く、気に入りました。2台目は日立の振動式で、これもずいぶん長く使いました。3台目は外国製のものだったのですが、あまり記憶にありません。どうしても最初の回転式のタイプが忘れられず、量販店で最安値の製品でしたが、回転式ということで購入したものが「渦は切れる!」と大喜びして愛用したものです。もう1台、同じ Panasonic の往復式のものもあるのですが、なぜか回転刃タイプの方を手にしてしまいます。忙しいときには車内に持ち込んで、待ち時間にひげをそったものです。妻からは「ヒゲなんて、どーして生えてくるの?」と言われながら、毎朝鏡に向かってひげそりをして、50年に5台。いいペースと言うべきでしょうか。

コメント (4)

ツイッターとは不可解な世界なり

2023年03月29日 06時00分26秒 | コンピュータ
私は、もっぱら自分のブログを長く継続しながら、他の方々のブログを閲覧することで刺激を受けたり示唆を得たりしています。YouTube 等の動画は、音楽分野では頻繁に利用しますが、その他は、例えば文具関連の動画などは、ブログ等とは違ってざっと見ることで要点をつかむということができませんので、基本的に敬遠しています。FaceBook やインスタグラムなどの場合は、あまり必要性を感じませんので、加入しておりません。ではツイッターは?

実は、『本好きの下剋上』の作者、香月美夜さんの発する情報だけはフォローしたいと、twitter のアカウントを取得しているのですが、別に求めてもいないのに余計な情報がどんどん入ってきて、肝心の本の内容の予告や刊行予定等の情報があっという間に流れてしまうのです。最初は、「この情報には興味がありません」などとして排除するようにしていたのですが、最近は呆れてやめてしまいました。単一のオフィシャルな情報源からの発信を待っているだけなのに、余計なノイズが多すぎる。最近の、マスクなどしないふうなマスク氏の言動などを見聞きするにつけても、ソフトウェアとしての方向性になんだか危うさを感じます。果たしてこれは情報源と言って良いのだろうか? 自分の時間を割く価値があるのだろうか?

災害時など、ほぼリアルタイムに情報を得ることができると宣伝されましたので、そういった面には期待がありましたが、実際のところは大いに期待はずれというか、幻滅というか、三面記事的な事件に対する私的制裁ツールとして機能している面もあり、イヤな感じです。私にとってツイッターとは、どうも不可解な世界です。

コメント (5)

筆記具の魅力、とくに万年筆について

2023年03月28日 06時01分30秒 | 手帳文具書斎
文具の中でも筆記具の魅力は格別です。ハサミやステープラーなどもなくてはならない文具ですが、筆記具の魅力にはかなわない。では、何がそんなに魅力を感じるもとなのか、いくつかの要因を考えてみました。

  1. 多様な種類の筆記具があり、用途や好みによって選ぶことができる。
  2. 実用性重視のものから趣味性の高いものまで、デザインもさまざまである。
  3. 筆跡がととのっていて見やすい。
  4. 一時的なメモはともかくとして、書いたものは後々まで残り、実用にも記録にも役立つ。
  5. その他

かつては文芸作品や論文、手紙、日記や記録など、裏方でありながら目的を達する手段としての役割が大きかったと思いますが、現在はそれらの面での役割はパソコン等に交代して久しいのではなかろうかと思います。しかしながら、私の場合は備忘録ノートや手帳ダイアリー、各種ノート類など、実用的な用途で万年筆を頻繁に使っています。老眼でも視認性の高い中字の万年筆の筆跡はユニバーサルフォントに近いと感じられ、この年齢になると小さな明朝体のフォントよりもずっと読みやすく記憶にも残りやすいようで、助かっています。




写真は、愛用の筆記具、とくに万年筆の現況です。実はブログ「Tiny Happy Days」のこの記事(*1)の写真が良かったので、真似をしてみたいと思ったのが発端でした(^o^;)>poripori

(*1): 【文】2023年の万年筆〜Tiny Happy Days

コメント (4)

プラチナ古典BBインクをまた一本使い切った

2023年03月27日 06時00分33秒 | 手帳文具書斎
今まで非常勤の職場用として使っていた私物のインク、プラチナ古典ブルーブラック(BB)のボトルを使い切りました。よほど粗悪な紙でない限り裏抜けすることがないことから、私の主力インクとして日々愛用しているものです。箱のフタの裏側にメモしてある日付を見ると、2018年の11月とあるので、4年と4ヶ月ということになります。自宅でも一年ほど使ったので、実際の消費量は半分くらいでしょうか。わずかに残ったインクは、スポイトで30mLの小型旧ボトルに移し替えて、マイスターシュテュックやLIGHTIVE などの、吸入位置にある程度深さが必要なタイプのペンに使おうと思います。



ブログ記事で調べてみると、2022年の1月に自宅用の新ボトルを開封(*1)し、通算で5個めとありますので、これは実質的に4個目のボトルを使い切ったことになります。けっこう使うものだなあと、あらためて感心しました。そういえば、同社のプロシオンPROCYON万年筆もインクが残り少なくなっていますので、補充しておきましょう。記録を見ると、昨年同期よりも2週間ほど遅いようです。



昨日の日曜日は、地区の新隣組長会議があり、娘夫婦と孫たちが来るということで、「山響オーケストラの日2023」は残念ながら夫婦とも欠席となりました。チケット二枚は知人にプレゼント。夫婦でオーケストラを聴きに行けると喜んでいましたので、きっと楽しんでくれたのではないかな。前橋汀子さんのソロでメンデルスゾーンの協奏曲ですから、こんど感想を聴くのが楽しみです。

(*1): 古典ブルーブラック・インクの新ボトルを開封する〜「電網郊外散歩道」2022年1月

コメント

サクランボ果樹園の剪定枝を集める作業は

2023年03月26日 06時00分43秒 | 週末農業・定年農業
我が家の二箇所あるサクランボ果樹園のうち、自宅裏はすでに自前で剪定を終え、剪定した枝を集めて焼却する作業を終えていますが、自宅から少し離れた場所にあるもう一つの園地のほうは面積も広く分量も多いため、まだ終わっていません。こちらはプロにお願いして剪定してもらったものですので、単に自分で枝を拾い集めるだけの作業だもの、簡単でしょうと思われるかもしれませんが、これ、実はけっこう厄介な作業です。

プロにお願いして剪定してもらった後には、切除した枝がこんなふうに散らばっています。このままでは草刈りにも防除作業にも邪魔になりますので、とにかく集めて焼却してやる必要があります。



初めての時は、大きな枝をずるずると引っ張っていき、デタラメに積み重ねて火を付けたのですが、枝の間がスカスカで隙間が大きすぎて、なかなか連続して燃えてくれないのでした。結局、ハサミやノコギリで切って細枝は細枝でまとめて束ね、ある程度の太さのある枝を交互に積み重ね、まとめて燃やせるように準備する必要があります。




これでようやく一日分くらいの分量でしょうか。全部集め終わるまでにはまだもう少しかかりそうです。



三月はまだ風が冷たく、動いているとなんとか我慢できますが、休憩時にじっとしていると作業着に防風ヤッケでは寒いです。日差しがあるとよほど良いけれど、曇りの日には冬の防寒着スタイルに戻りたくなります。持参したお湯でホットコーヒーを飲むのがうれしい休憩タイムです。



四月になると気温もだいぶ上がり、草の上にごろりと寝転びたくなるのですが、今はまだまだそんな気分にはなれません。せめてラジオで音楽を聴くくらいでしょうか。もう少しの辛抱です。

コメント (4)

モリコーネ「ガブリエルのオーボエ」のこと

2023年03月25日 06時00分37秒 | クラシック音楽
先日の「山響サンクスコンサート2023」で聴いて、妻がたいそう気に入ったという曲、モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」について、少し調べてみました。まず、こういう曲です。

モリコーネ「ガブリエルのオーボエ」|映画「ミッション 」【フルオーケストラ演奏】ボローニャ歌劇場フィルハーモニー マッテオ・トレンティン[吉田裕史指揮]


イタリア在住のヴァイオリニストの横山令奈さんが、イタリアで最も感染状況が激しかったクレモナ市の病院の屋上から、コロナ禍で奮闘する医療従事者のためにと演奏した2020年の映像:
"Audizione a Cremona" | Gabriel's Oboe - Ennio Morricone | by Lena Yokoyama | PRO CREMONA


同じく2020年、ロックダウンが解除されたクレモナ市の博物館での演奏、ピアノとの二重奏で。
Gabriel's oboe "Mission" E. Morricone - Duo version - L. Yokoyama - D. Maccagnola


エンニオ・モリコーネは、Wikipedia によれば(*1) 1928年生まれのイタリアの作曲家で、映画「荒野の用心棒」「シシリアン」などの音楽を作曲したことで有名、とのことです。「荒野の用心棒」は、たしか黒澤明監督の「用心棒」をモデルに西部劇にリメイクしたものではなかったかと記憶していますし、「シシリアン」の音楽も当時ずいぶん頻繁に聴いたことがあります。モリコーネは2020年に亡くなっていますが、「ガブリエルのオーボエ」のもとになった1986年の映画「ミッション」は映画館でもDVD等でも観ていませんでした。どうやら南米におけるイエズス会の宣教師の物語らしいので、ぜひ一度は観ておきたいところです。



そうだなあ、1986年というと私はまだ34歳、ようやく自宅から通勤するようになって、長距離通勤をしていた頃でしょうか。LPやCD等からカセットテープにダビングして、カーステレオで音楽を聴く時間が最も長かった時期かもしれません。TDK の AD, SA、SONYの ES、maxell の UD-XL、DENON の DX-3, DX-5 などがお気に入りのカセットテープでした。つい最近のような気がしていましたが、ずいぶん遠い時代になってしまったのだなあ…Sigh !



(*1): エンニオ・モリコーネ〜Wikipedia の解説

コメント (2)

「山響サンクスコンサート2023〜日新製薬プレゼンツ」を聴く

2023年03月24日 07時10分12秒 | -オーケストラ
山形県の天童市に本社と工場を持つ日新製薬株式会社は、ジェネリック医薬品を中心に製造開発する企業です。近年の好調を背景に、企業メセナとして毎春3月に山響のコンサートを開き、招待客や一般市民等にオーケストラに親しむ機会を提供しています。私はこれまで2016年、17年、18年、22年、23年と聴いていますが、定期演奏会とは異なり親しみやすい演奏会で、毎回楽しみに聴いています。今回は、

  • 前半〜モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」K.492より
  • 後半〜オーケストラ名曲集

という構成でした。

開演前に山響の西濱秀樹事務局長が登場し、山響の簡単な紹介と日新製薬の会長さんを紹介します。スポンサーの日新製薬の会長さんの話によれば、昨今の同業他社の不始末で医薬品の供給に影響が出ており、会社として全力を挙げて対応しているのだそうです。そのため工場も三交替勤務にせざるをえない状況で、工場の拡張でなんとか二交代に戻したいとのことでした。このあたり、団塊世代とその下の世代の退職、少子化の影響で人手不足が深刻化しており、たいへんだなあと感じます。
もう一つ、西濱さんの話であらためて驚いたことがありました。山響ができてからずっと取り組んでいるスクールコンサートでは、子どもたちに本物の生の音楽を届けて来ているわけですが、演奏を聴いた子どもたちの述べ人数が300万人に達するとのことでした。山形県の人口がおよそ100万人ですので、おそらく山形県の子どもたちは生のオーケストラの演奏を何度も聴いていることになります。これは実はスゴイことなのではなかろうか。

今回、当たった席はだいぶ前の方の右手でしたので、ちょうどパーカッションあたりのステージを見上げる形になりました。そのため楽器配置が判別しにくい面がありましたが、前半のモーツァルトは編成を絞り、たぶん左から第1ヴァイオリン(6? or 8?)、チェロ(3)、ヴィオラ(3)、第2ヴァイオリン(6)の対向配置、コントラバス(2)はチェロの左後方に配置です。正面奥にフルート(2)、オーボエ(2)、その奥にクラリネット(2)、ファゴット(2)、右手奥にホルン(2)、一番奥にトランペット(2)という形でしょうか。入場時のパッと見では、ホルン、トランペットともにナチュラルタイプのようで、作曲当時の楽器を使用することで響きの効果の再現をねらっているようです。

  1. 歌劇「フィガロの結婚」序曲
  2. 第1幕 フィガロとスザンナの二重唱「5、10、20」 深瀬廉(Bar)、佐藤亜美(Sp)
  3. 第1幕 フィガロとスザンナの小二重唱「たとえばもし、奥方様が」 深瀬廉(Bar)、佐藤亜美(Sp)
  4. 第1幕 フィガロのカヴァティーナ「もし踊りをなさりたければ」 深瀬廉(Bar)
  5. 第3幕 伯爵とスザンナの小二重唱「ひどいやつだ!なぜ今まで長いこと」 深瀬廉(Bar)、佐藤亜美(Sp)
  6. 第3幕 レチタティーヴォと伯爵のアリア「訴訟に勝ったと!」 深瀬廉(Bar)
  7. 第3幕 フィナーレ「さあ、行進曲だ…行きましょう」 オーケストラで
  8. 第4幕 フィナーレより「すべては静かで穏やかだ」〜「平和を、仲直りを、僕の甘い宝よ」「苦悩のこの日を」  深瀬廉(Bar)、佐藤亜美(Sp)、阿部花音(Sp)、安孫子留架(Ten)、松倉望(Bs)、土田拓志(Bs)

バリトンの深瀬廉さんの経歴等は、

山形市の出身。東京芸術大学卒業、同大学院修士課程修了、ベルリン芸術大学大学院オペラ科並びに歌曲科を修了。第60回学生音楽コンクール第1位、学部卒業時に松田トシ賞など各賞を受賞、第28回市川新人演奏家コンクール最優秀賞、第26回日本ドイツ歌曲コンクール第2位、第29回ラインスベルク国際声楽コンクール入賞、平成29年度文化庁新進芸術家海外研修制度研修生、2016・2018年度ロームミュージックファンデーション奨学生。甲子園や在独日本大使館で国歌独唱を務める。国内外のオペラではモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」のレポレッロ役、ラヴェル「スペインの時」のラミーロ役などに出演、演奏会ではフォーレ「レクイエム」やベートーヴェンの「第九」などでソリストを務める。ベルリン交響楽団、ブランデンブルク国立管弦楽団フランクフルト、山形交響楽団などと共演。声楽を大島幾雄、藤野祐一、福島明也、吉原輝、Carola Hoen の各氏に師事。現在は山形大学講師。

とのことです。

今回は途中で衣装を変えてフィガロと伯爵と両方を歌いました。ホールは多目的ホールですので決して音響的に歌いやすい環境ではないと思いますが、ステージのできるだけ前方に立つことでなんとか響きを掴みながら歌えたでしょうか。しかし、オーケストラをバックにホール全体に響く歌声というのは、あらためてスゴイものです。よく通る天与の声に磨きをかけた歌声は、フィガロのいきいきとした活力と共に伯爵の役柄も歌い分けて、バリトンの歌声の魅力を味わうことができました。また、スザンナ役の佐藤亜美さんほか出演の皆さんは、山形大学および同大学院の学生さんとOBの方々だそうで、真っ赤なドレスの佐藤亜美さんは最初は少し恥ずかしそうなところも感じられましたが、徐々に役柄に慣れてきたみたいで、初々しいスザンナという感じでした。

全体に、サンクスコンサートでは初のオペラということでしたが、やっぱりオペラの場合、どんな場面で何を歌っているのか、よくわからない面があります。正直言って、簡単なストーリー紹介か、できれば字幕があると助かるのになあと感じました。

後半は『愛の名曲の花束』と題して、オーケストラ名曲集となりました。もちろん曲によりますが、楽器編成はモーツァルトのときよりもだいぶ拡大されて、8-7-5-5-3 の弦楽5部に Fl(2), Ob(2), Cl(2), Fg(2), Hrn(4), Tp(2), Tb(3), Tuba, Harp, Timp. にパーカッションというものです。

  1. ヨハン・シュトラウスⅡ世:ワルツ「春の声」
  2. ブラームス編曲:ハンガリー舞曲第5番
    ●指揮者に挑戦コーナー(ハンガリー舞曲第5番)
  3. エルガー:愛の挨拶
  4. モリコーネ:ガブリエルのオーボエ オーボエ独奏:柴田祐太(山響)
  5. ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーブスの主題による幻想曲
  6. スメタナ:交響詩「わが祖国」よりモルダウ

ウキウキするような「春の声」で始まり、ハンガリー舞曲第5番でお手本を聴かせた後で、恒例の「識者指揮者に挑戦」コーナー。今回は滋賀県在住という若い男性の薬剤師さんと小学生の女の子でした。おそらくは招待客のお一人であろう男性の薬剤師さんは、子供時代にもオーケストラを聴いたことはなかったそうで、生オーケストラを聴くのは初めてだそうです。うーむ、やっぱり本県の子どもたちは山響の恩恵をしっかり受けているぞ(^o^)/
小学生の女の子は、指揮棒の動きより少し遅れて音が出てくるオーケストラの特性から、しだいにテンポが遅くなるという落とし穴にもはまらずに、自分のテンポで指揮を完遂(^o^)/ いい記念になったことでしょう。


  (開演前のステージ右側の様子)

今回、一緒に行った妻は、モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」がたいへん気に入ったそうです。私は、今回「モルダウ」のパーカッションで、バスドラムと共に鳴り響くシンバルの音が、大きさの異なる2種類のシンバルを使い分けていることを発見! そうだったのか! 微妙に異なるあの「ジャーン」は、鳴らし方によるものではなかったのだな! よく知った曲と思っていても、実はまだまだ新しい発見があるのですね。なんか、すごく得した気分(^o^)/

アンコールは、ブラームスのハンガリー舞曲第1番。阪哲朗さんの指揮による山響の、柔らかな、でも芯の通った演奏が、懐かしさを感じさせるブラームスの音楽の魅力をホールいっぱいに広げていました。また聴きたいなと思ってしまうひとときでした。

(*1): Ren Fukase 深瀬 廉〜twitter

コメント (2)

退職して農作業に親しむ意味

2023年03月23日 06時00分12秒 | 週末農業・定年農業
春は別れと出会いの季節といいますが、冬将軍とお別れして春の女神と出会うのであれば大歓迎です。ですが、定年退職だったり事情で依願退職したり、この時期をきっかけに仕事をやめる方も少なくないことでしょう。私の場合は、専業農家だった父の死去により、50代でやむなく週末農業を始めたのがきっかけでしたが、退職して年金受給年齢になっても果樹園農業を続けております。サクランボや桃などは、農協等に出荷もしています。また、自家用ではありますが、妻と共に亡母から野菜作りを受け継ぎ、サトイモやジャガイモ、ナス、トマト、ネギ、白菜などを作っています。



退職してこうした農作業に従事しながら考えるのは、「毎日することがあるというのはいいものだなあ」ということ。もし、定年前に農業をやめるという決断をしていたら、今頃はおそらくすることがなくて暇を持て余していたに違いありません。散歩や外出、旅行などと言っても、毎日のように出かけられるほどの体力も気力も経済力もありません。かといって常時デスクの前に座っていれば、生活不活発病で具合を悪くするのが関の山だったでしょう。果樹の剪定や施肥、防除、選果、出荷とそれぞれにノウハウが必要でしたが、覚悟を決めて一つずつ覚えていくのも張り合いがありました。また自分で作った果物が多くの人に喜ばれるのは楽しく嬉しく、経費に大半は持っていかれるけれど、自分で得た収入は張り合いと喜びがあります。



たしかに、種をまいて育てるのではなく80円のキャベツ苗を買って植えても、育てたキャベツを収穫する頃にはスーパーで98円で売っているという現実がありますので、苗を買って育てては商売にはなりません。そもそも単価の安い野菜で商売をしようと思ったら、かなり大規模にやらないとペイしないでしょう。そういう職業としての農業ではなくて、退職後の楽しみに農作業に親しむ場合の話です。




少し早目に退職した非農家のいとこは、小さな区画の畑を借りて小さな耕運機を買って野菜作りを楽しんでいるそうな。もしかすると退職して農作業に親しんでいる人は意外に多いのかもしれません。お天気の良い日に畑に出て体を動かすのは、なんとも言えない爽快感があります。ラジオで音楽やおしゃべりを聞きながら休憩するひとときも良いものです。昔、「三ちゃん農業」という言葉があり、「爺ちゃん・婆ちゃん・母ちゃん」だけが農業に従事している現実を表したものでした。けれども今は母ちゃんは働きに出ていることが多く、農作業をやっているのは「爺ちゃん・婆ちゃん」の「二ちゃん」だけではなかろうか。実際にその年齢になってみて、「爺ちゃん」にとって農作業は楽しさ、面白さ、張り合いのあるものだと感じます。お天気が悪いと大変ですし、気象災害に泣くこともありますが、年金生活の基盤があるため、生きるか死ぬかと言った切羽詰まったものではないからでしょうけれど。

コメント (2)

備忘メモノートを更新、Ca.CreaからF.O.B.coopへ

2023年03月22日 06時00分31秒 | 手帳文具書斎
これまで Plus の Ca.Crea で使っていた備忘メモ用ノート(*1)、行きつけの文具店にも某大手スーパーの文具売り場にも見当たらず、一度は某密林で購入して使っては見たものの、いよいよ残り枚数が3枚を切った時点で購入はあきらめました。在庫のあるB6判リングノートから選ぶこととし、パッと目に付くデザインということで、極東のリングノート、F.O.B.coop の Expedient notebook F64 を使い始めることとしました。expedient とは「都合の良い」という意味だそうで、表紙下部の F64 というロゴは「華氏64度=人が最も快適に過ごせる温度」を意味するのだとか。B6判80枚、A罫7mm22行です。



これに合わせる専用ペンは、とりあえず三菱のユニボール one の青0.5mm (芯には05-K602とあるので多分ユニボールシグノRT1の替え芯を入れていると思います。そして、色はどうみてもブルーブラックです。)

(*1): 時の蓄積〜ノートはいつのまにか進む〜「電網郊外散歩道」2022年10月

コメント

戦後の経済発展の基礎となった「品質管理」が成功した理由

2023年03月21日 06時00分18秒 | 歴史技術科学
終戦直後の日本経済は、さまざまな曲折を経て、とくに戦争特需もあって、徐々に復興を果たしますが、その際に多くの人に指摘されるのが「品質管理の概念と手法の導入」です。日本製品が「安かろう悪かろう」で悩んでいた時期である1950年に、日本政府が国勢調査のアドバイザーとして米国から統計学のデミング博士を招きます。当時の経済界の主だった経営者たちは、デミング氏の品質管理の講演を聞いて感銘を受け、以後は氏の指導を仰ぎながら業務の改善を進め、1970年代頃までに品質の劇的な改善に成功し、1980年代には「Japan as No.1」と称されるようになります。「デミング賞」という賞の存在と共に、このあたりはテレビでもずいぶん取り上げられました。

ところが、デミング博士が品質管理について講演を行ったのは、日本だけではなかったようなのです。日本での講演に前後して、メキシコ、ギリシャ、インド等でも講演を行いましたが、品質管理について大きな成功を経験したのは、どうやら日本だけ(*1)だそうです。このことは、しばしば日本の教育水準の高さによって説明されることが多いように思いますが、デミング流の品質管理は本質的には統計的な手法によるものであり、教育の水準というだけではどうも漠然とし過ぎのように感じます。識字率が高ければ統計的手法になじむとは言えないでしょうし、コンピュータのソフトウェア開発の例を持ち出すまでもなく、20×20までの九九を暗証しているインド人の数学的能力は相当に高いでしょう。実際の品質管理においては、さまざまな要素を数え、比較整理し、作業工程の中の問題点を調べてどう改善を提案していくかが眼目となるわけで、チームの一人一人が読み書きや計算ができるだけでなく、観察力や注意力、工夫する発想力などの一定の経験があって成果が期待できるのではなかろうかと思います。では、日本における戦後世代のそれらの力は何によって養われたのだろうか。

1960年代の小中学校を経験した私の考えでは、おそらく今よりずっと理科の時間が多かった当時の小中学生のほとんどが経験したであろう、活発な自由研究等の影響があるのではないかと思います。あるいは課外のクラブ活動等も影響したかもしれません。識者はしばしば教育というと授業のことをイメージするようですが、授業は基礎的な力を付ける場であって、身につけた力を試し発揮するのは課外の活動の場合が多いようです。逆に言えば、活発な自由研究がすたれ課外活動がスポーツに偏重していくとき、日本の製造業における品質は必ずしも No.1 ではなくなっているだろう、とも言えます。昨今のさまざまな報道に、どうしてもその懸念がぬぐえません。

(*1): 吉田耕作『ジョイ・オブ・ワーク』(日経BP社、2005年)

コメント (7)

カリンニコフ、クチャル、ウクライナ国立響という語に反応して

2023年03月20日 06時00分35秒 | -オーケストラ
日曜朝のNHKラジオ「音楽の泉」で、カリンニコフの交響曲第1番が取り上げられていました。一時、熱心に聴きましたが、最近はしばらくごぶさたでしたので、懐かしく聴きました。当日はスヴェトラーノフ指揮N響の演奏でしたが、私にとってカリンニコフといえば、何と言ってもテオドレ・クチャル指揮ウクライナ国立交響楽団によるナクソス盤です。第1楽章だけですが、こういう演奏です。

カリンニコフ: 交響曲第1番:第1楽章[ナクソス・クラシック・キュレーション #ゴージャス]


今となっては四半世紀前、「ジャスコ東根店」がまだ東根温泉入口にあった頃、その西向にブックバーンという書店があり、そこでナクソスの千円盤CDが売られていました。これが私のナクソス・レーベルとの出会いで、カタログの人気ナンバーワンに「カリンニコフ/交響曲第1番&第2番」というタイトルが挙げられており、おや?と思ったものでした。それがきっかけで同CDを購入、美しい旋律に魅了され、テオドレ・クチャル指揮ウクライナ国立交響楽団というクレジットが記憶に残りました。



指揮のクチャルさん、1963年生まれのウクライナ系米国人らしい。クリーヴランド音楽院卒といいますから、クリーヴランド管の演奏なども日常的に耳にしていたのではなかろうか。ウクライナ国立交響楽団の活動は、昨今のロシアの侵略戦争の渦中にあって、今はどうなっているのだろう。引っ張り出したCDでこの音楽を聴きながら、上の子どもが高校に入学する頃、仕事も充実していたあの頃を思い出しつつ、戦火の中のオーケストラの現状を思うこの頃です。

コメント (2)

家猫「李白」の去勢手術の件

2023年03月19日 06時01分35秒 | アホ猫やんちゃ猫
子猫だと思っていたらしだいに大きくなり、我が家のネコ「李白」もすでに生後8ヶ月になりました。最近は食欲も旺盛で、朝になると「エサくれ〜」と起こしに来ます。動物病院に電話で問い合わせたところ、7ヶ月を過ぎて睾丸が下りてきていることが確認できれば去勢手術をすることができるとのこと。そろそろ適期かと判断し、予約をして手術をお願いしました。

土曜の朝にキャリーバッグに入れて連れていき、夕方に迎えに行きましたが、なんだかおとなしい。全身麻酔で手術をしたそうですから、麻酔が切れると痛いのかもしれません。夕食は吐いてしまうことがあるので食事をさせなくてもよいとのこと。雪降りで寒い土曜日でしたので、自宅に戻ったらさっそくこたつに入って寝ていました。




ネコも、ネズミほどではないけれど繁殖力が強く、年に2〜3回の妊娠が可能で、1回に4〜5匹の子猫を産みますから、一年であっという間に10匹を超えてしまいます。翌年にはさらに子どもたちが産み始めるのですから、さらに50匹にもなろうという勢いです。こうした状況を防ぐには、大昔のように子猫を間引いたりは出来ませんので、繁殖制限がほとんど唯一の方法でしょう。オス猫の場合、発情期の鳴き声や室内のあちこちにマーキングをするのも困りものです。経費は、13,200円(12,000円+税10%)で、メス猫の場合よりもやや少ないようでした。

(写真は、ダンボールの爪とぎが入ったテントをひっくり返して遊んでいるところです。)

コメント

1965〜67年頃の中学校科学部はどんな活動をしていたか

2023年03月18日 06時00分57秒 | 歴史技術科学
昭和40(1965)年に中学生となった筆者は、科学部に入部しました。大学に進み自然科学の研究者になるのが夢であったために、小学校にはなかった二つの理科実験室と準備室にはワクワクするような宝の山と感じました。交流100V を直流にする電源装置があり、電流計や電圧計が何台も並び(*1)、ビュレットやピペットなど小学校では使わなかったガラス器具が整備されている第1理科室は、物理・化学の第1分野を対象とするもので、コンクリートの床に各生徒用実験卓には流し台とガスバーナーが設備されていました。一方、生物・地学領域を扱う第2分野を対象とする第2理科室は板張りの床で、生徒用の実験卓と器具棚のほかに等身大の人体模型が立っていて、入ったばかりの中学生の度肝を抜きました。

この科学部には何人かの三年生が先輩として活動しており、中庭に岩石園を造るなど熱心に活動していたM先生を顧問に、「トゲウオの研究」をテーマとして飼育観察を試みていましたが、残念ながら夏場の水温のコントロールがうまくできず、死滅してしまったようでした。それでも、この先輩たちと一緒に顧問の先生が引率してくれて夏休みに白髪山登山を敢行し、シャクナゲと草原の山頂に並んで記念写真を撮ったのが良い思い出です。

この先輩たちが卒業した後は、顧問のM先生の転勤もありましたが、2年生部員がいないため1年生の私が部長となり、運動部をやめて増加していた部員たちがそれぞれ個人であるいは数人のグループで研究テーマを決めて研究をすすめることとしました。後任の顧問は放任主義で、準備室をかなり自由に生徒に使わせてくれましたし、先生用の実験書なども読ませてくれました。しかし、研究テーマの設定というのは意外に難しいものです。そこで、学校の近くを流れる河川をフィールドに設定し、これに関わるものならば何でも良いことにして、「◯◯川の総合調査」と銘打って研究を進めることにしました。アイデアを出し合って工夫した当時の仲間の研究テーマとして今でも記憶に残るのは、例えば

  • 河原の中で腐肉に集まる昆虫を調べる コーヒーの空き瓶を河原に埋め、中に入れたチーズやハム等に集まる肉食性昆虫の種類と数を調べる。
  • 空中花粉をつかまえる グリセリンを塗ったスライドガラスを一定時間放置し、顕微鏡で観察して風媒花の花粉を見つける。高校進学後にメチルグリーンで染色すると見つけやすいことを知り、悔しがった。
  • 植物体中の鉄分を調べる アカザ等の植物の葉を乾燥し、るつぼで焼いて灰を硝酸に溶かし、フェロシアン化カリウム水溶液で青色を検出、比色法で標準溶液と比べる。
  • サクラのてんぐ巣病について てんぐ巣病の枝と正常枝に付いた葉の縦横の寸法を実測し、幹側から枝先までの縦横比の分布を調べることで、今風に言えば植物ホルモンの分布異常を推測したもの。
  • 太陽黒点の移動と変化 学校の天体望遠鏡で白紙に投影して太陽黒点の大きさと移動を記録する。
  • トノサマガエルの孵化と成長 水槽に卵塊を入れ、孵化してからオタマジャクシが陸に上がるまでを飼育観察する。

などです。大部分はこの河川とは直接の関わりはなく、それぞれの興味関心に基づくものなのですが、材料をこの川から入手したり、調査対象のフィールドであったりして、なんとか格好をつけることができました。

これらの共同研究テーマと並行して、私自身の個人研究も進めておりました。化学反応式の係数は何の比を表しているのかというもので、当時の表記で表せば第二鉄イオンFe3+とフェロシアン化物イオン[Fe(CN)6]4-の沈殿反応を題材に、モル比を表すらしいということを結論付けるものでした。同時にごく薄い濃度では沈殿ではなくコロイドになることを発見し、中学2年生の夏?に借りた高校化学の教科書が愛読書で、化学量論を独力で理解できたのも、ひとつひとつ実験を積み重ねていくやり方が効果があったと実感として感じました。

今思えば、実に熱心に活動していたものと思いますが、中学生の熱意を支えるような社会的な背景もありました。例えば

  • 小学校時代に、学研の「学習」「科学」などの雑誌を購読していた生徒が少なからずいて、多くの生徒が理科実験観察に漠然とした憧れを持っていました。
  • 夕方のNHK教育テレビには「楽しい実験室」というテレビ番組があり(*2)、毎週さまざまなテーマで研究のヒントやトランジスタ工作などを紹介するだけでなく、返信用切手を同封して申し込めば番組内容を完結に記載した資料が郵送されてくるのでした。当時の番組制作には、SONYの技術者も協力していたそうです。
  • 読売新聞社の学生科学賞というレベルの高いコンクールもあり、村山農業高の生徒が「トゲウオの研究」で文部大臣賞を受賞、米国で発表してきたと話題になりました。これも農業高校という設備とノウハウがあっての飼育観察かと想像して、同じ研究テーマでも環境というのは大事だと感じていました。
  • 寄せ集めの性格の強かった自分たちの共同研究は、学生科学賞のシャープな審査にたえるものではないと考え、三年生の時に当時行われていた山形新聞・山形放送主催の「小さな芽キャンペーン」という科学研究募集に応募したところ、私の研究が個人研究の部で入賞し、部としての共同研究は学校特別賞を受賞することができました。
  • このときの副賞がカラーテレビとOlympusの顕微鏡、それに協賛各社の製品で、大量のお菓子が学校に届き、遠足以外に学校にお菓子を持ってきてはいけない中学生の世界で、生徒全員が一人一人チョコレートやビスケット等の菓子をもらって、「科学部ってスゴイことをやったんだ!」と驚かれました。スポーツ以外でもヒーローになれたことに部員たち皆が鼻高々だったと記憶しています。
  • 地区の中学校の科学研究発表会が毎年開かれており、各校が競い合って発表していました。発表されるテーマ数もかなり多く、複数の分科会場に分かれて発表されるような盛況でした。

おそらく、NHKの「みんなの科学 たのしい実験室」の人気も、山形県の「小さな芽キャンペーン」の実施も、科学技術立国を掲げた当時の社会風潮を反映したもので、全国的に同様な催しが行われていたのでしょう。

(*1): 後日談:娘が中学生になった時、授業参観で母校の中学校の理科室を訪れる機会がありました。その時に驚いたのは、電流計や電圧計、解剖皿など昭和30年代の理振法のシールが貼られたあの頃のものをまだ使っていることでした。驚き呆れて、当時の科学部員で市役所のけっこうな役職にあった友人に「こんな状況だったよ」と話をしたところ、翌年に理振法の補助の予算がついたとのことでした。モノを大事にするのはいいけれど度が過ぎている状況の背景には、備品だからと実験器具一つ一つにシールを貼って台帳で細かく管理する方式があると思われ、戦後の物不足の時代ではあるまいしあまりにも時代錯誤なやり方ではないかと感じたものです。
(*2): 理科大好きっ子のお気に入り〜「みんなの科学 たのしい実験室」〜NHKアーカイブス

コメント (4)

中山町の「岡縁里」を訪ね七浦の「もみいち」で昼食の小ドライブ

2023年03月17日 06時01分49秒 | 散歩外出ドライブ
過日、農作業をお休みして、妻と二人で小ドライブに出かけました。向かったのは中山町岡で、旧柏倉喜作家の茅葺きの母屋を解体した後に、残った作業小屋などを改装して「岡縁里(おかえり)」(*1)というサロンというか居場所というか、そういった運営をしていると聞き、妻が行ってみたいと希望したものです。




中山町岡については、以前、柏倉九左衛門家に日本画の石山太柏展を見に行ったことがあります(*2)が、このときはまだ柏倉喜作家の母屋も重厚な姿を残しておりました。今回、訪れた時は、残念ながら柏倉喜作さん(雪章と号し絵を描き人形を作っていた)制作の人形はまだ準備中で見ることはできませんでしたが、運営スタッフの人たちからいろいろ有意義なお話を聞くことができました。



そこから山形市北部の七浦地区にある食堂「もみいち」にまわり、昼食としました。この店は、いくつかある料理から何品かを組み合わせて注文することができるシステムで、食べ物の好みが似ている私と妻が選んだのは奇しくも一致し、

  • さばの辛味噌煮
  • 鶏の唐揚

にご飯と味噌汁とお新香がついたもので、1,080円。






ご飯は大盛りにもできるそうですが、二人とも普通盛りで充分にお腹いっぱいになりました。地元の人たちにはけっこう知られている店のようで、駐車場がいっぱいになるほどのお客さんの入りでした。



当日はまた、DAN's Bakery から生食パン 1.5斤も購入して、満足度の高い小ドライブとなりました。

(*1): みんなの居場所 岡縁里
(*2): 中山町岡の柏倉家に石山太柏展を見に行く〜「電網郊外散歩道」2008年10月

コメント