電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

青空の下、桃の花摘みをする

2007年04月30日 17時40分03秒 | 週末農業
連休の前半は、晴天に恵まれました。朝、老父母を車に乗せて、孫娘が産んだ曾孫の顔を見に産院へ。汗ばむほどの陽気で、幸いに嫁ぎ先の両親も顔を見せており、楽しく談笑いたしました。

帰宅してから、昨日に引き続き、青空の下で桃の花摘み作業。1本の枝にたくさんの花が咲いていますが、これがみな実をつけたら、成長することができません。かたまって咲いている花の中から一つを残し、他は全部摘んでしまいます。どれを残すかの判断は、
(1) 真上を向いた花は摘む。成長した実が重みで枝にぶつかり、傷んでしまう。
(2) 真下を向いた花は摘む。虫とはいえ、真下を向いた花には止まりにくいでしょう。受粉率は低くなるはずです。
(3) 横を向いて咲く花は、一方を残して摘む。どちらを残すかは、実が成長する空間が開けているかどうかが基準。
としています。

桃の葉や花に触れると、体がチクチクしてかゆくなりがちです。軍手をして花の付け根で折り曲げると、ぷつんと取れて来ます。足元に落ちた花が、ピンクの絨毯のようです。仕事の進み具合は、花びらの絨毯の面積の広がり具合で、一目瞭然です。



くたびれると、コンテナに腰をかけて、水筒に持参したコーヒーを飲みます。ラジカセがあると気分がいいのですが、今日はプロコフィエフの交響曲第3番。さすがにこの曲は、果樹園の中でラジカセでがんがん鳴らすのは気がひけます。携帯CDプレーヤーをイヤホンで聞きながら、気分良く作業をしました。
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二人目の孫が誕生

2007年04月29日 21時37分25秒 | Weblog
先日来、生まれそうで生まれなかった二人目の孫が、ようやく誕生。お嫁に行った娘に無事に二人目の子どもが生まれました。かわいいしぐさで赤ちゃんの頭をなでているほにょリータも、本日ようやくお姉ちゃんになりました。昨夜から一睡もせず、ようやく二児の母となった娘も、さぞほっとしたことでしょう。
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シューベルトの弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」を聴く

2007年04月29日 14時42分14秒 | -室内楽
カップリングの妙、というのがあります。片方が聴きたくて購入して、他方の魅力にも気づいてしまう、というケースは、意外と多いものです。私の場合、シューベルトの弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」にふれたのは、まさにこれでした。

若い頃、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」を聴きたくて、日本コロムビアの「ヒストリカル・レコーディング1000シリーズ」から、スメタナ四重奏団による演奏、HR-1002-SというLPを購入し、モノラル音源ながら、力強さや深刻さ、とりわけ第2楽章の旋律にまいってしまったのでした。当時購入した音楽之友社のポケットスコアの奥付には昭和45年とありますので、このLPの発売時期も、昭和46年頃か、たぶんそのあたりでしょう。



第1楽章、ニ短調、アレグロ。四部一斉の長い音符と激しい三連音で印象的に始まります。これって、ベートーヴェンの「運命の動機」をひっくり返すか、頭に長い音符を付け加えたような感じです。第2主題は対照的に優美なヘ長調。コーダは第1主題に基づくもので、最後はチェロが低く運命の動機ふうの音型を優しく呟いて終わります。
第2楽章、アンダンテ・コン・モルト。歌曲の「死と乙女」のピアノ伴奏部を中心に作られたものといいますが、はじめの旋律を繰り返した後で、かけあがる旋律の切実な美しさ。これが繰り返されて、やがてチェロの旋律がヴァイオリンに移り、繊細な音楽になり、最後にpppで主題が奏され、dimしcrescしてpで終わります。この終わり方が、なんとも魅力的です。
第3楽章、スケルツォ、アレグロ・モルト。ごく短い楽章です。テーマは第1楽章の第1主題を想起させるもので、トリオ部の優美さは生の美しさでしょうか。
第4楽章、プレスト。譜面を追いかけるのも大変です。死の主題と生の主題が入れ代わり拮抗するように出現し、特にヴァイオリンに現れる旋律の切実な美しさは特筆ものでしょう。Prestissimoと指示された終結部の劇的な激しさは、思わず息を飲むほどです。

シューベルトが若死した理由として、彼の家族全体が慢性の水銀中毒に侵されていたこと、おそらく梅毒の水銀療法が致命的だったこと、などが指摘(*)されます。乙女は生への憧れや渇望と見ることもでき、死を直視する絶望が深いだけに、美しい旋律にはある種のいたましさをさえ覚えます。

スメタナ四重奏団の演奏も、年代によって変わっているようです。1950年代前半と思われるモノラル録音では、どの楽章もじっくりと表現していますが、日本での演奏会をライブ収録したステレオ録音では、全般に速目のテンポで、素晴らしい演奏を聴かせてくれます。特に、偶数楽章の違いが顕著です。

■スメタナ四重奏団 (モノラル録音)
I=11'20" II=11'25" III=3'25" IV=10'05" total=36'15"
■スメタナ四重奏団 (ステレオ録音)
I=11'06" II=10'19" III=3'14" IV=9'02" total=33'41"

(*):シューベルトの本当の死因は?~シューベルトの死の真相に迫る~
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ゴールデンウィークの初日にもかかわらず

2007年04月28日 20時19分43秒 | Weblog
ゴールデン・ウィークの初日にもかかわらず、連休後の仕事の段取りのために出勤し、帰宅して一安心。これで、ゆっくり休めます。夕方から気温が下がり、暖房を入れました。昨晩の酒席の疲れもあり、なんとも眠い眠い。今晩は軽く食事をすませたので、少し本を読み、早く休みたいと思います。

さて、明日からの連休をどう過ごそうかと思案中。桃の花摘みも必要ですし、たぶん野菜畑も待っていることでしょう。終わったら、家内とドライブにでもでかけましょう。ドライブの音楽は、尾高尚忠「フルート協奏曲」あたりか。季節は爽やか、ツルが絡まる藪椿もそろそろ花の終わりです。先日来読んでいるヒルトンの『心の旅路』ですが、やっぱり原作のほうが脇役に味があります。
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2007-2008年の山形交響楽団定期演奏会など

2007年04月27日 06時15分30秒 | -オーケストラ
山形交響楽団の定期演奏会等のスケジュールは、すでにパンフレットやウェブサイト等で公表(*)されています。この中で、個人的に注目のプログラムをピックアップしてみると、次のようになります。

まず、5月の定期演奏会では、山響レジデント・コンポーザーの千住明さんの作品:映像音楽による組曲「白神山地~命育てる森」(横笛とオーケストラのための)と、グリーグのピアノ協奏曲、それにムソルグスキーの「展覧会の絵」。どれも実演では初めて。指揮は飯森範親さん、ピアノがコルネリア・ヘルマンさん、篠笛が柴田旺山さんです。(以下、初出以外は敬称略)、5月12日(土)、13日(日)、山形テルサホール。

7月定期はロシアもの。チャイコフスキーのスラブ行進曲とプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番。プロコフィエフにしては静謐な印象を受ける曲だったように記憶しているが、どうだったろうか。カリンニコフの交響曲第1番は、夭折した旋律家の曲を実演で聞けて嬉しいところ。7月21日(土)、山形テルサホール。飯森範親指揮、アナスタシア・チェボタリョウーワさんのヴァイオリンです。

8月には、モーツァルトの交響曲全曲演奏がスタートします。交響曲ヘ長調と第5番のヴァイオリン協奏曲「トルコ風」、それに響きの美しい交響曲第39番が聞けます。39番の交響曲は大好きな曲なので嬉しい。飯森範親指揮、8月11日(土)、山形テルサホール。

8月定期は、阪哲朗さんがゲスト指揮。シェーンベルクの「浄夜」とベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。これは指揮者も含めてウィーンつながりでしょうか。8月25日(土)、山形県民会館。

10月も、モーツァルトの交響曲全曲演奏の第2弾。交響曲第4番とピアノ協奏曲第20番、それに交響曲第31番です。飯森範親指揮、ピアノ独奏は河村尚子さん。10月6日(土)、山形テルサホール。


11月は、ブラームスのセレナード第2番、クララ・シューマンのイ短調のピアノ協奏曲、R.シューマンの交響曲第3番「ライン」を、飯森範親指揮、三浦友理枝(Pf)さんのソロで。シューマン大好きな私にとって、これはたいへん期待大ですね。11月24日(土)25日(日)、山形テルサホール。

12月は、エルガーのセレナードと黛敏郎のシロフォンのためのコンチェルティーノ、ショスタコーヴィチの交響曲第1番と第9番。指揮は藤岡幸夫さん、マリンバは三村奈々恵さん。12月15日(土)、山形県民会館。

2008年1月は飯森範親指揮のニューイヤーコンサートで、ヨハン・シュトラウスの皇帝円舞曲、「美しき青きドナウ」等のワルツ、ポルカ、そしてドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」。これは楽しそう。盛り上がりそうですね。1月26日(土)、27日(日)、山形テルサホール。

2月には、モーツァルト交響曲全曲演奏第3弾。交響曲第5番、第26番、実に美しい響きの第29番、そしてファゴット協奏曲。飯森範親指揮で、独奏は山響のすてきなファゴット奏者の高橋あけみさん。これも我家の特大ぼたもちくらいに期待大です(^_^)/
期日と会場は、2月9日(土)、山形テルサホール。

3月は、イジー・シュトルンツ指揮、及川浩治(Pf)さんの演奏で、リストの交響詩「レ・プレリュード」、バルトークの「ピアノ協奏曲第3番」、ドヴォルザークの序曲「オセロ」、コダーイのハンガリー民謡「孔雀」による変奏曲。これもなかなかいいプログラムですね。3月16日(日)、山形県民会館。

(*):2007年度山形交響楽団自主演奏会
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小室等さんの好きな藤沢周平作品「山桜」を読む

2007年04月26日 06時07分42秒 | -藤沢周平
当地のNHK総合テレビで、ときどき著名人が好きな藤沢周平作品を取り上げて紹介する番組を放送します。6時30分過ぎの時間帯で、NHKの番組表で調べても出てこないところをみると、どうやらローカル放送のよう(*)ですが、4月25日(水)はなんと小室等さんが登場、すっかり白くなった頭と髭に驚き、思わず懐かしくなりました。紹介された作品は、新潮文庫『時雨みち』から「山桜」でした。

嫁ぎ先で夫に死なれた野江は、再嫁した家が一家を挙げて金貸しを通じ蓄財に狂奔していることも、出戻りの自分を軽んじる空気にも、どうしてもなじめません。墓参りの途中、山桜に手を伸ばし、手折ろうとして届かないとき、後ろから声をかけられます。それは、再婚相手として一時縁談のあった手塚弥一郎でした。去水流の剣の達人と言う触れ込みについ粗暴な男を連想し、断ったのでしたが、初めて声を交わした手塚は、穏やかな目をした長身の武士だったのです。

ずっと独り身で、自分のことを気遣ってくれる人がいることに心を動かされ、また離縁されることをあの方は喜ばないだろうと考えて、野江はもう一度夫とやり直すよう努力してみようと決心します。しかし、その年の暮れに、手塚弥一郎は藩の名家をかさにきて横暴にも一部の富農を富ますだけの政策をごりおしする諏訪平右衛門を城中で刺殺し、獄舎に拘束されます。夫から離縁された野江は、翌春、山桜の枝を抱いて手塚のいない家を訪ねます。誰も訪ねる人もいないその家では、思いがけず上品な弥一郎の母が、野江を心から優しく迎えるのです。

挨拶より先に、その花をいただきましょう、しおれるといけませんから、と弥一郎の母は言い、野江の手から桜の枝を受け取ると、また上がってくれとすすめた。
履物を脱ぎかけて、野江は不意に式台に手をかけると土間にうずくまった。ほとばしるように、眼から涙があふれ落ちるのを感じる。とり返しのつかない回り道をしたことが、はっきりとわかっていた。ここが私の来る家だったのだ。この家が、そうだったのだ。なぜもっと早く気づかなかったのだろう。

この場面、小室等さんも絶賛しておりました。まったく同感です。山桜ではありませんが、桜の季節になると、この短篇を思い出します。篠原哲雄監督で、「山桜」も映画化される(*2)そうな。庄内ロケだそうで、これも今から楽しみです。

【追記】
下の記事によれば、ローカル放送ではない糢様。BShで放送されたものの再放送だったようです。
(*):「藤沢周平 山桜」~「ばーばの独り言」より
(*2):映画「山桜」を見る~「電網郊外散歩道」
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早起きして聴く音楽

2007年04月25日 06時06分01秒 | -オーケストラ
年のせいか、今朝も5時半に起床。遅くとも6時には目がさめます。最近は、ラジカセの目覚しの音楽が鳴り出す前に起き出すようになってしまいました。コーヒーをいれ、まだ寝ている家族を起こさないように、デスク上の小さなスピーカで静かに音楽を聴きます。今朝は、またまたドヴォルザークの交響曲第8番を、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管の演奏で。音量は絞っていても、流れる音楽は豊かです。何度聴いても、実にいい曲、いい演奏ですねぇ。

当地の桜はまさに満開。桃の花も咲き始めました。春爛漫であります。
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『藤沢周平未刊行初期短篇』執筆時期の秘密

2007年04月24日 06時10分33秒 | -藤沢周平
文藝春秋社から発行された『藤沢周平未刊行初期短篇』について、先に執筆時期を「昭和37年11月から39年の8月号の月刊雑誌に発表された、藤沢周平が最初の夫人である悦子さんと暮らした時期、しかも娘が生まれ(38年2月)妻が病死する(38年10月)、まさにその時期の作品群」と紹介(*)しました。

これを書きながら、不思議に思ったことがありました。それは、業界新聞に勤務しながら、しかも妻の発病と死という過酷な時期に、なぜ小説など書く余裕があったのだろうか、という点でした。

地元紙の木曜日の夕刊に連続して特集されている藤沢周平没後10年の記念の記事に、まさにその疑問に答えた記事が掲載されました。筆者は、藤沢周平氏が入学した山形大学の同期生で、ずっと交友の深かった蒲生芳郎氏です。

蒲生氏は、平成19年4月19日付けの山形新聞夕刊で、「死にゆく妻を看取る合間に、その枕辺で」書き続けたのは、「今にも崩折れそうな精神を書くことによって支えようとする作家魂というよりは、妻の命を一日でも長かれと未認可の特効薬を買い求めながらの入院費を支えるための血の滲むような作業だったかもしれない」と書いています。

藤沢周平『半生の記』では、この間の事情は詳しくは語っていませんし、作者自身は年譜に対してもこれらの初期作品を秘匿したように見えます。妻の発病と入院、闘病生活を支えるため、お金のために作品を書き、それが空しい結果となったとき、小説を書く目標は明確に違ったものになったのではないか。妻の死によって中断された雑誌連載は、ほぼ一年間の沈黙に変わります。この沈黙の時期に、運命の不条理に憤る作家・藤沢周平への再生が行われたのかもしれません。

(*):「藤沢周平未刊行初期短編」を読む
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スークとルージイッチコヴァの演奏でヘンデルのヴァイオリン・ソナタ集を聴く

2007年04月23日 06時45分09秒 | -室内楽
ヨセフ・スーク(Vn)とズザナ・ルージイッチコヴァ(Hrpsc)の演奏で、G.F.ヘンデルのヴァイオリン・ソナタを聴きました。1975年の6月末と7月初に、フランスのトゥール近郊のベルナディエールのグランジェにて、とあります。DENON最初期のPCMデジタル録音です。

ヘンデルのヴァイオリン・ソナタは、いずれも伸びやかで、聴いているとゆったりした気分になります。特に季節の良い時には、気分のいいものです。スークのヴァイオリン「レスリー・テイト」(1710年製ストラディヴァリ)の音は、彼の新しい録音に比べると、ごくわずかですがきつく感じられるところもありますので、音量は抑え目にします。このあたりは、A/Dコンバータも手作りだった初期デジタル録音特有の、機器の技術的な制約によるものかもしれません。

全部で12曲あるというヴァイオリン・ソロのためのソナタが本当に全部がヘンデル作のものかどうか、疑問視されているようですが、このCDではヘンデル作とされている(らしい)次の6曲が収録されています。

ソナタ 第1番 イ長調、作品1の3
ソナタ 第2番 ト短調、作品1の10
ソナタ 第3番 ヘ長調、作品1の12
ソナタ 第4番 ニ長調、作品1の13
ソナタ 第5番 イ長調、作品1の14
ソナタ 第6番 ホ長調、作品1の15

どれもすてきな音楽ですが、特にお気に入りは、いかにもヘンデルらしい伸びやかな出だしの第1番イ長調と、印象的な第1楽章アフェットゥオーソを持つ第4番でしょうか。ルージイッチコヴァのハープシコードはリズムがとても清潔・明快です。時折低音で切り込むような強さを見せると、高音でヴァイオリンが美しく奏され、対照的な効果を示します。実にいいコンビです。

発売当時、3300円の正規版で購入した高価なCD(33CO-1584)でしたが、今ではクレスト1000シリーズに入るなど、手軽に聴けるようになっているようです。耳元でガンガン鳴らすのには向きませんが、部屋で静かにヘンデルのヴァイオリン・ソナタを楽しめる、いい演奏だと思います。

写真は、今が花盛りの、わが家の水仙です。
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泉嗣彦『医師がすすめるウォーキング』を読む

2007年04月22日 17時33分09秒 | -ノンフィクション
以前、結婚以来25年以上、同じ体重を維持していると豪語しました(*1,*2)が、宴会の会場となった温泉で何気なしに体重計に乗ったら、なんと!3キロも増えているではありませんか。いつのまに!とびっくり。

BMI値は22~23とまだまだ良好の部類ですが、考えてみたら、職場が変わって以来、毎日の歩数が5000歩程度に減少しておりました。前の職場では日常的に8000歩は歩いておりましたので、間違いなく運動不足です。しかも、冬場の休日にはどっかと腰を落ち着けて音楽やパソコン三昧。休日の歩数にいたっては3000歩いくかどうかといったていたらくです。これではならじと、ウォーキングを意識的に再開。



そんな折に見つけたのが本書『医師がすすめるウォーキング』(集英社新書)です。

運動不足だということは、皆さん充分にわかっているのです。でも、人間は習慣の動物です。非日常の行為はなかなか長続きしません。そこで、本書の提案は「日常生活で活動的により多く歩くだけでも、かなりの効果がある」ことに気づくこと。特に、腹囲85cmという基準が話題となっている「付きやすく落ちやすい」内臓脂肪型肥満には効果的、とのこと。

本書で紹介している「歩かなくなっている中年男性」の典型的な例、すなわち
(1) 毎日忙しく飛び回るが車での移動がほとんど、
(2) デスクワーク時には座りきりになる日が続き、全く身体を動かす機会がない、
という指摘は、ずきっと心当たりが。
特に、肥満と筋肉の衰えがインスリン抵抗性を招き、糖尿病等の多重危険因子となりうる、という指摘にはさらにずきっと危うさを覚えます。

ライフスタイル・ウォーキングの効果の目安は6週間とのこと、約1ヶ月半ですから、意外に早く現れるようです。

本書の後半は、歩くことと好きなことを結び付けようという提案で、こちらはあまり目新しいものではありません。音楽を聞き、カメラとメモ帳を持ち、アウトドア風にお茶を楽しむくらいは私もすでに実践済み。

そんな偉そうなことを言わずに、ちゃんと実行しなさい、と著者に叱られそうですね(^_^;)>poripori

で、雨の中を桜見物に行ってきました。車を降り、カサをさして川沿いに散策。雨降りで誰もいませんので、悠々と写真撮影ができました。







こちらは増水する川の流れです。



【「電網郊外散歩道」の過去記事より】
(*1):25年間、同じ体重を維持できた理由
(*2):食事を抜くと太る理由
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椿の丘を歩く

2007年04月22日 05時56分05秒 | 散歩・外出・旅行
陽気に誘われて、散歩に出ました。ほとんど人に知られていない、私だけの散歩コースに小さな丘があり、写真のように椿が咲いています。やわらかな枯葉とコケをふみしめて歩くと、ぷうんと甘い花の香りがします。春ですねぇ。四月の下旬から五月にかけて、一斉に花開く東北の春は、桜だけではない、樹々と花々の多重奏の季節です。
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芸術劇場で「コシ・ファン・トゥッテ」を聴く

2007年04月21日 13時34分15秒 | -オペラ・声楽
この4月から金曜夜に移動したNHKの「芸術劇場」、昨日20日はグラインドボーン音楽祭のモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」のハイライト版による放送でした。

以前、山響のコンサートスタイルの日本語公演(*)を楽しみました。お若い方々にはやや辛辣な台本でしょうが、人生の折り返し点を通過した夫婦にはたいそう楽しめる歌芝居でした。
「女はみなこうしたもの~あるいは人生の学校」という題名の、ロレンツォ・ダ・ポンテによる台本の演劇的・心理的解釈はともかくとして、録画した二時間弱のハイライト版で、生き生きとしたモーツァルトの音楽をじゅうぶんに満喫できました。

イヴァン・フィッシャー指揮の序曲は、モーツァルトらしい劇的な迫力があります。
第一幕開幕の直後は、若い二人の青年と人生経験の豊かな哲学者による三重唱。続いて若い姉妹による二重唱、哲学者がやってきて恋人たちの従軍を告げ、二組の恋人と哲学者による五重唱になります。
恋人達が去った後、姉妹がアリアとレチタティーヴォで心のうちを歌い、小間使いが世知にたけた現実的な処世法(?)を助言します。哲学者がやってきて変装した二人の若者を紹介します。はじめは恋人達の心を信じ陽気にふざける二人と哲学者の三重奏ですが、しだいに雲行きが怪しくなってきます。このあたりは、音楽による心理劇でしょう。

第二幕も、姉妹と小間使いのレチタティーヴォで始まり、姉妹の心変りの過程が描かれます。初めは妹のほうから。妹と青年の二重唱は、一方の陥落の象徴でしょう。姉の苦悩はもう一人の青年の喜びになります。そしてついに姉と別の青年の二重唱。青年達は二人とも驚愕と絶望に。小間使い扮する公証人の前で結婚契約書が作られたちょうどそこへ出征したはずの恋人達が帰還。
終景は和解に至る声によるアンサンブルです。二組の恋人たちの怒りと謝罪、哲学者のとりなしと助言、小間使いのしたたかな独白とが重なりあい、何度聴いても素晴らしい重唱です。

はじめはシンメトリーを保っていた若い恋人たちが、解体され組合せを変えられて不安定な状態に置かれ、やがて再びシンメトリーの状態に戻る。ただし、最初の状態とは異なり、副題どおり人生の学校を通過した後です。

【出演】
フェルランド:トピ・レーティプー
グリエルモ:ルカ・ピサロニ
フィオルディリージ:ミア・ペルソン
ドラベッラ:アンケ・フォンドゥング
デスピーナ:エンホア・ガルメンディア ほか
【演奏】
合唱:グラインドボーン合唱団
管弦楽:エイジ・オブ・エンライトンメント・オーケストラ
指揮:イヴァン・フィッシャー
演出:ニコラス・ヒンター
【収録】
2006年6月27日、7月1日 グラインドボーン音楽祭歌劇場(イギリス)

配役は、フィオルディリージとドラベッラ役の二人は、まだ若い娘心を好演。フェルランドとグリエルモ役の二人は一途で危険な要素も持った青年を、ほとんど地で好演しています。哲学者もなかなかかっこいい。毎度毎度笑えるのが小間使いのデスピーナですが、小柄なエンホア・ガルメンディアが憎めずかわいくて上手です。

(*):山響のモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」を楽しむ
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ひげそりについて

2007年04月20日 06時38分28秒 | Weblog
毎朝ひげを剃る習慣は、なんとも面倒に感じられることがあります。若い時分には、電気ひげそりでジージーと剃っていましたが、最近は剃り残しが目立つようになり、剃刀でショリショリと剃っています。朝、お湯であごの周囲をむらし、石鹸でひげをあたると、さっぱりとして気持ちのいいものです。

写真は、もう40年近く前に、生まれて初めて購入した高級電気ひげそり。これは使いやすかった記憶があります。現在は電気ひげそりは使わず、もっぱら石けんでジョリジョリ。お気に入りのひげそりは、Schick の使い捨てのもの。刃が皮膚に当たる角度が絶妙で、そりやすいのが good です。

私がひげを剃るのを毎日見てきた家内、「ひげなんて、どうして生えて来るのよ」とのたまう。私「お化粧なんてどうしてするのよ」と返します。もうこの会話もン十年。すでに定番になりました。
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山形弦楽四重奏団第23回定期演奏会を聴く

2007年04月19日 20時26分00秒 | -室内楽
昨晩、山形市の文翔館議場ホールで行われた、山弦こと山形弦楽四重奏団(*1)の第23回定期演奏会に行ってきました。これまで何度も機会を逃し、今度こそ!と出かけたものです。18時の開場後、18時15分からアンサンブル・ピノ(*2)のプレコンサートがあり、タネーエフの弦楽三重奏曲ニ長調、作品21の第3楽章と第4楽章を聴きました。アンサンブル・ピノは、山形交響楽団員の黒瀬美さん(Vn)、城香菜子さん(Vn)と田中知子さん(Vla)の3人が結成した珍しい編成の弦楽トリオです。5月20日(日)18時30分から、この曲を含む第1回定期演奏会を、同じ議場ホールで開催するということです。

本番の山弦第23回定期のほうは、中島光之さんのプレトークから。今日のプログラムは、

F.J.ハイドン 弦楽四重奏曲ニ短調、作品103「遺作」
佐藤敏直 弦楽四重奏曲のための「モルト・アダージョ」
L.V.ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第8番ホ短調、作品59-2「ラズモフスキー第2番」

となっています。ハイドンのほうは、このカルテットが68曲全曲演奏を目指しているもので、毎回プログラムに取り上げています。佐藤敏直さん(1936~2002)は、山形県鶴岡市の生まれで、疎開時に鶴岡に過ごし、音楽三昧の生活を送ったもよう。鶴岡三中時代に出会った音楽の三井直先生の影響が大きく、慶応で電気工学を専攻しながら作曲を志したとのこと。日本音楽コンクール作曲部門審査員等を歴任した方だそうで、合唱曲などでお名前を拝見したことはあるような気がしますが、室内楽作品を聴くのはもちろん初めてです。今回は、夫人のご協力で楽譜を入手したとのこと、初演したイソ弦楽四重奏団もそうですが、作曲家の郷里で地道な活動を続けるカルテットが取り上げる、意義ある演奏会と思いました。

さて、ハイドン「遺作」は、駒込綾さんが第1ヴァイオリンをつとめ、第1楽章はゆったりしたアンダンテでいかにもハイドンらしい音楽、しかし第2楽章は悲しげな緊張感もある作品です。ハイドンの弦楽四重奏曲が大好きな私には貴重な実演に接する機会です。嬉しい。

続いて佐藤敏直さんの作品。中島光之さんが第1ヴァイオリンをつとめます。倉田さんのヴィオラが静かに始まり、茂木さんのチェロがバゥンと入ります。民謡の歌いだしのようです。ヴァイオリンが入ってくると、厳しい不協和音やチェロの激しい力強い音なども展開され、訴える力の強い音楽です。内面の激しさが感じられます。
解説によれば、「ニューヨークでピカソの『ゲルニカ』を見たときの驚きが丸木夫妻の原爆の図と重なって、一つのレクイエムとして発想された」曲とのこと。統一地方選挙で選挙カーが走る中、核兵器廃絶を訴えた市長が撃たれ亡くなるという事件に哀悼の意を捧げる音楽のようにさえ感じました。

実は、この演奏会には佐藤敏直さんの奥様が参加されており、演奏のあと中島さんが紹介すると、会場から大きな拍手がおくられました。この曲は、来月の藤島での演奏会でも取り上げる予定とのことです。



写真は休憩時の様子ですが、この後の3曲目はベートーヴェンの「ラズモフスキー第2番」です。
第1楽章、アレグロ。始まりの「ジャッ・ジャッ」というたたきつけるような和音が厳しい緊迫感を感じさせ、続く音楽も、なにか荒々しい印象です。
第2楽章、モルト・アダージョ。バッハのコラールのような息の長い旋律がたっぷりと奏されます。技術的なことはわかりませんが、たんに歌っているだけではなくて、何か作曲上の複雑なことをやっていそうな雰囲気です。
第3楽章、スケルツォ、アレグレット。中間部の主題にロシア民謡が取り上げられているのだそうです。依頼者のラズモフスキー伯へのサービスでしょうか。
第4楽章、プレスト。ギャロップのような速い快活な音楽。とにかくエネルギッシュで、スタミナを要求される音楽のようです。演奏の四人も真剣な表情で、第2ヴァイオリンとヴィオラのかけあいなど、第1ヴァイオリンやチェロなどの「歌う」パートだけでなく、アンサンブルの面白さを満喫できました。

アンコールは、再び駒込さんが第1ヴァイオリンに代わり、ハイドンの作品77の1の弦楽四重奏曲の第1楽章を。次回の予告にもなっているのかなと思ったら、番号が1つ違いました。

実はこの演奏会、聴衆のほうがなんとも国際的で、あちこちで英語がとびかうのが聞こえました。たいへん落ち着いた雰囲気で、年配者も多いのですが、見たところ若い人も少なくないようです。もっとも、若いといっても30代以上ですけれど。
実際、ホールの入口からお手洗いに通じる途中の部屋に託児所が設けられており演奏家の人たちだけでなく、、若いお母さんも室内楽を楽しめるようになっているようでした。このあたりも、スゴイなぁ、と思います。

その次回の予定は、

7月8日(日)、14時開演、文翔館議場ホール、全席自由、1000円。
【曲目】
スメタナ 弦楽四重奏曲第1番ホ短調「わが生涯より」
モーツァルト 弦楽四重奏曲第1番ト長調K.80(73f)「ローディー」
ハイドン 弦楽四重奏曲ト長調、作品76-1

となっているそうです。今から楽しみです。

(*1):山形弦楽四重奏団の公式ページ
(*2):アンサンブル・ピノの公式ページ
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『ながい坂』と『風の果て』

2007年04月18日 06時24分55秒 | -藤沢周平
先日、藤沢周平の『風の果て』上下巻を読み終えた勢いで、山本周五郎の『ながい坂』を読みました。この二つの作品は、物語の構造と言う点で、よく似た面があると感じます。どちらも剣の腕の立つ下級武士が出世して藩の執政等、臣下のトップになる話ですし、その間の権力闘争が描かれるところも共通です。引き立てる君主が暗愚ではなく、英明なところも共通でしょう。荒地の開墾が舞台として重視されるところも似ていますし、藩の財政窮乏で資金源を大商人にあおがざるをえないところも共通です。複数の女性が登場し、一方は無理解で、他方は日陰の理解者、というところも似ています。そういう意味で、物語の基本的な構造に共通性を感じるのだと思います。

しかし、この二つの作品は、たとえば次の点でだいぶことなっています。

まず、『ながい坂』の主人公は、主君を除き、家族にも周囲にも理解されず、きわめて孤独な存在ですが、『風の果て』の方は若い時分の友情とその結末を描き、決して孤独な存在ではありません。最後の野瀬市之丞との果し合いにしても、旧友を討ち取った辛い体験から歪んでしまった半生と死病の結末を、ライバルであり理解者でもあった隼太との対決によって幕を引くことを望んだ、とも読み取れます。「どーせ死ぬなら、あいつも道連れにするか、あいつの手にかかって死にたい」という境地でしょうか。

また、『ながい坂』では、おてんばじゃじゃ馬娘が結局は主人公にくびったけになりますが、『風の果て』では母娘ともにわがままし放題の悪妻のままです。出世してから物欲のないのが救いだと書かれてはいますが、女性の見方はかなりリアルです。
濡れ場の描き方もだいぶ違います。『ながい坂』では、銀杏屋敷の場面など少々下品な描写があり、作品の印象をだいぶ落としていますが、『風の果て』では出戻りの下女の真情を抑制された筆致で描いています。

山本周五郎『ながい坂』の初出は昭和41年、藤沢周平『風の果て』の初出は昭和60年。
1950年代の米ミュージカル映画に登場する可憐で可愛いヒロインの性格と、「マイフェアレディ」のような可愛いだけではないヒロインの描き方のように、時代の差というものがあるのでしょうか、それともあくまでも作家の個性の範囲にとどまるものでしょうか。
興味深いところです。
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