電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

シューマンの交響曲第3番「ライン」を聞く

2006年09月30日 10時48分40秒 | -オーケストラ
ここしばらく、通勤の音楽にずっとシューマンの交響曲第3番「ライン」を聞いておりました。演奏は、オトマール・スゥイトナー指揮ベルリン・シュターツカペレ、1986年に東ベルリン(当時)のイエス・キリスト教会でデジタル録音された、DENONのCD(COCO-70496)です。

この曲は、通常4楽章からなる古典派交響曲とは異り、5楽章からなる構成を取っています。病気が次第に進行し、脳梅毒による運動機能障碍の徴候が隠せなくなってきた頃、ドレスデンからデュッセルドルフに転居したシューマン40歳(1950年)の作品。社会的にも働き盛り、家庭的にも子育ての大切な時期です。半生の経験と知識を傾注した、堂々たる作品だと思います。

第1楽章、ベートーヴェンの「エロイカ」と同じ変ホ長調、いきいきと。大きな曲の始まりを感じさせます。この楽章は、速いテンポで演奏しても曲想にマッチするように思いますが、ここでは堂々としたテンポで響きは柔らかく、をモットーにしているようで、金管楽器の響きがとてもきれいです。
第2楽章、ハ長調、きわめて穏やかに。のどかないい音楽です。
第3楽章、変イ長調、速くなく。こちらもゆるやかで夢見るような音楽。解説を見て気づきましたが、そういえば金管楽器やティンパニが活躍しません。
第4楽章、変ロ短調、壮麗に。ケルン大聖堂の大司教が枢機卿に推挙された折の祝典が発想の元になっているのだとか。ホ短調の、いかにも交響曲!という雰囲気を持った壮麗な音楽です。シューマンがこういう音楽を書いたときに念頭にあったのは、メンデルスゾーンが復興に尽力したバッハのオルガン音楽だったのでしょうか。
第5楽章、いきいきと。再び変ホ長調に戻ります。ファンファーレのようなトランペットが随所に活躍し、ティンパニが決然とリズムを刻み、祝典的な気分で終わります。スカッとする終わり方です。

スゥイトナー盤は、比較的ゆっくりめのテンポで、たたみかけるような緊迫感や居丈高な壮麗さよりは、ゆったりとしたおおらかなイメージを描かせる演奏で、曲の感じとよくあっているように思います。通勤の音楽にはとてもあいますし、今日のようなお天気の良い休日に、コーヒーを飲みながらシンフォニーを聞いてほっと一息、という時にもいいものです。

シューマンの「ライン」交響曲は、このほかに DENON My Classic Gallery シリーズの一つ、GES-9215 に収録された、ローベルト・ヘーゲル指揮バンベルク交響楽団の演奏も聞いています。スゥイトナー盤もかなりゆっくりめのテンポですが、こちらは第1楽章のさらにゆっくりしたテンポが印象的。とても堂々とした感じを受けます。
できれば、快速テンポの演奏も聴いてみたい気がしますが、ここはやはりジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団のスタジオ録音のCDを探したいところです。

ちなみに、表記されたローベルト・ヘーゲルとは誰のことかと思ったら、ロベルト・ヘーガー教授のことらしい。Wikipediaの「ベルリン国立歌劇場」という記事(*)に出てきました。

参考までに、演奏データを示します。
■スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレ
I=10'40" II=6'46" III=6'39" IV=5'22" V=6'30" total=35'57"
■ローベルト・ヘーゲル指揮バンベルク交響楽団
I=11'02" II=6'10" III=5'50" IV=5'48" V=6'18" total=35'08"

写真は、旧山形県議会を修復した議場ホール。マイクロホンのなかった時代に、肉声がよく通るように作られたせいでしょうか、収容人数は小規模ですが室内楽や声楽のリサイタルなどには絶好の、とても音響と雰囲気のよいホールです。撮影した日は、たまたま吹奏楽アンサンブルの演奏会の仕込みをしていました。

(*):Wikipediaより「ベルリン国立歌劇場」の記事
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デュマ『モンテ・クリスト伯』を読む(3)~ダンテス、ファリャ神父に出会う

2006年09月29日 06時48分31秒 | -外国文学
アレクサンドル・デュマの大作『モンテ・クリスト伯』、ダンテスは無実の罪を着たまま、シャトー・ディフ(イフ城)(*)の牢獄に幽閉されてしまいます。初めは待ち、不審をいだき、怒り、絶望し、ついには緩慢な衰弱死を決意しますが、牢獄の壁の向こうにかすかな物音を聞きます。それは、イタリア独立を画策し、ナポレオンによって幽閉されたイタリア人のファリャ神父でした。脱走の通路とすべく掘り進んだ地下道が、計算の誤りで海へ通じずにダンテスの土牢に到達したのでした。
気も狂わんばかりの孤独に陥っていたダンテスは、ファリャ神父の驚くべき工夫を見、その人柄と学識に打たれます。ダンテスの境遇を聞いたファリャ神父が導いた結論は、「密告により利益を得る者を思え」でした。ダングラールとフェルナンとカドルッスの三人が飲んでいたテーブルには、ぶどう酒のほかに紙とインクとペンがあった。そして、検事代理ヴィルフォールが密かに焼却したナポレオンからの手紙は、ノワルティエ・ド・ヴィルフォール、すなわち検事代理の父親にあてたものだったのです。
真相はあまりにも単純でした。復讐を誓ったダンテスは、神父の元で学問に励みます。

デュマの『モンテ・クリスト伯』、今新刊で求めようとすると、子供用をのぞけばなんと岩波文庫の七冊本しかないのですね。古い訳で、こんなサイト(*2)を辞書がわりにしながら読んでいる人もおられるようで。私は集英社の世界文学全集の中の、松下和則・彩子訳を呼んでいますが、こちらは訳が新しく、よみやすいです。古書店などで文学全集の分売があれば、そのほうが入手しやすいのかもしれません。しかし、こういう古典的名作は、「図書館に行って読め」ということなのか。文化として理解しがたい状況でありますな。

(*):シャトー・ディフの遠景~Wikipediaの「モンテ・クリスト伯」解説より

(*2):岩波版「モンテクリスト伯」を読むための用語集
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ネコの水のみ

2006年09月28日 05時00分31秒 | アホ猫
ネコも水を飲みます。ただし、わが家の元気ネコは、夏場は氷の入った水か、新鮮な水道の水がお気に入りで、くみおきの生ぬるい水には見向きもしません。ごらんのように洗濯機の脱水槽のフタに飛び乗り、流れ落ちる水をぴちゃぴちゃ飲みます。これなら猫舌でも大丈夫、というわけでもないでしょうが、いやはやなんとも、擬人的な光景ではあります。「そろそろ洗濯機を替えたいね」「フニャー(とんでもない!)」と言ったとか言わなかったとか。
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『藤沢周平 父の周辺』を読む

2006年09月27日 04時26分43秒 | -藤沢周平
本書は、獄医立花登シリーズのヒロインおちえのモデルと言われる、藤沢周平の一人娘、遠藤展子さんが、藤沢周平をはじめとする家族の素顔を語った本です。何気ない、素朴な筆致の中に、初めて納得できた父あるいは夫としての藤沢周平とその家族の「秘密」がたくさんつまっていました。ほんとうに一気に読みました。

心に残った第一は、藤沢周平の再婚相手であり、著者の育ての母親となった女性のエピソードの数々です。近所の人のステレオタイプの一言「ママハハだから大変だね」に、幼稚園児だった著者が「お母さん、ママハハってなぁに?」と質問する。するとお母さんが「ママと母と両方だから、普通のママより二倍すごいママなのよ」と答えるのです。これはすごい。もしかしたら、そんな質問が出るようになったらなんと答えようかと、夫と相談していたのかもしれない、とも思います。内心「来た!」と思いながら、「それはね・・・」
再婚を決意するあたりのエピソードも、藤沢周平らしい。病弱で貧乏で子持ちで腰の曲がった母親のいる無口なお父さんのどこが良くて結婚を決意したのかと問う娘に、実はデートの後に必ず届く手紙だった、と秘密を打ち明けるお母さんは、娘に何を伝えようとしたのでしょう。
「母の入院」に描かれた、「奥さんを、二人もらって、二人とも癌になるなんて・・・」という独白は、夫・藤沢周平の苦悩をよく伝えているように思います。

本来は父の日常を描く本の冒頭から続くお母さんの話。作家・藤沢周平を支え、生母を失った幼い少女を育てた女性の姿を、娘が静かに語ります。その語り口に、強い意志を感じます。たぶんそれは、作家の失われた恋が大切なのと同様に、むしろそれ以上に、年月の中で親子が刻んだ普通の何気ない日常が大切なのよ、ということかもしれません。以前、「『蝉しぐれ』、あらためて原作の厚みを思う」という記事を書きましたが、本書によって、ますます同じ思いを深くしました。

(*):「蝉しぐれ」、あらためて原作の厚みを思う
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花は散るからこそ美しい

2006年09月26日 05時37分52秒 | 散歩・外出・旅行
何かが足りない、何かが欠けている、という飢餓感、欠乏感は、ふつう充足すべきものと認識されます。足りないからいいのだ、欠けているからいいのだ、とはみなされません。色彩豊かな花の乏しい季節に部屋を飾った造花は、決して散ることもなく色あせもせず、やがて存在さえも忘れられていきます。
散ることのない造花は目にすら入らない。しかし、季節がめぐり、本物の花が咲いたときには、わずか数日の花の色を惜しみます。やがて失われるものの価値。そして再会する喜び。毎年毎年、果樹園に咲く黄色いバラに、そんなことを思います。

今朝も早くから目が覚めてしまいました。今、ようやく新聞配達の車が来たようです。朝のコーヒーがおいしい。家人を起さないように、イヤホンでシューマンの交響曲第3番「ライン」を聞いています。オトマール・スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレの演奏です。
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ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」プロローグと第1幕を見る

2006年09月25日 21時11分59秒 | -オペラ・声楽
ヴェルディの第20番目のオペラ、「シモン・ボッカネグラ」のプロローグと第1幕第1場を見ました。先に入手したのは良かったのですが、家庭の平和を優先し、某隣国のドラマにおつきあいをしたために、これまで見る機会を得なかったものです(^_^;)/

さて、2002年6月、フィレンツェ歌劇場の照明が暗くなると、げっそりと頬のこけた指揮者クラウディオ・アバドが登場します。病が癒えたばかりの頃でしょうか、それでも指揮が始まると、波間に漂うようなヴェルディの不思議な音楽で、プロローグが始まります。

青い光の中の幕開きは海を表す演出でしょうか、舞台は平民派と貴族派が対立する誇り高き海洋国家ジェノヴァ(*)共和国です。平民派の有力者パオロが同じ階級のピエトロに、新総督として海賊の頭シモン・ボッカネグラを推すよう働きかけます。パオロはシモンを呼び寄せ、貴族階級の父(フィエスコ)に幽閉されている恋人マリアを救うためにも、シモンに総督になることを承諾させます。

赤の衣装と青の衣装は、平民派と貴族派の対立を表すのでしょうか、幽閉された美しい娘マリアの姿が見えなくなって久しく、扉が開くのは尊大な貴族に対してだけだとパオロは民衆を扇動し、民衆はシモンを候補とすることに同意します。

貴族フィエスコは、シモンを愛し幽閉された娘マリアの死を悲しみ、その原因となったシモンを憎みます。マリアの死を知らないシモンは恋人の父に和解を求めますが、遺児を渡すよう求められ、行方不明になっていると告げて和解を拒絶されます。館に入ったシモンは、恋人マリアの死骸を目にして呆然としますが、民衆が新総督の選出を喜び、シモンを取り巻き熱狂します。

第1幕は、プロローグから25年後のジェノヴァ。青い光が美しい、海の見える夜明けの音楽で始まります。「このほの暗い夜明けに」を歌うアメリアのもとへ、若い恋人ガブリエーレ・アドルノが訪れ、アメリアは喜びます。そこへ侍女が総督の使いの来訪を告げます。これは、腹心のパオロとアメリアとの結婚を仲介するためでした。しかし、アメリアはシモンに自分の出生の秘密を告げます。「あばら家に住んでいた貧しい女が」をつむぎ出すオーボエの旋律、そして続く二重唱の見事さ。

「言っておくれ、そこに他の人が来なかったか」に続く、失った娘との再会に感動する父親の姿に、もし生きていればこうであったかもしれないという、死んだわが子を悼むヴェルディの心情も思われ、思わずぐっときますが、今日はここまで。

TDKコア(株)発売のDVD(TDBA-0049)、カルロ・グエルフィのシモン、ジュリアン・コンスタンティノフのフィエスコ、カリタ・マッティラのアメリア、ヴィンチェンツィオ・ラ・スコーラのガブリエーレ、ルーチョ・ガッロのパオロ、それぞれの歌唱もフィレンツェ五月音楽祭管弦楽団と合唱団の演奏も、そしてペーター・シュタインの演出も、素晴らしいできばえです!これから第2幕と第3幕が続きます。楽しみ~!

(*):ジェノヴァ市へようこそ~ジェノヴァ市公式ホームページ(日本語)
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手帳とバッグ~楽しくも悩ましい問題

2006年09月24日 21時24分43秒 | 手帳文具書斎
文具店で見かけたフリーマガジン「BUN2」に、最新ステーショナリー紹介とともに、新しい手帳の活用術が紹介されていました。そういえば、そろそろ新しい手帳がならぶ季節です。ここ数年、綴じ手帳にするかシステム手帳に戻すか、楽しくもあり悩ましくもある問題です。

綴じ手帳は、スーツに入るのがなんといってもありがたい。コンパクトで、両手があきます。しかしスーツを着ない夏季は、逆にどうすればいいのか困ってしまいます。システム手帳はカード類や紙幣や筆記具等も一緒に携帯できますが、尻ポケットに綴じ手帳を入れておくと、製本がくずれ変形してしまいます。ワイシャツのポケットに事務用ボールペンが常時のぞいているのもスマートではありません。

システム手帳を持っていた時代は、デジタルカメラも携帯電話も使っていませんでした。USBメモリにLaTeXソースなどのテキストデータを持ち運ぶのも最近のことです。システム手帳は筆記具やカード類、紙幣等を持ち運ぶには便利ですが、こうしたデジタル小物まで収容はできません。結局、別にセカンドバッグを必要とするのなら、そのバッグに綴じ手帳を入れておいたほうが、持ち歩くものが一つですみます。

今は手持ちのポーチに綴じ手帳・デジタルカメラ・携帯電話・筆記具・その他一式を入れて持ち運んでいますが、街を歩くにはショルダー式のほうがよいのかもしれません。婦人用の小型ショルダーバッグで、男性が使っても違和感のないものを探してみようかな、と思っています。
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確信犯だな

2006年09月24日 14時07分23秒 | アホ猫
「暑さ・寒さも彼岸まで」といいますが、こう涼しくなると、朝晩はもう肌寒いくらいです。天然毛皮のネコたちも、寒さを感じるのでしょうか、今朝は家内の足もとにもぐりこんでゴロゴロいってました。
こちらの母ネコ、家内が新聞を読んでいると、必ず新聞の上に乗ります。追い払われないことをいいことに、目を細めてゴロゴロ。こいつは確信犯です。
どうも、家ネコのこの習性はわが家だけではないようで、「ウチでもそうだ」という話をよく聞きます。家ネコは、ふだんはネコをかぶっているだけで、実際は確信犯が多いようです(^_^)/
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芋煮会について~山形と愛媛~

2006年09月23日 09時57分17秒 | 散歩・外出・旅行
山形名物芋煮会、ただいまシーズン真っ盛りです。先ごろ山形市の馬見が崎川で「日本一の芋煮会(*1)」が行われました。巨大な鍋からパワーショベルで芋煮をすくいとる風景をテレビ等でごらんになった方も多かろうと思います。

パワーショベルで食べ物を扱うなんて、と目を三角にされた方もおられることでしょうが、実はあのパワーショベルは、食用油をオイルがわりに用いた特注品。使用後は食用油を抜いて本来の機械油に入れ替え、業者に払い下げられるのだとか。

近隣のスーパーやコンビニでは、具材はもちろん、鍋・包丁・薪などの「芋煮会セット」が予約でき、電話一本で芋煮会ができるしくみです。おそらく、この連休は晴天につられてどっと人手が繰り出し、河原の場所取り合戦が熾烈なことでしょう。近年の環境保全意識の高まりを受けて、かまどの後始末もちゃんと灰を処分するマナーがほぼ守られているようです。

昨日の宴席でも、お吸い物のかわりに芋煮が出ました。地元産の牛肉・醤油仕立てで、実にうまかった。

実はこの芋煮会、愛媛県でも盛んに行われているのだそうですね。鶏肉・醤油仕立て。こんなページ(*2)を見つけました。河原でやるのも共通で、考えることは同じだな、と思わず嬉しくなりました(^_^)/

(*1):この人たちが実行部隊~山形市「日本一の芋煮会」日本一の芋煮会フェスティバル里芋日記~芋煮マンのブログ

(*2):重信川と「いも炊き」~愛媛県の芋煮会鍋囲みおいしい句会~asahi.com 愛媛版より
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ブラームス「後期ピアノ作品集」を聞く

2006年09月23日 06時09分43秒 | -独奏曲
さわやかな秋晴れの朝、昨夜の酒席の影響もなく、早起きしてブラームスの「後期ピアノ作品集」を聞いています。まだほとんどの家族は寝ていますので、デスクトップ・パソコン用の小型スピーカで静かに音楽を流しています。

DENONのCOCO-70444というこのCDは、ヴァレリー・アファナシェフのピアノ、1992年3月にオランダのライデンにある、スタッツヘホールザールでデジタル録音されたものだそうです。

収録されているのは、作品117の「3つの間奏曲」と作品118の「6つのピアノ小品」、それに作品119の「4つのピアノ小品」で、2分強から8分弱の全13曲。この中では、唯一作品118の「6つのピアノ小品」だけが、1971年にザルツブルグのクレスハイム宮でスヴャトスラフ・リヒテルの演奏を収録したLP(ビクター MKX-2004)でおなじみのもので、あとはまったく初めてです。

アファナシェフというピアノストのことは全く不明ですが、たいへんゆっくりしたテンポで、静かな演奏という印象を受けます。晩年のブラームスということで、あえてこういうテンポをとったのでしょうか、それとも、もともとゆっくりのテンポを好む演奏家なのでしょうか。

いずれにしろ、通勤の音楽には不向きでしょう。秋の一日、ブラームスの音楽をしみじみと聞くにはたいへん適しているようです。

参考までに、作品118について、リヒテルの演奏との比較データを示します。
■アファナシェフ盤
I=2'15" III=4'15" VI=7'33"
■リヒテル盤
I=2'02" III=3'15" VI=4'35"
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電子会議室と掲示板とブログ

2006年09月22日 21時51分20秒 | コンピュータ
花の金曜日、ちょいと宴席があり、ご機嫌な帰宅です。宴席の中で昔話になり、パソコン通信の話題に盛り上がりました。

パソコン通信の時代の電子会議室と、インターネットになってからの掲示板、最近のブログと、それなりに楽しんできていますが、この三つは似ているようでいささか性格がことなるようです。

(1)パソコン通信時代の電子会議室では、当時はまだ少数派だった「カード決済が可能な人たち」が会員となっており、一定の抑制が働き、スレッドが持続的に息長く続くことが多かった。
(2)その後、インターネットの掲示板が主流になったが、無関係な書き込みや挑発的な書き込みなどが起こりやすく、持続的な息の長いやり取りは難しかった。特に、機械的なスパムコメントがはびこり、ネットワーカーがうんざりしてしまった。
(3)ブログでは、日付が変わることによって話題が途切れてしまい、スレッドが長く続きにくい。特に毎日継続的に更新されている場合、古いトピックに対して息長くコメントが交換されるようなことは少ない。

パソコン通信の電子会議室の交流を知っている人は、その親密な雰囲気や意見交換の密度の高さを懐かしがります。でも、ブログでは継続して読めば書き手の考えや感じ方がかなり理解できるので、細部のやり取りをする必要を感じないだけなのかもしれません。
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デュマ『モンテ・クリスト伯』第1部を読んでいます(2)

2006年09月21日 06時30分01秒 | -外国文学
ナポレオン時代にジロンド党員として活躍し、議会において元老院議員として有名だったノワルティエ氏を父に持つヴィルフォールは、王政復古の反動の時代に、頑固な王朝派のサン・メラン侯爵の娘と結婚します。その際に、サン・メラン侯爵夫人から、父の経歴を理由に、王党派としての忠誠を誓わされます。保守反動の時代に自分の将来を築けるかどうかがかかっていたそのとき、エドモン・ダンテスなる青年は、ナポレオンから父へあてた手紙を仲介した生き証人だったのでした。高名な政治家の息子が、同様に信頼できるとは限らないのですね。ダンテスが長く幽閉されることとなった理由は、実にここにあったのですから。そして、峻厳な検事の論告の話におびえる婚約者ルネとヴィルフォールとの会話は、ルネが死去し、一人残された娘が重要な役割を果たすことになる、実に重要な伏線になっているのでした。

19歳の将来ある若者(ダンテス)を救おうとする雇い主モレル氏の奔走、父親の息子の無実への信頼、メルセデスの悲嘆が描かれます。歩みは遅いですが、堂々たる物語の序章は次第に加速されてくるようです。
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デスクの照明のランプを交換する

2006年09月20日 21時07分25秒 | 手帳文具書斎
自宅のデスクで使っている照明のランプが切れたらしく、スイッチを入れても点灯しなくなりました。購入して四年半ですが、室内灯をつけても手元が暗く、どうにも不便です。ランプを調べてみると、27ワットのツイン蛍光管のようです。職場からの帰路、電器店に寄り、FPL27EX-N を購入、1100円くらいでした。デスク照明が明るくなると、手元の文字もよく見えます。本を読むにも書き物をするにもたいへん便利です。

写真は桃のゼリーとヨーグルトです。プルーン・ジャムをかけています。今年は老父の病気手術のため剪定が不十分で、小ぶりの桃がたくさんあったために、出荷できず自家消費にまわった量が多かったのでした。最後の桃をゼリーにして、おいしくいただきました。
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工藤すみれさんのブログのことなど

2006年09月19日 23時14分32秒 | クラシック音楽
昨日の山形交響楽団の演奏会で、ショスタコーヴィチの素晴らしい演奏を聴かせてくれた、チェロの工藤すみれさん、実はニューヨークフィルのオーディション合格の様子を詳しくブログ「Sumire's room」(*)に書いています。
室内楽を中心に活躍する渡辺和さんが主催するブログ「やくぺん先生うわの空」でも、昨日の山響定期演奏会の紹介記事(*2)がありました。

(*):工藤すみれさんのブログ「Sumire's room」
(*2):「やくぺん先生うわの空」より、「急告 明日ヴィオレッタがショスタコ弾きます」

若い演奏家が、キャリアの過程で地方都市を訪れ、素晴らしい演奏の記憶を残していく。これまで何度も繰り返されている出来事ではありますが、その陰には、演奏家のドキドキや喜びと(時には少しの失望や悔悟もあるかも)、それを支えるスタッフなど裏方さんたちと、暮らしの中で音楽の喜びを大切にする普通の聴衆の日々の営みがあります。改装中のホールを後に帰宅するとき、工藤さんや松沼さんの演奏を、健康で、元気で、また聴ける機会がくればいいなぁと、思ったことでした。

そうそう、山形交響楽団の前回(第174回)の定期演奏会の一部が、テレビ放映されるそうです。曲目などは不明ですが、これもまた、楽しみです。

■平成18年10月15日(日)、16:00~17:00、NHK教育テレビ、音楽の森。
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山形交響楽団第175回定期演奏会を聴く

2006年09月18日 23時14分12秒 | -オーケストラ
三連休の最終日、山形市の山形県民会館で、山形交響楽団第175回定期演奏会が開かれました。指揮は、当初は工藤俊幸さんと発表されていましたが、急病のため松沼俊彦氏に代わられました。工藤俊幸さん、大丈夫でしょうか。一日も早いご快癒をお祈りいたします。

さて、本日のプログラムは、

(1)シューマン/「ゲノヴェーヴァ」序曲
(2)ショスタコーヴィチ/チェロ協奏曲第1番作品107、チェロ:工藤すみれ
(3)シューベルト/交響曲第8番ハ長調D.944「ザ・グレイト」

となっています。特に、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番なんて、地元で聴ける機会はそうそうはありません。これは「行くべしゆべし」(娘の駄洒落)です。
あいにく家人は都合が悪く、私一人で出かけました。

恒例の指揮者プレトークでは、松沼さんが「若手と紹介されましたが本当は○○歳で」と笑わせ、会場は明るい雰囲気に。このあと団員が登場、チューニングはコンサートマスターの執行恒宏氏から。犬伏亜里さんは執行さんの隣に座っています。ふと気がついたら、オーケストラが第1ヴァイオリンとヴィオラが両翼に分かれた対向配置でした。

最初のシューマン「ゲノヴェーヴァ」序曲、ナマの演奏会ではめったに聴けない曲です。響きが直接話法でなく、どこか屈折しています。シューマン好きな私としては、ナマで聴けてラッキーでした。

続いてソリストの工藤すみれさん登場。何色といえばよいのでしょうか、ライトを浴びると明るい赤系のドレスですが、実際はもっと落ち着いた臙脂色のようです。
ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲の第1楽章、チェロのソロからリズミカルに始まります。ホルンとのかけあいがおもしろい、ちょっと「西側流行音楽」っぽいところもある軽妙な音楽です。
第2楽章、弦楽合奏が静かに始まり、ホルンが悲しげに奏される、これは悲歌なのでしょうか。やがてチェロがゆっくりと歌いだします。弦楽セクションが交代でピチカートでより添う、不安げな音楽です。弦楽セクションが静かに盛り上がると、チェロのハーモニクスとチェレスタがかけあう、緊張感に満ちた音楽。ここは本当に息を呑む素晴らしさ。
切れ目なく第3楽章カデンツァに突入。とにかくチェロの独演です。弓で奏しながら左指の一部で弦をはじく。う~ん、こんな奏法もあるんだ。素人音楽愛好家にとって、実演ならではの新しい発見です。
同じく切れ目なくフィナーレに飛び込む第4楽章、オーケストラとチェロ独奏のリズミカルでいて力の入った競演です。再びホルンの高らかな響き。第1番とはいうものの、作曲家後期の力作(1959年完成)です。

休憩後、シューベルトの交響曲第8番ハ長調。これは聴衆にとっておなじみの曲ですが、それだけにピンチヒッター指揮者がどうまとめるか、難しいところです。

第1楽章、ヴィオラ、チェロをよく響かせて音楽が始まります。一部、マレットが落ちたひょうきんな音もありましたが、なぜか音楽のリズムにあっていたような(^_^;)>poripori
第2楽章、オーボエ・ソロの見事なこと!思わずうっとり。全休止の後、チェロとコントラバスのピツィカートに乗ってチェロとオーボエ。そして再び歌われる旋律。弦のピツィカートを背景に、管がまろやかに響きます。
第3楽章、開始時に指揮者がクラリネット奏者等に目で合図をして、OKになってから流れるように音楽が始まりました。本当によくまとめあげているという感じがしました。
第4楽章、金管群がきれいにそろってよく頑張ったと思います。この楽章は、インテンポを基本としてしだいに乗ってくるところをどう生かすかが勝負だと思いますが、松沼さんは少々微加速を加えながら輝かしいフィナーレを作ったと思います。

演奏のあと、心のこもったあたたかい拍手が贈られました。実際、ポピュラーとは言いがたいプログラムのもとで、たった数日間の練習で、よくぞここまで持ってきたものだと、ただ感謝です。さすがはプロです。でも、とてもアンコールまでの余裕はなかったことでしょう。聴衆も、充分にわかっていますよ。お疲れ様でした。

終演後、白いチェロケースを肩にしたヴィオレッタ(工藤すみれさん)を目撃。とても現代的な女性でした。結婚おめでとうございます。ご活躍をお祈りします。できればもう一度、今度はショスタコーヴィチのチェロ協奏曲の第2番などを聴きたいものです。
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