電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

芸術劇場で「コシ・ファン・トゥッテ」を聴く

2007年04月21日 13時34分15秒 | -オペラ・声楽
この4月から金曜夜に移動したNHKの「芸術劇場」、昨日20日はグラインドボーン音楽祭のモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」のハイライト版による放送でした。

以前、山響のコンサートスタイルの日本語公演(*)を楽しみました。お若い方々にはやや辛辣な台本でしょうが、人生の折り返し点を通過した夫婦にはたいそう楽しめる歌芝居でした。
「女はみなこうしたもの~あるいは人生の学校」という題名の、ロレンツォ・ダ・ポンテによる台本の演劇的・心理的解釈はともかくとして、録画した二時間弱のハイライト版で、生き生きとしたモーツァルトの音楽をじゅうぶんに満喫できました。

イヴァン・フィッシャー指揮の序曲は、モーツァルトらしい劇的な迫力があります。
第一幕開幕の直後は、若い二人の青年と人生経験の豊かな哲学者による三重唱。続いて若い姉妹による二重唱、哲学者がやってきて恋人たちの従軍を告げ、二組の恋人と哲学者による五重唱になります。
恋人達が去った後、姉妹がアリアとレチタティーヴォで心のうちを歌い、小間使いが世知にたけた現実的な処世法(?)を助言します。哲学者がやってきて変装した二人の若者を紹介します。はじめは恋人達の心を信じ陽気にふざける二人と哲学者の三重奏ですが、しだいに雲行きが怪しくなってきます。このあたりは、音楽による心理劇でしょう。

第二幕も、姉妹と小間使いのレチタティーヴォで始まり、姉妹の心変りの過程が描かれます。初めは妹のほうから。妹と青年の二重唱は、一方の陥落の象徴でしょう。姉の苦悩はもう一人の青年の喜びになります。そしてついに姉と別の青年の二重唱。青年達は二人とも驚愕と絶望に。小間使い扮する公証人の前で結婚契約書が作られたちょうどそこへ出征したはずの恋人達が帰還。
終景は和解に至る声によるアンサンブルです。二組の恋人たちの怒りと謝罪、哲学者のとりなしと助言、小間使いのしたたかな独白とが重なりあい、何度聴いても素晴らしい重唱です。

はじめはシンメトリーを保っていた若い恋人たちが、解体され組合せを変えられて不安定な状態に置かれ、やがて再びシンメトリーの状態に戻る。ただし、最初の状態とは異なり、副題どおり人生の学校を通過した後です。

【出演】
フェルランド:トピ・レーティプー
グリエルモ:ルカ・ピサロニ
フィオルディリージ:ミア・ペルソン
ドラベッラ:アンケ・フォンドゥング
デスピーナ:エンホア・ガルメンディア ほか
【演奏】
合唱:グラインドボーン合唱団
管弦楽:エイジ・オブ・エンライトンメント・オーケストラ
指揮:イヴァン・フィッシャー
演出:ニコラス・ヒンター
【収録】
2006年6月27日、7月1日 グラインドボーン音楽祭歌劇場(イギリス)

配役は、フィオルディリージとドラベッラ役の二人は、まだ若い娘心を好演。フェルランドとグリエルモ役の二人は一途で危険な要素も持った青年を、ほとんど地で好演しています。哲学者もなかなかかっこいい。毎度毎度笑えるのが小間使いのデスピーナですが、小柄なエンホア・ガルメンディアが憎めずかわいくて上手です。

(*):山響のモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」を楽しむ
コメント