電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

『藤沢周平未刊行初期短篇』を読む

2007年04月07日 18時25分08秒 | -藤沢周平
購入してしばらく、読もう読もうと思いながら積ん読していた『藤沢周平未刊行初期短篇』を読みました。昭和37年11月から39年の8月号の月刊雑誌に発表された、藤沢周平が最初の夫人である悦子さんと暮らした時期、しかも娘が生まれ(38年2月)妻が病死する(38年10月)、まさにその時期の作品群です。風邪でゆっくり寝ていた時間が、思いがけず役立ちました。

最初の二編、「暗闘風の陣」「如月伊十郎」は、隠れ切支丹に題材を取った作品。とはいっても、別に信仰や棄教の葛藤などを扱ったものではなく、単に秘密の忍び集団の黒幕が隠れ切支丹だという、やや通俗的な設定です。
「木地師宗吉」は、こけし職人宗吉とその兄の話。武士の時代もこけしのコンテストがあったようで、出品するこけしに弟はアオハダを使いますが、割れてしまいます。やまつつじを使えと言った無頼の兄は殺されてしまいますが、妹のように育ってきたお雪をモデルに、宗吉はやわらかい曲線を描く新しいこけしを作ります。
「霧の壁」:心に傷を受けて婚家を去ったお文が心を寄せた宗次郎は、黙々と垣根を結う植木職人でした。市井の材木問屋を舞台にした悲恋。
「老彫刻師の死」は、珍しく古代エジプトが舞台。男と女の愛憎が、世代を超えて再現されます。後年には見られない種類の内容で、異色作でしょう。
「木曽の旅人」では、老いた香具師が故郷に帰って来ます。置き去りにした女には娘がいました。そして、その娘に近付こうとする害虫も。父親らしいことはできないがせめて、という股旅ものです。
「残照十五里ヶ原」:酒井氏入部以前に庄内地方を支配した武藤氏に対し、前森氏兄弟がこれに叛きます。弟勝正の脳裏には、奪われた婚約者の姿がありました。越後・上杉氏と山形・最上氏に挟まれた歴史を背景にした武家歴史ものです。舞台となった尾浦城は、現在の鶴岡市大山の、テレビ塔のある高舘山あたりにあったものでしょうか。悲劇的な造型は、この頃からすでに見事なものでした。
「忍者失格」は、忍びの宿命を嫌い、雪太郎と香苗が忍びを捨てるまでを描きます。教職に復帰することを望みながらかなわず、教師失格と自嘲する藤沢周平と悦子夫人の姿が投影されるようです。
「空蝉の女」:表題は蝉のぬけがらのようになってしまった女、という意味でしょうか。夫は寄りつかず、同情してくれた新次は若い美輪の元に去ります。お幸の胸に隙間風が吹いています。
「佐賀屋喜七」:悪妻お園と喜七の溝は、なぜにこうも深まったものでしょうか。物語に描かれない部分があったのでしょう。ちょうど病妻の逝去の頃に書かれたであろう物語です。救いがないのはこのためか。
「待っている」:島帰りの男が、ささやかな幸せを得ます。だが病気の父親と女房と娘との生活のために、昔の腕を見込まれ、一回限りといかさま博打を承知しますが、露見して殺されます。これも救いのない物語です。
「上意討」:上意により討手を差し向けることになったとき、家老の頭に浮かんだのは金谷範兵衛の姿でした。範兵衛は妻女を逃がし、見事に上意討を果たしますが、そのまま逃亡します。幕府が放った隠密を利用して上意討を果たし、ついでに隠密を始末するという策は、範兵衛に読まれていたのでした。
「ひでこ節」は、今の温海温泉、湯温海を舞台にした物語です。素朴な温海人形を作る人形師長次郎は、ふとしたことでお才という娘を助け、やがてともに暮らし始めます。しかし、旅の一座の父親がお才を連れ去って三年後、お才がたった一人で帰ってきます。「ひでこ節」の唄が「違うとる」と言ったお才の姿に、心身ともに病の回復が見えています。
「無用の隠密」は、庄内浜・七窪を舞台とした、忘れ去られた隠密の解任の物語。もしかしたら今でもあるのでしょうね、スパイの命を受けて辺境に赴任し、中枢の交替劇などによりそのまま忘れ去られてしまう、ゾルゲのような例が。

「残照十五里ヶ原」の悲劇性、「上意討」の中にある抑制されたユーモア、「ひでこ節」に見られる再生への願いなど、心うたれるものがあります。藤沢周平ファンは、やはり読むべき短篇集だと感じました。
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