奈良県五條で旗揚げし代官屋敷を焼き打ち、倒幕ののろしを挙げた翌日に政変勃発。
尊王攘夷派を公武合体派が都から追放、俗に云われる“七卿都落ち”である。
長閑な十津川村は谷瀬のつり橋で有名、薄い踏み板と揺れによる心地よさ?は凄い!
一夜にして逆賊となった天誅組は五條から南へ逃れ、十津川村天辻に本陣を移す。
尊王思想の強い十津川村では、村民一万人の内、1200人が直ちに天誅組に加担した。
天辻本陣跡に向かう路傍には、3月下旬なのに雪が残っている。
本陣の跡は明確ではなく、この辺りらしい?峠の頂上付近
十津川郷士は一旦天誅組みに味方するが、都の動静に疑問を持つ士もいた。
十津川郷士で天誅組みの行動に疑問を唱えた、玉堀為之進斬首の場。
こうして十津川郷士も次第に離脱し、根拠を失った天誅組は、幕藩:紀伊藩に追われて、吉野方面へ退却を余儀なくされる。