言葉というのは、使い方が難しい。
口から発せられた音声の並びや、紙に書かれた文字の列が、
場合によっては、人の心をズタズタに引き裂いてしまう。
殴ったり蹴ったりしなくても、悪意をこめた言葉を送るだけで、
相手に致命傷を負わせることさえ出来る。
その言葉を生み出すのは、人の頭脳だ。
邪悪で愚かな頭脳を持つ者は、言葉を凶器として振り回す。
言葉の暴力は、愚か者の証である。
仏教では、「してはならない悪い行為」を、大きく10種に分類するが、
そこには、「殺す」 「盗む」といった一般的な項目と並んで、言葉に
関係する悪行が四つも入っている。
「嘘をつく」 「人の間を裂くような二枚舌を使う」 「荒々しい言葉を吐く」
「理の通らないことを口にする」の四つである。
仏教が「言葉の暴力性」を、いかに嫌ったかがよく分かる。
嘘ばかりついていると、次第に、嘘と真実の区別が分からなくなって、
自分に都合のいい虚偽の世界で生きる、利己的人間になってしまう。
荒々しい言葉で、人を怒鳴りつけてばかりいると、人の情愛を推し量る
感受性が磨耗してきて、たおやかさが失われる。
仏教が主張するのは、「今現在、粗暴な心に支配されている人でも、
優しくて正しい言葉を使うよう、努力し続ければ、やがて自分の中に、
優しく正しい心が、生まれてくる」、ということなのだ。
自分の言葉を、自分でコントロールしていくことが、そのまま、
修行になると言っているのである。
「相手の気持ちをくみ取りながら、慎重の上に慎重を重ねて、
誠実に言葉を紡ぎ出す」、そういう日々を送ることで、我々は、
自分自身を磨いていくことができるのである。
*** 朝日新聞・日々是修行
佐々木 閑 (花園大学教授)・抜粋にて ***
「誠実に言葉を紡ぎ出す」、という言葉の表現に、
言葉の、奥行きの深さを感じます、。
乱暴な言葉を発すれば、相手を不愉快にもさせる。
言わなければよかった、と思う一言で、
相手を傷つけてしまうこともあります。
また、無責任な噂を流すことも、言葉の暴力ではないでしょうか。
言葉は大切なもので、使い方はホントに難しいものです。